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「自然」と"nature"

敵は「自然」 - 地下生活者の手遊び
なににしろ、格差や差別を是認する立場の論者が、事実と価値の混同、あるいは本質主義的な主張をする際に、【自然】がよくつかわれるのではにゃーかと考えますにゃ。個にゃん的には「自然とか言い出す奴は敵」で、あまりはずれがにゃーと感じていますにゃ。

「〜は自然だ」という言い方にはみにゃさまもご注意のほどを。


地下猫さんは読まれているかもしれませんが、この本おすすめですにゃ。

神と自然の科学史 (講談社選書メチエ (345))
神と自然の科学史 (講談社選書メチエ (345))
川崎 謙

英語のnatureと日本語の「自然」という言葉が持つ根本的な違いに目をつぶってnature=自然と訳してしまったことから始まる日本の"自然"科学の混乱についてきちんと解説されている本です。このあたりがポイントを端的に書かれているところかな。
(P113)
私たちはこの一世紀の間、西欧語の"nature"と日本語の「自然」のそれぞれについて、それぞれの伝統において打ち立ててきた世界観の相違に気付くまいとがんばってきたように見えます。しかし、たとえそのようにがんばってはいても、二つの世界観の相違は、例えば「自然」は「人為」と対立するが、"nature"は「人為="art"」と必ず両立するという指摘に明らかです。日本語に固有の思考の枠組みでは、"nature"に"art"が加えられても、それが"nature"でなくなることはありません。こうした秩序としての世界観の相違があるにもかかわらず、この相違に気付かない振りをし続けた結果、"nature"についての理解不足に加えて、本来の「自然」についての理解も混乱してしまいました。

初めにLogosがあって、そのLogosの枠組みで数や重さや寸法などで秩序付けることが出来るものがnatureであり、その反対に日本語の「自然」は人の知性が思いやったり慮ったりすることが出来ず「自然」の重さや長さを測定することも出来ない、しかし「自然」はそこに在る、という存在だったということです。

そういう背景となる思想が正反対であるにも関わらず明治時代に翻訳をするときに「自然」と"nature"をイコールで結んで、科学の対象としてしまったことによる二重構造が今に至るまでの様々な弊害(エセ科学とかも)を生み出しているんじゃないか?という知的好奇心がそそられる本です。「自然」という言い方の混乱の背景にある矛盾の理解の一助となるんではにゃーかと。

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