2008.06.02 Monday11:48
代々木八幡宮〜都心に残る常緑樹の林で縄文時代にトリップ

WithFox〜江戸の石狐〜代々木八幡宮
社伝によると、伊豆の修善寺で非業の最期を遂げられた源頼家公の近習、近藤三郎是茂の家来の荒井外記智明という方が、主家衰退ののち武蔵国代々木野に隠遁し、名も宗祐と改めて看経修法の日々を送っていましたが、建暦2年(1212)8月15日の夜に霊夢の中で八幡大神の託宣と宝珠の鏡を感得しました。そこで同年9月23日元八幡の地に小祠を建て、八幡宮を勧請したのが始まりといわれています。いまでもこの日には毎年盛んなお祭りが行われています。
当社の沿革については、昭和16年、別当寺である福泉寺より三世住僧長秀法師の手記になる元禄文書が発見されて明らかになりました。
これによると、当社は創建以来、社僧の交代幾世かは知れないが、やがて正保元年(1644)伝養律師なる方が中興開山として天台門流に改め、次いで二世の僧が社殿造立、植林等の整備をし、三世の長秀法師の代になって、それまでの社地である元八幡の丘陵から、現在の地へと奉遷したといわれます。それというのも長秀法師が大和国岩掛城主山田政秀の第六女・紀州家側室延寿院殿(福泉寺に墓石が現存)の甥であったために、縁故から社地六千坪をはじめとする数々の寄進があったのです。
明治維新により神仏混淆が禁止され、従来の別当管理の制が廃され村社に列せられましたが、特に関東大震災後の急速な氏子地域の発展にともない、ようやく面目を一新することになりました。
昭和になってからは、戦災も免れ、また神域から縄文時代の遺跡が発見されたこともあり、都内でも屈指の名社に挙げられるようになりました。
代々木の郷の総鎮守として、実に八百年近い歴史を秘めた神社です。
とのことで、多くの八幡系神社と同様に鎌倉時代に創建されたものが、江戸時代以降別当である福泉寺の代々の住職によって整備され、明治維新の神仏分離令以降いくつかの神社が合祀され、縄文時代の遺跡の発掘もあって現在に至ります。
代々木八幡宮本殿

代々木八幡宮参道

境内の自然

境内の案内板「代々木神社の森林」より
代々木八幡神社にはシイやカシなど常緑樹の林が見られます。この林は小高い丘の上にあって、まわりがまだ田畑と雑木林に被われていた時代から、人々の生活を見守り続けてきました。
もともとこの林はアカガシとスダジイの混じった照葉樹林で、太古の昔に関東平野の沿岸部の台地を広く被っていたものと考えられていますが、今では林床が刈り払われたり庭木なども植えられ、人手の入った林となっています。
また、社殿の裏側の方にはイヌシデやコナラ、ミズキなどの落葉樹が林をつくり、かつての雑木林の面影をとどめています。
これらの林の中には約130種もの植物が生育しており、住宅やビルの多い都心にあって、古くから多くの人々の手によってはぐくまれ、守られてきた貴重な自然です。
このように境内の案内板にもある通り、神社の目の前を山手通りが走るような都心の近くとは思えないような閑静さは、この森林が作っているんだなぁと思います。丁度僕が訪れた際は境内の整備工事が行われていましたが、それでも様々な雑音を遮断して落ち着いた雰囲気を保っていました。
庚申塔

代々木八幡宮の参道脇にかつての別当寺であった福泉寺へと繋がる道があるのですが、その脇に庚申塔がいくつか立っています。
庚申信仰は江戸時代に盛んになった信仰の一つで、各地に庚申塔が立てられているのを今でも見かけますが、これらもその一つ。おそらくかつては近隣の道中に立てられ、道行く人々が拝んでいたのでしょう。しかし、現代では庚申信仰などかつてあった道祖神信仰は廃れています。その役割を終えたものたちの集まりです。
案内板によると「ここにある庚申塔の年記をみると、宝永六年(一七九〇)、宝暦五年(一七五五)、寛政六年(一七九四)などと刻まれています。」とあり、ほんの二百年前に立てられたものたちだと分かります。
石器時代住居

4500年前の古墳と住居跡が発掘され、現在、住居模型が復元され設置されています。金網に囲まれて入ることは出来ませんがそれでも、こういう当時の住居跡って見るだけでドキドキします。
境内の案内板より
この遺跡は今から四千五百年程前の、石器時代中期を中心に栄えたもので、標高三十二、三メートルの、幡ヶ谷丘陵の南方に突き出した半島の端に位している。当時、この前の低地は海の退きはじめた沼のようなところで丘のうしろは一面、カシやナラの森で、そこにはシカやイノシシなどの動物が多く当時の人達はそれを取ったり木の実を拾って、見はらしの良いこの丘の上で永く住みついていた。
昭和二十五年渋谷区史を作るため発掘研究が行われたが、そのときには、地下三十センチメートル位のところから沢山の遺物が発見された。土器は縄文式土器中期の加曽利E式の鉢や壺が一番多く、その他わづかではあるが、前期の黒浜式や諸磯式、後期の堀ノ内式、加曽利B式なども出たから、前期にはじまり、中期に栄え後期までつゞいたことがわかる。石器としては石斧、石鎚、石棒、石錐、石鏃、凹石、皮剥などが発見されている。
この発掘のとき、地下八十センチメートル位の下のローム層の上に当時の住居(竪穴家屋)の跡が一個分発見されたので、その上に当時のまゝの家を組み立てゝ作ったのが、この復元住居である。この家は直径約六メートルの円形にローム層を約二十センチメートル掘りくぼめ、その内がわの周に高さ一メートル六十センチメートルの柱を十本程立て、その柱の頭に桁を横に結びつけ、その桁に椽を二十一本周から葺き寄せて、屋上で円錐形に結び合せ、この上に萱を葺いて作ってある。屋上の南北には煙出しを作り東側には入り口をその北側の貯蔵室の跡にはこゝだけ椽を葺き出し中央部には爐の跡がそのまゝ残してある。貯蔵室に掘り埋めてあった大型土器と爐の中に置いてあった底なしの二個の土器は別に保存してある。この家の内は冬は屋外より十度温かく、夏は十度程涼しいし、内でたき火をすれば数時間で床面は乾いて案外住み心地が悪くない。使った木材は当時の附近の森相から考えてカシ、クリ等濶葉樹にした。
この案内板はイマジネーションを刺激してやみません。目を閉じると次々と現代の道路や建築物が消えて行き、照葉樹林が広がる丘陵地の南方に突き出した半島で日々の生活を送る姿がオーバーラップしていきます。このトリップ感がたまらないですね。
あと、この神社で猫さんたちとも出会いましたがその紹介はまた別エントリーで。

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