<< 「現代法学入門 (有斐閣双書)」伊藤正巳・加藤一郎 編 | main | 俺vsネコ(積み上げ戦) >>

愛宕神社〜最高のエピソードに彩られた東京で最も低い山

愛宕神社

愛宕神社は元々、京都の愛宕山周辺で始まった火防の神への信仰の一つ愛宕信仰の広まりによって全国に作られた神社の一つだが、この東京港区の愛宕神社は慶長八年(一六〇三)に徳川家康によって創建された神社である。この神社がある愛宕山は自然に出来た山としては東京23区最高峰(25.7m)だが、東京都で最も低い山でもある。

江戸に幕府を開いた直後に徳川家康自らによって創建という歴史から見ても、江戸城と増上寺の間の、東海道沿いにある小高く盛り上がった地形という位置的に考えてみても、純粋な信仰というよりは、愛宕神社ホームページを見ても、「愛宕山は主要街道の中心にあり、江戸城も近いこともあわせて、隠し砦としての役割もあったのでは?と推測されてもいます。」とある通り戦略的な意味合いがとても強かったのだろうと思われますね。

男坂(出世の階段)
愛宕神社出世の石段
すごい急な階段。東京の階段を網羅した名著「東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方」によると、高低差20メートル、86段、傾斜角度37度で都内有数の階段の一つ。一歩一歩を少し早足で、上も下も見ずに目の前の石段だけを見つめて登るわけです。そうすることで味わう微妙な高揚感みたいなトキメキにも似たドキドキ感を味わったのは久しぶり。

この階段についてやはり「東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方」の記述が実に美しい。

東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方
東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方
松本 泰生

東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方」(P157)
愛宕男坂はこの丘を東側から86段で一気に上る、急峻でかつ堂々とした階段である。途中に踊り場がなく垂直方向への直進性が強調され、そびえ立つように立ち上がる階段の姿には威圧感があり、実際以上の高さ感を見る者に与え、神聖な空間への階(きざはし)となっている。傾斜は37度で、一段一段も大きい。規模と傾斜の両者を考えると、東京の数ある階段の中でも一、二を争う名階段である。

男坂を上から見下ろす。
愛宕神社出世の石段下り
近くにいた若いカップルの女性の方が率先して降りようとして、それを上から危ないよ!とたじろぐ男性という様子が見られて面白かった。

愛宕神社正面の階段は男坂、通称出世の階段とも言われているが、その由来は江戸初期寛永十一年(一六三四)のエピソードによる。

愛宕神社の名所
江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。
折しも春、愛宕山には源平の梅が咲き誇っておりました。
家光公は、その梅を目にされ、
「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」
と命ぜられました。
しかし、この愛宕山の石段はとても急勾配です。まあ、一度いらしゃってみて下さい。歩いてのぼり降りをするのだに、ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。
下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落とします。せっかく江戸の平和の世に、こんなことで命を落としてはたまりません。
家臣たちは、みな一様に下を向いております。
家光公は、みるみる機嫌が悪くなってきます。
もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。
家光公。その者の顔に見覚えがありません。
「あの者は誰だ」
近習の臣に知る者はありません。
「おそれながら」
「おう」
「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」
平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられております。
この故事にちなみ、愛宕神社正面の坂(男坂)を「出世の石段」と呼び、毎日多くの方が、この男坂の出世の石段を登って神社にお参りにみえております。

講談では「寛永三馬術」として人気となったエピソードなのだそう。この、曲垣平九郎の他、明治15年・石川清馬、大正14年・岩木利夫、昭和57年・渡辺隆馬の三人が馬での上り下りに成功している。

石川清馬は仙台藩重臣の馬術指南役を勤め、この階段を上り下りしたことで、徳川慶喜に葵の御門の使用を許されたと言う。(参考→「「四戸三平 - じぇんごたれ」遠野徒然草」)また、渡辺隆馬はスタントマンで当時テレビ中継がされたという。

そして、曲垣平九郎と並んで岩木利夫のエピソードがまた印象的。

趣味 息のむ86段の急傾斜
「わたしが松岡宮司から聞いた話では、大正14年11月8日、陸軍参謀本部の馬丁だった岩木利夫という人が、当時自分がかわいがっていた『平形』という馬が払い下げになるのを知って、『この馬の真価を天下に知らせたい』と石段上りを行ったというのです」

 俵さんはその時の様子を臨場感たっぷりに続ける。「岩木さんは愛馬に両ムチを入れ一気に上り詰めました。上る際、蹄 (てい) 鉄から火花が散っていたそうです。結局、騎馬での上り下りに成功したのですが、馬の脚やお尻は血だらけになっていたそうです」。ラジオ放送を始めたばかりの東京放送局 (JOAK、後のNHK) の局員もその様子を見ていたようで、臨時ニュースとして流したため、石段下は大騒ぎになったようだ。この時の放送が初の生中継ともいわれている。

払い下げ、つまり殺されることになり、最後の花道としてこの階段を登ったのだそう。登りは一気に駆け上り、下りは40分以上かかったとか。その後の「平形」と岩木利夫がどうなったのかはわかりませんが、思わず目頭が熱くなるエピソードです。

そして、この階段を登ると境内に到達。そこは一転別世界です。

愛宕神社本殿
愛宕神社本殿

愛宕神社の池
愛宕神社の池

池の鯉
愛宕神社の鯉

池の鯉
愛宕神社の鯉

まさか、池があるとは思わんかった。多くの鯉が泳ぐ池と、樹木に囲まれ実に心地よいです。そしてこの境内からの見晴らしがまた素晴らしかったそう。

写真家フィリックス・ベアトが撮影した1865年〜66年ごろの愛宕山から見た江戸の町(クリックで拡大)

愛宕山からの江戸


明治元年3月13日、勝海舟と西郷隆盛は愛宕山で会談し、山上からの眺めを見ながらどちらからともなくこう言ったと伝えられている。
「この江戸の町を戦火で焼失させてしまうのはしのびない」

その後、三田の薩摩屋敷で江戸城の無血開城の調印が行われたという。

また、江戸時代の終わりだけでなく、終わりの始まりもまたここからでした。万延元年3月3日、18人の水戸浪士たちはここに集結したのち、愛宕神社に参詣。雪の降る中を江戸城桜田門へと向かい、大老井伊直弼を襲撃したと伝えられています。

様々な歴史に彩られた、江戸東京400年の歴史を代表する神社の一つです。


愛宕神社
銀座線虎ノ門駅徒歩10分
地下鉄都営三田線御成門駅徒歩10分
地下鉄日比谷線神谷町駅徒歩10分
JR各線地下鉄線新橋駅徒歩15分

参考サイト
@nifty:デイリーポータルZ:東京都の最低峰登山めぐり
愛宕山 (港区) - Wikipedia
愛宕神社ホームページ
趣味 息のむ86段の急傾斜
「四戸三平 - じぇんごたれ」遠野徒然草
桜田門外の変 - Wikipedia

関連エントリー
Kousyoublog | 戸山公園にある山の手線内最高峰の箱根山に登ってきました
Kousyoublog | 「東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方」松本 泰生 著
Kousyoublog | Googleすら攻めあぐねる天然の要害〜池上本門寺とその周辺
Kousyoublog | 徳川家茂がもっと評価されるべき9つの理由
Kousyoublog | 夕焼けだんだんと谷中銀座商店街
Kousyoublog | 徳川慶喜墓所
Kousyoublog | 皇居
Kousyoublog | 二重橋と伏見櫓

桜田門外ノ変〈上〉 (新潮文庫)
桜田門外ノ変〈上〉 (新潮文庫)
吉村 昭

講談十八番大全集 寛永三馬術
大島伯鶴(二代)

芝愛宕下絵図 (4) (江戸切絵図)
芝愛宕下絵図 (4) (江戸切絵図)
散歩・写真 | trackbacks(0) |
この記事のトラックバックURL
http://kousyoublog.jp/trackback/1911
トラックバック
PR
PROFILE

山野光正(やまのこうしょう)。ハンドルネームは名前そのままKousyouです。自由に色々やってます。
検索