2009.06.22 Monday22:08
アルファブロガーという現代の「世間師」
id:fromdusktildawnさんの渾身の記事「ネットの炎上は人類進化の必然で、健やかなる新時代を拓く鍵かもしれない - 分裂勘違い君劇場」を読んで、『「世間体」の構造』に書かれている神島二郎氏によるコミュニケーションの定義を思い出したのでちょっと書いてみます。
井上忠司著『「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)』(P133-134)
コミュニケーションには、大別して、<直流コミュニケーション>と<交流コミュニケーション>の二つの種類がある。直流コミュニケーションというのは、話し手と聞き手とが完全にわかれ、情報は話し手の独占するところであるようなコミュニケーションの形式をいう。それにたいして、交流コミュニケーションというのは、情報は参加者のすべてが共有するところであり、話し手は同時に聞き手でもあるようなコミュニケーションの形式をいうのである。
前近代の日本において、<直流コミュニケーション>とは「世間話」であり、<交流コミュニケーション>は「うわさ」であった。かつて、「世間話」といえば「自分たちのすんでいる土地の生活や経験とはちがった、ソトの世界の消息のことであった。」その世間話をソトからもたらす人たちは「世間師」と呼ばれ、人々から大変もてはやされた。
そして今日(初版は1977年だが)、マスコミの発達によって「世間話」という<直流コミュニケーション>が著しく発達してきている、と著者は言う。ソトの世界の消息はメディアでしきりに発信され「世間話の日常化」現象が起こった。
同様のことを思想家の内山節も「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」で書いていました。
内山節著『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)』(P46)
ところがテレビの情報は客観的情報として提示されているかのようにみえた。テレビが伝える相撲の結果は、間違いなくそのとおりなのである。もちろんテレビにも作り手の主観が介在してくるのだけれど、そこで映し出され語られているものが、あたかも客観的な事実であるかのごとく伝えられていくのがテレビである。こうしてテレビの普及は、口語体の情報であるにもかかわらず人々から「読み取る」という操作を消し去らせ、与えられた情報を事実として受け取りその感想のみを感じるという、情報に関する新しい作法を生み出した。

豊かさと引き換えに失ったもの
近代化とは人間の意識そのものを変えることでもある
自然と人間の共生としての世界
見えない歴史を意識する
面白かった!最後の数ページは泣きそうでした。かつて日本中の村々にいた世間師たちの「ソトの世界の消息を知らせる」役割が戦後、テレビ・新聞などのマスメディアに一元化され、ここ十数年で再びWEBを通じて誰もが情報発信を出来るインフラが整ったことによって多くの人々の手に渡されました。
誰もが情報発信することで、WEB上には<直流コミュニケーション>的「世間話」があふれかえった。その中で多くの人の支持や注目を集めるのは、昔と変わらず「自分たちのすんでいる土地の生活や経験とはちがった、ソトの世界の消息」をもたらす人たちだ。より多くの人たちにとって「自分たちのすんでいる土地の生活や経験とはちがった、ソトの世界の消息」を感じさせることが出来ればできるほど重宝される。特にブログブームによって誕生した人気ブロガーはいわば現代の「世間師」と言っていいのではないかと思います。
昔と違うのは、誰もが「世間師」になれる可能性があるので、誰かにとっては新しい情報をもたらしてくれる「世間師」であっても、他方では普通の人でしかない。そのように「世間師」がより相対化されたのが現代のWEB世界なのでしょう。そのような世界では権威は創出されにくいのではないか?また、権威は、ある種閉鎖空間的世界で現出されるものであるだけに、今WEB上で権威と感じているものがあるとしてもそれは砂上の楼閣でしかなくて、いつでも流れ去るものなのでしょう。
一方、<交流コミュニケーション>は、日常において「うわさ」に限らず、様々な形でかなり活発になってきているように思うが、WEB世界においては、その構成原理が情報発信という<直流コミュニケーション>的なものであるため、個々の発言という情報の積み重ねが可視化されることで擬似<交流コミュニケーション>的空間がいくつも出来ているというのが現状だろうと思う。2ch然り、Twitter然り、はてなブックマークのコメント然り。<直流コミュニケーション>世界であるWEBでどれだけ擬似<交流コミュニケーション>を現出できるか?がこれから注目すべきところかなと個人的に思っています。
そのような世界では、僕はただただ、発信させていただく、だけなのかなと。それも、自身の愚かさも醜さも経験も知識も何もかもを発信することで、誰かにとっては発見があるかもしれない。あるいはコミュニケーションのきっかけが生まれるかもしれない。逆に誰かにとっては失望や怒りを与えるかもしれない。そのような何もかもをひっくるめて、ひたすらに発信していこうと思っています。
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日本人の原点
アカデミックかはさておき
再読すると改めて気づかされたところも多かったのは、もう古典だから
頭をなぐられたかのような一書
歴史は苦手でも
















