向上しながら滅びる

最近、色川武大の「うらおもて人生録」をパラパラと読んでいるのですが、その中で彼はこういうことを書いています。

「うらおもて人生録 向上しながら滅びる―の章」(P222-223)

物事というものは、進歩、変革、そういうことが原因して、破滅に達するんだ。

(中略)

エラーが原因して、破滅すると言う例は、存外にすくないんだ。すくないといっても、むろんばかにはできないよ。エラーすれば自滅するのは当然だよ。
けれども、進歩していって破滅する例にくらべれば、圧倒的にすくないんだ。
自殺して消えていく人間は、全体からすると、ごくすくないだろう。
大部分の人間はね、生きようとしていって、そして生きてしまうために、それが原因で、死を迎えるんだ。
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5 出来るだけ若いうちに・・・
5 どう生きていったらいいかよくわからない人
5 フォームとスケール
4 異色の人生論
5 「座右の書」です。


どういうことかというと、作用と反作用の関係のように何かを得た代わりに何かを失っていて、例えば人類の大きな発明でプラスになったように見えても実は大きなマイナスもまたあると言う。

「うらおもて人生録 向上しながら滅びる―の章」(P224)

たたかいの場合、勝者と敗者ができるけれども、勝者が傷ついていないかというとそんなことはない。それなりに、勝ちを得た分くらいは傷がついている。もちろん敗者の方も傷だらけ。両者の傷をさしひいて、残りの部分でいくらか余裕がある方が、勝者というわけかな。

それでも、人は今日より明日を良くしたい、もっと自分らしく、自分の生きたいように生きたいという思いを持っている。そうして向上していきながらもその反面さまざまなものを失い、そして最後は死ぬ。向上しながら滅びる。

こういう円環的な人生観・歴史観は色川だけではありません。全然かけ離れた、一見色川と正反対にいるようにも見える人ですが、宮本常一も似たようなことを書いていました。

「民俗学の旅」(P234)

私は長いあいだ歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。それがまだ続いているのであるが、その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか、発展というのが何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。停滞し、退歩し、同時に失われてゆきつつあるものも多いのではないかと思う。

(中略)

進歩のかげに退歩しつつあるものをも見定めてゆくことこそ、今のわれわれに課せられてれているもっとも重要な課題ではないかと思う。
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彼らは戦後の世界的な急成長を目の当たりにした。その雰囲気を河合隼雄が「生の急拡大」という言葉で的確に表現しています。

「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」(P189)

現代というか、近代は、死ぬということをなるべく考えないで生きることにものすごく集中した、非常に珍しい時代ですね。それは科学・技術の発展によって、人間の「生きる」可能性が急に拡大されたからですね。
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日進月歩で変わりゆく社会、科学技術の急発展による生きる可能性の急拡大という時代の中で、進歩のかげに退歩しつつあるものがあるのではないか、我々は向上しながら滅びて行くのではないかそういう冷静に見つめる視線があったということなのだろうと思います。

この背景にはもちろん個人主義思想、近代化という変化のなかであらたな道徳観として神聖不可侵な人格を人はみな持っているという人格崇拝の考え方が広がり、そのかけがえのない今を生きる、つまり生きるために生きるという人生の自己目的化がいわゆる「生きる可能性の急拡大」でしょう。

自己を何かしら掣肘していた家父長的大家族、村、地域、国家あるいは企業というさまざまな集団の力が弱まっていく中で相対的に人格の重要性が上がり続けてきたこと。その文脈上にライフハックブームだったり潜在能力だったり脳科学、空気読めとかがある訳ですが、一方で急成長の時代は終わり、進歩や成長は必ずしも幸福を意味しないようになることで生きる可能性の停滞縮小が始まると、相対的にこれまであまり見ないようにしてきた「死ぬ」ことの可能性が急拡大してきますね。死を取り扱う話題がここ10年目立つようになってきたように思います。

日本は自称無宗教な人が多いと言いますが(まぁ、自身の考え方の宗教性に無頓着というか、見ないようにしているだけなのですけれど)おそらく、これから50年ぐらいかけて日本はこれまでの反動のように宗教社会化を遂げて行くと思います。

高齢化社会というのはつまり死と向き合うことになる人の増加を意味する訳で、特にこれまで「生」に殊更重きをおいた人生を歩んできた団塊以降の世代が続々と歳をとり、「死」と向き合うことになったとき、「生」が重要であったということはその反面「死」も同様に極端に重いものになるからです。

「死」の重みをどのように「生」の中に内包させていくのか、が多くの人達の後半生の重要な課題となっていくなかでその意味を再定義するさまざまな信仰、宗教、物語が生み出されて行くのでしょうね。人は向上しながら、滅びる。その滅びをいかにして飲み込み、人生の物語に昇華させていけるか、ということに好むと好まざるとに関わらず向き合わざるを得無くなるのだろうし、その受け皿としておそらく宗教やあるいは宗教的なるもの、または思想などが次々と生まれてくるだろうなと思います。

生と死に新たな価値観を与える、あるいは自身で作り出すことを支援する動きとあわせてたぶん、極端な復古主義やナショナリズム、カルト、原理主義的思想なんかもね。既存の宗派宗教は一般の人々の宗教性との乖離が大きいままなので、このまま形骸化していく一方なのでしょうけれども、まぁ、米国のような宗教社会へと近づいていくんじゃないかとぼつぼつ思います。今はまだ現実味がないかもしれませんが、いわゆる全く違うかたちでしょうけれど、大覚醒運動的なのが日本で起きるんじゃないかと少し想像したり。

そんなことを寒くなってくるとついつい考えてしまうのですよね。ねこになりたい。



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4 黙っているということ
4 さるきちの物語は・・・。
5 心にしみる対談集。それはまるで、味わい深い二重奏の調べにも似て


思考・心理 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

そろそろ花粉症の季節なので

去年、一昨年と書いた記事の焼き回しなのでアレですが。
「花粉症は環境問題である」奥野 修司 著
花粉症が日本を滅ぼす

上記の二つの記事に大体まとめているので、ざっくりとしたところだけメモしておきます。

高度経済成長→木材需要の急拡大→拡大造林政策で森林伐採、スギヒノキ等への植え替え奨励→スギヒノキはほとんど無かったのが国土の森林の3割を占めるぐらいに急速に植え替え→林業ウハウハ→70年代木材輸入自由化→国内の林業競争力低下→林業崩壊→スギヒノキ放置→樹齢30年でスギは花粉を付け始める→ 誰も管理しなかった→花粉飛び放題(年間800万トン前後)→花粉症蔓延(有病者数は2005年で約2200万人)←イマココ!

で、97年の旧科学技術庁の試算では有病者数1300万人として花粉症の蔓延による損失は年間2850億円にのぼると推計され、今や国民の5人に一人が発症していると言われていることから、その倍以上の損失を毎年出していると思われる。

また、特に花粉が飛散しやすい樹齢30年超のスギだけで年間540万トン、樹齢10年以上のスギやヒノキその他花粉症の原因と見られる花粉をあわせると年間800万トンの花粉が飛散している。

現状の政府・行政の対策は花粉が出ないスギ等への植替え(50〜100年計画)、予防・治療薬の開発研究といった程度で抜本的な解決には至っていない。「花粉症は環境問題である」の著者奥野氏は京都議定書で約束した8%の目標を達成するための施策をスギ林対策にシフトさせることで花粉症問題とCO2削減目標の達成とをクリア出来るとしている。現政府は25%に跳ね上がっているんでしたっけ。

拡大造林の失敗と花粉症と言う問題は斜陽産業化した林業、過疎化や地域社会、さらに環境問題とも密接にリンクしているため、直接的にではないにしても間接的に、しかし確実にボディブローのように日本経済・社会にダメージを今後も与え続けて行く。

目に見えないが、実は喫緊の問題の一つだろうと思いますので、政治家の皆様はぜひ抜本的な対策をお願いします。へっくしゅん。ゴシゴシ・・・

P.S
あわせて、拡大造林政策に一人立ち向かった無名の偉人の話も昔書きました。→人口7500人の小さな町の、100年後が見えていた大きな町長の話



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1 植林の失敗と花粉症とは関係がない
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4 沖縄の人が羨ましい!

自然と環境 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

イスラム原理主義思想の父サイード・クトゥブの生涯

9.11事件を起こしたアル・カイーダを始め世界中でテロを繰り返し、アメリカを始めとする欧米諸国と対立を深めるイスラム原理主義勢力ですが、その原理主義思想はさかのぼるとたった一人の思想家にたどり着きます。

男の名はサイード・クトゥブ。イスラム原理主義思想の父と呼ばれ、主なイスラム原理主義団体の殆どが彼の思想をベースにしています。その彼の悲劇的な生涯は果たして何を生んだのか。

1)青年時代
クトゥプは1906年、エジプトのナイル川上流、貧困地帯として知られる上エジプトのアスユート県の貧しい村で農民の子として生まれました。彼の父は農民とは言え、比較的豊かで、かつイスラム学を学んでいることから村の知識人として尊敬を集めていました。そんな父の影響もあってかサイード少年は、10歳でコーランを暗唱するなど知識欲が強く将来を嘱望されていました。

1919年、クトゥプ一家は土地を売ってカイロ近郊に移住。サイード・クトゥブは中等教育を受けたのち、1929年に名門ダール・アル・ウルーム師範学校に入学。同校は伝統的なイスラム教育ではなく近代思想や合理主義を教える近代的な教育機関で、彼は英文学に熱中。1933年、教育学の学士を取得し、成績優秀だったため同校に講師として残り、同時にエジプト文部省の教官としても勤務するようになります。

また、同時期に文芸評論や小説、詩の創作などを行い、文壇デビュー。作品はイスラム的なものではなく逆にイスラムの伝統的な社会ではタブーとされていた男女の性を扱ったり、恋愛小説を書いたり、時には女性のヌード描写も登場するなど自由でロマンチックな作風だったと言います。

後にイスラム原理主義の父と呼ばれる苛烈な面影は微塵も無く、欧米諸国への憧れを抱く、心優しく繊細な文学青年。それが若かりし頃のサイード・クトゥブでした。

2)ムハンマド・アリー朝下のエジプト
エジプトの近代史は欧米列強の植民地支配に翻弄された歴史でした。

エジプトは長くオスマン帝国の支配下にありましたがナポレオンのエジプト遠征と撤退後の混乱の中で1805年、アルバニア人傭兵ムハンマド・アリーがオスマン帝国の下でエジプトを支配していたマムルークなど有力者を倒してムハンマド・アリー朝を起こすと、西洋文明を導入してエジプトの近代化と国力増強に努めます。

ムハンマド・アリー朝の下では西欧を敵視するのではなく、イスラム文化と西欧文化との共存が目指されました。フランス啓蒙思想を学んだ啓蒙思想家リファー・アル・タフターウィー(1801〜73)は西洋思想をイスラムに紹介するなど西洋とイスラムの共存のため思想を説き、宗教家のジャマル・アル・アフガーニー(1839〜97)は後に「汎イスラーム主義」と呼ばれる、イスラム教を近代西洋思想に対抗しうるような科学的、合理的なコーランの再解釈と連帯を唱え、アフガーニーの弟子で教育者のアブドゥフはイスラム教下での民主主義の導入に向けた政治改革と自然科学教育を重視する教育改革を試みました。

しかし、このようなイスラム社会と西洋社会の共存の試みは、残念ながら上手く行きませんでした。急速な近代化は社会の歪みを生み、また欧米列強との不平等条約に基づく市場開放はエジプト経済を不安定化させ、さらにスエズ運河の建設はエジプト財政を逼迫、1876年には財政破綻し英国が実質的に植民地支配に乗り出します。

第一次大戦後、エジプトでも民族自決の機運が高まり独立運動が盛んになると、1922年、英国政府はエジプト王国の独立を宣言しますが、実質的な支配権は英国が握り続けました。

英国政府の植民地支配とそれに対する王政への無力さに危機感を覚えた一人の青年がいました。ハッサン・アル=バンナはクトゥプと同年の1906年生まれ。クトゥブと同じダール・アル・ウルーム師範学校を1927年に卒業。当時の政治的閉塞状況に危機感を覚え、一人モスクに立って演説を始めると、すぐに多くの支持者を獲得し、翌1928年、後に様々な原理主義組織の母体となる「ムスリム同胞団」を結成。イスラム教教育の重視や生活水準の向上、植民地支配からの独立などを謳い、非暴力の政治運動を展開し、多くの支持を獲得していきます。

1930〜40年代のエジプトは英国政府、王党派、ワフド党と呼ばれる民族主義勢力、そしてイスラム教をベースにしたムスリム同胞団の四つの勢力が綱引きを行う微妙な情勢となっていました。

3)米国留学
さて、このころ、サイード・クトゥブは良き理解者に巡りあっていました。後世「文学の巨柱」という称号を与えられ敬意を集める近代エジプトの自由主義思想家、教育者、作家であり、また文部官僚(のち文部大臣)でもあったターハー・フサインです。フサインはクトゥプの仕事上の上司として、また近代思想の教師として親交を深めていました。

当時、文部省の官僚であり、言論人でもあったクトゥブは公務に励みつつも、傀儡と化したエジプト政府の腐敗に倦んでおり、徐々に政府批判を発表するようになっていました。そのような矛盾を抱えていたこともあって上司のフサインに辞職を申し出ますが、フサインは辞職させるのではなく、近代教育制度を学ばせるという名目で米国留学を命じます。フサインは米国の文化に触れることでクトゥブを知識人として成長させたいと考えていたようです。

彼は1948年から50年までスタンフォード大学に留学します。しかし、若き日に欧米文化への憧れをいだいていたクトゥブが米国生活で感じたものは「失望」でした。クトゥブは米国でショックを受けたのは「物質主義」「人種差別」「性の乱れ」の三つだと言い、これは政教分離が原因ではないかと考えました。キリスト教徒は熱心に教会に通うが、そこには信仰は無く、「本来の信仰の基本であるはずの深い内省からかけ離れた堕落した形態」(「テロと救済の原理主義」P33-34)でしかなく、「政教分離を原則としる西洋近代の思想やイデオロギーは、イスラーム世界のモデルたりえない」(P33)。そして闇雲に西洋の近代思想を導入しようとするイスラム社会の傾向に警鐘を鳴らし、西洋の近代思想や共産主義ではなくイスラム法にこそ社会秩序の源を求めるべきではないか?と考えるようになります。

米国留学から帰国した彼は、1951年文部省を退官。1953年、ムスリム同胞団に入団し、機関誌編集長、指導評議会のメンバーとしてイスラム原理を通じた社会改革運動に身を投じます。

4)エジプト革命とナセル政権
クトゥブが米国留学に行った1948年、エジプトの政治は緊迫の度を増していました。パレスチナでのユダヤ人による英国政府に対する武力闘争に端を発した第一次中東戦争は圧倒的有利と見られたアラブ諸国連合軍の大敗に終わり、エジプトでも王政の権威が失墜。さらにエジプトのネクラーシ首相が暗殺される事件が起き、これがムスリム同胞団に属する者の仕業だとされると王党派によってハッサン・アル=バンナが暗殺されムスリム同胞団は大きな痛手を負います。

このような政情不安の中でムハンマド・ナギーブ、ガマール・アブドゥン=ナセルら軍人によって組織される自由将校団は1952年7月23日クーデターを起こし政権を掌握、翌53年、ムスリム同胞団と協力して王制を廃止するとナギーブを首班とする共和制を樹立。しかしほどなくムスリム同胞団が支援するナギーブとナセルの間で路線対立が表面化し、1954年、ナセルの暗殺未遂を図ったとしてムスリム同胞団が非合法化措置が取られるとともにナセルが政権を掌握。1956年、ナギーブから大統領職を譲られる形でナセルの軍事独裁政権が成立します。

めまぐるしく動く政局の中で、1954年のムスリム同胞団非合法化とともにナセルによるムスリム同胞団などナセルに敵対する勢力の大弾圧が始まり、クトゥブも逮捕され15年の強制労働の刑を受け、カイロ南郊外ヘルワンのトラ刑務所に1964年まで10年間獄中生活を送ることになります。そして、この獄中生活がクトゥブの思想を先鋭化させ、イスラム原理主義思想の根本概念となる様々な書物が書かれていくことになるのです。

5)獄中生活
クトゥブの獄中生活は悲惨だった。

「テロと救済の原理主義」(P36)
逮捕時、彼は高熱にうなされていた。にもかかわらず、手錠をかけられて素足のまま監獄にほうりこまれ、怒りと高熱のため彼は意識を失った。獄中の拷問で命を落とした同士も多かった。五五年、多くの同胞団員が刑務所で惨殺される事件が発生し、クトゥプはぼろぼろになって運ばれてくる負傷者の姿を垣間見た。ひと時は自由将校団のメンバーにイスラームに関する講義を行い、ナセルとも面識があったクトゥプは、世俗国家権力の非情を思い知ったのである。

藤原和彦「イスラム過激原理主義」によると55年ではなく57年に囚人が惨殺される事件があったと書かれているが幾度かあったのかもしれない。57年の惨殺事件は服役囚23人が作業を拒否して座り込みを行ったところ、刑務所の看守らが銃撃を浴びせ惨殺したというもの。

このような過酷で残虐極まる刑務所生活の中で、彼は代表作となる著書「道標」を著し、原理主義革命の根本思想「ジャーヒリーヤ論」を生み出すことになる。ジャーヒリーヤ(無明時代)、つまりこの世は闇であると。

6)クトゥプの原理主義思想
(1)「ジャーヒリーヤ論」
ジャーヒリーヤとは預言者ムハンマドが現れる以前の社会は野蛮で無知が支配する時代を指す言葉だった。これを現代にも当てはめたのはクトゥプと同時代のパキスタンのジャーナリストで思想家のマウドゥーディーだった。マウドゥーディーは現代もまたジャーヒリーヤ(無明時代)であり、西洋が押し付ける近代思想に対抗するためジハードを行うという原理主義思想の根本になるようなジハード論を唱えた。

クトゥブはそれをさらに拡大させてジャーヒリーヤは西洋列強だけでなく、イスラーム内部にも巣くっている。それはナセルら世俗の民族主義者たちであり、そのような邪悪な偽善社会に対抗していかなければならない。そしてジャーヒリーヤの世界とは人間が人間を支配するという、「神の主権」の侵害であり、人間の手にある主権を神に返し、神の名の下に平等な世の中を作らなければならないという思想に至る。

ここで重要なのは「神の主権」とは神の名の下に独裁的な神権政治の樹立を行うのではなく、「あらゆる問題に関する最終的な判断を生身の個人にではなく、イスラーム法に求める社会」(「テロと救済の原理主義」P46)つまり、イスラーム法による法治国家の樹立を目指すと言うことだ。

そしてそのイスラーム法に基づく「神の主権」を回復させるために欧米列強やナセル政権に対して武力抵抗=ジハードを行い、戦って行かなければならないという思想を生み出した。

(2)「イスラーム前衛論」
上記のジャーヒリーヤの世界を打ち破り「神の主権」を確立し、西洋の物質文明に対してイスラム教原理に基づいた社会秩序を生み出すためにイスラム諸国においてその実践と復興運動を行う人々がいなくてはならない。そのような人々「イスラーム前衛」の必要性をその著書「道標」で「現代社会を覆うジャーヒリーヤの大海を泳ぎきり、確固たる決意をもってイスラームの大義の道を行く前衛たちが必要である。」と語った。

(3)「ジハード論」
ジハードと言う言葉には「個人の内面との戦い」という精神的な修練の意味と「外部との戦い」という行動的な意味がある。概ね前者の意味で使われており、後者の「外部との戦い」という場合、基本的にコーランでは強制改宗目的でのジハードは禁じられており、どうしても戦わざるを得ない場合にイスラム法に基づいてジハードを行うべきかどうか判断が下されるというものだった。

このジハードをクトゥブは再定義する。神に代わって人が人を支配する世界から人々を解放し、イスラーム法に基づいた平和な世界を作るために、説得や教化だけでなく武力行使も含む戦闘を積極的に行うべきであるとした。

7)クトゥブの死とその後
1964年、イラクのアーリフ大統領の調停により釈放されたクトゥブは、アーリフ大統領のイラク移住の勧めを断りエジプトに残ると、上記のような思想を記した書籍「道標」を出版。このイスラム教を再解釈し闘争に特化した急進的な思想はエジプトだけでなく政権の腐敗や圧制、列強の植民地支配、社会の矛盾に怒りと不満を覚えていたアラブ諸国の若者たちに圧倒的な支持と共感を得る。彼らにとって、このクトゥブの思想はそのタイトル通り暗い現実社会を照らし、何をするべきかを指し示す「道標」だった。

この内容に恐れをなしたナセル政権は1965年、扇動罪でクトゥブを再逮捕すると、アラブ諸国からの助命嘆願を無視して具体的な証拠が無いまま死刑判決を言い渡し、翌66年、彼は絞首刑に処せられる。彼の死はすぐにアラブ世界を駆け巡り、多くの若者達がその死を悼み、絶望し、怒り、次々と行動に出た。

後にサダト大統領暗殺のリーダーとなるムハンマド・ファラグ、アル・カイーダのNo2として世界中でテロ行為を繰り返すことになるアイマン・ザワヒリらが結成する「ジハード団」、93年の世界貿易センタービル爆破テロや悲惨なルクソール事件を巻き起こすオマル・アブドルラフマンの「イスラム集団」、ムスタファ・シュクリの「断罪と逃亡団(ヒジュラ団)」などが70年代前後から一斉にテロ活動を始め、それに対して政府も武力で応えた。

70年、独裁者ナセルが急死した後を継いだサダト大統領は敬虔なイスラム教徒であり、第四次中東戦争などでイスラエルに打撃を与える一方でキャンプデービット合意によってノーベル平和賞を受賞するなど外交的にはアラブ諸国の盟主であり、開放経済を推し進める合理主義者であり、そして反対派は徹底的に弾圧する軍事独裁者だった。

徹底的な政治活動家の取締りと開放経済による貧富の格差の拡大による社会の不満が頂点に達した81年10月6日、サダト大統領は第四次中東戦争の戦勝記念式典で閲兵中にジハード団のメンバーによって暗殺される。

サダトの後を継いだムバラクは文字通りサダトの後継者だった。独裁色を強めるとともに反対勢力に徹底した弾圧を加えた。特に悪名高いのがSSI(国家治安調査庁)と呼ばれる対原理主義勢力の秘密警察で拷問や不当勾留を繰り返し、さらに原理主義勢力に対しては極めて短時間のうちに死刑判決→執行が行われているという。ミドルイーストウォッチやアムネスティインターナショナルなどの人権団体が幾度となくエジプト政府に対し調査や非難声明を行っているが、今でも政治犯に対する拷問、虐待、私刑はつづいているという。

苛烈極まる弾圧でエジプト国内の原理主義組織はエジプトから脱出し、アラブ世界に活動範囲を広げていった。また、79年、ソ連がアフガニスタンに軍事侵攻したアフガニスタン戦争に多くの原理主義思想に傾倒する若者たちが参加。その中にはのちにアル・カイーダの最高指導者となるオサマ・ビンラディンもいた。「アラブ・アフガンズ」と呼ばれた彼らを米国が支援し、そこで学んだ軍事知識を元に彼らはアラブ諸国に散っていき各国でテロ活動を繰り返すようになった。

反対派の抵抗に対して政府は弾圧で臨み、それに対して原理主義勢力はテロで応酬し、政府は武力鎮圧し・・・という数十年に渡る流血の連鎖の結果、テロ組織はますます過激かつ先鋭化し、燎原の火のごとく世界を覆い、おそらくイスラム革命という理想すら見失いテロのためのテロを繰り返し、また欧米諸国や中東諸国は武力を持って徹底的に叩くという泥沼へ嵌っている。クトゥプの死からわずか50年でおそらく今後数百年は続くであろう対立という巨大な楔が世界に打ち込まれている。

元はたった一人の文学者の非業の死だった。日本に怨霊信仰というものがあるが、かつての怨霊信仰は社会の変革期に人々の不満を、非業の死を遂げた人の無念さに仮託した反抗運動だった。そのような意味で言うならば今の原理主義勢力によるテロの連鎖はサイード・クトゥブの怨霊なのだ。怨霊は退治するものではなく祀り、鎮め、不満を取り込んでいくものなのではないか。

「テロと救済の原理主義」の著者小川忠は原理主義の蔓延する原因として一般的に、貧困や社会的格差が言われているが重要な要因を見逃していると書いている。それは「誇りの不平等」だと言う。

「テロと救済の原理主義」(P216)
圧倒的な西洋の軍事・経済・文化的パワーに直面し、それに対抗するために自らも西洋近代の科学技術を摂取し、消化しようと試みてきたイスラーム近代改革主義者の中から、中東イスラームの原理主義は誕生した。西洋に対抗するために敵である彼らの文明を学ばざるをえなかったという屈辱は、「西洋によって我々は貶められている」という怨念となって彼らの胸の中で結晶化していった。一九世紀半ば、日本も、西洋列強の強権的な砲艦外交に屈して国を開かざるをえなかった。その屈辱、傷ついた自己アイデンティティーの回復が、明治以降の日本の国家目標となった。

傷ついた人々の誇りをいかに回復させるか。人が人らしく生きていくためには「誇り」が必要だ。

(中略)

相手を変えようと思ったら自らが変わる勇気をもつこと。相手に愛してもらおうと思ったら、自らが相手を愛する度量をもつこと。

(中略)

「私たちは貴方たちを尊敬している。貴方たちのことをもっと知りたい」。これこそが、日本が中東に向けて発しうるメッセージの出発点と、私は信じたい。

僕もそう思う。そして、イスラム世界のことは全く知らなかったので、知りたいと思い、色々書籍やサイトを漁って自分なりにまとめてみた。イスラム世界についての理解をここから始めてみようと思う。次は原理主義とは反対のイスラム世界のリベラルな運動についてまとめたい。

参考文献

テロと救済の原理主義 (新潮選書)
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5 そういうものにわたしはなりたくない
5 超おすすめ!


原理主義とは何か―アメリカ、中東から日本まで (講談社現代新書)
小川 忠 講談社 売り上げランキング: 300142
おすすめ度の平均: 5.0
5 原理主義の克服を目指す。
5 いろいろ答えが得られます。
5 原理とは
5 原理主義入門必読書!


イスラム過激原理主義―なぜテロに走るのか (中公新書)
藤原 和彦 中央公論新社 売り上げランキング: 186960
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4 イスラムの印象が変わる
5 イスラム原理主義の歴史的経緯や思想的系譜を丹念に掘り下げた秀逸な書籍
5 フセインとアサドらバース党の功績
5 9・11テロ以前の章立てながら
5 エジプトにおける過激主義


参考サイト
イスラム原理主義 - Wikipedia / ムハンマド・アリー朝 - Wikipedia / “西洋”の衝撃とイスラーム改革 / ターハー=フサイン / ムスリム同胞団 - Wikipedia / ムハンマド・ナギーブ - Wikipedia / ガマール・アブドゥン=ナーセル - Wikipedia / アンワル・アッ=サーダート - Wikipedia


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「ポンヌフの恋人」レオス・カラックス監督

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4 主演二人の純粋な愛
4 「不器用ながらも“生きる愛”」に拍手
5 恋する心の高揚が、痛いほど伝わりました
5 好きな映画のひとつです


ポンヌフの恋人を10年ぶりぐらいに観た。

パリを流れるセーヌ川に架かるフランス最古の橋、ポンヌフ橋のたもとをねぐらにするホームレスの青年アレックス(ドニ・ラヴァン)と、失明寸前の絶望から放浪の末にポンヌフ橋に辿りついた絵描きの女性ミシェル(ジュリエット・ビノシュ)のラブストーリー。

フランス映画界の奇才レオス・カラックスの代表作の一つで「ボーイ・ミーツ・ガール」「汚れた血」に続くアレックス三部作の最終章と言われている。個人的には「汚れた血」が一番好きなんですが、「ポンヌフの恋人」もさまざまな魅力がある力強い作品で、特に孤独についての描写が見事だと思う。

アレックスは何度かホームレスから抜け出すチャンスがありながら、しかしポンヌフ橋での生活に異常なほどに執着する。劇中ミシェルが「自分の殻に閉じこもらないで」と強く諭す場面があるが、彼の橋への執着はその孤独ゆえだろう。

自身の自我を守るためにさまざまな関係を断ち切り、ありとあらゆるものをそぎ落とし続け、他者との関係性だけでなく衣食住すらも最低のものにして、たった一つの、ポンヌフ橋だけを自我の拠り所にすることで壊れやすく傷つきやすい小さな自我を守ろうとしているのだろう。それによってどれほど自身が傷つき、追いつめられ、未来の見えないホームレス生活を続けようとも。

自身の自我を求めて、あるいは自我を守るために、何かをそぎ落としていくというプロセスは大なり小なり多くの人が経験することだと思うのだけれど、徹底的にそぎ落としていったとしても守るべき自我というものは往々にして見つからないことの方が多い。それどころか見つけたと思ったそのアイデンティティは実はただの執着でしかない。

そのような自我と言う名の執着に囚われる青年と、失明の恐怖から未来を見失いさ迷う女性との剥き出しの交流はぶつかり合っているようで何もぶつけていないし、恋愛のようで実は依存であるように見える。そのような執着と絶望の交流が繰り返され、様々な紆余曲折があって、最後の最後にやっと笑顔へとたどり着く。ここからがスタートなのだろう、いや、始まるといいよね。と船上から二人がタイタニックごっこ(って、こっちの方が先だけど(笑))をしながら眺める美しいアーチ状のポンヌフ橋の姿を観ながら思った。

映像美もまた見どころで、中盤の革命200周年記念の大花火の下でポンヌフ橋で踊り、さらに警察の船をパクって水上スキーでセーヌ川を駆ける美しさは圧巻。それまでが「体当たり演技」という陳腐な形容詞以外思いつかないレベルの汚なさ全開なホームレス生活っぷりなので、そのまさにハレとケな対比に惚れ惚れします。

また、同じくポンヌフ橋で生活する初老のホームレス男性ハンスを演じるクラウス=ミヒャエル・グリューバーが素晴らしかった。女性がホームレスをすることの過酷さとか、彼自身がホームレス生活に身をやつすまでの語り、あるいは表情など実にいい存在感だった。

ちなみにフランスはヨーロッパでもホームレス(SDF:サン・ドミシル・フィクセ(特定の住居を持たない者))の数が多く、特にこの作品が撮影された1980年代後半までは宿泊扶助以外のホームレス支援が特に存在せず、また80年代中盤頃から雇用状況の悪化によってホームレスの数が急増した時期のようだ。フランスの現行ホームレス支援制度は80年代後半から90年代前半に創設されている(参考:「ホームレス支援対策をめぐって―各国の状況―」 )。冒頭、宿泊施設の生々しい描写があるが、そういうホームレス問題が目の前の危機としてあったという社会背景もこの作品にはあるのだろう。

フランス社会のリアル、さまよえる個人のアイデンティティ、そして剥き出しの男と女の関係性と愛が生まれるまでを美しく描いた傑作の一つだと思います。しかし、レオス・カラックス監督・・・生きてますか?



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「プリシラ」ステファン・エリオット監督

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ある日、シドニーに住むドラァグクイーンのミッチ(ヒューゴ・ウィーヴィング)の元に掛かってきた一本の電話から、ミッチと、最近恋人を亡くしたベルナドット(テレンス・スタンプ)、陽気なフェリシア(ガイ・ピアース)の三人のドラァグクイーンは大型バス"プリシラ"を手に入れオーストラリア北部の都市アリススプリングスに地方公演のための長い旅に出る。

その砂漠を横断する長い長い旅の過程で、さまざまなトラブルがあり、出会いと別れがあり、時に差別や偏見にも直面していきながら力強く生きていく、あるいは生きてきた様子が美しい映像と出演陣の名演技によって描かれていく。

特に印象的だったのは、とある田舎の町で調子に乗ったフェリシアが町の男たちを挑発してしまい、取り囲まれてしまいながら間一髪助け出された後、ベルナドットが彼に語りかけるセリフ。

ヘンね。都会はイヤだとさんざ、グチったけど・・・我々には都会しかないのよ。都会の壁がここにいる連中から我々を守ってくれるんだわ。さあ、元気を出して。ののしられて強くなるんだから。男が女になるのはラクじゃないのよ。

都会は確かに他者にあまり強くコミットしないので、マイノリティでもあまり干渉を受けずに生きていけるし、多くの人がさまざまなポリシーの元で生活しているので多様性もある。しかし、ドラァグクイーンという生き方はそのように都会に埋没して生きる生き方ではなく、都会の中にあって強く自身を表現し注目を集めていかざるをえない業を背負ってもいる。そういうアンビバレントな、さまざまな思いがとても伝わってきた。

そして、そういう業を背負っているが故に、「都会の壁」以上に「良き理解者の紐帯」が彼らが生きていく上で必要になっていくのだろう。"プリシラ"の旅は各々が「良き理解者」と出会う旅でもある。ラストの良き理解者の前で見せる最高のパフォーマンスはドラァグクイーンとして表現する喜びに満ちたとても楽しいものだった。マンマミーア!

あと、余談だけど、この作品でも何度となく使われている曲にグロリア・ゲイナーの1979年の大ヒット曲"I wll survive"がある。後にダイアナ・ロスやその他有名アーティストがカヴァーして長く親しまれた名曲で、哀歓たっぷりなメロディと歌詞で印象的なのだけど、有名な映画はもちろん社会的マイノリティ、あるいは一般人から少し外れた人たちを扱った映画まで幅広くさまざまな映画作品に良く使われているように思う。


さまざまな映画で耳にし、そして聴くたびに耳に残るこの曲は、もしかして思っている以上に欧米の、特にマイノリティの人たちの心に強く突き刺さり、共感をもたらしているんじゃないだろうか?とちょっと思ったりしているんだけど、この辺詳しい方がいらっしゃったら教えて欲しい感じです。やはり一人でも生きていかなければならない決意と悲しみみたいな歌詞が、特に欧米の人々に強く訴えかけるんでしょうか。



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