<< 「アテネの学堂」とは時代の知の多様性を描くことですよ | main | 自分自身のアクを出し、昇華させる過程は思っていたよりも難しい。 >>

僕についての簡単な個人史その1(誕生から大学卒業まで)

今までも断片的にこれまでの僕のエピソードは書いたりしてきたけれど、ちょっと僕の生まれてからこれまでの過程をまとめておきたいと思う。長くなるので、分割するのだけれど、実際多くの人に読まれることを想定した作りではなく、自分のまとめとしての意味合いの方が強い。というか、今まとめないと先に進めないという理由でのまとめかなと思うので、読みにくいのはすいません。

僕は昭和47年、東京で生まれた。父はフリーのドラマー、母も同じくフリーのピアニストでどちらも地元が九州ということもあり、また同じ音楽関係の仕事をしていることもあって恋愛結婚だったようだ。程なく僕が生まれるが、しかし、僕が生まれた頃には二人の関係は冷めていてすぐに別居に至ったらしい。親権は父が持ったが、ドラマーをしながら男手で育てられないと思ったか、2歳で僕は福岡の祖父母の元に預けられた。物心つくころには僕は既に祖父母と暮らしていて、父は盆と正月のほか、地方巡業のついでで年に数回福岡にくる程度だったと思う。

たまにやってきてやさしくしてくれるおじさんは「お父さん」なのだという話は聞かされていたし、まぁ好きだったのでそれなりに懐いていたが、年に数回やってくる時以外は存在自体忘れていたと思う。

小学生になると、毎年夏休みの一ヶ月余りは東京に一人旅するのが年中行事になった。まず夏休みの半分は「お父さんの家」へ行き、半分は「お母さんの家」へ行く。と言っても父も母も仕事が忙しいので東京に行っても一人でいるか、父の「友達の女性」や母の「友達の男性」と遊ぶことも多かったなと思う。どちらも仕事柄夜勤も多く、住み慣れないマンションやアパートに夜中一人で居ることもたまにあって、それは最初は流石に恐かったが何年か繰り返すうちに徐々に慣れていった。夜中に一人で居るときは、窓ガラスや鏡にうつる自分の姿をぼんやり眺めていると楽しいという発見をした。

この家族関係が一般的ではないことを知ったのは小学校の中学年ごろだったかなと思う。夏休みが終わり二学期に入って「夏休みの思い出」みたいな作文を発表する授業があったのだけど、僕は無邪気にこういう内容の作文を読んだ。

「○月×日から○月×日までは東京にあるお父さんの家に言ってお父さんとお父さんの彼女と映画に行ったり、どこどこに行ったりしました。そのあと○月×日からはお母さんの家に行って、お母さんやお母さんの友達とプールに行きました。そして・・・」

クラスがすごくざわついた。どうやらみんなは夏休みにお父さんの家とお母さんの家には行かないらしい。そういえばお誕生日会などでクラスメートの家に行くとお父さんやお母さんがいたな、と思った。

基本的に小学生のころは一人でいても特に不都合を感じず、空想の世界で遊ぶのが好きだった。このあたりから、中学生ぐらいにかけての心理状態のことは以前書いたとおり。(→子供の頃、狂った様に絵を描いていた。17歳で全く描けなくなった。

小学校高学年になっても東京の両親の家にそれぞれ行くのは年中行事だったが、ある年母は引っ越して母のほか多くの人たちと住むようになっていた。そして、赤ちゃんもいた。特に何か説明された覚えがなかったが、気にせず過ごし、その年に母の家から去るちょっと前にふと沸いた疑問をぶつけてみた。「あの赤ちゃんはだあれ?」「ああ、あなたの弟よ」なるほど。弟か。と思った。その年以降、母のところに行くたびに弟は大きくなり、さらに妹とその下の弟も出来ていた。

一方、父もまた年下の新しい彼女を見つけていて、東京の父の元を訪れたある日、映画を観にいこうと父に誘われ、ついていくと女性を紹介された。確かそのときはかの名作「ストリート・オブ・ファイヤー」とロバート・レッドフォードの傑作「ナチュラル」を見たんだったと思う。この二本は僕にとって映画の原体験に近い。あまり物事に心動かされる方ではなかったが、なぜだか無性に気持ちが高揚したのを覚えている。その後父とその女性は結婚し、僕には弟があらたに出来る。整理すると実母と義父の間に弟二人妹一人、実父と義母の間に弟一人という構成。

中学生になると、福岡の我が家はちょっとした事件に揺れていた。当時豊田商事事件というのが世間を騒がせていたが、うちもその被害にあっていたのだった。豊田商事系列の鹿島商事という会社の(そうそう、ここはうまく大手企業の名前をもじった社名をつけていた)営業マンに言葉巧みにだまされ、ゴルフ会員権などを買わされていたのだった。祖父母は現預金のほぼ全てを騙し取られており、結局家と土地を手放し近所のマンションに引っ越した。その年の一年を振り返る的特番で顔を伏せて祖母が"○万円取られたおばあちゃん"としてインタビューに答えていたのは我が家でちょっとした話題になっていた。

そして、引っ越す少し前、祖父は倒れ、入院しそのまま寝たきりになった。家土地を処分したお金は父が管理し、当時上り調子だったこともあって株式など投資で運用しようとしていたらしい。らしいというのは詳しいことはよく知らないからだ。86〜87年ごろ、仕送りも結構くれていたようだし、たまに福岡に帰ってきたときもおこづかいは多くくれたので、確かに父は羽振りがよかったと思う。

しかし、高校生の僕を抱えて70代後半の祖母は多少親戚の助けはあったもののほとんど一人で寝たきりの祖父を看病していた。その疲れもあって祖母も少し体調を崩し気味になっていたが、祖母はそんなそぶりはほとんど見せず、そもそも僕が鈍感なこともあって、大変だということはあまり気付かなかった。

高校三年生になってすぐ、祖父は他界した。1900年に生まれ、1990年に死んだ。16歳でタバコ屋の丁稚奉公から初めて当時珍しかった洋菓子職人になり、福岡でも有名だったらしいが、僕が物心つくころにはすでに引退していた。父は祖父が作った大きなエッフェル塔を模したケーキの写真をしきりに見せてきていたのを覚えている。祖父は何も言わなかったが、父にとっては誇りだったのだろうと思う。父が喪主となり、葬儀はつつがなく終了した。

高校生のころはもう東京へはあまり行かず、もっぱら福岡で過ごすのが常だったが、大学受験に際しては僕には東京の大学を受験してほしいと父が言ってきた。祖母とも東京に呼びたいのだと。そこで、僕は受験は福岡の複数の大学と東京の大学を受験するのだが、受験のため父の元を訪れたとき、ちょっとした、しかし決定的な事件がおきてしまう。

その日は父は出張のため不在で、義母と3歳ぐらいの義弟の三人。翌日に受験を控え、ゆっくりしていた。原因はまったく覚えていないのだが、義弟が何かのきっかけで癇癪を起こし、僕に泣きながら物を投げつけてきた。その後、これも経緯がよくわからないのだが義母と口論になり、それが落ち着いたあと、義弟が寝たのを見計らってから少し義母と僕でゆっくり話をすることになった。

義母「あなたが小学生で、彼の後ろについてきて最初に出会ったときから、合わないなと思ったの。どんな時でも、子供とは思えないぐらい何かを見抜いたような目線と態度でいるのを見るとダメなのよ」

僕「ああ、たぶん僕もそうで、あなたとは合わないだろうなと思っていた。東京で一緒に暮らすのはたぶん無理だろうし、もう東京にはこないようにしようと思う」

父に連絡し、「受験は取りやめて福岡に戻る、僕が東京で暮らすことはないだろう」と伝えた。電話口で父は戸惑っていたが了承してくれた。その後義母とは思い出話を少しして翌朝、福岡に戻った。これ以降義母とは会っていない。

地元の私立大学に入学した僕は、テニスサークルに所属したりして楽しく毎日を送っていたが、祖母は入退院を繰り返すようになり、日々あわただしくなりかけていた。そして大学一年生の終わりごろ、祖母が決定的に体調を崩し入院、寝たきりとなり、また金銭的にも我が家は貧窮しはじめる。父はほぼ全財産を土地や株式の投資につぎ込んでいたが、バブルが崩壊するとともに、どうやら高値で掴んで一気に価値が目減りして紙くず同然となってしまっていたらしい。さらに追い討ちをかけたのは父の失業で、音楽業界は当時急激な世代交代が進んでいたらしく、スタジオミュージシャンやさまざまな歌手のバックバンドを勤めるだけのドラマーは淘汰されていっていたようだった。父はかなりの借金を抱えてしまったらしい。

まったく根拠無い、僕の主観でしかないのだが、どうしても当時、小室哲哉という人を好きになれなかった。小室に代表される新しい音楽のムーブメントが父の仕事を奪ったのではないか?という疑念が拭い去れなかったからだ。だから、最近の彼の凋落は、見ていて本当になんとも言えない思いに駆られた。ざまぁみろとかではなく、掻き毟られるというか、つらいというか、もやもやとしたなんともいえない思い。なんだろ、むごいとでもいうか・・・なんでだよ、とおもう。

そのようなこともあって、祖母が入院し、退院のめどもつかないことから、まず、僕は引っ越した。四畳半。シャワートイレ共同。家賃1万8000円(当時)。また、父と話して、最低限大学は卒業したいと伝えた。当時所属していたサークルが居心地良かったのもあって、大学には残っておきたいと思ったからだ。学費を稼ぎつつサークル活動をしつつ祖母の元に通う日々だった。大学は卒業するまで六年かかった。

そのころ、父はどんどん追い詰められていたらしい。しきりに金の無心や借金の保証人になってほしいと電話がかかってくるようになり、その都度断ることの繰り返しになっていた。ある日、父から電話で「学校から学費を支払うように連絡があって、俺の方から振り込んでおくから、学費のお金を振り込んでくれないか?」と連絡があった。何故だろう。そのとき何故か言われるままに父に送金したんだ。信じたかったのかもしれない。数日後、大学から学費が振り込まれていないとの連絡。父に連絡すると「使ってしまったんだ。借金を返さないといけなくて・・・」そうか。と思った。これはもうダメかなと思ったが、普段、色々相談に乗ってくれている学生課の方が個人的にお金を用立ててくれた。なんとか助けられた。父からは数年後、全額返してもらったが、取り返しのつかない亀裂は出来てしまっていたと思う。

大学三年生のころ祖母は亡くなった。父に電話したが、父は絞るような声で「行けないんだ・・・」と伝えてきた。「何故?」「すまない」「おばあちゃんが亡くなったんだよ?」「行けないんだ・・・すまない」

親戚が数人参列しただけの、僕と祖母の二人きりの葬儀はつつがなく終了した。祖母は、先を行く人だった。戦前、当時福岡に進出した大手保険会社初の女性社員としてキャリアを積み、弟、妹の学費を払いながら祖父と恋愛結婚をし頑固な洋菓子職人の祖父を支えた。オカルトかもしれないが、祖母には今でも支えられているとおもうときがあり、そういう特別な存在感は僕の中にある。

その後、父とは一度だけ会った。就職が決まった数週間前だったと思う。特に何を話すでもなく、喫茶店で時間を過ごし、別れた。もう15年近く前だ。その後、父とは会っていないし、正直なところもう、父のことは顔すら忘れてしまった。母とは大学四年生のころに会った。二人とも健在なら64歳になっているだろう。実は生きているのかどうかもわからない。親不孝、と人は言うかもしれない。時が解決してくれるとは思うのだが、そろそろ会わなければならないのかもしれないとも思う。まぁ、連絡先すらわからないのだけど。

そんなこんなで、僕は大学をなんとかかんとか卒業し、まずは損害保険会社に就職することになるが、社会人としての僕はそのままインターネットと出会いのめりこんで行く過程とも重なるので、記事をあらためて書こうと思う。

なんだろう。生まれてから大学を卒業するまでのこの期間というのは、振り返ってみると家族の喪失の過程であり、コミュニティの喪失ともつながるし、また、どのような環境にあっても感じてしまう所在無さのルーツ的な何かがあるようにも思う。独りであることも多かったが、多くの人の中に埋没してしまってもいて、それはそれで独りでいるときも、人の間で埋没しているときも楽しかった。ごくまれに、人に自身のこういう話をすると、大変だったねと言われるのだが、実のところ大変だと思ったことはほとんどない。そのようなものだろう、と受け入れていた。

ちょうど、大学生のころにこの本を読んだ。何度も何度も何度も読んだ。たぶん、色々なことをシーシュポスに重ね合わせたような気がする。

シーシュポスの神話 (新潮文庫)
カミュ 新潮社 売り上げランキング: 7345
(P173)
影を生まぬ太陽はないし、夜を知らねばならぬ。不条理な人間は「よろしい」と言う、かれの努力はもはや終わることがないであろう。ひとにはそれぞれの運命があるとしても、人間を超えた宿命などありはしない、すくなくとも、そういう宿命はたったひとつしかないし、しかもその宿命とは、人間はかならず死ぬという不可避なもの、しかも軽蔑すべきものだと、不条理な人間は判断している。それ以外については、不条理な人間は、自分こそが自分の日々を支配するものだと知っている。人間が自分の生へと振り向くこの微妙な瞬間に、シーシュポスは、自分の岩のほうへと戻りながら、あの相互につながりのない一連の行動が、かれ自身の運命となるのを、かれによって創りだされ、かれの記憶のまなざしのもとにひとつに結びつき、やがてはかれの死によって封印されるであろう運命と変わるのを凝視しているのだ。こうして、人間のものはすべて、ひたすら人間を起源とすると確信し、盲目でありながら見ることを欲し、しかもこの夜には終りがないことを知っている男、かれはつねに歩みつづける。岩はまたもころがっていく。

「岩はまたもころがっていく」その岩を追いながら「すべてよし」とおもう。

次回、就職してから現在まで、と現在〜これからについて書きます。

関連エントリー
子供の頃、狂った様に絵を描いていた。17歳で全く描けなくなった。
paperboy&co.がトリックスターであったころ
『ねぇねぇ、グインサーガって知っとう?』
他人の発言を無意識に繰り返してしまう性癖
「どこ見てんのよ!」と相手に感じさせながら生きてきた
人ごみや騒音の中での会話が苦手です。〜カクテルパーティー効果
動きのある世界の中で立ち尽くしながら生きてきたなぁという話
常に「この人生」より「もうひとつの人生」を選んできた
36歳。最近、しきりに四十代になった自分を考える

思考・心理 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク
この記事のトラックバックURL
http://kousyoublog.jp/trackback/2287
トラックバック
PROFILE
Kousyouのプロフィール
山野光正(やまのこうしょう)。ハンドルネームは名前そのままKousyouです。自由に色々やってます。

検索
人気・注目エントリー
このブログのはてなブックマーク数
今読んでいる本
SPONSORED LINKS
OTHERS
Subscribe with livedoor Reader Add to Google My Yahoo!に追加 あわせて読みたい スカウター : Kousyoublog
人気ブログランキング - Kousyoublog
  • seo