野川公園と野川(三鷹〜調布付近)

調布飛行場の武蔵野の森公園と人見街道を挟んで野川沿いに広がる野川公園です。



野川公園は、調布市、三鷹市、小金井市にまたがる総面積399,763.78平方メートルの公園で、昭和55年に開園しました。この公園の前身は少し複雑なので順を追って説明すると、まずは中島飛行機製作所という第二次大戦前後の航空機メーカーについて説明することになります。

中島飛行機製作所は元海軍将校だった中島知久平が大正六年(一九一七)、群馬県尾島町(現太田市)に設立した航空機メーカーで、太平洋戦争では数々の戦闘機・航空機を開発、独自にエンジン開発を行う技術を有する日本最大の航空機メーカーとして知られていました。終戦後に会社は自動車SUBARUなどで知られる富士重工業や後に日産自動車に吸収合併されるプリンス自動車など12の会社に分割、解散します。その中島飛行機製作所の三鷹研究所が1943年よりこの一帯にありました。

その中島飛行機製作所三鷹研究所の敷地は米軍により接収、その敷地を買い取る形で昭和二十八年(一九五三)に設立されたのが国際基督教大学です。その国際基督教大学が多角経営の一環として敷地の一部でゴルフ場を運営していたが、昭和四十九年(一九七四)に周辺の深大寺、調布飛行場、多磨霊園等々も含めた「武蔵野の森構想」のもとに造成を行い、昭和55年6月に開園したのが野川公園です。





ということで、上の二枚のようにかつてゴルフ場があったことを彷彿とさせる芝生広場があったり、微妙に木の配置がゴルフコースっぽかったりします。





しかし、武蔵野の雑木林っぽく木々が繁っていて森林浴気分も味わえたり、自然観察林もあるので、季節に応じた植物や生き物をウォッチすることができます。

野川


敷地内にはその名の通り野川が流れ、その川原沿いを散策でき、そのまま調布から三鷹を抜け世田谷区鎌田付近で仙川と合流し、二子玉川で多摩川に合流するまでずーっと沿岸に散策路と、川岸には植物を中心にビオトープが整備されており、川幅は小規模ながらも都内有数のお散歩コースとして知られています。







峯岸家の水車


野川公園から野川沿いにしばらく歩き、三鷹市に入ったあたりで水車が見えます。この水車は江戸時代以降水車経営農家だった峯岸家の新車という水車で、文化五年(一八〇八)頃に創設され、平成六年(一九九四)に三鷹市によって復元修理されたものです。この水車の裏手には当時の様子を残す茅葺き屋根の古民家が現在も残され、展示されています。

調布市内の水車について、調布市郷土博物館が配布している資料によると、明治三十九年(一九〇六)に調布市内にあった水車は13箇所に対し、大正六年(一九一七)には7箇所にまで半減していたとのこと。

水車はかなり古くから世界各地で使われ、日本でも日本書紀にその記録があるのですが、動力水車の本格的仕様は江戸時代と言われています。水力によって人力の場合より遥かに効率的に脱穀を行うことができる江戸時代後期に登場した革新的技術だったのですが、反面、水車を回す水は農業用水や湧き水の流れを一時的にせき止めて利用したため、その水路を使って水田で稲作を行う農民にとっては、上流では水田の冠水、下流では逆に水不足という影響を受けることがあり、地域によっては影響の少ない冬から春の時期だけ運転されることが多かったようです。

前述した調布市内の水車の衰退は、20世紀初頭のエネルギー革命の影響でした。上記の期間に消滅した6箇所の水車のうち5箇所は、大正二年(一九一三)に京王線が敷設された甲州街道に位置していたもので、新たに電車と共に導入された電力が、農村にエネルギー変革をもたらし、水力から電力へと変わっていったということだそうです。昭和十年(一九三五)には調布市内の水車は一旦全て姿を消し、近年になって保存的意味でいくつか復元、展示されているにとどまっています。



この野川は三鷹市の住宅街を抜け、再び調布市に入ると調布市八雲台付近で桜並木となり、見頃の時期は桜の名所として知られ、京王線国領駅と柴崎駅の丁度中間付近を通りぬけて入間町で入間川と合流、その後調布市と狛江市との間を抜けて世田谷区喜多見・成城付近へと続いていくことになります。

歴史と自然を感じることができるお散歩コースとしておすすめですね。


大きな地図で見る
西武多摩川線「新小金井」または「多磨」下車 徒歩15分

参考サイト
野川公園 - Wikipedia
概要|野川公園|東京都公園協会
ICU・国際基督教大学の土地はGOLF場だった? - その他(ライフ) - 教えて!goo
ICU 国際基督教大学 | ICUについて | 使命と沿革 | 歴史と沿革
中島飛行機 - Wikipedia
三鷹市/みたか水車博物館/常設展:武蔵野(野川流域)の水車経営農家概要
野川 (東京都) - Wikipedia
水車 - Wikipedia

関連エントリー
野川散歩
深大寺の青渭神社
調布の総鎮守、布多天神社と大正寺
調布の深大寺に行ってきました
神代植物公園、水生植物園と深大寺城址
調布飛行場と武蔵野の森公園
国立天文台三鷹キャンパスを見学してきました



[新刊] 川の地図辞典 江戸・東京/23区編 [フィールド・スタディ文庫1] (フィールド・スタディ文庫)
菅原健二
之潮
売り上げランキング: 22347
おすすめ度の平均: 4.5
4 多少の誤記は目を瞑りたくなる良本!
5 街中ハイキングにうってつけ
5 川跡歩きのバイブル


散歩の達人 2010年 05月号 [雑誌]

交通新聞社
おすすめ度の平均: 4.0
4 街歩きに最適


水車・風車・機関車―機械文明発生の歴史
坂井 洲二
法政大学出版局
売り上げランキング: 646902
おすすめ度の平均: 4.0
4 図解の親切さが光る


東京散歩:暗渠・川・緑道 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

あなたの知らない暗渠の世界〜等々力渓谷源流谷沢川探索

昨日、197Xs's Wiki - 第2回 197Xs パーティーに参加して、法律系のこと何か語ってよ、と主催者のござ先輩には言われていたものの、気がつくと暗渠について語っていました(笑)

昨日語った暗渠のLTをもう少しボリュームアップしてまとめたエントリー。

東京二十三区でも有数の自然が広がる等々力渓谷ですが、その等々力渓谷を流れる谷沢川の源流は、実は世田谷区用賀の住宅街の一角にある小さな月極駐車場だったりするのご存知でしたか?そしてその駐車場から細々と暗渠化した地下水道が流れ、用賀駅付近で蓋が外れて川となり、最終的にあの清流になるのです。

等々力渓谷
等々力渓谷

暗渠とは?

溝渠 - Wikipedia
暗渠(あんきょ)とは、地中に埋設された河川や水路のことであり、開渠に相対する概念である。 目的により、いくつかに分類することができる。

都市部における暗渠

都市部においては、かつての小川や水路に蓋がけをして暗渠とし、その上を道路や遊歩道へ転用している例がしばしば見られる。 川がないのに欄干(らんかん)が残っている場所があるが、これは地下に暗渠がある証拠である。

強度の関係もあり、車両通行禁止の遊歩道などに転用している例が多い。まれに自動車用道路としているものもあるが、それでも車両重量制限があるのが普通である。

都市部における暗渠化は、戦前より例はあったとはいえ、とくに高度成長期以降、都市化・宅地化の進行にあわせて一斉に進められたが、その多くは地域住民の強い要請を踏まえたものであった。 背景には、宅地化の進行に対して下水道の整備がまったく追いついていなかったという当時の事情がある。 行き場を失った大量の生活排水によりかつての小川はドブと化し、猛烈な悪臭を放つようになっていた。 堪えかねた住民たちは暗渠化を願い、行政に働きかけることも多かったのである。

ということで、暗渠化された谷沢川の源流を3月ごろに辿ってきました。

以下続きを読むからどうぞ。

続きを読む >>
東京散歩:暗渠・川・緑道 | trackbacks(1) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

ブロガーは何故、目黒川の桜に魅せられるのか

いや、タイトルは適当(笑)なんか、僕が読んでるブロガーの皆さんが次々目黒川の桜をアップしてたのでつい。

今年も目黒川の桜を見に行ってきました。やっぱり最強! at 和の暮らしを楽しむブログ -瑠璃色Tradition-
目黒川のサクラを見てきました | smashmedia
庵魚堂日乗: さくら、目黒川の

いや、多分隅田川とかにもみんな行ってると思うんだけど、なんとなく目黒川の方がブログを観ていると感覚的に多いように感じるのは、やっぱり、池尻大橋から青葉台〜中目黒〜目黒〜五反田と抜けていく目黒川は若い人向きなスポットなのかねー、と。

ということで、新しい職場が近所なんで、今日さくっと撮ってきた。そろそろ散り始めで葉桜になり始めてたけど、やっぱ凄かったなー。日の出橋のあたりから。

目黒川の桜

目黒川の桜

こちらは蛇崩川暗渠が目黒川と合流する合流点から。

目黒川の桜

目黒川の桜を独り占めしているお姉さんたち。

関連エントリー
弦巻公園の桜
馬と桜は良く似合う〜馬事公苑で花見
世田谷通り沿い住宅街の桜のトンネル〜世田谷百景「大蔵団地と桜」
仙川遊歩道東宝スタジオ付近の桜
北沢川緑道の桜〜住宅街を抜ける小川のせせらぎと草花と桜並木
砧公園の桜は今年もやっぱり圧倒的すぎる件
烏山川緑道散策
蛇崩川緑道散策

花紀行 東京の桜―桜名所、散歩コース、隠れた穴場… (花紀行)
花紀行 東京の桜―桜名所、散歩コース、隠れた穴場… (花紀行)
藤沢 健一,木下 清隆,加戸 昭太郎,樋口 一成

関東周辺 咲いた咲いた桜が咲いた―春爛漫のお花見名所 桜名所111選
関東周辺 咲いた咲いた桜が咲いた―春爛漫のお花見名所 桜名所111選
東京散歩:暗渠・川・緑道 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

多摩川にかかる二子橋(旧二子橋親柱、二子の渡し跡)

二子の渡し跡
二子の渡し跡

二子の渡し跡

現在、区立玉川福祉作業所になっている場所に二子の渡し跡の石碑が建てられています。

以下、てくたくぶっく兵庫島コースより引用

多摩川には昔渡し場がたくさんありました。その中で江戸中期以降矢倉沢往還(大山道)の渡船場として重視されたのは、二子の渡しです。寛文九年(一六六九)溝口と二子の宿が定められました。しかし通行人や物資の量が急増したのは江戸後期でした。大正初期の渡し場には、半天鉢巻姿の仙道が二人いて、客がたまると舟を出し、一般人用と、馬渡し用があり舟の大きさが違いました。
渡し賃は片道二銭、自転車五銭、荷車は十銭で、その収入は権利を有していた瀬田村の村人に、年末に分配されました。

特に後半の渡し賃については時代が書かれていないのだけど、明治二十二年(一八八九)には瀬田村は用賀村、上野毛村、下野毛村、等々力村、奥沢村、尾山村、野良田村などと合併し荏原郡玉川村になっているため、それ以前のことだと思われます。

そもそも、多摩川に渡しがあったのはなぜかというと、江戸時代は多摩川は江戸の防衛ラインであったため架橋が制限されていて、そのため多摩川を渡るため渡し場が整備され渡し舟が盛んに往来していたという歴史があります。

その架橋が制限されていた多摩川に橋が架かったのは大正十四年(一九二五)のこと。その二子橋建設時に玉川電気鉄道が建設費の3割弱を出資し鉄道を敷設、昭和四十一年(一九六六)まで玉電溝ノ口線と歩行者、自動車が併用する主要道路になりました。

その後、鉄道専用橋が敷設され、昭和五十二年(一九七七)に橋桁補強の大工事が行われました。その時、旧二子橋の親柱も撤去され、現在、その親柱が246号沿いの高速道路高架下に移設されています。

旧二子橋親柱
旧二子橋親柱

旧二子橋親柱

「てくたくぶっく兵庫島コース」によると、

廃失の寸前、地元の古老に発見され、郷土の価値ある文化財として、現在地に移建されました。この親柱は、みかげ石で出来ており「二子の渡し」の史跡を伝える重要な資料です。

現在の二子橋
二子橋

二子橋

二子橋

現在の二子橋は兵庫島公園からちょっと遠巻きに眺めるととてもいいです。車の往来、奥の田園都市線の進む様子や、大井町線が二子玉川駅ホームに入るために、多摩川の真ん中あたりで順番待ちしていたりする様子とか、とても味わい深いんですよね。

田園都市線とか実際乗ると地獄なんですけど(笑)、多摩川から眺めてみると案外牧歌的というか、なんだかローカルな雰囲気が漂います。違った側面が見れますね。

で、昔ここには渡し舟が幾舟も渡っていたんだなぁと言うイメージの中で遊んでみるとタイムトリップできてまた感慨深いです。

ふたこばしだより」より

かつての玉電二子の渡し

左が昭和初期の二子橋と玉電の様子、右が大正末期の二子の渡しの様子。イメージ沸いてきますねー。

関連エントリー
ふと海が見たくなって多摩川を下った
多摩川浅間神社
多摩川散歩
谷川緑道
諏訪神社(二子玉川)

二子玉川の本 (エイムック 1544 東京生活別冊)
二子玉川の本 (エイムック 1544 東京生活別冊)

多摩川絵図―今昔‐源流から河口まで
多摩川絵図―今昔‐源流から河口まで
今尾 恵介

東京散歩:暗渠・川・緑道 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

新田川緑道

去年の12月、府中を散歩したときに、新田川緑道を歩きました。丁度、分倍河原古戦場跡から府中多摩川かぜのみちへと抜けるまでの間です。

新田川緑道は、江戸時代に農業用水として開削された府中用水の支流のひとつ新田川がたびたび浸水し被害をもたらしていたため昭和56年3月に暗渠化した緑道で、かつてはこの地域の農業用水として、暗渠化された現在は下水道としての役割を果たしています。

緑道は綺麗に整備され、地下水を汲み上げたしょうぶ池は新田川緑道を歩く人たちの憩いの場になっています。

新田川緑道
新田川緑道

新田川緑道
新田川緑道

しょうぶ池
新田川緑道

しょうぶ池のカモ
新田川緑道

しょうぶ池
新田川緑道

新田川緑道途中の風景
新田川緑道

新田川緑道途中の風景
新田川緑道

かつての農業用水の流路であっただけに現在でも新田川緑道沿いには農地が広がっていて、農地が広がっていると空が広く見えます。田んぼ越しに見える空の開放感はすごいですよねー。とっても気持ちよかった。

そして、このあと、郷土の森公園の横を抜けて、前回紹介した多摩川かぜのみちへと辿り着くことになります。

新田川緑道

関連エントリー
府中多摩川かぜのみち
大國魂神社と馬場大門欅並木
分倍河原古戦場跡
府中の三千人塚

東京多摩散歩25コース
東京多摩散歩25コース
仙田 直人

多摩の不思議な路地散歩 (江戸・東京文庫)
多摩の不思議な路地散歩 (江戸・東京文庫)
舘野 允彦
東京散歩:暗渠・川・緑道 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク
PROFILE
Kousyouのプロフィール
山野光正(やまのこうしょう)。ハンドルネームは名前そのままKousyouです。自由に色々やってます。

検索
人気・注目エントリー
このブログのはてなブックマーク数
今読んでいる本
SPONSORED LINKS
OTHERS
Subscribe with livedoor Reader Add to Google My Yahoo!に追加 あわせて読みたい スカウター : Kousyoublog
人気ブログランキング - Kousyoublog
  • seo