戸籍より遥かに重要な地籍未整備問題

200歳の幽霊戸籍なんかより、土地登記の幽霊所有者の方がはるかに問題
「土地登記簿にも明治や江戸時代の人いっぱい生きていそう」
今回マスコミは「戸籍上200歳が見つかった」とはしゃいでいるが、
実は社会上重大なのは、戸籍の不備問題より、土地登記簿所有者の不備の方がよほど「重大」である。

広井良典著「コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来 (ちくま新書)」では、明治維新以降の制度改革で現在まで引き継がれる課題として「地籍」の未整備問題を指摘している。

地籍というのは土地ごとの所有者、面積、境界などを示すもので、ヨーロッパではナポレオンによって民有地の形状と規模を図面化した「公図」が作成された。一方日本では地籍の整備が遅れている。

2004年度達成率
都市部 19%
宅地 49%
農用地 69%
林地 39%
合計 46%

都道府県別では大阪府が最も低く、地籍調査の進捗率は2%でしかないという。

同P131
全国の登記所にある地図の多くは、明治時代の地租改正時や戦後の混乱期などに作成されたもので、境界や面積が不正確なものが多い。不動産登記法では、土地の境界を明確にするため、正確な測量に基づく地図を登記所に備え付けるよう定めているが、その地図が整うまでの暫定措置として既存の公的地図(明治時代に作成された「字眼図」と呼ばれる地図や戦後の戦災復興図など)が参考図として使われており、それらを正確なものに置き換えるために行っているのが先ほどの「地籍調査」である。地籍調査がなかなか進まない理由は、土地が細分化され権利関係が錯綜していることに加え、地権者の利害に絡むことが多いからである。

この地籍調査を遅れさせているのが、上記リンクのような相続放置等の問題であったり、あるいはかなりシビアな、時に命にかかわるような利害であったりするのだろう。そしてこの地籍調査の遅れに象徴されるような都市計画のアバウトさが経済や福祉等社会全体に影響を及ぼしていると、広井は指摘している。

同P133-134
日本人はもともと土地に対して、"近代所有権"的な、ないし資本主義的な執着があったわけではない。その土地に対する感覚は、一方である種「共有的」あるいはコモンズ的なものであり、かつそれは言語以前的な、漠然とした、しかし確固たる愛着という性格を多分にもつものだった(それは人間にとっての原的な土地や自然に対する感覚として、ある程度普遍的なものだったといえる)。それが明治維新の地租改正で(地租を払うということとの関連で)一定の明確な土地所有意識が生まれ、やがて(地租を払えない農民が土地を売り払うことで)地主―小作の分化が進むとともに、第二次世界大戦後の農地改革で私的所有の絶対性が強まり、しかもそれが高度経済成長期の開発志向の流れに大きく組み込まれる形で半ば"暴走"していったことになる。

致命的であったのは、先の地籍の未整備という点や、都市計画の弱さという点などに象徴されるように、そこに「公共性」の論理による規制が働かず、私的利益の追求が野放しで展開していったことだ。ある意味では、農村的な論理(素朴な私益と「公共性」の強さ)が、共同体的な制約から解き放たれる中で都市的な論理の一部(私的所有権という発想)と奇妙に、あるいは中途半端に結びついた帰結ともいえる。

経済不況の中で福祉が問い直される昨今だが、居住の問題は福祉の根幹をなすにも関わらずそのベースとなる調査の遅れの存在は、今まで以上に重要で、致命的な問題となるのだろうと思う。戸籍はそもそもが差別と排除から始まった制度であり、その役目を終えつつあるが、その逆に、福祉や失業・貧困対策など土地の公共性について検討される前提として地籍はこれからますます重要度を増していくのだろう。

とりあえず気になった記事へのメモ的な言及として端的に書いた。この土地と公共性の問題まわりについては、僕自身良く理解していないところが多々あるので、今後よく調べて整理出来るところは整理してみたいとおもう。

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猫娘が住むという調布の下石原八幡神社



江戸時代、甲州街道には街道沿いに四十五の宿場町が作られ、現在の調布市一帯にも国領、下布田、上布田、下石原、上石原の五つの宿場町があり、布田五宿と呼ばれ栄えました。その布田五宿のうち下石原の総鎮守がこの下石原八幡神社です。

創建は、当地の領主太田善右衛門の祖が延宝年間(1673〜1681)に勧請したものと伝えられています。太田善右衛門は太田道灌の甥で道灌に使えた太田資忠の末裔とも伝えられますが、定かではありません。太田資忠は応仁の乱に続く享徳の乱の際に千葉孝胤を臼井城に攻め、攻略した際の傷が元で戦死しており、養子も道灌の甥で後に道灌の養子になる太田資家で、その末裔は道灌の末裔と同様に太田資正にまとまっていくので、資忠の一族がいたのかどうか不明。太田氏の末裔かどうかはさておき、わかっているのは土地の有力者である太田善右衛門という人物の祖が、どこかの八幡神社から勧請して創建したということです。

かつては旧甲州街道沿いに参道の入口があり両脇に杉と松の古木が植えられ150メートルに及ぶ長い参道があったと伝えられていますが、現在は国道20号(新甲州街道)が入り口になっています。

拝殿


この神社を有名にしたのは、水木しげるの人気漫画墓場鬼太郎(のちのゲゲゲの鬼太郎)で、同作品ではこの神社の軒下に猫娘が住んでいるという設定でした。

少年マガジン/オリジナル版ゲゲゲの鬼太郎「猫娘とねずみ男の巻」P305

少年マガジン/オリジナル版ゲゲゲの鬼太郎2巻「猫娘とねずみ男の巻」P305より。


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5 墓場からゲゲゲへ

ちなみにアニメの最新版ではここではなく、妖怪横丁というところに住んでいる設定に変わっているそうで、妖怪の世界にも都市化の波が(笑)

ちなみに、その裏手の中華そば屋さんは今でも健在。


少年マガジン/オリジナル版ゲゲゲの鬼太郎「猫娘とねずみ男の巻」P306
少年マガジン/オリジナル版ゲゲゲの鬼太郎2巻「猫娘とねずみ男の巻」P306より

初登場時から猫娘はかわいいなぁ。

猫娘だけでなく、かつての水木プロダクション(現在は調布駅近くに移転)からさほど遠くない場所にあるこの中華料理屋さんは建て替えられる前は木造二階建てのアパートだったらしく、そのアパートの二階には、水木プロのアシスタント時代のつげ義春が住んでいました。そして、「ラーメン屋の屋根の上で見た夢」をもとに傑作「ねじ式」を描いたといいます。


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5 ただただ衝撃的でした。
5 夢という現実
5 テッテ的におススメメです。
4 難しい!!
5 目医者の看板、きしょーーーーっ。

で、神社の紹介に戻りますが。

獅子頭奉納庫


元禄時代、八幡神社別当源正寺の住職が村祭りの興隆のため、獅子舞を始めたと伝えられ、その獅子舞のために住職自ら作った獅子頭が奉納されています。この獅子頭は現在でも祭礼の際に村中を練り歩き、また社前で奉納される「土俵」の舞の際に使われているとのことです。調布の郷土資料としても貴重な獅子頭です。

石柱


表に「堅牢地神」横に「天下泰平國土安全天保十三年八月建立」「講中」と刻まれた謎の石柱です。

:::::: JAマインズ ::::::
「堅牢地神」とは「地天」ともいわれ、大地を司る仏教上の神で大地を捧げこれを堅固ならしめる神として春分秋分に最も近い「ツチノエ」の日を社日としこの日は土を動かすことを禁忌とし畑仕事を休み地神の塔の前に集まり祀るもの

らしく、天保十三年八月と刻まれていることから一八四二年に作られたものと考えられています。しかし、なぜこの石柱がこの神社にあるのかは全く不明とのこと。猫娘、つげ義春、そして「堅牢地神」と彫られた謎の石柱・・・と、僕はそのキーワードの流れだけで相当胸が熱くなるものがあります。異世界っすなぁ。

あ、猫娘だけにネコさん住んでないかなーと思ったんですが残念ながら遭遇せずでした。ということで、漫画史にひそかに刻み込まれた小さな神社の紹介でした。


大きな地図で見る
調布駅徒歩十分

参考サイト・資料
:::::: JAマインズ ::::::
神のやしろを想う 郷土の鎮守様〜調布市布田国領周辺の神社
下石原八幡神社の堅牢地神塔(調布市富士見町) 駅から歩く武蔵野風土記/ウェブリブログ
太田資忠 - Wikipedia
つげ義春を散歩する(調布編)
つげ義春に会いに行く
・調布市郷土博物館配布「甲州街道と布田五宿」

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拍手が変えた日本の歴史〜道鏡を滅ぼした憎悪の正体

賞賛や祝福、感動をあらわすために相手に向かって手を打ち鳴らす拍手の日本における歴史は新しく、明治に入ってからのことだと言われている。明治維新後、欧米人が観劇などのあとにマナーとして拍手しているのにならい、拍手の習慣が広がっていった。

だが、日本にも手を打ちあわせる拍手のような行為が無かった訳ではない。神に対するときに行う二礼二拍手一礼など拍手(かしわで)を打つ行為が古くから存在していた。現在では人に対する拍手(かしわで)は行われないが、古くは神だけではなく貴人に対しても手を打つことで敬意を表す風習があったと言われている。

高取正男著「神道の成立」によると、魏志倭人伝に「大人の敬する所を見れば、但だ手を搏ちて、以て跪拝に当つ」つまり、「身分の上のものにむかって、中国人なら跪いて拝礼するところを倭人は拍手をするという」記述があり、さらに「日本後紀」には渤海国の使者が来朝したときに、通常では二度拝礼して手を拍するところ、外国の使者が参列していたので、日本でしか通用しない手を拍つという礼法を行うのをやめたという記述がある。また「貞観儀式」にも儀式の際に天皇に物を献上するときは八開手(やひらて)という八回手を打つのを正式な礼法とするという定めがあるという。

当時の大和朝廷をとりまく国際ルールからは外れているが大和朝廷の中だけで通用するローカルな儀礼として貴人に対する拍手は日常的に行われていた。そしてそれは外交的な場ではそれがはばかられていたようだった。

この拍手というローカルな儀礼は、ときに日本の古代史に大きな転換点を招いた。

法相宗の僧侶道鏡は看病禅師として時の女帝孝謙天皇(のち称徳天皇)の病を治療したことからその寵愛を受け、政敵藤原仲麻呂を滅ぼし、藤原氏を朝廷から追放した後は称徳天皇の強力な後ろ盾で法王として朝廷の実権を握ることになるが、その圧倒的な権力を象徴するような拍手にまつわるエピソードがある。

天平神護元年(七六五)十一月、藤原仲麻呂とともに孝謙上皇・道鏡に逆らい廃位された淳仁先帝が憤死すると孝謙上皇は称徳天皇として重祚(再度天皇に即位すること)の儀式である大嘗祭が執り行なわれた。

この大嘗祭は、それまで仏教的な色を取り除いて行われてきた先例を大きく覆し、仏教と神祇信仰とをおりまぜた形で行われた。仏法を守護する神々という護法善神思想を全面に押し出し、僧侶たちも参列して「神等をば三宝(ほとけ)より離けて不触物となも人の念ひてある」(神々を三宝(仏教)から隔離すべきだという人々の思い)を退けて進められた。

大嘗祭のメインは深夜から早朝にかけて宮廷の大極殿前庭に特設された大嘗宮で行われる天皇親祭で、その場に道鏡が列席したかどうかは定かではないが、称徳天皇の寵愛深く、当時最高の地位である太政大臣禅師であったからおそらく列席しただろうと考えられている。

その深夜の儀式では前述した八開手という八度手を打つ拍手の儀礼がなされた。「法体の道鏡が群臣の先頭にたち、仏者としてあるまじき日本古来の八開手の拍手を大嘗宮前の庭上でしたとすると、それが参列した官人貴族たちにあたえた衝撃は前例のないことだけにはかりしれないものがあっただろう」(「神道の成立」P55)

さらに、神護景雲元年(七六七)八月八日。称徳天皇が日常起居する「西宮寝殿」に道鏡ら僧侶六百人が招かれ饗宴が催される。称徳天皇とともに法王道鏡、腹心の大僧都円興、大律師基真が階上に席を設けられ、饗宴が始まると六百人の僧侶は貴人にたいしてするように、階上の女帝と道鏡、腹心らに向かって一斉に拍手を行った。続日本紀にはこうあるという「緇侶の進退、復た法門の趣無し。手を拍ちて歓喜すること一に俗人に同じ。

「うたげ」の語源は「拍ち上げ」が縮まったもので、列席のものが一斉に拍手をすることから来ているという。「もとは宴に先だって正席に坐るものをうやまい、一座のうちの尊者なり正客なるものを礼拝することを意味した。」(「神道の成立」P118)いわば当時の日本的な儀礼の発露であった。このころ、仏教はまだ日本に伝来してきてそれほど時が経っている訳ではなく、勿論様々な影響を与えてはいたが、まだ外来の新しい宗教という位置づけであったと捉えられている。その外来の宗教である仏教を信奉する僧侶たちが古くからのヤマト的な拍手という行為を、天皇の寝殿で「俗人に同じ」ように行ったという事件は、大嘗祭の時と同様に貴族たちに衝撃を与えただろう。

かくして、道鏡の専横に対して貴族たちの間には不満というには巨大すぎる憎悪が育っていった。この憎悪の正体についても高取は考察する。その憎悪はいったい何であったか。

(「神道の成立」P123-124)

人は自分の生まれ育った特殊世界をはなれて普遍世界にむかうとき、はじめは少しばかり障害があっても、それを乗りこえたあとは、大きな問題は起こらない。反対に自分の所属する特殊世界に普遍的なもの、一般的なものが入ってくるのには、しばしば耐え難い異和感をいだく。いつまでも拒絶反応がおこり、それに馴れるということが少ない。

(中略)

これは自分が本来的に所属する特殊世界といえるような、生活文化をひとしくするなんらかの共同体に対する根源的な帰属意識の発露である。理屈ではどうにもならない感情の世界のことで、客観的にみればちょっとした言葉のありかた、手を拍っておじぎをするといった動作であっても、それがつまずきとなって現れる波紋は無視できない。

天皇の権威を背景とした道鏡の専横は確かに目にあまるものであっただろう。しかし宮廷に次々と持ち込まれる国際世界の普遍としての仏教儀礼とともに、大和朝廷という特殊世界の中だけで通じる拍手という儀礼をもなぞり、利用する道鏡という異質な存在は、おそらく古くからの廷臣たちの間にぬぐい去れないほどの嫌悪感と憎悪を植えつけた。

そして、その彼らの憎悪は、千年の時を超えてなお日本社会に影響を及ぼすことになる。

神護景雲四年(七七〇)、称徳天皇が崩御するや否や、道鏡一派は一斉に捕縛され道鏡は下野国へ、親族は土佐国へ配流され、道鏡はその二年後の宝亀三年(七七二)謎の死を遂げる。

道鏡捕縛とその後の新体制の指揮を執ったのは朝廷の儀礼を取り仕切っていた神祗伯大中臣清麻呂であった。中臣を名乗っていたが、神護景雲三年(七六九)、積年の功績により大中臣を賜り以降大中臣氏の祖となっている。清麻呂は権謀術数を得意とせず、政治力はなかったが有職故実に通じ、実直な人柄であったらしく、朝廷の神事や儀式を滞り無く進めることができる官僚であったと伝わっている。それゆえに藤原氏の眷属でありながらも、称徳・道鏡政権でも重用されていたが、称徳天皇が崩御するや速やかに甥の藤原永手・良継親子とともに光仁天皇を擁立して道鏡失脚を主導し、道鏡失脚後は朝廷の神事を一手に束ねて仏教勢力の排除を行い道鏡反動政治を主導した。

このとき、清麻呂はまず伊勢神宮の宮司菅生水通を道鏡と協力した咎で解任し、甥の中臣比登を宮司に就けると、その後中臣氏以外を伊勢神宮の宮司になることを禁じ、代々伊勢神宮は中臣氏が統率することを定めるとともに伊勢神宮に建設されていた神宮寺を廃絶、伊勢神宮から仏教色を排除した。

こののち十一世紀ごろにかけて朝廷では神仏習合が進むことになるが、伊勢神宮だけは仏教を排除し続け、その神仏隔離的傾向が中世になると伊勢神道や吉田神道といったナショナリスティックな思想を生む土壌になるのである。そしてそれら神道は江戸時代に盛んになる朱子学と反響しあい、明治維新を経て神儒混淆的な国家神道の登場を準備する。神聖不可侵なる伊勢神宮の聖性がファナティックなナショナリズムと結びついて悲劇が生まれていった。

直接の因果関係は無い。しかし、千数百年の大きな歴史のうねりの原点に、異質なものを排除しようとする欲求が一つの要因としてあった。

拍手と憎悪が道鏡を滅ぼしたのである。

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3 奈良・平安期からはじまる「神仏習合」から明治期の「廃仏毀釈」に到るまで
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アメリカ保守主義思想の成立

保守とリベラルというアメリカの二つの思想潮流の一翼を形成する保守主義思想が体系化されたのは戦後になってからのことだ。進化論裁判での失墜と大恐慌に対する無策によって古い保守派は信頼を失い、ルーズベルト大統領とその政策を支持するニューディール連合によるリベラリズムの時代が第二次大戦以降アメリカに訪れる。

アメリカの政治、経済、社会と広く浸透したリベラリズムに対して危機感を抱いた保守主義者たちは真摯にその思想に向き合い、保守主義思想の体系化が静かに進められて行った。保守主義思想はまさにリベラリズムに対する反動として成立した。

保守主義思想の理論構築はシカゴ大学教授リチャード・M・ウィーバー(1910〜63)と政治学者ラッセル・カーク(1918〜94)の二人によって始まった。

ウィーバーはアメリカ南部の伝統的価値観を重視し、第二次世界大戦の惨状を目の当たりにしたことから進歩主義、リベラリズムへの懐疑へと発展させ、人間の倫理性が失われたのは「原罪の教義が放棄され、人間の善性が原罪に取って代わった」からだと考えるようになる。つまり、社会進化思想的な価値観によって人々が「社会システムは単純なものから複雑なものに進化すると考えるようになった」結果、社会が多様化し、社会が分断され、さらに人間の原罪を否定し、人間が自分たちで改善することが出来ると過信するようになった、と考えた。

(「アメリカ保守革命」P18)
ウィーバーは、人々は、「世界に理解出来ないものが存在する」というアリストテレスの思想を否定し、さらに人間の持つ"原罪"をも否定してしまったという。人間は不完全である。だからこそ「伝統」や伝統に基づく「価値観」や「秩序」がアンカー(鎖)として必要なのである。ウィーバーによれば、アメリカ建国の父たちは人間が不完全であるゆえに国家権力の集中を避けようとしたのである。建国の父たちが想定した「社会秩序」(連邦主義)こそが、アメリカの保守主義の基本ともいえる「国家」と「コミュニティ」「個人」の関係を明確に規定していると主張したのである。

このウィーバーの思想が新しい保守主義の始まりとなった。

続いてラッセル・カークはエドモンド・バークの原点としてアメリカこそバークの言う「伝統と倫理に基づく社会秩序」を実現する場であると考え、「保守主義の六つの規範」を記した。(「アメリカ保守革命」P21-23より)

(1)「神の意思が意識と社会を支配し、偉大なる物と曖昧なる物、生ける者と死せる者を結びつける権利と義務の無限の連鎖を作り出している。政治問題は基本的に宗教問題であり、道徳の問題である」
(2)「豊かな多様性を持つ伝統的な生活を愛することであり、それは最も過激なシステムが目指す狭い画一性と平等と効率性を主張する社会とは異なる」
(3)「文明社会にとって秩序と階級が必要である。唯一の平等は道徳的平等である。他の平等を実現しようとする試みは、法律によって強制するなら、すべて絶望に終わるだろう」
(4)「財産と自由は分かちがたく結びついている。経済的な平等は経済的な進歩を意味するものではない。財産と私的所有を分離すれば自由は消滅する」
(5)「神の意思を信頼し、"詭弁家や計算高い人"を信じてはならない。人は自分の意思と欲望をコントロールしなければならない。なぜなら人は理性よりも感情により多く支配されているからである。伝統と健全な判断が人の無政府的な衝動を規制することになる」
(6)「変化と改革は同じものではない。イノベーションは進歩を示す松明ではなく、破壊的な大火になる可能性がある。社会は変化しなければならないが、人間の体が永続的に更新されるように緩やかな変化は社会の秩序を保つものである」

そして、アメリカの保守主義思想はキリスト教的道徳のことであり、精神的、道徳的な再生を図り、教育を浄化し、家族への敬意、知的財産の尊重などの重要性を訴えた。また、上記の六つの規範とあわせて保守主義の基本思想として以下の7つのことを挙げている。(「アメリカ保守革命」P24-25)

・「永続的な道徳的秩序が存在し、人間の本性は時代が変わっても変わらない」
・「社会政策は長期的な影響によって判断されるべきである」
・「ユートピアを求めることは悲惨な事態を招く」
・「人間は不完全性な存在である。人間の完全性を約束する思想家が一九世紀の偉大な部分を地球上の地獄に変えてしまった」
・「市民の生活に最も重要なのはローカルかつ自発的に行われる決定である」
・「権力や人間の情熱を抑制することが必要である。個人や少人数のグループがチェックされることなく同胞を支配する国家は専制主義国家である」
・保守主義者は道理に基づいた穏やかな進歩を支持する。新しい物が古いものよりも常に優れていると主張する狂信的な集団に反対する」

このように、キリスト教道徳への回帰とリベラリズムへのアンチテーゼとして、アメリカ保守主義の理論的構築がウィーバーとカークの二人によってなされ、次第にその体系が構築されていくことになる。

アメリカ保守主義思想の源泉は主にギリシア哲学や聖書、ユダヤキリスト教文明とヨーロッパの保守主義思想に求められた。

保守主義思想研究家のチャールズ・ダン、デビッド・ウッダードによると保守主義思想の基本的な発想は以下の八つに要約できるという。(「アメリカ保守革命」P27-28)

(1)伝統的、宗教的価値観を重視すること
(2)人間の善意、理性、完全性を信用しないこと
(3)中央政府を信用しないこと
(4)州政府、地方政府の方が中央政府よりも明確な自己意識を持っていると考えること
(5)愛国心を持っていること
(6)個人の権利よりも義務を重視すること
(7)資本主義と自由市場を信頼すること
(8)既存の制度内での緩やかな変化を通して経済的、政治的、宗教的な安定性の維持に務めること

まず、保守主義思想では人間は不完全で原罪を背負っているが故に人間の善意を信用せず、道徳と秩序の源泉である神の存在によって人が人たらしめられていると考えている。

次に、近代の相対主義は神という絶対的な価値観の否定によって生まれ、人間の手によって社会を作り替えることができるというユートピア思想を生み、そのユートピア思想は人間の不完全性ゆえにファシズムやナチズム、共産主義国家のように最終的に全体主義に堕すると彼らは考える。この人間に対する不信が一方で実証主義的な科学を生み、他方で神の絶対性によって科学への懐疑へとつながる。

また、巨大な権力が集中した「大きな政府」は市場に介入し個人の自由を抑圧し、全体主義に繋がるという恐れを持つ。この全体主義に対する過剰とも言える恐怖が反共主義や米ソ対立へと彼らを駆り立てて行く。平等については彼らが重視するのは機会の平等であって結果の平等ではないため、階級社会を肯定的に考える。そして伝統は長く積み上げられた知恵の集積であると考えており、それゆえに変化や急激なイノベーションに対して強い抵抗感を持つ。

この1950年代から60年代にかけて理論構築されていった保守主義思想がアメリカ社会の根底にあるアメリカ例外主義と混ざり合いながら、巨大な思想潮流として現代のアメリカ社会を席巻していくのである。

以上、参考文献


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5 アメリカの二大政党について基本が見える一冊
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4 映し出された激動のドラマ。


アメリカの保守とリベラル (講談社学術文庫)
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5 アメリカ政治の見取り図としてはわかりやすい
5 著者ならびに講談社さんに求められること
5 20年前の米国の混迷の現代日本を見る
5 アメリカ政治のイデオロギーをわかりやすく説く


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調布飛行場と武蔵野の森公園

先日、調布一帯を散歩してまして、調布飛行場にも立ち寄りました。



調布飛行場は当時この一帯にあった農地や寺院、集落を接収し1941年4月に完成した公用飛行場です。主に旧日本陸軍が使用し、有名な戦闘機飛燕などが所属する飛行244戦隊が駐留して東京の防衛拠点として活用されました。第二次大戦後は米軍に徴用され1954年に一部返還、1973年の全面返還までは日本と米国とで共同利用され、その後は大島、新島、神津島への航空便やヘリ、セスナの離発着用の飛行場として一般利用されている小空港です。




空港に隣接する小さな砂場にあった、よくある飛行機型のジャングルジム。空港のすぐ真横にあると、それはそれでちょっと違った味わいがあります。






敷地の外から覗き込んだセスナ機たちは通常空港でみかけるジャンボジェット機と違って、なんともかわいい。セントバーナード犬とスコティッシュフォールドぐらいちがう。

掩体壕




隣接する武蔵野の森公園は調布飛行場の返還後に敷地の北側を公園として整備したもので、芝生広場や池などの他、第二次大戦中に戦闘機を空襲から隠すための施設として使われた掩体壕が二ヶ所保存されています。上が掩体壕の大沢一号、下が大沢二号です。当時60基の掩体壕が造られ、掩体壕と飛行場とは誘導路で結ばれ、空襲となると飛行機にロープを結び、人力で掩体壕まで引っ張って被害を避ける作業が行われたとのこと。

今ではそのような役割からは解放され、当時の様子を伝えるだけの静かな遺構です。



公園の一分にこんな盛り上がった丘があります。この丘を駆け上ると・・・



滑走路が一望できる絶好のスポット。このぎゅーんとひらけた感じはなんともいえない気持よさで、思わず両手を広げて空を見上げ、めいっぱい全身を伸ばしたくなります。タイミングがよければ離発着する飛行機の様子が見られますね。



そのほか、こんな静かな池やくつろげる芝生など、かつての戦争の暗い影を今に伝えつつも、のんびりと空を見上げるのに最適な場所として地域の人に愛されている感じのスポットでした。




大きな地図で見る
調布駅北口より小田急バスで調布飛行場下車

参考サイト
調布飛行場
調布飛行場 - Wikipedia
新中央航空株式会社 ホームページ

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「永遠に差別を!」米国を分断した政治家ジョージ・ウォレスの生涯

segregation now, segregation tomorrow, segregation forever.
(今日も人種隔離を!明日も人種隔離を!永久に人種隔離を!)

1963年1月、アラバマ州知事に就任したばかりのジョージ・ウォレスはその就任演説でこう叫び、駆けつけた支持者たちから大歓声を浴びた。

一見、人種差別主義者の典型のような人物に見えるが、アメリカでは彼の評価は真っ二つに分かれているという。一方は偏狭な人種差別主義者として、他方では二大政党制にこだわらず草の根の民意を反映することに尽くした人物として。

■南北戦争とアメリカ南部小史

・南部と北部の対立
1776年、北部十三州が大英帝国から独立して以降、数々の侵略戦争、買収、入植等によってアメリカ合衆国の領土は拡大の一途を辿り、1790年に393万人だった人口は1830年にはおよそ1286万人と急増し、それにともなって、北部、南部、西部の三つの地域がそれぞれ独自の発展を遂げた。西部開拓については今回は割愛するとして、北部と南部はそれぞれ全く違った発展を遂げ、それが深刻な対立をもたらすことになった。

1840年代のアメリカ北部は産業革命を迎え数々の工場が作られると、職を求めて多くの移民が流入、金融・商工業が盛んになり、啓蒙主義的思想と、労働力不足から黒人奴隷を解放し労働者にしようとする傾向が強かった。一方、南部はやはり産業革命の恩恵から綿花需要が高まり、黒人奴隷を使ったプランテーション栽培が盛んになった。特にイギリス向けに輸出が増大、やはり1840年の統計によるとアメリカの輸出額の52%が南部で栽培された綿花輸出で占められていた。両者の立場の違いは様々な面で見られ、例えば商工業を中心とした資本主義が浸透していた北部は貿易に関しては高関税による保護政策を望み、綿花輸出に頼っていた南部は低関税による自由貿易を希望していたし、深刻な労働力不足に悩む北部では労働力を求めて奴隷解放を進め、奴隷制度によって成り立っていた南部では奴隷制度の存続を求めていた。

この両地域はことごとく利害が対立し、特に奴隷制度を巡ってはキリスト教的価値観から反対運動が激化、奴隷制拡大を望む南部と、奴隷制廃止を望む北部の間で駆け引きが繰り広げられる中で、1854年、新しい州が独自に奴隷制導入の是非を決定することができる「カンザス・ネブラスカ法」の成立によって新準州となったカンザスに開拓者たちが流入。賛成派反対派の間で武力衝突を引き起こし「流血のカンザス」と呼ばれた。

・南北戦争
1860年、奴隷制度廃止派のエイブラハム・リンカーンが大統領に就任すると、翌61年にサウスカロライナ州、ミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州の南部六州(後テキサス州も加わり七州)はアメリカ合衆国からの脱退を宣言、アメリカ連合国を結成し、南北戦争の火蓋が切って落とされた。さらにバージニア州、アーカンソー州、テネシー州、ノースカロライナ州の四州もアメリカ連合国側に加わり、文字通りアメリカを二分した激しい戦いになる。

北軍でグラント将軍とともに活躍し、近代戦の父として名高いウィリアム・シャーマン将軍は戦争をとても憎んだ人物として知られている反面、残虐なほどに南部を徹底的に破壊し尽くした。ジョージア州都アトランタを焼き尽くし、ジョージア州一帯の鉄道・通信インフラを破壊し、サウスカロライナ州都コロンビアを炎上させ、大西洋岸一帯を攻略した。戦争を憎んだ平和主義者の顔と、冷徹な戦略家の二つの顔を持つ彼は後年、退役軍人の集会でこうスピーチをした。

「今日ここには、たくさん若い人たちも集まっていて、戦争は栄光に包まれたものだと思ってます。しかし皆さん、戦争はすべて、地獄なのですよ」(猿谷要著「物語アメリカの歴史―超大国の行方 (中公新書)」P104)

最終的に北軍が勝利を収めたが、四年間で南北両軍あわせて死者62万人という甚大な被害を出し、南部は完膚なきまでに破壊された。しかし戦争という地獄は、終わることの無い無間地獄の始まりに過ぎなかった。

・奇妙な果実とソリッドサウスの誕生
1877年、連邦政府軍が南部から撤退し、かつて北部を覆っていた黒人公民権への熱気が失せて行くと、奴隷解放は後退していった。1883年、黒人公民権を認めた憲法修正十四条よりも各州の州法が優先する判決が最高裁で下り、さらに1896年には白人と黒人の分離も合法とする判決が降りると、南部では合法的な黒人差別が行われていった。

南北戦争直後、悪名高いクー・クラックス・クラン(KKK)が結成され、黒人に対するリンチ殺人が急増した。1885年〜1930年の間でジョージア、ミシシッピ、テキサス、ルイジアナの四州だけで1591人のリンチ被害者がいたとのことだが、統計数値に出ない被害者の数はこの数十倍ともいわれている。夜ごと、黒人を縛り首にし、木に吊るして見世物にすると言う常軌を逸した行為が行われ、文字通り南部は恐怖が支配した。

歌手ビリー・ホリデーは、その横行する人種差別を告発する歌「奇妙な果実」を発表した。奇妙な果実とはその吊るされた黒人のことだ。




奇妙な果実 - Wikipedia
Southern trees bear strange fruit (南部の木には奇妙な果実がなる)
Blood on the leaves and blood at the root (葉には血が、根にも血を滴たらせ)
Black bodies swinging in the southern breeze (南部の風に揺らいでいる黒い死体)
Strange fruit hanging from the poplar trees. (ポプラの木に吊るされている奇妙な果実)
Pastoral scene of the gallant south (美しい南部の田園に)
The bulging eyes and the twisted mouth (飛び出した眼、苦痛に歪む口)
Scent of magnolias sweet and fresh (マグノリアの甘く新鮮な香りが)
Then the sudden smell of burning flesh. (突然肉の焼け焦げている臭いに変わる)
Here is a fruit for the crows to pluck (カラスに突つかれ)
For the rain to gather for the wind to suck (雨に打たれ 風に弄ばれ)
For the sun to rot for the trees to drop (太陽に朽ちて 落ちていく果実)
Here is a strange and bitter crop. (奇妙で悲惨な果実)


奇妙な果実
奇妙な果実
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5 生き方と歌とが渾然一体となる圧倒的説得力
5 『ビリー・ホリデイ/奇妙な果実』


南北戦争によって徹底的に社会基盤が破壊され、自身の依って立つ文化が否定され、そして北部の経済成長からも、拡大していく西部開拓からも取り残された断絶が、人種差別こそ南部のアイデンティティであるという歪んだ執着へと帰結していった。北部が黒人差別問題に介入すればするほど、南部の白人たちは頑なに人種差別に固執し、黒人へのリンチとを繰り返し、反中央政府の立場を取るようになった。

南部の反中央政府主義と人種差別主義を中心とした強い政治的同質性の連帯を「ソリッドサウス」と呼ぶ。

南部の保守層が人種差別に固執すればするほど、南部地域のアメリカ内部での孤立は強まっていき、そして差別される側である黒人たちも結束してそれに対抗するようになった。第二次世界大戦後に訪れたニューディール政策下のリベラルな時代背景が黒人の公民権運動を後押しし、そして1954年、ついに歴史上にその名を刻むマーティン・ルーサー・キング牧師が表舞台へと登場する。

キング牧師の非暴力主義によって拡大する黒人公民権運動に対して、南部の保守派層はかつてないほどに危機感を募らせた。そして、1963年、アラバマ州知事として、ジョージ・ウォレスが選ばれることになるのである。

■ジョージ・ウォレスの登場

ジョージ・ウォレスは1919年、アラバマ州クリオで生まれ育ち、アラバマ大学で法律を学んだ後、第二次世界大戦でB29長距離爆撃機のエンジニアとして、日本本土への戦略爆撃を担当。八王子、富山、長岡、水戸などの爆撃に参加した。第二次大戦後は学生時代に学んだ法律の知識を買われて、1953年から1959年までアラバマ州裁判所の判事に選出されている。ある黒人弁護士は判事時代のウォレスを、最もリベラルな判事だったと回想している。

1958年、彼は初めてのアラバマ州知事選に立候補する。このとき、クー・クラックス・クランなど人種差別主義団体からの支援の申し出を断り、NACCP(全米黒人地位向上協会)の支持を受けて比較的穏健な主張で選挙戦を戦っているが、惨敗。南部でも殊更保守的な色合いが強いアラバマではクー・クラックス・クランの組織力と、過激な主張なしには選挙を勝ち抜くことは出来ない状況だった。

1962年、二度目のアラバマ州知事選挙で彼は、一転して過激な主張を繰り返し、人種隔離政策や労働者の権利拡大を強く訴え、クー・クラックス・クランの支持を取り付けて圧倒的得票でアラバマ州知事に就任する。冒頭の演説「今日も人種隔離を!明日も人種隔離を!永久に人種隔離を!」は当時ウォレスのスピーチライターで差別主義思想に傾倒していたアサ・アール・カーターが書いたものだと言われている。アサ・アール・カーターは後にフォレスト・カーターと名前を変え、ネイティヴ・アメリカンを題材にした小説「リトル・トリー」を執筆することになる。差別主義者だったアサ・アール・カーターと、少数民族への共感と優しいまなざしで知られる作家フォレスト・カーターという二面性はとても興味深いのだがそれはまた別のお話。

■人種隔離政策の推進と対立
1963年、就任早々二人の黒人大学生のアラバマ州入学を巡って大学前で両派の衝突が起こると、ウォレスは自ら州兵を率いて入学しようとする黒人学生とその支持者の前に立ちはだかった。時の大統領ケネディも入学を認めるように大統領布告を出し、ニコラス・カッツェンバック司法副長官が派遣されて大学前で大統領布告を読み上げたが、ウォレスは頑として受け入れなかった。

この中央政府相手に一歩も引かず、体を張って人種隔離政策を守ろうとするウォレスの姿に南部の白人層はしびれた。

1965年、後世「血の日曜日事件」と呼ばれる流血事件が起きる。アラバマ州セルマから始まったキング牧師率いる公民権運動のデモ行進「セルマ大行進」に対して、あらゆる手段を使ってデモを停止させると宣言。民兵が催涙ガスなどを発射し65人が負傷する惨事となった。

ウォレスの差別主義的な数々の行為は、その残酷さから公民権運動に拍車を掛けたが、一方で公民権運動の恩恵を受けない白人ブルーカラー層や農業従事者、連邦政府の施策に不満を持つ貧困層など社会の底辺層に強力な支持を受けるようになっていく。ウォレスの人種隔離主義はケネディの民主党政権が「労働者をないがしろにして」「黒人問題ばかりにとりくむ」ことに対する民衆の不満の一つのはけ口として、映るようになっていた。

■大統領選への立候補とポピュリズム

1968年、広がる支持を背景にウォレスは大統領選に立候補する。1967年に結党した第三勢力アメリカ独立党の大統領候補として、副大統領候補には日本の無差別爆撃やベトナム戦争での北爆を立案した元米空軍参謀総長カーチス・ルメイ――彼は南北戦争の英雄シャーマン将軍の戦略をお手本にして日本やベトナムの焦土戦術を立てた――を立てて選挙戦に臨むと、意外なことにその支持は南部を超えてアメリカ中に広がった。それまで民主党支持者だったはずの北部の都市部ブルーカラー労働者やアイルランド系、イタリア系などの移民ら目先の生活に苦しむ人々が同調し、その苦しい生活の中から10ドル20ドルといった僅かな額の小口献金をウォレスに送った。ウォレスの選挙戦はそのような小口献金の積み重ねに支えられていた。

このような二大政党どちらにも共感しない多くの人々を掘り起こした人物がウォレスから遡ること70年前にやはりアメリカにいた。その人物はウィリアム・ジェニングス・ブライアン以前紹介した進化論裁判で非業の死を遂げた政治家だ。

1890年代、農業は大きく変わりつつあった。それまでの小規模農業から大規模農業へと組織化が進むとともに農産物価格の下落など農業不況の煽りを受けて、小規模農家は深刻な危機に直面していた。そこで相互扶助組織の「農民同盟」が結成され、後に政治に農民の声を反映させるため南部北部を横断した政党「人民党」が結成される。この時、人民党の大統領候補として全米を演説して回ったのがW・J・ブライアンである。彼は文字通り全米を演説して回り、二大政党どちらにも属さない草の根の人々の意見を国政に反映させるべく活動し、次第に大きなうねりとなって当時のアメリカを席巻していく。この草の根の意見を掘り起こす農民運動を「ポピュリズム」と呼ぶ。

ポピュリズムにはこのような民衆の意見を掘り起こして政治に反映させるという肯定的な意味と、大衆迎合的な否定的な意味との両義性があり、それは対立する見方というよりはコインの表と裏の関係の様に一体で、一つの政治的な活動が持つ多義性とも言える。

このとき掘り起こされた草の根の意見や支持層を取り込んで民主党は勢力を伸ばし、後にルーズベルト政権から始まる民主党政権でニューディール政策などのリベラルな施策を強固に推し進めていく基盤となっていくが、70年の時を経てかつてブライアンというポピュリストによって民主党の支持基盤となった草の根の運動が、今度はウォレスというポピュリストが掘り起こした草の根の運動によって民主党を揺るがすことになっていくのだった。

結局、ウォレスはニクソンに敗れることになるが、このときウォレスが分断した南部白人層と北部の低所得者層を後に共和党が取り込み、そして81年のロナルド・レーガン政権から前政権であるブッシュまで続く保守政権の巨大な支持基盤となっていくことになる。ウォレスは大統領にはなれなかったが文字通りアメリカを分断し、民主党と共和党の勢力逆転の足がかりを作るという大きな楔をアメリカに打ち込んだ。

■暗殺未遂事件

1970年にアラバマ州知事に復帰し、1972年三たび大統領選に立候補するが、大統領選の遊説中、メリーランド州ローレルのショッピング・センターに立ち寄り、支持者に囲まれる時に事件は起きた。アーサー・ブレマーという22歳の青年に銃撃を受け、一命を取り留めたものの下半身不随となり車椅子生活を余儀なくされる。襲撃犯ブレマーの日記を読んだある若い脚本家は一本の脚本を書き上げ、駆け出しの映画監督とともにある無名の俳優を起用して一本の映画を撮った。脚本家の名をポール・シュレーダー、映画監督の名をマーティン・スコセッシ、映画俳優の名をロバート・デ・ニーロと言う。


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5 ニューヨークの甘やかな腐臭、スコセッシ映像の頂点
5 現代社会に病んでる方必見です
4 一般の人がヒーローになろうと思ったら…
4 トラビスに見る犯罪者心理の一考察。
4 この疎外感が熱を持つ時、彼の目が輝きだす。

・・・この映画に影響された青年ジョン・ヒンクリーは1981年、レーガン大統領暗殺未遂事件を起こすことになる。絡みあった歴史の糸が数十年、数百年かけて多くの人を巻き込んでいく。

下半身不随となったウォレスだったが、不屈だった。1976年の大統領選にも立候補し、1974年と1982年にアラバマ州知事に就任し、四期十六年に渡って知事職を務めた。

その後、彼の「怒れる南部白人」という政治姿勢は多くの模倣者を生んだ。多くの政治家がウォレス的な怒りの表出や反中央政府的スタンスを戦術として取り入れ、大衆迎合的なポピュリズムがアメリカの政治に広がっていくことになる。そのような意味でウォレスはアメリカ型ポピュリズムの父となった。

■"I have a dream"

ウォレスと対立した黒人運動の指導者キング牧師が1963年8月にワシントンのリンカーン講堂で行った最も有名な"I have a dream"で始まる演説にウォレスのことを厳しく批判した一節がある。

I have a dream today.

I have a dream that one day the state of Alabama, whose governor's lips are presently dripping with the words of interposition and nullification, will be transformed into a situation where little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls and walk together as sisters and brothers.

私には今夢がある。
人権差別主義者や州知事が連邦政府の干渉排除主義を唱え、連邦法の実施を拒否しているアラバマ州にさえ、将来いつか、幼い黒人の子供達が幼い白人の子供達と手に手をとって兄弟姉妹となり得る日がくる夢が。

スタンフォード大学The Martin Luther King, Jr., Research and Education Institute日本語訳より

晩年、ウォレスはパーキンソン病を患い銃撃の後遺症による車椅子での闘病生活を送っていたが、1995年、彼は自身が命じたことで起きた血の日曜日事件の記念式典に病をおして出席、知事時代の人種隔離政策が誤っていたことを謝罪し、黒人指導者達と手を取り合った。30年ぶりの和解だった。病の中でキリスト教信仰に目覚めていたとも伝えられるが、真偽は定かではない。その三年後、彼は静かにこの世を去っている。

(渡辺将人著「見えないアメリカ (講談社現代新書)」P126)
ウォーレスは晩年に変わったのだろうか。悔い改めたのだろうか。それとも、もともと人種問題を政治利益のために表面的に利用しただけで、黒人に心のなかで詫びていたのだろうか。あまりにも激しい政治人生を歩んだジョージ・ウォーレスについて、少なくともいえることは、常に感情に正直だったことだ。経済的に疎外された境遇にあるひとたちの立場に敏感に反応する力があった。そして、北部と連邦政府だけには、ただでは従わないという、生粋の南部人だった。

ジョージ・ウォレスは差別と偏見を拡大し、多くの人々の血を流し、そしてアメリカを分断した。そのことは今も、これからも長く批判され弾劾され続けるだろう。しかし、彼の生涯は多くのことを現代の人々に問い続ける。政治とは何であるか。政治家はどうあるべきか。ポピュリズムは何故起きるのか。民意とはなんだろうか。差別とは。断絶が生む悲劇とは・・・次々と湧き上がる問いの一つ一つに向き合うことが、今、特に重要度を増しているようにおもう。

余談だが、現在、ハリウッドでは血の日曜日事件を題材としたキング牧師の伝記映画"Selma"の製作がリー・ダニエルズ監督(「プレシャス」)によって進められており、このジョージ・ウォレスという複雑な難役にロバート・デ・ニーロがキャスティングされたと先日報道された。トラヴィスからウォレスへ、デ・ニーロは30数年の時を経て狙った男と狙われた男双方のモデルを演じることになるようだ。彼の渾身の演技を楽しみに待ちたい。



■参考書籍
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4 誤解されるアメリカ
4 民主党選挙本部アジア系集票担当の現場を経て著者が見たアメリカ政治の多様性
5 アメリカ二元主義の内情が良く分かる
4 「共和党」と「民主党」
4 日本からイメージしたアメリカ政治とは全く違う


物語アメリカの歴史―超大国の行方 (中公新書)
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4 超大国の栄光と苦悩
3 やや断片的
4 読みやすく手ごろなアメリカの歴史入門書
3 ぜひ改訂を
3 広く浅くアメリカ史をカバー


■参考サイト
南北戦争 - Wikipedia / アメリカ連合国 - Wikipedia / ウィリアム・シャーマン - Wikipedia / クー・クラックス・クラン - Wikipedia / 奇妙な果実 - Wikipedia / ジョージ・ウォレス - Wikipedia / George Wallace - Wikipedia, the free encyclopedia / Alabama Department of Archives and History: Alabama Governors--George C. Wallace / アサ・アール・カーター - Wikipedia / 血の日曜日事件 (1965年) - Wikipedia / ポピュリズム - Wikipedia / 殺人博物館〜アーサー・ブレマー / ジョン・ヒンクリー - Wikipedia / 史跡めぐり・アラバマ州の選挙権獲得をめざす大行進

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村上春樹「抜け道の数が多ければ多いほどその社会は良い社会である」

寝ようかなーと思いつつ久しぶりに本棚の隅っこに隠れていた「村上朝日堂」を手にとってパラパラと読んでいたら、ちょっととある一節が目についたので思ったことを書いておきます。

村上春樹が昭和四十九年、国分寺でお店をやるときに自己資金で250万、ご両親からの借り入れで250万、都合500万用意したけど、今だと500万じゃムリで2000万円ぐらいかかっちゃうよねー、2000万円ってさすがに若い人が集められる金額じゃないよね、という話から、そのコラムをこうまとめていた。

(「村上朝日堂 (新潮文庫)」P57)

今、「金もないけど、就職もしたくない」という思いを抱いている若者たちはいったいどのような道を歩いているのだろうか?かつて僕もそんな一員だっただけに、現在の閉塞した社会状況はとても心配である。抜け道の数が多ければ多いほどその社会は良い社会であると僕は思っている。

この文章が書かれたのは八二〜八四年のこと。まぁ、社会状況はいろいろ一回りしちゃいましたね。"抜け道の数"自体が下がったのかどうかはわからないけれど、例えば十年前ぐらいと比べると、抜け道を抜けるにも結構熟練の"わざ"みたいなのは必要になってきているのかもしれない。春樹が店を始めた70年代前半は、高度経済成長期の一色に染まったかのような社会の後に来た大きな祭りの、そのまた後のちょっとエアポケット的な緩んだ時期で抜け道はごくごく手の届く範囲に見えていたんだろう。

そういう踊り場的な時期のあと八〇年代から再び一色に染まっていくような時代があって、その侵食が抜け道を見えづらくしていたのかもしれない。そんな中で抜け道が見えづらくなっていることを嘆いたのかな、と思ったりした。

とはいえ、高度経済成長期にしても一色に染まっているように見えて、実は大企業とそれ以外とで全く雰囲気はちがったようで、これは例えば労働問題あたりの話でも日本型雇用がまるで全てであるかのように書かれていたりするんだけど、全く別の、大企業がストック型社会であればそれ以外はかなり柔軟なネットワーク型の社会であったらしく、まさにけもの道を行くような転職、無職、フリーランス、自営を繰り返しつつ人のつながりを駆使して生き延びていた人達が多かったっぽい。

色川武大御大がやっぱりエッセイでたぶん昭和三十年代ころのことだと思うのだけれど、就職しても会社には長居せず最初の会社は三ヶ月、その後も半年ぐらいで次々転職をしていった的な事を書いていた。いわゆる抜け道を抜けるプロがたくさんいて、まぁ、色川さんなんかそういうのの達人中の達人のような人だけれど、若い人もそういう人達がさくさく抜けて行く様子を見ながらそれにならって抜け道を抜けられたようだ。

この八〇年代前半に春樹が書いた抜け道の数の少なさの嘆きと二〇一〇年の今の状況がどうしてもオーバーラップして見えてしまうのは、やっぱり抜け道の見えにくさなんだろうと思う。あるいは見えているのに抜け道に見えない、何かに擬態しているようなところがあるのかもしれない。しかし抜け道はあるし、例えば経済成長って話でいうなら確実に当時より成長していて、底上げされているわけで、抜け道の数は実際のところは圧倒的に増えていておかしくない。

抜け道を見えにくくしているものは、たぶん、かつては見えやすかった様々な立場とか地位とかを超えた横のネットワークがここ二十年ぐらいで一気に途切れ、消失いったことがあるんじゃないかと思う。タコツボ化して、抜け道を不敵に抜けて行く達人のおっさんと、若い人との繋がりが消失してしまったってところがあるんじゃないのかな。

最近良く雇用流動化とか解雇規制撤廃うんぬんの議論とかあってタコツボ化してないように見えるけど、あれ完璧に雇用者側の都合であって、そうじゃない側にしてみればぽーんと放置されているだけなんで、横のつながりには程遠い現状なんじゃないのかな。逆に共同体・集団毎に断絶が強くなって、そこから取り残された人は孤立して終わる。結局のところ自律的に横のつながりをつくらないと、抜け道は見えないんだけど、抜け道が見えないから孤立するというジレンマみたいなのもあって、いわゆる失われたソーシャルキャピタルの再生には時間がかかりますよね。

って何の話だかよくわかんなくなってきたんですけれど、要するに、そんなに苦労しなくても目の前に沢山抜け道が見える社会こそ良い社会だとおもう、という話でした。

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進化論教育は罪か?スコープス裁判と原理主義が変えたアメリカ

1920年代、禁酒法時代のアメリカでは、現代人から見ると不思議な法律が各州で次々と制定されていた。進化論を学校教育の場で教えることを禁止した反進化論法である。1925年3月、テネシー州でも反進化論法が制定され学校教育の場で進化論を教えることが禁じられると、その法律に反対する田舎町デイトンの生物教師ジョン・スコープスが反進化論法に反して進化論を教えたことを告白、同年7月、進化論を巡る裁判が開かれた。後世、この裁判は被告の名を取ってスコープス裁判、あるいは人間は猿から進化したという進化論からモンキー裁判と呼ばれ、アメリカの文化・宗教史上に残る大きな転換点となっていく。

1)原理主義思想誕生小史

まずは、簡単にスコープス裁判へと至る当時のアメリカの社会・宗教状況をまとめておく。

・「金ぴか時代」の光と影
1865年、南北戦争が終結すると、アメリカは大きな構造変化の時代を迎えた。北部諸州を中心に農業社会から産業社会へと変化し大都市周辺には工業地帯が登場、鉄道が敷設され物流が活発になるとともに人々は西へ西へと開拓の歩を進めた。またそのような経済の急成長に惹かれて世界中から移民がアメリカへと渡り、爆発的に人口が増えていった。

反面、高い関税率と自由放任主義の元で巨大な独占企業が次々と生まれ、資本家と政治家の癒着が強まり、移民として渡ってきた人々の大多数は過酷な低賃金労働に喘ぎ貧富の差は拡大、また解放されたとはいえ黒人や女性、マイノリティへの差別も依然として根強く、転換期に見られる混乱と不安が人々の生活に影を落としていた。この浮ついた時代を作家マーク・トゥエインは「金ぴか時代」と呼んだ。

・「千年王国思想」
キリスト教の終末観は「千年王国思想」と呼ばれる。キリストの再臨によって審判の日を迎え至福の千年期を迎えるというものだが、19世紀までは人々の努力によって神の国が打ち立てられた後にキリストが再臨するという「後千年王国説」が基本的な解釈であった。しかし、19世紀末のアメリカではまずキリストが再臨してから神の国が作られるという「前千年王国説」が広まっていく。「後千年王国説」は毎日頑張って世界を良くしていくことでキリストが再臨するという前向きな思想であるのに対し、「前千年王国説」はそもそも終末を迎えると世界は悪くなる一方で、社会状況が悪化した果てにキリストが再臨して世界を良い方向へ変えてくれるという悲観的な思想だ。当時、目前に広がる貧困や格差に多くの人々が「前千年王国説」を受け入れ、後に第一次世界大戦での欧州の惨状が彼らの悲観的な終末観に拍車を掛けることになる。

・「社会福音運動」
19世紀末は貧困などの社会問題に対し、多くのキリスト教徒が福祉活動に力を注いだ時代でもある。彼らは「後千年王国説」に基づき、社会問題を積極的に解決していくべく様々な慈善活動を行った。YMCAや救世軍は19世紀初めに英国で生まれ、19世紀末のアメリカで特に盛んに行われた運動である。この時期に行われた教会による様々な福祉活動を「社会福音運動」と呼ぶ。

・「自由主義神学」と「高等批評」
「社会福音運動」に従事していた人々は福祉活動の中で、宗教の使命は神の愛だけであり、それは弱者への奉仕の中で実践される、聖書も教会も重要ではない、と考えるようになり、聖書や教義には科学的に誤りもあるとして、当時ドイツで生まれた「自由主義神学」に基づく「高等批評」に注目した。「自由主義神学」は近代合理主義や自然科学を踏まえてキリスト教を解釈しようという神学で、従来古文書等の研究で用いられた「文献批評学」の手法を聖書研究にも持ち込んだ。聖書も一つの文献であり誤りや聖書が記された時代と現代とで合わなくなった考えもある。そこで、科学的な批評と解釈を行うことで、究極的には人々の信仰心をより篤くすると考えられた。

・「社会進化論」
「自由主義神学」は英国の哲学・社会学者ハーバート・スペンサーの「社会進化論」に大きな影響を受けている。「社会進化論」はダーウィンの進化論〜生物の自然選択、生存競争、適者生存が多様性をもたらすという考え方〜を社会全体に敷衍した思想で、進化は社会の第一原理であり適者生存によって未開から文明へ、家内工業から機械工業へ、王の支配から多様な民主主義の時代へと移り変わり多様な時代へと社会は進化してきており、これからも進化していくとする考え方であった。この思想はキリスト教の「後千年王国説」とも親和性が高く、また日進月歩の産業・科学の進歩もあって広く受け入れられた。

しかし、「社会進化論」はそもそも生物の進化を社会全体の法則と捉えるという論理の飛躍から始まっており、人々をポジティブに奮い立たせ、ボランタリアリズムや進歩史観を生み出した一方で、適者生存という考え方は帝国主義による侵略や独占資本を正当化する論理に強い影響を与え、また優生学やドイツのアーリア民族優位説にも繋がっていく。さらにマルクスは「資本論」の執筆に際し社会進化論に大きな着想を得たと語っている。

アメリカでは「社会福音運動」の指導者であるジョサイア・ストロング牧師の「我が祖国」「膨張」などの著作がベストセラーとなった。これらはアメリカが「市民的自由」を体現するアングロサクソン文明の中心であり、その文明を世界に広めていくことはアメリカの使命であるとしたもので、宗教的に帝国主義政策を支持した。また社会進化論の影響下で「低開発地域に安定した統治形態を樹立し、その地域の人々が自分の運命を遂行しようとする努力をアメリカが助け、外部の干渉から保護する」(森孝一「宗教からよむ「アメリカ」」P18)という「帝国主義的反植民地主義」がアメリカの主流な考え方になっていく。

「自由主義神学」と「社会進化論」を思想的バックボーンにして科学と合理主義を受け入れ「社会福音活動」を行う彼らは「モダニスト」と呼ばれた。

・キリスト教原理主義の登場
上記のようなモダニスト達の聖書すら相対化しようとする動きに保守派は一斉に反発した。そもそもプロテスタントは様々な教派に差はあるもののルターが「聖書に帰れ」と言ったように概ね聖書を神聖視する。特に19世紀後半は社会構造の大きな変化と科学・産業の急激な進歩の中でかつての価値観が次々と失われて行った時期である。そのような変革の時代の中で多くの信者たちにとっては聖書は日々の生活の最後の拠り所である。ところがそれすらも疑えとモダニストたちは言う。必然的に大きな反発が生まれた。

A・T・ピアソンは「ちょうどローマ教会主義(カトリック教会)と同じように、高等批評(文献批評学)は、ただ学者だけが聖書を解釈できると考えることによって、人びとから神の言葉を奪いとっている。ローマは神の言葉と人との間に聖職者を置いたが、批評学は聖書と信者の間に高等教育を受けた解釈者を置いている。」(前掲書P191)と、進歩ではなく宗教改革以前の中世へ逆行しているという趣旨の批判を加えた。19世紀末から20世紀始めにかけてアインシュタインの相対性理論を始め専門家ですら理解するのに難しいさまざまな科学上の発見がなされ、高度な教育を受けたものだけが真実を理解出来る時代へと突入しようとしているという焦燥感を抱く人が少なからず存在するようになった。

1910年、プロテスタントの保守派たちが一同に会し「聖書の無謬性」「キリストの処女降誕」「キリストの贖罪」「イエス・キリストの肉体的復活」「キリストの奇跡の真正性」の「五つの基本信条」を文書化し、1910年から1915年にかけてこの中核思想を世に広める12のパンフレットがまとめられた。「諸原理(The Fundamentals: A Testimony to the Truth)」と名付けられたこのパンフレットは、それぞれ300万部印刷され、米国全土へ配布されていく。

当初、原理主義が批判の対象としていたのは「高等批評」など聖書を対象とした「文献批評学」であった。しかし、第一次世界大戦の惨状は自由主義神学の背景にある「社会進化論」へと批判の矛先を向かわせた。史上始めて全世界規模で起こったこの戦争によって数千万人の死傷者が出て、欧州は瓦礫と化し、科学の進歩によって作られた様々な兵器が使われ、スペイン風邪と呼ばれるインフルエンザの流行や、無神論の共産主義者によるロシア革命・ソビエト連邦の成立などこの頃に起きた様々な事象は前千年王国説を信じる原理主義者たちにとって黙示録の世界そのものだった。

進歩を謳った社会進化論が帝国主義思想を生み、大量殺戮兵器を作り出し、社会を混乱させていると彼らは考え、強い危機感を抱いた。そもそも原理主義者は前千年王国が現実を悲観視するため、現実世界を従容として受け入れあまり政治にコミットしないものだったが、この危機感がその姿勢を180度転換させた。さらに反共産主義、反知性主義的ナショナリズムと結びつき排外的な思想を強化していった。そのような中で適者生存、弱者切り捨て、帝国主義思想の根源であり、エリート達による少数者の支配思想としての「社会進化論」を象徴する思想が「進化論」であると彼らの目には写っていた。

かくして「進化論は文明を危うくする」という共通理解が保守的な人びとの間に広がり、アメリカ南部を中心とした諸州で学校教育の中で進化論を教えることを禁じる「反進化論法」が成立していくことになるのである。

2)スコープス裁判
1925年3月、テネシー州議会によって「反進化論法」が制定されると、リベラル団体ACLU(American Civil Liberties Union, アメリカ市民自由連合)はその反進化論法の是非を問う裁判を行うために進化論を教えたことで逮捕されても良いと思っている志願者を広告で募集、その広告に飛びついたのがテネシー州の田舎町デイトンの有力者たちだった。彼らは町の売名のため生物教師ジョン・スコープスがデイトン高校で2週間だけ臨時教師をした際、進化論を教えたと言う証言を取り付け、彼らに推されるかたちでスコープスは逮捕されることになった。

早速、ACLUは当時全米で最も有名かつ辣腕で知られる弁護士クラレンス・ダローを団長とする弁護団をスコープスの弁護につけ、それに対して原理主義勢力は弁護士で過去三度に渡り民主党大統領候補となり、ウィルソン政権では国務長官も務めた大物政治家のウィリアム・ジェニングス・ブライアンに検事を要請し、1925年7月10日、のべ10日間続くスコープス裁判が開廷した。

・ウィリアム・ジェニングス・ブライアン
この裁判で特に注目すべきなのがウィリアム・ジェニングス・ブライアンという人物だ。彼は1860年生まれ。"Great Commoner"(偉大なる庶民)と呼ばれ一般人の良識に絶大な信頼を置き、反エリート主義で民衆の意見を直接政治に反映させようというポピュリズムの体現者だった。演説家としても知られ1896年、1900年、1908年の三度民主党大統領候補となったときは全米を演説し、直接民衆の声を聞いてまわった。のちにアメリカの大統領選で行われる大統領候補の全米遊説は彼が始まりだと言われる。国務長官に就任してからは累進課税の導入、上院への直接選挙制、婦人参政権の導入、政治資金公表義務法などが彼のイニシアチブの下で実施された。

いわば弱者に優しい政治、民衆のための政治を実行する名政治家と当時見られていた人物だ。

また、彼自身は特に原理主義に傾倒していたわけでは無い。それどころか彼は人類の可能性を信じていたし、社会に対して悲観的な見方もしていなかった。原理主義勢力との共通点はただ一点、彼は強力な反社会進化論者だった。善意にあふれる政治家であったが故に、彼は社会進化論者が唱える適者生存・弱者切り捨ての正当化を断じて許すことが出来なかった。

1920年、ブライアンはドイツの軍国主義はダーウィンの進化論の影響であるという進化論批判の演説をするため全米をこう訴えてまわった。

「ドイツが毒ガスを戦争に使用したのは、神が人間を創造した、という聖書の教えを否定し、人間の祖先は猿であるという間違った認識を進化論者が広めたためだ。それが、残酷な兵器使用に対する抵抗感を弱めたのだ」「進化論は青年たちに有害な影響を及ぼしている。進化論を放置すれば米国の道徳的退廃は必至である。」(以上小川忠著「原理主義とは何か」P60-61)

彼の熱心な遊説が当時「反進化論法」の成立に与えた影響はとても大きい。彼は社会進化論思想の適者生存を嫌悪するが故に、進化論を敵視したのだった。また、反進化論法とともに禁酒法も彼が国務長官時代に成立に貢献した法律で、この二つは彼の大きな汚点となっている。

・開廷、そして失墜
このような当時の大物二人が、当時キリスト教を二分していたモダニストvsファンダメンタリストを代表して進化論を巡って裁判が開かれるということで、全米の注目を集め、マスコミはこぞってデイトンに駆けつけた。マスコミ関係者や傍聴者があまりにも多数集まったため、裁判所の建物に入りきらず屋外に急ごしらえのステージが設けられて開廷することになった。町には屋台や見世物小屋が出来、スコープスは「サーカスのような雰囲気」だったと述懐している。

まず、ダローら弁護側は科学者や聖書学者ら専門家を証人として呼び聖書と進化論は矛盾しないこと、スコープスは反進化論法に違反していないことの二点を訴えようとしたが、検察側はそれに難色を示し、専門家の招致の是非を巡って審議はストップした。結局裁判長もファンダメンタリスト寄りの人物であったため専門家の招致は認められなかった。

元々デイトンは特に保守的な土地柄で、裁判長も陪審員もみなファンダメンタリズムに好意的な保守的な考え方の持ち主であり、全くと言っていいほど被告に勝ち目は無かった。そして専門家の招致が認められなかったことでさらに不利になったかに見えた被告側だったが、そこでダローは凄腕弁護士らしく巧みな公判戦術を見せる。

ダローは検事であるブライアンの証人尋問を要求したのである。理由は何でも良かったのだろうが、一応「上訴用の記録を残すため」と称し、後日ダローら弁護士3人を同じように証人として尋問を受けるというブライアン側からの条件も飲むことでブライアンを証言台に引っ張り出すことに成功した。このブライアンに対する証人尋問が後世の歴史すら一変させてしまうほどの起死回生の一撃になった。

ダローはこの尋問を利用してブライアンの聖書や歴史、科学に対する知識の矛盾や無知を鋭く突いていった。「イブはどのようにしてアダムの肋骨から生まれたのか?」「ノアの洪水の発生年代は?」「地球は6日で作られたとおもうか?」その都度ブライアンの無知さが明らかになった。そもそもブライアンは原理主義者ですら無かったのだから、当然と言えば当然だが、しかし彼の無知はまたフェンダメンタリストたちの無知としても捉えられた。決定打は天地創造についての質問で、『神は一日目に光を、二日目に大空と海を、三日目に地と陸と植物を、四日目に太陽と月を創造し、それぞれの日に夕となり朝となった、とあるが、太陽が創造される以前にどうして「夕となり朝となる」ことが分かったのか?』とブライアンに訊ねたのであった。

この尋問の途中臨席していた司法長官がブライアンの様子を見るにみかねて止めに入るが彼はこう言って毅然と退けたという。「私は単に,神の言葉を合衆国最大の無神論者,否,不可知論者から守ろうとしているだけである。私は彼を前にして証言台に上がり彼の思い通りにさせることを恐れていない,ということを記者の人達に知って欲しい。私は世界の人々に知って欲しい」正々堂々は確かに人の美徳ではあるが、この場合は自滅行為だった。

裁判を傍聴していたマスコミはブライアンの毅然とした態度ではなく、頑迷さ偏狭さ無知さを報道し、ブライアンの名声は地に堕ちた。そして彼が代表していたファンダメンタリストたちもまたアメリカ社会から過去にしがみつく、科学と知性の敵、表現の自由の敵だという汚名が与えられることになる。

7月21日、裁判はダローに対する反対尋問はなされぬまま結審する。被告ジョン・スコープスは罰金100ドルの有罪。しかし、勝者は明らかだった。

・・・ブライアンは7月の熱い夏、屋外という異例の環境で行われ、さらにこれまでの名声がすべて灰燼に帰すほどの屈辱を受けた裁判という疲弊した状況ですぐに名士として各地に招かれる。7月21日から7月24日までの三日間で実に1100キロ以上も移動し演説してまわった。

7月24日朝デイトンに戻ってきてすぐに午前中の教会での礼拝でスピーチを行い、宿舎に戻って家族とともに昼食、その後、溜まった疲れを癒すため彼は仮眠を取り・・・二度と目をさますことは無かった。享年65歳。遺体は特別列車でワシントンに運ばれ、国立アーリントン墓地に埋葬された。裁判が終わってわずか三日後の死だった。

3)茶番劇が変えたもの
ブライアンが命を削ったこの裁判は、残念ながら茶番劇以上でも以下でも無かった。しかし皮肉にもその茶番がアメリカの歴史を大きく変え、そしてさらなる悲劇と対立のうねりを作り出していくことになる。

・スコープス裁判後の保守とリベラル
この裁判のあとキリスト教原理主義は急速に支持を失い、わずかに残った原理主義者たちは時代遅れ、異端者として長く差別と迫害を受けることになる。1930年代以降彼らは中西部、南部に独自に教会や原理主義思想を教育する大学(「ボブ・ジョーンズ大学」など)を作り、文字通りその中に隠れ外界から隔絶されていく。その隔絶された「聖域」で彼らは思想を先鋭化させ、自分たち以外はすべて敵であると考えるようになり、自分たちはリベラルや無神論者と戦う神の戦士であるという極端な思想を再構築していく。彼らは息を潜めつつも50年代〜60年代にかけてテレビ伝道などを駆使してじわじわと勢力を拡大、1970年代に入って一気に反撃をはじめることになる。

原理主義勢力が表舞台から去った後モダニズム一色になったわけではなく聖書を基本とした信仰中心の生き方を望む人達は少なくなかった。聖書の批判的な見方やリベラルな思想に反感を覚えるが原理主義のような過激な前千年王国思想も受け入れられないといういわば穏健な宗教保守思想の受け皿として1930年代以降登場するのが「福音派」と呼ばれる勢力である。彼らは30年代の恐慌という社会不安の中で勢力を拡大し、第二次大戦後から60年代のリベラルの時代の中でもリベラリズムを受け入れられない人びとを中心に着実に支持を集め、いわゆるアメリカの保守本流を形成する。

一方、裁判の実質的な勝者であるモダニストたちもまた、1930年代から第二次世界大戦のかけての暗い時代の中でその楽観的すぎる進歩思想は説得力を失い退潮する。代わってより現実的なリベラリズムが姿を現して行く。それはルーズベルト大統領が大恐慌からの脱却を目指して行ったニューディールという諸政策とそれを支持する「ニューディール連合」とよばれる連邦政府を支持する広範な人びとで長老派などのキリスト教主流派と黒人教会などからなる諸派だ。ルーズベルト政権以降第二次世界大戦終結後から1960年代末までに公民権運動や同性愛者の人権、フェミニズム運動などが一気に活性化しリベラリズムの時代をアメリカは謳歌する。

1960年代後半になると、ドラッグ、ヒッピー、フリーセックス、家族の崩壊、犯罪の増加、伝統的価値観の解体など「行き過ぎたリベラル」という問題を多くの人びとが感じるようになっていった。さらに70年代に入ってヴェトナム戦争の失敗、ウォーターゲート事件に代表される政治腐敗と巨額の財政赤字など連邦政府とリベラリズムに対する失望感や社会不安が広くアメリカ社会を覆う中、キリスト教信仰に目覚める人びとが続出していった。彼らは聖書に帰る回心(ボーン・アゲイン)を告白し福音派の勢力が一気に急拡大した。

そのような社会状況の中でテレビ伝道師だった原理主義指導者の一人ジェリー・ファルウェルはモラル・マジョリティという団体を設立し原理主義に限らず広く福音派などの宗教保守派を糾合して2000万人とも3000万人とも言われる巨大な宗教保守勢力(通称:ニューライト)を形成。ロナルド・レーガンの大統領就任を草の根レベルで支援し、政権に強い影響を及ぼした。80年代半ばにモラル・マジョリティは解散するが、一度作り上げられた巨大な保守勢力はその後も共和党と強固に結びつき宗教保守派の考える中絶禁止、同性愛結婚の禁止、学校での祈りの強制、宗教教育といった各種政策を主張する巨大な政策圧力団体と化して両ブッシュ政権を支援しクリントン政権と激しく対立していく。2004年時点の調査では宗教保守派は7000万人とも言われるように、保守とリベラルというアメリカの二つの思想の一翼を担う程に巨大化していくことになるのだった。

・進化論とアメリカの教育問題
最後に、スコープス裁判後の進化論を巡る動きについて。

20年代に各州で施行された反進化論法だが、スコープス裁判後はほぼ形骸化し順次廃止されていった。それでも最後まで残ったテネシー州の反進化論法は1967年まで続く。

1950年には時のローマ教皇ピオ十二世が進化論と聖書は矛盾しないという教皇回勅を出し、ヨハネ・パウロ二世も81年と96年に同様の趣旨の演説を行っており、カトリックはほぼ進化論を受け入れていると考えられているものの、アメリカのプロテスタント社会はそうではない。

1973年、テネシー州議会は「創世記法案」という新たな州法を制定、聖書の創世記と進化論を同様に教えなければならないとした。これは75年に違憲として廃止されるが、これを皮切りに70年代以降活性化した宗教保守派の活動に合わせてかたちを変えた進化論を巡る争いが教育の現場を主戦場として始まる。

共和党と強固に結びついた宗教保守派は80年代に入ると聖書の人類創造を科学的なアプローチで体系化した「創造科学」という説を主張。進化論と創造科学の二つの科学を学校で教えるべきとする「同一時間法」を20以上の州議会に提出。81年にはルイジアナ州とアーカンソー州で可決され施行された。これらは後に違憲となるものの、イタチごっこ的な様相を呈している。その後創造科学はインテリジェントデザイン説というものにかたちを変え、現在でも一部の州や学校で導入が進められようとしているなど進化論を巡る争いは尾を引いている。

近年では進化論かID論かというような論争ではなく徐々に進化論に反対するという考え方の背後にある、人びとの希望によりマッチした論争に進みつつある。宗教保守派の伸長の中で進化論など科学やリベラルな教育を重視する公教育に対する失望も広がる中、進化論論争に代わって90年代以降の宗教保守派が強力に後押ししているのが「スクール・ヴァウチャー制度」「ホーム・スクーリング制度」「チャーター・スクール制度」の三つだ。

スクール・ヴァウチャー制度」は生徒が私立学校等に通う場合に金券や資金を無償供与するものだが、州によっては必要な学費の数倍の支給がなされ、実質教会系学校が多い私立学校に通うことを促進するかたちになっていることがあり、共和党が強く支持し、民主党が反対している。

ホーム・スクーリング制度」は子供を学校に行かせず家庭で親が教育するというもので、2000年には約200万人にまで急増している。これを支持しているのは宗教保守派やマイノリティ教団に属する人びとが多く、宗教教育を子供に受けさせたいと願う人びとの圧力を背景に共和党が強く主張している。これについては実施している州では両親の資格や教育内容を厳密に定めることが多いが、それに対して反発も少なからずあり、今後社会問題化が懸念されている。

チャータースクール制度」はPTAや企業・NPOなどが州の教育委員会から特別認可を受けて独自の学校設立を行うことを可能にする制度である。しかし2000年にアメリカ連邦政府がまとめた調査によるとチャータースクール設立理由で最も多く挙げられたのが「学校教育について従来と異なるヴィジョンを実現させるため」としたもので、これらの多くに宗教や道徳教育等を重視することが含まれていると考えられている。

このように、進化論を巡る争いは表面上は科学と宗教の対立というように見えるが、実は「保守」と「リベラル」というアメリカの二つの思想の対立であり、彼らが依って立つ価値観を巡る争いであり、そして自由と安心という相反する二つの願いの問題であると言える。そしてそれは現在、自分の子供に受けさせる教育を選ぶ自由を巡る争いへと移り変わってきており、科学か宗教かという二項対立では決して解決出来ない問題になっているといえるだろう。

この深刻な二重構造をいかにして融和させていくか、がアメリカが構造的に抱える大きな問題の一つだということがいろいろ調べてみてわかってきた。アメリカのキリスト教を巡る諸問題についてはあといくつか記事に書こうと思います。

参考書籍・参考サイト
・森孝一著「宗教からよむ「アメリカ」 (講談社選書メチエ)
・蓮見博昭著「宗教に揺れるアメリカ―民主政治の背後にあるもの
・大宮有博著「アメリカのキリスト教がわかる―ピューリタンからブッシュまで
・飯山雅史著「アメリカの宗教右派 (中公新書ラクレ)
・小川忠著「原理主義とは何か―アメリカ、中東から日本まで (講談社現代新書)
CiNii 論文 - <論説>1920年代アメリカの進化論論争を振り返って : 二つのドグマの衝突
社会進化論 - Wikipedia
進化論裁判 - Wikipedia
ウィリアム・ジェニングス・ブライアン - Wikipedia

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「プリシラ」ステファン・エリオット監督

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ある日、シドニーに住むドラァグクイーンのミッチ(ヒューゴ・ウィーヴィング)の元に掛かってきた一本の電話から、ミッチと、最近恋人を亡くしたベルナドット(テレンス・スタンプ)、陽気なフェリシア(ガイ・ピアース)の三人のドラァグクイーンは大型バス"プリシラ"を手に入れオーストラリア北部の都市アリススプリングスに地方公演のための長い旅に出る。

その砂漠を横断する長い長い旅の過程で、さまざまなトラブルがあり、出会いと別れがあり、時に差別や偏見にも直面していきながら力強く生きていく、あるいは生きてきた様子が美しい映像と出演陣の名演技によって描かれていく。

特に印象的だったのは、とある田舎の町で調子に乗ったフェリシアが町の男たちを挑発してしまい、取り囲まれてしまいながら間一髪助け出された後、ベルナドットが彼に語りかけるセリフ。

ヘンね。都会はイヤだとさんざ、グチったけど・・・我々には都会しかないのよ。都会の壁がここにいる連中から我々を守ってくれるんだわ。さあ、元気を出して。ののしられて強くなるんだから。男が女になるのはラクじゃないのよ。

都会は確かに他者にあまり強くコミットしないので、マイノリティでもあまり干渉を受けずに生きていけるし、多くの人がさまざまなポリシーの元で生活しているので多様性もある。しかし、ドラァグクイーンという生き方はそのように都会に埋没して生きる生き方ではなく、都会の中にあって強く自身を表現し注目を集めていかざるをえない業を背負ってもいる。そういうアンビバレントな、さまざまな思いがとても伝わってきた。

そして、そういう業を背負っているが故に、「都会の壁」以上に「良き理解者の紐帯」が彼らが生きていく上で必要になっていくのだろう。"プリシラ"の旅は各々が「良き理解者」と出会う旅でもある。ラストの良き理解者の前で見せる最高のパフォーマンスはドラァグクイーンとして表現する喜びに満ちたとても楽しいものだった。マンマミーア!

あと、余談だけど、この作品でも何度となく使われている曲にグロリア・ゲイナーの1979年の大ヒット曲"I wll survive"がある。後にダイアナ・ロスやその他有名アーティストがカヴァーして長く親しまれた名曲で、哀歓たっぷりなメロディと歌詞で印象的なのだけど、有名な映画はもちろん社会的マイノリティ、あるいは一般人から少し外れた人たちを扱った映画まで幅広くさまざまな映画作品に良く使われているように思う。


さまざまな映画で耳にし、そして聴くたびに耳に残るこの曲は、もしかして思っている以上に欧米の、特にマイノリティの人たちの心に強く突き刺さり、共感をもたらしているんじゃないだろうか?とちょっと思ったりしているんだけど、この辺詳しい方がいらっしゃったら教えて欲しい感じです。やはり一人でも生きていかなければならない決意と悲しみみたいな歌詞が、特に欧米の人々に強く訴えかけるんでしょうか。



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現代人のための神仏習合入門その2「跋扈する怨霊、翻る反旗」篇

前回→現代人のための神仏習合入門その1「神仏習合のはじまり」

今回は怨霊信仰が登場して散々暴れまわったのちに王権に取り込まれて行くまでです。引き続き参考文献は義江彰夫著「神仏習合」、末木文美士著「日本宗教史」より。

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神仏習合以前の古来の神祇信仰の元でも人には霊や魂があると信じられ、その霊魂を祀ることが行われていたが、それは祖霊と呼ばれる家や共同体に紐づいたすでに個性を失ったものであり、特定の個人の霊というかたちで出現するものではなかったと考えられている。

しかし、八世紀半ばごろには、特に王権中枢部など貴族の間で権力闘争の末に非業の最期を遂げたものたちの霊が怨みを持って現れるという観念が登場し始めていた。例えば神亀六年(729年)に謀反の疑いをかけられ服毒自殺した長屋王や、天平十二年(740年)時の権力者橘諸兄に対して反乱を起こして誅せられた藤原広嗣が怨霊としてあらわれ疫病や関係者の死に関わっているのではないかという噂がささやかれるようになっていた。

この傾向は九世紀に入ると一気に広がり、貴族から一般庶民まで、社会底辺を含む広範囲の人々によって、政争敗死者たちが怨霊として世の中に災いをもたらすため、その怨霊を祀ろうという動きが出てくるようになる。それが御霊会と呼ばれる神仏習合的なイベントである。

■拡大する御霊会

御霊会とは、当時怨霊とされた政争の末に死した六人の人物(早良親王、伊予親王、藤原吉子、藤原仲成、橘逸勢、文室宮田麻呂)の怨みを残した霊魂が疫病や天災、死者数の増加などの原因であるとして、その怨みを鎮めるために行われる密教的な内容の法会であり、九世紀以降京・畿内から始まって全国各地で自然発生的に頻発するようになっていた。この法会の際、怨霊のことを敬意を込めて御霊と呼んだことから御霊会と呼ばれている。

御霊会は怨霊をシンボルとして政情不安や疫病などの原因を、彼らを怨霊化させた権力者の責任として反権力的な運動として広がっていったものであり、王権支配に対する不満が怨霊を通して組織化されていったものと捉えられている。これは敗死した者たちの一族やその傘下にあった貴族たち、さらに彼らに共鳴する没落貴族たちを根源としつつ、密教僧たちが密教の呪術的観念と結びつけて広く底辺にいる人たちの社会への不満と呼応させて社会運動化したものだった。

御霊会の広がりに対して、朝廷は、御霊会は表向き天災回避を建前としていたので強制的な介入は出来なかったため、朝廷主催の御霊会を開催したり、反権力的な神仏習合神だった八幡神を守護神に祀り上げるなど率先して怨霊の怒りを鎮めようとするが、御霊会は静まること無く各地で盛んに開かれるようになっていた。

そのような反権力的な雰囲気がくすぶり続ける中で最強の怨霊菅原道真が登場することになる。

■猛威を振るう菅原道真の怨霊

菅原道真は宇多天皇に重用されて昇進し、醍醐天皇の下で右大臣にまで昇進を遂げるが、左大臣藤原時平によって太宰府へと左遷され、延喜三年(903年)に死した人物だが、その死後すぐに様々な天変地異は彼の祟りのせいだということがまことしやかに囁かれるようになる。

早くも延喜五年(905年)には道真の仏教の師にあたる天台密教僧尊意の元に道真の霊が現れ、左遷の怨みを晴らすために復讐をすると宣言。延喜八年(908年)、道真配流首謀者の一人藤原菅根が病死すると道真の怨霊のせいだという噂が広がり、翌、延喜九9年(908年)には藤原時平が陰陽師の祈祷の甲斐もなく39歳の若さで病没。

その後も様々な天変地異や疫病と結びつけられながらついに道真の怨霊は「密教究極の仏大日如来の化身である帝釈天の弟子観自在天神にあたり、龍や雷を操って危害を加える神」とされるようになり、延長元年(923年)には醍醐天皇の皇太子で、藤原時平の娘を妃にしていた保明親王が21歳で病死、続いてその子慶頼王が皇太子となるが二年後に5歳で死去、そして、延長八年(930年)6月26日、天皇の御所である清涼殿の落雷は、火災を巻き起こしてやはり藤原時平の下で道真配流に関わったとされる大納言藤原清貫他要人数名を死傷させた。さらにこの惨状によって体調を崩した醍醐天皇も三ヶ月後の9月29日、崩御する。

もちろん、醍醐帝を始めとする人々の死は怨霊の仕業ではない。しかし、これらの偶然の出来事はすべて道真の怨霊という一つながりの物語として人々の間で広がり、菅原道真は最強の怨霊としてその名を轟かすことになる。そしてこれは怨霊信仰の極みとしての意味を持っていく。

「神仏習合」(P107)
理不尽な処置で人を死に追いやれば、その霊魂はその罪を犯した人すべてに報復を加え、ついには最高責任者たる帝王をも殺してもいたしかたないという認識が、当時の日本社会を覆っていたことは確実である。御霊信仰にはじまる怨霊の怨みは、御霊会という法会と祭祀でうさばらしをするという限度を超えていた。直接加害者に死の報復を与え、王権の頂点に立つ帝王そのものを死に追いやるという、極限的な反逆活動を展開するところにまで到達してしまったのである。


怨霊信仰は神仏習合の一形態だが、社会運動としての広がりがエスカレートして、王権を揺るがす論理として当時の人々の間に共通の認識が形成されていった。

怨霊信仰が盛んになる中で重用されはじめるのが陰陽師と呼ばれる人々である。陰陽道は中国の陰陽五行説が仏教や儒教の伝来とともに日本に伝わり民間の神祇信仰や道教、密教などと習合しつつ天文や暦を観察する学問・占術として日本で発達した儀礼・呪術体系で、七世紀ごろには民間で陰陽師が活動を始め、律令制の下で陰陽寮が設置され、怨霊信仰が盛んになる九世紀から十世紀にかけて陰陽道として確立していく。天変地異や災難、出産、病気などの際には陰陽師が加持祈祷を行い、また怨霊を祓う、怨敵を呪詛するなどの儀式のために陰陽道の行法が発展していった。陰陽道は後に暦や方角、吉凶などを占う民間信仰として浸透していくことになる。

このように都では道真の怨霊が猛威を振るい、御霊会が燎原の火の如く全国に広がっていく中で、ついに関東で反乱の火の手が上がる。平将門の乱である。

■平将門の反乱を支える御霊信仰の論理

承平五年(935年)、叔父の平国香を殺した平将門はそのまま朝廷に反旗を翻し、天慶元年(938年)、藤原玄明らとともに、武蔵国府、常陸国府を次々と攻撃して関東一帯を制圧。翌天慶二年(939年)、上野国府に入城して新皇即位を宣言する。

この平将門が新皇に即位する時に行われた儀式に菅原道真が登場する。

「神仏習合」(P111)
九三九年十二月、上野国府を占領し、そこで四門の陣を固め、諸国の除目(引用者注:除目=諸官の任命)を行ったとき、八幡大菩薩の使と称する巫女が現れて"八幡の持つ帝位を蔭子平将門に授けよう"と八幡の言葉を口走り、そこに菅原道真の霊魂が出現して、帝位授与の位記(引用者注:位記=辞令)を記して将門に与えたのであった。これによって将門は帝位に即き、みずから新皇の号を称するにいたる。


八幡神もそもそもは王権に反逆する九州地方の独立勢力の神仏習合神であったものが、王権の守護神として祀られたもので、応神天皇の霊だとされている。応神天皇の霊である八幡神の神仏習合と化した八幡大菩薩が将門のことを蔭子(子孫)と言い、怨霊菅原道真が帝位授与の辞令を書くという反逆のための大義名分となる儀式であり、この儀式に際して三十二相の音楽(仏のそなえている三十二のすぐれた相を七言の経にして、雅楽の合奏曲に合わせて歌う仏事の音楽)が奏でられ、神仏習合神、怨霊、仏教音楽など神仏習合の典型的な様相がこの儀式に現れていた。

このような当時の日本社会を覆っていた反権力的な意識の発露である怨霊信仰を取り込みながら、将門の乱は新皇即位からわずか二ヶ月後の天慶三年(940年)2月、藤原秀郷、平貞盛らが率いる朝廷軍によって鎮圧される。また、同時期に西国で反乱を起こした藤原純友も翌年捕らえられ獄死する。

この二つの反乱の失敗ののちも、怨霊はしばらくの間猛威を振るうが徐々に沈静化し、怨霊たちは王権の守護神として朝廷に取り込まれて行くことになる。

■王朝国家の確立

ここまで見たような怨霊信仰が実際に武力反乱を巻き起こすまでに激化していく背景には宇多天皇から醍醐天皇、そして醍醐天皇の子朱雀・村上天皇へと至る時期に行われた朝廷の構造改革と密接に関連している。怨霊に呪い殺されてもやむを得ない、というぐらいに損な役回りを伝説では負わせられる醍醐帝だが、じつは、その治世は後世、延喜の治と称せられ、宇多帝の寛平の治、村上帝の天暦の治と並び後の王朝国家の基礎固めを行った善政の時代として知られている。後に後醍醐天皇は延喜天暦の治の時代を範として建武の新政を行った。

1)土地・税制改革
当時、律令体制は私的領主の勃興により徐々に無力化しており、新興勢力の領主たちは自身の土地(私営田)を寺社や大貴族に寄進することで徴税逃れをし、経済力を蓄えるようになっていた。そのため、宇多帝時代以降、朝廷は土地・税制の抜本的改革に乗り出す。

宇多天皇の私営田抑制施策を受け継いだ醍醐天皇は延喜二年(902年)、富豪たちの私営田を貴族・寺院に寄進する認否を国司(地方行政の責任者)の裁量に委ねる太政官符を発令。国司の権限を強化しつつその下の郡司の権限を奪うことで地方行政の再編成を進め、貴族・寺社への寄進認可を最小限にするとともに、私営田化しつつあった土地を順次公領として編成していった。

その際執られたのが負名という制度である。これは「実際に土地を経営する者が国衙に対し納税を約束した田畠の全体に誰々名という名をつけ、毎年その田畠総面積に応じた租税を出しさえすれば、経営の内実は名を負った者の自由に委ねられるという制度」(「神仏習合」P122)で、これにより旧来の幣帛班給制度に変わって実効性のある土地税制が確立した。

2)政治制度改革
御霊会の拡大のところでも触れたように九世紀の始めごろに軍事・検察行政を司る検非違使庁、天皇の秘書的役割を果たす蔵人所が設置され、特に検非違使庁は私的領有の発展とともに領主間の争いの増大に対応して巨大組織化していった。また、領主間の争いの急増によって法で処理出来ない紛争を武力で解決するための集団として武士が登場し、様々な紛争を経てその地位が強化されていく。

宇多天皇は史上始めて関白という天皇の政務を補佐する役職を設置し、藤原基経(藤原時平の父)を任命。さらに蔵人所式を編纂し、天皇を警護する滝口武者制度を確立。政治の中枢の現実的な組織化を進めた。

この宇多帝から醍醐・朱雀・村上帝の時期に天皇とそれを補佐する関白・摂政、政務の秘書としての蔵人所とそれを補佐する有能な官僚からなる殿上人、軍事・検察の検非違使、警護の滝口武者などが政治の核となり、その下に中央官制と地方行政が連なる体制が確立され、王朝国家の基礎が築かれていく。

■怨霊信仰の社会的背景

上記のような国政改革と社会変動の大きな流れの中で、中央では蔵人所、検非違使庁を中心とする新体制から旧来の豪族たち―藤原氏に実権を奪われる忌部氏、検非違使台頭により軍事の実権を奪われる大伴・物部氏、蔵人所設置によって閑職に追いやられる橘氏など―が次々と失脚していった。また、失脚していく名族の下についていた無数の人々もまた没落の憂き目にあっていた。

地方でも私的領有を基盤とする新体制へと変わりゆく中で、一部の富裕層とは別に私領を確保出来なかった多くの没落者たちや、大貴族・寺社の傘に入れず私営田経営に失敗した者たち、さらに私営田経営に乗り出していても、新制度によって自らの土地を公領に編成されてしまう恐れが常につきまとっていた。

彼らの不満や怨み、恐れが怨霊を生み出し、神仏習合初期から神宮寺建立などを通して彼ら旧勢力と密接に繋がっていた密教僧が、庶民の間にあった神祇信仰の災禍観念と密教の贖罪・報復の観念とを結びつけていくことで、変革期の社会不安に乗って一気に拡大したのが怨霊信仰の実態であったようだ。

そして、平将門の乱はそのような崩れゆく律令国家と新たに作られようとする王朝国家の転換期に拡大する反王権の雰囲気の中で起きた武力反乱であったが、戦略・戦術的な失敗もあったとはいえ、まさに現王権に変わる新しい体制を提示出来なかったために一時的な武力反乱に留まり敗れていった。

■怨霊信仰のその後

平将門・藤原純友の乱鎮圧後も菅原道真の怨霊は引き続き人々の間で囁かれるものの、当初は天皇を呪い殺すほどであったものが、天慶九年(946年)に北野社が建立されて以降は、官位や社殿をねだるなど要求が俗化していき、徐々に王権へと接近し、十世紀末には無力化していくことになる。

道真に変わって新たな怨霊として登場したのが牛頭天王だが、朝廷は積極的に朝廷主催の御霊会を開催し、民間にも開放。怨霊信仰はガス抜き的なカーニバルに転化していくことになる。

結局、新体制が確立していくことで、密教寺社勢力にしろ、武士勢力にしろ王朝国家が打倒出来ないことを知り王権に逆らうのではなく王権の中に食い込んで徐々に力を蓄えていくという方向に方向転換していった。武士は中央や地方で武官の地位を確保し、領主間の紛争解決を図ることで社会的地位を高め、密教勢力は王権擁護を全面に押し出すことで勢力のさらなる拡大をはかって行った。

このようにして怨霊信仰を取り込み、転換期を乗り越えて完成された王朝国家の下で平安文化が花開いていく。

しかし、この神仏習合の過程で生まれた怨霊信仰は王権を掣肘する論理を生み、武士階級の登場を招き、この後千年以上も続く戦乱と二重権力の萌芽となっていくのであった。そして、怨霊信仰の先に生まれた王朝国家の下で神仏習合を背景としてその後の日本社会に大きな影響を与え続けるケガレ忌避観念が生まれ、そして本地垂迹説の登場と中世日本紀に代表される新しい神祇信仰=神道が作り上げられていき神仏習合は一定の終結を迎えることになる。

(つづく)

参考サイト
御霊信仰 - Wikipedia / 御霊会 - Wikipedia / 祖霊 - Wikipedia / 寛平の治 - Wikipedia / 延喜・天暦の治 - Wikipedia / 陰陽道 - Wikipedia / 関白 - Wikipedia / 平将門 - Wikipedia

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糸井重里氏が語る、個々の欲望を左右する「欲望の増幅装置」

前回のエントリーで紹介した糸井重里さんのインタビュー(→「糸井重里氏、エロ画像収集について熱く深く語る」)の続きがまた面白いので紹介します。前回エロ画像収集から自身の欲望のありかを追究していくというお話でしたが、それに続けて人間の欲望が個人的な何かに根ざしたものだけではなく社会的な影響もあって、欲望は抗えない大きなものだと思い込みすぎているんじゃないか?ということから以下のようなことをおっしゃっています。

考える人 2009年 11月号 [雑誌]」(P27)

大きな流れというか、大きく見えるものって、増幅する人たちがいるから大きくなるんですよ、たぶん。エコだって、誰も増幅しなければ、小さな考え方のままだったかもしれない。ところが増幅に増幅が重ねられていくうちに、「エコは人間の義務である」ぐらいまでなってきて、そのうちに「自分が生まれてきたのはエコのためだ」って言いたくなってくる(笑)。いや「エコ」じゃなくてもいいんです。「エコ」のかわりに「戦争」を入れてもいいし、「お金」でも「性」でもいいわけですけれど。

なんか大きすぎて見えなくなるぐらいに感じはじめると、正面から見ることを恐れてしまうというか、もう目を凝らして考えるのは難しいと思い込んでしまって、考えるのをやめてしまうんですね。世の中の大きな流れってそういうものなんじゃないか。大きな流れがどうしてできてしまうかといえば、それはもう増幅装置が犯人だって、ぼくは思うんですね。

前回のあの内容から、このように市場経済の構造に到達してしまうところが興味深いです。まさに性欲など根源的な欲望も含めた幅広い欲望=需要を喚起し増幅させることで今の社会は成り立っていますから、その欲望を喚起され続ける「大きな流れ」が自身の欲望にいかに影響しているか、というのはやはり一歩引いて観察していかないといけないなぁと日ごろから感じています。

そして個々人の欲望はそういう増幅装置が無ければ元々そんなに大きく無く、欲望を抑えきれなくなる瞬間があっても平静へと戻れる振れ幅があるものではないかと言っています。

考える人 2009年 11月号 [雑誌]」(P27)

欲望っていうのは、本来はそれぐらいの振れ幅のあるものかもしれない。ところが、強い欲望の幻想を信じこんでしまうと、しかも「みんなはいいことしてるぞ」みたいな小さな声がいつもどこかから聞こえてくるような日本にいると、「お金」とか「性」とかがすべてを動かすんだ、みたいな気分になってしまう。

また、これに続けて「草食系」などと言った最近の若い層の傾向についてもこう言っています。

考える人 2009年 11月号 [雑誌]」(P27)

昔だったらもっとぎらぎらしていたのが、淡々としているでしょう。その清潔感を、今の若い子たちのポテンシャルが落ちているせいだって世の中は整理したがるんだけど、そんなことはないんじゃないかな。時代とか場所の持っているエネルギーに強く影響されているか、それほど影響されてないか、という問題にすぎないかもしれない。「草食系」だなんて簡単に片づけてしまわないほうがいい、とぼくは思いますね。

ここも、的確に捉えているんじゃないかと思いました。僕はこれまで「増幅装置」が欲求を露骨に煽りすぎてきたことに対するカウンター的な傾向と、あと若い人たちの生活空間の縮小やアイデンティティへのこだわりの低下というのが大きいのではないだろうかと思っています。欲望がすなわち消費だったのが徐々に分離して消費しない欲望という傾向が強まっているのかもしれないですね。

ただこれからは徐々にそういう「無欲という欲望」を喚起し増幅させていく「大きな流れ」が形成されていくんだろうなとも思います。欲望の形は変わりつつもなんらかの形で増幅させていくことで、需要を喚起する、というのは不変だろうと思いますので。

そういえば、大乗仏教の概念の一つに煩悩即菩提ってあるじゃないですか。煩悩(欲)があるから苦しみがあり苦しみがあるから菩提(悟り)を求めようとする心が生まれ、菩提(悟り)があるから欲を見つめることができる、というなかなか含蓄のあるものですが、自身の欲望のありかを把握するというのはそういう仏教思想的なところとも相通じるものはあるかもしれないですね。

欲望は増幅されるのが当然の社会ですので、別に禁欲的になる必要は無いと思いますが、自身の「欲望のありか」には敏感でありたいですねぇ。少なくとも、どんな欲望を「増幅装置」は喚起しようとしているのか、湧き上がる自分の欲求は何か、を観察するように心がけていくのが大事だなぁと思います。

欲望のありかをどのように捉えるかと個人の欲望に対する欲望増幅装置という社会的環境もあるということを糸井さんなりの視点で考察していて、それが結構ダイレクトに本質的なところに到達していて面白かったです。まだまだこれインタビューの前半部分で、このあとほぼ日についてなど幅広く展開して色々興味深い内容でしたねー。また他の人のインタビューもなかなか読み応えあるの多くておすすめです。



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謙譲語と片仮名と国家戦略としての日本語

国家生き残り戦略としての日本語リストラ - Tech Mom from Silicon Valley

海部さんのこの記事、議論の題材としてとても面白いですね。日本語の経過と現状についてはぼくもよく理解していなかったので自分の勉強用として簡単にまとめてみます。

1)謙譲語など敬語の使い方が複雑なわけ

日本社会は身分や地位の上下、ウチとソト、長幼の序を殊更に気にする社会ですし、またそのような分をわきまえた言葉遣いを重視しますね。それが敬語(文化審議会では尊敬語、謙譲語、丁重語、丁寧語、美化語の五分類)として使い分けられているわけですが、敬語によって常に関係性を確認しながら話をする必要があるということでしょうね。

その謙譲語(と丁重語)の使い方が複雑なのは、日本人の自我のありかと大きく関係しているからでしょう。

以前紹介した本「法律より怖い「会社の掟」―不祥事が続く5つの理由」で日本語の特徴として

(1)主語人称代名詞は無くても良い
(2)敬語、尊称が広く一般に使用される
(3)肯定、否定は最後に示される
(4)表現しないというコミュニケーションが成立する

という四つが挙げられ、それに続いて、例えば敬語が存在する言語として日本語の他に朝鮮語がありますが、朝鮮語と日本語の敬語の違いについて以下のような例があげられていました。

「法律より怖い「会社の掟」―不祥事が続く5つの理由」(P41-42)
朝鮮語では第三者に向かって、自分の「おとう様は、明日出発なさるとおっしゃいました」と言っても正しい表現とされる。第三者が加わっても目上・目下の関係は変化せず、自分の目上にはつねに尊称と尊敬語が用いられる絶対敬語表現であるのに対して、日本語では第三者に対して、身内の者については「参る」「申す」のような権譲歩を使用する相対敬語表現となる。

これから見ると、日本人の自我は対人関係を基礎としており、さらに相対的であり状況に対応して変化するということになる。自分の自我は相手によって支えられているのだから、関係を切らないように努め、できるだけ摩擦を避けようとする。これが思いやりとか、互譲の精神とかいわれるものを生み出す。反面、「あの時、きちんと断っておけばよかった」とか、「もっとはっきり主張すべきだった」という後悔を、人生で一度も経験したことのない日本人は少ないだろう。

法律より怖い「会社の掟」―不祥事が続く5つの理由 (講談社現代新書 1939)
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1 もっと批判的にならなければ
5 日本人的「イエ」つながりが法遵守概念の希薄化を生む
5 品質は経営のトップによって決まります。

また、金田一春彦先生が「日本語〈上〉」で書いておられましたが、日本語には物のやりとりに関する言葉が非常に多く、日本人が贈答を重視していることがよくわかるそうです。しかし、その物のやりとりについても面白い特徴があります。


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3 守るべき日本語
1 自国語礼賛
5 全てのことばに興味ある人のために
5 日本語を学ぶ
3 発見と不満

「日本語〈上〉」(P239-240)

つまり、自分のところから物が行くのと、ほかの人どうしがやりとりしたのとは、区別をしないのである。他人から来たものだけを「下さった」「くれた」といって区別する。これはおもしろいことで、これについてベネディクト(引用者注:ルース・ベネディクト)がうまい説明をしている。日本人は、人から物をもらいと何とかして返さなければいけないと思って、苦しむ人間だから、と言うのである。つまり「恩」の精神が日本人の行動を規定し、日本語の上に働いているのである。

(中略)

要するに他人に物をもらうと、たいへん日本人は苦しむのである。このことから、日本人は他人に物が簡単にあげられないことになる。「これをあなたにあげたなら、あなたはお返ししなければいけないと思うだろう」と思うのである。それをやわらげるためには、他人に物を贈る場合に、日本人らしい挨拶が生まれる。たとえば「まことにつまらないものですが」というような。

つまり、上で書いたように日本社会には地位や立場の上下、年齢の長幼、ウチとソトの区別などの格差があり、また物を贈られる=恩を受けるというのはそこに上下関係を生じさせるため、敢えてその状況を回避するため、自身をへりくだらせる必要があるということですね。

そして、その格差を踏まえつつ、欧米のような神との関係によって成立する個人というような「絶対的主体」ではなく、その時々や自ら置かれた状況によって変化する「関係的主体」に自我があるような振る舞いと言動が求められるわけですね。

近年、「個人」という存在が重視されてくるようになってきたこともあって、徐々に関係性の平等化が進み、日常生活においては、敬語は主に丁寧語が中心となっている印象を受けていますが、他方、仕事上の関係においては、尊敬語、謙譲語、丁寧語の使い分けが重視される傾向は、現在でもとても強いのではないでしょうか。

自社と他社、自社と取引先、部下と上司との会話、自社の上司について取引先と話題にするときなど「常識」として敬語の使い分けが重視されますし、ある程度、自然にその使い分けを行っているでしょう。

おそらく日常会話では謙譲語を使う場面は少なくなってきていると思いますが、決定的に謙譲語が少なくなるのは、我々の働き方が大きく変化することによるのではないでしょうか。現状、会社に関する関係性の中に上下関係、長幼の序、ウチ(自社、自部署など)とソト(他社、他部署)の区別や格差が擬似的に存在している訳ですし。

ですので、日本社会の現状や日本人の自我のあり方、関係性のあり方をどのように変えるか。その結果として謙譲語が不要になっていく状況をいかにして作るかという、大きな問題になるのではないかと思います。おそらくただ廃止をしただけでは言語と社会の二重構造が生まれるだけでしょうね。二重構造を作るのは日本人は得意ですから。

2)片仮名表記の洋語の歴史

国家生き残り戦略としての日本語リストラ - Tech Mom from Silicon Valley
「かつてカタカナは、漢文を読み下すのに使われていた文字で、男・権威のある人が使うカナであったのに対し、ひらがなは女子供の文字だった」

というのは、これは少々違うのではないか?と思います。元の水村さんの本は読んでいないのでどのような趣旨かわかりませんが、片仮名の成立については最初は確かに仏典を読み下すときの送り仮名として使われたのが始まりですが、その広がり方は「男・権威のある人が使う」という訳ではありません。

網野善彦先生の「日本の歴史を読みなおす」によると、仮名まじりの文書は十世紀ごろからみられるようになり、十三世紀後半時点で文書の20%、十五世紀には60〜70%が仮名まじりとなるそうです。しかし、片仮名まじりの文書は現存資料の1%〜2%程度でほぼ平仮名まじりの文書で占められていたとのことです。


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5 日本史の別の見方のために
5 日本の歴史をよみなおす
5 日本史の固定観念をよみかえる
5 目から鱗の歴史講義
4 面白く思索の糧になるが、批判的に読むことも必要


「日本の歴史をよみなおす (全)」(P26)

それでは、このような少数派の片仮名は、どういう用途で文書に使われているかということですが、基本的には、口頭で語られることばを表現する場合に使われていたといえます。

当時、口頭で語られる言葉を文書にする必要があるときというのはまず神仏に何かを誓ったり、願う場合が多かった。裁判での発言を記録するときも漢字と片仮名まじりの文書を作成した。他に、民衆が何かを訴える申し状も片仮名で書かれていた。また、意外かもしれませんがその日に起こった出来事を記した「日記」も多くは片仮名で書かれていた。ほか、地名や道具名、人の名前などを聞き取りながら書くときに片仮名が使われていたとのこと。

逆に平仮名の用途は広く、まず女性の文字として始まり、男性が取り込む形で普及していったと言います。鎌倉幕府までは裁判の記録等公文書は漢字のみで記述されていましたが、男性が使い始めたのはまず財産を譲るときの譲状など私的な文書でした。その私的な文書から始まって地頭などの地方役人が発行する公文書に平仮名まじり文書が登場。逆に地方役人から京都、鎌倉に送る報告書等が平仮名まじりで書かれます。

十四〜十五世紀にかけて平仮名まじりで公文書が発行されるようになると庶民の間にも平仮名が普及。網野先生によると身分を問わず漢字+平仮名が普及していき、その識字率の高さを前提として江戸幕府も国家体制を築いたといいます。江戸幕府は徹底した文書主義を築き、お上の指示に従い、村々は様々な文書を作成し提出させられていた。

ですので、少なくとも明治までは権威を背景として普及していたのは片仮名ではなく平仮名の方でしょうね。

片仮名が公文書に使われるようになったのは明治からです。法律と軍隊用語に片仮名が使われるようになり、初等教育でも片仮名が最初に教えられるようになります。

網野先生は「なぜ軍隊と法律に片仮名が使われたのか。これはまだ解決されていない問題だと思いますが、多分に明治国家の本質にもふれる問題がそこにあると予想されます」と問題提起しておられますが、やはり天皇制でしょうか。それまで、主に神仏に関わることに使われていた片仮名と、現人神としての天皇、という二つの要素が混ざり合った体制は確かに明治国家の本質に繋がることだろうと思います。

さて、問題となっている片仮名を使った洋語ですが、前掲の金田一春彦先生の「日本語 新版(上)」によると、日常語に洋語が占める割合を主要新聞三誌の一年間の登場頻度を調査した結果、昭和三十一年の調査では異なり語数は和語36.7%、漢語47.5%、洋語9.8%、混種語6.0%、また昭和四十一年度は和語38.8%、漢語44.3%、洋語12.0%、混種語4.8%だったとのことです。

特に明治以降に多く入ってきて、第二次大戦後に爆発的に増えた洋語ですが、何故外国語を片仮名で表記したのか、については僕は片仮名が口頭で語られる言葉を記述する際に使われたという特性があって、耳で聞いた発音をそのまま片仮名で書いただけということなんじゃないのかなぁ、と思うのですがどうなのでしょうね。詳しい方ご教示いただければ幸いです。

金田一先生によると洋語の流入によって様々な影響がありました。

「日本語〈上〉」(P63)

このような洋語が多く入って来たのは、明治以降であるが、その結果、ティ・ディ・トゥ・ドゥ・ウィ・ウェ・ファ・フィ・・・のような音のつく単語を日本語の中に作った。が、考えてみると、これらはいずれも過去の日本語にあったもの、一度、滅びたものを復活させたものばかりである。

他に文法面でも「彼女」という代名詞や「・・・に対して」「より大きい」「上りつつある」などの表現、無生物を主語とする受動態が用いられるようになったといいます。

洋語の特徴は金田一先生によると以下の三つ
・母音は日本語にある五つのうちの一つに組み入れられ
・文法面で単数・複数の区別が失われ
・語彙面でも本来の意味から変化していることが多い

また、日本語は漢字を組み合わせて新しい語を作る特徴がありますが、洋語についても洋語同士を組み合わせて新しい洋語を作ったり(サラリー・マン、コスト・ダウン、プレイ・ボールなど)、洋語と和語または漢語を組み合わせて複合語を作ったり(花形スター、シャンソン歌手など)しています。

さらに同じような意味を持つ和語・漢語・洋語を比べると洋語が最も高い程度のものを指す傾向があるといいます。これは言われてみると確かにそうかもしれません。同書の例でいうと、やどや―旅館―ホテル、思いつき―着想―アイディアなど。

洋語というのは実は外国語ではなく外国語を基にして日本語の語彙として拡張したものである訳ですね。確かにこれは、特に英語圏の外国人にとって混乱を生じさせるし、日本人にとってもその語の意味するところを捉えにくくさせています。

一方で、個人的には面白いなとも思うんですよね。以前は片仮名語は無くそうよ、と思っていたんですが最近はこの拡張性こそが、日本語らしさを表しているなとも思います。行き過ぎた洋語は気持ち悪い反面、何故生まれたのだろう?そして何故使われているのだろう?という興味が沸いてきますね。おそらく洋語はこのまま放置をしておくと、日本語内で漢語に近い割合を占めていくのかもしれませんね。学術用語でも使われることが多いようですし、日本語の語彙の割合は和語、漢語、洋語で三等分されていくのかも。

このように外国語を片仮名を使って言い換え、日本語に組み入れる行為をどのようにして制限するか、片仮名の使い方をどうするか、というのも、敬語と同様に日本社会と日本語の本質的な変革と繋がっているように思います。片仮名を廃止するならば、日本語の新しい語彙の作りやすさという特徴をどう制限するか。また、曖昧な意味の語彙の氾濫を許容するか、という日本語の特徴に関する問題と、片仮名の歴史に関わる問題、特に近代天皇制の総括とも直面するのでしょう。

3)国家戦略としての日本語?
日本語はそもそも中国語の多大な影響を受け続けてきた経緯を考えると、果たして両言語が対立するお話なのでしょうか?国家戦略としての日本語、というのは僕にはよくわからないところではありますが、日本という領土下での言語政策という意味での国家戦略で考えると、日本語圏での言語多様性をどのように維持し、保護していくか?ということになるのではないかと思います。

金田一先生も日本語の方言の違いは極めて大きいと言っていますが、ここでは崎谷満氏の「DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?」より日本語の三つの分類を引用。


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・アイヌ語
 1)北海道東部アイヌ語
 2)北海道中部北部アイヌ語
 3)北海道南西部アイヌ語

・日本語
 1)九州語:西九州語、南九州語、北東部九州語
 2)西部日本語:山陽山陰語、四国語、関西語、出雲語、北陸語、中京語
 3)東部日本語:東海東山語、関東語、八丈島語、東北語

・琉球語
 1)北琉球語
 2)南琉球語

日本語と琉球語は同系統の言語族ですがアイヌ語については別系統の言語族であり、日本語内でも九州語、西部日本語、東部日本語はそれぞれ差異が大きいと言います。

明治期に東部日本語の関東語下の江戸方言を基準とした標準語を作り、全国へ浸透させることが実に上手く行きました。結果、日本中で標準語が通じるようになっているわけです。

その一方で標準語を浸透させる過程で例えば方言札(方言を話すと首から掛けられる)など方言禁止政策が進められてきたという歴史があります。例えばアイヌ語話者の少なさは世界的にも問題となっています。

また、崎谷氏の同著によると

「DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?」(P153)

日本列島中間部の地域言語は、言語学的観点からは言語体系が異なる別言語としてみなされるものが数多く認められる。しかし、科学的な方法論である一次データに基いた体系化(帰納法的方法)による、地域言語の十分な記載がなされたことはなかった。

として、日本語の各方言の調査研究が進んでいない現状があると指摘しています。もしかしたら、方言と思われていたものが独立した言語である可能性もあると。

まとめると、国家戦略(というのはおこがましいかもしれませんが)としての日本語として考えるならば、以下の四点になるのではないかと思います。

(1)外国人にも日本語を習得しやすい環境の整備
(2)(1)も踏まえつつ江戸方言を基準とした標準語の見直し
(3)日本語圏の言語体系の調査研究と体系化
(4)日本国内の言語多様性の保護と維持

多様性を担保しつつ、英語圏や諸外国の言語との連携を模索し、日本社会の変化を促す新たな公用語を整備して行くというのがこれからの方向性なのかなと思います。

以上、この記事は(引用部分・書名を除いて)洋語を使わずにお送りしてみました。

参考サイト
敬語 - Wikipedia
文化審議会「敬語の指針(答申)」について
片仮名 - Wikipedia
方言札 - Wikipedia

関連エントリー
日本列島は多数の言語が入り混じる多言語地域です
「DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?」崎谷 満 著
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「法律より怖い「会社の掟」―不祥事が続く5つの理由」稲垣 重雄 著
日子という女性名が無い理由を外国人に説明できない?



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日本の『クソ労働環境』成立の歴史的背景と諸悪の根源

人類史上何度も起きた、クソ労働環境の劇的な改善の原因 - 分裂勘違い君劇場

ふろむだ先生のエントリーには乗っかるのがブロガーの務め(笑)かどうかは知りませんがとりあえず乗っかっておきます。基本的にふろむださんが書いておられるような経済成長と雇用創出が『クソ労働環境』改善の有効な処方箋という趣旨には異論ないところではありますが、少しこの『クソ労働環境』の構造について簡単にまとめておこうかなと思います。

まぁ、『クソ労働環境』という言い方はあまり好みではないんですけど、まぁセンセーショナルだし通りが良さそうなので一応・・・

■第二次大戦後の劇的労働環境改善

世界の歴史上最も劇的に『クソ労働環境』が変わったのはやはり第二次世界大戦後の経済成長期でしょう。教科書的なおさらいをしておくと、18世紀の市民革命によって契約自由の原則に基づいた雇用契約という概念が生まれますが、いくら個人の自由な意思に基づいてという建前であっても、個人は労働力を提供しないと生活出来ないので労働契約は実質雇用者側の一方的な契約となり、奴隷的な労働が横行。日本でも炭鉱労働とか女工哀史とかで有名な休憩なし一日十数時間連続労働でなけなしの給料もピンハネされ女子供から次々と死んでいくという悲惨なエピソードにこと欠かない時代のことです。

しかし、さすがにそれは過酷だよねということで欧州を中心に労働者を集団的に保護する趣旨で労働法が次々成立。団結権とか集団的交渉権などはいずれも19世紀末から20世紀初頭に成立していきました。とは言えこれで劇的に改善したという訳ではなく、第二次世界大戦後の経済成長期を待たなければなりませんでした。

戦後圧倒的な生産力を持っていた米国のドルを金と並ぶ基軸通貨とするブレトンウッズ体制下で西側諸国は劇的な経済成長を達成。その背景にはケインズが提唱した政府による積極的な市場介入と完全雇用の達成により国民の購買力を引き上げる経済政策が大きく影響しました。

で、何が当時の『クソ労働環境』の劇的な改善につながったかというと、水町先生の「労働法 第2版」から。

労働法 第2版」(P19)
労働法や社会保障法などによる社会的保護の充実(賃金の引上げ、社会保障の充実など)によって国民の購買力が引き上げられると、消費が拡大し投資が刺激されて総需要の拡大や生産性の上昇(経済成長)につながる。この経済成長の成果が社会的保護の充実という形で再び労働者に分配・還元され、さらなる消費拡大・経済成長がもたらされる。

このように戦後の経済成長期には、労働法や社会保障法などによる社会的保護と経済成長とが有機的に結びつく形で国の社会と経済が発展していくという「黄金の循環」が、先進諸国の間にある程度共通する現象としてみられたのである。

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さらに詳しくは以前書いた記事を→15分でわかる労働法の歴史

■諸悪の根源、日本特有の雇用契約

日本でも当然労働基準法(1947年成立)など労働法関連法が急ピッチで整備され、たとえば強制労働の禁止(労働基準法第五条)中間搾取の排除(同第六条)など旧弊が次々と禁止されるとともに、労働組合法(1945年成立49年大幅改正)、労働者災害補償保険法、職業安定法(1947年成立)等が続々成立して『クソ労働環境』は劇的に改善しました。

しかし、カローシ(過労死)が世界的に知られるなど日本の労働環境は諸外国と比べるとかなりよろしくない。その原因はこの輝ける『黄金の循環』期(=高度経済成長期)にありました。

結論から言うと諸悪の根源は、日本特有の雇用契約にあります。

おなじみhamachanこと濱口桂一郎氏の著書「新しい労働社会―雇用システムの再構築へ」でも指摘されていることですが、海外の雇用契約は職務(ジョブ)を単位として締結されるのに対し、日本のそれは会社の中にある職務(ジョブ)を切り出さずに、会社に所属することそのものを雇用契約にするのが特徴となっています。これを濱口氏はメンバーシップ型雇用契約と呼んでいます。



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職務を限定せず会社に所属することそのものを雇用契約とするそのやり方は社内で不足した職務があれば即座に配置しOJTによって教育、戦力化できるため、終身雇用制度下で実に有効に作用しました。高度経済成長下では企業は次々と親子会社が出来、いわゆる系列間での異動、出向も出来るようになり外部の労働市場に頼らずとも内部に労働市場を作りあげました。いわゆる日本型雇用システムというのがそれです。

■ムラ社会化を加速させる日本型雇用システム

折りしも日本の高度経済成長期は地方の村々が解体され少数の大都市圏へと大規模な人口移動が起きた時期でもあります。旧来の地域、家族のコミュニティが解体され、人々のよりどころとなる共同体は会社がその役割を担うことになります。職務だけで一時的につながる関係ではなく、メンバーとしてその労働者そのものが会社に所属し、しかも終身雇用する訳ですから、より濃密な関係となるのはあきらかでした。

コミュニティという視点で言うならば、会社は生産のコミュニティ、家族は生活のコミュニティと言えます。この二つはベクトルでいうと正反対に位置するものですが、高度経済成長期は生活のコミュニティは地方からの上京組や核家族という最小化されたものとなり、逆に会社は一日のほとんどを費やすことになり極大化されていきました。このいびつな関係を結びつけたのが「奇跡的な経済成長」という接着剤で、ほかのあらゆるコミュニティを最低限のものとして会社の生産活動に人生を捧げていれば、結果として収入は数倍になり人生最後まで面倒を見てくれたのです。高度経済成長期には社葬はもちろん会社専用墓地などそれこそ死後も面倒をみてくれた会社も多くあったといいます(→日本の多くの会社で宗教行為が行われていたのは何故か?)。そのころの名残か、労災で死亡した人の葬儀代や埋葬の費用に関する給付は会社が受け取り人になることも出来ますしね。

千葉大学の法経済学教授広井良典氏は著書「コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来」で高度経済成長期の様子をこう表現しました。

「コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来」(P16)
戦後の日本社会とは"農村から都市への人口大移動"の歴史といえるが、農村から都市に移った人々は、カイシャと核家族という"都市の中の農村(ムラ社会)"を作っていったといえる。


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さて、雇用契約は労働者が労務を提供し、使用者が賃金を支払うことで成立する・・・はずですが、その雇用契約に付随して使用者には企業秩序定立権、懲戒権、あるいは人事権など様々な権利が発生し労働者はそれに従う義務が生まれます。この労務と賃金の関係に付随して使用者に発生する各種権利の理論的根拠は実は定まっていないらしく、使用者であるがゆえに当然発生するとする固有説と労働契約に基づいて発生する契約説とに二分されているのだそうです。使用者に発生する広範な権利は日本の労働契約の実態が「会社という共同体への人的帰属関係との性格が強い」(水町「労働法」P154より)つまり、労働者は使用者の指揮命令に従うことで会社という共同体に所属する権利が与えられるというところにあると言ってよいのではないかと思います。

で、このメンバーシップ型雇用契約は大企業だけじゃなく中小企業でも適用されてるというのが日本全国『クソ労働環境』(って久しぶりに使った気がする)だらけにしている元凶のひとつで、当然、高度経済成長期でも、中小企業は終身雇用、年功賃金、企業別組合の三つを特徴とする日本型雇用システムを取っていたのは大企業だけで、中小企業は労働者を買うにふさわしい待遇を与えられていたかというとそうでは無いようです。逆に解雇規制といいつつも比較的自由に解雇したり、転職したり流動的な状況だったということですね。

■日本の雇用契約と古代ローマの奴隷契約

長々と説明してきましたけど、つまり日本の雇用契約は、奇跡的な時代の名残で、仕事じゃなく労働者そのものを買う制度になっているということですね。超経済成長社会特化型雇用契約モデルというか。そういう意味では民法の雇用契約概念はローマ法の奴隷契約をベースに出来たのは有名な話ですが、その原点にとっても近い由緒正しい形態かもしれない・・・というのはちょっと言いすぎですか。

メンバーシップ型雇用契約にはもちろん利点も一杯あるのですが、残念ながら現状では功より罪の方が強まってきているように思えます。ただ一律に禁止するべきではなく、メンバーシップ型雇用契約が向いている職種も沢山あるので並存した多様性の担保が重要なのだと思います。

・・・経済の黄金時代ははるか昔に終わり、バブルという一瞬の打ち上げ花火が上がった後に残ったのは20年に渡る超長期不況と、会社をムラ社会的コミュニティ化することが出来る独特の雇用契約システム、ムラ社会化し閉鎖空間となっている既存の企業群が打ち捨てられているというのが現状でしょうか。

以上、専門家から見るといろいろアレかもしれないですが、そこは色々ツッコミいただければ嬉しいです。じゃーどうするのがいいだろうか案については実は半分ぐらいは書いたんですが、適切な内容かどうかまだ自信が無いので今回は割愛、ってそこが重要だろという話もあるけど。よく精査してできれば近いうちにアップできればと思いますが、お蔵入りにするかもです。とりあえず近々ということで。

関連エントリー
「新しい労働社会―雇用システムの再構築へ」濱口 桂一郎 著
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日本の多くの会社で宗教行為が行われていたのは何故か?
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今日9月22日はマルセル・マルソーの命日だった

今日9月22日はマルセル・マルソーの命日だった。以前も紹介したけれど、マルセル・マルソーといえばこの動画がとても心に残っている。


YouTube - Marcel Marceau Sketch

笑顔の仮面と悲しみの仮面を交互にかぶっているうちに笑顔の仮面がはずれなくなり笑顔のままで悲嘆に暮れる様子をコミカルに、哀しく演じている。これはもう観たとき突き刺さるものがすごくあって、たまに無性に見たくなる。現代は、肉体労働、頭脳労働から感情労働の時代になっているとも言われることがあるが(マクドナルド化社会とか)、まぁ、そういう小難しい背景は抜きにしても、脱げないペルソナというメタファーは何かしら感じるところが多いのではないだろうか。

最近は笑顔ではなく、怒りあるいは緊張の仮面が脱げなくなった人が多いのかもしれない、と思ったりもするけどね。

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「外なる自己」のつくり方―性格を変える新人間関係論
「ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書 74)」森 真一 著
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麻布狸穴町の狸穴坂

久しぶりに坂道エントリー。坂道といえばタモリさんですが、坂道学史に燦然と輝く名著「タモリのTOKYO坂道美学入門」によると坂道を鑑賞するポイントは以下の四つだといいます。

1)勾配の具合
2)湾曲のしかた
3)まわりに江戸の風情をかもしだすものがある
4)名前に由来、由緒がある

そして、これらを踏まえてタモリさんが絶賛している坂の一つがこの港区麻布狸穴町にある狸穴坂(まみあなざか)です。

登るときは心地よさを感じる程度に軽い息切れを覚え、下る時は微妙に自分が自分の体より半歩後ろにあるような感覚に見舞われるような勾配、流れるようなS字カーブを描くフォルム、江戸の風情をかもし出すものは残念ながらなくなってしまっていますが、すぐ傍の狸穴公園には狸穴稲荷大明神という小さな祠が祀られています。

狸穴坂という名の由来ですが、まみというのは雌タヌキ・ムササビまたはアナグマの類のことで、かつて、この坂下のあたりにその穴があったことからその名がつけられたと言われています。このあたりにタヌキかアナグマかそういう生き物が当たり前のように居たんだなぁと思うととても感慨深いですね。

坂下
狸穴坂

狸穴坂

坂下から少し上り、カーブを描き始めるあたり。右手マンションは工事中でしたが、かつては石垣がありました。左手のお宅は歴史を感じさせます。

狸穴坂

なかなかの傾斜角と流麗なカーブに坂道を登っている実感が感じられてとてもいい。

狸穴坂

坂上にある石碑
狸穴坂

坂上から
狸穴坂

狸穴坂

ほんの15分程度でゆっくりと坂下から坂の上の間を往復することができます。久しぶりに歴史ある坂道に行けたので大満足でした。



関連エントリー
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ドボク・工場萌え必見の「駒沢給水塔見学会」に参加しませんか?

年に一回、毎年10月1日だけ一般公開される「駒沢給水塔見学会」に参加しませんかー?という呼びかけエントリーです。

第一配水塔

駒沢給水塔とは?

大正時代、急激に発展する渋谷町(現在の渋谷区)は当時井戸水が不足しており、その渋谷町へ水道水を供給するための給水塔が大正12年に建設されました。多摩川で取水した水を砧浄水場(現在の砧下浄水所)でろ過したあと駒沢給水塔に送られ、給水塔から渋谷町へと配水していました。その後関東大震災、第二次大戦の戦火をくぐりぬけて渋谷区へと水を送り続け、平成元年に第一ポンプ所が、平成11年に第二ポンプ所が停止となり給水塔の役目を終え、現在は立ち入り禁止となり、震災時に飲料水を供給する貯蔵施設として、静かに年月を送っているという、もう一部の方々にとっては狂おしいほどに愛しい施設です。


駒沢給水塔第一ポンプ所

で、その見学会を毎年ボランティア団体の「駒沢給水塔風景資産保存会」様が開催しており、9月10日に今年の参加者募集の告知が出ていましたので、興味のある方はぜひ。僕も二年ぶりに参加しようと思い、申し込みました。14:50〜の回に参加しようと思いますが、もし参加される方がいらっしゃいましたら、メールTwitterなどで声掛けて頂ければ、当日ご一緒しましょうー。10月1日は平日なので会社勤めの方は難しいとは思いますが・・・

ちなみに2007年の僕の参加レポートはこちら→駒沢給水塔見学会 | Kousyoublog

参加される方は「駒沢給水塔風景資産保存会」様の以下のページからどうぞ。先着順なのでお早めに。
駒沢給水塔風景資産保存会 - イベント案内 | 2009-10-01 (木): 第7回「駒沢給水所構内見学会」開催のご案内

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極私的過小評価され忘れられたSF映画トップ10

過小評価され忘れられたSF映画トップ10 - YAMDAS現更新履歴
1. アンドレイ・タルコフスキー『ストーカー』(asin:B00006RTTS)
2. テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』(asin:B0026O1JI0)
3. アンドリュー・ニコル『ガタカ』(asin:B0022F6LN6)
4. ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ『ロスト・チルドレン』(asin:B00008453O)
5. アレックス・プロヤス『ダークシティ』(asin:B00154QSTM)
6. デヴィッド・クローネンバーグ『イグジステンズ』(asin:B000PJZYSY)
7. デヴィッド・トゥーヒー『ピッチブラック』(asin:B000PJZYSO)
8. カート・ウィマー『リベリオン』(asin:B0000C4GMN)
9. ウォルフガング・ペーターゼン『第5惑星』(asin:B000E42Q0O)
10. マイケル・ウィンターボトム『CODE46』(asin:B000EQIQDI)

この中で見てないのはストーカー、第五惑星、CODE46だけ(ってウィンターボトム好きなのに観てない!)かな。ベスト4までは表ランキングじゃないんかぐらいメジャーな気がするけど・・・。ちなみにこの中でオススメはもちろん!『リベリオン』なんでそこんとこよろしくお願いします。『ピッチブラック』も面白かったですよ。続編リディックは予算掛けたらダメになりましたーの良い例なんだけど・・・でもクローネンバーグのイグジステンズが何故ここに・・・あれ、クロちゃんの作品の中では比較的アレなんでは?

ということで、個人的過小評価され忘れられたSFベスト10

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3 渋い親父vs悪魔


みんなもうトム・セレックのことなんて忘れてしまっているよね。バート・レイノルズと並ぶオヤジフェロモンむんむんの大スターで、『ミスター・ベースボール』では高倉健さん率いる中日ドラゴンズで大活躍した彼の代表作の一つがこれ。近未来にロボットが暴走して人間を襲うようになり、高所恐怖症の警官トム・セレックが大活躍という近未来アクション。ロボットを操るのはKISSのジーン・シモンズってもうみんな大興奮のキャストですよね。ジーン・シモンズ演じる悪役の役名がDr.チャールズ・ルーサーで、もう当たり前だけどレックス・ルーサーへのオマージュですよね。淀長さんも大絶賛→淀長フォーエバー13 未来警察

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4 ハードマンの素材が柔らかそうなのはご愛嬌。


後に傑作ブレイドを撮ることになるスティーヴン・ノリントンのデビュー作。えっと、近未来の某兵器開発会社チャンク社に赴任した女社長が社内の極秘プロジェクトを探っていくうちに事態はとんでもないことに・・・という映画。当然デスマシーンというからにはデスマシーンが出るんだけど、H・R・ギーガーデザインとしか思えないナイスな風貌(もちろんギーガー御大は絡んでません!)。あとそれぞれ登場人物名がナイスで主人公の女社長はヘイデン・ケイル(=ゲイル・アン・ハードかな?)だし、嫌味な副社長はスコット・リドリーだし、マッド・サイエンティストはジャック・ダンテ(=ジョー・ダンテ?)、その他の登場人物の役名もサム・ライミ、ジョン・カーペンターでツボ抑えすぎて萌え死にます。その他、記憶を消去して戦闘マシーンになる男はシュワちゃんばりに「アイル・ビー・バ〜〜ック!」とキメてくれたりします。ジェームズ・キャメロンという役名は居なかった気がするけど見直したら居るかも。

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DVDはおろかビデオすらamazonに無くて泣いた。これぞほんとに忘れ去られたSF映画の傑作です。しょうがないので輸入版ビデオにリンク。アメリカの田舎の少年がビデオゲームで高得点連発してたら本物の宇宙戦争にスカウトされて大活躍という中学生にみせたら迷わずスターファイターのパイロット目指しちゃうので公序良俗に反すること間違いなし、R指定してもいいぐらいの傑作。観たのは中学生の頃だけど"Starfighter!!!!"という劇中の絶叫と宇宙空間で主人公が駆る戦闘機がぐるんぐるん回る映像が頭から離れない。ユニバーサル・ピクチャーズらしいのでぜひDVD発売を。

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ジョン・カーペンター監督の代表作。どちらかというとSFというよりはバイオレンスというジャンルの方かもしれないんだけど、後々の影響を考えるととても重要な一作かなと思います。近未来、と言っても1997年、刑務所と化したマンハッタン島に大統領専用機が墜落し、終身刑を受けていたカート・ラッセル演じるスネークが救出に向かうというご存知な内容。共演のリー・ヴァン・クリーフ、アイザック・ヘイズともすごくいい。

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4 隠れた面白さ!!
3 結構楽しむにはちょうど良い。


「猫が行方不明」でおなじみフランスのセドリック・クラピッシュ監督のSFコメディ。1999年大晦日のパリで恋人から子供を作りたいとせがまれ思わず逃げ出す主人公。トイレの天井に開いた穴に入ってみるとその先には砂漠化した2070年のパリが広がっていて、彼の子孫たちが彼を取り囲み、子供を作ってくれないと僕たちが消えちゃうと追い掛け回す。主人公の2070年の息子を演じるのはジャン・ポール・ベルモントで、すごく良い味だしてて面白い。公開時はCMが微妙にオサレ系映画で売ってた覚えがあるけど、オサレな話ではないなー。

イベント・ホライゾン
イベント・ホライゾン [DVD]
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン (2006-11-01)
売り上げランキング: 30543
おすすめ度の平均: 4.5
5 好みは分かれるが、これぞ「隠れた名作SF」
4 「A級」と「B級」の共存


かなり昔に観たっきりだったけど、今でも色々覚えているしこれはとても面白かった。2047年、7年前に行方不明になった宇宙船イベントホライゾン号の捜索のために派遣された科学者らだったが、小型ブラックホールの出現以降、謎の怪事件が連続して発生、さらにメンバーの一人が何かに取り憑かれてしまって・・・という宇宙船密室パニック物なんだけど、サム・ニールが気が触れた科学者を怪演。次々起こるパニックのあと予想もしないトンデモ展開までノンストップで進んで行ってこれはヤバイなーという感じです。


鉄男〜TETSUO THE IRON MAN〜
鉄男〜TETSUO THE IRON MAN〜 [DVD]
ハピネット・ピクチャーズ (2000-07-25)
売り上げランキング: 20149
おすすめ度の平均: 4.5
5 ビックリ
5 まさか愛をかたっているとは・・・
5 すごい。
4 自主映画
5 無茶苦茶


唯一の日本映画ですが、やっぱり入れておきたい。ある日体から鉄が生えているのを見つけた主人公(田口トモロヲ)は日に日に鉄に覆われ塚本晋也演じる"やつ"を相手に大暴れという、日本の自主制作SF映画の金字塔。塚本晋也監督は混沌と湧いてくるイメージをそのまま映像にしていくことに全身全霊を傾けている感じがすごくおもしろい。塚本監督にハリウッド張りの制作費、たとえば100億円を与えたらどんな作品を撮るだろう?と昔妄想したことがあるけれど、たぶん1000万円の映画を1000本撮るんだろうな。というあたりで結論が出た。

ニルヴァーナ
ニルバーナ [DVD]
ニルバーナ [DVD]
posted with amazlet at 09.08.27
パイオニアLDC (1999-03-25)
売り上げランキング: 13330
おすすめ度の平均: 4.5
5 サイバーパンクの佳作
3 EUROPEAN CYBER PUNK MOVIE
5 黄昏のサイバーパンク
5 クリストファー・ランバートの最高傑作
4 この映画の主人公は誰?


2050年のクリスマス。ゲームプログラマーの主人公(クリストファー・ランバート)が開発するゲーム「ニルヴァーナ」のキャラクター・ソロがウィルスに感染し、自我を持ち始める。自身がゲームのキャラクターであると認識したソロは存在を消してくれるように懇願。主人公はホストコンピューターに進入してキャラクターの消去を図ろうとするというサイバーパンク映画。独我論的なテーマと美しい映像は必見かなーと。

13F
13F [Blu-ray]
13F [Blu-ray]
posted with amazlet at 09.08.27
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント (2009-07-03)
売り上げランキング: 26872
おすすめ度の平均: 5.0
5 Blu-ray版の価値


あくまで個人的にはだけど、『ダークシティ』は軽く超えてると思う一作。1999年、ヴァーチャル・リアリティ世界の研究者である主人公は高層ビルの13階にある職場で1937年のロサンジェルスを仮想空間に生み出そうと日夜研究をしていたが、ある日上司が何者かに殺され、疑いの目が主人公に。1937年の仮想世界と現代とが交差しつつ深みにはまっていく展開が死ぬほど面白い。13階が無限に広がっていく感じですよ。謎の美女を演じるグレッチェン・モルは一時期そのクラシックな美貌のファンだった。

ギャラクシー・クエスト
ギャラクシー★クエスト [DVD]
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン (2009-04-10)
売り上げランキング: 3947
おすすめ度の平均: 4.5
5 本作品を視聴する際は、日本語吹き替えより、字幕がお勧めです。
5 大変な名作です。
4 メチャクチャ最高


ちょっと過剰にリスペクトされている感もある映画なんですが、確かに面白いもんなー。様々なSF映画とそのファンたちに敬意を表しつつ、ダメ人間が勇気を振り絞って再起を果たし栄光を掴むという映画の王道をきちんと描いていて、ある種SF映画版の「アメリカの夜」なんだろうと思う。トカゲヘッドにかけて!は名台詞。

なんだか、世間的に過小評価されているというよりは個人的に過大評価しているというラインナップでしかないのは気のせいでしょうか(笑)

ちなみに全米映画協会が発表した表ランキングは以下。
AFI: 10 Top 10
1.2001年宇宙の旅
2.スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望
3.E.T
4.時計じかけのオレンジ
5.地球の静止する日
6.ブレードランナー
7.エイリアン
8.ターミネーター2
9.ボディ・スナッチャー
10.バック・トゥ・ザ・フューチャー


また、英国ガーディアン紙が発表した科学者が選ぶSF映画ベスト10は以下。
SF映画 - Wikipedia
1. ブレードランナー Blade Runner (1982)
2. 2001年宇宙の旅 2001: A Space Odyssey (1968)
3. スターウォーズ / スター・ウォーズ 帝国の逆襲 Star Wars (1977) / Empire Strikes Back (1980)
4. エイリアン ALIEN (1979)
5. 惑星ソラリス SOLARIS (1972)
6. ターミネーター / ターミネーター2 Terminator (1984) / T2: Judgement Day (1991)
7. 地球の静止する日 Day the Earth Stood Still (1951)
8. 宇宙戦争 War of the Worlds (1953)
9. マトリックス The Matrix (1999)
10. 未知との遭遇 Close Encounters of the Third Kind (1977)


両ランキングで観てないのは「地球の静止する日」「ボディ・スナッチャー」「惑星ソラリス」「宇宙戦争」かなー。ブレードランナーいいですよね。T2よりは圧倒的に1派ですけれども。「1984」「華氏451」「スーパーマンシリーズ」「スターシップ・トゥルーパーズ」「猿の惑星」あたりはこれらに続く中堅どころという感じでしょうか。

あまりSF映画は詳しい方ではないので、ほかにオススメがあればぜひ教えていただきたいです。

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夏の終わりにふさわしいオススメ映画10選

Twitter / daiskip
帰りにTSUTAYA寄ったけど観たい映画がひとつもなかった。こういう時に@kousyouがいると助かるのに

OK。ということで夏の終りにオススメの10本の映画を紹介します。


鉄塔武蔵野線 [DVD]
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バップ (2003-07-24)
売り上げランキング: 24636
おすすめ度の平均: 4.5
5 僕の足はどこまで歩いてゆけるのだろう
5 永遠の今を駆け抜ける
5 大人への階段?!
5 子供にとっての冒険
5 いつまでも手元に

あの鉄塔はどこまで続いているのだろう?そんな思いを抱いて自転車で冒険の旅にでる小学生二人のストーリー。主人公の男の子を演じるのは子役時代の伊藤敦史。あと田口トモロヲがカメオで良い味出してる。途中現実に引き戻されつつも一号鉄塔に徐々に近づくことで、夏が終わっていく、そのヒリヒリ感がやばい。


台風クラブ [DVD]
台風クラブ [DVD]
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パイオニアLDC (2001-06-22)
売り上げランキング: 16415
おすすめ度の平均: 4.5
5 類い稀なる青春映画
5 相米慎二監督の最高傑作
5 三浦友和に注目!!
5 境界
4 思春期の日常にひそむ危険な衝動

故・相米慎二監督の傑作。大型台風が地方の町を通過する夜、中学生数人で学校に残り、そして思春期の何かが壊れる。この鬱屈感が迷走して台風とともに爆発する感じは凄くヒリヒリする。頭から埋まったあのショットはすごい。あと三浦友和が名演技すぎる。


異人たちとの夏 [DVD]
異人たちとの夏 [DVD]
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松竹ホームビデオ (2001-08-25)
売り上げランキング: 15923
おすすめ度の平均: 5.0
5 公開から20年余り
5 邦画も捨てたもんじゃないね
4 いい作品です
5 傑作
5 大好きな作品!!(ネタバレ有り)

観た方がいいね、としか言わないでおく。


青いパパイヤの香り ニューマスター版 [DVD]
ジェネオン エンタテインメント (2007-02-23)
売り上げランキング: 35138
おすすめ度の平均: 3.5
2 静かな映画
4 東洋の自然と映像美
5 透明で純粋なココロ
1 ベトナム映画ではない
5 言葉以外の感受

ノルウェイの森の監督でもあるトラン・アン・ユンのデビュー作。一人の少女が大人になっていくまでを描いているんだけど、なんつーか東南アジアなんですよ。染み出す汗が、飛び出す果実の果汁が、まとわりつく太陽の日差しが。そういう夏の暑さがきれいに終わる感じ。


太陽の少年 [DVD]
太陽の少年 [DVD]
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IMAGICA (2004-02-26)
売り上げランキング: 68878
おすすめ度の平均: 5.0
4 少年の初恋の相手は謎めいた年上の女性で・・・
5 チャン・ウェンは天才だと思った作品
5 どこか懐かしい感じのする映画
5 少年の罪と初恋。

基本的にはよくある思春期に大人の女性に恋しちゃった系なんだけど。文化大革命を背景にしつつ、敢えてその空気から距離を置いて、でも文化大革命な中の青春を描こうとしているところに凄さを感じる。で、この映画はプールがね。プールのシーンが美しすぎてついつい選んでしまった。


ヤンヤン 夏の想い出 [DVD]
ポニーキャニオン (2004-07-14)
売り上げランキング: 68622
おすすめ度の平均: 5.0
5 時代を先取りした家族ドラマ

ある台湾の家族の日常を切り取った佳作。あんまり夏と関係ないと言えば関係ないんだけど、こういう壊れそうで壊れない、あるいはもう壊れているのに離れないことで再生の道を歩むのが家族という紐帯なのかな、というのが伝わってくる作品。あとやっぱり子役に作文読ませるのは反則でぐっとくる。イッセー尾形がゲスト出演していい味出してた。


インディアナポリスの夏 [DVD]
アミューズ・ビデオ (2000-02-25)
売り上げランキング: 79429
おすすめ度の平均: 4.0
4 青春。

あまり、というかほとんどどマイナー作品だけど、50年代のアメリカのド田舎の街インディアナポリスでうだうだやってる若者たちの姿を描いた青春映画。とにかくウジウジして、鬱屈してるけど、主人公のダメ男がぶちきれた様に踊り狂うあたりは必見。で、青春映画らしい夏の終わりが訪れる。主人公を演じるのはプライベートライアンでアパム伍長を演じていたジェレミー・デイヴィス、主人公の親友はベン・アフレック、憧れのヒロインはレイチェル・ワイズ。全員無名時代。グッドウィルハンティング同様、ベン・アフレックは美味しいところを持っていく。


マルメロの陽光
マルメロの陽光
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紀伊國屋書店
売り上げランキング: 1324769

「みつばちのささやき」のスペインの巨匠ヴィクトル・エリセ作品。夏じゃなく秋から冬が舞台なんだけど、これは夏に見るのが良い様な気がする。初老の画家の主人公、庭にあるマルメロという木を描こうとするが太陽の光を浴びたその果実をどうしても納得行く様に描くことが出来ない。その様子をただ淡々と映していく。クリエイティブに携わる人必見なんじゃないの?と思います。静かで穏やかな日々の様子を映し出す映像の中に、何故だか死の匂いを感じずにはいられなかったし、マルメロの陽光はすでに描かれているのではないか?とも思った。終わらない中に終りがある。


パリ、テキサス デジタルニューマスター版 [DVD]
東北新社 (2006-08-25)
売り上げランキング: 7984
おすすめ度の平均: 5.0
5 監督自身の解説も◎
5 どこまでも美しい映画
5 良いとか悪いとか、そういうことを超越した傑作
5 マイベストのうちのひとつ
5 映画史上に残る、マジックミラーのシーン

映画ファン的にトラヴィスという名前はちょっと特別で映画史に二人のトラヴィスがいるんじゃないかと思う。一人はタクシードライバーでデ・ニーロが演じたトラヴィス、もう一人は「パリ、テキサス」でハリー・ディーン・スタントンが演じたトラヴィス。砂漠の中に響くビヨヨヨーーンというライ・クーダーのスコア。後は子供と一緒に50がらみの冴えない男トラヴィスがナスキン様を探しに旅に出る。この子にとっては夏の終わりだし、トラヴィスにとってもナスキン演じる元妻にとても終わりを迎えた夏なんだよなー的な。


ブエナ☆ビスタ☆ソシアル☆クラブ(フィルム・テレシネ・バージョン) [DVD]
バップ (2008-01-23)
売り上げランキング: 8911
おすすめ度の平均: 4.0
5 最強の映画だね
5 60歳以上の方にぜひ見て欲しい映画
1 そんなにいいか?
5 至福の映画である

最後は至福のひと時とともに夏を終えたい。個人的には老ミュージシャンが登場する前の、もう冒頭中の冒頭でライ・クーダー親子がキューバ海岸沿いの道路、打ち寄せる波のあいだをサイドカーを駆って突っ走るシーンで完全にノックダウン。その後の老ミュージシャンたちの姿を見たらさらにぐっとくる。彼らの口から語られる人生なんかも凄く重い。そして始まる演奏はその重みの上にあるのか、解放であるのか、とにかく様々な人生とともにある至福。


YouTube - Buena Vista Social Club 「Chan Chan」

この映像の方々も半分近くはもう亡くなってしまわれたんだな・・・

夏の終わりのおすすめ映画選でした。

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「安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方」山岸俊男 著

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)
山岸 俊男
中央公論新社
売り上げランキング: 31515
おすすめ度の平均: 4.0
4 糸井さんがオススメしていたので
4 信頼する人は損か?得か?
1 安心VS信頼、ではないのでは?
3 ふとしたキッカケで変わる何か
4 ”和”の正体とは!?

近年、欧米では信頼崩壊に対する危機意識の高まりとともに、信頼に対する研究が進められてきた。ロバート・パットナムらによるソーシャル・キャピタルの研究などはその代表例といえる。日本でも近年、旧来の日本型システムの有効性が疑われるようになり、古い社会・経済のあり方に対する不信感や不安感の高まりが拡大しつつある。

本書はそういう日本型システムに対する不信の拡大があるという前提で、欧米での信頼崩壊と日本での日本型システムへの不信は根本的な違いがあるのではないか?ということを社会心理学的立場から明らかにした一冊です。

一口に信頼と言っても信頼には様々な意味があります。信頼を要素分解すると以下の二つに大別されると著者は定義しています。
1)社会関係や社会制度のなかで出会う相手が、役割を遂行する能力をもっているという期待。
2)相互作用の相手が、信託された責務と責任を果たすこと、またそのためには、場合によっては自分の利益よりも他者の利益を尊重する義務を果たすことに対する期待。

さらに、2)の意図に対する期待は社会的不確実性の有無によって信頼と安心とに分かれます。
(a)信頼
社会的不確実性があっても相手は裏切ったり、自分に対してひどい行動に出ないと考えること
(b)安心
そもそも社会的不確実性が存在し無いと感じていること

例えば何の担保も無く申し込まれた借金に対して、貸したとしても返されない可能性があるという不確実性が存在している状況で、相手の人間性や、信頼に値する行動を取るかどうかを期待してお金を融通することが信頼であり、安心はそのような相手の人間性などを考慮せずとも担保があるなどお金が確実に返済されるという状態、つまり不確実性が無いという状況下での相手の意図に対する期待を持っていることだといえます。

著者は社会的不確実性が存在する環境では日本人はアメリカ人よりも個人主義的に振舞う、つまり相手を疑い信頼しない傾向が強く現れているという様々な社会心理学、経済学的な実験等を通した実証結果を紹介し、日本は信頼社会ではなく、集団内の相互監視と外れた者に対する制裁、さらに特定の相手との永続的なコミットメント関係を形成することによって「安心」を作り出した「安心社会」であるとし、その「安心社会」を作り出してきた集団主義的傾向が機会費用の増大を生み割りに合わなくなってきたことによって安心の崩壊を招いていると指摘しています。

今後、日本はこれまで続けてきた固定化されたコミットメント関係を永続的に保つことで社会的不確実性を低減させる方法は最早限界であり、これまでの集団主義による社会的不確実性の少ない安心社会から社会的不確実性がある前提で他者をいかに信頼するかが重要となる信頼社会への転換は否応無く訪れます。

信頼社会で求められるのは著者がヘッドライト型知性と呼ぶ相手の立場に身をおいて相手の状況を理解する社会的知性であり、また、その信頼社会で社会的不確実性を低下させるには一つは借金の担保や品質保証などの「針千本マシン」と情報公開等の「嘘発見器」が重要だと著者は言います。

新卒一括採用、終身雇用、系列取引など旧来の日本の大企業に代表されるような構造を指して「安心社会」と著者は言っている訳ですが、事実「安心社会」だったのか?は特にこの本で考察されているわけではなく、それはまた別途考えるべき課題でしょう。

それはそれとして信頼と安心の分類、安心を生み出すメカニズム(コミットメント関係など)に関する考察や日米の信頼に関する実証実験などは大変興味深くて、この本の分類に沿って身の回りや、社会の出来事を能力に対する信頼なのか、意図に対する信頼関係なのか、あるいは不確実性を低減させた安心の状態なのかと考えることはとても良い切り口になるんじゃないかと思います。

また、社会的不確実性が高まる中で、どのように第三者と、あるいは第三者間に信頼を醸成するか、ヘッドライト型知性をどのように養っていくかということはこれから考えていくべき大きな課題ですし、また透明性のある社会体制や制度構築というのもこれまで最重要だなと漠然と考えていた訳ですが、その考えを具体的に整理し、補強された感があります。

より具体的にこれからを考えていくときにとても良いヒントになった一冊でしたので、色々インスパイアされつつアイデアを形にしていければ良いなと思います。

参考サイト
[V]: 安心社会から信頼社会へ - 日本型システムの行方(山岸俊男)

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ノットワーキング 結び合う人間活動の創造へ
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読書:社会・経済 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

「世間」ってそもそも最初はどういう意味だったの?

いいかげん、井上忠司著『「世間体」の構造』(1979年)についてまとめようと思いつつ、なかなか出来なかったのでこれから何回かに分けてエントリーをアップしていきます。第一回はそもそも「世間」ってどういう意味だったの?ということから。


「世間体」の構造  社会心理史への試み (講談社学術文庫)
井上 忠司 講談社 売り上げランキング: 219416

井上忠司著『「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)』(P31)
もとはといえば、「世間」は、梵語loka(こわされ否定されてゆくものの意)の訳語であって、「生きもの(有情世間)とその生きものを住まわせる山河大地(器世間)、あるいはこれら二つを構成する要素としての五蘊(五蘊世間)の総称」であった。

五蘊世間の五蘊は人間やこの世界を構成する五つの要素( 色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊)のことで、ナーガールジュナの大智度論で説かれる仏教の根本原理の一つ。仏教ではこれら三世間がこの世の現象世界を三つに分類したものと捉えられていた。(参考→世間 - Wikipedia

「世間は虚仮なり、唯だ仏のみ是れ真なり」という一句にもあらわされている通り、仏教の輸入とあわせて日本に示された、この「世間」という言葉は「世間無常」という根本命題を背負った哲学であり、その後の日本が様々な形で「無常観」をあらわしていきながら転変していくことになることを考えると、とても重要な意味を持つ。

「世間」という言葉は「世」と「間」に分解できる。

「世間」の「世」は「時間」のことで、中国では、「遷流」つまり移り変わることという意味だった。たえずこわされ、否定されてゆき、刻々と他のものに転化していく様のことである。

井上忠司著『「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)』(P32)
たえずこわされ、否定されてゆき、刻々と他のものに転化していくがゆえに、「世」とよばれるのである。だが、破壊されるのみであって、なんら本質的なものでないなら、それがひとつの「世」であることはできない。不断の転変に対立し、打ち克ってこそ、ひとつの「世」でありうるのである。さりとて、完全に打ち克って、遷流なき境があらわれたなら、それはもはや真理であって、すでに「世」ではないであろう。

同書に引用される和辻哲郎の表現を用いると「要するに「世間」の「世」とは、「遷流からの脱却の可能性を保持しつつも遷流のただ中に堕在することである」ということになる。」(P32)

反対に「世間」の「間」は「空間」のことで、原語のlokaは本来「場所」(世界、領域、界などとも訳される)の意味が強かった。この「場所」は物質的なるものにかぎらず、非物質的なるものの世界や場所のことでもある。非物質的な世界とは、例えば仏教でいうところの欲界など人間の現象として存立する状態そのもののことだ。

このように「世間」は空間的な意味を持ちつつ、主として時間的性格でとらえられており、「無常性」を内包していた。生まれたときに世間に出て、世間を渡り、あの世へと行き着く。しかし、時が経ち「世間」という言葉が日常の用語として浸透していくにつれて仏教的意味合いは薄れ、無常性は残しつつも「現世での縁につながる他者との関係において、人生をいとなむ状況であることを意味」(P36)する、生々しい人間関係そのものを指すように変化していった。

特に世間が人間関係そのものを意味するようになったのは江戸時代からといわれる。憂き世が浮世になり、浮世=世間となったあたり。ということで、次回(時期未定)は「世間観の移り変わり」ということで、江戸の町人、農民、武士などの世間観の移り変わりについて簡単にまとめて、その次は特に重要な「明治期のイエ制度の成立史」、最後に「世間体の構造」について簡単にまとめるつもりですが、少し色々入れ替わったりするかもです。

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5 日本と「空気」
5 裁判員になった人は皆読むべき
4 遅れてしまった出会い
5 「空気」読め!
5 日本人を呪縛する最高法規「空気」に科学的・論理的光を当てる良作


日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)
末木 文美士 新潮社 売り上げランキング: 4982
おすすめ度の平均: 5.0
5 仏教から見た日本思想史
5 素人にもわかるよう書かれた貴重な体系的研究書
5 インドとの比較から照射された日本仏教の特質
5 「仏教」だけの問題ではない!
5 仏教思想の多様な日本化の過程

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組織を活性化orダメにする人、各5つの資質と自問したい7つの質問

最近、個人的に注目しているキーワードの一つにソーシャル・キャピタル(社会関係資本)という概念があります。

ソーシャル・キャピタルとは「社会における心の外部性を伴った信頼・互酬性の規範・絆(ネットワーク)」のことで、社会の様々な場面でソーシャル・キャピタルの重要性について研究が進められており、ソーシャル・キャピタルの有無や強弱によって社会・経済への影響が大きい実証結果が積み重ねられつつあります。

企業内ネットワークでもソーシャル・キャピタルの形成は大変重要で、組織図上の指揮命令系統とは別にインフォーマルなネットワークが、組織の実効性を大きく左右します。バージニア大学で教鞭を執るロブ・クロスは企業の組織図とは大きく異なるネットワークの実効性について研究し、社内ネットワークの実効性に大きな影響を与える人の特徴について、他人に活力を与える(energize)付き合い方が出来る構成員の5つの資質、エネルギーを削いでしまう構成員の5つの特徴、energizeな人になるために自問するべき7つの質問について著しました。

以下がそれぞれの項目のまとめです。

■活力を他人に与える人の5つの資質


(1)納得できるヴィジョンを持っていること
(2)意味のある貢献をしていること
(3)付き合うときに集中していること
(4)接触することにより前向きな気持ちが持てること
(5)目標を信じること

■活力を削いでしまう人の5つの特徴


(1)わけのわからないことを長々としゃべる
(2)議論をより複雑にしてしまう
(3)会話中も上の空
(4)問題点ばかりをあげつらう
(5)そもそも何のためにやっているのか見失ってしまう

■周囲に活力を与える人になるために自問するべき7つの質問


(1)たとえ仕事で忙殺されているときでも、周囲の人たちと、仕事をするための道具としてではなく、人として付き合う時間を持っているか。
(2)自分がやるといったことを実際に果たしているか。
(3)困難な問題を、誠実に一貫性を持って対応しているか。
(4)他人の考えを、自分の考えや代替案を明らかにしないで、ただ批判したりしていないか。
(5)他人に反対するとき、相手の貢献に対する価値ではなく、問題そのものに焦点をあてて議論しているか。
(6)精神的にも肉体的にも会合や会話にきちんと参加しているか。
(7)他人に自分のやり方や考え方に合わせるよう強制していないか。

以上、稲葉陽二著「ソーシャル・キャピタル―「信頼の絆」で解く現代経済・社会の諸課題」より。



当たり前といえば当たり前の条件がほとんどですが、ネットワークを活性化させる構成員がキーとなって組織内にソーシャル・キャピタルが形成され、そのソーシャル・キャピタルの存在が時に企業の業績や人間関係、あるいは企業そのものの存続に与える影響は少なからずあると言われています。組織によってソーシャル・キャピタルの様態は異なるでしょうが、上のまとめを一度考えてみるきっかけにしてみると良いのではないでしょうか?

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山住勝広 ユーリア・エンゲストローム
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新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く
アルバート・ラズロ・バラバシ
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5 知的好奇心を刺激する内容
5 海に流したボトルメール
5 課長 島耕作の不思議
3 ネットワークとは
4 ネットワークから数理モデル、物理学まで包括した1冊

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「ノットワーキング 結び合う人間活動の創造へ」山住勝広 ユーリア・エンゲストローム 著

ノットワーキング 結び合う人間活動の創造へ
山住勝広 ユーリア・エンゲストローム
新曜社
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これまでも何度か取り上げてきて、また別サイトのサイトタイトルにもしているノットワーキング(KnotWorking)について、この本の感想はちゃんと書いておきたいなーと思いつつ後回しになっていたので、そろそろ、ざっくりとまとめ的に書いておこうと思います。

まえがきより
ノットワーキング(knotworking)は、多くの行為者が活動の対象を部分的に共有しながら影響を与え合っている分かち合われた場において、互いにその活動を協調させる必要のあるとき、生産的な活動を組織し遂行するためのひとつのやり方をいう。

グローバリゼーションの進展は、旧来の近代産業資本主義下の大量生産・大量消費システムを流動的なパートナーシップとネットワークを重視した形態へと急速にシフトさせようとしている。

旧来の産業資本主義を構成する「ヒエラルキー」原理と「マーケット」原理の組織の特徴は本書によると各々以下の通りだという。

■ヒエラルキー原理下の組織(垂直的に統合された企業体、官僚制など)
強み:大量生産で必要とされる標準化の保証
限界:硬直性

(P68)
こうした組織を担う行為者のあり方は、単純化すれば、管理側は「統制し命令せよ(control and command)」、労働者側は「抵抗し防御せよ(resist and defend)」という規則によって特徴づけられるだろう。

■マーケット原理下の組織(ベンチャー企業、中小規模の身軽な企業)
強み:柔軟性
限界:過度の競争→協働と互酬性の排除

(P68)
こうしたマーケット型組織は、理念的には、先のヒエラルキー型組織にあったような二元論を、次のような最優先の規則に溶かし込む。「好機をつかみ利益を最大化せよ(take advantage and maximize gain)」。

これらの古典的な形態は新しい形態の挑戦を受け、取って代わられつつあるという。

(P69)
そこでは、複数の相異なる組織やユニットが、伝統的な境界=限界を越境して、協働による革新を追及している。こうしたネットワーク型組織の規則はこうなるだろう。「接続し交換せよ(connect and reciprocate)」。

組織、個人の別なく、古い境界を越境して「接続し交換」することが求められるような変化の中で「歴史的に確立されてきた仕事・組織・文化・制度の間にある境界を横断していく人間活動の新しい形態に注目して、そうしたコラボレーションを創り出す人々の潜在力や挑戦を発見」(P2)することを試みた一冊。ノットワーキングの理論的枠組みと医療、教育、災害救援、地域再生などの様々なノットワーキングの実例を紹介している。

ノットワーキングは、例えばフライトごとにメンバーを変える航空機の運行、複数の病気を抱えいくつかの病院に通う患者の主治医間の連携、災害時のボランティアと政府、企業、自治体の協力関係など様々な形態で発揮される。それを分析するための理論的な枠組みとしてヴィゴツキー、レオンチェフらから始まる「文化・歴史的活動理論(cultural-historical activity theory)」(以下「活動理論」)を発展させ、共著者として論文も寄稿しているヘルシンキ大学教授ユーリア・エンゲストロームの第三世代活動理論をベースとしている。

「チーム」も「ネットワーク」も通常、固定したメンバーで編成されることが多い。個人、集団、組織を問わず固定した構造を取っているものだが、ノットワーキングはすでに存在しているネットワークとは違う。チームなどの「編成が生まれては消え、別の形で再度現れる、といった律動が繰り返される」もので、「要求される課題ごと、その場その場で、コラボレーションの関係を組み替えてい」く「即座に主体間で理解しあい、コントロールを分散=共有し、互いにあまり関わりのないような行為者間で協同行為を調整する」形態といえる。特に緊急のニーズに応え、より幅広く協調する必要があるとき、既存の固定化されたチームに変わってこのノットワーキングという活動は大きく貢献する。

ノットワーキングの特徴をまとめると以下のような感じ。
・活動をコントロールする単一の中心が不在
・行為者間で協同行為を調整
・関係性はその場だけで、ニーズの終了とともに解散する
・要求される課題ごとにコラボレーションの組み替えを行う。

ノットワーキング型活動は、新たなポジションや組織の中心を創設することなく、問題を解決し、既存の活動の形態や方法を再形成することに貢献するとともにエンゲストロームは「協働志向資本(コラボレーティヴ・インテンショナリティ・キャピタル)」が創造されることに価値があるという。「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」が社会・国家規模のネットワークなら、「協働志向資本」は組織等中間単位の新しい規範を生み出し、組織にとって新たな資源を創発する。

以上大まかながら同書のノットワーキングに関する概念的な解説のまとめでしたが、ノットワーキングという言葉の響きやその取り扱う対象領域への興味もあって個人的にはとても魅力的な概念です。

このノットワーキングという概念は、先日紹介した(→「「ソーシャル・キャピタル―「信頼の絆」で解く現代経済・社会の諸課題」稲葉陽二 著」)ソーシャル・キャピタルの概念で言う私的財の形成が大前提になりますが、地域・業界・コミュニティなどによって差はあるものの、日本は概ね私的財=個人間ないしは組織間のネットワークは弱く、あるいは個々で大きく偏りがあると思います。まずはこの個人間ないしは組織間のネットワークの形成が、今最優先の課題だと思っています。そして、それは自然ななりゆきに任せていてはなかなか作り上げられないものなんだよなーと。

ノットワーキングという概念とそれに基づいて考えているいろいろなことについてはまた改めて。

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残業代不払いの経営者が経営責任まで問われた判決が出た

社会保険労務士の北岡先生のブログ見てたら、残業代未払いの経営者に対して会社法上の善管注意義務違反による損害賠償責任が認められたという判決が載っていて、とても興味深く読みました。

人事労務をめぐる日々雑感: 取締役の善管注意義務と時間外割増賃金について
 S観光事件(代表取締役ら・割増賃金支払義務)事件(大阪地判平成21年1月15日 労判979-16)です。同事件では、従業員が会社の代表取締役および取締役を相手取り、商法上の善管注意義務ないし忠実義務違反を理由に未払い割増賃金についての損害賠償請求を行い、これが認められたものです(確定)。会社ではなく、役員の個人責任が法的に認められたという点で稀有な判決といえます。

 今後、同判決の以下判示部分をどのように評価すべきであるのか。そして同判示部分が今後どのように判例法理として形成されていくのか(いかないのか)、大変注目されます。なお同事件については、別訴で従業員に対する割増賃金支払いが命じられているにもかかわらず、会社側が同確定判決を無視するなど特異な事情があり、結論として取締役の個人責任を問うて然るべき事案ではあったとは思われます。

「株式会社の取締役及び監査役は、会社に対する善管注意義務ないし忠実義務として、会社に労働基準法37条を遵守させ、被用者に対して割増賃金を支払わせる義務を負っているというべきである」

「商法266条の3(280条1項)にいう取締役及び監査役の善管注意義務ないし忠実義務は、会社資産の横領、背任、取引行為など財産的範疇に属する任務懈怠だけではなく、会社の使用者としての立場から遵守されるべき労働基準法上の履行に関する任務懈怠も包含すると解すべきである」

 また労働基準法上の履行が取締役の善管注意義務にあたるとしても、第3者(従業員含む)に対する取締役の善管注意義務違反を理由とした損害賠償は「悪意又は重大な過失」がある場合に限られます(旧法266条の3(現行会社法第429条))。
 本件については、取締役側が職務手当に時間外割増賃金が含まれていると当時理解していたことと、労基署の2度にわたる調査において割増賃金に係る是正勧告が行われないことをもって、「悪意又は重大な過失」がなかったと主張しました。これに対し、裁判所は少なくとも労基署が就業規則の周知義務違反を行政指導していたことをもって、職務手当に係る規定の周知とその趣旨どおりの運用が不十分であったことを役員が認識することは、「極めて容易なことであった」とし、その「悪意又は重大な過失」の成立をも認め、損害賠償請求を認容しています。

 商法改正に際し、株式会社における内部統制構築が大きな課題でしたが、その際、労働法令遵守がこれに含まれるとの認識は比較的薄かったように思われます。しかし、本判決内容を前提にすると、時間外割増賃金などの労基法に係る法令遵守は、取締役の「株主」に対する善管注意義務に含まれ、明らかに内部統制事項に含まれることになります。そしてその義務不履行とその悪意又は重過失は上記裁判例を見る限り、比較的容易に認められる可能性があることが示唆されています。

まぁ、すでに「割増賃金支払いが命じ」られているにも関わらず突っぱねていたという特殊な事例ではありますが、残業代未払いという労働法違反がすなわち会社法上の経営責任となるような画期的な判例になる可能性があるということですね。

内部統制に労働法が含まれると、残業代未払いで場合によっては株主代表訴訟レベルまで行くかもしれない訳で、株主=経営者な中小企業はともかく、上場企業や経営者以外が株主となっている企業にとっては労働法厳守を意識せざるを得なくなる判例だろうと思います。

この方向で判例積み重ねて行くことで、会社に対して一定のコンプライアンス意識を醸成させて行って欲しいところですが、さて。

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有機農法のカリスマ金子美登氏の霜里農場見学会に参加しました

先日、埼玉県比企郡小川町にある有機農法を使った農場「霜里農場」の見学会に参加してきました。
「霧里農場」は有機農法の第一人者として知られる金子美登さんが経営する有機農法を使った農場で、約三ヶ月ごとにNPO法人の主催で金子さんによる有機農法の説明と農場見学会が開催されています。

金子美登さん
1948年埼玉県小川町で300年続く農家の長男として生まれ、1971年、農業者大学校一期生として卒業。当時、深刻化する環境汚染の広がりや減反政策の中で有機農法を使った農業を始めて以来、40年近くに渡って有機農法の研究、普及に努める。小川町町議会議員、全国有機農業団体協議会代表、農林水産省全国有機農業推進委員会委員など歴任。

会場となった小川町下里分校

小川町下里分校


東京から車で約2時間で映画に出てくるような佇まいのこんな校舎が。この校舎の中でまずは小川町での有機農法の実践について金子さんからお話がありました。

以下続きを読むからどうぞ。

続きを読む >>
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「やるだけのことはやった」という自己満足・正当化が自滅への道

山本七平はその著書「日本はなぜ敗れるのか」で旧日本軍の敗戦の契機となったのはミッドウェー海戦やレイテ沖海戦などではなくバシー海峡で日本軍の増員兵力を乗せた輸送船舶が次々撃沈されたことだと書いていた。その分析が実に身に突き刺さってきた。というか、これで、今日は一日のたうちまわらされた。

山本七平著「日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)」(P42)
人びとは危機を叫ぶ声を小耳にはさみつつ、有形無形の組織内の組織に要請された日常業務に忙しい。そしてこの無反応を知ったとき、危機を叫ぶ者はますますその声を大にする。しかし声を大きくすればするほど、またそれがたび重なれば重なるほど、まるでイソップの「狼が来た」と言いつづけた少年の言葉のように、人びとは耳を傾けなくなる。

だがそのとき、だれかが、危機から脱する道はこれしかない、と具体的な脱出路を示し、そしてその道は実に狭く細くかつ脱出は困難をきわめ、おそらく、全員の過半数は脱出できまい、といえば、次の瞬間、いままで危機々々と叫ぶ大声に無関心・無反応だった人びとが、いっせいに総毛立って、その道へと殺到する。危機というものは、常に、そのように、脱出路の提示という形でしか認識されない。

窮地に陥った者は、提示されたその脱出路が唯一の脱出路だと思い込んで殺到し、自滅する。

自身で自身に対して危機を叫びながら、しかしその自身の中の声に対して壁をして自ら進んで視野狭窄の道を選ぶのは何故だろうか?と思うことがある。そうして自身で選んだ視野狭窄の世界の中で、唯一の脱出路のようなものを見出し、そこに狂ったように殺到しようとする欲求に、打ち勝たなければならない、とおもう。

どうすればいいのだろうか?

バシー海峡の悲劇について山本七平はこう指摘する。

山本七平著「日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)」(P67-68)
バシー海峡ですべての船舶を喪失し、何十万という兵員を海底に沈め終わったとき、軍の首脳はやはり言ったであろう。「やるだけのことはやった」と。

これらの言葉の中には「あらゆる方法を探究し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。

ああそうなのだ。視野狭窄に陥るのも、目の前の繰返しに没頭しようとするのも自己正当化でしかないのだ。「あらゆる方法を探究し、可能な方法論のすべてを試み」なければならない。自身の自己満足や正当性は捨て去って、悪あがきしなければならないとおもった。見苦しいぐらいに徹底的に。

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竜馬伝主要キャスト発表のみどころですが

<龍馬伝>妻お龍を真木よう子、初恋の人に広末 岩崎弥太郎を香川照之 大河ドラマ出演者発表(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
 福山雅治さんが坂本龍馬を演じる2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の主要キャストが14日発表され、龍馬の妻お龍を真木よう子さんが演じることが分かった。またドラマの中心となる岩崎弥太郎を香川照之さん、龍馬の盟友武市半平太を大森南朋さん、龍馬の初恋の人・平井加尾を広末涼子さんが演じる。

へー。真木さんはそういえば風林火山に出てたなー。田辺誠一の相手役で。

ということで現在決定済みのキャストを2chから引用。
【2010年大河】龍馬伝 Part12【福山雅治】
718 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2009/07/14(火) 16:14:26 ID:IkTm6jlT
坂本龍馬(さかもとりょうま)…福山雅治(ふくやままさはる)[NHKドラマ初出演]
岩崎弥太郎(いわさきやたろう)…香川照之(かがわてるゆき)
武市半平太(たけちはんぺいた)…大森南朋(おおもりなお)[大河ドラマ初出演]
平井加尾(ひらいかお)…広末涼子(ひろすえりょうこ)
楢崎龍(ならさきりょう)…真木よう子(まきようこ)
坂本乙女(さかもととめ)…寺島しのぶ(てらしましのぶ)
千葉佐那(ちばさな)…貫地谷しほり(かんじやしほり)

〈坂本家の人々〉
坂本八平(さかもとはちへい)…児玉清(こだまきよし)
坂本権平(さかもとごんぺい)…杉本哲太(すぎもとてった)
坂本伊與(さかもといよ)…松原智恵子(まつばらちえこ)
坂本千野(さかもとちの)…島崎和歌子(しまざきわかこ)[大河ドラマ初出演]

〈岩崎家の人々〉
岩崎弥次郎(いわさきやじろう)…蟹江敬三(かにえけいぞう)

〈武市家〉
武市 冨(たけちとみ)…奥貫薫(おくぬきかおる)[大河ドラマ初出演]

〈土佐の人々〉
近藤長次郎(こんどうちょうじろう)…大泉洋(おおいずみよう)[NHKドラマ初出演]
岡田以蔵(おかだいぞう)…佐藤健(さとうたける)[NHKドラマ初出演]
平井収二郎(ひらいしゅうじろう)…宮迫博之(みやさこひろゆき)
沢村惣之丞(さわむらそうのじょう)…要潤(かなめじゅん)[大河ドラマ初出演]
溝渕広乃丞(みぞぶちひろのじょう)…ピエール瀧(ピエールたき)[NHKドラマ初出演]

〈龍馬の協力者〉
勝海舟(かつかいしゅう)…武田鉄矢(たけだてつや)
西郷隆盛(さいごうたかもり)…高橋克実(たかはしかつみ)

〈江戸の人々〉
千葉定吉(ちばさだきち)…里見浩太朗(さとみこうたろう)
千葉重太郎(ちばじゅうたろう)…渡辺いっけい(わたなべいっけい)


以前てきとーに予想したけどまぁ、いまのところはずしてる感じです(笑)乙女ねーさんは夏川結衣だと思ったんだけど、寺島しのぶかー。あとやっぱり渡辺いっけい出た。真木さんも貫地谷も風林火山から回ってきた感じかなー。大森南朋の武市はすごくアリ。いいね。

あと注目ポイントはですね、奥貫薫とか島崎和歌子とか、ロスジェネ世代のB級アイドルヲタ狙い撃ちなところでしょうか。いっそ中山忍とか小川範子とか中江有里とかも出してしまえばいいとおもうよ!

奥貫薫は売れないアイドルから気がつくと脇で良い演技するベテラン女優になりましたねぇ。あと、個人的に島崎和歌子は好きですねー。まぁ、龍馬の兄の嫁という微妙なキャストですが・・・

ということで、次のキャスト発表時にまた。

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トレードオフがある課題を同時にやろうとして失敗する傾向あるなー

Hiroette's space - 27 :日出づる処の名無し [↓] :2009/06/14(日) 00:09:16...
27 :日出づる処の名無し [↓] :2009/06/14(日) 00:09:16 ID:famhKzDV
今の時期はこれもテンプレに貼っておくべき。
アマチュア=問題の難しさや危険を知らないか,過小評価する。


アマチュアの論理

〕想論を規範論にする
当事者の能力や努力を知らず,無能・無責任・怠惰と批判する。
プロは,ミスをせず,また,変化や危険を予知できる存在と決めつけ,
 それに反する事故が発生すればプロ失格と批判し,時には,犯罪者にする。
て颪靴い海函ご躙韻覆海箸魎蔽韻帽佑─ぁ屬笋譟廚噺世Α瓠崛膿佑遼熟澄
ダ功や失敗の理由を,1〜2の要素に求め,短絡的に理解し,論じる。
 特に「アイデア」,「意識」,「体質」,「制度」,「組織構造」などに求める。

Ω什澆寮度のデメリットのみをあげつらう。
Э靴燭弊度のメリットのみをアピールして提唱する。
┸靴燭弊度のデメリット,副作用を考えない(知らない?)。

新たな制度が諸問題を一気に解決すると考え,改革や革命を連呼する。
できない理由を,改革する想像力や意欲の不足に求める。
トレードオフがある課題を,同時にやれという(たとえば,迅速と的確)。

ランチェスター思考 競争戦略の基礎 (福田秀人著 東洋経済新報社刊)より

元のスレが何かしらないけれど(「今の時期」って何の時期?まいいや。)、1から11までことごとく「あるある」なまとめだなぁ。ありえすぎてかなり多くの状況に当てはまりそうになるので、一般論的といえなくもないけれど(笑)でも最後の「トレードオフがある課題を,同時にや」ろうとしてしまうことは個人的に多い。例にもあるような正確性と迅速さ、質と量などを同時に満たそうとして失敗するみたいな。優先順位やトレードオフでどちらかを決めるのが苦手なのよね・・・。



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5 上に立つ者の心構えや考え方の基本について、頭の中の再整理をしてくれた
5 戦闘・戦争でない競争戦略
4 大恐慌時代に威力を発揮するランチェスター思考
5 防衛と経営問題に詳しい作者が明快に解説するランチェスター思考の本質
3 古典の良書

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「雇用はなぜ壊れたのか―会社の論理vs.労働者の論理」大内伸哉 著

雇用はなぜ壊れたのか―会社の論理vs.労働者の論理 (ちくま新書)
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おすすめ度の平均: 3.5
5 垣間見えるメッセージが興味深い
3 オーソドックスな内容ですね
2 ごくごく一般的な内容
4 真っ当な視点が叡智に見える


神戸大学大学院教授大内先生の労働法をテーマにした11の論考集。

hamachan先生労務屋さんが書いておられるとおり、「雇用はなぜ壊れたのか?」について論じられている訳ではなく、サブタイトルの方の「労働者の論理」と「会社の論理」という対立する二つの論理を比較衝量させながら性差別、長時間労働、労働組合、解雇、正社員と非正社員など現代的なテーマの労働法的な落としどころを探求していくという内容になっていてとてもおもしろい。

会社とは営利を追求する組織であるがゆえに、経営者は経済的合理性に従って、同じ質ならより安い部品を集めようとするように、「労働力を調達するとき、同じ程度の質(能力)ならば、できるだけ安い労働力を求め」(P8)ようとする会社の論理に対して、経済的合理性だけで自在に扱われてしまうことなく、「会社の利益に対抗して、自分たちの権利が保障されるべき」(P8)とする労働者の論理があり、その二つは株主も含めて「会社の利潤を取り合う関係にあり、潜在的には相互に敵対的な関係にある」(P8)というのが、理想はどうあれ、本質的な面だろうと、僕も思います。

(P9)
労働法とは、このような会社の論理と労働者の論理とがぶつかりあうなかで、その線引きをするためのルールを示すものといえる。会社の論理だけを通すのは正義に反する。労働者の論理だけを通すのでは、会社の経営が立ち行かなくなるし、結局は、労働者のためにもならない。だからこそ、両方の論理を調整していく必要があるのである。

特に、管理職や役員などのお仕事をすると、この「会社の論理」と「労働者の論理」との狭間で悶えてしまうことが多いですよね。自身の地位や役割に内在する二律背反に、時に人は引き裂かれてしまいます。その矛盾を調整するルールとして様々な法規が存在するんですが、往々にして無視され独自の規範によってその調整が図られることも多いんじゃないでしょうか。

それゆえに上記引用の「労働法とは、このような会社の論理と労働者の論理とがぶつかりあうなかで、その線引きをするためのルールを示すもの」という部分は、至極自明のことのように見えて、実は多くの人たちにとって目新しく、蒙が啓かれた思いになる部分だったりするんじゃないのかなーと思ったりします。

特に悩める経営者、管理職の方々は労働法を勉強し、そのルールに沿って両方の論理を整理していくことで、お仕事的にも心理的にも楽になりますよ。その矛盾をいかに生きるか?という道筋の一つになるかと思います。

で、最初にも書きましたが、この本では11の労働に関する現代的なテーマについて、二つの対立する論理の間を行き来しながら徐々に問題点が整理されていく過程が描かれているので、読みながら色々な発見をすること間違いなし。

個人的に一番興味あったのは最後の「雇用と自営」かな。

結構有名な話だけど、近代法の雇用契約の原型は古代ローマの奴隷契約って話あるじゃないですか?奴隷契約が近代法の賃貸借契約と雇用契約の原型になったんですよね。

(P211)
ローマ帝国の時代、労働をするのは奴隷だった。奴隷を働かせるのは、物の貸し借りと同じであった。奴隷には、権利が与えられておらず、物と同じだったのである。そこでは、「locatio」という契約形式が使われた。対価をもらって「もの」を貸すという契約(賃貸借契約)である。

それから二千年近く経ち、ナポレオンにより興ったフランス帝国の時代。フランス民法典において、「locatio」は雇用契約に転用された。奴隷でない市民も、雇用契約により働くようになっていた。(中略)フランス民法典を引き継いだ日本の民法でも、賃貸借契約と雇用契約に関する規定には類似の部分が多い。

という話題から始まって働く人の自由について論じた内容はとても面白い。これについてはまた別の機会に書きたいですが、例えば「仕事と日本人」という本を読むと、江戸時代までは自律的な仕事をしていた職人さんたちや、一般の人たちが、明治以降労働者として、自律性を失い悲惨な境遇になっていったかという過程が描かれていて興味深かったりします。西欧型奴隷制度の輸入という側面もあったんだよなーと。

まぁ、そのような不如意な働き方から経済成長などを経て生活者としては充実した環境を享受できるようになってきたが、果たして「自由」としてはどうなのか?という疑問は多くの人が持っているでしょう。

自営バイク便ライダーが労働者として判断された話などが紹介され、こう書いています。

(P226)
自己決定によるものだからといって、そこで搾取されてしまうことまで自己責任といってよいのか。パターナリスティックな保護をする必要はないのか。本当の自由とは何なのか。奴隷の呪縛から解き放たれていないように思えた雇用で働くほうが、安定保障があり、自由を享受する基盤があるという、いささか屈折した分析もあながち的外れではないかもしれない。

雇用、自営を問わず働く人たちへの保護をどのように広げていくか。自由と隷属のジレンマを解決するにはどうするか?という話が最後に持ってこられているところに、現代の労働問題に限らず社会全般についてとても鋭い視点を持っておられるんだなぁと感心しました。

ということで、とてもオススメです。

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セクシーな唇のアンジェリーナ・ジョリーを口紅で書き上げる動画

YouTube - How to get Angelina Jolie Lips with Lipstick Speed Painting

アンジェリーナ・ジョリーといえばセクシーな唇が魅力のハリウッドのトップ女優ですが、そのアンジェリーナ・ジョリーを口紅だけで書いてしまう動画がこれです。唇をちょっとデフォルメさせつつも、まるで写真のような魅力的な表情のアンジェリーナ・ジョリー像が完成していく様子におもわず引き込まれますねー。特に目元がうまい。

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4 母親視点と子ども視点
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あなたの知らない暗渠の世界〜等々力渓谷源流谷沢川探索

昨日、197Xs's Wiki - 第2回 197Xs パーティーに参加して、法律系のこと何か語ってよ、と主催者のござ先輩には言われていたものの、気がつくと暗渠について語っていました(笑)

昨日語った暗渠のLTをもう少しボリュームアップしてまとめたエントリー。

東京二十三区でも有数の自然が広がる等々力渓谷ですが、その等々力渓谷を流れる谷沢川の源流は、実は世田谷区用賀の住宅街の一角にある小さな月極駐車場だったりするのご存知でしたか?そしてその駐車場から細々と暗渠化した地下水道が流れ、用賀駅付近で蓋が外れて川となり、最終的にあの清流になるのです。

等々力渓谷
等々力渓谷

暗渠とは?

溝渠 - Wikipedia
暗渠(あんきょ)とは、地中に埋設された河川や水路のことであり、開渠に相対する概念である。 目的により、いくつかに分類することができる。

都市部における暗渠

都市部においては、かつての小川や水路に蓋がけをして暗渠とし、その上を道路や遊歩道へ転用している例がしばしば見られる。 川がないのに欄干(らんかん)が残っている場所があるが、これは地下に暗渠がある証拠である。

強度の関係もあり、車両通行禁止の遊歩道などに転用している例が多い。まれに自動車用道路としているものもあるが、それでも車両重量制限があるのが普通である。

都市部における暗渠化は、戦前より例はあったとはいえ、とくに高度成長期以降、都市化・宅地化の進行にあわせて一斉に進められたが、その多くは地域住民の強い要請を踏まえたものであった。 背景には、宅地化の進行に対して下水道の整備がまったく追いついていなかったという当時の事情がある。 行き場を失った大量の生活排水によりかつての小川はドブと化し、猛烈な悪臭を放つようになっていた。 堪えかねた住民たちは暗渠化を願い、行政に働きかけることも多かったのである。

ということで、暗渠化された谷沢川の源流を3月ごろに辿ってきました。

以下続きを読むからどうぞ。

続きを読む >>
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歴史の天使は顔を過去に向けながら、嵐が天使を未来へと押し進める

20世紀初頭のドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンはパウル・クレーの絵画「新しい天使」にインスピレーションを受けてこう書いた。

コミュニティ 安全と自由の戦場」(P29)
「歴史の概念について」(P257)
「歴史の天使は顔を過去に向けている。わたしたちが出来事の連鎖を見て取るところに、かれはただ一つの破局だけを見る。その破局は、瓦礫の上に瓦礫を積み重ねては、かれの足下に投げ出していく。天使は、できることならばそこにとどまって、死者たちを目覚めさせ、粉々になったものを元通りにしたいと思う。しかし、楽園から吹きつけて、翼が激しく煽られているために、天使は翼を閉じることができない。嵐は、背が向いている未来のほうへ、かれを否応なく押し進めていく。

ジグムント・バウマンはこれに以下のように続けている。

コミュニティ 安全と自由の戦場」(P30)
歴史の天使は、背を未来に向けて進んでいくので、過去から目をそらすことができない。かれは、楽園を離れてからというもの立ち止まることができずに動き続けている。立ち止まってうっとりと見とれていたくなるくらい気に入った景色にでくわしたことはないのである。かれを動かし続けているのは、いま目にしているものへの嫌悪であり、反感である。すなわち、よく見えてありありと分かる過去の恐怖であって、はっきりと見ることができずよく分かってもいない未来の魅力ではないのである。ベンヤミンが暗示するように、進歩とは、空の鳥を追いかけることではなく、戦場に散らばった死体から急いで離れたいという熱狂的な衝動なのである。

歴史の天使は、背を未来に向けて進んでいる、というのは実に言いえて妙だと思った。表現としてバウマンの方がより能動的だけど、ベンヤミンもバウマンもどちらも厭世的ではある。お二人ともナチスドイツを目の当たりにしているので、それについては、ただ襟を正すだけではある。僕の感覚とは似て非なるものがあり、これは単純に生き方の違いだろうなと思う。

僕の感覚としては、歴史の天使は確かに顔を過去に向けていて、いやな事だけではなく、楽しいこともあれば、穏やかな思いもたくさんある。にもかかわらず、嵐が背を向けた未来のほうへと否応なしに僕を運んでいく。できることならばあの場所でもっと穏やかに過ごしたかった、あるいはあの心境のままで生きていたかった、という良き過去を見つめながらただ流されて未来へと押し進められている。というところだろうか。嵐に押し流される不自由感は実に強くあるが、それはどこかで折り合いをつけなくてはいけないことだなとも思う。

コミュニティ 安全と自由の戦場」(P31)
歴史の経路は、ある側面については直線のように描くこともできるが、むしろ振り子のようなものとして思い描くことこそが、至当である。

歴史の経路は方円かもしれない、という思いを常に抱き続けている。振り子であるように見えて、その振り子は円を描いているのではないか?とおもう。進歩と退歩とが常に同時に訪れ、全体としては円を描きながらぐるぐると個人も歴史も循環しているのではないか、と思うのは少し短絡的すぎるかもしれない。何を得て何を捨てたか、は常に敏感でありたいと思っているが、近視眼的で刹那的な生き方しか出来ないのだろうなと個人的には自分を見ている。

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【2009年6月】当ブログ記事別アクセス数ランキング

2009年6月の当ブログPV数ランキング。今月は色々お騒がせしたこともあって144,820PVと先月の87,314PVから約6万PV増でした。今月は35件とあまり記事が書けなかったので、7月はもう少し色々書きたいなーと思います。正直書きたいことがいっぱいあるのですが、書くのが追いつかなくてちょっともどかしい感じです。

また、新サイト「KnotWorking.Biz」も鋭意更新中です。こちらについては別エントリーで立ち上げてからの傾向などをまとめたいと思います。

以下、PV数多かった順に上位20エントリーです。

1. 解雇されたので起業します(2009.06.16更新)
2. 僕についての簡単な個人史その2(大学卒業から現在まで)(2009.06.12更新)
3. 僕についての簡単な個人史その1(誕生から大学卒業まで))(2009.06.09更新)
4. こんな映画「ノルウェイの森」キャストはイヤだ(2008.08.02更新)
5. paperboy&co.がトリックスターであったころ(2009.04.13更新)
6. 僕が会社の飲み会、特に大人数のが苦手な理由(2009.05.29更新)
7. 自己愛性パーソナリティの9つの特徴と自己診断チェックリスト(2007.09.19更新)
8. ホリエモン絶賛「関東ITソフトウェア健康保険組合」が凄い3つの理由(2009.03.05更新)
9. 完結が危ぶまれる作品(2009.05.28更新)
10.法務・ビジネス情報サイト「Knotworking.biz」を始めます(2009.06.17更新)
11.日本の多くの会社で宗教行為が行われていたのは何故か?(2009.06.21更新)
12.勉強会に否定的な上司の横っ面を札束でぶっ叩くための助成金案内(2009.02.07更新)
13.子供の頃、狂った様に絵を描いていた。17歳で全く描けなくなった。(2009.03.15更新)
14.入社後6ヶ月未満で従業員を解雇するときに会社に負わせるべき義務(2009.05.02更新)
15.「アテネの学堂」とは時代の知の多様性を描くことですよ(2009.06.08更新)
16.blogを匿名から実名にしてみて変わったことといえば(2009.05.08更新)
17.アルファブロガーという現代の「世間師」(2009.06.22更新)
18.モテない男性板が出来た経緯を当事者(自称)が告白するよ(2009.06.14更新)
19.お台場潮風公園の等身大ガンダム見てきました(2009.06.18更新)
20.幼児期の"Imaginary Companion"(空想上の友達)という現象(2009.06.04更新)

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アルファブロガーという現代の「世間師」

id:fromdusktildawnさんの渾身の記事「ネットの炎上は人類進化の必然で、健やかなる新時代を拓く鍵かもしれない - 分裂勘違い君劇場」を読んで、『「世間体」の構造』に書かれている神島二郎氏によるコミュニケーションの定義を思い出したのでちょっと書いてみます。

井上忠司著『「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)』(P133-134)

コミュニケーションには、大別して、<直流コミュニケーション>と<交流コミュニケーション>の二つの種類がある。直流コミュニケーションというのは、話し手と聞き手とが完全にわかれ、情報は話し手の独占するところであるようなコミュニケーションの形式をいう。それにたいして、交流コミュニケーションというのは、情報は参加者のすべてが共有するところであり、話し手は同時に聞き手でもあるようなコミュニケーションの形式をいうのである。

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前近代の日本において、<直流コミュニケーション>とは「世間話」であり、<交流コミュニケーション>は「うわさ」であった。かつて、「世間話」といえば「自分たちのすんでいる土地の生活や経験とはちがった、ソトの世界の消息のことであった。」その世間話をソトからもたらす人たちは「世間師」と呼ばれ、人々から大変もてはやされた。

そして今日(初版は1977年だが)、マスコミの発達によって「世間話」という<直流コミュニケーション>が著しく発達してきている、と著者は言う。ソトの世界の消息はメディアでしきりに発信され「世間話の日常化」現象が起こった。

同様のことを思想家の内山節も「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」で書いていました。

内山節著『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)』(P46)
ところがテレビの情報は客観的情報として提示されているかのようにみえた。テレビが伝える相撲の結果は、間違いなくそのとおりなのである。もちろんテレビにも作り手の主観が介在してくるのだけれど、そこで映し出され語られているものが、あたかも客観的な事実であるかのごとく伝えられていくのがテレビである。こうしてテレビの普及は、口語体の情報であるにもかかわらず人々から「読み取る」という操作を消し去らせ、与えられた情報を事実として受け取りその感想のみを感じるという、情報に関する新しい作法を生み出した。


日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)
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4 豊かさと引き換えに失ったもの5 近代化とは人間の意識そのものを変えることでもある5 自然と人間の共生としての世界3 見えない歴史を意識する5 面白かった!最後の数ページは泣きそうでした。


かつて日本中の村々にいた世間師たちの「ソトの世界の消息を知らせる」役割が戦後、テレビ・新聞などのマスメディアに一元化され、ここ十数年で再びWEBを通じて誰もが情報発信を出来るインフラが整ったことによって多くの人々の手に渡されました。

誰もが情報発信することで、WEB上には<直流コミュニケーション>的「世間話」があふれかえった。その中で多くの人の支持や注目を集めるのは、昔と変わらず「自分たちのすんでいる土地の生活や経験とはちがった、ソトの世界の消息」をもたらす人たちだ。より多くの人たちにとって「自分たちのすんでいる土地の生活や経験とはちがった、ソトの世界の消息」を感じさせることが出来ればできるほど重宝される。特にブログブームによって誕生した人気ブロガーはいわば現代の「世間師」と言っていいのではないかと思います。

昔と違うのは、誰もが「世間師」になれる可能性があるので、誰かにとっては新しい情報をもたらしてくれる「世間師」であっても、他方では普通の人でしかない。そのように「世間師」がより相対化されたのが現代のWEB世界なのでしょう。そのような世界では権威は創出されにくいのではないか?また、権威は、ある種閉鎖空間的世界で現出されるものであるだけに、今WEB上で権威と感じているものがあるとしてもそれは砂上の楼閣でしかなくて、いつでも流れ去るものなのでしょう。

一方、<交流コミュニケーション>は、日常において「うわさ」に限らず、様々な形でかなり活発になってきているように思うが、WEB世界においては、その構成原理が情報発信という<直流コミュニケーション>的なものであるため、個々の発言という情報の積み重ねが可視化されることで擬似<交流コミュニケーション>的空間がいくつも出来ているというのが現状だろうと思う。2ch然り、Twitter然り、はてなブックマークのコメント然り。<直流コミュニケーション>世界であるWEBでどれだけ擬似<交流コミュニケーション>を現出できるか?がこれから注目すべきところかなと個人的に思っています。

そのような世界では、僕はただただ、発信させていただく、だけなのかなと。それも、自身の愚かさも醜さも経験も知識も何もかもを発信することで、誰かにとっては発見があるかもしれない。あるいはコミュニケーションのきっかけが生まれるかもしれない。逆に誰かにとっては失望や怒りを与えるかもしれない。そのような何もかもをひっくるめて、ひたすらに発信していこうと思っています。

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4 日本人の原点3 アカデミックかはさておき5 再読すると改めて気づかされたところも多かったのは、もう古典だから5 頭をなぐられたかのような一書5 歴史は苦手でも

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いそがしいネコの目

YouTube - いそがしいネコの目

じゃらしっぽいおもちゃの動きに合わせてせわしなく目と前足を動かし、次第に全身運動になっていく猫さんの動画です。バタバタバタバタと超高速運動しはじめて忙しそうでかわいい。あの話題になったイモムシ猫さんですね。

そういえば猫とあっちむいてホイしても、指の動きに目が行って、顔は動かないので勝負にならないと聞いたことがありますが、これ見てたらそんな感じですねー。とてもおもしろいです。

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解雇されたので起業します

タイトルの通りですが、簡単な経緯など。

■解雇の経緯

解雇された、というのは一般的にはネガティブ情報と捉えられるのでオープンにしないという選択肢も考えたのですが、それを書かないと何故今起業しようとするのかという疑問に答えられないし、また、今後色々な人とお会いしていく過程でこれまでのキャリアの話になったときにその都度ごまかさなければならなくなるし、実のところ、解雇されたことをオープンにしないという選択は目先の利益を追うあまり、長期的にはあまり良い選択ではないなーと思ったので、書くことにしました。

経緯としてはとてもシンプルで、4月末のある日、風邪をこじらせて二日休み、三日目の朝上司に午後から出社する旨メールで連絡すると、「もう来なくて良い。今日付けで処理する」とメールで唐突な通告。「解雇ということですか?」「どちらでもいいが、あなたのキャリアに傷がつくので自己都合の方がいいですよ」「いえ、退職するつもりは無いので解雇されるつもりなら解雇通知書と解雇理由書を送ってください。その上で対応検討します。」

というやり取りのあと送られてきた解雇理由によると、勤怠不良による懲戒解雇とのこと。裁量労働制での勤務であるため、欠勤と言う概念がそもそも生じにくいのではないか?というのと、懲戒解雇は通常所轄労基署長の認可があって始めて可能であるが、病欠が懲戒解雇にあたるという訳も無く、また、それを理由に労基署長の許可が下りる可能性はほぼ皆無なので(なにせ逮捕された者ですら懲戒解雇にできない場合が多いぐらい)、これは労基署に申請せずに懲戒解雇を使ってきたのだな、と思い、すぐに内容証明で懲戒解雇の無効および解雇予告手当の請求を送付。会社は普通解雇に切り替え、解雇予告手当30日分を支給するということになり、4月末で解雇、という流れです。

まぁ、労働法の基本的なお話で言うと試みの使用期間14日は過ぎているし、普通解雇の要件すら構成出来ないことは明白なのですが、一応それを受けて今に至るという状況です。このあたり、会社の対応は労働法的に穴だらけなので、僕ならもっと上手くことを運ぶんだけどなぁ、と当事者であるにも関わらず色々アドバイスしてあげたくなって自分で笑ってしまった。たぶん社会保険労務士や弁護士等専門家にすら相談していないのではないだろうか?

■なぜ解雇にまでいたったのか?

何か人間関係が上手く行っていなかったのではないか?とか、僕が法を盾にやりたい放題していたのではないか、とか、あまりにも僕が無能であったのではないか?など疑念を抱かれるかと思いますが、自分としてはそういうことは無いんじゃないかと思っていたんですよねー。ただ、比較的、上司が期待していたほどのパフォーマンスは必ずしも発揮できていなかったようにも思うので、痺れを切らした可能性も無きにしもあらずですが、どちらかというと自己主張は少なく素直に色々聞くようにしていたように思います。人間関係も、特に誰かともめたわけでもなく、仲は良かったし、法的側面についても、未成熟な組織であれば往々にしてある事柄がほとんどだったので、特に殊更声を上げた訳でもないし。

何が上司をそうさせたのだろうか、と少し考えていてある日ああ、そうかもしれないという発見をした。上司はとあるところでブログを書いているのですが、僕と上記のメールのやり取りをした日の夜に書いていたブログの内容をざっくり意訳すると「欠勤しているのにブログを書くような奴は仕事中も手を抜くに決まっているので、会社にとって"悪"だ。組織に伝染する前に"ひねり潰す"」的なことがと書いてあった。

確かに欠勤中に布団の中からブログ書いたりはしてた。それが適切だったのか、適切じゃなかったのかわからない。僕はそれは問題ないことだと思うが、賛否両論あるだろう。で、ブログ自体は教えていなかったけど、なんらか検索してたどり着き、それを見た上司が僕に「悪」を見た。おそらく、入社してから20日あまりの僕の行動にも何らかの小さな不満をいくつか持っていたのかもしれない。それらが重なり合って僕を「悪」と考えた。その「悪」は会社組織と言う名の共同体に伝染する可能性がある、と彼は考え、それをなんとしても"ひねり潰す"=取り除かなければならないと彼は決意したのだろうか。

この心理は典型的な日本人性とでも言うような思考過程のように思った。ケガレを共同体から取り除く、ということなのか。上司は一見、振る舞いも仕事もとても常識人で、有能と言って良く、考え方もシビアに物事を切り分けて考える人であったように見えたので、そういう普通の人の中に横たわるこのような心理は実に興味深いと思うとともに、これまで日本人性だとか共同体だとか空気だとかを色々興味を持って調べたりしていながら、当然のごとく人々の中に存在していることに気付かなかったことは大いに反省しなければならないなぁと思う。

この共同体性は多くの場合、法の規範よりも圧倒的に重視されるというのは理屈ではわかっていたけれど、この社会で生きる以上、その共同体性みたいなものに敏感でないと、時に人は不条理で、不合理とも言える行動を起こそうとするということが身をもってよくわかった。

さて、これからどうするかなのだけれど。

■起業します

実際、次の就職先を探そうかとも思ったのだけれど、前々職、前職の就職活動で、転職エージェントのべ50社弱、エージェントと媒体や直接応募など様々な手法で前々回51社、前回63社に応募してそれぞれ一社づつだけの合格だったので、今回転職活動をするなら100社近くに応募し、かつ最低でも3ヶ月程度かけても一社採用されるかどうかだろうなという感覚があり、かつ僕の経歴から考えても採用される確率はかなり少なくなっていると思う。僕が企業の人事担当者なら、僕を採用するかどうかはかなり躊躇するな、と客観的に考えても思う。また、これはちょっと自分でも失敗したなーと思うのだけれど、解雇の場合、雇用保険の受給対象期間は六ヶ月からなのだけど、僕の場合5.5ヶ月であと一歩足りなかった。さらに長期的な転職活動に耐えられるほどの蓄えも、もうない。という状況。

ならば終わりの見えない消耗戦的な転職活動に注力するよりも、自分で仕事を作り出すことを考える方が活路が見出せるんじゃないか?と。

これまでの人生を振り返ると、何かに自身のすべてを、身を差し入れたときに初めて、好転してきたように思っているので、これからはインターネットそのものに身を差し入れることで活路を見出す必要があるんじゃないかという思いがあります。そこで自身について読んでもらえるかどうかは別にして、これまでの僕自身のことを極力さらけ出してしまえという趣旨で書いたのがここ数日のエントリーで、僕にとっては、イニシエーション的な意味合いがあったので、思っていた以上に多くの人に読んでいただけて恐縮です。

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僕についての簡単な個人史その2(大学卒業から現在まで)

正直、僕ができることというのは少なくて、ブログを書くことと総務・事務・法務・労務的な知識と経験をほんの少しだけ持っているということぐらいでしかない。その僕ができるささやかなことを提供できないだろうか?と思い、まずは特にベンチャー企業などを中心とした様々な「事務の受託」や、情報発信、他僕に求められる様々なことに応えていくことで生計を立てて行ければと思います。思いとしては以前かいた「4月から組織人事コンサルタントに転職しました」と特に変わりはないですね。

そのためには、どれだけのことを僕が提供できるか、提供し続けている様子を見てもらえるかにかかっているので、WEB上に僕ができるすべてのことを出し続けていきたいと思います。

ただ、起業すると言っても、そもそも資金どころか、生活費すら数ヶ月で底を尽きそうな感じなので、公的融資を申請しようとしていて、無理ならバイトとかしながらでも進めていかないとな。という状況ではあるんですが、そこはなんとしてでもと。

最後に、これから進んでいく過程は正直全く見通しが立っていなくて、勝算ねぇなーという思いがとてもある。で、先日宮本常一の本を引用した「見通しもきかぬ道を行くときは歌を歌え。誰かが聞いていてくれる」という記事でも書いたけれど、このブログは僕がこれから見通しもきかぬ道を行くために、張り上げる歌のような役割を担うことになるんだとおもう。

「忘れられた日本人」(P25-26)
こういう山の中でまったく見通しもきかぬ道を、あるくということは容易ではないという感慨を述べると、「それにはよい方法があるのだ。自分はいまここをあるいているぞという声をたてることだ」と一行の中の七十近い老人がいう。どういうように声をたてるのだときくと「歌を歌うのだ。歌を歌っておれば、同じ山の中にいる者ならその声をきく。同じ村の者なら、あれは誰だとわかる。相手も歌をうたう。歌の文句がわかるほどのところなら、おおいと声をかけておく。それだけで、相手がどの方向へ何をしに行きつつあるかぐらいはわかる。行方不明になるようなことがあっても誰かが歌声さえきいておれば、どの山中でどうなったかは想像のつくものだ」とこたえてくれる。私もなるほどなぁと思った。と同時に民謡が、こういう山道をあるくときに必要な意味を知ったように思った。
忘れられた日本人 (岩波文庫)
忘れられた日本人 (岩波文庫)
宮本 常一

歌い続けようと思っています。転がっていく岩を追いながら。

ということで、次のエントリーで新たに始めるサイトを紹介します。

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僕についての簡単な個人史その1(誕生から大学卒業まで)

今までも断片的にこれまでの僕のエピソードは書いたりしてきたけれど、ちょっと僕の生まれてからこれまでの過程をまとめておきたいと思う。長くなるので、分割するのだけれど、実際多くの人に読まれることを想定した作りではなく、自分のまとめとしての意味合いの方が強い。というか、今まとめないと先に進めないという理由でのまとめかなと思うので、読みにくいのはすいません。

僕は昭和47年、東京で生まれた。父はフリーのドラマー、母も同じくフリーのピアニストでどちらも地元が九州ということもあり、また同じ音楽関係の仕事をしていることもあって恋愛結婚だったようだ。程なく僕が生まれるが、しかし、僕が生まれた頃には二人の関係は冷めていてすぐに別居に至ったらしい。親権は父が持ったが、ドラマーをしながら男手で育てられないと思ったか、2歳で僕は福岡の祖父母の元に預けられた。物心つくころには僕は既に祖父母と暮らしていて、父は盆と正月のほか、地方巡業のついでで年に数回福岡にくる程度だったと思う。

たまにやってきてやさしくしてくれるおじさんは「お父さん」なのだという話は聞かされていたし、まぁ好きだったのでそれなりに懐いていたが、年に数回やってくる時以外は存在自体忘れていたと思う。

小学生になると、毎年夏休みの一ヶ月余りは東京に一人旅するのが年中行事になった。まず夏休みの半分は「お父さんの家」へ行き、半分は「お母さんの家」へ行く。と言っても父も母も仕事が忙しいので東京に行っても一人でいるか、父の「友達の女性」や母の「友達の男性」と遊ぶことも多かったなと思う。どちらも仕事柄夜勤も多く、住み慣れないマンションやアパートに夜中一人で居ることもたまにあって、それは最初は流石に恐かったが何年か繰り返すうちに徐々に慣れていった。夜中に一人で居るときは、窓ガラスや鏡にうつる自分の姿をぼんやり眺めていると楽しいという発見をした。

この家族関係が一般的ではないことを知ったのは小学校の中学年ごろだったかなと思う。夏休みが終わり二学期に入って「夏休みの思い出」みたいな作文を発表する授業があったのだけど、僕は無邪気にこういう内容の作文を読んだ。

「○月×日から○月×日までは東京にあるお父さんの家に言ってお父さんとお父さんの彼女と映画に行ったり、どこどこに行ったりしました。そのあと○月×日からはお母さんの家に行って、お母さんやお母さんの友達とプールに行きました。そして・・・」

クラスがすごくざわついた。どうやらみんなは夏休みにお父さんの家とお母さんの家には行かないらしい。そういえばお誕生日会などでクラスメートの家に行くとお父さんやお母さんがいたな、と思った。

基本的に小学生のころは一人でいても特に不都合を感じず、空想の世界で遊ぶのが好きだった。このあたりから、中学生ぐらいにかけての心理状態のことは以前書いたとおり。(→子供の頃、狂った様に絵を描いていた。17歳で全く描けなくなった。

小学校高学年になっても東京の両親の家にそれぞれ行くのは年中行事だったが、ある年母は引っ越して母のほか多くの人たちと住むようになっていた。そして、赤ちゃんもいた。特に何か説明された覚えがなかったが、気にせず過ごし、その年に母の家から去るちょっと前にふと沸いた疑問をぶつけてみた。「あの赤ちゃんはだあれ?」「ああ、あなたの弟よ」なるほど。弟か。と思った。その年以降、母のところに行くたびに弟は大きくなり、さらに妹とその下の弟も出来ていた。

一方、父もまた年下の新しい彼女を見つけていて、東京の父の元を訪れたある日、映画を観にいこうと父に誘われ、ついていくと女性を紹介された。確かそのときはかの名作「ストリート・オブ・ファイヤー」とロバート・レッドフォードの傑作「ナチュラル」を見たんだったと思う。この二本は僕にとって映画の原体験に近い。あまり物事に心動かされる方ではなかったが、なぜだか無性に気持ちが高揚したのを覚えている。その後父とその女性は結婚し、僕には弟があらたに出来る。整理すると実母と義父の間に弟二人妹一人、実父と義母の間に弟一人という構成。

中学生になると、福岡の我が家はちょっとした事件に揺れていた。当時豊田商事事件というのが世間を騒がせていたが、うちもその被害にあっていたのだった。豊田商事系列の鹿島商事という会社の(そうそう、ここはうまく大手企業の名前をもじった社名をつけていた)営業マンに言葉巧みにだまされ、ゴルフ会員権などを買わされていたのだった。祖父母は現預金のほぼ全てを騙し取られており、結局家と土地を手放し近所のマンションに引っ越した。その年の一年を振り返る的特番で顔を伏せて祖母が"○万円取られたおばあちゃん"としてインタビューに答えていたのは我が家でちょっとした話題になっていた。

そして、引っ越す少し前、祖父は倒れ、入院しそのまま寝たきりになった。家土地を処分したお金は父が管理し、当時上り調子だったこともあって株式など投資で運用しようとしていたらしい。らしいというのは詳しいことはよく知らないからだ。86〜87年ごろ、仕送りも結構くれていたようだし、たまに福岡に帰ってきたときもおこづかいは多くくれたので、確かに父は羽振りがよかったと思う。

しかし、高校生の僕を抱えて70代後半の祖母は多少親戚の助けはあったもののほとんど一人で寝たきりの祖父を看病していた。その疲れもあって祖母も少し体調を崩し気味になっていたが、祖母はそんなそぶりはほとんど見せず、そもそも僕が鈍感なこともあって、大変だということはあまり気付かなかった。

高校三年生になってすぐ、祖父は他界した。1900年に生まれ、1990年に死んだ。16歳でタバコ屋の丁稚奉公から初めて当時珍しかった洋菓子職人になり、福岡でも有名だったらしいが、僕が物心つくころにはすでに引退していた。父は祖父が作った大きなエッフェル塔を模したケーキの写真をしきりに見せてきていたのを覚えている。祖父は何も言わなかったが、父にとっては誇りだったのだろうと思う。父が喪主となり、葬儀はつつがなく終了した。

高校生のころはもう東京へはあまり行かず、もっぱら福岡で過ごすのが常だったが、大学受験に際しては僕には東京の大学を受験してほしいと父が言ってきた。祖母とも東京に呼びたいのだと。そこで、僕は受験は福岡の複数の大学と東京の大学を受験するのだが、受験のため父の元を訪れたとき、ちょっとした、しかし決定的な事件がおきてしまう。

その日は父は出張のため不在で、義母と3歳ぐらいの義弟の三人。翌日に受験を控え、ゆっくりしていた。原因はまったく覚えていないのだが、義弟が何かのきっかけで癇癪を起こし、僕に泣きながら物を投げつけてきた。その後、これも経緯がよくわからないのだが義母と口論になり、それが落ち着いたあと、義弟が寝たのを見計らってから少し義母と僕でゆっくり話をすることになった。

義母「あなたが小学生で、彼の後ろについてきて最初に出会ったときから、合わないなと思ったの。どんな時でも、子供とは思えないぐらい何かを見抜いたような目線と態度でいるのを見るとダメなのよ」

僕「ああ、たぶん僕もそうで、あなたとは合わないだろうなと思っていた。東京で一緒に暮らすのはたぶん無理だろうし、もう東京にはこないようにしようと思う」

父に連絡し、「受験は取りやめて福岡に戻る、僕が東京で暮らすことはないだろう」と伝えた。電話口で父は戸惑っていたが了承してくれた。その後義母とは思い出話を少しして翌朝、福岡に戻った。これ以降義母とは会っていない。

地元の私立大学に入学した僕は、テニスサークルに所属したりして楽しく毎日を送っていたが、祖母は入退院を繰り返すようになり、日々あわただしくなりかけていた。そして大学一年生の終わりごろ、祖母が決定的に体調を崩し入院、寝たきりとなり、また金銭的にも我が家は貧窮しはじめる。父はほぼ全財産を土地や株式の投資につぎ込んでいたが、バブルが崩壊するとともに、どうやら高値で掴んで一気に価値が目減りして紙くず同然となってしまっていたらしい。さらに追い討ちをかけたのは父の失業で、音楽業界は当時急激な世代交代が進んでいたらしく、スタジオミュージシャンやさまざまな歌手のバックバンドを勤めるだけのドラマーは淘汰されていっていたようだった。父はかなりの借金を抱えてしまったらしい。

まったく根拠無い、僕の主観でしかないのだが、どうしても当時、小室哲哉という人を好きになれなかった。小室に代表される新しい音楽のムーブメントが父の仕事を奪ったのではないか?という疑念が拭い去れなかったからだ。だから、最近の彼の凋落は、見ていて本当になんとも言えない思いに駆られた。ざまぁみろとかではなく、掻き毟られるというか、つらいというか、もやもやとしたなんともいえない思い。なんだろ、むごいとでもいうか・・・なんでだよ、とおもう。

そのようなこともあって、祖母が入院し、退院のめどもつかないことから、まず、僕は引っ越した。四畳半。シャワートイレ共同。家賃1万8000円(当時)。また、父と話して、最低限大学は卒業したいと伝えた。当時所属していたサークルが居心地良かったのもあって、大学には残っておきたいと思ったからだ。学費を稼ぎつつサークル活動をしつつ祖母の元に通う日々だった。大学は卒業するまで六年かかった。

そのころ、父はどんどん追い詰められていたらしい。しきりに金の無心や借金の保証人になってほしいと電話がかかってくるようになり、その都度断ることの繰り返しになっていた。ある日、父から電話で「学校から学費を支払うように連絡があって、俺の方から振り込んでおくから、学費のお金を振り込んでくれないか?」と連絡があった。何故だろう。そのとき何故か言われるままに父に送金したんだ。信じたかったのかもしれない。数日後、大学から学費が振り込まれていないとの連絡。父に連絡すると「使ってしまったんだ。借金を返さないといけなくて・・・」そうか。と思った。これはもうダメかなと思ったが、普段、色々相談に乗ってくれている学生課の方が個人的にお金を用立ててくれた。なんとか助けられた。父からは数年後、全額返してもらったが、取り返しのつかない亀裂は出来てしまっていたと思う。

大学三年生のころ祖母は亡くなった。父に電話したが、父は絞るような声で「行けないんだ・・・」と伝えてきた。「何故?」「すまない」「おばあちゃんが亡くなったんだよ?」「行けないんだ・・・すまない」

親戚が数人参列しただけの、僕と祖母の二人きりの葬儀はつつがなく終了した。祖母は、先を行く人だった。戦前、当時福岡に進出した大手保険会社初の女性社員としてキャリアを積み、弟、妹の学費を払いながら祖父と恋愛結婚をし頑固な洋菓子職人の祖父を支えた。オカルトかもしれないが、祖母には今でも支えられているとおもうときがあり、そういう特別な存在感は僕の中にある。

その後、父とは一度だけ会った。就職が決まった数週間前だったと思う。特に何を話すでもなく、喫茶店で時間を過ごし、別れた。もう15年近く前だ。その後、父とは会っていないし、正直なところもう、父のことは顔すら忘れてしまった。母とは大学四年生のころに会った。二人とも健在なら64歳になっているだろう。実は生きているのかどうかもわからない。親不孝、と人は言うかもしれない。時が解決してくれるとは思うのだが、そろそろ会わなければならないのかもしれないとも思う。まぁ、連絡先すらわからないのだけど。

そんなこんなで、僕は大学をなんとかかんとか卒業し、まずは損害保険会社に就職することになるが、社会人としての僕はそのままインターネットと出会いのめりこんで行く過程とも重なるので、記事をあらためて書こうと思う。

なんだろう。生まれてから大学を卒業するまでのこの期間というのは、振り返ってみると家族の喪失の過程であり、コミュニティの喪失ともつながるし、また、どのような環境にあっても感じてしまう所在無さのルーツ的な何かがあるようにも思う。独りであることも多かったが、多くの人の中に埋没してしまってもいて、それはそれで独りでいるときも、人の間で埋没しているときも楽しかった。ごくまれに、人に自身のこういう話をすると、大変だったねと言われるのだが、実のところ大変だと思ったことはほとんどない。そのようなものだろう、と受け入れていた。

ちょうど、大学生のころにこの本を読んだ。何度も何度も何度も読んだ。たぶん、色々なことをシーシュポスに重ね合わせたような気がする。

シーシュポスの神話 (新潮文庫)
カミュ 新潮社 売り上げランキング: 7345
(P173)
影を生まぬ太陽はないし、夜を知らねばならぬ。不条理な人間は「よろしい」と言う、かれの努力はもはや終わることがないであろう。ひとにはそれぞれの運命があるとしても、人間を超えた宿命などありはしない、すくなくとも、そういう宿命はたったひとつしかないし、しかもその宿命とは、人間はかならず死ぬという不可避なもの、しかも軽蔑すべきものだと、不条理な人間は判断している。それ以外については、不条理な人間は、自分こそが自分の日々を支配するものだと知っている。人間が自分の生へと振り向くこの微妙な瞬間に、シーシュポスは、自分の岩のほうへと戻りながら、あの相互につながりのない一連の行動が、かれ自身の運命となるのを、かれによって創りだされ、かれの記憶のまなざしのもとにひとつに結びつき、やがてはかれの死によって封印されるであろう運命と変わるのを凝視しているのだ。こうして、人間のものはすべて、ひたすら人間を起源とすると確信し、盲目でありながら見ることを欲し、しかもこの夜には終りがないことを知っている男、かれはつねに歩みつづける。岩はまたもころがっていく。

「岩はまたもころがっていく」その岩を追いながら「すべてよし」とおもう。

次回、就職してから現在まで、と現在〜これからについて書きます。

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【2009年5月】当ブログ記事別アクセス数ランキング

Googleアナリティクス調べ。2009年5月の当ブログページビュー数ランキングです。今月は総PV数が87,314pvで前月の倍ぐらいになりましたが、特にアクセス数1位、2位のエントリがどちらも1万PVを超えたことが大きいです。

実は、「既存宗教に変わって急拡大する「宗教的なるもの」への信仰」、「気が付くと個人事業主が凄い勢いで減少している件」と「裁量労働制度は何故長時間労働の温床になり形骸化するのか問題」のエントリーは統計データ+所感という客観+主観の組み合わせの内容だと人の興味引きやすいのではないだろうか?というお試しをちょっとしてみた記事でもあったりしますが、結論としてはあまりニッチになりすぎなければ以下の通りとても興味を引くようだという手ごたえがありましたので、これからも時間が許す範囲で書いていこうかなと思います。

1. 既存宗教に変わって急拡大する「宗教的なるもの」への信仰(2009.05.10更新)
2. 気が付くと個人事業主が凄い勢いで減少している件(2009.05.03更新)
3. こんな映画「ノルウェイの森」キャストはイヤだ(2008.08.02更新)
4. 完結が危ぶまれる作品(2009.05.28更新)
5. イスを無くしたキヤノン電子さんは障害者雇用はどうしてんの?(2009.05.19更新)
6. 僕が会社の飲み会、特に大人数のが苦手な理由(2009.05.29更新)
7. "うざい"という言葉を全国的に流行らせたのは誰なのか問題(2009.05.20更新)
8. 新語「けまらしい」の誕生から普及の過程が興味深い(2009.02.23更新)
9. 国内で協力して助け合おう(2009.04.28更新)
10.blogを匿名から実名にしてみて変わったことといえば(2009.05.08更新)
11.自己愛性パーソナリティの9つの特徴と自己診断チェックリスト(2007.09.19更新)
12.ホリエモン絶賛「関東ITソフトウェア健康保険組合」が凄い3つの理由(2009.03.05更新)
13.映画ノルウェイの森キャストが決定(2009.05.14更新)
14.なぜ人は「呪い」とその「効果」の間に因果関係があると考えるのか?(2009.05.20更新)
15.裁量労働制度は何故長時間労働の温床になり形骸化するのか問題(2009.05.13更新)
16.勉強会に否定的な上司の横っ面を札束でぶっ叩くための助成金案内(2009.02.07更新)
17.埼玉、千葉、中央線沿線の地理はブロガーの必須素養だが(2009.05.14更新)
18.僕が読んでいる法律系ブログ×15サイト(2009.05.23更新)
19.「受けてみたフィンランドの教育」実川 真由,実川 元子 著(2009.05.23更新)
20.日本の骨信仰の終わり(2009.05.06更新)

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「社」という語の由来から垣間見る日本人のコミュニティ信仰

古代日本のこころとかたち (角川叢書)
古代日本のこころとかたち (角川叢書)
上田 正昭

古代日本のこころとかたち (角川叢書)」(P225)
そもそも「社」という漢字はもともと耕作神や土地神を意味したが、やがてそれを祭祀する建物を指すようになり、そこが人々の団結のきずなを固める場ともなったので、人間の組織や集団にも、「社」の字が用いられるようになる。

社(ヤシロ)は古くからモリと呼ばれていた。

古代日本のこころとかたち (角川叢書)」(P222)
古代やまと言葉の「モリ」は、朝鮮語の"mori(山)"と同源とみなされているが、古文献にみえる「モリ(母理・文理・茂理)」の本来は自然の樹林を意味し、なんらかの人工が加わった樹林は「ハヤシ(拝志・拝師)」とよんだ。自然林は山にあって「モリ」をなし、里や山麓などには「生やし」た樹林が形づくられる。

ヤシロは屋代という字があてられるが、これはマツリの建物のある場所というのが原義で、その「ヤシロ」には「樹林」があった。このあたりの言葉は一体と言っていいのかもしれない。

つまり、社(モリ)は鎮守の森であり、鎮守の森は「カミとヒトとがまつりを媒介として集いあう寄合の場」であるといえる。

古代日本のこころとかたち (角川叢書)」(P225)
「社」は土地の神、そして土地の神々を中心とするコミュニティーを意味したが故に、「社会」「結社」「会社」などの熟語もまた誕生した。「叢」は草木のむれだが、「社叢」は土地の神のモリであり聖なるコミュニティーのモリでもあった。

「社会」「会社」などはそれぞれsocietyやcompanyが輸入されたときに翻訳用に作られた造語だがおそらくは社という語が持つコミュニティの意味をあてたものなのだろう。

鎮守の森信仰は山岳信仰から生まれている訳なのだけど、「照葉樹林文化とは何か―東アジアの森が生み出した文明」(→「「照葉樹林文化とは何か―東アジアの森が生み出した文明」佐々木 高明 著」)によると照葉樹林文化と目される中国南部、東南アジア、西日本にかけての一帯に共通する信仰が山岳信仰なのだそうだ。もちろん原ユダヤ教もシナイ山を中心とする山岳信仰なので照葉樹林一帯に限られる訳ではないが、照葉樹林という鬱蒼と繁り、かつ涵養機能に富んだ植生が信仰に影響は与えている可能性は多いにある。

照葉樹林文化とは何か―東アジアの森が生み出した文明 (中公新書)
照葉樹林文化とは何か―東アジアの森が生み出した文明 (中公新書)
佐々木 高明

で、西日本一帯と書いたように最初から日本全体としてそうだったわけではないだろう。山岳信仰から森・樹林への信仰へ、そしてその信仰を背景としたコミュニティに価値を置く思考がこれまでの歴史の中で(特に江戸期の農村かな)に醸成され、明治維新・第二次大戦後のここ100年に均一社会であろうとする方向へと突き進んできたことで日本中に広く浸透してきた。

「社」という語だから、という訳ではなく、「コミュニティやコミュニケーションの場が信仰の対象」という文化を持っていた背景があっての日本の「社」会性というところを考えていくと、なぜこれほど現代の日本人が組織や集団に身を預け、埋没し、依存し、熱中するのかの一端が垣間見えないかな?と思ったりしています。

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寡作すぎて新作が待ち遠しい4人の映画監督

先日のエントリー(→完結が危ぶまれる作品)を受けて、寡作すぎて次はいつ新作が観れるのか、ファンとしてはいてもたってもいられない4人の監督を個人的な趣味で選んでみました。基本的に、賛否はあれど寡作で、かつ映画的にハズレではない、どちらかというと傑作・佳作の部類に属する作品ばかりの人たちを厳選したつもり。

■ヴィクトル・エリセ
寡作監督といえばヴィクトル・エリセ、エリセと言えば寡作と言うぐらいに寡作の代名詞的なスペインの監督。

ビクトル・エリセ DVD-BOX - 挑戦/ミツバチのささやき/エル・スール
ビクトル・エリセ DVD-BOX - 挑戦/ミツバチのささやき/エル・スール

「みつばちのささやき」の官能、「マルメロの陽光」の静寂などどれも甲乙付けがたく、それぞれに味わい深いのだけど、個人的にはエル・スールかなと思う。主人公の少女が今住んでいる"北"の寂しさ、父と祖父の物語。語られない父の故郷"南"のこと。彼女の中で広がる父の出身地である"南"への想像。このあたりは実に緻密で息を呑むほどに画面から目が離せない。そして少女は南を目指す・・・ところで終わる。

なんでも、本当はエリセは南に行ってからの脚本も書いていたらしいのだがプロデューサーから撮影ストップを言い渡され、北だけの描写に終わったのだという。エリセは「不完全な作品」と言っているらしいのだけど、いやいや、それでも大傑作です。

参考
映画エル・スール

ビクトル・エリセ DVD-BOX - 挑戦/ミツバチのささやき/エル・スールマルメロの陽光 [DVD]10ミニッツ・オールダー コレクターズ・スペシャル [DVD]

■アレハンドロ・アメナーバル
同じくスペインの、若手寡作監督。主にホラーサスペンス系作品でその才能を発揮し、映画二作目の「オープン・ユア・アイズ」はトム・クルーズがリメイクして「ヴァニラ・スカイ」が作られ、三作目の「アザーズ」はトム・クル全面協力で二コール・キッドマン主演でハリウッドデビューを果たし、近作「海を飛ぶ夢」では監督四作目にして早くもオスカーの外国語映画賞を受賞してもうた。またミュージシャンとしても各監督作品のほか、「蝶の舌」「パズル」などのスコアを担当。で僕と同じ1972年生まれ。なんじゃこの天才(笑)ま、どちらかというとこれからの人なので寡作というのはちょっと語弊があるかもしれない。

アメナーバル・コレクターズBOX [DVD]
アメナーバル・コレクターズBOX [DVD]

「オープン・ユア・アイズ」は最初見たとき、その完成度の高さに開いた口がふさがらないというか、久しぶりに、おお、映画ってすげーーと興奮させられたのだけど、デビュー作「テシス 次に私が殺される」も実にすごい。

23歳で撮ったこのデビュー作は公開されるやいなやスペインの興行成績の最高記録を更新し、ゴヤ賞の作品賞他七部門を受賞してしまった。日本では劇場公開したのか知らないが僕はレンタルビデオで観た。「殺人論文」というタイトルでビデオ屋のホラーコーナーの隅っこに眠っていたのに目が留まり借りたんだが、女子大生が暴力をテーマにした卒業論文を書こうと研究しているとき、大学の書庫かどっか忘れたけど、スナッフフィルムを発見。恐れつつも徐々にスナッフフィルムに魅せられ、調査を進めていくという話。主演が「みつばちのささやき」の少女アナ・トレントなんであります。すっかり大きくなって、再び寡作の天才の華麗なデビューに関わるという、なんとも運命的なっつーか、呪いみたいな(笑)ものを感じますね。少女というか幼女の頃とはまた違った魅力が発揮されていてとてもいいです。

アメナーバル・コレクターズBOX [DVD]海を飛ぶ夢 [DVD]アザーズ [DVD]オープン・ユア・アイズ [DVD]

■ベルナール・ラップ
テレビプロデューサーから映画監督に転進したフランスの映画監督だが、この人は少ないなー。日本公開済みなのは二本だけで、未公開あわせても四本しか撮っていない。が、その日本公開済みの二本が実に面白い。

私家版 [DVD]

ある作家の新作小説を目にした編集者は愕然とする。30年前に恋人がレイプされ自殺に追い込まれた事件の真相が書かれていたからだ。ということで、彼は復習のため贋作のトリックを使ってその作家を破滅に追い込んでいくというサスペンス。

テレンス・スタンプの知的で冷徹で紳士的で静かな、しかし熱い復讐心に駆られる存在感が実にすばらしい。また、じわじわと真綿を締めるように、様々な伏線が徐々に相手を追い込んでいく緻密で張り詰めた展開が実にすばらしい。知的で冷徹な紳士サド親父ファン必見です。

趣味の問題 [DVD]
趣味の問題 [DVD]

グルメな中年の経営者がレストランで働く若くてハンサムな青年を自分の味見係として雇い自分とまったく同じ味覚を持つように鍛え上げていき、徐々に味覚に留まらず様々な趣味、趣向、さらに女までも共有するように求めていき、彼もまたそれに応えていこうとする、というかなりフェティッシュなすごい作品。自己と同一なる者を希求せずにいられない中年男と、それに応えてアイデンティティが揺らいでいきつつも、苦悩する青年二人の関係の心理描写が可笑しくて切なくて美しい。フランソワ・オゾンの「焼け石に水」など知的サドで美中年なキャラがハマリ役のベルナール・ジロドーの演技は一見の価値有り。


■イ・チャンドン
勧告映画界で韓流メロドラマブームに関係なく骨太の作品を作っている監督というと「JSA」「オールド・ボーイ」のパク・チャヌク、「魚と寝る女」「悪い男」のキム・ギドクとこの人かなーと思います。

特にこの人は寡作かつ傑作しかないところで有名。2007年まで韓国政府の要職にあったこともあって寡作なのかもしれないですが、90年代後半から2000年代前半の僕が映画に狂っていたころ、この人の映画が立て続けに公開されすっかり魅せられてしまいました。近作「オアシス」でベネチア国際映画祭監督賞、「シークレット・サンシャイン」で主演女優がカンヌ国際映画祭主演女優賞をそれぞれ受賞。

デビュー作のグリーンフィッシュは田舎者が都会に出てやくざの下っ端になるんだけど、夢は家族でお店を持つことというケン・ローチ的アウトロー系人情モノ映画でとても味わい深い佳作なんですが、心臓打ちぬかれたのは二作目のペパーミントキャンディー。

ペパーミント・キャンディー [DVD]
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冒頭、主人公の中年男は線路の上に飛び出して今まさに迫り来る列車に相対して絶叫する。死を選ぶことしかできないほどに彼を絶望させたものは何なのか?を現代から徐々に遡って大学生の頃まで遡っていく人生逆回転ムービー。その背景にあるのは現代韓国社会から光州事件までを振り返る韓国近代史の20年を総括する試みでもある。中年男は現代になぜ絶望したのか。経済成長に乗って成功しながら妻の浮気や経営破たんに直面して絶望して死を選ぼうとする40歳の現在。少し遡って暴力刑事として幅を利かせる壮年期。光州事件で警官隊の一員としてデモ学生を打ちのめし罪悪感に駆られ苦悩する青年時代、初恋の人や仲間とともに過ごした楽しかった大学時代。"ペパーミントキャンディー"の甘酸っぱさに涙が止まらない傑作ですねー。

あと、主演のソル・ギョングがすごすぎ。40代の現代から20代の大学生までを演じてのけちゃった。大杉蓮が徐々に内野聖陽になっていく過程をゆっくりお楽しみいただける作品にもなっています(笑)

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他、寡作というとテレンス・マリックの名前も挙がるかと思いますがシン・レッド・ラインぐらいしか見てないのと、最近結構映画撮ってるっぽいので外した。あと日本だと長谷川和彦とか小栗康平とかでしょうか。長谷川和彦は「青春の殺人者」「太陽を盗んだ男」とも傑作でやたら面白かったけど、もう監督無理そう?ということでパス。小栗康平はみてない。寡作でトッド・ソロンズも名前浮かんで、ハピネスもストーリーテリングもウェルカム・ドールハウスも面白かったけど、作風的に「好き」と公言すべきではない、もっと暗い部屋の中で一人ニヤニヤすべきヒトなんでやめとく(笑)あー、あと「裏切り者」「リトルオデッサ」のジェームズ・グレイについても書きたかったけど、またの機会に。

ということで、特に僕が好きな4人の寡作監督のご紹介でした。

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「受けてみたフィンランドの教育」実川 真由,実川 元子 著

受けてみたフィンランドの教育
受けてみたフィンランドの教育
実川 真由,実川 元子


2004年8月から2005年6月まで高校二年生の約一年間、AFSという高校生の交換留学を主な活動とした、国際教育交流団体を通じてフィンランドのヘルトニエミ高校に留学した実川真由さんの留学体験記。教育大国として知られる同国で実際に受けた授業の内容がとても興味深くて面白かった。

■フィンランド教育はすごいらしい
OECDが2000年度より行っている義務教育終了段階にある15歳の生徒を対象に、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシー、問題解決等を調査した国際的な生徒の学習到達度調査(PISA)で、フィンランドは2003年調査では40ヶ国中読解力、科学的リテラシー1位、数学的リテラシー、問題解決2位と群を抜いて総合的に高い調査結果となり、2006年も高水準を維持している。

■フィンランド教育の特徴
同書では主に留学をした真由さんの体験談+お母さんの元子さんがデータ等を元にフィンランド教育の現状を補足説明という構成となっており、主に真由さんの目から見たフィンランド教育の特徴を箇条書きにすると以下のような感じです。

・受験がない
・授業料無料
・塾もない
・校則がない
・高校から単位制
・全科目自由選択なので、登校時間もバラバラ。授業の間の休み時間は教室は施錠され入ることが出来ない。
・テスト前は「勉強」しない。その代わり「読む」
・フィンランドのテストはほとんどが作文(エッセイ)
・日本のテストは暗記だがフィンランドのテストは知識を詰め込み、詰め込んだ知識を元にして自分自身の意見を書くこと
・テストに制限時間が無い
・数学のテストは計算機持込可。計算機を使いこなしながらいかに考えるかに重点を置く
・英語の授業は英語のみを使って行う
・英語の授業では英語の映画、ドラマ、ニュースなどを鑑賞して終わることが多い。
・20分程度英語のテープが流れ、その聞いた内容を書き取り。
・英語でエッセイを書く
・プレゼンテーションに時間を割く。
・生徒に様々なテーマでプレゼンテーションをさせ、生徒が行ったプレゼンテーションからもテストが出題される。
・留年は多いが当然のことと受け止められている。分からないことを分からないまま卒業する方が恥ずかしいこと。
・先生の社会的地位は高く、専門家として尊敬されている
・高校を卒業したあとは数年仕事をしたり、休養したり、徴兵義務を果たしたり、ボランティアをしたりした上で大学進学をするかどうか決める。
・高校卒業後に直接大学に進学するのは三割程度。ほとんどは20代〜30代で入学する。

■外国語教育に熱心
特にフィンランドでは多様な言語を学ぶことを重視し、教育の基本理念としているという。

公用語がフィンランド語とスウェーデン語の二種類あり、さらにサーミ語やロマ語などを母語とする人たち、手話者への配慮をした教育基本指導要領がまとめられ、小学校から母語+母語以外の言語を学ぶことが義務になっている。例えばフィンランド語が母語の人はスウェーデン語、スウェーデン語が母語であればフィンランド語というように。何年生から学ばせるかは学校によって違うとのことだが、著者が留学したヘルトニエミ学校ではフィンランド語を母語としている地域にあり、小学三年生から高校生卒業までスウェーデン語が必修であるという。さらに小学四年生からは「外国語」として英語、フランス語、ロシア語の中から一ヶ国語を選択、さらに中学生からは第二外国語が選択科目になるという。

上にも列挙したが、実際の授業でも英語が重視されているようで、授業そのものは英語のみで行われ、英語の聞き取りやスピーチ、プレゼンテーションなどが頻繁に行われ、テストは英語のテキストや本を読み作文をまとめなくてはならないのだそう。

日本の学校では英語が得意だった真由さんも苦労している様子が良く分かるが、彼女が見つけたコツが的確でとても参考になる。曰く「簡単な単語を使って言いたいことを述べる癖」。

また、社会的にも英語は日常生活に密接な様子が良く分かる。テレビではしょっちゅう英語の映画やドラマが吹き替えなしで流れ、子供たちも小さいころからそれに親しんでいるため自然と聞き取ることが出来るようになっているのだそう。日本と比較すると聞く英語の量が圧倒的に多いという。

なぜ語学教育に力を入れるのか、というと小国ゆえの危機感だという。

(P147)
英語を含む他言語を学ぶことが「生き抜くために重要なのだ」という認識は、日本とは比較にならないほど強い。もしかすると必要というより必然だと考えられているのかもしれない。

(中略)

人口をふくめて資源に乏しい。すぐ隣に大国を控えている。そんな国情を考えると、文化と社会の多様性を教え、共存する道を自ら切り開いていける能力を国民の一人ひとりに授けることが重要で、そのための語学教育なのだ。

■エヴェ先生インタビュー
特にこの本の中で彼女が留学した学校のフィンランド語のエヴェ先生へのインタビューが印象的だった。エヴェ先生は三〇代半ばの女性で、生徒からの信頼も篤く、"フィンランドの人には珍しく"高校を卒業してすぐ大学に進学して教職課程に進んだのだそう。インタビュー時の2007年時点では育児のために二年間の育児休暇に入ったところだということだった。

インタビューが名言しかなくてかなりぐっときた。

(P170)
「言語を学ぶことは、文化を学ぶことであり、生活の背景とその言語を使っている人間に通じること。私がフィンランド語を教えるのは、その言語の背景にあるものを総合的に伝えたいからなの。真由にもフィンランド語を習得しながら、フィンランドの文化や社会について理解を深めてもらいたかった」
(P170)
エヴェ先生が教えるに当たって重視しているのは
「フィンランド語の学習を教科書と授業のなかだけにとどめず、言葉を通して社会と文化への理解を深めること」だという。

教科書はあまり使わず、自分でテキストを用意する。テキストは小説、エッセイに留まらず新聞や雑誌の記事、活字だけではなく映画やテレビなど映像をテキストにしたり、翻訳ものもよく使う。

文化センターで開かれる演劇、朗読会、美術展への参加も奨励する。理由はシンプルかつ的確。

(P170)
「教室に座っているだけでは、フィンランド語は学べないのよ」

具体的には、書く力を養成するために大量に本を読ませ、書かせ、かつ書き方も「前書き+メイン5つ+結論」の「合計七つの段落で構成し、整合性のある論旨を展開することを求める」という。また、最も力を入れているのは話す力の養成でスピーチ・プレゼンテーションを通して自分の意見を発表させることに力を入れているのだそう。

■フィンランド教育がすごい理由
古くからスウェーデンとロシア(ソヴィエト)という二大強国の間に挟まれ常に両大国と領土を巡って争いながらも独立を保ってきたフィンランドでは、毎日が存亡の危機であり、国を安定的に存続させるために国力を高める必要性があった。19世紀の世界的な民族運動の高まりの中で牧師であったウーノ・シグネウスの提言によって国民学校法が施行。さらに彼を支援したのが哲学者のスネルマンだった。

(P190)
彼は「小国の国力は教育にある」と唱え、フィンランドが周辺(とくにスウェーデンとロシア)の圧力から独立して力を保つためには、フィンランド文化を教育によって創造することが必要なのだ、と訴えた。

この考え方は現在でも一般の人たちに浸透しているらしく、著者のお母さんが現地でインタビューした以下のようなところも印象的。

(P189)
フィンランドの人たちは自分たちの国の特徴について聞かれると「労働人口が少ない」「森林以外に資源がない」「自然がいっぱいといっても、寒さが厳しいから観光資源とはならない」とないないづくしで自嘲気味に語る。
そのあとに続けて自慢げに「人もふくめて資源が少ない小国だからこそ、教育に力をいれなくてはならないと考えて、それは成功している」という。

「グローバリズムの進行によって、小国はますます厳しい競争にさらされる。国際競争のなかで勝ち残っていくためには、国民全体の教育レベルを底上げすることが必要なんだ」「所詮、人口や資源の量では太刀打ちできないのだから、一人ひとりのGDPを上げていくことが必要だ」という話が出たあとに「だからグローバル化する時代の要請に応える教育に力を入れる必要がある」と続く。

「大国にはさまれた小国で、しかも歴史の浅い国が生き延びる道は、教育大国になるしかない」

その後両国の侵略や領土紛争を凌ぎ、産業育成を図り経済基盤を整え、九六年から段階的に教育改革を断行。

特に現在のフィンランド教育の水準の高さを支えているものがこの96年から2004年にかけて進められた義務教育を9年間一貫制にしたことだといわれている。義務教育を一貫制にしたことで無駄に生徒が競争にさらされることがなくなったこと、家庭の経済的な理由で早い段階から将来の職業選択につながる振り分けがされなくなったことなどで、教育の機会均等が実現したのだそう。

また、教師になるためには全員教員養成課程を修了し修士号を取得しなければならず「知的専門職」として社会的地位が高く、敬意と信頼を集めている。

そして、この教育システムの根幹を支えているのが地域コミュニティの存在。

(P88)
地域のみんながお互い顔見知りで、道を歩いてすれちがえば挨拶をしあう。地元の友だちづきあいが一生つづき、地縁で結ばれた関係の絆が強い。たぶん日本の地方都市で同じような地域コミュニティが存続しているのだろうが、フィンランドでは都心にほど近いところ、日本でいえば杉並区くらいの地域でも、人間関係が濃密である。いま暮らしている地域における人間関係を基盤にした地域コミュニティがちゃんと機能していて、それをわずらわしく思うどころか、楽しんでいることをうらやましく感じた。

学校運営は行政区毎にかなり自由に権限が与えられている。

(P89)
行政区とはいうものの、行政側から定めたものというより、こと教育に関するかぎりは地域の人々の暮らしを支えるコミュニティとして機能している、という印象を受けた。生徒同士、親同士の人間関係が密であるだけでなく、学校と家庭との距離も近い。

このように、地域コミュニティが受け皿となって学習に集中できる体制を支え、かつ前述したような「留年しても恥ずかしいことではなく、分からないままでいることの方が恥ずかしい」という考え方が醸成されているようだ。

一貫しているのは教育は国の基本、という当たり前の事と、もう一つ、著者(元子さん)も指摘しているように民族主義に走らず「多様性を受容すること」を重視していることだ。ここ、とても重要。

(P191)
いまでも教育の基本理念のひとつに「多様性を受容すること」を挙げ、ひとつの人種や言語に限定してしまうのではなく、言語と文化と民族の多様性を受け入れることこそが国力につながる、と考えている。

(中略)
フィンランドがユニークなのは、つねに多様性を重視し、そのために教育の対象を「フィンランド人」に置くのではなく、「個人」に置いたことにある、とフィンランド人から教えられた。

■おわりに:フィンランドと日本の教育システム
正直、フィンランドすごすぎ!なわけだが、果たして日本はどうだろうか?

日本の場合、基本的には22歳で大学を卒業し新卒で就職を果たす前提での教育システムなので、良い小学校、良い中学校、良い高校、良い大学へと直線的に進んでいくことが理想とされている。そのためフィンランドの様に、分からなければ留年して理解できるまでゆっくり勉強することは難しいし、何より学校は年代ごとに閉鎖された濃密な人間関係のコミュニティである面が強く、学習だけではなく、コミュニケーションや社会集団で生活する場になっている。また、22歳を過ぎると、今度は主に大企業の場合、日本型システムは崩壊しつつあると言われつつも、厳然と共同体性が残っていて、定年(60歳〜65歳)をゴールにした単線的なキャリアアップが中心にあるので職歴無しで入社することは、難しい。大学院卒も就職大変なようだし。

この日本型の教育システムの是非は色々賛否あるし、日本型システムは大企業だけで、中小企業とは実情違う訳なんだけど、社会の前提として日本型システムという幻想を前提にした教育体系になっているという点はあるだろうと思うし、「グローバリゼーションの中で大国に挟まれた小国」であるこの国は、フィンランドのように、より「多様性」に軸足を移した教育システムというのは重要なのではないだろうか?

しかし、そのままフィンランドのやり方は導入できないだろうと思う。なぜなら、フィンランドシステムの根幹にある地域コミュニティが、日本には無いか、コミュニティはあってもそれは「集団」ありきの共同体であって「個人」を中心としたネットワークではないからだ。そして、上記の日本型システムのレールに乗らなかった大多数の人々が現行の「集団」ありきの共同体的地域コミュニティを支えているのではないかと思う。

勿論、学校教育を支える充実した福祉や教師の育成など様々な要因はあるかもしれないが、やはり重要なのはこの教育を支える、「個人」を中心とした「コミュニティ≒ネットワーク≒ソーシャル・キャピタル」をどのように構築するか?というところにかかっているんじゃないか、とこの本のフィンランドの状況を読みながら、これまでも考えていたことを再確認できた。

ということで、他にも色々割愛したところとかあるんですが、一言で言うと「この本オススメです!」以上、エヴェ先生の教えに従って、「前書き+メイン5つ+結論」の「合計七つの段落で構成」してみました。整合性のある論旨かどうかは全く自信が無いです(笑)

参考サイト
OECD生徒の学習到達度調査 - Wikipedia
フィンランド - Wikipedia
フィンランドの歴史 - Wikipedia
エイ・エフ・エス - Wikipedia
ウノ・シュグネウスと手工教育
受けてみたフィンランドの教育 読んでみたフィンランドの教育:Blog紹介しちゃいます。

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裁量労働制度は何故長時間労働の温床になり形骸化するのか問題

裁量労働制ってあるじゃないですか。実情としては残業代不払い、長時間労働のエクスキューズとして使われているような制度で、近年も裁量労働制度を発展させたホワイトカラーエグゼンプション導入の是非を巡って激しい議論になっていたアレです。

以下、菅野先生の「労働法第八版」より。

労働法 第八版 (法律学講座双書)
労働法 第八版 (法律学講座双書)

本来、裁量労働の制度趣旨としては、

所定の業務について労使協定でみなし労働時間数を定めた場合、当該業務を遂行する労働者については、実際の労働時間数に関係なく協定で定める時間労働したものと「みなす」制度だが、法定労働時間をこえる場合、三六協定の締結・届出、割増賃金の支給が必要。

このみなし制が妥当であるとされるには

・当該業務が高度に専門的ないし企画的なものであって労働時間を拘束することが労働者の能力発揮の妨げとなる
・当該業務遂行については高度の自律性が保障されること
・割増賃金不払いを補って余りある経済的待遇を与えられること
・年次休暇がほぼ完全に消化されること

などが必要となる。

労働法 第八版 (法律学講座双書)」(P296-297)

とりわけ、裁量労働制は、創造的労働のための裁量性を本質とするものであり、対象労働者がどこで、何時間、どのように業務を遂行するかの自由(自律性)を有しなければならない。平易にいえば、裁量労働制は、当該労働者が個席にいなくても上司は文句をいえない(ミーティングへの出席等も労働者が主体的に行う)、という制度である。

このように、法趣旨としては会社と対象労働者との関係は請負や業務委託的な働き方に限りなく近いものを想定している。

それゆえに、専門型裁量労働であれば過半数労働組合または過半数代表者の同意と労使協定の所轄労働基準監督所長への届出、企画型裁量労働制であれば、まず労使半数ずつからなる「労使委員会」を組織しその対象業務、みなし労働時間数、健康保持措置、苦情処理手続き等を5分の4以上の賛成で決議の上、対象労働者本人の同意を得て所轄労働基準監督所長へ届出を行う、など手続きが厳格化されている。

以下のグラフは「厚生労働省:平成20年就労条件総合調査結果の概況」よりみなし労働時間制の有無、種類別採用企業数割合データを元にグラフ化したもの。

みなし労働時間制度採用企業割合

これは規模別に「事業場外労働のみなし労働時間制」「専門業務型裁量労働制」「企画業務型裁量労働制」の導入企業の割合。従業員規模が多くなればなるほどなんらかのみなし労働時間制度を導入する企業は増えている。

次は産業別で、情報通信業のうち30%以上、金融・保険業のうち15.7%、続いて卸売・小売、製造業と続く。

みなし労働時間制度業種別採用企業割合

上記のような手続きの複雑さから、裁量労働を導入している企業は少ない・・・ということに統計上はなっているが、もちろん、届出していないけど裁量労働と名乗っているような、なんちゃって裁量労働は問題外として、企業側が裁量労働導入を見送っている理由としてよく聞くのは
・管理しなくなったら仕事をしなくなる
・現状では社員は未成熟で、もし導入してもそれぞれ自身で管理出来ずグダグダになるので、もっと育ってから
・成果だけでなく勤務態度なども重要なので上司の目が行き届く状態にしておきたい
というあたり。

また、裁量労働を導入していても、法趣旨のようなまかせっきりの状況ってそれほど多くなくて、なんらかの管理をしているところの方が多いのではないか?と思う。

例えば裁量労働という名目だけど
・遅刻早退欠勤などは上司の許可が必要
・裁量労働と言いつつ勤務時間がほぼ決まっている
・裁量労働だけど勤務態度で評価される
・作業をいちいち上司に報告したり指示を仰ぐ必要がある
・朝礼、定例ミーティング等に参加しないといけない
・そもそも自分の仕事を自分で決める裁量が無い
などなどのような実情なんじゃないかなと。

これらって、別に仕事としては、まあ常識の範囲内というか、よくある話なんだけど、裁量労働という趣旨からは外れていて、それすると裁量労働制じゃないですよ、ということですね。結果として裁量労働は勤務時間を後ろに長くするためだけの制度になってる場合が大多数になっているような感じがあります。

これは従業員には高い給与や経費を支払っているので、その業務は確実に収益に結び付けたい、自由に仕事させて、もし成果に結びつかなかったらとっても困るから、どうしても確実に収益に繋がるよう管理したいという経営者側のニーズがあるので、裁量労働制が会社の自治に任せると骨抜きになってしまうのは当然の帰結というか、本質的にどうしても企業の利益追求と衝突してしまうものではないかと思います。

ある程度、収益モデルが確立し、従業員が自律的に仕事することを必要コストとして許容できるレベルの大企業か、そもそもまだ業務が未分化で自律的に働くのが当然のスタートアップ期のベンチャー企業であれば裁量労働は上手く回るかもしれないが、数十名超〜100名前後ぐらいの中小企業は分業と自律との狭間で利害がバッティングしてしまい逆に難しいだろうなと思います。

まぁ、率直に言ってしまうと「うだうだ言ってないで、評価軸だけ決めたらあとはがつんと任せて好きにやらせちゃいなよ」になるんですけど、リスクとコストを考えれば考えるほど任せられなくなるのが経営者/管理監督者心理ってやつでしょうねー。制度趣旨から逸脱せずに、どのように導入するか?は「儲け方」が確立していない企業においては、結局のところ経営者、管理者の勇気とか余裕といった属人的な要因に頼るところが大きいんじゃないかなと思います。

で、もう一つ、ドラスティックというか、ちょっと極端な案なんですが、人件費もろもろ投入する費用に対して、裁量労働で自由にやらせたときの成果が見えない中で踏み切るのが怖いようであれば、一社だけじゃなく複数の会社でやってみるのはどうかと思うんですよね。

例えば5社、同一職種で各社1人ずつ裁量労働制になる人がいたとすると、その5人分の人件費・諸経費を5社で按分負担し、各社でやるべき業務をその5人に対して依頼、その5人で分担して業務遂行するという感じ。

所属は会社ではあるんだけど、実質会社の管理を離れて自律的に仕事をするという本来的な裁量労働制の考え方に沿って極力外部化に近い状態にする。会社側としても他社のリソースが使えるし、リスク分散になるというメリットがあるし、従業員側は独立すると色々保障面など不安が多いが、会社に所属したままで自立的な働き方が出来るというメリットがある。勿論、複数の会社の業務じゃなく、自社の業務に対して高いモチベーションを持っている人の方が多数なので、裁量労働制の趣旨に沿って同意の有無は重要です。

逆にクリアにしないといけない課題としては、秘密保持の問題や、これ形を変えた供給契約・派遣契約なんじゃないの?ってところとか、下請法に該当する可能性とか、会社横断で業務を任せるのでその評価軸をどうするの?とか、確実に各社が求める業務に対象者がコミットメントする必要性とか、まぁ色々ある訳ですが、そういう課題をクリアして実現出来れば、特に中小企業にとっては企業の枠を超えてヒューマンリソースを活用出来るし、他社とのネットワークが出来るし、従業員側はポータブルスキルの育成にも繋がるし、自律的な働き方が出来るしで結構いいんじゃないかなーと思います。

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blogを匿名から実名にしてみて変わったことといえば

4月から匿名→実名でブログを書いている(「paperboy&co.がトリックスターであったころ」)のですが、blogを匿名から実名にしてみて変わったことについて書いてみます。

はてなブックマークコメントなどでブログの記事の一部の文章に反応したり、記事の内容と正反対の理解をされたり、過剰に反応してきたり、あるいはブログを書くこと自体に関する考え方の違いということって良くある訳ですが、それがリアルでも発生するようになる、というのは発見でした。

そんなに理解が分かれたりするような記事って書いてこなかったつもりなんだけど、ああ、そういう理解はあるのか、とか、あるいは予想もしない怒りや疑問などがぶつけられたりして、ちょっと疲れる場合がありますね。

ブクマコメントなら適度にスルーできるんだけど、リアルであればダイレクトに来るんでそれへの対処をどうするかというのは結構考えないといけない課題かな。

書き方気をつけないとなぁと思う反面、気をつけすぎて何も書けなくなるのは絶対避けたいので、ある程度誤解されるリスクを背負う必要があるのかな、と最近は思います。

ある程度ブログ慣れしている交友関係であれば、華麗にスルーしてくれるんですが、そうでない人たちだと、ちょっと過剰なリアクションをしてきたりして、面白い反面・・・という感じですね。

ま、ブログでの表現の仕方については最近かなり考えさせられました。

というのを、ハックルベリーの中の人が実名化していたことに便乗して書いてみたエントリー。

ぼくの名前 - ハックルベリーに会いに行く次第にぼくは、ある種の難しさに突き当たるようになったのです。それは「匿名」の難しさでした。名前を伏せたままにしておくと、書きたくても書けないこと、やりたくてもやれないことが、色々と出てきたのです。

もちろん、匿名には匿名の良さがあります。しかしながら、書き続けるに従って、あるいはアクセス数が増えるに従って、ぼくにとってはデメリットの方が段々と多くなっていったのです。そうしていつからか、名前を明かしてみても面白いのではないかと考えるようになりました。


これについては僕も過程は違うのかも知れないけれど、同じような「匿名」の不自由さみたいなのが大きくなって、どこかで実名にしないといけないなぁというのはありました。このブログは個人としての意見の積み重ねなので、それをリアルな自分とちゃんとリンクさせずには居られなくなったというか。

ま、実名化による不都合も沢山あるのだけど、自然ななりゆきとして実名化せずにはいられなかった感じがあるなぁと、思い返してみて思う。

ということで、よろしくおねがいします。

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4月から組織人事コンサルタントに転職しました
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15分でわかる労働法の歴史

目新しいことは特になく教科書的なざっくりとしたまとめなので、ちゃんと勉強している方々には今更何書いてんだか・・・程度です。テキストは水町勇一郎先生の「労働法 第2版」。

労働法 第2版
労働法 第2版
水町 勇一郎

19世紀〜20世紀初頭にかけて、「市民革命によって広がった市民法秩序によって形成された契約社会」の成立と、「産業革命と工業化による大企業家と大量の非熟練労働者の登場」によって、両者が結びつき労働者との関係を契約の対象に委ねるという自由で平等な個人の意思に基づく労働契約という概念が生まれる。

しかし、労働者側は労働力を売らないことには生活すらできないこと、労働力を売るということは指揮命令下に入ることなどから、個人の意思で自由に契約というのは現実的に無理があり、その結果として非人間的な奴隷的労働が横行。

そこで、労働時間規制等法律で定める最低基準をクリアしないものは無効とするなど、契約自由の原則を法で制限し集団的な保護を加えるとともに、労働者が団結して使用者と交渉し、ストライキ等の団体行動を認める「集団的自由」が認められた。

このようにして契約の自由を一部制限し、集団としての自由を労働者側に与えることで、労使の力関係を是正するという労働法の原型がイギリス、フランス、ドイツなどヨーロッパ諸国でまずは成立していった。

20世紀前半になると、フレデリック・W・テイラーによる科学的管理法(テイラー主義)に基づいた大量生産体制が普及し「大工場の中の一つの歯車」(いわゆる経済人モデル)としての労働者像が確立。それに対して、デュルケームらによる「連帯」「産業民主主義」の考え方が台頭し、また、ケインズらによる自由放任主義批判と積極的な国家の市場介入による完全雇用の実現を目指すケインズ主義が各国の経済政策に大きな影響を与えた。

労働法 第2版」(P18)
これらの社会的・思想的背景のなかで描き出された1つの標準的な労働者像が「工場で集団的・従属的に働く均質な労働者」であり、これに対し国家が集団的・画一的な形で保障を与えるというのが、20世紀の労働法の基本的なあり方だった。

この経済政策の一環としての労働者保護という政策は当時の政治・経済情勢と実に上手くマッチした。以下、同じく水町先生の「労働法」がとても的確にまとまっているので引用します。

労働法 第2版」(P19)
このような形で国の経済政策の一環として位置づけられた労働法は、第2次大戦後の経済成長期に経済の発展と連動しながら大きな発展を遂げることになる。労働法や社会保障法などによる社会的保護の充実(賃金の引上げ、社会保障の充実など)によって国民の購買力が引き上げられると、消費が拡大し投資が刺激されて総需要の拡大や生産性の上昇(経済成長)につながる。この経済成長の成果が社会的保護の充実という形で再び労働者に分配・還元され、さらなる消費拡大・経済成長がもたらされる。

このように戦後の経済成長期には、労働法や社会保障法などによる社会的保護と経済成長とが有機的に結びつく形で国の社会と経済が発展していくという「黄金の循環」が、先進諸国の間にある程度共通する現象としてみられたのである。

ところが、この経済成長を前提として成立したシステムは石油危機以降、転換期を迎える。

かつての、経済成長が社会保障の充実を生みさらなる経済成長の原動力となるという好循環は経済状況の悪化が社会負担の増加を生みさらなる経済状況の悪化を生むという悪循環へと反転。産業構造の変化により既存の「均質な工場労働者」から「ホワイトカラー労働者」や「有期契約労働者」などが増加。またグローバリゼーションの進展により市場は国際化し、企業、国家とも柔軟で変化に迅速に対応出来る体制構築の必要性が生じる中で、旧来の労働法が対象としている企業、労働者像は溶解していきながら、新しいモデルはまだ構築されていないというのが現状といえる。

このような古い労働観が大きく揺らぐ中でどのようにして新たな労働観、体制、制度が構築されていくべきか?というのが今後の課題。

というところで、次は時期未定だけどそのうち日本の終身雇用などの戦前戦後システムについてまとめるつもり。あと、テイラー主義とその影響についても一回ちゃんと勉強してまとめておきたい。その上で自分なりに一度考えをまとめようと思う。

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菅野 和夫

現代法学入門 (有斐閣双書)
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Q&A それ、労働法違反です
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日本の骨信仰の終わり

色々メモ。

骨シリーズ講演会-01_骨と民俗

地域によっては遺骨を食べたり飲んだり、あるいは噛んだりしていたという例が色々紹介されその上で骨は死というケガレが祓われたあとの姿であるとしている。

骨シリーズ講演会-01_骨と民俗

 死は本来は穢れであり、恐怖でもあります。しかしこれが風葬や火葬などによって白骨化してしまった状態になれば、穢れの感情も変わります。そこにあるものはもう人間ではなく、石灰質の白い固まりです。せめてもの死者の思い出に、その白い骨を身につけようというのは、けっして異常とはいえないでしょう。日本では弥生時代に死者の骨、とくに歯や指などに穴をあけて装飾にした例がありますが、現に沖縄の粟国島では八月踊りの歌に「親ぬたま骨や、糸口抜ちためて、黄金と思うて首にはちゅさ」とあります。親の霊骨を首に下げて、それを黄金のように大事にしようという意味です。そこにはもう、死者への穢れの感情は見当たりません。

 死者に対する愛情は、このようにして死者のものを身につけることで具体的になるのです。かつて大正9年12月20日の読売新聞の随筆欄に、次のような記事がありました。郷里に菩提所がないので、海外生活をして転々としているうち、持参してきた亡父の遺骨が少しずつ砕けて容積が減っていく。砕けすぎた骨は捨てるわけにもいかないので食べてしまう。そのために日本に戻ったときは、骨の量は半分に減っていた、という話です。

 こうした例をみると、私たちは 遺骨について大きな関心を抱きすぎたような気がします。死者への追憶が、冷たい石に名を刻んで、思い出したときお参りに行くばかりではなく、自分の血の中に死者の思い出を生かし続けようとする骨噛みの習俗もあったのです。

確かに、骨には死がまとうケガレというものは無くなって、骨そのものというイメージがあるのだけど、しかし、畏れ忌むものでもあるようにおもう。例えば江戸時代の歌川国芳のこれとかおもしろいよね。

「相馬の古内裏」
相馬の古内裏

骨シリーズ-02_骨と宗教

遺骨信仰は、中世末から江戸時代には、祖師型、権力者型から一般人に及んでくる。すでに中世から高野聖が出て、納骨の習俗が各地に広がっていた。地方ごとに納骨の中心となるお寺が出来た。会津の八葉寺には、遺骨やつめ、髪を納めた木製五輪塔型の納骨器が残っている。庶民が釈迦にあやかって納めてもらうようになった。あらゆる人の遺骨が丁重に扱われ、崇拝されるべきだということになっていく。

納骨の習慣が一般化したことで、墓は先祖代々の還るべき場所でありながら、むき出しの骨は「あるべき場所にない」ことでもあるし、また、魂のヨリシロ的意味合いをもっているということでもあるだろうか?ケガレを祓ったあとの骨に魂が還り、先祖代々の墓で眠る。つまり冥福する。というのが、むき出しであることで出来ないという感じ。

骨シリーズ-02_骨と宗教
8月12日は例年、遺族は1時間かけて御巣鷹山に登山して犠牲者の霊の供養をする。それぞれ墜落現場に卒塔婆が立つ。遺体を捜索したとき、どこにあったかが記録されている。全体を見下ろすところに昇魂之碑という中心的な施設がある。その後ろに、死者の名前を刻んだプレートが立つ。また、ふもとの上野村には慰霊の園という場所がある。事故のとき、遺体の損傷が激しかった。誰のものか判定できない遺骨が123個の骨壷に収め死者の名前を刻んだケースでは、ほかに沖縄の平和の礎もある。

 山の墓標は、墓埋法上の墓ではない。骨はない。しかし、みんなここが本当の墓だという気持ちをもってお参りする。本当の墓は、そこに遺骨があるかどうかなど現代のわれわれには関係ないのかも知れない。そこを注目したい。

平和の礎でも、慰霊の日には碑の前にご馳走を持って家族が集まる。遺骨はないのに、伝統的な亀甲墓に家族が集まり飲食するやりかたが行われる。これは現代の特徴かも知れない。骨より死者の思い出やプレートの名前で結び合う。それが死者とのつながり方であり、現代の宗教感情の特徴といえる。

(中略)

骨をめぐる考え方が揺れ動いている時代だ。宗教と遺骨の関係が変わりつつある。伝統的墓観念、来世観と無縁の近代の家族のプライベート感情が影響していると思う。

 こんな風に、現代は、骨をめぐる観念や習俗の大きな転換期ではないかと思う。

とあるけれど、近年は、魂が戻る場所、という信仰が骨から脳や人格の方へとシフトしているのかもしれない。「コミュニティがまさに壊れるときに、アイデンティティが生まれる」とジグムント・バウマンは書いていたけれどまさにそれで、骨というのは信仰としてはコミュニティと密接に繋がるヨリシロであって、遺骨のありかではなく意識のありか、つまりアイデンティティにこそ、今は人々の魂の行き場としての信仰がシフトしつつあるようにおもう。

冥福も祈らない。おれの中で忌野清志郎は永遠です(泉谷しげる談)

だから、これは現代日本の死生観をもっとも象徴した追悼の言葉であるのかもしれない。

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そろそろ自分の思考フレームをひっくり返した方が良い気がしてる

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今、山本七平のこれ読んでます。まだ第一章だけですが、若き日の田原総一郎がベトナム帰還兵を取材した記事を山本七平が徹底的に批判してた。

若きジャーナリストだった田原総一郎はベトナム帰還兵たちに次々と「何人殺したのか?」「直接戦闘したのか?」などと聞き、相手が「答えたくない」と回答を拒否するとこう断定する。

(P26)
帰還兵たちはわたしの質問に何の疑問もはさまずに、実に素直に答える。しかもその答えは、まるで口を合わせたように、直接の殺し合いの話になると、よく憶えていない、話したくない、殺したかも・・・・・・と言葉をにごし、最後に、そのときは悪いと思っていなかった、判断するゆとりさえもなかったが、いまでは・・・・・・とくる。まるでパターンだ。どれもがもっともらしい言い逃れのパターンである。

本当は人間を殺すときに人間は何を思うのか、殺しの手応えはどういうものなのか。たてまえではない、良心ぶった弁解ではなく、もっと本音が聞きたい、本音が出ないのは、逆にいえば殺人、殺戮と向かい合う、自分がかつてやった行為と向かい合うのを避けている、逃げている、ごまかしていることではないのか、と、わたしは、しだいに露骨に挑発的に、まるで喧嘩を売るように帰還兵たちに言葉をぶつけていった。

で、その結果、取材を中断され、東洋人だからって馬鹿にしているのか?と言い出し、無責任な野次馬だと反論されるところまで収録されている。

それに対して山本七平は徹底的に、完膚なきまでに追及する。

(P28-30)
「どれもがもっともらしい言い逃れのパターンである」と記者は断定している。「言い逃れ」、一体「言い逃れ」とは何を意味しているのだ。

(中略)

一体この記者は、兵士が何と言えば、「言い逃れでない」と認めるつもりなのか!もしもある兵士が、もっと巧みな言い逃れ、すなわち相手の予定稿通りのことをいえば、この記者はそれを「言い逃れでない」と認めるであろう。

(中略)

だが相手がそう感じたということは、対話が成立したことではない。否、逆であって、両者の間が決定的に断絶したということなのである。常に起こるこのやりきれない光景。

(中略)

この取材者は、「戦場におかれた兵士」というものを正確に掴んでいるのか。掴んでいない。それさえ掴まずに勝手な断定をするとか。一体なぜ、まず戦場の兵士の実態を謙虚に取材しようとしないのか。

(中略)

近代戦では敵影は見えない。そんなわかり切ったことを今でも知らない人がいると会田雄次先生が言われたが、この取材者もその「わからず屋」の一人なのであろう。このような状態で、兵士にこういった取材をして、一体何を聞き出そうというのだろう、どういう予定稿をうめたいというのだろう。兵士は正直に答えているではないか。「よく覚えていない」「よくわからない」そして「言いたくない」と。私だって、こういう取材には、これ以外答えようがない。

一体これがなぜ「言い逃れのパターン」なのだ、どこが「もっともらしい」のだ。一体この記者はなぜそう断定するのだ、理由を聞かしてもらいたい。

これに対して田原総一郎は何か反論したのかは知らない。最初は、「田原総一郎って全然変わらないなー」とちょっと苦笑しながら読んでいたんだけど、山本七平の鋭い指摘に、徐々に自分自身についても思い至らされた。

確かに僕も最近特に思考だったり読書だったり行為だったりあるいはブログを書くことだったり生活の様々な面が「予定稿をうめる」前提での行動になってるなーと思うし、それにとても限界を感じている。すでに予定している結論に対して、望ましい情報だけを埋めていくのは、他者との関係において断絶だし、あるいは自身の内面においても断絶だなとおもう。

予定稿だけが先走りして、何ものもついていけない状況がちょっと最近自分自身において現出しつつあるんじゃないかと思うので、一旦思考フレームをひっくりかえして「実態を謙虚に」捉えるところに戻れるよう心がけたい、と思います。

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見通しもきかぬ道を行くときは歌を歌え。誰かが聞いていてくれる

「忘れられた日本人」(P25-26)
こういう山の中でまったく見通しもきかぬ道を、あるくということは容易ではないという感慨を述べると、「それにはよい方法があるのだ。自分はいまここをあるいているぞという声をたてることだ」と一行の中の七十近い老人がいう。どういうように声をたてるのだときくと「歌を歌うのだ。歌を歌っておれば、同じ山の中にいる者ならその声をきく。同じ村の者なら、あれは誰だとわかる。相手も歌をうたう。歌の文句がわかるほどのところなら、おおいと声をかけておく。それだけで、相手がどの方向へ何をしに行きつつあるかぐらいはわかる。行方不明になるようなことがあっても誰かが歌声さえきいておれば、どの山中でどうなったかは想像のつくものだ」とこたえてくれる。私もなるほどなぁと思った。と同時に民謡が、こういう山道をあるくときに必要な意味を知ったように思った。
忘れられた日本人 (岩波文庫)
忘れられた日本人 (岩波文庫)
宮本 常一

久しぶりに宮本常一著「忘れられた日本人」をパラパラとめくっていて、ふと目に留まってなんだかなんともいえぬ感慨を覚えた箇所。

誰もが山中の見通しのきかぬ道を歩いているのだから、みんな歌を歌えばいいし、ともに歩いていなくとも、その歌をみんなが耳にすることができればいい。行方不明になったとしても、ああ、あいつはあっちの方へと行っていたんだったなと覚えておいて貰えればいい。

せめて、そのような「関係」と呼ぶにも薄すぎる、同時代、同空間にいるという存在の認識をお互いがし合えているだけでも、随分と違うだろう。

僕のブログの、今年以降、特にここ最近の色々なエントリーはほぼ、そのような文脈の上にあるなとおもう。

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【2009年4月】当ブログ記事別アクセス数ランキング

2009年4月の当ブログアクセス数ランキングです。今月はページビュー数41,193。はてなブックマークなどでドーンと行くエントリーは特に無かったので、検索経由でのアクセスが多い記事が上位入り。お散歩系は季節柄、桜の記事と、これから見ごろを迎える根津神社のつつじ祭りの記事にアクセスが集まりました。このブログは平均PVが1.2〜1.3ぐらいで、一記事見たらそれで見終える人が多いので、他の記事にも目が行くような施策をしていきたいですねー。

■全般
1. 健康保険も国民年金も厚生年金も総崩れになってまいりました
2. 珍種発見!イモムシなネコ
3. こんな映画「ノルウェイの森」キャストはイヤだ
4. ゼンショーの取締役会が脳内で三谷幸喜作品化されて困る
5. paperboy&co.がトリックスターであったころ
6. ホリエモン絶賛「関東ITソフトウェア健康保険組合」が凄い3つの理由
7. 自己愛性パーソナリティの9つの特徴と自己診断チェックリスト
8. これで通勤ラッシュを劇的に緩和できないかな?
9. 国内で協力して助け合おう
10.落ち込む映画といえばこの三本を推す

■散歩
1. 根津神社つつじ祭り〜50種3000株のつつじ苑はGWが見ごろ
2. 山王日枝神社
3. 仙川遊歩道東宝スタジオ付近の桜
4. 砧公園の桜は今年もやっぱり圧倒的すぎる件
5. 品川神社
6. 府中多摩川かぜのみち
7. 愛宕神社〜最高のエピソードに彩られた東京で最も低い山
8. 初詣にオススメ、東京の神社セレクション10選
9. 用賀の桜並木(西用賀通り)
10.玉川神社

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ニセ科学について直面するコミュニケーション問題を解決する方法

ニセ科学はすでに科学的に正しいかどうかという議論とは別に、実生活レベルではコミュニケーションの問題になっていますよね。

血液型で性格を決めつける人とどうつきあうべきか(プレジデント) - Yahoo!ニュース
血液型性格診断や『水からの伝言』といった「科学らしさを装った迷信」を、私は「ニセ科学」と呼んでいる。科学的な背景の強弱にかかわらず、ニセ科学を信じ込んでいる人を説得するのは難しい。なぜなら「結論ありき」だからだ。
 彼らはどんなに事実を積み重ねても、考えを変えようとはしない。「ないことの証明はしない」というのが科学のルール。存在しない論理は反証のしようがない。「アポロは月に行かなかった」「9.11は米国の自作自演だった」といった陰謀論も同様の構造にある。

(中略)

私も宴席で血液型を聞かれることがある。多くの場合は「大型」や「小型」、「Z型」などと答えてはぐらかしている。天気と血液型は差し支えのない話題と考えているのかもしれないが、とんでもない。むしろ「それしか話題がないのか」と見下される恐れがあることを、肝に銘じてほしい。

実際問題、友人、仕事上の相手、家族等様々な場面でかなり頻繁に血液型で性格が分類できるという前提で会話が始まります。あるいは星座、占星術、四柱推命など、血液型以外にも様々な話題で彼らは性格分類をしようと試みてきます。

このようなとき、特に科学の専門家や、血液型に科学的根拠は無いと理解している方々はとても困るのではないでしょうか?

血液型の話題をしてきている方は血液型分析が正しいかどうかを問題にしているのではなく、血液型の話題を通じて仲良くなりたい、あるいは相手のことを理解したいという心理であるため、血液型分析がいかに科学的根拠が無いか、という話題で返すのは相手の本当の目的である「仲良くなりたい」「理解したい」を無視してしまうことになるし、はぐらかすのも、相手の目的を不十分な状態で放置してしまうことになるため、コミュニケーションとして、少しぎくしゃくしてしまうように思います。

もちろん、血液型分析などの話題をしてくるような人間とはコミュニケーションを行わない!という断固としたポリシーで望むというのもありだとおもいますが、現状のこの蔓延状況を考えると、それを押し通すにはかなりの困難が待っているように感じます。

そこで、例えば思考フレームをはずす、というのはいかがでしょうか?

メンタルケア協会編著「対話で心をケアするスペシャリスト《精神対話士》の 人の話を「聴く」技術
人はそれぞれ自分の思考の枠組み(フレーム)のようなものを持っています。(中略)育った環境や教育、親のしつけ、性別などを通して、人は物事を考える枠組みのような思考パターンを作っていきます。
そのフレームに収まらないことを見聞きすると、人は「でも」とか「しかし」とか「そうではなくて」などと、反論したくなったり、相手の考えを修正したいという衝動を覚えるものです。
この思考フレームが話し手との間に壁を作ります。自分の思考フレームに相手を勝手に当てはめ、「この人はお金持ちだ」「この人は病気だ」「この人は反社会的な考えを持っている」「この人は暴力的だ」などと決め付けてしまうと、他人との深いコミュニケーションをとることが不可能になります。

(中略)

自分の思考フレームをはずして、先入観のない目で、相手の心を見てみましょう。「でも」「しかし」と言いたくなったら、その言葉を一度飲み込んで、とりあえず相手の話に傾聴してみてください。
対話で心をケアするスペシャリスト《精神対話士》の 人の話を「聴く」技術
対話で心をケアするスペシャリスト《精神対話士》の 人の話を「聴く」技術

つまり、一旦受け入れて、相手の話、血液型性格診断の話に乗ってみるということですね。でもそれだと、相手側は満足して、その場もスムーズかもしれませんが、自分はもやもやしてしまうんじゃないでしょうか。「狂人の真似とて大路を走しらば、則ち狂人なり。」の気分で、「あーあー、おれも血液型分析信者の仲間かー」と暗鬱な気持ちになってしまう人もいるかもしれません。

ならば、とことんまで追究してはいかがでしょうか?

「ユング心理学入門」(似非科学の話題で「ユング心理学」とか言い出したら突っ込みいれたくなる人一杯いるかもですが(笑))の第一章で河合先生がこんなことを書いています。

(P11-12)
たとえば、マリヤの処女懐胎ということについて考えてみよう。合理主義の先進国としてヨーロッパを崇めている日本人にとって、処女懐胎などということがヨーロッパのひとびとに信じられてきたことは、まったく不可思議に思えるかもしれないが、われわれとしては、ここで、処女懐胎などは科学的にありえないとか、また、逆にその可能なことを科学的に立証しようとかするものではない。われわれは処女懐胎を一つの事実として、承認するというのではなく、処女懐胎という考えが存在するという意味において、その考えを心理的現実として取り上げようとするのである。このような考えが多くのひとのなかに存在したという現象を、心の現象として追求していく態度を取るのである。
ユング心理学入門
ユング心理学入門
河合 隼雄

実務問題として目の前のことが科学的かどうかではなく、一歩引いて広い視野で心の現象全体を捉え分析するという趣旨。

つまり、相手の思考フレームを受け入れつつ、一も二歩も引いて、目の前のこの人が血液型分析に一定の信頼を置く立場を取るのは何故だろうか?そこにはどのような思いや、要因が働いているのだろうか?という現象面の分析をしていってみるのが良いのではないかというご提案です。

例えば、

「特に日本社会は個人ではなくその時々の関係性にアイデンティティを置く社会だと言われるが、アイデンティティの置き場としての、その瞬間の関係性において、相手がどのような振舞いをするのかを常に理解しておかないと不安なので、相手の振舞いを規定する、あるいは予測して自分の振舞いを決定するために性格分類が求められており、そこに血液型性格分析が蔓延しているのではないか?またキャラ化とか空気を読むというのも同様ではないか?」

とか、ま、よくわかりませんが、そういう感じの分析をしてみて、「であれば、より科学的に信憑性が高い心理テストの話題を振ることで血液型分析の話題を封じつつ、相手の不安を解消してその場で相手が振舞いやすい状況を作るか」とかそういうことにつなげていくと面白いんじゃないかなーと思います。

とはいえ、似非科学に対しては譲れないラインというのもあると思うので、それを見極めつつ、コミュニケーションをとっていかなければならないのが今そこにある問題で、これは今後も困難を極めていくんでしょうね。

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日本の寄付市場がダメダメですがどうすればいいですか?

国際舞台で埋没、日本のNGO JBpress
大阪大学NPO研究情報センターが2004年公表した「NPO白書2004」によると、日本の寄付金の経済規模は8385億円。これに対し、米国はその20倍あり、2035億ドル(約18.3兆円)に達する。「寄付金経済」はケタ違いなのだ。

 「ペイ・スケール」という米国の給与比較サイトを見ると、米国ではNPOの事務局長の平均年収は勤続5〜9年で5万4000ドル。10年を超えると6万3000ドル、20年以上では7万5000ドルと昇給していく。日本に比べて物価の比較的安い米国では、これだけの給与があれば贅沢を望まない限り、家族を養い生活できる。他の職種との比較でも自営業より高く、公務員や教師より若干落ちるぐらいの水準だ。

 また、国際CSO「大手」の米国法人である Oxfam America や CARE USA の高級スタッフ履歴を見ると、大手投資銀行で活躍、資産1兆ドル超を運用する投資信託会社CEOから転職、元市議会議長、米国際開発庁(USAID)や国連機関で勤務・・・。こうした職歴がずらりと並んでいる。CSOの高級スタッフは、彼らにとってワシントンの「回転ドア」の1コマに過ぎない。大使経験者をトップに戴くCSOさえあるのだ

 総じて、米国のCSOはこうした「やり手」の人材をつなぎ留められる水準の給与を出す。その資金的基盤を支えるのが、寄付に前向きな米国の国民性。インディアナ大学フィランセラピー・センターが2007年12月発表した調査によれば、全米で68%の家庭が2004年に25ドル以上の寄付を行い、 1家庭当たり平均は2045ドルだった。バンク・オブ・アメリカ(バンカメ)による2006年10月の調査では、資産300万ドル以上の富裕層に限ると、それが12万ドルに跳ね上がっている。

対照的に、日本のNPOは悲惨とも言うべき状況。内閣府が2008年3月公表した「平成19年度市民活動団体基本調査報告書」によると、「総収入そのもの」が年間500万円未満のNPOが47%を占める。無給の常勤スタッフが1人以上いるNPOは全体の3割に上り、「活動の中心になる人材を確保できている」と回答した団体は45%に過ぎない。

 2007年6月公表された国民生活審議会のNPO制度の見直しに関する報告書でも、NPOの72%が「活動資金が不足」、52%が「スタッフが不足」と悲鳴を上げている。寄付金への税制優遇策で日米間に大きな格差が存在するとはいえ、日本国民の「NPO無関心」も指摘せざるを得ない。NPOへ寄付の経験がある日本国民は、わずか2.8%(2005年)にすぎない。

 日米CSOの資金力は、ゾウとアリほども違う。68カ国で活動するグローバルCSOの CARE International の場合、2008年度総収入のうち米国からの収入が53%を占め、日本はわずか0.1%。International Save the Children は貧困にあえぐ子供の救済活動を120カ国以上で展開し、2007年の総収入は10.4億ドルを誇る。しかし、日本からの寄与は700万ドルと1%にも満たない。

僕もNPOは勿論、寄付自体赤い羽根と阪神大震災の時ぐらいしかしたことありません。って胸をはって言うことじゃないけれど。

日本の文化的背景として、寄付という行為が根付いてこなかった点は確かにある。

平安鎌倉室町と様々な仏教の宗派は信徒からの寄進を集め、巨大寺院や大土木建築を行うことに成功していたけれど、結局のところあれは信徒の現世あるいは来世での救済という目的が大きかった。で、その救済という目的のために、ほとんどの場合はインフラ整備を推し進めていた。今で言うところのファンドマネージャー、プロジェクトマネージャー的な人たちとして勧進聖と呼ばれる律僧が活躍していた。資金を集め、配下に職人たちを従えプロジェクトを推進していたってな話が網野善彦の「日本の歴史をよみなおす」なんかを読むと書いてある。(→「日本中世の聖から賎への商業観の転換」)寄進は寄付というよりは出資といった方が適切かもしれない。

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)
日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)
網野 善彦

また、中世以降広まった、お金を出し合って最も貧しい人に分け与える、治水等の費用にあてる、あとあとみんなで分配する、お伊勢参り、富士山詣でをするといった頼母子講や○○講も相互扶助という役割が大きい。結局のところ自分のところにペイされることが前提のシステムだったようだ。

寄付 - Wikipedia
第二次世界大戦以前は、皇室や財閥などによる寄付が寄付総額の30%にのぼるなど、福祉のかなりの部分を寄付が担っていたが、大戦後は福祉国家が理想とされるようになると、福祉は政府が責任を持つという意識が広がり、寄付の相対的地位は低下していった。

明治時代になると、力をつけた財閥などによって次々と教育機関や福祉施設などが建設されていくが、相対的に政府の力が弱かったためとも言えそうだ。

で、どうすれば寄付文化を根付かせることができるか、とまでは言わずとも寄付を集めることが出来るか?

1)身内化
良く近江商人の逸話が例に出されるけど、あれはそれほど立派なものではなくて、基本的には事業永続のためのノウハウ以上でも以下でもないよねと個人的には思う。身内と世間という構造がある程度共通の社会構造で、身内集団の利益をまず最優先するというのが大きな特徴ではないかな。ただしその身内集団の範囲が動的に変わっていくという特徴が強く、どのようにして救済される人たちが寄付する人たちの身内であるという幻想を抱かせることが出来るか?がポイントじゃないかと。

「世間体」の構造  社会心理史への試み (講談社学術文庫)
「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫)
井上 忠司

2)現世利益
あるいは寄付することで寄付した人にどのような見返りが生じるのかを具体的に描くことしかないように思う。よくニューエイジだったり宗教思想に傾倒しているNPOやソーシャルベンチャーがあるけれど、この観点から考えるとわかりやすい。信仰の対象になることで、寄付の見返りに精神的な救済を与えることができる。

って、書いてて自分でも人の気持ちや善意を利用するやり方でやらしーなーとか思った(笑)でも、我々の善意は見知らぬ外部者の方向を向いていないと思うんですよね。こういうことをNPOの人は心がけると、というかこうでもしないと寄付集まらないんじゃないかな・・・って現場レベルで寄付集める大変さがどうなのか知りたいです。

また、もう少しマクロな視点で、どういう社会体制になれば寄付市場を活性化できるか?ということを考えてみるとほぼ二択なんじゃないかと思う。

上のwikipediaの引用文にもあるけれど、福祉は政府が責任を持つという福祉国家化によって寄付の地位が相対的に下がったという説が本当にその通りであるならば、小さな政府か大きな政府か?という選択になるのではないだろうか?

政府はこれ以上福祉には責任もちません。自分達でやってください。なのか、いやいやますます福祉国家化を目指しますよ。なのか?ここ難しい問題で賛否両論、やってみないとわからないレベルなんだと思うけど、僕は後者の大きな政府、福祉国家化の方が寄付という意識が芽生えるのではないか?と考えている。

そもそも卑近な生活・生存の恐怖がある限り、ただでさえ寄付の習慣が無いのに、そんな物好き居ないだろうから、少なくとも多くの人々に十分な生活保障が与えられるのが最低条件じゃないの?って意識が強いので。そのためには今やまっとうに分配機能すら果たしていない崩壊寸前の日本の社会保障制度の再設計が大事なんだけど、いっそ複数の国家間で社会保障制度は運用するぐらいじゃないと一国での運用は無理じゃないの?とかは思っている。(→「社会保障制度は一国に任せず複数の国で共同運営してはどうか?」)ま、そんなこんなでなんらかの社会保障制度が構築され、生存の危機が去っていくことで寄付の土壌が出来るだろうと考えていますが、その反対に自助努力に委ねた方が寄付意識が強まるのではないか?という意見もあるだろうなとも思います。

みなさんはいかがですか?

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これが本当の武将男子くんだ!

武将男子 - チョコっとラブ的なにか
「武将男子」って何よ?

ぜんぜん知らないんだけど。
武将男子 - 煩悩是道場
love_chocolateさんが武将男子のホントの定義を求めていらっしゃったのでホントの定義は知らないけど乗っかりwww

ということで僕ものっかかってみる。リアルに描写するとこんな人たちなんじゃないかなと。

1)お父さんは取引先の社長や、会社の役員・管理職クラスで高学歴でコネ入社
代々続いた武士の家柄に生まれ適切な教育を受けてきており、下克上が世の習いとはいえ、ほとんどの武将は鎌倉室町以降代々続く領主の家柄に生まれている者、あるいは養子に入った者が多かった。また、そのような有力者の子弟はそのまま大名の側近に取り立てられ、英才教育を受けている。

2)おれのものはおれのもの、おまえのものはおれのもの
血で血を洗う戦国時代。当然戦ともなれば強奪略奪はあたりまえであり、戦場では敵味方を問わず、時には褌までも略奪したという。

3)カラオケが好きで、ワインにもうるさくグラスへのこだわりがある
当然武将ともなれば歌と茶の湯は教養の必須項目。特に茶器はステータスである。

4)プライドが高く傷つきやすい。しかし傷つけられたら全力で報復。時には実力行使もいとわない。
武士であるからには体面こそ第一。恥をかかせられることは末代までの恥。日本の法制史を紐解けば、これまでのこの国の法律はそのまま武士間の争いを調停するために作られてきたと言っても過言ではない。

5)ギャンブル大好き
武将たちや一兵卒にいたるまでばくちが大流行しており、武具や略奪した金品を博打に投じていたらしい。

6)給与は妥協せず、不満を抱けば転職を繰り返す
奉公した結果見返りが少なければ裏切るのは当然である。

7)就職して数年後にはベンチャーを起業・・・するがすぐに大手の子会社化
一国一城の主である・・・が形勢不利ともなれば大大名に臣従したりは当然。

8)ファッションには拘り。特にネックレス、腕時計など小物は大体光ってるし、靴は尖ってる
鎧兜は目立ったもん勝ち

・・・電○とかリク○ートとかサ○バーエー・・・いや、なんでもないです。同種類に家柄はそこまででもないが支社で頑張る地侍男子や、マネジメント能力に長けた地頭男子、会社が倒産してしまった牢人男子などがいるとかいないとか。

参考
武士(もののふ)の時代
武士団 - Wikipedia
武士 - Wikipedia

俺の空―本宮ひろ志傑作選 (1) (集英社文庫―コミック版)
俺の空―本宮ひろ志傑作選 (1) (集英社文庫―コミック版)
本宮 ひろ志
文化 | trackbacks(1) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

大部屋主義なオフィスレイアウトとコミュニケーションの関係

オフィスレイアウトの知られざる歴史 : ライフハッカー[日本版], 仕事も生活も上手くこなすライフハック情報満載のブログ・メディア
ところで、オフィスレイアウトも、時代の流れに応じて、さまざまに変化してきたことをご存知でしたか? 

そういえば、日本のオフィスって個人別でパーテーションで区切る文化って根付いてないですよねー。大部屋主義。リンク先の例でいうと、テイラー主義とビューロランドシャフト主義の組み合わせで、ちょっと仕切りがある程度が主流なのはなぜかなー。スペース的な問題は確かにあるんだろうけど、基本的には区切らない方針ですよね。

コミュニケーションを重視したレイアウトという意味合いが強いのかもしれないけど、実はパーテーションで個室化する方がコミュニケーションが促進されるという話もありますよ。って前書いた(→「インターネットが会社オフィスに創出した仮想空間の日米の違い」)のを再引用すると。

ソーシャル・キャピタル―「信頼の絆」で解く現代経済・社会の諸課題」(P116)
従来、個室や間仕切りで仕切られていた欧米の企業から見れば、インターネットや社内LANは仮想大部屋空間の創出であり、その限りでは社内の人的ネットワークに貢献している。特に部門間、地域間、階層間のコミュニケーションが容易になり、企業内でのブリッジングなソーシャル・キャピタルの醸成が容易になった。

一方、もともと大部屋で執務していた日本の企業では、情報化技術の普及は社内全体への人的ネットワークの拡大には貢献したが、欧米とは逆に仮想的個室空間を創出し、職場における会話など対面での接触を通じたボンディングなソーシャル・キャピタル形成の機会を減少させた。
ソーシャル・キャピタル―「信頼の絆」で解く現代経済・社会の諸課題
ソーシャル・キャピタル―「信頼の絆」で解く現代経済・社会の諸課題

つまりリアルでは大部屋なんだけど、メール等の普及により仮想的個室空間をそれぞれ心理的に作り出しているという話。大部屋+WEBだとコミュニケーションが減少する可能性に触れられている。で、それは感覚的には同意するんだよなー。

大部屋スタイルは、現在はやりとりはメール中心であるにも関わらず、視界や前後左右には常に人の気配を感じずにはいられない作りなので、集中力を殺ぎ、微妙に効率を落としているような一面はあるような気がします。敢えてパーテーションで区切ることでメリハリをつけた方が、実はコミュニケーションが活性化するかもしれないですね。

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社会保障制度は一国に任せず複数の国で共同運営してはどうか?

日本の社会保障制度がすっかり先行き不透明な状態な訳ですが、そろそろ一国で社会保障制度を運用するより複数の国で共同で運用する方がいいんじゃないかなーと思う今日この頃です。

特に65歳からの老齢(厚生or基礎)年金や障害(厚生or基礎)年金あたりの国民年金は財源確保にすら四苦八苦して日本じゃもう65歳になってみないとわからないというステキな現状な訳ですが、そのあたりの年金、失業給付当一般職域の年金と、高齢者医療、生活保護などの公的扶助あたりを複数の国家で共通の財源と制度で運用することで、リスクヘッジできないのかなー。

現状ILOの102号条約に則って条約批准国間で一定の給付内容を踏まえて設計されているというのと2国間条約で締結国間での二重負担を避けるというところまでは進んでいる訳なんだけど、それを一気に進めて、国際的な社会保障運用期間の設立をする時期なんじゃないかなと思う。

ILO事務局による社会保障の3つの要件
1)予防・治療のための医療の提供、非自発的な収入の全部または一部の喪失に対する所得の維持、あるいは家族の扶養責任を負う者に対する補足的所得の給付を目的とすること
2)法規によって設けられたものであって、その法規は、個人に公的・半公的なあるいは自治的機関に対する特定の権利を付与するものか、あるいはそれらの期間に特定の義務を課すものであること
3)公的・半公的なあるいは自治的期間によって管理されること


で、こうした基準に基づいて
1)強制的社会保険
2)一定の任意保険
3)家族手当制度
4)公務員の特別制度
5)公共保険事業
6)公的扶助
7)戦争犠牲者への給付制度
が社会保障に含まれるとされる。

(以上西村健一郎著「社会保障法入門」)
社会保障法入門
社会保障法入門
西村 健一郎

そもそもの社会保障制度が大恐慌と第二次世界大戦とを通じて個人の力ではどうしようもない状況になった人々を救済する必要性から、急速に発展してきたことを考えると、世界的な不況と日本だけでなく各国が社会保障制度の財源に苦しんでいる状況を考えると、そういう構想はありなんじゃないかなーと思うんですよね。とはいえ、共倒れの危険性が増す&結果としてすんごい低水準に落ち着くみたいな可能性があるわけなんですが、そこはまず確実な少数の国から初めて・・・とか言うと、日本が加入できなくなる罠。ま、クリアする課題も一杯あるということでとりあえず書いとく。

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落ち込む映画といえばこの三本を推す

英エンパイア誌が「落ち込む映画」ランキングを発表 : 映画ニュース - 映画のことならeiga.com
1.「レクイエム・フォー・ドリーム」(00)
2.「ひとりぼっちの青春」(69)
3.「リービング・ラスベガス」(95)
4.「道」(54)
5.「21グラム」(03)
6.「火垂るの墓」(88)
7.「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(00)
8.「冬の光」(62)
9.「リリア 4-ever」(02)
10.「ミリオンダラー・ベイビー」(04)

イギリス人のイギリス映画離れが進んでいる。かどうかは知らないけど(笑)
落ち込む映画といえば、イギリスだったらケン・ローチだろ常考。

SWEET SIXTEEN [DVD]
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英国労働者階級の少年が家族で住める家を借りる金欲しさにヤクの売人になって、才覚でのし上がっていくんだけど、やっぱり少年なんだよ。まだ。上手く行っているように見えて、その成功は全てチェックメイトへの布石というか。悪い方へ転ぶというのは、こういうコンステレーション的な、因果関係とは別次元の全体的な転がり方だよね。何も救わないというリアル。ラストシーンは今でも鮮烈に覚えている。ケン・ローチは冷徹に現代イギリスを切り取るよね。冷徹さこそ無上の優しさであるという信念に似たものを感じる。

アメリカ映画ならリトル・オデッサを推す。

リトル・オデッサ [DVD]
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allcinemaの解説が少し主観的だけど、共感できる。

映画 リトル・オデッサ - allcinema
ロシア系移民街を舞台にしたある家族の物語で、最良のスコセッシ作品にも近い、張り詰めた調子が全編失われない。その閉鎖社会“リトル・オデッサ”に舞い戻ってきた青年ジョシュア(ロス)は殺し屋で、次なる標的がそこにいた。兄の帰還を人づてに聞いた弟ルーベン(ファーロング)は、こっそり勘当された兄に会いに行く。彼らの母は脳腫瘍で長くない。弟は厳格な父(シェル)が、スタンド売店の仕事で留守のうちに兄を家に招き入れるが、そこへ父が帰宅。兄は父を殴りたおし、そのまま出ていった。残った弟は体罰を受けたが、それを見た兄は父を表に連れだし、裸にして“殺す”とすごむ。二人の不和は決定的なものとなっていく……。やはりリトル・オデッサ出身で、己のルーツに忠実なデビュー作を放ったJ・グレイの演出は、近年のアメリカ映画には見られなかった鋭い切れ味をみせる。ゴダールのような銃撃戦といい、主人公が全てを終えたむなしさの中、かつての安らぎを思い出すラスト・ショットといい、神がかりと言ってもいいほどの出来栄え。キャストも完璧に近い。シェルが年老いてシブ味のにじむいい役者となったのが嬉しい発見である。母のレッドグレーヴは出番は少ないが、ラストにおける眼差しの深みが素晴らしい演技(94年ヴェネチア音楽祭助演女優賞、作品は銀獅子賞に輝いている)。

そうそう。マクシミリアン・シェルがすごかった。「白い刻印」のジェームズ・コバーンとタメはる感じ。ティム・ロスもファーロングも振り返ってみるとキャリアハイに近い演技だと思う。何より、言葉で上手く言い表せないんだけど、スコセッシや、ディア・ハンター、真夜中のカーボーイとかあの辺のニューシネマの張り詰め感なんだよなー。もう後がない。しかし「後がない」と言葉にするほど切迫感があるわけじゃなく、全体的に広がっているのは諦観という緊張感。かな。あきらめ、達観、そういった感情が緊張感になっているというか。ま、言葉にするのはむずかし。

あー、そういえば落ち込む映画といえばフランス映画の「憎しみ」もね。

憎しみ [DVD]
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警官に暴行を受けて重体となった少年の事件をきっかけとしたパリでの抗議デモの最中、ユダヤ系と黒人とアラブ系の三人の移民の青年たちが、ふとしたきっかけで銃を拾う。最も冷静な黒人の青年が銃を預かることになるんだけど。

50階から飛びおりた男がいた。
落ちながら彼は確かめ続けた。
"ここまでは大丈夫"
"ここまでは大丈夫"
"ここまでは大丈夫"
だが大事なのは落下ではなく、着地だ。

このセリフはもう忘れないと思う。観た瞬間から僕は呪縛されそのまま僕にとり憑いて離れない。多分死ぬまで離れない。

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首都圏の鎮守の森が3分の1も減少しているという調査

鎮守の森:消えゆく 照葉樹林、30年で3割減−−首都圏172社寺、横浜国大調査 - 毎日jp(毎日新聞)

首都圏に点在する鎮守の森の3分の1が30年間で消失したことが、横浜国立大の調査で分かった。残された場所にも外来種の侵入が目立った。鎮守の森は、シイやカシに代表される照葉樹林が分布し、日本独自の文化をはぐくんできた。信仰で守られてきた都市近郊の自然が危機にさらされている現状が浮き彫りとなった。

横浜国大だから宮脇先生のところですね。

鎮守の森 (新潮文庫)
鎮守の森 (新潮文庫)
宮脇 昭
(P61-62)
日本において特徴的なことは、我々の祖先は、自然の開発、古くには森の火入れによる焼畑、伐採による水田、畑、道路、集落、町、都市づくりに際して、いわゆる皆殺しをしなかったことである。新しい集落や町づくりに際して、一方においては自然の森を破壊して、農耕地をつくり薪炭林としての二次林もつくってきた。スギ、ヒノキ、マツなどの、建築材のための造林も行ってきた。しかし他方においては、必ず土地本来のふるさとの木によるふるさとの森を残してきている。それが日本列島各地の神社やお寺や、古い屋敷、山の尾根、急斜面、渓谷沿いに今なお残されている土地本来の森であり、国際的にも、今そのままの言葉が使われている「鎮守の森」である。

(P63-64)
自然には、ヒトの顔でいえば、頬っぺたのように、触ってもいいところと、指一本触れても駄目になる目のようにきわめて弱い部分がある。(中略)そうした厳しい自然、弱い自然を象徴している場所に祠をつくり、この森を切ったら罰が当たる、この水源地にごみを捨てたら罰があたるという宗教的な祟り意識をうまく使って、土地本来の弱い自然を残してきたのではないか。

で、なぜその土地本来の森が重要かというと、人工林では弱いんですよ。

人工林 - Wikipedia

森林の持つ公益的機能(水源の涵養、土砂の流出防止など)が十分に発揮されないことが指摘されている。

植栽後の初期には手入れがされていたため、下草は手入れがされて取り除かれた。その後、スギやヒノキが成長して葉を伸ばすと、空を覆ってその下への光を遮り、いまだに下草がほとんど生えないまま土が剥き出しの状態となってしまっている。遠くから見れば緑に覆われているものの、近づいてよく見てみれば荒れてしまっているこの状態は、緑の砂漠と表現される。

下草がない状況では、そこに住む生物の種類や数も乏しくなり、森の生態系も乏しいものとなる。ひげ根に近い針葉樹の根は広葉樹に比べて土の固定力が弱いため、風に比較的弱く、下草がないことも加わって、雨による土壌浸食が起こりやすい。またスギ林では、春先に大量の花粉が発生して周囲に運ばれ、花粉症の主原因となっている。

その土地本来の森(潜在自然植生)は人工林ほどの手間をかけずとも水源涵養機能が高く、また火災や地震などの災害にも強いといわれているので、避難所としての機能も持つ。

まぁ、何より、神社仏閣が森林や樹木を伐採するって本末転倒だと思うけど。鎮守の森の間の参道を抜けていくことで高まるコンセントレーションと、その先に広がる本殿という空間は位置が人の信仰心を掻き立てる装置になってるわけで、その鎮守の森の喪失は結果としてその宗教施設の価値を下げてるんじゃないのかな。極端な話、駐車場や墓地を作るなら本殿潰す方が、神社仏閣のそもそものあり方としては理にかなってるとおもう。

最近そういう宗教性や歴史よりも利便性を取った神社仏閣の例をちらほら街中で見かけた(→「神楽坂の赤城神社」「淡島の灸の森厳寺」)。

故・郷田実町長のエピソードを関係者はよくかみ締めて欲しいなぁと思いますね。

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木を植えよ! (新潮選書)
木を植えよ! (新潮選書)
宮脇 昭
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様々なブログの影響力の順位が分かる「TopHatenar」

id:kaisehさんが作られたはてなユーザー向けに提供されていたRSSフィード購読者数とソーシャルブックマーク獲得数を元にしたブログの人気ランキングサービス「TopHatenar」が全ブログ対象にリニューアルされていたので、僕も測ってみました。


TopHatenarが全ドメインのブログに対応しました - kaisehのブログ
はてなダイアリーのランキングサイトとして公開してきたTopHatenarですが、今回、はてな以外の全ドメインのブログに対応しました。

従来のページにアクセスすると、はてな内ランキングに加えて、全ブログ内でのランキングも表示されるようになります。

3/25の時点ではこんな感じ。

tophatenar

成層圏突破までもう少し(笑)

購読者数の推移とか、きっかけになった記事とかが人目で分かるし、ブログサービス毎の康読者数/ブックマーク数ランキングが分かり他の色々なブログを見て回ることもできるのでとてもおもしろいです。

そういえばうちのブログ、その他に分類されているのですが、何気にJUGEMの有料版で独自ドメインかぶせているだけだったりしますが、ま、jugem.jpドメインを使ってないのでJUGEMじゃないといえばJUGEMじゃない(笑)

あと、その他ランキング見ていて気付いたんですがJUGEMの初期ユーザー用ドメインだったjugem.ccもその他に分類されてるようですねー。jugem.ccはJUGEMランキングに入れてあげてもいいんじゃないかなと思ったりしました。

こういうサービス、気にしないようにしようと思ってもついつい順位が気になっちゃったりしますよねー。一定の基準で数値化して見せることで承認欲求を満たしてくれるというか、知らず知らずモチベートされるというか、そういう心の動きが面白いなー、と気にしない振りをしつつ気になっている自分の心の動きを観察しながら面白いなー。

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よろしい、ならばホッテントリメーカーだ
何でも明治の写真っぽくしてくれる「幕末古写真ジェネレーター」がすてき!
ブログの入力エリアは画面一杯に広がっているといい

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今国会提出中の不正競争防止法改正案がアレな件

今国会に不正競争防止法の改正案が出ていて、その改正の要点は次の二点です。

不正競争防止法の一部を改正する法律案について(METI/経済産業省)
(1)営業秘密侵害罪における現行の目的要件である「不正の競争の目的」
を改め、「不正の利益を得る目的」又は「保有者に損害を与える目的」と
します。
(2)原則として「使用・開示」行為を処罰の対象としている営業秘密侵害
罪の行為態様を改め、営業秘密の管理に係る任務を負う者がその任務に
背いて営業秘密を記録した媒体等を横領する行為、無断で複製する行為
等について、処罰の対象とします。

この改正案に対する弁護士水口先生のブログでの指摘はとても重要ですね。

夜明け前の独り言 水口洋介: 不正競争防止法の改正案は「内部告発」を抑圧する
解雇事件で、解雇の理由がないことを証明するために、営業報告書や顧客に提出した稟議書などを証拠として提出することもあります。

これらも営業秘密にあたります。これを裁判などに証拠として提出したり、弁護士に相談したさいに提供した場合に、不正競争防止法違反だということになりかねません。

今までなら、「不正競争の目的」とはいえないということになります。ところが、「保有者に損害を与える目的」という要件に変われば、残業代請求も、保有者(使用者)に残業代支払い義務を負わせる=損害を与える目的ということになり、目的要件は充足してしまいます。

(中略)

労働者は、公益通報をしようとする場合には、一定の情報(営業秘密)を取得(領得)した上で行うのが普通です。

改正案のように不正競争防止法の目的要件を「不正競争の目的」を「保有者の損害を与える目的」と変更をし、さらに「領得行為」も処罰対象とすると、公益通報した労働者が不正競争防止法違反として処罰対象となりかねません、。

つまり、公益通報者も、内部告発によって、事業者(保有者)に損害を与えるという認識はあるため「目的要件」である「加害目的」を充足することになります。

どちらの例もそもそも会社の不法・不正行為に対抗する目的ではあるので実際問題として労働者側が罪に問われる可能性は低いと思いますが、(そもそも反社会的行為は営業秘密にあてはまらない)水口先生がおっしゃる通り萎縮効果は強いと思います。

トンデモな会社に限りますが、未払い残業代の請求を労基署を通じてしてきた労働者をとりあえず不正競争防止法違反で訴えて、あるいは訴えることをちらつかせて和解に待ちこむ(で、残業代請求はなぁなぁにしちゃう)法務戦術はありうる話かなと思います。

そもそも、会社って入社と同時にNDA(秘密保持契約)結ぶことが多いですが、あの契約内容って往々にして営業秘密だけに限らないこと多いですよね。ほとんどの場合、「会社の全ての情報」みたいな条項が入って会社情報の閉鎖性を担保する文書になっていると思います。

あれ、良くないなーと思うんですよ。理想としてはきちんとその会社なりの「営業秘密」を定義してその定義された営業秘密以外はどんどんオープンにするというネガティブリスト方式であるべきなんだよなと思います。

先日読んだネットワーク科学の本にこういう部分がありました。

人脈づくりの科学 「人と人との関係」に隠された力を探る
人脈づくりの科学 「人と人との関係」に隠された力を探る
安田雪著「人脈づくりの科学 「人と人との関係」に隠された力を探る
自然発生的なネットワークは、高密度になりがちで情報収集力が弱い。職場に成立する従業員どうしのネットワークはその典型である。
さらに言えば、密度が高いネットワークの所属メンバーは、相互に情報伝達がされやすいだけに、自由な動きがとりにくい。自分の周囲の誰も彼もが相互に知り合いで、直接さまざまな会話を交わし情報交換をし合う関係だったとしたら、苦情を言う相手の選択さえ気をつけねばならない。密度の高いネットワークには自由に動ける空隙が少なすぎるのだ。

会社という閉鎖環境は放っておくと高密度な関係性を作りやすい。それは堅牢で価値観の共有には適しているんですが、その分外部からの新しい情報が入ってきにくく、固定されたメンバーだけのやり取りに終始してしまい、閉鎖性を生みやすいんですね。

入り口で警備員&金属探知機でボディーチェックしたり、手荷物を全て没収したりなど行き過ぎたコンプライアンスが話題になってましたけど、内部統制云々や今回の不正競争防止法改正案って会社の持つ共同体性がグローバリゼーションで揺らいでいる中での反動的な意味合いがあると思うんですよ。いわゆる村八分と構造は一緒というか。

会社の共同体性をいかに解体するか、というのはこれまでも何度か書いてきているところではありますが、歴史の流れ的に考えるとこういう反動の後に一気に共同体性の融解が始まるように思います。

とりあえず不正競争防止法の今回の改正案は反対、かな。っつーか、国民年金法もそうだけど政治資金問題の影に隠れて、今国会提出中の法案は重要案件多そうだなー。

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新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く
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アルバート・ラズロ・バラバシ

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最新のBUSINESS LAW JOURNALは解雇関連特集

そういえば最新のBUSINESS LAW JOURNALの特集が「リストラ実務と労働法リスク」で主に使用者側での解雇手続き関連の特集していましたよ。

BUSINESS LAW JOURNAL (ビジネスロー・ジャーナル) 2009年 04月号 [雑誌]
BUSINESS LAW JOURNAL (ビジネスロー・ジャーナル) 2009年 04月号 [雑誌]

パラパラと立ち読みしただけだけど、岡田 和樹弁護士のインタビューで、労働裁判に関して従業員の勤務に関してや、実情等についての情報は全部会社側が持っていることが多く、なかなか表面化しないことや、それを強制的に開示させることが困難な点など指摘されていて、米では解雇が容易だけど、労働関連の裁判になったときの情報開示は強制力がある点が日本と違う。労働関連の実情や文書等の調査や提出に関して強制力を強化した方がいい的な話など書かれていてなかなか興味深かったです。(見ずに書いてるので趣旨違うかもしれないですが)

今度じっくり読もうかなと思いますので、詳しくは後日。


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読みたい本「地図から消えた東京物語」「神田川再発見」「東京古寺探訪ベストガイド」

お散歩本の新刊・近刊で読みたい本三冊。

地図から消えた東京物語―新旧地図で比較する東京の20年
地図から消えた東京物語―新旧地図で比較する東京の20年
アイランズ
地図といえば・東京地図出版株式会社 [新刊案内]
元号が平成に変わって今年で21年。本書ではいわゆる「バブル景気」前の1986年と現在の東京の詳細地図を比較して、この20年の間に変化した東京の風景、事物を取り上げ解説します。取り上げる場所は汐留、六本木、台場など都内41ヶ所。地図と東京を愛する人に「この場所はちょっと前まではこんなだったのか」「あの場所は今はこんなに変わったのか」と様々な発見、地図を見る楽しみを提供する1冊です。
神田川再発見―歩けば江戸・東京の歴史と文化が見えてくる
神田川再発見―歩けば江戸・東京の歴史と文化が見えてくる
神田川ネットワーク
東京新聞:神田川再発見:東京新聞の本(TOKYO Web)
武蔵野・井の頭公園を水源にして、善福寺川、妙正寺川の支流を集め、高田馬場、お茶の水などの都心部を流れて隅田川に注ぐ神田川。この川を歩けば、江戸東京の奥深い歴史や文化、自然が面白いようにわかってくる。

源流から河口まで徹底踏査。橋の名前の由来から、四季折々の自然、川沿いの神社仏閣、公園、名所旧跡等を網羅した神田川散歩に必携の一冊。
東京古寺探訪ベストガイド
東京古寺探訪ベストガイド
小林 祐一
都会に佇む名刹を巡り、深い歴史にふれる小さな旅。全95寺。
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蒼井優と宮崎あおいはクラムボン的幻想が作り上げた時代のアニマ像

普通に出オチ。

一昔前なら広末涼子とか田中麗奈とか、同性からはアレ(→広末はもう前世で相当功徳を積んだんだよ…… - too sweet to eat)でも、ある種の処女性という幻想によるアニマ像を投影し時代のイコンになっていたんですが、徐々に求められるアニマ像というものが、男性が求める女性性であるだけでなく女性が求める女性性の投影である必要が出てきて、そうなるとより透明性という形のない何かが求められるようになったんじゃないかなーと思う。

そういう中で2000年ごろに出てきたクラムボンというバンドは、時代の要請に答えていたんじゃないかな。くるりとかサニーデイ・サービスとかでも良いんだけど、やっぱりクラムボンじゃないかなという。ボーカルの原田郁子って当時若い子たちの間で、そういう身近な"透明感"のアイコンじゃなかった?


best
best
クラムボン,原田郁子,ミト,伊藤大助,亀田誠治

そんなこんなで2000年前後から特にメインストリームになりはじめたのが"透明感"という存在感で、男性が求める女性性とあわせて、女性が求める女性性をも受け入れることができるアイコンを求めていて、それが臨海点に達した頃に見出されたのが蒼井優と宮崎あおいなんじゃないのかなーと考えているんだけど。

そういう性を超えたアニマ像の投影としての存在が、先駆けとしてまず本上まなみがいて、麻生久美子が出てきて、柴咲コウが出てきて、真打として宮崎あおい&蒼井優が登場したって感じ。広末涼子はそれを掴んで上手く路線変更に成功し、逆に田中麗奈はその路線変更に上手く行ってないっぽい。とか思うんだけどどうですかねー。

思ったことを書いてみたら普通に陳腐な内容になったでござる。なエントリーだな(笑)

これだけだとアレなのでそれぞれ個人的に代表作だと思う作品紹介しておくよ!

広末涼子
秘密 [DVD]
秘密 [DVD]
死んだ奥さん(岸本加世子)の霊が娘の広末に乗り移る話。広末にエロトークさせて話題になったけど、見てみると無茶しやがって・・・感がつよい。良作だけどね!

田中麗奈
東京マリーゴールド [DVD]
東京マリーゴールド [DVD]
田中麗奈といえば「がんばっていきまっしょい」だろう!という空気には絶対負けない。確かに「がんばっていきまっしょい」は名作で、僕もこの子はすごいな!と思ったんだけど、田中麗奈の魅力を見事に撮ったのはどうみてもこっち。名匠故・市川準監督の腕が光る。見た当時は全然知らなかったんだけどさっきキャスト見直したら相手役が小澤征悦だった。そういえばそうだったかもしれない・・・次点で「はつ恋」かな。

麻生久美子
ひまわり [DVD]
ひまわり [DVD]
麻生久美子の魅力を十分に発揮していると言えば「カンゾー先生」だろう!あるいは「レッドシャドウ赤影」だろう!というのが多分一般的な意見だと思うので、で、それはそうなんだけど、敢えてこれを。今をときめく行定勲監督のデビュー作。麻生久美子の葬式に集まる同級生やかつての恋人たち(北村一輝、堺雅人など今や一線級の人たちががん首揃えて袴田の脇を固めているのですごい)が彼女の思い出を語るというストーリー。まさに彼らが様々なアニマ像を投影させあい、様々な麻生久美子演じる女性の姿が浮き彫りになる羅生門的青春映画。ちなみに同監督の「贅沢な骨」は麻生久美子が珍しく共演のつぐみに食われているのでそれはそれで見もの。

柴咲コウ
バトル・ロワイアル [DVD]
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「GO」の彼女もとても魅力的だったんだけど、タランティーノを熱狂させたこっちのインパクトはすごかった。。。鎖鎌片手に返り血浴びる柴咲コウってアングルはもう拝めないなー。ってゆーかコウさんなんでタラちゃんのキル・ビルオファー断ったの・・・と思う。キル・ビルの初稿は柴咲コウ用に役用意されてたんでしょ?で、キル・ビル蹴って「黄泉がえり」・・・いやいいんですが。あと、バトル・ロワイアルは今観ると無名時代の人気若手俳優が結構出てて、故・深作欣二監督の俳優を見る目は異常、と思わされる一作です。

宮崎あおい
害虫 スペシャル・エディション [DVD]
害虫 スペシャル・エディション [DVD]
宮崎あおい主演&蒼井優共演という奇跡の一本。塩田監督は傑作と駄作を交互に発表する日本のデビッド・フィンチャーみたいな人だけど、これは掛け値なしの傑作で、少女の思春期特有のイノセントな悪意が実に良く演じられて、宮崎あおいの代表作なんじゃないかなーと思います。この子は将来良い女優さんになるなぁと見たとき思ったもんですが、まさかこんな大人気になるとは・・・って感じです。未だにオフィシャルサイトが残っていて、予告編なんかも見れますね。あと、パコダテ人もかわいいです。

蒼井優
蒼井優は、実は映画あんまりみたことない。リリィ・シュシュも見てないしなー。でも、この「おせん」のオープニングは圧倒的だった。さぞ名のあるクリエイターさんだろうと・・・



あ、そういや、これ評判いいっぽいですね。
花とアリス 特別版 [DVD]
花とアリス 特別版 [DVD]

本上さんもそういや映画で見たことないなー。ま、いいですね。

ということで、少しお役立ち情報を交えつつ、色々かいてみたえんとりーでした。


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新語「けまらしい」の誕生から普及の過程が興味深い

最近ちょくちょくオフ会などに参加しているのですが、そこでよくみんなが「けまらしい」という言葉を使っているのを耳にします。ネット上でもよく見かけていたのですがこの「けまらしい」ってその語源はなんだろうと思って少し調べてみました。

初出が2004-07-23

こせきの日記 - けまらしさについて
「あの人たちが仲良くするせいで私が不快になる」っていう気持ちを表現する新しい言葉を作ったらどうか。たとえば、「けまらしい」と言うことにしよう。

はてなオフのオフレポみてたら、けまらしかったよ。ほら簡単。簡単に言えちゃう。反戦デモとかってけまらしくねえ?何がオリンピックだ、けまらしい。2ちゃんのオフ板とか、けまらしくて見てらんない。ソーシャルネットワークって、けまらしいだけじゃん。電車で隣にいたカップルが、超けまらしくてー。携帯電話の使用は、他のお客様がけまらしくなる場合がございますので、ご遠慮下さい。

で2007年9月20日付でARTIFACTのkanoseさんがこのエントリーを書いているのが話題になっているのだけれども、

ARTIFACT@ハテナ系 - ニコニコ動画嫌い話
ネットなんだから、他人の盛り上がりが可視化されるのは当然なんだし、あまり気にしてもしょうがないと思うんだけどなあ。自分が面白いと思えば使えばいいんだし。

そういうのは、みんな「けまらしい」でまとめちゃうよ! 「勝手に疎外感」でもいいけど。

※「けまらしい」はこせきさんの造語

上記のこせきさんの日記のブックマークコメントには2006年時点で「これがけまらしいの起源?」という疑問が投げかけられているので、それ以前から広まっていたっぽい。

はてなブックマーク - こせきの日記 けまらしさについて
# TakahashiMasaki TakahashiMasaki 言葉 これが「けまらしい」の起源?(やっぱ「法界悋気」だよな 2006/05/15 CommentsAdd Star
# hmmm hmmm hatena, language もしかして、「けまらしい」の語源ってここ? 2006/05/15 CommentsAdd Star

おそらく、こせきさんが生み出した「けまらしい」と言う言葉はその使いやすさから一定の範囲の人たちに2006年時点で使われていて、2007年にいわゆるハブとなるkanoseさんが話題のトピックであるニコニコ動画ネタに絡めて紹介。このエントリーははてなブックマークと個人ニュースサイトなどを通じて多くの人の目に触れ、新たに目にした一定数が徐々に使い始めるとあとは指数関数的に使用者数が増加していきながら大小様々なハブとなるサイト等でも紹介されつつネットユーザーの間で広く使われるようになってきているという流れだろうか。

以前噂の広がり方についてこんな記事書いた(噂の流布量=内容の重要さ×曖昧さ〜女子高生の雑談から始まった20億円取付け騒ぎ)んですが、それから再引用すると

噂の流布量=内容の重要さ×曖昧さ〜女子高生の雑談から始まった20億円取付け騒ぎ
噂の伝わりやすさは多数の人々が共有する不安や関心の内的要因、曖昧な状況を解消させようと情報を求める外的要因、もっともらしい内容の三つの要因が大きく関係するといいます。

この、誰もが大なり小なり抱く「あの人たちが仲良くするせいで私が不快になる」という内的要因と、その気持ちを表現する「けまらしい」という響きの良い言葉をあてはめた外的要因とをまず満たしていて、少数への普及のあとにハブを介して多数の人の目に触れ、あとは急拡大してきたわけかな。

「けまらしい」という語はやっぱり耳障りが良いので使いやすいように感じるんだけど、これ、言語学、音声学的にどうなのかな?

とはいえ、ネットユーザーの中でも、まだ一部といって良い規模の利用者数なんじゃないかとは思うのだけど、さらなる伝播力のあるハブ(yahooとかテレビ番組とか)に今後取り上げられると、爆発的に広がって一般化していくかもしれないですね。


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協会けんぽの地域別保険料率決定が揉めてる理由

協会けんぽ:保険料率の都道府県別が作業難航 格差で不満 - 毎日jp(毎日新聞)
 中小企業の会社員が加入する全国健康保険協会(協会けんぽ、旧政府管掌健康保険)の保険料率について、今秋から全国一律(8.2%、労使折半)を都道府県別に変える作業が難航している。地域別の保険料は06年の医療制度改革の柱の一つだが、格差をめぐって協会内部や与党から不満が噴出し、厚生労働省が意見集約をできずにいるためだ。

この、健康保険協会の一般保険料率の決定方法なんですが、丁度今健康保険法を勉強していることもあるので簡単にまとめますね。

健康保険協会管掌健康保険の一般料率の決め方

健康保険法第百六十条
3  都道府県単位保険料率は、支部被保険者を単位として、次に掲げる額に照らし、毎事業年度において財政の均衡を保つことができるものとなるよう、政令で定めるところにより算定するものとする。
一  第五十二条第一号に掲げる療養の給付その他の厚生労働省令で定める保険給付(以下この項及び次項において「療養の給付等」という。)のうち、当該支部被保険者に係るものに要する費用の額(当該支部被保険者に係る療養の給付等に関する第百五十三条第一項の規定による国庫補助の額を除く。)に次項の規定に基づく調整を行うことにより得られると見込まれる額
二  保険給付(支部被保険者に係る療養の給付等を除く。)、前期高齢者納付金等及び後期高齢者支援金等に要する費用の予想額(第百五十三条及び第百五十四条の規定による国庫補助の額(前号の国庫補助の額を除く。)並びに第百七十三条の規定による拠出金の額を除く。)に総報酬按分率(当該都道府県の支部被保険者の総報酬額(標準報酬月額及び標準賞与額の合計額をいう。以下同じ。)の総額を協会が管掌する健康保険の被保険者の総報酬額の総額で除して得た率をいう。)を乗じて得た額
三  保健事業及び福祉事業に要する費用の額(第百五十四条の二の規定による国庫補助の額を除く。)並びに健康保険事業の事務の執行に要する費用及び次条の規定による準備金の積立ての予定額(第百五十一条の規定による国庫負担金の額を除く。)のうち当該支部被保険者が分担すべき額として協会が定める額
4  協会は、支部被保険者及びその被扶養者の年齢階級別の分布状況と協会が管掌する健康保険の被保険者及びその被扶養者の年齢階級別の分布状況との差異によって生ずる療養の給付等に要する費用の額の負担の不均衡並びに支部被保険者の総報酬額の平均額と協会が管掌する健康保険の被保険者の総報酬額の平均額との差異によって生ずる財政力の不均衡を是正するため、政令で定めるところにより、支部被保険者を単位とする健康保険の財政の調整を行うものとする。

って条文読んでもわけわからんですね。まとめるとこういうことです。


1)医療給付費に財政の調整をした比率を乗じたもの

健康保険で給付されるものは実費または現物支給される医療給付、所得保障給付、あと高齢者医療の支援金等がある訳ですが、そのうち例えば通院にかかる診療などの療養の給付や入院時の食事代、訪問看護費、移送費などの医療給付の費用の都道府県ごとの見込み額を算出。

その算出した額に、
a)高齢者が多い都道府県もあれば若い人が多い都道府県もあるので、その年齢別分布状況の差異
b)平均的に所得が多い都道府県(東京とか)もあれば、所得が少ない都道府県(沖縄とか)もあるので、その総報酬額の差異

の不均衡を調整した比率を掛ける。


2)医療給付以外の給付費に総報酬按分率を乗じたもの

これは、上記の医療給付以外、つまり傷病手当金とかの所得保障や、後期高齢者支援金などに要する費用の予想額を算出して、総報酬按分率を掛けたもの。

総報酬按分率の計算方法
都道府県毎の被保険者の総報酬額総額/全国の被保険者の総報酬総額


3)保健事業及び福祉事業に要する費用

健康保険協会を維持するための事務費用(国庫からの補助金は除外)や、リスク回避のための準備金の積み立てに関わる費用のうち、都道府県毎の被保険者が分担する額

この三つを合算して、都道府県ごとに最大10%から最低3%までの間で保険料率を算出する訳ですが、当然人口分布等があるので、保険料率が大幅に上がってしまう都道府県もあれば、大幅に下がる都道府県もある。で、その調整はどうするかというと、当然大幅に下がる都道府県が大幅に上がってしまう都道府県の分をカバーするか、国庫から税金を投入するかという選択肢になってしまう訳ですね。

協会けんぽ:保険料率の都道府県別が作業難航 格差で不満 - 毎日jp(毎日新聞)
協会けんぽは昨秋、社会保険庁から分離して発足。スタートして間もないため、現在の保険料は全国一律。標準報酬月額(月収にほぼ相当)の8.2%を労使で折半して負担している。これに医療費のかかり具合を反映すると、年齢分布や所得差を調整しても、北海道は8.75%にアップする一方、長野県は7.68%に下がり、1.07ポイントの格差が生じる。月収20万円の人同士なら、本人負担分で1070円の差がつく。

 関連法は5年間の激変緩和措置を盛り込んでおり、厚労省は4案を提示した。地域格差を0.17〜0.46ポイントに緩和するもので、たとえば、増減幅を本来の5分の1にとどめる案では、北海道8.31%、長野8.10%となり、格差は0.21ポイントに圧縮される。月収20万円の人同士で210円の差となる。だが、増減幅の大きい支部は納得していない。

協会健保の競争相手になる民間の各健康保険組合はすでに5%とか6%台の組合もあるし、8.2%より上げるのって協会的には自殺行為だよね。この経済状況下での負担増は協会健保を使っている企業や労働者への大きなダメージになるし、またその地域からの企業や労働者の流出にも繋がります。とはいえ、そんなの最初からわかってたことではあるんだけどもね。で、その結果の小田原評定が続いていく訳ですね。

今、都道府県ごとに独立運営をさせて、民間の組合と保険料率競争させた方が福祉は充実するんですかね?都道府県で切ったら地域ごとに人口分布の格差あるからお年寄りや若年層が多い地域とか、所得が低い地域はますます保障が厳しくなりますよね。民間の健康保険組合は加入条件を厳しくしている(60歳以上の数が一定数以下とか、一定の水準以上の報酬額とか)から安い保険料で行けるわけで、そういう民間の組合に加入出来ないからみんな協会健保に加入してるんじゃないのかな。

まぁ、激変緩和措置で五年間は猶予があるとしても、これ、見直すか、あるいは、いっそ健康保険組合の規制を軽くした方がいいんじゃないですかね。例えば健康保険組合の付加給付規制の自由化とか、現状協会健保のみに支給されている保険給付費関連の国庫負担を、例えば一定年齢以上の被保険者が多い組合に補助金として支給するとか、あるいは、特定の地域の企業に健康保険組合設立を助成するとかして受け皿となる選択肢を広げておくとか。

何故、今、地域ごとの独立運営しようとしているのかさっぱりわからないなぁと僕は思っているわけですが、どうなんでしょうかね。これ。あまり実務と結びついていない座学での理解なので、実務に当っている方々の意見が知りたいところです。


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日本列島は多数の言語が入り混じる多言語地域です

asahi.com(朝日新聞社):世界2500言語消滅危機、ユネスコ「日本は8語対象」 - 社会
【パリ=国末憲人】世界で約2500の言語が消滅の危機にさらされているとの調査結果を、国連教育科学文化機関(ユネスコ、本部パリ)が19日発表した。日本では、アイヌ語が最も危険な状態にある言語と分類されたほか、八丈島や南西諸島の各方言も独立の言語と見なされ、計8言語がリストに加えられた。

日本って実のところ様々な言語が入り混じり、文化的にも多様な地域なんですよね。以前書いたのですが(→「「DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?」崎谷 満 著」)日本列島諸言語の分類を再度引用。

DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?
DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?
崎谷 満
・アイヌ語
 1)北海道東部アイヌ語
 2)北海道中部北部アイヌ語
 3)北海道南西部アイヌ語

・日本語
 1)九州語:西九州語、南九州語、北東部九州語
 2)西部日本語:山陽山陰語、四国語、関西語、出雲語、北陸語、中京語
 3)東部日本語:東海東山語、関東語、八丈島語、東北語

・琉球語
 1)北琉球語
 2)南琉球語
DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?」(P88)
これら日本列島諸言語にあって日本語と琉球語は同じ系統の言語、同じ言語族に所属するものであることがわかっている。しかしアイヌ語は別系統の言語と考えるのが妥当である。

として、まずは琉球語・日本語とアイヌ語とは別の言語圏であるということ、また日本列島の言語についても

DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?」(P153)
日本列島中間部の地域言語は、言語学的観点からは言語体系が異なる別言語としてみなされるものが数多く認められる。しかし、科学的な方法論である一次データに基いた体系化(帰納法的方法)による、地域言語の十分な記載がなされたことはなかった。

として、まずは科学的に体系立てて日本列島で使われている諸言語を体系立てる必要性があるといわれています。これ同意です。

DNAを元に辿っていけば日本は数多くの多様な人種のルツボであることがわかるし、文化的にも宗教的にも、そして言語的にも多民族地域であることもまたわかる。単一民族という神話は崩壊寸前だし、公用語としての日本共通語と、諸言語との二重の体制になっていかざるをえないんじゃないかな。そうでないと、関東語江戸方言をベースにした共通語が他の地方語に影響を受けて変化していくことがそのまま日本語の滅亡へと繋がるというような杞憂を人々が抱く必要も無くなるんじゃないかな。

まずは、各地域言語の体系化、言語と諸地域の文化の関係の調査、共通語のみなおしと各言語との二重構造化ということが、今後の日本語についての自然な流れではないかと思います。そして、共通語が江戸弁をベースにした言語である必要はあるのか?ということも含めて検討する必要があるのでしょうね。その過程で、新しい日本観のようなものが形成されていくんじゃないかなぁ。とはいえ、都市の過疎と集中が進み、少数の大都市圏へと生活空間が集約しつつある現在、早く進めないと、何もかも手遅れになるんじゃないかとも思います。日本とは何だったのか?という問いになる前に、日本とは何なのか?を問う試みをぜひ専門家の方々にはお願いしたいところです。


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「DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?」崎谷 満 著
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「人類の足跡10万年全史」スティーヴン・オッペンハイマー著
青い目の人が共通の祖先を持つなら青い瞳の日本人との関連は?
網野善彦「日本の歴史をよみなおす」
「英語の歴史―過去から未来への物語」寺澤盾 著
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太子堂八幡神社

太子堂八幡神社

境内の案内板によると、文禄年間(一五九二〜一五九六)の創始と、この神社の別当である円泉寺の縁起にはあるらしいが、源頼義、義家親子が東北征討の途上このあたりに立ち寄り八幡神社に勝利を祈ったとの伝承もあることから、それ以前から石清水八幡宮の勧請を受けてここに八幡神社が祀られていたのではないかとも言われている。

というこのあたりの伝承は、まぁ毎度おなじみ八幡神社といえば八幡太郎義家を箔付けて伝承に加えるという展開かなということで、眉唾かなぁと思うのだけど、そうとも言い切れない地理的条件なんかもあってなんともわからない。

その地理的条件について、境内の案内板にこう書かれている。

太子堂の歴史の一頁を開いてきたものに鎌倉道がある。太子堂と若林の村境を通って八幡神社の西側から滝坂道を横切り下北沢と代田の境を通って鎌倉へ通ずる道で鎌倉道と呼ばれ古い時代には行きつく目的地の名を取って付けたようである。
此の鎌倉道の附近に義家は諸将兵に命じ駒を止め同勢を憩わし酒宴をはった、太子堂上本村一二一〜二番地の辺を(五丁目)土器塚と云い、酒宴後の土器など此の地に埋めたのでそう呼んだのである。その塚に続く塚を同勢山と呼ぶのは同勢を憩わした名残である。

文章に少し癖があって個性が出てて面白いんだけど、つまり地形的にここは鎌倉道を西側に控えた地にあって、ここを義家一行が通ったという言い伝えになっているわけですが、実際のところ鎌倉道が整備されたのは鎌倉時代以降で、その頃も吾妻鏡によると上道、中路、下道など様々な呼び方があって実際のところどこを通っていたのかははっきりしない。鎌倉道自体、古い街道が廃道になったり、かつての街道の支道をそう呼んでいたりで、古い時代とは大きく変化している道であるといえる。

ここで伝承として取り上げられている根拠は「武蔵国風土記」ということなのだけど、江戸時代末期に成立した文献なだけに、根拠とするのはやっぱり薄いんじゃないかなーと思う。ということで、やっぱり義家が通ったというのは、まぁ、箔付け的なところがありそう。

その代わり、wikipediaにこんな記述。

鎌倉街道 - Wikipedia
中道(なかつみち)は「奥州大路」とも呼ばれ、鎌倉から巨福呂坂(あるいは亀ヶ谷坂)を越えて戸塚方面に向かい、横浜市港北区・日吉、中山を経由し、現在の港北ニュータウンのあたりより東急田園都市線に近似したルートで二子玉川、渋谷へと進み、そこから新宿、赤羽、川口、岩槻、栗橋、古河、小山、宇都宮と北上していくルートが想定されている。

なお、先出の吾妻鏡の奥州征伐の記述によると、7月19日に鎌倉を発った頼朝軍は、中路を経て7月25日に宇都宮(古多橋驛)に到着、7月26日に宇都宮を発ち7月28日に那須(新渡戸驛)に到着、翌7月29日に白河関に至っており、各区間に要した概日数は鎌倉-宇都宮間約160kmが6日間、宇都宮-那須間約55kmが2日間であったことから、当時の中路の旅程は1日約25-30kmであったと見られる。

ということで、奥州藤原氏を征伐するため進軍した源頼朝軍の行軍ルートが近しい可能性がある。田園都市線に近似したルートということなので、現在の旧大山道(246号線)と被るところがあったのかもしれない。

そんなに遠くないあたりを頼朝が通った→すぐ真横の道を義家が通ったに変わった可能性も無きにしもあらず・・・ということで。

本殿
太子堂八幡神社

で、こちらはオーソドックスな本殿

稲荷社
太子堂八幡神社

稲荷社も末社として合祀。

そんなこんなで、村の神社なら伝説上の人物が関わってて欲しいよねーという願望が、伝承として生み出されたんじゃないかなーと思ったりする神社でした。


太子堂八幡神社

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せたがや百景「太子堂円泉寺とけやき並木」と林芙美子旧居

去年の12月、紅葉真っ盛りの時期に世田谷区太子堂の円泉寺周辺に行ってみました。

円泉寺

紅葉真っ盛り!ド迫力の大銀杏を無理矢理カメラにおさめたらこうなった(笑)イチョウさんマジパネェっす。

真言宗豊山派円泉寺/沿革
 聖王山法明院円泉寺の草創は、遅くとも 南北朝時代末期(〜1392)のころには、太子堂ならびに小堂(円泉寺前身・円泉坊)が結ばれていたものと推察され、 文禄4年(1595)、賢惠(けんけい)大和尚によって中興がなされました。円泉寺周辺の地域は、武蔵野の一角とはいえ無人の荒野ではなく、縄文・弥生時代から人々の生活が営まれていた地で、中世のころには、相当な生産力のある素朴な文化をもつ地域でした。慶長年間に入ると円泉寺周辺の地域は、江戸市中への蔬采の供給地として、重要な役割を果たすようになり、太子堂村の経済も次第に安定し、これに伴い円泉寺境内も本堂・太子堂が建ち並び、次第に寺容が整えられていきました。

という、同寺の沿革にもある通り世田谷区内でも歴史ある寺院の一つです。

太子堂
円泉寺太子堂

この円泉寺一角は現在世田谷区太子堂という地名ですが、その由来はこの寺にある聖徳太子像を祀ったこのお堂に由来します。

さんぽみち総合研究所-世田谷コース
太子堂の名は、円泉寺境内にある聖徳太子像(伝・弘法大師作)を安置した太子像に由来する。文禄4年(1595)、大和国の久米寺(今の奈良県橿原市)より太子像と十一面観世音像を背負って関東に下った真言宗の賢恵僧都は、この他の民家に一泊した際、夢に太子のお告げを受けた。いわく、「この地に霊地あり円泉ヶ丘という。つねに霊泉湧き、長くここに安住せん。汝も共にとどまるべし」。こうして太子堂と十一面観一世音像を安置した本堂が完成し、その翌年円泉寺が開かれた。以後、この地は太子像を参詣する人で賑わい、一つの村(太子堂村)にまでなった。昔はお告げ通り、泉も湧いていたということである。

けやき並木
円泉寺けやき並木

円泉寺前の通りには樹幹の大きなけやきが並木をなしていて、「太子堂円泉寺とけやき並木」としてせたがや百景の一つに数えられてます。僕が行った12月初旬は紅葉の見ごろは大分過ぎたあとでしたが、立派な並木で気持ち良かったです。

庚申塔
円泉寺庚申塔

そのけやき並木のうち空洞化した一本の中に庚申塔が祀られていました。こういう祀られ方をしているのを見るとちょっとアニミズムっぽくて面白いですよね。

真言宗豊山派円泉寺/沿革
寛文12年(1672)庚申供養塔が造立されましたが、(江戸時代における庚申信仰は、便宜上前期、中期、後期に分けられます。)円泉寺の供養塔は、前期に入る貴重なもので、このことは、円泉寺が周辺地域における庚申信仰の中心となっていたことを如実に物語っています。

と、同寺サイトの沿革にある通り、初期庚申信仰の跡のようでこれまた興味深い。

林芙美子旧居址の路地
林芙美子旧居址の路地

円泉寺の横から伸びるこの路地はかつて女流作家の林芙美子が暮らした二軒長屋があった。現地の案内板にはこう書いてある。

此の路地奥の二軒長屋は、林芙美子の不遇な時代の寓居です。その一軒には壺井繁治、栄夫婦が住み、若い頃の平林たい子も度々訪れました。芙美子の処女作「放浪記」にはこの頃の太子堂での生活の一こまが描かれています。
壺井栄の「はたちの芙美子」にも当時の生活が記されています。芙美子のすぐれた文学性が磨かれた場所として文学史上、記念されるべき場所と言っていいでしょう。

上京して、詩人の野村吉哉と同棲していた時期に過ごし、案内板の通り様々な作家と交流のあった住まいだったようだ。ここを去ったあとも彼女は住まいを転々とし、新宿区落合に新築した住まいでその長いとは言えない生涯を閉じた。

林芙美子 放浪記(初出)
梟の鳴いている、憂欝な森陰に、泥沼に浮いた船のように、何と淋しい長屋だろう。
 屍室と墓地と病院と、淫売宿のようなカフェーに囲まれた、この太子堂の家もあきあきしてしまった。
「時に、明日はたけのこ飯にしないかね。」
「たけのこ盗みに行くか……。」
 三人の男たちは路の向うの、竹籔を背にしている、床屋の二階の飯田さんをさそって、裏の丘へたけのこ盗みに出掛けて行った。
林芙美子 放浪記 (大人の本棚)
林芙美子 放浪記 (大人の本棚)
林 芙美子,森 まゆみ

放浪記 [DVD]
放浪記 [DVD]

太子堂円泉ヶ丘公園からの眺め
太子堂円泉ヶ丘公園からの眺め
芙美子がたけのこを盗みに行ったという円泉寺裏手の高台は公園として整備され、円泉寺を一望できるようになっている。

世田谷の一角にある小さく、しかし歴史と季節感があり、地域の人に馴染み、そして文学史にもその名を残す寺院の紹介でした。


円泉寺

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経営者は労働基準法の1〜7条を100回読んで悶え苦しむべき

日本のシャチョさんと愚民政策 - 地下生活者の手遊び
しかしまあ、シャチョさんたちだけが労働法をわかってにゃーかというと、ぜんぜんそんなことはにゃーわけだ。首を切られる方はさらに労働法を知らなかったりするものですにゃ。擬装請負を強いられた労働者なんかも労働基準法をわかってなかったよにゃ。

道徳だの愛国心だのと騒ぐ前に、民法(特に信義則の使い方とか消費者保護関連)と労働法の基礎を義務教育でやるべきだにゃ。民法・労働法の基礎を知らないヒトタチが食い物にされているよにゃ。

まったくもっておっしゃるとおりですにゃ。

すべての経営者(もちろん社会人も)は、一度は労働基準法の総則、第一条から第七条までをちゃんと読むべき。ここは別名労働憲章と呼ばれ、この国における労働とは何かを定義した箇所でもあります。以下、敢えて賛否両論出るだろう極端な書き方していきますけども。

(労働条件の原則)
第一条  労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
○2  この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。

重要なのは第二項、「この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。」ですよ。設立当初はがむしゃらにやらないといけないけれど、数年経ってもまだ、労働基準法で定める最低の基準にしかできていない経営者は、恥じ入る必要があります。たとえば週40時間"も"従業員を働かせているのは恥。

また、時間外労働は労使協定を結んで初めてできるわけですが、
経営者ちゃん「ほんとは40時間どころか、もっと減らさないといけないのに、やむを得ず労働法の理念に反したことをしてしまうけど、ごめんねごめんねほんとうにごめんね・・・」
労働者くん「いやいや、もう時間外労働をせざるをえないぐらい事業がなかなかうまくいかないですもんね・・・一緒に頑張りましょうよ」
という趣旨の約束事が労使協定ですよね。

残業とは緊急事態であるという意識を経営者や人事担当者、管理職者はもった方が良いです。また、労働基準法だけで言うなら従業員が有給休暇を未消化であることも恥だと思った方がいいし、妊産婦に安心して休養を与えられていないとか、そういう労働法で最低限のこととされている事に対して、それを向上させられないことは恥ずかしいと思うべき。

(労働条件の決定)
第二条  労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。
○2  労働者及び使用者は、労働協約、就業規則及び労働契約を遵守し、誠実に各々その義務を履行しなければならない。

どうしても、雇われる側は生活に直結してしまうため、使用者側の提示する条件の方が強くなってしまいます。使用者は最大限の配慮をするべきで、また、自ずと使用者>労働者となってしまうので、それ以下に降りていくという姿勢でいる必要がある。


法令>労働協約>就業規則>労働契約の順に強制力がある訳ですが、特に気をつけるべきは就業規則で、これは経営者が一方的に決めたものでも合理的で社会通念上相当で、かつ周知していれば効力を発揮してしまいます。それを抑えるために、本来ならば労働組合と会社とで締結する労働協約がその上に来ている訳ですが、特に中小企業においては労働組合が無いため、実質就業規則が最強のものになっています。

それゆえに、就業規則は、一方的に決められるんだけど、一方的に決めてはいけないと経営者は考えるべき。形だけの就業規則を作って、経営者や人事担当者のPCのフォルダの中に眠ってる、みたいな状態は恥だと考える必要があると思う。

実質会社の従業員全員を拘束し支配力を発揮する規程であるがゆえに、たとえ労働者がめんどくさがって、「社長信頼してますから、お任せしますよ」と言われたとしても、きちんと話し合って一つ一つ決めていくべきだし、その作る過程で、法と経営という背反する二つの要素による矛盾が噴き出すわけだけど、それをどのように解決していくか、に向き合うべき。

労働者と使用者は本質的にその関係性ゆえに自ずと強弱・上下が付いてしまうんですよ。しかしながら対等であらねばならない。ならば使用者は、常に意識して降りていかなければならない。ということだと思います。

(均等待遇)
第三条  使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。

(男女同一賃金の原則)
第四条  使用者は、労働者が女性であることを理由として、賃金について、男性と差別的取扱いをしてはならない。


この二つは、かつての差別のなごりなんですが、もう少し広く解釈してもいいと思う。後日パートタイム労働法についてまとめようと思っていますが、同一労働同一賃金という問題ともからみますが、同じ仕事をしているのに、正社員とアルバイト、正社員と派遣などで時間給で比較すると違うことありますよね?それどころか、創業期のベンチャーであれば、人事制度が整っていないが故に、正社員間でも給与や地位の格差が生じます。

均等とは何か?公平とは何か?さまざまな議論や価値観があると思いますが、会社における均等、公平、差別という概念にきちんと答えられますか?これは難しい。僕もよくわからない。

当然、組織であるから様々な格差が生じる。それはしょうがない。しかし、その格差は公平であるだろうか、という問いを常に経営者は投げかける必要があるし、従業員とそれを話していかなければならない。経営者は常に、この問いにもだえ苦しまなければならない。

(強制労働の禁止)
第五条  使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。

あー、昔はそんなこともあったんだねぇー、で流してはいけないところです。「精神又は身体の自由」とは何か?「身体」だけでなく「精神」も含まれていることに注目しないといけない。「不当に拘束する手段」とは何か?「不法」ではなく「不当」であるところに注目しないといけない。

不当というのは社会通念で判断(昭和63年3月14日基発150号)すべきことで、その社会通念なるものは、日本社会においてはとても流動的であると思います。そのような社会通念としての労働観はどのように変わってきているでしょうか?自律、自立を志向し、独立した個であることを重視する傾向や、あるいは身近な家族であったり仲間であったりを重視する傾向が強まっている中で、労働観は大きく変わっているし、個々の様々な価値観の反映としての労働観には多様な形があります。

あなたの会社は労働者の精神の自由をほんとうに不当に拘束していないといえますか?多様な価値観を持つ従業員ひとりひとりをどのようにして意思に反した労働をさせないようにしていますか?

(中間搾取の排除)
第六条  何人も、法律に基いて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない。

戦前のピンハネと強制労働が横行した労働者供給事業を想定して定められています。

現代の労働者派遣法は合法とはされているものの、果たして理念としてどうなのか、という疑問を持たずにはいられないんですよね。それは有料職業紹介事業もそうなのですが、労働市場の機能と法の理念とをもっと良くバランスさせる方法があるのではないか?と思わずにはいられません。それは福祉サイドの問題かもしれないのですが、労働と生存とが密接な状態で、そのマッチングで利益を得る場合、現状よりももう少しニュートラルな立場で、求職者と求人する会社との間で、利害関係に左右されず公正に振る舞う存在となる必要があるんじゃないかと思います。

だから、経営者サイドは、派遣会社や職業紹介事業者を通じての人の採用をするときもまた、労働者の場所に降りていく必要があるんではないかと思います。

僕個人としては派遣会社は求人側としても使いたくない。派遣会社に払う金額は明確でも、その先で働く人にどの程度給与が行っているのかが契約段階で不明確だから。

(公民権行使の保障)
第七条  使用者は、労働者が労働時間中に、選挙権その他公民としての権利を行使し、又は公の職務を執行するために必要な時間を請求した場合においては、拒んではならない。但し、権利の行使又は公の職務の執行に妨げがない限り、請求された時刻を変更することができる。

選挙権はもちろんですが、議員になったときとかも公務を優先させろという規定。

どうしても日本社会はお上と庶民という関係で考えがちなので、これもまぁ、お上に呼ばれたんならしゃーないね、という姿勢で読んでしまうんですが、よくよく考えてみると日本は民主主義政体なわけで、この公の職務というのはそのまま、会社より社会全体を重視しなよ、という意味で読む方が適切なんじゃないかと思います。

会社という組織の中に埋没せずに、どれだけ従業員に社会とのつながりを確保させてあげられるか、そして社会性を優先させる会社経営をしていけるか、という意味じゃないかと。ちょっと強引かもしれませんが、これは、ディスクローズやCSRまでつながる部分なんじゃないかと僕は思う訳です。

法解釈的には選挙権の行使とか具体的事例にとどまる訳ですが、それは何かと考えてみると、会社は社会との繋がりをきちんと意識して重視しなさいよと。蛸壺化するんじゃないよと。そういう意味だと僕は思います。

ここまで書くと、いやーそれでも会社は存続し、利益を上げていってナンボですよ、と思う人がいっぱいいるとおもうんですが、僕はNOです。

これ、昔も書いたんですが、大事なんで。

会社とは何か、を考えてみると、会社は法人です。法人は法によって生まれ、法を守ることで存続し、法の手続きに則って死ぬ人格です。人間は違います。法と死とは必ずしもつながりません。

法によって生まれ、法によって生かされ、法によって死ぬからこそ、まずどんな悪法であっても、どんなに細かい法令であっても法を守るべきなんですよ。法を守ると、会社が本質的に持つ利益と組織の永続という飽くなき欲求との矛盾が出現します。

その矛盾をどのように解決するか、そこが経営なんじゃないかと思います。法を守る。法を守ると、矛盾が出現する。それは会社という営利組織が持つ本質的な欲求であり、また会社の中で働く人の自然人性との対立でもあると思います。

Kousyoublog | 故河合隼雄氏最期の対談(考える人 2008年 冬号)は現代人必読です。

「その矛盾を私はこう生きました」というところに、個性が光るんじゃないかと思っているんです

と河合隼雄は言ったけど、まさにそう。経営者はまず法を守る。徹底的に勉強し徹底的に守る。法を守り、法に反しないだけでなく、それ以上に法の理念に則って行動した場合に現れる矛盾をどう生きるかと考える。のたうちまわるぐらいに考えるべきなんだと思います。そしてその苦しみは会社のみんなで共有し、それは会社だけでなく社会全体に伝えていくべきなんじゃないかな。「その矛盾をわれわれの会社は、こう生きています」と。

また、立法者側の責任も大きいですよ。法を守り、法の理念にのっとってわれわれが行動することで、どのような事態になるかという全体最適を図っていかなければならない。

そして、僕自身なのですが、こんなこと書いて偉そうにと思われるかもしれません。正直、立派な振る舞いができているかと言われると全くできていません。未だ勉強している最中です。会社で働きながら、発生する矛盾に苦しんでいます。あるいは普通に生きて行きながら、法を意識しているかというとそうではありません。

今は、この日本の歴史における法と社会性との二重構造はどこから来るのかを調べながら、今は労働法について学んでいるところです。そして、様々な文化や歴史や学問を学んでいきながら日本的なるものを見出していきたいと思っていて、その一環でこのエントリーを書きました。なんとか、「その矛盾を私はこう生きました」と死ぬまでに言えればいいなぁと思っています。

世の中の経営者は、まず矛盾と向き合ってほしいなぁと思いますし、矛盾と向き合い、のたうちまわっている経営者は全力で応援したいと思います。以上、よろしくお願いいたします。


労働法 第八版 (法律学講座双書)
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法律より怖い「会社の掟」―不祥事が続く5つの理由 (講談社現代新書 1939)
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稲垣 重雄

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そういえば1月24日はゴールドラッシュが始まった日

ゴールドラッシュ - Wikipedia
そもそもの発端は、1848年1月24日に農場主ジョン・サッターの使用人ジェームズ・マーシャルがアメリカン川で砂金を発見したことである。これと前後してカリフォルニアを始めとした西部領土がメキシコからアメリカに割譲されたので、文字通り新天地となったカリフォルニアには金鉱脈目当ての山師や開拓者が殺到することになった。特に1849年に急増したことから、彼らは"forty-niner"(49er)と呼ばれた。

影響

結果、1852年にはカリフォルニアの人口は20万人まで急増し州に昇格、西部の開拓が急進展することになった。

ゴールドラッシュという狂熱は大虐殺と根深い差別の幕開けだったといって良いと思う。アメリカの光と影、栄光と狂気、かな。陳腐な言い方だけど。その抉り取られた深い傷がアメリカをのた打ち回らせ、反面アメリカを超大国へと押し上げて行き、そしてオバマへと繋がるんだよねと。

ピルグリム・ファーザーズやフロンティア・スピリットばかりが喧伝されるのだけど、アメリカという国に打ち込まれている楔って、ゴールド・ラッシュの狂熱だと思う。

ジェームズ・マーシャル - Wikipedia
1848年1月24日の朝、水車の下にいくつかの輝く斑点を発見。サッターに知らせ詳しく調べたところ、少なくとも23カラット(純度96%)の最高級品質の金であることが分かった。発見に関するニュースはすぐに世界中に達し、多くの人がカリフォルニアに押し寄せ、マーシャルは土地を追い出された。

1857年にコロマに戻りブドウ園を始めたが結局失敗。その後、金鉱で金を探し始めたが何も見つからず破産した。1872年、カリフォルニア州政府は歴史上の重要な役割を認め、マーシャルに2年間の年金を与えた。1874年、1876年に更新されたが、1878年に打ち切られた。

1885年8月10日、カリフォルニア州ケルシーで死去。遺体はコロマに運ばれ、ブドウ園を所有していた場所に葬られた。

マーシャルを土地から追い出した瞬間にアメリカに打ち込まれた楔は、多分、まだ深く突き刺さっていて、アメリカという国はそれを清算する時期が来ているんじゃないかなぁ。オバマはそれを引き抜くことが出来るだろうか。


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労働者派遣法って何なの?どうすればいいの?というまとめ

「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」、通称「労働者派遣法」について。

1.労働者派遣法とは?

そもそも労働者派遣とは何かというと、戦前に横行した、親方が自身の支配下にある人夫等を港湾労働など他人の事業に派遣して労働させピンハネしていた、いわゆる労働者供給事業に遡ります。中間搾取、強制労働が慣行として行われていたため、戦後この、自身が抱える労働者を他者に供給する労働者供給事業は全面的に禁止される訳ですが、しかし法の網をかいくぐって、いわば脱法行為的に派遣事業が行われていました。特にオイルショック以降の不況下でパートタイム労働とあわせて安価な労働力の調達手段として、主にビル清掃等で労働者派遣が盛んに行われるようになりますが、それは禁止されていた労働者供給事業の疑いが強いものだったようです。

「労働法」(P359)
そのなかで、これを厳しく取り締まるか、労働者派遣事業という市場のニーズに応えて法制度を改正するかが議論され、1985年に、人材派遣業を「労働者派遣」事業として一定の法規制の下で適法化することとした「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」(労働者派遣法)が制定されることに至った。
労働法 第2版
労働法 第2版

労働者供給と労働者派遣と何が違うか

「労働者供給」
供給契約に基づいて労働者を他人の指揮命令を受けて労働に従事させること(職業安定法第四条六項)

「労働者派遣」
自己の雇用する労働者を、当該雇用関係の下に、かつ、他人の指揮命令を受けて、当該他人のために労働に従事させること(労働者派遣法第二条一項)

自身の支配下(雇用関係を含む)にある労働者を供給契約に基づいて他人の指揮命令の下で労働させるのが労働者供給。自身の雇用関係にある労働者を労働者派遣契約に基づいて他人の指揮命令の下で労働させるのが労働者派遣。前者は強制労働や中間搾取の恐れがあるため禁止。後者は合法。違いは?実のところ、派遣法に基づいた派遣契約が締結されていることと、厚生労働大臣が許可した「信頼の置ける事業者」(笑)が行っているということ以外は大きな差はありません。

で、派遣事業はその後もどんどん規制緩和が進んで当初26業務だけだったものが平成11年には港湾、警備、建設、医療、製造業務以外の業務に原則自由化。これらが禁止されていたのは特にこれらの業種で、かつて、強制労働や中間搾取が主に横行していたからです。しかし、平成16年、事業者たちの強い意向と当時の小泉内閣の新自由主義的政策もあって共産党を除く全政党の賛成の上で労働者派遣法が改正。製造業の派遣が解禁されました。昨今、社会問題化した業種が何かは言わずもがなですが。

労働法 第八版 (法律学講座双書)
労働法 第八版 (法律学講座双書)
ここまでの参考文献は上記の水町勇一郎先生の「労働法第二版」と菅野和夫先生のこれ。

2.労働者派遣法の何が問題なの?

(1)一般労働者派遣事業

労働者派遣法に定められた労働者派遣事業には二種類あります。一つは自社の正社員を派遣労働者として他者に派遣する特定労働者派遣事業。常用型と言われています。もう一つは派遣先があればその都度派遣労働者を雇用して派遣先に派遣し、派遣期間終了と共に派遣元の雇用が終了する一般労働者派遣事業。こちらは登録型といわれます。

前者は派遣先との契約が終了しても正社員なので雇用は守られます。一方、後者は派遣先があるときだけ雇用され、派遣先との契約が無くなり次第、派遣会社との雇用関係も消滅するものであるため、そもそも雇用が不安定な仕組みであるといえます。そして、この一般労働者派遣で主に製造業に派遣されていた人たちが次々と契約解除されていることが今社会問題化しています。

この一般労働者派遣については確実に見直しが必要だと考えられます。

案1
そもそも労働者派遣自体を全面的に禁止する

案2
製造業への労働者派遣を再び禁止する。

案3
一般労働者派遣事業は全面禁止し、特定労働者派遣事業のみとする

案4
一般労働者派遣事業は、原則紹介予定派遣として、正社員雇用を前提とする

案5
一般労働者派遣事業は今までどおりだが、契約終了後は就職が決まるまで派遣元・派遣先は労働者の生活保障を行う

案6
一般労働者派遣事業は今までどおりだが、派遣契約終了と、派遣元の登録解除にタイムラグを設ける

案7
一般労働者派遣事業は今までどおり。ただし派遣先・派遣元への規制を強化する。

など様々な案が考えられるわけですが、実際どうすればいいでしょうか?ということについてはあとで。

(2)規制のゆるさ

一般労働者派遣に対しての規制は元々問題があった労働者供給を合法化したにしては規制がゆるいと思われます。

【派遣元の義務】
・一般労働者派遣事業は厚生労働大臣の許可が必要
・港湾・建設・警備、医療関係業務(例外あり)への派遣禁止
・派遣元管理台帳の作成保存義務
・派遣元管理者の選任義務

【派遣先の義務】
・派遣可能期間は最長三年で、三年経過し労働者が望む場合は正規雇用をしなければならない
・派遣先管理台帳の作成保存義務
・派遣先管理者の選任義務
・一年超三年以内の期間継続して派遣受け入れる場合、期間をあらかじめ定め、労働組合または従業員代表者に意見を聞く
・事前面接(労働者を特定する行為)の禁止
・紹介予定派遣は最長六ヶ月まで

これらが法律で定められた主な義務。その他施行規則等で努力規定は定められていますが、あくまで努力規定。ちなみに、許可申請を除いて、すべて報告の義務はないので、やらないといけないけどやっていなくても、行政機関が報告を求めない限り確認する術は無しです。


3.どうしましょうか

そもそもの背景から考えて、労働者派遣は全面禁止で良いと個人的には思うのですが、ただ禁止するだけは水面下に潜っていくと思うんですよね。で、おそらく全面禁止したら請負業がかつてないほど伸びて行きますよ。「これハケンじゃなくてウケオイっすw」みたいな。「請負で自分らしく生きる!」とか「恋も仕事も請負で両立!」とかになってテレビでは「ウケオイの品格」が・・・って半分ネタですが。

会社の、安い労働力を使いたいという業のような欲求がある限り、手を変え品を変えて似たような手段が考案されていくだけなので、現行の派遣法を改正していくしかないんじゃないかなと思うんですよね。

ではどうすればいいか?

1)登録型の一般労働者派遣は原則一年以下の契約期間を禁止
派遣契約の終了がすなわち収入が絶たれることに繋がるから問題な訳で、まずは契約期間を一年を最低限度にします。これは失業保険の支給対象期間に合わせた措置です。(のちのち六ヶ月になるそうですが)また、一年未満で契約が打ち切られた場合でも派遣元は一年間の雇用義務を負い、打ち切った派遣先は残期間について支給する予定だった報酬の例えば六割などの違約金を支払う義務を負う。また、派遣元はその間、派遣契約の有無に関わらず給与を支払う義務を負う。そして一年経過後、登録終了はすなわち会社都合解雇として扱い、即失業保険が支払われるようにする。

三ヶ月など短期の契約で、すぐ放り出されてしまうのが問題なわけで、まず雇用保障を行い、かつ現行のセーフティネットを極力活用出来るようにするわけです。

2)派遣報酬の見直し
会社役員がなぜ数千万の高い報酬を受け取っているかというと、税法上のムニャムニャはありますが、一応、大義名分としては、雇用保険がなく、株主代表訴訟等、何かあったら個人で金銭的責任が発生し、1年あるいは2年など任期が決まっているため、失業する危険があるので生活保障という趣旨がありますよね。

それ、派遣社員や有期契約の労働者も一緒じゃないですか。少なくとも期間の定めの無い労働者(正社員)と同等以上の賃金とする優遇措置を行うべきではないかなと思います。パートタイム労働法で同一職種で実質期間の定めが無い有期契約労働者については同一職種同一賃金の原則が定められましたが、少なくとも一年目の派遣労働者および一年未満の有期契約労働者については、不安定な生活環境であるため、通常より高い賃金を支払う義務を派遣元または会社は負うべきではないかと思います。

3)報告公表義務と厳罰化
すでに三年超の労働者については希望する場合正社員化という規定はあったり、その他管理台帳作成義務はあったりしますが、実際守られているかどうかはあやしい。それは報告・公表義務が無いからです。

派遣社員を受け入れた場合、当該派遣労働者の個人情報は除いて、従事する作業、受け入れ開始日、契約終了日、人数、一年以上の派遣労働者の数、三年を超えた労働者を正社員化した数、正社員化しなかった理由、労働環境、改善措置・・・等々を監査役や外部専門家等が監査の上で、IRとして四半期ごとに公表および毎年行政機関に報告、及び報告を受けた行政は改善命令する義務を罰則付きで課してはどうでしょうか。

会社は外部から見えず、蛸壺化しているから不正が起きたり、非人道的な扱いをしてしまう訳で、特に労働問題についてはまず、報告義務を課すというのが鉄則ではないかと思います。


4.最後に

で、この労働者派遣法改正うんぬんという話をしていても、今、元派遣労働者たちが直面している苦境については何の対処にもならないというのは、よく理解しておかないといけない。何はさておき、まずは彼らの生活保障することが最優先課題。財政出動しちゃだめなの?で、同時進行で派遣法の改正を進めないといけないと思います。上記の案も、多分手ぬるいなと書きながら思ってはいる。多分に妥協的というか対処療法的というか。最終的にはやはり労働者派遣自体の禁止まで行わなければならないのではないか、という問いは頭の中でちらつきます。これ、現状、派遣法単体の問題ですが、早晩労働市場と社会保障全体の問題に拡大すると思うんですよね。何故なら本質的に企業の営利追求欲求と労働者の生活や権利確保の関係性の問題だから。労働とは何か?という問いにまで繋がってくると思います。

以上、労働者派遣法についてのまとめでした。

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府中の三千人塚

三千人塚

12月初旬、府中一帯を散歩したときに、住宅街の合間で三千人塚なる塚を見つけました。三千人塚という名前の由来は、昔、新田義貞と北条泰家率いる鎌倉幕府との合戦(分倍河原の戦い)で亡くなった三千人の戦死者を埋葬したという言い伝えからだと言われていいます。しかし、真実は違うんだそうです。

現地の案内板より
三千人塚は、江戸時代の地誌「武蔵名勝図絵」などにも紹介されている由緒ある塚です。塚の上には、多摩地区最古となる康元元年(一二五六)の板碑が建ててあり、「板碑の立つ塚」として、昔から注目されてきました。
昭和三十年に地元の郷土史家により、この塚の西側が発掘調査され、鎌倉時代から南北朝時代の蔵骨器(四個)が出土しています。
平成十七年に学術調査を行ったところ、塚の東側から、石にお経の文字を写した「礫石経」が大量に出土しました。この調査により、現存の塚の高まりは、元弘三年(一三三三)の分倍河原の合戦で亡くなった三千人の戦死者を埋葬したという伝承とは関係がなく、江戸時代に造られたものであることがわかりました。
三千人塚は、鎌倉時代から室町時代の在地の有力者一族による小さな塚(墓)の点在した場所が、江戸時代には信仰の対象となり、地元の文化財として今日まで大切にされてきたといえます。

このあたりの信仰が生まれる過程ってすごく面白い。地元の有力者たちの墓が点在したあたりが、地元の有名な合戦の戦死者を祀ったものだという、現地の人たちにとっての共有財産となる物語性が付与され、信仰され語り継がれてきた訳ですね。この案内板を読んでおおっと思いました。真実よりも大事な物語があるんだなぁと。

ぷらーっと散歩がてらに見つけた、何気ないこういう石碑に、歴史と色々な人たちの思いが投影されていたりして、そういう出会いと発見が散歩の醍醐味の一つなんですよね。


三千人塚
東京都府中市矢崎町2-21-2

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寂しく鳴く子猫を颯爽と助けに来る母猫

YouTube - mama cat comes to rescue her little kitten

みゃぁぁ〜みゃぁぁ〜とか細い声で子猫が鳴いていると、お母さん猫が颯爽と登場、子猫に覆いかぶさってあげたあとは、ガシッと首からくわえてその場から連れて行ってくれます。さすがお母さんは頼りになるなぁ〜。という動画ですね。

ちょっとネコぼけ
ちょっとネコぼけ
岩合 光昭

そういえば、岩合さんのこの写真集に、たくましい母猫の姿が収められていたのを思い出した。なかなか良い写真だったなー。

動画:猫 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

そういえば12月10日は山本七平の命日

というのをさっきwikipediaを読んでいて知った。

遺作はこれらしい。
徳川家康 (山本七平ライブラリー)
徳川家康 (山本七平ライブラリー)
山本 七平

徳川家康について書いていたとは知らなかった。

処女作はかの有名なイザヤ・ペンダサン名義のこれでいいのかな。

日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))
日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))
山本 七平

そういえば「日本人はなぜ敗れるのか」を読もうと思いつつまだ読んでなかった。
日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21) (角川oneテーマ21)
日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21) (角川oneテーマ21)
山本 七平

今度読もう。

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読みたい本「無駄学」「封建制の文明史観」「複数の日本語 方言からはじめる言語学」

無駄学 (新潮選書)
無駄学 (新潮選書)
西成 活裕
話題の『渋滞学』が進化した! トヨタ生産方式の「カイゼン現場」訪問などをヒントに、まったく新しい学問が誕生。無駄とは何か? そのメカニズムとは? 実践篇では社会や企業、家庭にはびこる「無駄」を検証、省き方も伝授し、さらにポスト自由主義経済の新経済システムまで提言。ビジネスパーソンも家庭人も必読の書。
封建制の文明史観 (PHP新書)
封建制の文明史観 (PHP新書)
今谷 明
封建制は民主制の反対概念として、悪しきものの形容詞にされてきた。しかし、歴史学的に検証すれば正しい評価といえるのだろうか? 十三世紀、蒙古軍の侵略をはね返した日本、西欧、エジプトの三地域では、いずれも封建制が確立していた。中国やペルシアなど、官僚制が行き渡っていた領域、あるいは東欧のように建国ほどなく封建制も緒についていない地域は、たやすく蒙古軍に踏み破られたのだ。また、ルネッサンスや産業資本主義も、極東、西欧、中東という、モンゴルの影響を逃れた地域から発展している。私たちは、封建制なる事象をどう考えてゆけばよいのか。本書では「封建」の歴史的経緯や語源をたどりながら、福沢諭吉、梅棹忠夫、網野善彦、ウィットフォーゲルなどの学説を丹念に検証。第二次大戦後、日本の敗戦は前近代の封建制が充分に克服されていなかったとする進歩的文化人の見解に異議を申し立て、歴史遺産としての封建制に光をあてた真摯な論考である。
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江戸城にあった霊廟紅葉山東照宮という権力装置

そういえば天皇家は泉涌寺の檀家 - finalventの日記
 仏教徒というより、天皇家というのは、仏教の頂点でもあったはず。たしか、このあたり網野善彦が以前いろいろ書いていた。

 というか、このあたりの国家鎮護というか国家権力としての仏教も、近代の感覚からはわかりづらくなっている。

仏教の頂点という話で、以下推論なんですが。

気になるのは江戸城内にあった紅葉山東照宮の存在なんですよね。

貴重資料「紅葉山御宮御霊屋総絵図」
  紅葉山は江戸城内中央にある小山で、歴代将軍の霊廟が営まれた。また、その東北には具足蔵とともに、将軍の御文庫(紅葉山文庫)などの建造物があった。
  絵図で「御宮」とあるのは紅葉山東照宮のことで、初代将軍徳川家康の廟所にあたる。絵図では一ノ鳥居しか描かれていないが、一ノ鳥居、二ノ鳥居、勅額御門、唐門をくぐって廟所にたどりつく。2代将軍秀忠(台徳院)の廟所は、一ノ鳥居の正面奥にある「二十四日」と書かれた廟所で、これは秀忠の命日が二十四日にちなむものである。この二人の廟所は単独で造営されており、別格扱いであった。
  当初は、3代将軍家光以降の廟所も単独で造営されており、一の鳥居の手前右手の平地に家光、家綱(4代)、綱吉(5代)、一の鳥居の手前左手に家宣と順次造営されたが、6代家継からは合葬されるようになる。絵図では、「大猷院(3代家光、4月20日没)・文恭院(11代家斉、閏1月晦日没)・温恭院(13代家定、7月4日没)様」「厳有院(4代家綱、5月8日没)・孝恭院(家治3子家基、2月24日没)様 八日」「常憲院様(5代綱吉、1月10日没)・有徳院(8代吉宗、6月20日没、)様・浚明院(10代家治、9月8日没)様 十日」「文昭院(6代家宣、10月14日没)様・有章院(7代家継、4月晦日)様・惇真院(9代家重、6月 12日)様・慎徳院(12代家慶、6月22日没)様 十四日晦日十二日」と記されている。
  14代家茂の名がみえないことから、本絵図は家定の没した安政5年(1858)から家茂の没する慶応2年( 1866)までの間の作成と推定される。ただし、宝蔵は御具足倉が2棟、御書物倉・御鉄炮倉・御屏風倉が書く旨の計5棟が書かれているが、江戸後期には書物倉は4棟であったと伝えられるので、その点は今後検討する必要がある。
  なお、現在、紅葉山にあたる地は皇居内にあるので、上記の遺構を見ることはできない。

9010 承応度紅葉山東照宮に関する一史料

を見ると仏殿だったようなんですよね。

この紅葉山には徳川家康が関東移封時に山王日枝神社を移動させておきながら、江戸幕府開幕後の1604年、再度山王日枝神社を動かして紅葉山を空けた後、1618年に徳川家の霊廟が築かれている。

重要文化財(歴史資料)〜江戸城造営関係資料(甲良家伝来)Q&A4
「明治元年十二月十九日朝廷徳川家達ニ命ジテ、紅葉山の霊屋ヲ撤セシム」

で、明治になるや否や(明治元年10月23日に改元)、霊廟は取り壊されている。家達は徳川宗家の第十六代。

この紅葉山東照宮で国家鎮護としての仏教の何か儀式が行われていたんじゃないかなぁ。かつて東照宮は全国に作られ、武士たちが参詣していたらしいですが、家康は神になったんじゃなく仏教の守護者的位置づけとして祀られた権力装置だったんじゃないか。仏教を背景にした権力の象徴としてあったんじゃないだろうか、と根拠無く考えているんですがどうなんでしょうね。

仏教の最高位に徳川家が居て、そのまま仏教を背景にした国家統治を行おうとしても徳川家より下にならざるを得ない。だから天皇家は伊勢神宮を持ち出して神仏分離を行うことになったんじゃないか。国家神道を、徳川型国家仏教に対するカウンターとして作り出さざるを得なかったんじゃないか。とつらつらと考えていますが、根拠はナッシングです。はてさて。


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異形の王権 (平凡社ライブラリー)
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英語ネイティブも将来英語同士通じなくなる恐れを抱いている

むしろこれから起こるのはネイティブイングリッシュの破壊であるとか - かたつむりは電子図書館の夢をみるか

英語が研究において普遍語となった今、行うべきはネイティブイングリッシュの破壊と非ネイティブにわかりやすい普遍語としての再生である、とかなんとかー。

丁度先日読んだ「英語の歴史」(→Kousyoublog | 「英語の歴史―過去から未来への物語」寺澤盾 著)も同じ結論だったので興味深かったです。

「母語としての英語」(English as a Native Language :ENL)を話す人は英米豪など3億2000万人〜4億人で今後逓減していく傾向にあるのに対して、インド、南アフリカ、ナイジェリアなど現地語とあわせて英語が公用語になっている「第二言語としての英語」(Englisg as a Second Language :ESL)を話す人々が3億5000万人、公用語にはなっていないが学校教育などで英語を学び、使用している「外国語としての英語」(English as a Foreign Language :EFL)を話している約7億5000万人などとあわせると非ENL圏の方が今後圧倒的に増加傾向にあり、その過程で英語は現地語化していくだろうと予測されています。

この傾向に対して特に英国の研究者たちは世界中に広がっていく英語が現地語化し独自に発達していくことで、英語同士が通じなくなる危惧を抱いていて、その思いを受けてチャールズ皇太子はこうスピーチをしています。前エントリーに続いて再度引用。

英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書 1971)」(P191-192)
This kind of nightmare could possibily become a reality unless there is agreement that there are enduring standards,a common core of language,and common standard of grammar.

(共通の核となる確固とした標準英語や標準英文法が存在するのだという合意がなければ、悪夢は、ひょっとすると現実のものとなるかもしれない。)
(『ガーディアン』1991年5月9日)

ご心配はごもっとも。

英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書 1971)」(P198)
今後は、一部のENLの国(とくに英国や米国)が、国際語としての英語をコントロールしていくことは難しくなっていくと思われる。むしろ、多数派となったESLやEFLの使用者が、インターネットやテレビなどのメディアを通じて国際語としての英語に大きな影響を与えるようになるかもしれない。
英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書 1971)」(P199)
将来、イギリス英語やアメリカ英語の話者も、ESLやEFLの影響を受けた国際英語と母語である英語変種の2つを場面に応じて使い分ける必要が出てくるかもしれない。その時、はじめて英語は、一部のENL話者の手を離れ、真の意味で国際化したといえるかもしれない。

ということで、今後英語はますます拡大しながらも変質していくだろうと言うのが現実的な予測のようですね。とりあえず日本語訛りでも良いから英語はそれなりに喋れるように勉強しておこうってことで。iKnow初級コースから早くステップアップしたい今日この頃でした。


英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書 1971)
英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書 1971)

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人生を根底から豊かで納得のいくものにするための読書法とオススメ本7冊+1

ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介 - 分裂勘違い君劇場

人生には濫読すべき時期があるのは間違い無いと思うのだけど、「豊かで納得の行く人生」なる超主観的な想いを抱くことが出来るようになる読書の仕方は「100冊読むより100回読め」ではないかな。

100回読めばその本が血肉となり前身に涵養していくし、何よりその本に愛着が沸くし、愛情を持って読書と言う行為が出来るようになれば、読書することに豊かさを感じられるんじゃないかなと思います。

読書に限らず豊かで納得行く時間が少しでも持てれば、自ずと人生も豊かで納得行くものだと思えるんじゃないかなーと思ったりしますよ。豊かさなんて主観的感覚の最たるものですから。

・本選びが大事

100回読むのは、まかり間違ったら苦行にしかならないので、本選びがとても大事です。図書館や本屋に行くのが生活の一部になっていて、入って気が付くと2〜3時間あるいはもっと経ってたなんてことが日常茶飯事です。図書館や書店は僕にとってはお見合い会場みたいなもので、長く愛せそうな本をじっくりと時間を掛けて見て行きながら、一瞬のインスピレーションを待っているところがあります。図書館や書店だけじゃなく、ネットでじっくり事前に調べたりすることも頻繁です。本との出会いに関してセレンディピティみたいなのがとても大事だなと思います。

・読書する場所が大事

自身が最も読書をしたら落ち着く場所を見つけておくのが大事です。ある程度時間の流れを忘れられるところが良いような気がします。行きつけの喫茶店、公園の芝生の上、川べりの土手、神社の境内の片隅、あるいはお風呂で半身浴をしながら、または寝る前に布団の中で・・・そういう読書環境を重視することで全身の感覚で本を読むと、より充実感があると思います。そういえば一時期我が家では毎朝朗読会をしたりしていました。朗読もまた面白いです。

・メモ帳、ポストイット、筆記用具が大事

本を読みながら、何かしらアウトプットをしたい欲求に駆られることが多いと思います。僕はB5サイズのノートとペンを常時持ち歩いていて、本を読みながら思ったことをすぐ文章に出来るようにしています。本に書き込みしたり線を引いたりする人も居れば、ポストイットを貼りまくる人もいるし、すぐに携帯やPDAにメモしたりする人もいるでしょうね。読むだけじゃなくアウトプットも思ったときにすぐ出来るようにしておくとより豊かさを実感しやすいと思います。

まぁ、こんな感じでどんな本を読めば人生が豊かになるかではなく、どうやって読書と言う行為に向かい合えば豊かさを感じられるかを大事にすれば自ずと答えは出るんじゃないかなーと思います。

そこで、僕が何度も何度も読み返して味わっている本をいくつか紹介。

忘れられた日本人 (岩波文庫)
忘れられた日本人 (岩波文庫)
宮本 常一

民俗学の巨人宮本常一の名著。「日本的なるもの」というタグがはてブではよく見かけますが、その「日本的なるもの」の最たるものをじっくりと生涯掛けて足で見て回った巨人の足跡を辿ることが出来る一冊です。西日本中心なので、これが古き日本の全てでは決して無いのだけど、とても世間師とか、村の寄り合いとか味わい深い。あと、人気の土佐源氏という盲の老人の話はぜひ映画化希望なんだけど・・・もう撮れる人はいないな。今村昌平が生きていたら撮って欲しかったな。


日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)
日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)
網野 善彦

「異形の王権」も好きなんだけど、連綿と現代まで繋がってくる歴史の流れの中の私、みたいなのに思いを馳せる時に、これかなと思う。勿論網野歴史の代表作として挙げられるので陳腐なセレクションなのかもしれないけれど。け・れ・ど、読むと、積み重なってきた歴史と積み重ならず移ろっていった歴史とが同時代的に感じられるので、とても豊かでエキサイティングな読書体験が出来て、ちょっと病みつきになることがある。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
山本 七平

まぁ、多くを語ることも無いんでどうぞ。日本教という怪物のお話であり、その根本については読めば読むほどに、その深淵から覗かれているというのがわかる本かな。ただ、あと数年でもしかしたら急速に古臭いものになるのかもしれない気がしています。根拠は・・・直観。

シーシュポスの神話 (新潮文庫)
シーシュポスの神話 (新潮文庫)
カミュ

カミュは味わい深いのはやっぱりこれかなという気がします。二十歳前に読んで以来、何度と無く読み返してきた。シーシュポスは神から罰を受け巨石を山頂に押し上げ、そして山頂に登った瞬間、その巨石は転げ落ちていく。転げ落ちていく様子をみながらシーシュポスは「すべてよし」とつぶやいて再び巨石を山頂に押し上げるために山を下る。というほんの数ページの短編。ある時は哲学ごっこでわかった振りをするために、あるときは自分のダメな環境に対するエクスキューズのため、またある時はある種の了解のため、などその時々によって読み方を変えることが出来る本だな、と思うのですが、実はとても頑固な本でもあるなとも感じますね。

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)
村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)
河合 隼雄,村上 春樹

二人が日本論や物語論などについて語った対談。95年ごろの本なんですが、今読むと二人のその先見性にちょっとびっくりする。この人たちは見えていたんだなという感じで唸らされることが多い。「ポストモダン」は手垢の付いた言葉だし、多分ちょっと違うように思う。読み返すたびに個人なるもの、近代人なるものについて、本をきっかけにして思考を飛躍させて遊んでいるかな。

ユング心理学入門
ユング心理学入門
河合 隼雄

まぁ、僕はユングというか「河合隼雄が紹介するユング」に傾倒しているところ大きいので。偽科学ですけどね。第一章読めばわかりますが、ユング心理学は心理療法を第一義とするために客観的であることを敢えて捨てて偽科学たることを選んだ学問であって、その危うさと危ういがゆえの真摯さがね、とても魅力的なのだと思いますよ。惹きつけられてしまったのかなと思います。夢分析の類は全く興味ないけどコンステレーションとか個性化の過程なんてあたりは、僕自身主観的に「あるものと了解している」ところはあるなぁと思います。科学的=客観的にどうか、と言われると、そりゃどうかねー。ないなぁ(笑)という感じなんですが。こころ、を考えたときに避けられない本だなぁと思います。

ヒトはなぜ、夢を見るのか (文春新書)
ヒトはなぜ、夢を見るのか (文春新書)
北浜 邦夫

上の紹介文と思いっきり矛盾するんですが、夢自体にはとても興味があります。人生の三分の一は眠っている訳で、その眠っている時間に見る夢というものとどのように接するかというのが大事なんじゃないかなぁと僕は思います。ただ経験上、夢に関する記事をアップするとアップするたびにリーダー登録数が1〜2user減るので、ブログにアップするのは諸刃の剣ですけどね(笑)現在わかっている夢のメカニズムについて科学的に紹介した本なのですが、その夢のメカニズムがね面白いんですよ。脳の仮説立証性というやつです。科学と夢と心理と体験を上手くつなぐ架け橋な一冊なんじゃないかと思いますよ。

でっか字まっぷ 東京23区 (でっか字まっぷ) (でっか字まっぷ)
でっか字まっぷ 東京23区 (でっか字まっぷ) (でっか字まっぷ)

これだけは断言できるのだけど。
地図を開くこと以上に人生を豊かにすることはない。
なぜなら、地図はイマジネーションと体験と知識と変化を体験する最高の本だからだ。自身の住む町を実際に歩いて体験しながら、読むことが出来る。そして地図を開くだけで全体像が把握できるし、あるいは細かなところまで目を行き届かせることができる。地図を見れば歴史が浮かび上がってくる。地図を見れば常に発見がある。地図を見ながらまだ見ぬ町を歩く自分を想像することができる。



ということで唐突な展開にもっていくわけだけれど


■人生を根底から豊かで納得のいくものにするための読書法とは

朝、目が覚めたらすぐに出かける準備をして、ノートとペンと地図をかばんに入れ、まず本屋に行きじっくりと読むべき本を漁る。読むべき本が決まったら、すぐに購入して、書店を出たら地図を開く。イマジネーションをフル稼働させて魅力的な街を見つけたら直行。地図を片手にさ迷い、地図を見ながら川を歩き、街中を抜けて、公園や神社を探しつつ、地図の中に新たな発見が無いか注意深く丁寧に探す。地図とともに、街を体験する中で、心地良さそうな場所を見つけたらそこに腰掛けて、買った本を開く。あとは読む。読みながらイマジネーションが沸いたらアウトプットする。本のことだけではなく、例えばその心地よい場所をデッサンしたり、あるいは街の様子を記しても良いんじゃないだろうか。上記全ての方法を網羅することができる。

つまり、人生を根底から豊かにするのは、読書ではなく散歩である。

と、ちゃぶ台ひっくり返したエントリーを書いてみるテスト・・・なんだがあまりひっくり返っていない。







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「英語の歴史―過去から未来への物語」寺澤盾 著

評価:
寺澤 盾
中央公論新社
¥ 819
(2008-10)
Amazonランキング: 6961位

梅田さんのエントリと発言を契機にして日本語論英語論が花盛りですが、つい先月、こんな本が出ていたので迷わず購入して読了しました。著者は、現在、東京大学で英語史の准教授を務め、またハーヴァード大学の客員研究員でもある寺澤盾氏。「英語の歴史」というオーソドックスで直球なタイトル通り、英語の起こりから英語のこれからまでがIknow初級コースでLの発音に四苦八苦しているような僕でもさらりとわかった気になる一冊です。


■H・G・ウェルズの予言

「SFの父」ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells)は1933年、22世紀初頭の未来から時代を遡る未来歴史小説『世界はこうなる』(The Shape of Things to Come)という小説を発表した。その作品中、20世紀から21世紀を回顧して、こう描写した。

「英語の歴史」(P4-5)
One of the unanticipated achievements of the twenty-first century was the rapid diffusion of Basic English as the lingua franca of the world and the even more rapid modification, expansion and spread of English in its wake.
The English...has shed the last traces of such archaic elaborations as a subjunctive mood; it has simplified its spelling, standardized its pronunciation, adopted many forein locations and naturalized and assimilated thousands of foreign words...This convenience...was made the official medium of communication throughout the world by the Air and Sea Control, and by 2020 there was hardly anyone in the world who could not talk and understand it.

(21世紀における予想もしなかった成功の一つは、ベーシック・イングリッシュが世界の共通語として急速に普及したことであり、その過程でさらに英語が急速に改訂され、発展し、普及したことである。(21世紀の)英語では・・・仮定法のような古めかしく手の込んだ表現の痕跡はもはや見られず、綴りは簡略化され、発音も標準化され、多くの外国語法が取り入れられ、何千にも及ぶ外国語が同化された。<中略>この便利な道具は・・・航空・海上管制言語として世界中で公式のコミュニケーションの手段となり、2020年までには、英語を話したり理解したりすることのできない人はほとんどいなくなった。)
The Shape of Things to Come: The Ultimate Revolution (Penguin Classics)
The Shape of Things to Come: The Ultimate Revolution (Penguin Classics)
H. G. Wells

世界はこうなる〈上〉―最後の革命
H.G. ウェルズ
世界はこうなる〈下〉―最後の革命
H.G. ウェルズ

まさに70年以上前にH・G・ウェルズが予言した通りの状態に今なりつつある訳ですが、現在英語話者数15億人とも言われる英語はどのような歴史を辿ってきたのか。英語の歴史は大きく古英語期、中英語期、近代英語期の三つの時代に分かれます。


■古英語期(Old English,AD450頃-11世紀末)

当初、英語を使っていたのはブリテン島に住む人々ではなく、その周辺、現在のデンマーク、北西ドイツ、オランダあたりに居住していたアングル人、ジュート人、サクソン人、フリジア人たちだった。彼らは「ゲルマン民族大移動」によって五世紀〜六世紀ごろにかけてブリテン島へ移動し、先住民族のケルト人を西方のカンバーランド、ウェールズ、コーンウォールに追いやり、テムズ川周辺を中心としたブリテン島南部に定住した。この頃、サクソン人を撃退したケルト系の王または、ローマ帝国の将軍とも言われる人物をモデルにしたのがアーサー王だと言われています。

アングル人、サクソン人らはゲルマン語族に属し、現代でも英語はfatherとVater、motherとMutter、houseとHaus、fieldとFeldなどドイツ語との類似性が高く、また、オランダ語などとも近しい。インド=ヨーロッパ語族の一種ゲルマン基語は紀元前一世紀ごろ、東ゲルマン語(ゴート語など)、北ゲルマン語(スウェーデン語、デンマーク語、ノルウェー語、アイスランド語)と西ゲルマン語の三種類に分かれ、その後時期は不明ながら西ゲルマン語は高地ドイツ語(ドイツ語など)、低地ドイツ語(オランダ語、フラマン語など)、アングロ・フリジア語(英語など)に分かれていったと考えられている。

古英語の主な特徴は「他言語からの借用語が少なく、派生と複合による新語の形成が活発で、文法的に豊かな語形変化、語順も自由で、代名詞の省略が可能であった」ことだといえる。

・古英語の文法

「英語の歴史」(P43)
古英語では、名詞、形容詞、動詞は文で果たす役割に応じて語形変化をした。たとえば、現代英語ではkingという名詞は、語形変化をするのは所有格のking's, kings'、複数形kingsの場合だけであるが、kingに対応する古英語のcyningは、複数の場合だけでなく、文中の文法的役割によって、cyninges, cyningas, cyninga, cyningumのように形を変えていく。
また定冠詞も現代英語ではtheを覚えればよいが、古英語では冠詞が就職する名詞の文法性、文中での役割、単数・複数によって(中略)10以上の異なる形をもっていた。
(中略)
動詞も、時制(過去・現在)、法(直説法・仮定法・命令法)、主語の人称・数によって縦横無尽に形を変える。

古英語期の代表作「ベーオウルフ」(Beowulf、作者不詳)の例が紹介されている。

古英語叙事詩『ベーオウルフ』対訳版
古英語叙事詩『ベーオウルフ』対訳版
「英語の歴史」(P43-44)
Se feond drep pone cyning sweorde.
(敵は王を刀で打った)

という文では、冠詞の形(seは主格、poneは対格)を見れば、seをともなったfeond(敵)が主語で、poneの付いたcyning(王)が対格目的語であり、与格語尾の-eが付いているsweorde(刀)は手段・道具を表していることがわかる。したがって、かりに、

Pone cyning se feond drep sweorde.

のように語順を入れ替えたとしても混乱は生じない。

このように、古英語期は現代のようなSVO文法に固定されていなかった。

・派生語や複合語などの新語形成

この本を読んでいて、古英語の魅力はここだなぁと思ったのが、派生語や複合語など新しい言葉を生み出していくところですね。

「英語の歴史」(P58)
古英語ではラテン語や北欧の古ノルド語からの借用語は見られたが、中英語や近代英語と比べると外来語への依存度は低い。新たな概念・事物に対応して語彙を増やす必要が生じたとき、(中略)古英語では一般に借用語に頼らず自前の素材、つまり英語にもともとあった語などを組み合わせることで新語を形成した。

「派生」
接辞(語とは違ってそれ自体、単独では用いられない要素)を語に付けて新たな語を作る方法。

例えばgetの古英語gietanにbe-、for-、ofer-(=over)を接頭辞としてつけて
begietan(得る), forgietan(忘れる), ofergietan(怠る), ongietan(掴む、把握する), undergietan(理解する)
などが形成された。

「複合」
語と語を結びつけて別の語を作り出すもの。複合語の中でも隠喩を伴った複合語をケニングという。

例えばheavenの古英語heofonは様々な語と結びついて
heofon-beorht(天のように輝いた)、heofon-dream(天上の喜び)、heofon-engel(天使)、heofon-steorra(天の星)、heofon-candel(天のろうそく=太陽・月・星)、heofon-cyning(天の王=神)、heofon-duguo(天の軍勢=天使)、heofon-weard(天の守り手=神)
などが形成された。

しかし、このような複合語も中英語〜現代英語期までにほとんど廃れてしまったという。その理由は置き換えることが出来る外来語が入ってきたことによる。例えばランプは古英語ではleoht-faet(光の器)という複合語だったが、中英語期にフランスからlampが入ってきたことで使われなくなった。

同書では、ここで複合語クイズが出されていて面白いので紹介。

「英語の歴史」(P60)
以下の古英語の表現(ケニング)が何をさしているのか、謎解きをしてください。たとえば、hron-rad(鯨の路)は「海」を意味します。
(1)feorh-hus(命の家)
(2)heafod-gimm(頭の宝石)
(3)beadu-leoma(戦の光)
(4)guo-wine(戦の友)
(5)hilde-scur(戦のにわか雨)
(6)sae-wudu(海に浮かぶ木)
(7)mere-hengest(海の馬)
(8)gold-giefa(黄金を与えるもの)
(9)gamen-wudu(喜びの木)
(10)waeg-faet(水の器)

回答は、この本の60ページへ(笑)

ということで、クリエイティビティに溢れる古英語期はゲルマン民族大移動に始まり、500年以上にわたって続き、そして1016年、デーン人のクヌートが英国王となり、さらに1042年にエドワード王が王位を奪還、しかしそのエドワード王も1066年に亡くなりアングロサクソンの王朝が途絶えるという混乱の中終わりを迎えます。


■中英語期(Middle English,12世紀初頭-15世紀末)

1066年、エドワード王の死後、その子ハロルド二世が王位に就くが、それに異を唱えるノルマンディー公ギヨームは6000の軍勢を率いて海を渡り、イングランド南部のへースティングスに上陸、迎え撃つハロルド王率いる7000の軍勢とバトルの丘で激突する。「ノルマン軍は弓兵に援護させながらの騎兵による突撃を繰り返したが,丘上に布陣したハロルド軍は長大な戦斧を装備した重装歩兵による密集陣形でこれに応じ,昼までに戦闘は膠着状態に陥った」(→ヘースティングスの戦い - Wikipedia)のち、激戦の末ハロルド王は戦死、ノルマンディー公ギヨームはウィリアム一世として即位した。このノルマン征服王朝の幕開けとともに中英語期が始まります。

ノルマン征服が英語史上の一大事件だった理由は、フランス人による支配だったことにあります。こののち、約200年に渡ってフランス語が公用語となり、英語は表舞台から姿を消すことになります。

中英語の主な特徴は「フランス語からの借用語の増大、語形変化の単純化、語順の固定化、代名詞の明示化」などです。

・借用語の増大

中英語期にフランス語から借用された語は約1万語とも言われ、そのうち約7500語が現代英語に伝わっているそうです。

bill, parliament, judge, money, rent, duke, baron, religion, army, battle, defence, soldier, war, coat, fasion, diamond, boil, fry, roast, cabbage, lettuce, onion, beef, mutton, pork, bacon, uncle, aunt, cousin, parentなどなど。

しかし、このフランス借用語により、古英語の単語はかなりの数が死語、または意味範囲が狭められたりした。

中英語期にはラテン語からの借用語も多く1000語以上の記録が残っている。
例えばactor,ambitious, ceremony, exclude, expantion, incarnate, interrupt, quiet, tradition, include, picture, politeなどが一部は当初と意味は変わりつつも現代英語でも使われている。

1096年に始まる十字軍遠征によってこの時期にアラビア語も相当数英語に入ってきている。
alcohol, alkali, cotton, lemon, sugarなど。

・文法の固定化

「英語の歴史」(P114)
古英語では(文法)性・数・格によって名詞や代名詞類がさまざまな形に変化したが、中英語以降、語尾変化の衰退が進行した。そのため、文中での語の役割(=格)を語形変化によってではなく、語順をSVOに固定させたり、前置詞などを用いることによって表わすようになった。古英語期では、動詞も、法(直説法、仮定法、命令法)、時制、主語の人称・数によってさまざまな活用変化をしたが、活用変化は時を経るにしたがい単純化されていった。

固定化、単純化の始まりが中英語期で、次の近代英語期になると現代英語により近づいていくことになります。

・英語の復権

1204年、ジョン王はフランス王フィリップ二世らフランスの諸侯と領土をめぐって対立、全面戦争となるが、1214年までにノルマンディー他大陸領土のほとんどを失い、さらに教皇にも破門されるなどして、ジョン失地王と呼ばれるが、これによって、のちにフランスとの関係が希薄化していき、英国に対する国家意識が芽生えることになる。

1337年、エドワード三世はフランス王位や領土をめぐり、フランス王と対立、百年戦争が勃発すると、英語に対する意識がさらに高まっていき、1362年には議会の開会宣言が初めて英語で行われ、また同年、法廷でもフランス語ではなく英語を使うことを定める法が制定。1399年に即位したヘンリー四世はノルマン征服以降初の英語を母語とする王だったという。

1384年、このような背景で聖職者ジョン・ウィクリフは完訳英語聖書を発行、詩人チョーサーは中英語を使って「カンタベリー物語」を著すなど、徐々に英語の復権が始まる中で、中英語期は終わり、近代英語期が始まっていく。

The Canterbury Tales (Penguin Classics)
The Canterbury Tales (Penguin Classics)
Geoffrey Chaucer,Jill Mann

完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)
チョーサー

■近代英語期(Modern English,16世紀初頭-現代)

近代英語期はさらに、初期近代英語(Early Modern English,16世紀初頭-17世紀末)、後期近代英語(Late Modern English,18世紀初頭-19世紀末)、現代英語(Present-day English,20世紀初頭-現代)に分けられる。


1)初期近代英語(Early Modern English,16世紀初頭-17世紀末)

1447年、ドイツの金属加工職人ヨハネス・グーテンベルクはヨーロッパにおいて初めて活版印刷技術の実用化に成功。また、14世紀のイタリアに始まるルネサンスもこの時期、徐々に西欧諸国に広がりを見せていた。

そのような背景で、英国でも16世紀頃からルネサンスが始まり、ギリシア・ラテン古典研究が盛んになり、およそ1万語とも言われるラテン語の語彙が借用語として入ってきた。また1476年、英国の活版印刷家ウィリアム・キャクストンがロンドンのウェストミンスターに印刷所を開設し、印刷物の大量出版が可能となることで、さまざまな語彙が普及することになる。

この時期に入ってきたラテン語は一万語以上ともいわれるが、その半分は廃れてしまったと言う。
この時期にラテン語として入ってきた語としては
secure, camera, divide, direct,など

また、ギリシア語は主に学術用語として入ってきており、接頭辞のbio-, eco-,接尾辞の-logyなどがギリシア語に由来する。

大量の外来語にさらされるとそれに対する批判が起こるのは世の常で、この当時も、ケンブリッジ大学のジョン・チーク教授を中心とした外来語を排斥し、英語本来語を使用しようとする「英語純正運動」が巻き起こっている。

・ウィリアム・シェークスピアの影響

偉大な作家の一人シェークスピアの作品が英語史に残した影響も多大で、特に現代英語の慣用表現にも、シェークスピア起源のものが多い。

It's (all) Greak to me.(ちんぷんかんぷん:「ジュリアス・シーザー」)
eat the leek(屈辱を忍ぶ:「ヘンリー五世」)
the green-eyed monster(嫉妬:「オセロ」)
on purpose(故意に:「間違いつづき」)
salad days(未熟な青年時代:「アントニーとクレオパトラ」)

Julius Caesar (Dover Thrift Editions)
Julius Caesar (Dover Thrift Editions)
William Shakespeare

ジュリアス・シーザー (新潮文庫)
ジュリアス・シーザー (新潮文庫)
シェイクスピア,福田 恒存

・欽定訳聖書

1611年に上梓された英語聖書で、こちらも英語表現の発達に貢献した。
cast pearls before swine(豚に真珠)
the scales fall from one's eyes(目からうろこが落ちる)
an eye for an eye(目には目)
などの慣用表現の初出はこれだそうだ。

・ゼロ派生

「英語の歴史」(P89)
中英語期から近代英語期にかけて英語は多種多様な外来語を取り入れた。その反面、古英語で活発であった派生、複合など、自らの素材を用いて語を作り出す能力が減退した。古英語では、lufu(現代英語のloveに対応)の語幹luf-に動詞派生語尾-ianを付けることで、動詞形lufianを派生したが、中英語以降、語尾変化の簡略化が進行したため、動詞に付く語尾は消失した。その結果、近代英語では名詞・動詞ともにloveという同じ形になり、もはや語形だけで品詞を判断することはできなくなった。
しかし、このことは英語に思わぬ利益をもたらすことになる。品詞が異なっても語形が同じということは、逆に言えば、語形が同じままで自由に品詞転換ができるからである。専門用語では、派生語尾を何も付けずに品詞転換を行うので、「ゼロ派生」または「転換」という。

これ、読んだとき、かなりしびれました。ビックリマークでいうと「!!!!!!!!!!!!!」ぐらいの感じ。まさにイノベーションじゃないですか。

例えばknow(知っている)という動詞はゼロ派生によって、be in the know(内情に通じている)という語句で名詞として機能するなど。

主にゼロ派生は初期近代英語期にシェークスピアらによって頻繁に使われ、18世紀の後期近代英語期に批判を浴びるが、その批判を潜り抜けて現代英語でも使われている。

Do you Google?(ググってる?)

のように。

この一つの単語に動詞も名詞もあるみたいなのって、単語を覚えようとしているときはやたら面倒だなぁと思うんですが、こうして経緯を知ってみるととても面白いなぁと思いますね。

・英語の拡大

1588年、スペインの絶対君主フェリペ二世は英国征服を企図して、当時世界最強と言われた無敵艦隊131隻、兵員約30000名を英国に派遣するが、アルマダの海戦において、フランシス・ドレークを実質的指揮官とする英国海軍の奇襲攻撃により壊滅させられる。これにより、制海権を握った英国はエリザベス一世女王の元世界へと乗り出していく。

このアルマダの海戦が英語が世界中に広がる契機となったターニングポイントの一つでした。この後、英国は破竹の勢いで世界に進出していきます。
1600年、東インド会社設立
1607年、アメリカ大陸への入植開始
1620年、ピルグリム・ファーザーズがアメリカ大陸到着
と18世紀に「日の沈まぬ帝国」として君臨するために世界中に拡大していったのが、この初期近代英語期でした。


2)後期近代英語(Late Modern English,18世紀初頭-19世紀末)

さらに世界中に英語が拡大していったのが、この後期近代英語期です。17世紀にアジア、アメリカへと足がかりを築いた英国は、その後も版図を拡大させていきます。

1763年、フランス植民地であったカナダを英国植民地とする
1768年、ジェームズ・クックによるニュージーランド、オーストラリア探検
1776年、アメリカ独立宣言
1795年、南アフリカのオランダ領ケープタウン占領
アメリカは独立したものの、そのアメリカも東部13州から西部へと版図を拡大。それにともなって英語圏も拡大していきます。

この時期に関して、同書ではあまり記述が無いのですが、当然産業革命に伴う技術力や生活の向上も英語の拡大に大きな影響があったでしょう。しかし、アメリカ独立によって、イギリス英語とアメリカ英語は徐々に異なった特徴を持ち始めていきます。

さらに、オーストラリアやインドなど新しく英語圏に加わった国々や、アメリカ黒人英語も独自の発達を遂げはじめた時期です。そしてこの頃にはほぼ文法的には現代と同じSVO式に固定され、人称代名詞や疑問文、否定文の構文も今とほぼ変わらない状態へとなりました。また、派生語、複合語などは廃れ、語形変化も消失していきます。

また、ウィリアム・ジョーンズがインド・ヨーロッパ系の言語の同一起源説を提唱し、ヤーコブ・グリムがグリムの法則(ゲルマン語と他の言語と音の対応の法則)を定式化し、ウェブスター英語辞典やオックスフォード英語辞典が発行されるなど英語研究が進んだのもこの時期です。

オックスフォード現代英英辞典 第7版
オックスフォード現代英英辞典 第7版
A S Hornby

3)現代英語(Present-day English,20世紀初頭-現代)

英米社会を反映し「科学技術関連語句」「環境問題関連語句」「差別関連語句」「性差・フェミニズム関連語句」が大きく増え、それらの影響が英語表現にも影響を及ぼしている。

・「科学技術関連の表現」

例えばインターネット上の英語ではFAQ(frequently asked question), FYI(for your information), AFAIK(as far as I know)など省略表現が頻繁に使われたり、

「英語の歴史」(P160)
また、文字入力の手間をできるだけ省くため、電子メールやチャットでは、ピリオド、コンマ、クエスチョン・マークなどを使わなかったり、大文字と小文字を区別せずに、

john are you going to london next week(=John,are you going to London next week?)

と書いたりする。
一方、ネット上では、音声言語が持つ強弱・抑揚を用いた感情的ニュアンスが伝わりにくいという側面がある。そのため、This is VERY inportant point.のように大文字を使ったり、This is v e r y inportant point.やThis is *very* inportant point.のように、スペースや星印を使って強調、強い感情を伝えることもある。

・「ポリティカルコレクトネス」

年齢による差別、障害者差別、人種差別などを表す英語表現や単語を婉曲的に言い換えることが進んでいる。例えば黒人をAfrican-American、アメリカンインディアンをNative Americanと呼ぶなどが代表的だが、一部の差別表現の言い換えには婉曲的過ぎて、元の表現より「冗長でぎこちない」といった、各国共通の問題があるようだ。

・「性差・フェミニズム」

1960年代からアメリカで始まったフェミニズム運動の一環で「言葉における性差別」の解消も対象となった。chairemanをchaireperson、stewardessをflight attendantと言い換えるなど女性を表わす接尾辞-essを回避するなどが代表的。ちょっと行き過ぎた例としては、聖書の書き換えもあるらしい。

「英語の歴史」(P181)
旧約聖書の「創世記」の中でも、最も有名な節である「神は御自分にかたどって人を創造された」(1章27節、新共同訳)は、かつてはSo God created man in his own image.となっていたが、最近の英訳聖書ではSo God created humankind in his own image.やGod created human begins in his own image.などと書き改められている。
一部の(急進的な)フェミニストたちは、さらに、神をfather,イエスをSon of Manなどに喩える「家父長的隠喩」を問題視している。

そこで、「差別的でない新約聖書」なども発行され、神に対して男性代名詞を用いることを避けた表現をしているものもあるとか。

英語圏の言語は確かに家父長的社会、階級社会の影響を強く受けているだけに、このような人種・性差別解消の動きは言語にも大きく及んでいきそうな様相であるようだ。

・英語圏の現状

また、2007年時点で、英語人口は全世界で約十五億人近くにのぼる。

母語としての英語」(English as a Native Language :ENL):約3億2000万人〜4億人
英国、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの人々。

「第二言語としての英語」(Englisg as a Second Language :ESL):3億5000万人
ナイジェリア、インド、シンガポール、南アフリカなど世界70カ国。

「外国語としての英語」(English as a Foreign Language :EFL):約7億5000万人
英語を母語や公用語としていないが学校教育で英語を取り入れている国。日本など。

別の調査で、インターネット人口の30.1%が英語、つづいて中国語14.7%、スペイン語9.0%、日本語6.9%というデータも掲載されている。今後はENL層は漸減し、ESL、EFL層が大幅に増えていくとともに、中国語が英語人口に対抗する勢力になっていくと見られている。


■英語の未来

冒頭、H・G・ウェルズの予言を紹介しましたが、果たしてこれから英語はどのようになっていくのでしょうか。

1991年、英国のチャールズ皇太子が、チェコスロバキア(当時)の英語教師向けに以下のようなスピーチを行いました。

「英語の歴史」(P191-192)
This kind of nightmare could possibily become a reality unless there is agreement that there are enduring standards,a common core of language,and common standard of grammar.

(共通の核となる確固とした標準英語や標準英文法が存在するのだという合意がなければ、悪夢は、ひょっとすると現実のものとなるかもしれない。)
(『ガーディアン』1991年5月9日)

この「悪夢」とは、十九世紀の言語学者ヘンリー・スウィートなど、英語学者の間でささやかれる予測の一つ、今後、イギリス英語、アメリカ英語、オーストラリア英語、あるいは諸国の英語が独自の道を歩んでいくことで、英語同士の意思疎通が出来なくなるのではないか?という危惧です。

チャールズ皇太子のスピーチなだけに、この「標準英語」とはイギリス英語を想定していて、アメリカ英語の伸張への危惧でもあるのでしょうが、今後ますますESL、EFL層が増えていくことが想定されているだけに、英語全体としても今はまだ大丈夫だけど、ありえない未来ではないと言えるかもしれません。

高みを目指したが故に共通の言葉を奪われるのではなく、広がり続けるが故に共通の言葉を失う未来を恐れているというのは皮肉だなぁ、と思わずにはいられませんね。

「英語の歴史」(P199)
将来、イギリス英語やアメリカ英語の話者も、ESLやEFLの影響を受けた国際英語と母語である英語変種の2つを場面に応じて使い分ける必要がでてくるかもしれない。その時、はじめて英語は、一部のENL話者の手を離れ、真の意味で国際化したといえるかもしれない。

この本の結びは、これまでの英語の歴史を存分に記されているだけにかなりの説得力を持っているなぁと思います。

で、日本語なんですが、柔軟性や創造性、語順を気にしない特徴が古英語期〜中英語期の英語とそっくりな気がするんですけどね。1000年前の英語のように、どんどん外来語を取り込んで逆に日本語化してしまうぐらいの、比類ないタフさだと思います。そのタフさが英語を学ぶ上で障害になっているのかもしれませんが、「固定化された日本語」より、語順など気にせず派生語や複合語を自由に作れる日本語の方が魅力的なんじゃないですかね。英語の歴史はそう語っているように感じました。


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追記
古英語、中英語については一部表記できない文字を現在のアルファベットに置き換えて表記しています。
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梅田望夫さんが理解不明と言ったはてブの本質

正直すごくびっくりした。

http://twitter.com/mochioumeda/status/996601415
はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不明だ。

これは、はてなブックマークがどのような"場"を生み出すかということでしょう。

山本七平の言葉を借りるなら、はてブはある種の"情況"を生み出しているんじゃないかと思うのです。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
山本 七平

「空気」の研究(P129)
「絶対者=情況倫理をつくりだす起点」はゴム尺をとめる"原点"の固定点で、結局はこの固定点の「意志」だけが絶対視され、他は平等だから、意思決定は最終的には、この固定点にしかない。もっとも固定点は直接に命令を下す必要はなく、情況を創設すれば十分なのである。従って平等者はこの固定点に直接に判断を求めることは例外的にしかできない。そのためこの固定点をそれが創出する情況に応じて凛在韓的に把握する以外に方法がなくなる。いわば「聖意を体して」以外になくなるわけだが、そう把握すると、「空気」ができてしまうのである。

つまり、はてブされるということは、元記事が情況創出者になるということなんですよ。起点となる情況を作る絶対者になる。しかし、はてブされた時点で文字通り「情況を創設す」るだけで「直接に命令を下す必要」がない立場に追いやられ、固定点である元記事に書かれた内容だけを元に臨在感的に把握しながら、人々はコメントをするだけになる。

はてブは高度に発達した記事を絶対者とする空気発生・増幅装置な訳で、元記事に書かれた以上のことを規範にはし辛い場を作り出していると言えると思います。


水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。 - My Life Between Silicon Valley and Japan
この本は今、すべての日本人が読むべき本だと思う。「すべての」と言えば言いすぎであれば、知的生産を志す人、あるいは勉学途上の中学生、高校生、大学生、大学院生(専門はいっさい問わない)、これから先言葉で何かを表現したいと考えている人、何にせよ教育に関わる人、子供を持つ親、そんな人たちは絶対に読むべきだと思う。願わくばこの本がベストセラーになって、日本人にとっての日本語と英語について、これから誰かが何かを語るときの「プラットフォーム」になってほしいと思う。この論考に賛成するかしないかは別として、水村の明晰な論理による思考がぎゅっと一冊に詰まったこの本が「プラットフォーム」になれば、必ずやその議論は今よりも実りのあるものとなろう。

水村美苗という人は寡作の作家なので、僕のブログの読者では知らない人もいるかもしれないが、五、六年に一度、とんでもなく素晴らしい作品を書く人だ。本書は「本格小説」以来の、水村作品を愛好する者たちにとっては待望の書き下ろし作品であるが、その期待を遥かに大きく超えた達成となっている。

内容について書きだせば、それこそ、どれだけでも言葉が出てくるのだが、あえて今日はそれはぐっとこらえておくことにする。多くの人がこの本を読み、ネット上に意見・感想があふれるようになったら、再び僕自身の考えを書いてみたいと思う。

一言だけいえば、これから私たちは「英語の世紀」を生きる。ビジネス上英語が必要だからとかそういうレベルの話ではない。英語がかつてのラテン語のように、「書き言葉」として人類の叡智を集積・蓄積していく「普遍語」になる時代を私たちはこれから生きるのだ、と水村は喝破する。そして、そういう時代の英語以外の言葉の未来、日本語の未来、日本人の未来、言語という観点からのインターネットの意味、日本語教育や英語教育の在り方について、本書で思考を続けていく。とにかく思考が明晰だ。しかも小説のように面白い。明晰な文章を読むと、その内容が厳しいものであっても快感が得られるものなのだ、と改めて思った。

少女時代から漱石に耽溺し「続明暗」でデビューした水村の問題提起は、「たとえば今日、2008年11月7日、漱石と同じくらいの天賦の才能を持った子供が日本人として生を受けたとして、その子が知的に成長した将来、果たして日本語で書くでしょうか。自然に英語で書くのではないですか」ということである。放っておけば日本語は、「話し言葉」としては残っても、叡智を刻む「書き言葉」としてはその輝きを失っていくのではないか。「英語の世紀」とはそういう暴力的な時代なのだと皆が認識し、いま私たちが何をすべきか考えなければならない。

この本にこめられた、日本語を愛する水村美苗の「心の叫び」が、できるだけ多くの日本人に届くことを切に願う。

今回の例で言えば、この記事に書かれたことが全てで、それを元に人は臨在感的に把握しながら判断し発言を行うようになるので、紹介されている本を読んでいるかいないかと関係なしに発言が行われることになる。「日本語が亡びる」のかどうか、「「英語の世紀」になる」のかどうか、を各々想定しながら発言するし、否定もする。あるいは、元記事の趣旨とは関係なく、元記事の中に現れたちょっとした単語から連想して発言したりする。それもこれもはてブによって"情況"が生み出され、その"情況"が"空気"を作り出しているから。

じゃぁ、それをコントロールするために、固定点である絶対者も意見をはてブにセルクマして書き込めばいいかというと、そうではない。元記事は元記事で、それをはてブしたら、人格は一緒でも、元記事という絶対者の下で情況に左右されている平等なるその他の者の一人となるだけ。

また、別エントリーを立てて反論すればいいかというとそうでもない。別エントリーを立てて、それがはてブされれば、それは全く別の起点となり、別の情況が生み出される。はてなブックマークとはそういう装置な訳ではないかと思うのです。

「空気」の研究(P69-70)
この世界には原則的に言えば相対化はない。ただ絶対化の対象が無数にあり、従ってある対象を臨在感的に把握しても、その対象が次から次へと変わりうるから、絶対的対象が時間的経過によって相対化できる――ただし、うまくやれば――世界なのである。
それが絶えず対象から対象へと目移りがして、しかも移った一時期はこれに呪縛されたようになり、次に別の対象に移れば、前の対象はケロリと忘れる

id:finalventさんが日記でたびたびはてなブックマークに危惧を示しておられたのも、こういう空気発生増幅装置的役割についてでは?
過去記事から探しきれなかったので、おぼろげな記憶で書くと以下のような。左がこの空気を解消させる対応策との対応。
・元記事主がブクマコメントをにレスできるようにする=元記事を固定点とすることの解消
・そもそも場を生み出さない=情況創出の解消
・過去記事を埋もれさせない=時間的な経過で相対化させること

的外れだったらすいません。

かねてより、はてなブックマークは実に山本七平が喝破した日本教的空気を踏まえて設計されたサービスだなぁと思っていて、梅田さんのブクマにも山本七平タグがあったりして、そういう前提で作っているか、少なくとも梅田さんのアドバイスがある――日本人の特性を上手く掴んで戦略的にサービス化しているんだろうと――思っていたので、今回の発言"理解不明だ"はちょっとびっくりしました。ええっ!?って感じです。

まぁ、理解せずに運営されていたのだとすると、それはそれですごい嗅覚というか・・・うらやましい。


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日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
水村 美苗
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品川神社

9月末、東京十社の一つ品川神社に行ってきました。

品川神社鳥居
品川神社
龍が巻きついているとても個性的な鳥居。

この品川神社の歴史ですが、文治三年(一一八七年) 源頼朝が海上安全の守護神として安房の国の洲崎明神である天比理乃很拭淵▲瓮離劵螢離瓮離潺灰函砲魎進して創建し、当初の神社名は「品川大明神」だった、と伝えられています。

wikipediaの品川神社のページ(→品川神社 - Wikipedia)では、この神社が「品川」という地名の由来になったと書かれているのですが、同じwikipediaの品川のページ(→品川 (東京都) - Wikipedia)では「「品川」の文字が歴史書において初見されるのは、1184年(元暦元年)の田代文書である」とあり、創建よりさらに遡ることになり、食い違いが見られます。

そこで、品川という地名の由来について検索してみると、以下のようなページを見つけることが出来ました。

我が町紹介(品川・青物横丁) <歴史・文化編>
(2)品川という地名の起こり
  地名の起こりについては、諸説がある。
品川は目黒川の古名であるという説
出崎や山や谷があって品の良き地形であるので、高輪に対して「品ケ輪」と名づけたと言う説
目黒川は、上無川の神奈川に対する下無川であるとし、「下無川」を後に品川と呼んだという説
こ擦琉辧淵ドシ)に用いる品革(藍草にシダ文を染めつけたもの、此奈革ともいう)を染め出した所であるから、品革が品川になったのだという説。
ノ亮腓良弊郢瓠壁焚呂半里靴浸期もある)から起こったという説
  (品川の歴史シリーズ「地名編」より転載、品川図書館にてしらべた)

以上の5説があるが、5番目の領主の品河氏の名前からつけられたのが有力だと言われている。

ということで、諸説あるが、当時の領主品川氏から取られたそう。

品川氏 - Wikipedia
長谷雄流の紀氏は実直の頃、国衙の関係者として武蔵国に土着した。一族には品川氏の他に、大井氏・春日部氏・堤氏・潮田氏が居る。なお春日部氏は源頼政の郎党であったと考えられる。

品川清実は1184年(元暦元年)8月、源頼朝に雑公事免除され、国衙領であった品川郷を与えられた。1185年(文治元年)2月、源範頼の下で豊後上陸に関わる水軍の「先登」に選ばれた。その後も品川氏は、大井氏と共に頼朝の「随兵」に選ばれるなど厚遇され、武蔵国の国府津である品川湊を任された。

源氏の有力御家人で水軍の将として、また貿易港だった品川湊の責任者として頼朝の信任厚かったらしい。神社の名前も地名同様信任厚い家臣だった品川氏から取ったというのが妥当かなと思います。

その後、元応元年(一三一九年)、当時の守護職だった二階堂氏が社殿を再建、文明十年(一四七八年)には太田道灌が素蓋鳴尊を勧請し、寛永十四年(一六三七年)に東海寺の鎮守に定められ「稲荷社」と改称、明治元年(一八六八年)、現在の品川神社に改称となります。

品川神社富士塚入口
品川神社富士塚入口
品川神社の階段を登ると、その左手に富士塚が築かれています。この富士塚について、境内の案内板を引用すると結構最近作られたものだとわかります。

境内の案内板より
冨士塚は、冨士信仰の集団、冨士講の人々が、富士山の遥拝場所として、あるいは実際の登山に代わる山として造った築山である。
品川神社の冨士塚は、明治二年(一八六九)、北品川宿の丸嘉講講中三百人によって造られた。
神仏分離政策で一時破壊されたが、明治五年再築し、大正11年(一九二二)第一京浜国道建設の時現在地に移築された。
江戸後期に盛んだった民間信仰を知る上で、たいせつな文化財である。

富士信仰は18世紀の修行僧食行身禄が富士山で断食行を行い、享保十八年(一七三三年)七月十三日に入定したことから江戸時代に盛んになった民間信仰の一つですが、明治になっても熱心に続いていたんだなぁというのはとても興味深いです。

役行者の石造
役行者
富士塚に入ってすぐ右手には修験道の祖役行者像と下僕の像が。すごく雰囲気出てていいなぁ。

富士塚七合目あたり
富士塚
七合目から八合目あたり。結構急坂なルートが作られているけど、そんなに大変ではないです。高いところが恐いとちょっとアレですけどね(笑)

富士塚山頂からの眺め
富士塚山頂からの眺め
富士塚山頂からは、新馬場駅とその周辺が一望できてすごくいい。

浅間神社
浅間神社
こちらが富士山信仰といえば浅間神社ということで、浅間神社。毎年7月初旬に今でも丸嘉講と地域の人たちによって「山開き」が行われており、品川区の無形民俗文化財に指定されているとのこと。

品川神社八名勝記念碑
品川神社八名勝記念碑
昭和七年(一九三二年)九月、新束京八名勝の第三位に選出されたことにちなんで作られた記念碑。
新東京八名勝は当時報知新聞社が一般投票により選んだ東京の名勝八ヶ所で、以下の八つ。
一位:池上本門寺(→Kousyoublog | Googleすら攻めあぐねる天然の要害〜池上本門寺とその周辺
二位:西新井大師
三位:品川神社
四位:日暮里諏訪神社(→Kousyoublog | 諏方(諏訪)神社
五位:赤塚松月院
六位:目黒祐天寺(→Kousyoublog | 祐天寺
七位:洗足池
八位:亀戸天神(→Kousyoublog | 亀戸天神社

あと、行った事ないのは「西新井大師」「赤塚松月院」「洗足池」かー。近々行ってみよう。

包丁塚
包丁塚
古くからこの一帯は品川宿として栄え多くの包丁が使われたことから、昭和五十一年に品川区鮨商組合の手によって包丁が納められ、またその包丁によって調理された鳥獣魚介類を慰霊するために建立されたもの。ってこういう由来読むたびに日本的なるものの存在に思いをはせちゃいますねー。

阿那稲荷神社
阿那稲荷神社
境内にある稲荷神社で上社、下社の二社制。この写真は上社で、この右手から下社へ下る参道が伸びている。歴史はよくわからなかったのだけど、品川神社がかつては稲荷社だったのと大きく関係があるのだろうと思う。

で、この阿那稲荷神社には上社下社から湧き出る一粒万倍の泉についての言い伝えがあります。

品川神社 - Wikipedia
万物、天地水の恵により生成発展する。一粒の種より万倍の稲穂となる。それ人の努力も必要であるとされ、阿那稲荷社上社は天の恵の霊、下社は地の恵の霊と霊水ありとされている、下社に湧く霊水は商売人はお金や印鑑に霊水をそそぐと良いとされ、また霊水を持ち帰って店の四角入口に注ぐと良いとされている。また金の一部を門前商店街で使用すると良いともされている。

実に現世利益な内容が民間信仰らしさを出していていいですね。これいつごろからの言い伝えなんだろう。

品川神社本殿
品川神社本殿
こちらが本殿。昭和三十九年の創建。

ということで、見晴らし良く、民間信仰の跡が色濃く残る神社でした。

参考
品川神社 - Wikipedia
品川 (東京都) - Wikipedia
我が町紹介(品川・青物横丁) <歴史・文化編>
品川氏 - Wikipedia
品川宿の富士信仰
品川富士
品川神社 Shinagawa Jinja Shrine 天空仙人の神社仏閣めぐり


品川神社
京浜急行新馬場駅 徒歩1分

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江戸時代の著作者への原稿料は・・・「今夜は好きなだけ飲んでよ〜」だけだった

作花文雄著「詳解著作権法」に江戸時代の著作者と出版者の関係について書かれていて、当時の著作者への原稿料が興味深かったので引用です。

詳解著作権法
詳解著作権法

作花文雄著「詳解著作権法」(P49-50)

明治維新前においては、我が国では出版社の保護について体系的な法制が整備されていたわけではなく、書物出版業者間の「組合規約」や「町奉行所の町触・沙汰書」などによって部分的に規律され、重板や類板などの不正な行為を防止する策が講じられていたに過ぎない。

また、出版者はこのように組合規約や町奉行所の命令により、一定の保護を受けていたが、著作者については法制上の保護は存しなかった。株仲間に属する出版者が個々の出版をするに際して、著作者の同意を得て、書物掛名主を通じて「町奉行所の許可」を受けなければならないという制度があったことから、当時においても著作者の権利を保護する思想があったと評価する考え方もある。

しかし、この著作者の同意条件により、著作者の人格的又は財産的な利益の保護が図られていたという記録は存せず、結局のところ、第一の出版者を保護するための要件であったと捉える立場が一般的であると考えられる。また、著作者が出版より原稿料を受けるという習慣もこの時代には形成されておらず、著作者は、時として出版者から一夕の饗応をうけることがあるにとどまり、原稿料の支払がなされるようになったのは、山東京伝や曲亭(滝沢)馬琴の作品のように、ベストセラーにより出版社に多くの利益をもたらすようになってからのことであるといわれている(その稿料も大した額ではなかったと言われている)。

当時はせいぜい飲み会開いてもらえる程度だったのが当たり前だったというのが興味深いなぁ。とは言え、十返舎一九とかも出版者の蔦屋に寄食していたように、夜の饗応だけじゃなく、三食食わせてもらっていたんだろうから、搾取されていた訳ではないだろうと思う。しかし、「著作物への対価」という点ではほとんど無かったということですね。

山東京伝(→山東京伝 - Wikipedia)と言えば江戸時代の大ベストセラー作家で、主に洒落本と呼ばれるパロディ、毒舌系の風刺ネタ本を出していた人。今で言うと誰だ?筒井康隆氏あたりのポジションかな。

で、売れっ子山東京伝が貰っていた原稿料はおいくらぐらいだったかというと

第227回 チラシ広告のパイオニア山東京伝 - 檜山良昭の閑散余録 / Slownet SNS
このころの作家の原稿料は紙1枚が銀1匁でした。1両小判が銀60匁です。60枚を書けば1両ですから、頑張れば3日で書ける。寛政2(1790)年に草紙3冊を書いて京伝が受け取った稿料が金2両3分銀11匁であった。
 金1両でだいたい白米8斗が買えます。2両あれば贅沢はできないが余裕をもって生活はできる。

ということで、やはり高いとは言えない。ベストセラー作家様らしい生活は流石に難しそうな感じでしょうか。そういえば人気浮世絵師だった葛飾北斎は自分で出版してたんだったような覚えがあります。

ということで、著作者ではなくその間に入る人たちの利益が優先される構造は、明治以降、法律が整備されて表面上は明確になりつつあるものの、根本的な関係性は江戸時代からさほど大きく変わっていないんだなぁと思ったのでした。逆に養ってただけ江戸時代の方が幾分マシだったりもするようで。


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高度に発達した「企業共同体での労働」は人身売買と区別がつかない

労働法 第2版
労働法 第2版
前回のエントリー(Kousyoublog | 「労働」は「喜び」か「苦しみ」か?)に続いて、水町勇一郎著「労働法 第2版」から。各章区切りごとにこの本では著者が「探究」と称して疑問を投げかける構成になっているのだけど、「探究9」から。

水町勇一郎著「労働法 第2版」(P120)
労働契約(雇用契約)は労働と賃金の交換契約だとされている(労契法6条、民法623条参照)が、実際の労働関係においては、労務提供と賃金支払い以外に、同僚との仕事上の協力・仕事以外での交流、会社への帰属意識・仲間意識の醸成、自己の存在基盤の確立、家族手当や企業年金などのさまざまな生活保障給付の提供など、単なる1対1の交換契約をこえた共同体的な相互依存関係が存在していることも多い。このような労働関係の実態を踏まえると、労働関係は、法的にも、共同体への人的帰属関係だと把握され直すべきか?それともやはり個人対個人のドライな交換契約だと把握されるべきか?

つまり、労働契約は労働者は労働力を提供する義務が発生し、会社は賃金を支払う義務が発生するので、その交換契約なのだが、さらに労働契約を結ぶと、就業規則に同意したことになり、企業側に人事権や企業秩序定立権などの指揮命令権が発生する。その指揮命令権の根拠は判例でも諸説あるらしいが、企業はそもそもそういう支配権を持っているものと解釈されている。敢えて権利義務の関係で言うと、労働者は指揮命令権に従う義務を負う代わりに会社というコミュニティに所属する権利を持つ、と言える、というのがこの本に書いてある趣旨。実のところ、指揮命令権の法的根拠は薄い。

そして、その上で、「労働関係は、法的にも、共同体への人的帰属関係だと把握され直すべきか?それともやはり個人対個人のドライな交換契約だと把握されるべきか?」という労働関係は「契約」か「制度」か?という問いが投げかけられていて、著者はその後のページでこう書いている。

水町勇一郎著「労働法 第2版」(P154)
現在の日本で「制度」理論(労働関係の共同体的な把握)をとることは規範的にみて問題が大きい。日本の労働関係の実態をみると、たしかに労働と賃金のドライな交換契約というより、会社という共同体への人的帰属関係との性格が強い。しかし、その実態に内在している弊害(閉鎖的な企業共同体のなかでの集団による個人の抑圧、外部者や少数者の排除など)を考慮すると、日本の現状で規範的に「制度」理論をとってしまうことは大きな社会的危険を内包した(それを規範的に承認することにもなる)選択であるといえる。

まさにその通りだとは思うのだけど、一方で企業の指揮命令権の根拠を曖昧なままにしていいのだろうかとも思う。実態として存在しているものなので、根拠と、指揮命令権の範囲を明確にして共同体性の解体をさらに進めるべきなのではないだろうか。

単純な労働契約の集合体としての企業、という方向に進めていく必要があり、また日本社会的に進まざるを得ないんじゃないかなぁと思うのだけど、企業にはある種の幻想を抱かせる機能があるらしく、中小企業やベンチャー企業ほど、企業の共同体性を信じているよね。(そこにはもう一つ、制度としての「所有と経営の分離」という欺瞞の問題があるんじゃないかなぁと思っていて、それはまた後日書くけど)

しかし、共同体性が一方で閉鎖的な弊害を生むことも、特にベンチャー企業で働く人は理解しておく必要があると思う。この場合の共同体性は支配権に基づいて生まれる企業内の人間関係や無言の強制力などのことぐらいで捉えているので、そんな感じで。

「高度に発達した企業での労働は人身売買と区別がつかない」とか言うと煽りすぎかもしれないけれど、「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書(略称 国際組織犯罪防止条約人身取引議定書)」より人身売買の定義

第三条 用語
この議定書の適用上
(a)「人身取引」とは、搾取の目的で、暴力若しくはその他の形態の強制力による脅迫若しくはこれらの行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくは弱い立場の悪用又は他人を支配下に置く者の同意を得る目的で行う金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を採用し、運搬し、移送し、蔵匿し又は収受することをいう。搾取には、少なくとも、他人を売春させて搾取すること若しくはその他の形態の性的搾取、強制的な労働若しくは役務の提供、奴隷若しくはこれに類する行為、隷属又は臓器摘出を含める。
(b)(a)に規定する手段が用いられた場合には、人身取引の被害者が(a)に規定する搾取についての同意をしているか否かを問わない。

権力の濫用若しくは弱い立場の悪用又は他人を支配下に置く者の同意を得る目的で行う金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を採用し、運搬し、移送し、蔵匿し又は収受することをいう。

企業において、従業員を雇い、働かせる行為は一歩間違うと人身売買の定義とさほど大きな差は無くなるおそれがある。少なくとも経営者は自戒した方がいい。

ベンチャー企業で総務人事法務をやっている当事者として自戒しているが、周りの人にも気付いてもらうのはなかなか難しい。ベンチャー企業は指揮命令権を強力に行使し、かつ居心地が良いコミュニティであらねばならないが、それは一歩間違うと、反転して閉鎖的で個人を抑圧してしまう顔が覗き始める。

こわいよね。


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「労働」は「喜び」か「苦しみ」か?

最近、労働法を勉強しています。

労働法 第2版
労働法 第2版

この本が、今年成立した「労働契約法」も盛り込んで、かつ初学者にもわかりやすい内容になっていてとてもいい。前提となる労働観や経済史的な話から始まっていて体系的に理解できるし、おすすめ。通勤途中に読んでいます。

区切りごとに探究しようというテーマが掲げられているのですが、その最初の探究テーマが掲題の「「労働」は「喜び」か「苦しみ」か?」です。

同書では労働には、人のつながりをもたらし、生活するためのお金や資源を与えてくれる「社会性」や「経済性」をもつ反面、他者からの指示・命令に従ってなされる「他律性」と、生きるための糧を得るため働かざるを得ない「手段性」を持つ、という二面性がある。という趣旨の説明がなされたあとに、この二面性から導き出される労働の喜びと苦しみそれぞれの側面を以下のようにまとめています。

P6
この労働の二面性から、さしあたり、次のことがいえる。

第1に、労働の「社会性」や「経済性」を重要視し、その「喜び」としての側面を強調しすぎると、人間としての自律性や生きる目的が見失われてしまうおそれがある。過剰労働のなかで働く意味や自己の存在意義を見失っていく現象は、その一例である。

第2に、労働の「他律性」や「手段性」を問題視し、その「苦しみ」としての側面を強調しすぎると、社会的な結びつきや経済的な基盤を失ってしまうおそれがある。働く機会を得ないまま労働とともに社会とのつながりを失っていく現象や、国民がまじめに働かないためにその国の経済が停滞してしまう現象は、その例と言える。

社会的な結びつきはいわゆる「半径1m以内」で満足し、経済的な基盤はささやかに生活して行ければそれで満足、というような価値観が広がっていけば、社会とのつながりを失おうとも、一国の経済が停滞しようとも、労働の「苦しみ」を回避しようとする傾向が強まるのは止むを得ないのかもしれない。

さらに、人生は一度きりだから後悔しない生き方を、という現代人の価値観は自律性こそ最重視する傾向にあると思うのだけど、それもまた、「社会性」や「経済性」をさほど重要視しない方向に人々を動機付けるのかなと思う。

古代ギリシア人ではないけれど、「労働は奴隷のやることだよね」という意識が強まっても仕方が無い環境にあるのかな、と思ったりもする。

そういう中で人々は何に仕事のやりがいを見出そうとしているのだろうか。おそらく「社会性」も「経済性」もとても狭い範囲で捉える傾向が強まっているのではないだろうか。たとえば、同じ職場の人が良い人たちだから。たとえば、それほど給料は貰えないけど、自由に仕事させてもらっているから、と言ったところに多くの人の働くモチベーションがあるような気がする。

スモールワールドな環境での快適さに、働く意味を見出す時代なのかもしれない。


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127年前の今日おきた政変

休日出勤の合間、集中力がなくなってきたのでちらちらとwikipediaを見ていたら今日は「明治十四年の政変」の日だった。

明治十四年の政変 - Wikipedia
明治十四年の政変(めいじじゅうよねんのせいへん)は、1881年(明治14年)自由民権運動の流れの中、憲法制定論議が高まり、政府内でも君主大権を残すドイツ憲法かイギリス型の議院内閣制の憲法とするかで争われ、前者を支持する伊藤博文が、後者を支持する大隈重信を政府から追放した政治事件をさす。この事件により後に制定される大日本帝国憲法は君主大権を残すドイツ憲法を範とされることが決まったといえる。

これと

明治六年政変 - Wikipedia
明治六年政変(めいじろくねんせいへん, 1873年(明治6年))は、征韓論に端を発した明治初期の一大政変。当時の政府首脳である参議の半数と軍人、官僚約600人が職を辞した。征韓論政変(せいかんろんせいへん)とも。

どっちも十月なんですね。いちおう太陽暦導入は明治五年なので、リアルに十月。後者の方がざっくりと今の日本社会にまで爪あとを残しているのかな、と思うんだけど、前者の方も、130年かけて真綿を絞めるようにキュキュッと影響し続けているきっかけを作っているなとも思う。

どっちも今頃だったか。そういう季節なのかな。


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通勤は最短ではなく最快適ルートを選ぶ

俺とパンダ2 - 田園都市線をもう信用しないことにした

ラッシュアワーの田園都市線がトラブル続きになってきたのは、ここ二年ぐらいだと思う。体感的には2006年の春ごろから不快感が増してきて、夏前には決して乗りたくないと思うようになったなぁ。

通勤ルートは少しぐらい時間と通勤費がかかっても、最短ではなく、最快適を選ぶ方が良いと思う。

満員電車にギューギューに詰められた状態じゃ、単純に移動しているだけの時間で有意義あるいは有効に時間使えないですよね。寝不足だったり、疲れていたら休息の時間にあてたり、勉強したり本読んだりする時間に当てたいので、僕はちゃんと座れるような時間やルートを選んで通勤するようにしています。始発駅からの電車を乗換えで選んだり、下り方面だったり、時間帯ずらしたりして、上手く調整してみると、10分ぐらい時間を多く掛けるだけでかなり快適になったりしますよね。

そういえば一時期電車が怖くて仕方なかったんだけど、最近は大分克服できるようになってきました。なんか、狭くて圧迫感があるホームってやだな。小田急みたく無駄にホームが広いのも考え物だけど、すれ違う時に白線の外側を歩かないといけないような狭いところがいやです。


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渋滞学 (新潮選書)
渋滞学 (新潮選書)
西成 活裕

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ふと海が見たくなって多摩川を下った

六月のある日、二子玉川に行ったついでに多摩川を散歩した。あまりに天気が良くて、ふと海が見たくなったので、そのまま多摩川沿いに海へと向かって歩くことにした。

もう少し詳しくきっかけを話すと、多摩川で、目の前を歩いていた若い女の人が、ふと立ち止まり、川を眺めていたかと思うと、何か意を決したように土手を駆け下りていった。そのシーンが眩しかったから。って、因果関係が全く無い理由だけど。

とにかく、それで僕も吹っ切れたように、歩こうと思った。

略地図

あとで、ルートをたどってみると、こんな感じ。二子玉川から天空橋まで。大体18キロほどを歩いたことになる。6月とはいえ、陽射しは強く、歩いていると徐々に体が焼ける感じがしていた。しかし、何かに憑かれたように、海を目指していた。以下、写真などあるので続きを読むから。

続きを読む >>
東京散歩:暗渠・川・緑道 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

ゲイ映画ベスト50発表だそうなのでオススメのゲイ映画&レズビアン映画

ゲイ映画ベスト50発表!第1位は「ブロークバック・マウンテン」 : 映画ニュース - 映画のことならeiga.com
[eiga.com 映画ニュース] 同性愛者やバイセクシャルの男性向けエンターテインメントサイトAfterElton.comが、9月7日、ゲイ映画ベスト50を発表した。

2chから、全ランキングを引用すると


1. ブロークバック・マウンテン (2005)
2. Beautiful Thing (1996)
3. Shelter (2007)
4. Latter Days (2003)
5. モーリス (1987)
6. Trick (1999)
7. 同級生 (1998)
8. Big Eden (2000)
9. ブロークン・ハーツ・クラブ (2000)
10. プリシラ (1994)
11. ロングタイム・コンパニオン (1990)
12. トーチソング・トリロジー (1988)
13. マイ・ビューティフル・ランドレット (1985)
14. Parting Glances (1986)
15. Just a Question of Love (2000)
16. Mysterious Skin (2004)
17. Sommersturm (Summer Storm) (2004)
18. ロッキー・ホラー・ショー (1975)
19. バードケージ (1996)
20. Sordid Lives (2000)
21. ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ (2001)
22. ショートバス (2006)
23. All Over The Guy (2001)
24. Another Gay Movie (2006)
25. 真夜中のパーティー (1970)
26. フィラデルフィア (1993)
27. 3人のエンジェル (1995)
28. Boy Culture (2006)
29. ウェディング・バンケット (1993)
30. C.R.A.Z.Y (2005)
31. マイ・ブライベート・アイダホ (1991)
32. ジェフリー! 1995)
33. The Trip (2002)
34. Edge of Seventeen (1998)
35. 司祭 (1994)
36. イン&アウト (1997)
37. Eating Out (2004)
38. ベルベット・ゴールドマイン (1998)
39. エンジェルス・イン・アメリカ (2003)
40. Love! Valour! Compassion! (1997)
41. 人生は上々だ! (1994)
42. Burnt Money (2000)
43. トランスアメリカ (2005)
44. ビクター/ビクトリア (1982)
45. ベント/堕ちた饗宴 (1997)
46. Yossi and Jagger (2002)
47. バッド・エデュケーション (2004)
48. ゴッド・アンド・モンスター (1998)
49. メーキング・ラブ (1982)
50. RENT/レント (2005)

ということで、ほぼ英語圏のみのランキング。何だか肝心な作品が抜けてるランキングな気がするなぁ。「蜘蛛女のキス」とか「アナザーカントリー」とか英国を代表するゲイ映画だと思うけどランクインしてないのね。どっちも観てないけれども・・・

この中で観たことあるのは、10. プリシラ (1994) 、12. トーチソング・トリロジー (1988) 、13. マイ・ビューティフル・ランドレット (1985) 、21. ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ (2001) 、26. フィラデルフィア (1993) 、31. マイ・ブライベート・アイダホ (1991) 、36. イン&アウト (1997) 、38. ベルベット・ゴールドマイン (1998) 、45. ベント/堕ちた饗宴 (1997) 、48. ゴッド・アンド・モンスター (1998) の10本。

この中だとトーチソング・トリロジー、プリシラ、ヘドウィグ、ゴッド・アンド・モンスターが好き。

トーチソング・トリロジー ENTERTAINMENT COLLECTION GOLDプリシラヘドウィグ・アンド・アングリーインチゴッド・アンド・モンスター

と言うことでその他個人的なオススメゲイ映画の紹介。まぁ、念のため僕はゲイではなくストレートなので、実際のところゲイの人たちの抱く感情は理解できないのですが、まぁ、ストレートなりの観方で好きなゲイ映画ということで。

真夜中のカーボーイ (2枚組特別編)
真夜中のカーボーイ (2枚組特別編)

ゲイというテーマのタブーを早くに破った一作だと思う。監督のジョン・シュレンジャーはカミングアウトしてたんだっけ。

焼け石に水
焼け石に水

鬼才フランソワ・オゾンのコミカルな一本。ベルナール・ジロドーのサディスティックなゲイ演技がおもしろい。

ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ
ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ

ゲイカップルと女性の三角関係で、かなりエグイことをいろいろさせられててジェーン・バーキンがかわいそうだった。しかし印象に残りまくりの一本。

クライング・ゲーム DTSスペシャル・エディション
クライング・ゲーム DTSスペシャル・エディション

イギリス映画なのになんでこれ無いの?とはいえこのテーマでこれ出すとネタバレ臭するかな・・・ニール・ジョーダンの傑作の一つ。

オール・アバウト・マイ・マザー
オール・アバウト・マイ・マザー

ゲイも含めマイノリティの人間模様だった。アルモドヴァルはもうちょっと前の作品の方が好きなんだけどね。

せっかくなのでレズビアン映画のオススメも紹介。

乙女の祈り
乙女の祈り

ロード・オブ・ザ・リングのピーター・ジャクソンが思春期の少女二人の倒錯を描いた傑作。少女時代のケイト・ウィンスレットと名脇役に育ったメラニー・リンスキー主演。

月の瞳
月の瞳

女性二人のこの関係好きですよ。影絵っぽかったり色々映像も印象的で忘れられない作品だなぁ。

バタフライ・キス
バタフライ・キス

マイケル・ウィンターボトム監督のデビュー作品。殺人を繰り返しながら旅をする女性とその女性についていく内気な女性のロードムービー。超痛々しすぎ。

バウンド
バウンド

マトリックスのウォシャウスキー兄弟のデビュー作。ジーナ・ガーションの姐御っぷりが最高なんだけど、彼女はこれが全盛期だったな・・・

ボーイズ・ドント・クライ
ボーイズ・ドント・クライ
ネイサン・ラーソン

これはかなり痛々しかったなぁ。ヒラリー・スワンクが成り切ってて凄かった。

まだまだいっぱいあるけどこの辺で。モロに同性愛がテーマなんじゃなくそういうテイストな作品だと傑作名作佳作がもっとあるなぁ。例えば「アメリカンビューティ」とか「マルホランドドライブ」とか同性愛がテーマかと言うとちょっと違うしね。

正直、ここ四〜五年は年に数本程度しか映画観てないので、近年は良いのはもっといっぱいあるんだろうなー。

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読みたい本「図説 不潔の歴史」「病が語る日本史」「山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰」

図説 不潔の歴史
図説 不潔の歴史
キャスリン アシェンバーグ
公衆浴場が人々の語らいの場となり、体をオイルでぴかぴかに磨き上げたギリシャ・ローマ時代から、キリスト教に浴するかわりに入浴を省みなくなった中世。
清潔なイスラム教徒の影響もあって、少しずつ清潔が復権してきたと思ったとたんに黒死病の流行がはじまり再び「洗うこと」は忌避されてしまう。
やがて、とことん汚れと臭いを遠ざけ、「不潔恐怖症」ともいえる現代にいたる。
こうした衛生観の変遷を、多彩な図版とコラムとともにたどってゆく。

病が語る日本史 (講談社学術文庫 1886)
病が語る日本史 (講談社学術文庫 1886)
酒井 シヅ
道長の糖尿病、信玄・家康の胃ガンなど豊富なエピソードを交え綴る病気の文化史

古来、日本人はいかに病気と闘ってきたか。人骨や糞石には古代の人々が病んだ痕が遺されている。結核・痘瘡・マラリアなどの蔓延に戦いた平安時代の人々は、それを怨霊や物の怪の祟りと考え、その調伏を祈った。贅沢病といえる糖尿病で苦しんだ道長、胃ガンで悶え死にした信玄や家康。歴史上の人物の死因など盛り沢山の逸話を交え綴る病気の文化史。

山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰 (講談社学術文庫 1887)
山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰 (講談社学術文庫 1887)
吉野 裕子
蛇と白猪
なぜ山の神は異なるふたつの神格を持っているのか?

蛇と猪。なぜ山の神はふたつの異なる神格を持つのか?日本古来の社の祭神の起源は、祖霊としての蛇神であった。6〜7世紀、中国から将来された易・五行による新たな神々が、原始蛇信仰の神々と混淆し、山の神は複雑な相貌をもつようになる。神島の「ゲーターサイ」、熊野・八木山の「笑い祭り」、御田神社の「烏喰神事」などの祭りや習俗を渉猟し、山の神にこめられた意味を読み解く。

……原始蛇信仰にもとづく神々と、易・五行の法則の神霊化としての神々との共存は、日本の神々の世界をこの上なく複雑・難解なものとしているが、「山の神」はそのもっとも顕著な好例として捉えられる。――<「はじめに」より>

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「物事を見たいようにしか見ない」という人の習性について

ユリウス・カエサル著「ガリア戦記」
「人間とは噂の奴隷であり、しかもそれを、自分で望ましいと思う色をつけた形で信じてしまう」
ガリア戦記 (講談社学術文庫)
ガリア戦記 (講談社学術文庫)
G.J. カエサル
森真一「日本はなぜ諍いの多い国になったのか - 「マナー神経症」の時代 (中公新書ラクレ (184))」(P80)
想像力で相手の姿をつくっていると、期待が実像を上回っていきます。期待が裏切られたと感じたとき、その期待が大きければ大きいほど、怒りとなって爆発します。
日本はなぜ諍いの多い国になったのか - 「マナー神経症」の時代 (中公新書ラクレ (184))
日本はなぜ諍いの多い国になったのか - 「マナー神経症」の時代 (中公新書ラクレ (184))
森 真一
北浜邦夫著「ヒトはなぜ、夢を見るのか (文春新書)」(P158)
先入観や枠組みは、ものの捉え方、つまり知覚体験の重要な要素である。ただの線でも鉄橋の上を走っているから汽車に見える。はっきり見えない図形を、少ない情報をもとに脳はなんとか理解しようとする。
たとえばタキストスコープ(瞬間掲示機)を使って、図形を瞬間的に見せて何が見えたかを答えてもらうと、その人の考え方の枠組みに合わせた、じつにつじつまの合う答えが返ってくる。脳は先入観(目的)にしたがってストーリー(嘘)つくっていく。説明して合理化し自分を納得させる。
ヒトはなぜ、夢を見るのか (文春新書)
ヒトはなぜ、夢を見るのか (文春新書)
北浜 邦夫

特にインターネット上でのやり取りや情報の取捨選択は、それこそ点と線だけの情報でイメージを作り上げるようなところがある。先入観や自分の作り上げた枠組みに囚われるのは人間の業なのだとしても、出来うるかぎり様々な情報を勘案して物事を把握したいなぁと思う。自戒の念として。

そういえば枠組みで思い出したのですが、あえて自分の枠組みをはずすのは、傾聴の一つのスキルだという話。


メンタルケア協会編著「対話で心をケアするスペシャリスト《精神対話士》の 人の話を「聴く」技術
人はそれぞれ自分の思考の枠組み(フレーム)のようなものを持っています。(中略)育った環境や教育、親のしつけ、性別などを通して、人は物事を考える枠組みのような思考パターンを作っていきます。
そのフレームに収まらないことを見聞きすると、人は「でも」とか「しかし」とか「そうではなくて」などと、反論したくなったり、相手の考えを修正したいという衝動を覚えるものです。
この思考フレームが話し手との間に壁を作ります。自分の思考フレームに相手を勝手に当てはめ、「この人はお金持ちだ」「この人は病気だ」「この人は反社会的な考えを持っている」「この人は暴力的だ」などと決め付けてしまうと、他人との深いコミュニケーションをとることが不可能になります。

(中略)

自分の思考フレームをはずして、先入観のない目で、相手の心を見てみましょう。「でも」「しかし」と言いたくなったら、その言葉を一度飲み込んで、とりあえずあいての話に傾聴してみてください。
対話で心をケアするスペシャリスト《精神対話士》の 人の話を「聴く」技術
対話で心をケアするスペシャリスト《精神対話士》の 人の話を「聴く」技術
メンタルケア協会

まぁ、先入観を持たないというのは実は不可能であるし、相手の心は見えないのだけど、思考フレームをはずす、ということを心がけた方が色々スムーズなのだなと思います。特に文字情報だけで、周辺の情報が限られていればいるほど、思考フレームをはずさないと、何かとんでもない理解へと自分を陥らせることがありますね。


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古代ギリシア人「労働は奴隷がやることだよねー」

経済思想の巨人たち (新潮選書)」(P36-37)
政治哲学者のハナ・アレントによれば、人間の活動についてのギリシア人のランクづけは次のようであったという。まず最低ランクは「労働」(labor)である。普通のギリシア人、つまりポリスの市民としての資格をもっている人間にとっては、生きるためにやむをえずする労働、ことに肉体労働は奴隷のすることであって、まともな市民のなすべきことではないと見られていた。ポリスの市民というのは、一家の主として家族をもち、かつ奴隷を使って農業や手工業などの家業を営む「経営者」のことであり、人に使われる労働者とは違うのである。

その上のランクは「仕事」(work)で、これは職人や大工、彫刻家などのものを制作する仕事をさす。奴隷の肉体労働と違って、その結果は「作品」として評価され、評価が高ければ後世にその仕事が残る可能性もある。

最後に、もっとも高いランクが与えられるのは「活動」(action)である。これは大地や原材料を相手にして働く「労働」や「仕事」とは違って、人を相手にして活躍すること、具体的にいえばポリスのさまざまな公職について、政治的指導者、将軍、裁判官などとして活動することをさしている。要するに、人々の間で名声を博し、有名人になれるような活動に最高ランクが与えられていたのである。

今、「経済思想の巨人たち (新潮選書)」という本を読んでいるんですが、これが面白すぎて、図書館で偶然見つけた系の本としてはひさびさのヒット。

経済思想の巨人たち (新潮選書)
経済思想の巨人たち (新潮選書)
竹内 靖雄

で、この古代ギリシアの労働観の話が興味深かった。こういう「労働」はイヤイヤするものってキリスト教的な影響だと思っていたのですが、古代ギリシャもそういう労働観だったのかーと興味深く読みました。

古代ギリシアにおける「生きるためにやむをえずする労働」の具体例をもう少し知りたい、と思って色々ぐぐる。
労働観の変遷 古代ギリシアの労働観 (Amehare's quotes)
古代、ギリシアの奴隷の扱いはすごかったのですか?? - Yahoo!知恵袋
ハンナ・アーレント - Wikipedia

あと面白そうな論文発見。
CiNii - 「労働」観 : キリスト教文化と古代ギリシア(第1部)
こちらはあとでじっくり読みたい。

「労働は本来奴隷がするものだから、極力しないようにしたい」という観念はいまだに暗い影を落としているよなぁ。日本の場合、江戸時代までの商人だと「世間との関わりの一つ」、農民だと「生活の一部」みたいな仕事観で、当たり前のように働いていた一方で、武士は儒教的考えから金儲けを忌避していたみたいですが、金儲けとは関係なく務めを全うする的考えで、少なくとも「労働はイヤイヤするもの」なんて考えは日本にはあまり無かったようで、明治になって輸入されたものっぽい。(→Kousyoublog | 「仕事と日本人」武田 晴人 著)この古代ギリシアの労働観&キリスト教的労働観についてよく把握しておかないと、多くの日本人はギャップに引き裂かれたままなんじゃないかな。

ということで、しばらく古代ギリシアと向き合おうと思います。


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<世間の目>から逃れ自由を渇望するが故のプライバシー観

ちょっと古い本ですが1977年刊井上忠司著『「世間体」の構造』より。

「世間体」の構造  社会心理史への試み (講談社学術文庫 1852)
「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫 1852)
井上 忠司
井上忠司著『「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫 1852)』(P239)
「はじ」は、一般に、他者の一種特別の<まなざし>にとらわれることから生じる。見られているかぎり、人はいつ、はずかしいめをみないともかぎらない。他者のまなざしは、見られるがわの自由を大いに拘束する。この不自由からのがれようとした人たちがえらんだ道は、他者との人間関係をむすぶことを少なくして、他者に見られないことからくる自由を大きくすることであった。都市化現象のいちじるしい――つまり、「タニン」同士の集まり住む機会が激増した――今日のわが国では、総じていえば、この見られないことからくる自由の拡大という方向に、着実に向かっているように思われる。

で、この部分の前提として、西洋は神にいつも見られているという前提で自己規制を働かせるのに対して、日本の場合は世間を気にする構造があるとしている。

井上忠司著『「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫 1852)』(P236)
私たちは、概して、まわりの人たちの<まなざし>をうかがいながら、他者の期待に同調していく過程のなかで、自分の意思をしだいにかためてゆこうとする。そんな意思決定のあり方は、まず自分の意思をきめて、それからまわりの人たちにその結果を説得してゆこうとする生き方と、その方向性がまことに対照的である。

日本はそのような、世間の目という束縛が強くあったが、戦後は「世間の目」を拒否し、見られないことによって好きに振舞う自由を得たいとする風潮が強まっているのではないか、ということが紹介されています。

しかし、反面、自律性が育たないままに世間の目を拒否する風潮だけ強まったため、その自由をなかなか使い得ない状態になっている、とも。

井上忠司著『「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫 1852)』(P240)
多くの人びとは、自由をつかいえないで、自由の代価だけを払わされて、ひとりひそかにいらだちを覚えざるをえないというのが、わが国の都市における現況ではあるまいか。

つまり、見られることで「はずかしい」思いをして、世間に合わせようとしてしまうので、見られないことで好きに振舞う自由を担保することに重きをおいたプライバシー観という特徴があるのではないかという見方はどうだろう?これまた前回(Kousyoublog | 江戸町人の<店を構える>意識の裏返しとしての現代人のプライバシー観)に続いて、これによって生まれるプライバシー観は果たして日本独特のものか、個人的な意識を広く援用するのは適切か、また、西欧との違いはどうか、というところまでは考えていない。

日本的プライバシー観を考えるネタとして、深く考察するのはさておいて、過去の書籍から色々なヒントを漁っていく感じで行くのがいいかなーっと思うので、とりあえずアウトプットその2。


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去年の今日は埼玉で40.9度を記録した日

というのを自分のブログの過去記事を見直していて気付いた。

Kousyoublog | 多治見と熊谷で40・9度…74年ぶり国内最高気温
 気象庁によると、岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で16日午後、国内の観測史上で最高気温となる40・9度を観測した。

 1933年(昭和8年)7月25日に山形市で40・8度を記録して以来、74年ぶりに記録を更新した。

そういえば去年の東京はやたらと暑かったな。じゃ、もしかして涼しくなっているのか、と思って「気象庁 | 過去の気象データ検索」で東京を基準に過去のデータと今年を比較してみたら、実は平均気温は上がっていてげんなり。そういえば、去年の7月は妙に寒い日が続いていたような気もする。

気温比較(2007-2008)

しかし、今のペースで行くと、八月も、死にそうなぐらいに暑い日が続いてた去年の八月を平均で上回りそうな勢いみたいで、やっぱりげんなり。最高気温は去年の方が圧倒的なんだけど、最低気温がね。去年がホームランバッターなら今年の気温はアベレージヒッターみたいな感じっぽい。

知らない方が幸せなことってあるんだな、と実感したある夏の日の夜。


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お盆と終戦の日が重なることで充満する死の雰囲気について

僕は1972年生まれで、いわゆる団塊ジュニア世代なのだけど、物心つく頃にはお盆に対して、非現実的な異世界の雰囲気を感じていた。仏壇にお供え物をし、墓参りをしてご先祖様を祀る宗教儀式的なことも当然行われていたのだけど、やはり印象的なのはしきりにテレビから流れる終戦記念日特集で原爆のエピソードや大空襲の悲惨さが繰り返し流され、慰霊のため花を手向ける昭和天皇皇后両陛下、そして、高校野球のサイレンと、格式ばった声で発せられる「黙祷!」という響き、そう言ったありとあらゆる記憶が一つ「死」というイメージで結びついて、非現実的な世界を僕の記憶の中にかもし出している。

お盆は宗教的・日本的と言うよりは死の世界を垣間見るようなイメージで、特に子供のころは居心地の悪さを感じていた。

これは日本の宗教行事としての祖霊信仰的な意味はもちろんベースにあるかもしれないが、やはり終戦が重なっていることが非常に大きいように思う。戦前はどういう雰囲気だったのかわからないが、少なくとも戦後は終戦記念日が重なったことでお盆は変質した、か、お盆が持つ祖霊のうち死者の重みがより大きく重くなったんじゃないだろうか、と思う。

で、wikipediaを見ていたら、戦後しばらくは終戦の日は8月15日ではなかった、という記述を読んだ。

終戦の日 - Wikipedia
日本が占領下にあった1951年ごろまでの新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日と呼んでいた。敗戦記念日(はいせんきねんび)とも呼ばれてきた。現在、日本では、玉音放送が行なわれた8月15日を一般に終戦記念日(しゅうせんきねんび)あるいは終戦の日と称し、政府主催の全国戦没者追悼式が開かれる。
終戦の日 - Wikipedia
8月15日は玉音放送の放送日にすぎなかったが、引揚者給付金等支給法(昭和32年法律第109号)は8月15日を終戦の基準とし、引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律(昭和42年法律第114号)は8月15日を「終戦日」と呼んでいる。1963年5月14日の閣議決定により同年から8月15日に政府主催で全国戦没者追悼式が行われるようになり、1965年からは東京都千代田区の日本武道館で開催された。1982年4月13日、8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定された。現在ではこの閣議決定に基づいて毎年8月15日に全国戦没者追悼式が行われている。

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」について(昭和57年4月13日閣議決定)

1. 趣旨 先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を設ける。
2. 期日 毎年8月15日とする。
3. 行事 政府は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、昭和38年以降毎年実施している全国戦没者追悼式を別紙のとおり引き続き実施する。

別紙 全国戦没者追悼式の実施について

1. 全国戦没者追悼式は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで、毎年8月15日、日本武道館において実施する。
2. 本式典における戦没者の範囲及び式典の形式は、昭和56年の式典と同様とする。
3. 本式典には、全国から遺族代表を国費により参列させる。
4. 式典当日は、官衙等国立の施設には半旗を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨するとともに、本式典中の一定時刻において、全国民が一斉に黙とうするよう勧奨する。

終戦記念日はお盆にあたることから、民俗学的にいえば、両者が混交して死者の魂を追憶し供養すべき日として、日本人の意識のなかに根付いている。

どうやら、当初は9月2日が一般的に終戦の日と認知されていたのだが、法制的、事務的便宜上8月15日に変更になったという経緯のようだ。

あくまで個人的感覚だけど、終戦記念日とお盆の組み合わせは追憶、供養と言うには死の雰囲気が過剰に充満するように思う。少し非現実感が過ぎるので、敢えて何事も無いように、少し世間と感覚をずらすようにしている。だからこの時期は(この時期も?)僕はとても鈍感に振舞い、すべてをやり過ごすようにしている。


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江戸町人の<店を構える>意識の裏返しとしての現代人のプライバシー観

陣内秀信著「東京の空間人類学 (ちくま学芸文庫)」(P53-P55)
ところで江戸には、城下町に特有な現象として、町人の<店を構える>意識と、武士の<屋敷を構える>意識という、二つの逆向きのベクトルが同じ都市内に存在していた。

(中略)

まず下町の町人は、繁華な街路に堂々とした店構えをもつことを志向した。特に江戸・東京では、敷地の奥の私的居住部分は質素でも、街路に面した表の店は耐火機能をもたせるだけでなく威厳を表すために、蔵造り、塗家造りの立派なものにした。こうした街路志向は、近代の町づくりにもすばやく対応し、後には、表だけの最新流行の様式を装ったいわゆる看板建築を生むことになったし、ある意味では、今日のサインの氾濫、めまぐるしく変貌するファッショナブルな都市の表層とも一脈通じているといえよう。日本における真の都市型の建築は町人の文化から生まれたのである。

それに対し、生産や流通などの都市活動に参加しない武士階級は、土地や自然との結びつきをもった独立性の高い閑静な<屋敷を構える>ことを志向した。こうしてヨーロッパなら田園の中の別荘建築か、あるいは近代の郊外住宅地にしか登場しないような庭付きの独立住宅が、日本では都市の中心部にも広範に形成されたのである。江戸が大きな田園都市であったといわれるゆえんもそこにある。このような伝統的住意識が、狭くとも庭のある独立住宅に住みたい、という現代人の願望にまでつながっていることはいうまでもない。

日本の現代の町並みにも、この<店を構える>意識と<屋敷を構える>意識とが様々な形で組み合わされて表現されており、それだけ変化に富んだ町並みの景観を生み出しているのである。

今日、「東京の空間人類学 (ちくま学芸文庫)」を読み直していて、この部分の、特に町人の<店を構える>意識の裏返しが日本的プライバシー観につながっているのではないかなーと思いました。つまり、威厳のある表に対して質素な奥という対比があり、表は見られることを意識している訳ですが、奥の私的居住部分は見られることを意識していないということであり、そして江戸・明治と現代が違うのは、生活から職業が分離され、店を構えなくなったことであります。

「見られるべき表」の喪失が住居に起こり、見られなかった質素な私的居住部分だけが残っているのが、現代の住居であり、そのまま見られたくないというプライバシー観につながっているのかな、とちょっと根拠無く想像しているところですが、どうでしょうね。これが正しいとして、これによって生まれるプライバシー観が日本独特のものになるのか、また、西欧との違いはどうか、というところまではまだ力及ばず考えていないのですが、まずは一つの考え方としてアウトプットしてみる。


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「社内うつ」はうつ病ではなく適応障害の一種説

仕事中はうつ 会社の外では元気 「新型うつ病」大流行の裏側(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース
 これまでの「うつ病」といえば、几帳面でまじめな人がかかりやすく、落ち込み、自分を責め、自殺に至るケースが多いというイメージだった。しかし、07 年から急激に増えだしたとされる「新型うつ病」は、仕事中だけうつで、帰宅後や休日は普段通り活発に活動する。自分を責めるのではなく、身近な人間や社会に対して攻撃的な態度になり、休職したとしても会社や同僚かける迷惑などあまり感じない、というのが典型らしい。

(中略)

 うつ病と診断する基準は各国まちまちで、現在は米国精神医学会の診断マニュアル「DSM」を参考にするのが世界の趨勢なのだという。各国の医療関係者がこれを参考にし始めたのは、80年に画期的な変貌を遂げた第三版から。94年改定の第四版もほぼ同じ内容になっている。日本では「DSM」を参考にする医師は少なく、「新型」と呼ばれる症状については、パーソナリティー障害、抑うつ神経症などと診断していたのだそうだ。

「社内うつ」研究の第一人者早稲田大学小杉教授の本を以前読みましたが(Kousyoublog | 仕事中だけ「うつ」になる人たち―ストレス社会で生き残る働き方とは)、そちらには社内うつはうつ病ではないという説が紹介されていました。

仕事中だけ「うつ」になる人たち―ストレス社会で生き残る働き方とは
仕事中だけ「うつ」になる人たち―ストレス社会で生き残る働き方とは
小杉 正太郎,川上 真史
仕事中だけ「うつ」になる人たち―ストレス社会で生き残る働き方とは(P15)
うつ病はね、どこの国に行っても、どの時代をとっても、人口の〇・三%ぐらいしかいないんですよ。頭の中にセロトニンという神経伝達物質があって、これがうまく働かなくなった状態をいいます。それが本当のうつ病ですね。
ただ、うつ病ではないけれども、「うつ状態」というのがあります。この「うつ状態」と「うつ病」を混同してしまっているところがすごく怖いです。

(P18)
いまのビジネスの世界で起きているのは、「心因性のうつ状態」と、「適応障害」だと思いますね。何か原因があるとすぐシュリンク(ちじこまる)しますけど、原因がなくなれば元気になっちゃう。これが適応障害です。だから会社のなかで特定の人間との間に不都合があれば、その人が現れたときだけシュリンクする。ほとんどの場合、会社の外では元気なんですよ。

(P19)
親しい人との死別、失恋、災害などで思い出深い家屋が崩壊するといった喪失体験、名誉・尊厳・社会的立場などが危うくなる経験は、当事者の心を深く傷つけ、悲哀・絶望・抑うつなどに代表される不快な感情をもたらします。またこれらの体験は、不快な感情ばかりではなく、不眠、食欲低下、心悸亢進などの身体的変調をもたらします。

心身両面のこのような不調は、生活全般に対する意欲を低下させ、当事者の家庭生活や職業活動を困難にすることもしばしばです。このような状態を「心因性うつ状態」または「心因性うつ病」と呼びます。つまり、死別などの喪失体験や社会的立場の危機などの不快体験に原因(この種の体験を「心因」と呼びます)となった「うつ状態」が心因性うつ状態なのです。

(中略)
一方、適応障害とは、特定の人物や状況に遭遇したときにだけ激しい苦痛や不安あるいは抑うつ感に襲われる状態を指します。そのような人物や状況が目前から消えれば苦痛は去りますが、目前にある間は苦痛や抑うつ感が強すぎて、その場に適応・順応することができないのが適応状態の特徴です。
もしもあなたが苦手な上司の前では震えるほど緊張して、仕事がまったく手につかなければ適応障害となるでしょう。仕事が手につかなければ会社員としての昨日を果たせないことになります。このように社会的機能が危うくなるほどの適応障害は「病理的な適応障害」、なんとか果たせる程度ならば「非病理的な適応障害」と呼んで、ふたつの適応障害を区別します。病理的な適応障害は医学的な治療の対象ですが、非病理的な適応障害は病気ではないので医学的治療の対象とはなりません。
本書のテーマである「社内うつ」は非病理的な適応障害といえるでしょう。

そして、その治療としてストレッサーとなっている要因を取り除くことや、広く社内体制や組織、働き方などについても紹介されていますので、一度読んでみることをオススメしますよ。対談形式で素人の僕でも分かりやすかったし、以前人事として近しい症状の人の対応をしたり、あるいは僕自身近しい経験を一時期しましたが、かなり勉強になりました。すごくいい本ですよ。


関連サイト
小杉正太郎さん:スペシャルインタビュー 『日本の人事部』
<今週のハイライト>20〜30代で急増する「社内うつ」(1)/SAFETY JAPAN [リポート]/日経BP社
早稲田大学小杉正太郎研究室HP
適応障害 - Wikipedia

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秋吉久美子さんの公式ブログが面白すぎる件

秋吉久美子 -Kakugen- オフィシャルブログ
秋吉久美子 -Kakugen- オフィシャルブログ

女優の秋吉久美子さんが毎回格言について語るブログ。どのエントリーもかなりクオリティが高い。この人の個性的さとセンスはやはり常人のものじゃないなー。今大学院の公共経営研究科に通われているそうで、学生生活が勉強尽くしで充実していそうな感じです。

最新十件の記事タイトルだけでもおなかいっぱいです。

そうあるべきことは、やがてそうなるだろう(アイスキュロス)
あなたがなっていたであろう人になるのに、遅すぎることはない(ジョージ・エリオット)
行動力のある者のように考え、思考力のある者の様に行動せよ(ベルクソン)
最初は人が習慣をつくり、それから習慣が人をつくる(ジョン・ドライデン)
一つのドアが閉まると、別のドアが開く、しかし私たちは閉まってしまったドアをずっと後悔して見つめているので私たちのために新しいドアがすでに開いていることに気づかない。(グラ
この世の、すべてのものは、泡沫にすぎない(ゲーテ)
決して、決して、決してやめてしまうな(チャーチル)
賽は投げられた(シーザー)
「明日死ぬように生きなさい、永遠に生きるように学びなさい」(マハトマ・ガンジー)
人生は、ケチな心配事ばかりしているには短すぎる(C・キングスリー)


あなたがなっていたであろう人になるのに、遅すぎることはない(ジョージ・エリオット) (秋吉久美子 -Kakugen- オフィシャルブログ)
私は何に心を動かされたのだろうか。辿っていくと、小学生の頃に読んだ「十五少年漂流記」とか、「トムソーヤの冒険」とか、「ロビンフッド」とか、「二都物語」とか、「レ・ミゼラブル」とか「小公子」とか・・・じゃあどこに原点があるのかといえば結構、「岩窟王」には関心した。そういう意味では今でも既に、あなたがなっていたであろう人になろうとガンバっている。「レ・ミゼラブル」のジャン・バル・ジャンには関心しなかった。同情もしなかった。バカだと思った。なんでパンぐらいで捕まるのか。おなかが空いていて走れなかったのか?盗む方も盗む方なら、裁く方も裁く方だ、と子供心にイライラした覚えがある。「岩窟王」の方は読んだ瞬間から”岩窟王”になってしまった。それが今日まで続いている。岩窟王に憑依されたのかもしれない。あれから40年以上経っているのに、いったい何に復讐するのか、、、理不尽、矛盾、うまくやってる偽モノ臭いことに復讐すべく、岩窟王は生きてきた。そして岩窟王は今、勉強している、大学院で。何かを解明するべく、、、?

このくだり、すごい。

友人に教えてもらったんだけど、予想以上に、というか予想のはるか斜め上を行っていた面白さだったので早速RSSリーダー登録。



秋吉久美子 DVDセレクション
秋吉久美子 DVDセレクション

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神社オタが非オタの彼女に世田谷の神社世界を軽く紹介するための10社

今はやりのアレを、ちょっとディープに偏った趣味でいじってみました。

インスパイア元
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
------------------------------------------
まあ、どのくらいの数の世田谷区の神社オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
 その上で全く知らない世田谷区の神社の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、世田谷区の神社のことを紹介するために
見せるべき10社を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に世田谷区の神社を布教するのではなく
 相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う駅から徒歩30分、40分の神社は避けたい。
できれば街中の神社、長くても駅から徒歩20分にとどめたい。

あと、いくら世田谷区の神社的に基礎といっても新しさを感じすぎるものは避けたい。
世田谷区の公園好きが『駒沢オリンピック公園』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。

彼女の設定は
神社知識はいわゆる「東京十社」的なものを除けば、別表神社程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

世田谷八幡宮(世田谷区宮坂1-26-3)

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「江戸以前」を濃縮しきっていて、「江戸以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。遠さも宮の坂駅すぐだし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な神社について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。

松陰神社(世田谷区若林4丁目35-1)北沢八幡神社(世田谷区代沢3-25-3)

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな神社(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「神社オタとしてはこの二つは“公園”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

駒繁神社(世田谷区下馬4-27-26)

ある種の世田谷の神社オタが持ってる下馬・上馬地区への憧憬と、鎌倉幕府監修のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも源氏な

「童貞的なださカッコよさ」を体現する八幡太郎義家
「童貞的に好みな将軍」を体現する源頼朝

の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを社伝にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

菅原神社(世田谷区松原3-20-16)

たぶんこれを見た彼女は「学問の神様だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の神社がその後続いていないこと、これが受験生の間では大人気になったこと、
平安時代なら怨霊になって、それが日本に祟っててもおかしくはなさそうなのに、
現代でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

久富稲荷神社(世田谷区新町2-17-1)

「やっぱり神社はお稲荷様のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「池尻稲荷神社」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この神社にかける地域の人の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも250メートル、っていう参道が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
参道の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
氷川系や八幡系だったらきっちり100メートルにしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて250メートルを作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ久富稲荷神社がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。神社自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

駒留八幡神社(世田谷区上馬5丁目35-3)

今の若年層で世田谷城主吉良頼康の側室常盤姫見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
江戸幕府よりも前の段階で、北条氏の哲学とか神社技法とかはこの神社で頂点に達していたとも言えて、
こういう中世史満載の神社が八幡神社でこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく世田谷区の神社好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる井伊氏所領でしか世田谷を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

喜多見氷川神社(世田谷区喜多見4-26-1)

喜多見氷川神社の「鳥居」あるいは「境内づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない学校祭を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ神社版『出雲信仰』最終話は氷川神社以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源は素盞鳴尊(すさのおのみこと)信仰にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

多摩川浅間神社(大田区田園調布1-55-12)

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう民間信仰富士講風味の習俗をこういうかたちで神社化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

玉川神社(世田谷区等々力3-27-7)

9社まではあっさり決まったんだけど10社目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に玉川神社を選んだ。
世田谷八幡宮から始まって玉川神社で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、明治維新以降の世田谷村時代の先駆けと
なった神社でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい神社がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。

「駄目だこのKousyouは。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

------------------------------------------
多摩川浅間神社だけ大田区だけど、まぁ世田谷区との境近くにあるので世田谷荏原地区ってことで。

軽く紹介するための10本ブームはあんまり関係ないかなーと思っていたんですが、以下のようなエントリーが出てきて、何でもあり模様になってきたことに触発されて書いた。

一級河川オタが非オタの彼女に一級河川世界を軽く紹介するための10本 - 女教師ブログ
ダムオタが非オタの彼女にダム世界を軽く紹介するための10基 - 速報ダム日和

追記
軽く紹介する10本シリーズまとめ記事がありました。
◯◯オタが非オタの彼女に◯◯世界を紹介するための10本まとめ - What is Normal 〜 もはや普通がわからない 〜

あるく世田谷21 (エイムック (1160))
あるく世田谷21 (エイムック (1160))

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日本の個人主義思想は不平等条約解消のため名目上入れただけだった

とりあえずいろいろコピペしただけですが、かなり重要っぽいので、引用。

民法典論争 - Wikipedia
近代以前の日本においても民事裁判は存在したが、体系的な民法典はついに作成される事はなかった。そもそも日本を含めた東アジア文化圏においては、民衆は政治的に無権利であり、法的に許されたわずかな権利も支配者の統治・命令の絶対性を前提としたものであった。従って、古代の律令法には刑法にあたる「律」と行政法にあたる「令」は存在しても民法にあたる法律は存在しなかった。こうした考え方は商工業が盛んになって民事的な訴訟が増加した幕藩体制になっても基本的には変わらず、その司法制度は専ら刑事裁判の遂行のためのものであり、民事に関しては当事者間の話し合い(相対)による解決が付かない場合にのみ「お上からの恩恵」として仲裁に乗り出すという名目で民事裁判が行われたものであり、民衆を法的に救済する制度ではなかった。

だが、欧米列強との交渉が始まると、日本に民法典が無いことが列強による治外法権を正当化させる理由の一つに挙げられて、幕末から明治初期の日本において、不平等条約改正という政治的課題の一つとして民法典の整備が急務とされていた。

ギュスターヴ・エミール・ボアソナード - Wikipedia
しかし不平等条約撤廃の交渉過程で列強各国が民法典の不在を治外法権の正当化理由としていたことから幕府に引き続き明治政府も民法典の編纂に着手するに至った。箕作麟祥らがナポレオン法典を翻訳し民法の草案が幾度も作成されたが司法卿大木喬任は直輸入的な草案を拒絶し、日本の実態に即した民法典の起草をボアソナードに命じるに至った(なお、家族法の部分については伝統や習慣の影響が極めて大きいため日本人の手によって起草)。
民法典論争 - Wikipedia
旧民法が自然法思想に立脚していたことに対して、法の歴史性・民族性を強調した歴史法学からの批判、内容的なものとしては、日本古来の家族制度を始めとする日本の伝統・習慣にそぐわないという批判があった。

(中略)
1891年、穂積八束が『民法出デテ忠孝亡ブ』という論文を発表し、「我国ハ祖先教ノ国ナリ。家制ノ郷ナリ。権力ト法トハ家ニ生マレタリ」「家長権ノ神聖ニシテ犯スベカラザルハ祖先ノ霊ノ神聖ニシテ犯スベカラザルヲ以ッテナリ」と説き、法による権利義務関係を否定し、日本伝統の家父長制度を否定する婚姻を基調とした家族法を批判した。この論文はそのタイトルのため最も注目を集め、民法典論争の象徴ともいえる論文である。
施行を翌年に控えた1892年(明治25年)、法典論争はピークに達し、施行延期派は天皇制に絡めて日本の伝統を基にした論陣をはり個人主義的な施行断行派を批判し、施行断行派はフランス法的自然法思想と市民法理論をもって反論を加えた。また論争は法律論にとどまらず資本主義経済の矛盾の問題、国家思想や国体の位置づけなどにも及び、商法典論争と相まって一種の政治対立の様相さえ呈するようになった。しかし、松方デフレ等の影響で没落した地方や疲弊した農家・地主たちを尻目に官営事業の払下げで急速に力をつけてきた政商資本家の台頭という資本主義経済における自由競争の負の部分が顕在化しつつあった当時の状況や、大日本帝国憲法では天皇制を定め、近代天皇制国家の形成が進められていたことから、施行延期派を支持する声が段々と強まるようになっていく。

そして同年5月、第三回帝国議会において民法典論争は政治的な決着がはかられた。貴族院議員田村保によって民法商法施行延期法案が貴族院に出され、断行派議員と延期派議員との間でも激しい論戦が繰り広げられたが、同案は圧倒的多数で貴族院を通過、衆議院でも賛成多数で可決するに至りここに民法典論争は決着をみた。

その後新設された法典調査会で、穂積陳重、富井政章、梅謙次郎が旧民法の修正を基本としつつ、ドイツ民法の草案や各国の民法をも参照して、現行の民法(明治29年法律第89号)が起草された。
高岡法科大学 法律雑学講座 穂積 八束の人と業績
北 一輝には曾て「古事記日本紀をバイブルとする神道の迷信者」「最も価値なき頭脳にして歯牙(しが)にだも掛くる要なき者」とまで酷評されたこともある
(中略)
北一輝の前述のような評は酷であるにしても、現代の我々からすれば、この「民法典論争」の中で示された、「家制度」を確立して家族国家的原理の下に絶対主義的天皇制へと国家的統一を図るという八束の思想は受け容れ難い。しかし、西欧列強の前で我が国が「文明国」であることを示すと同時に、西欧諸国に少しでも比肩し19世紀後半のアジアにおける西欧帝国主義の席巻(せっけん)から身を守ろうとして、西欧の文化・文物(法思想・制度も含め)を吸収継受することに急であった当時、八束は伝統的文化的独自性と西欧法思想との融合に苦しんだのではないか

読む限り、確かに穂積八束という人は西欧と日本との融合に苦しんだのだろうと思うが、残念なことに宇和島藩士の家に生まれた彼は武士の常識=日本の常識として考えてしまっていたようだ。「我国ハ祖先教ノ国ナリ。家制ノ郷ナリ。権力ト法トハ家ニ生マレタリ」「家長権ノ神聖ニシテ犯スベカラザルハ祖先ノ霊ノ神聖ニシテ犯スベカラザルヲ以ッテナリ」まさに、武士の価値観をあらわす言葉だと思う。

知られざる人類婚姻史と共同体社会 | 日本の婚姻制度は、どのように変遷してきたのか?(江戸〜明治〜大正〜昭和〜平成) 明治編
要は近代国家と西洋から認められるような文言を入れる。でも、国内的には家を最小単位とした天皇中心主義の精神は保持したい。⇒世論的には愛国心をUPさせたい。 この二つの演出があると思われます。
家制度(=儒教思想)なら上流階級の武家はすでに家制度になっているから日本人にも一定親しみはあるし抵抗は少ないだろう・・・と、法律として一般民衆に押し付けることで、だれもが私権を獲得しなければ生きていけない社会に一段階足を踏み入れることになっていきました。

一部の価値観だった武士的な家制度を導入広く浸透させたことと、不平等条約改正のため名目的に個人主義を謳ったことによって後世に大きな影響を与えた出来事の一つがこのあたりかな。この背景には明治六年の政変によって不安定な立場に立った天皇制と、それを神格化させることで天皇を家父長とした形で安定化させたい伊藤博文らの思惑も複雑に絡んでいたのかなという感じ。ざっくりいうとだけど。

人口比で言うと、2〜3%、多くても1割程度だった武士階級の価値観を全国的に普及させようとしたことによって、これまで何度か書いてきたけど、いわば武士型個人主義とも言える日本独特の個人主義思想が成立し、それは現代までの旧来の共同体の解体によって根を断ち切られてふわふわ飛んでいる。ぶつかったら破裂するぐらいにパンパンに自意識を膨らませて。すんごいメタな、大きな流れで言うとですけど、空気読め系同調圧力とか非コミュとかもこのあたりの明治からの流れを踏まえて考えるとちょっと違って見えると思うなぁ。


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ソーシャル・ベンチャー(社会貢献を目的としたベンチャー)は何故、自己啓発・ロハスなどニューエイジ系に傾倒するのか

社会(ソーシャル・ベンチャー)というムーブメントを最近良く耳にする。利益の獲得よりも、社会変革を目的として株式会社を起業することで、最初耳にしたときはなかなか興味深い傾向だなと思っていたのだけど、どうも一般的に社会の変革のために!と言っているベンチャーの多くが自己啓発やロハス、スピリチュアリズムへの傾倒が強く見られていて、そういうところをよりどころにしていなければ、賛同しやすいんだけどなぁ、と残念な思いで見ていました。

で、先日、「女、京大生の日記」さんが社会起業家についてまとめておられて、とても興味深く読んだ。
社会起業家シリーズ1 - 女。京大生の日記。
社会起業家シリーズ2 - 女。京大生の日記。

今回参考にした二冊。

社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流 (岩波新書)
社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流 (岩波新書)
斎藤 槙

概論 ソーシャル・ベンチャー
概論 ソーシャル・ベンチャー
神座 保彦

前者の「社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流」はソーシャル・ベンチャーの現状が良く分かる本で、後者の「概論 ソーシャル・ベンチャー」はさらに突っ込んでソーシャル・ベンチャーのマネジメントやファイナンスなど経営全般に関して詳述された本でした。特に後者はソーシャルベンチャーに限らず、ベンチャー企業全般にも通じる内容で超面白かった。

以下続きを読むからどうぞ

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問題の在り処

『株式会社という病』をいやす − @IT自分戦略研究所
この書評を読んで、そういえばこの本について内田先生のところで見かけたなと思い出した。
「株式会社という病」を読む (内田樹の研究室)
で、この本はすごく面白そうだと思ったので、今度読むことに決めた。早速図書館に予約。

旧き良き共同体的会社と機能集団的会社と言う風に分けるのは簡単だけど、そういう二項対立的なのではなく、多分に血の通った本なんじゃないか、と予想している。

あと、上の書評の

知識を積み重ね、合理的に思考しながら日々の仕事を行ってきた人々の中には、知性が徹底的に欠如している人たちがいる。つまり、彼らには自分が属する世界の枠組みの外に違う世界が存在していることへの配慮、想像力がないのである。

(中略)

「利潤を効率的にはじき出すという明確な目的達成のための場で起こる問題と、利潤とはそもそも何かと考える教育現場で起こる問題とは、問題の在り処が違うのである」(同書p.234)

 「問題の在り処が違う」。このことに気付くかどうか。知性の有無が問われる(鯖)。

このあたり、しびれるぐらいに同意。ただ、その問題の在り処の違いというのはある種連続しているとも思う。問題の在り処の違いは断絶しているのではなくスペクトラムな感じでつながっていて、その繋がりというか拡散の在り様に気付く事が知性なのだろうとおもう。そして僕はまだ、その知性がない。


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平川 克美
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IPOを目指すベンチャー企業に仕掛けられた明治日本の罠

「世間体」の構造 社会心理史への試み』によると、士族や農民反乱に悩まされていた明治政府は、武家の家族をモデルとした「イエ制度イデオロギー」と「儒教的家族道徳」をベースにした教育政策を推進することで、秩序の安定をもたらそうとした。

「世間体」の構造 社会心理史への試み』(P88)
共同体社会における「和合価値」と武家社会における「献身価値」とが、イエ制度において、「家」の<和合>と「家父長制」への<献身>というかたちで、時の政府によって、政策的にたくみにむすびつけられたのだった。
「世間体」の構造 社会心理史への試み』(P88)
かくして、「個人」の目標は「イエ」の目標に従属し、「イエ」の目標は「中間(規模の)集団」(たとえば地域社会や職業集団など)の目標に従属し、さらに「中間集団」の目標は「国家」の目標に従属するという、きわめて強力なヒエラルキーが成立した。

この部分を読んであっ、と思った。「イエ」を例えば「チーム」に、「中間集団」を「部署」に、「国家」を「会社」に言い換えれば、そのままIPOを目指す企業が証券会社から強く指示される社内体制整備のポイントだ。目標は予算であり、事業戦略であり、広義にはコンプライアンスなどの遵法、道徳観でもある。そして証券会社の意見は証券市場の審査ポイントでもある。

イエ制度イデオロギー組織が機能集団として理想的なのか、それとも明治期のイエ制度イデオロギーを理想としているのか、なんとも言えないけども、戦後〜バブル崩壊までは既存の企業がイエ制度イデオロギー的組織体制である点は多くの人が指摘(山本七平とか)ていて、道徳観までも共有し、従属する体制だった。その旧来の日本の企業の姿を現在でもあるべき姿として上場基準にしているように思うんだよなー。まぁ、全体の目標を個人のレベルにまで落とし込んだ体制が機能集団として一定の効果があるという点も否めないけれど、そういう体制じゃなくとも企業として持続性、成長性を維持出来るんじゃないかな。

とはいえ、上場を目指すのなら、少なくともある種のヒエラルキーと官僚制度を取り入れた組織にする必要があって、特にクリエイティビティを重視する業種であれば官僚制的ヒエラルキーとクリエイティビティという二つの文化の融合に苦労させられることになる、と思う。すでに既存の会社ではイエ制度イデオロギー的共同体としての役割は薄れてきているように思うのだけど、体制だけが残っている感じなのかなー。そのミスマッチが既存の大企業を苦しめているんじゃないかと思うのだけど。

「世間体」の構造 社会心理史への試み』(P91)
個人がイエの目標と対立・相剋し、その体制からはみ出したとき、それはただちにイエへの<反逆>を意味した。明治以降に入ってきた西欧の市民社会的思想に準拠点を見出した知識人やキリスト教者のなかに、この反逆者が輩出したことは、周知の事実である。
明治以降のわが国の文学に共通したモチーフのひとつは、西欧思想の根底にある<近代的自我>の追求にあった、といわれる。この近代的自我の形成を阻害するものとして、まっさきに文学者のやりだまにあげられたのが、「イエ」であった。

当時以上に、会社はイエ的機能を失っていて、個々人の会社からの自立心は強くなっているように思う。その社会の中でどのように組織バランスを取ることが出来るか、という難しい舵取りを企業はしなくてはいけないし、逆に個人はイエ化しようとする会社の中で、どう自身の個を保つかという話になってくるんだと思う。その過程で当然多くの人が独立していくだろう。かつて資本家vs労働者的構図で対立する存在としての存在感を持っていた会社という機能集団は、多くの人にとってあってもなくても良いような存在になっているような気がしてならない。

今は格差社会だ勝ち組だベンチャーだと言っているけど、全体的な流れから見ると、実は会社という存在は一部の優良企業を除いては、かつてほどの存在感は持たなくなって行くと思う。それは共同体をことごとく解体してきた日本の近代史の必然なんじゃないかなぁなんて思う。(別の側面では近代資本主義がますます進展していく訳で、大規模な資本投下力があるものに集約されていく)

IPOを目指すベンチャー企業は強い組織観が無いと、せっかく上場に成功しても資金と引き換えに組織の陳腐化を招く罠が現状あるんじゃないかなと思う。それは明治維新から続く日本社会の罠かもしれない。


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「世間体」の構造  社会心理史への試み (講談社学術文庫 1852)
「世間体」の構造 社会心理史への試み (講談社学術文庫 1852)
井上 忠司
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誹謗・中傷がタブーになるまでの日本の1000年の歴史をざっくりと

誹謗中傷は禁止されるべきか

ただ、そもそも禁止されるべき、というのがどのレベルで決まってるのかなあというのは謎です。「神様(造物主)が誹謗中傷を禁じたんだ」というレベルだとしたら、「じゃあ神様が人間に誹謗中傷機能をつけたのは何故だ」ということになるから、もっと下のレベルでの話だとは思いますが。

この辺は電車内で携帯電話を使うなとか、最近は化粧も禁止されてたりするんですけど、それに近い、なんかこうもやもやしたものを感じます。

この辺りの背景には日本の武士の歴史が大きく影響していると思います。以前読んだ「〈悪口〉という文化」という本に詳しかったのですが、今手元に無いのでざっくりと書くと、かつて平安時代末期に勃興した武士階級では悪口の言い合いは即決闘につながり、至る所で決闘が行われていました。鎌倉幕府が開かれても、武士たちのちょっとした言い合いがすぐに血で血を洗う決闘に繋がっていたため、悪口を禁じ、悪口は幕府が法廷で裁くという決まり(御成敗式目)が制定されます。それでも武士同士の悪口は収まらずしきりに誹謗・中傷から決闘に至ったり、裁判が行われていたようです。その後、歴史を経るにつれて武士同士の争いは為政者の裁きによって決着するようになります。誹謗中傷などの対処は悪口を言ったもの、言われたもの同士の直接のやりとりから、1000年かけて為政者が管理し、裁くものへと変えてきたのが日本の法制史の一側面だと思います。

武士階級以外では血で血を洗う決闘、という事態はあまり無くて、悪口祭(Kousyoublog | コミュニティの秩序維持機能としての悪口祭)、江戸の喧嘩(Kousyoublog | 江戸の華と言えば喧嘩だが実はほとんど口喧嘩だけで決着した)など丸く治める知恵みたいなものが主流でした。名誉を重んじる武士と、世間を気にする庶民という二つの文化だったのではないかなと思います。

しかし、明治維新が大きなターニングポイントで、明治維新で身分制度が廃され、明治民法によって旧来の武士階級の家族制度を真似た家制度が全国民に導入、国民皆兵、学校教育制度の整備、さらに旧武士階級出身の福沢諭吉によって個人主義が輸入され「学問のすすめ」が大ベストセラーになりました。(人口3000万人程度の当時、300万部も売れたとか)

ほんとはこわい「やさしさ社会」」では大正デモクラシーの時期に「自分」(人格)の重視という意識が高まったとしていました。その後第二次大戦の敗戦によって、旧来の家制度は解体され、古い宗教的価値観も否定されます。

武士的な名誉を重んじる風潮と人格の重視という意識が日本社会に浸透した中で、個よりも重視された国家や世間や家などが否定され、個人こそ最も価値のあるものという価値観になります。旧来の家制度など共同体の崩壊は65年ごろだと「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」では書かれています。それでも、崩壊した家制度に代わって、共同体の役割を果たしていたのが会社だったと僕は思うのですが、その会社も徐々に重要ではなくなっていきます。

明治維新から現代までの歴史を通して、我々は完全に「個人」を重んじることに価値を置くようになりました。そして、宗教が力を失った今、「人生は一度きり」という思想が主流を占めています。「人生は一度きり」なので「無駄にしたくない」という欲求が働きます。さらに、一度きりの人生なので傷つく、傷つけられることに敏感になります。

武士的価値観の元で名誉を重んじ、また、人格を神聖なものと考え、傷つく/傷つけることに敏感なので、人格を傷つける誹謗・中傷は恥辱として決して許されるものではない、と、明治維新以降150年かけて日本人は意識を変化させてきました。

どのレベルで決まっているのか、という問いには、日本社会の変化の過程で自ずと誹謗・中傷に繋がる悪口をタブーとして禁じることが決まってきたと言えると思います。神聖なる人格を傷つけるなどとんでもない!という意識を醸成させてきたわけですね。「人生の自己目的化」という観点で言うと欧米社会よりも日本は進んだ個人主義の社会になったと言えると思います。欧米社会ならばキリスト教徒としてなど宗教や地域などの多様な共同体や価値観を生きる目的にしますが、日本は様々な共同体を解体させてきた結果、自分の人生を生きる以外に目的が無いため、(昨今のスピリチュアルブームや自己啓発もこういう背景があると思います)この傾向はますます強くなるのではないかと思います。まぁ、悪口は好まないので悪口をいえないことに対しての苦労は無いのですが、傷つけない振舞いを重視され、人の顔色を窺うこと(=空気を読む)に汲々とする今の状況は正直息苦しい。しかし、こればっかりはいかんともしがたいなぁと思います。

ただ、過去に学ぶことで上手くバランスを取ることが出来るのではないかなという思いもあります。かつて、武士ではない庶民たちは悪口祭(Kousyoublog | コミュニティの秩序維持機能としての悪口祭)というイベントを各地で開催していました。公の場では誹謗中傷は決して許されませんが、匿名の、ローカルなルールを共有するグループ・集団内で悪口祭や無礼講の本音を言い合うイベントを行う、つまり、秩序維持を目的として一時的に人格の神聖性を取り払って、ワッ!とやることも必要なんじゃないかなぁと思う今日この頃です。とは言え、今の社会状況では悪口とは言わずとも本音を言い合う、というようなレベルでやるのも困難が大きそうです。



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〈悪口〉という文化
〈悪口〉という文化
山本 幸司

ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書 74)
ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書 74)
森 真一
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上地雄輔ブログを笑うものは上地雄輔ブログに泣く

タイトルはホッテントリメーカーから(→上地雄輔ブログを笑うものは上地雄輔ブログに泣く 283users(推定) - ホッテントリメーカー

一日のユニークユーザー数23万人を超えギネス認定をされたニュースでも話題のタレント・俳優の上地雄輔氏のブログですが、実はとても良いエントリがありましたのでご紹介。

彼が横浜高校の野球部出身で現役メジャーリーガーの松坂大輔とバッテリーを組んでいたのは有名ですが、彼が横浜高校に入部するきっかけと、敬愛する先輩の死などが綴られています。

上地雄輔の大事な思い出。|上地雄輔オフィシャルブログ「神児遊助」 Powered by Ameba

このようなドラマチックで、多大な喪失感を伴う哀しい体験は、その痛みの分体験した人に生きる指針のようなものになるんだろうな、哀しいけども熱い物語を背負っているなぁ。と思いました。

故丹波慎也氏のことはこれまで知らなかったのですが、多くの高校野球ファンの間で記憶に残る選手だったようですね。

Doblog - 憧れのバックネット裏 -
それは丹波の練習のたまものであった。過去において練習の虫といえば、昭和48年(73年)のセンバツで優勝した永川という投手がいた。これほど練習するやつはいないと思っていたら、今度は昭和55年(80年)に優勝した時、愛甲の影武者としての川戸がそうだった。とにかくこの2人ほどものすごい練習をした選手はいなかった。ところが、この上をいったのが、丹波だった。練習もしたし、勉強もできた文武両道の選手であった。今まで携わってきた選手の中でもその努力はNo.1といってもいいだろう。

その丹波を軸にオープン戦では負けなしの10連勝。順調にチームは仕上がっていった。忘れもしない平成7年(95年)8月16日の暑い日だった。千葉の中央学院へ試合に行ったのが、まさかその日が丹波との最後の別れになろうとは…。

上地雄輔の大事な思い出。|上地雄輔オフィシャルブログ「神児遊助」 Powered by Ameba
昔、練習のあと2人で一緒に帰ってる途中、マスコミとかファンがやんや言ってて
「うるさいなぁー」
とマネージャーみたいに丹波さんをボディーガードみたいに守り、イライラして歩いてた時。


丹波さんが言った。

『人の意見を気にしてたらキリがないぞ?俺達は人に感動させたり何かを感じさせたり元気にさせられる特別な立場にいるんだから、人にどう思われるかなんてどーでもいいんだよ。ただ感謝して自分のできる事をするしかないんだよ(^-^)』



「はぁー。やっぱカッケーっすね〜(T_T)難しくてよく分かんねーけど俺、絶対丹波さんみたいになります!!」



丹波さん
『ははっ♪下を見たらキリがないし上を見たらはてしないし。自分以上でも以下にもなれないんだから、お前はお前らしく頑張りな(^-^)♪』




「いつも言う事が難しいっす(=_=;)このままでいろって事?丹波さんになれねーじゃん。」


丹波さんはハハッと笑ってその会話は終わっちゃった。




そんな感じ。


下を見たらキリがない、上を見たらはてしない。

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上地 雄輔

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渡辺 元智
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徳川家茂がもっと評価されるべき9つの理由

Wikipediaの徳川家茂のページ見てたらステキエピソード満載だったので紹介します。タイトルはホッテントリメーカーから→徳川家茂がもっと評価されるべき9つの理由 5users(推定) - ホッテントリメーカー


徳川家茂
徳川家茂 - Wikipedia
・家茂はわずか20年の生涯であったが、幕末の動乱期の中をその若さで潜り抜けていることは高く評価されている。勝海舟からは、「若さゆえに時代に翻弄されたが、もう少し長く生きていれば、英邁な君主として名を残したかもしれない。武勇にも優れていた人物であった」と評価されている。

・幕臣からも信望が厚かったと言われ、家臣や女性や動物たちに至るまで非常に優しい態度で接する一方、剛毅な一面を持つ人柄が明治後に旧幕臣たちなどからさまざまな逸話で伝えられている。

・幼少の頃は池の魚や籠の鳥を可愛がるのを楽しみとしていた。しかし13歳の時に将軍として元服すると、それらの楽しみを捨てて文武両道を修めるように努めた。病弱な体なのにささやかな楽しみすら捨て、良い将軍であろうと心がけていた姿は幕臣たちを当時も没後も感激させたという。

・幕臣戸川播磨守安清は書の達人として知られた。そのため70歳を過ぎた老人ながら、推されて家茂の習字の先生を務めていた。ある時家茂に教えていた最中に、突然家茂が墨を摺るための水を安清の頭の上からざぶりとかけ、手を打って笑い、「あとは明日にしよう」と言ってその場を出て行ってしまった。同席していた側近たちがいつもの家茂にも似ぬことをすると嘆いていると、当の安清が泣いていた。家茂の振る舞いを情けなく思ってのことかと尋ねると、実は老齢のため、ふとしたはずみで失禁してしまったと安清は言った。当時の習慣として将軍に教えている真っ最中に尿を漏らしたとなると厳罰は免れないので、それを察した家茂は水をかけるいたずらでその失敗を隠し、「明日も出仕するように」と発言することで不問に処することを表明したのである。その細やかな配慮に感激して泣いているのだと答えたという(安清の親戚だった戸川残花が「幕末小史」の中に記している)。

・文久3年(1863年)4月、家茂は朝廷に命じられた攘夷実行へのデモンストレーションとして、大阪で幕府の軍艦順動丸に乗って大阪視察を行っている。この時順動丸を指揮していた勝海舟から軍艦の機能の説明を受け、非常に優れた理解力を示した。その折に勝から軍艦を動かせる人材の育成を直訴されると、即座に神戸海軍操練所の設置を命令した。さらに同年12月に上洛の際、勝の進言を容れて順動丸を使うことを決断した(その理由として前回の上洛において往路だった陸行では22日を要したのに対し、帰路順動丸を使った時にはわずか3日で江戸に帰れた事実がある。そのカルチャーショックが勝への信頼感へつながったとする説がある)。さらに航海の途中で海が荒れて船に酔う人が続出したため、側近から陸行への変更を奨められたが、この時「海上のことは軍艦奉行に任せよ」と厳命し、勝への変わらぬ信頼を表した。これらの信任に勝は深く感激し、家茂に対する生涯の忠誠を心中深く誓ったという。家茂の死にはショックと絶望のあまり、日記に「徳川家、今日滅ぶ」と記したほどである。その後も徳川家の保護と存続のため、気が合わなかった慶喜の助命に奔走し、晩年に至るまで徳川家の存続と名誉回復に尽力し続けた。晩年の勝は家茂の名を聞いただけで、病弱な体で激動の時代に重責を背負わされた家茂の生涯に「お気の毒の人なりし」と言って目に涙を浮かべたという。

・慶応元年(1865年)、兵庫開港を決定した老中・阿部正外らが朝廷によって処罰されると、その報復としてか、自ら将軍職の辞意を朝廷に上申している。このとき孝明天皇は大いに驚き、慌てて辞意を取り下げさせ、その後の幕府人事への干渉をしないと約束したという。

・ヨーロッパにおける絹の産地として知られたフランス・イタリアでは、1850年代にノゼマと呼ばれる原生生物が原因とする蚕の伝染病が流行し、両国の養蚕業は壊滅状態になった。これを知った家茂は、蚕の卵を農家から集めてナポレオン3世に寄贈した。フランスではルイ・パスツールがジャン・アンリ・ファーブルの助言を元に、日本の蚕を研究して病気の原因を突き止めるとともに、生き残った蚕同士を掛け合わせて品種改良を行った。

・文久2年(1862年)に公武合体策の一環として和宮と結婚。政略結婚ではあるが、和宮に対してたびたび贈り物をするなど非常に気を遣い、2人の関係は良好であった。徳川家歴代の将軍と正室の中で最も夫婦仲がよいといえたのは家茂・和宮であったといわれたほどである。

・墓地改葬の際に、和宮の墓の中から家茂と思われる男性の肖像写真が発見された。これまで家茂は義兄の孝明天皇に倣い写真は撮影していなかったとされていた。死の直前に大阪で撮影されたものと推定され、江戸にいる和宮に贈ったとみられる。発見の翌日に再度写真を検証しようとすると画像は失われており、そこにはガラス板があるのみだった。

徳川歴代将軍の中でもずば抜けて良いエピソードしかないところがすごいな。欠点が体が弱くて甘いもの食べすぎぐらいしか書かれてない。一生懸命職を全うして、人柄も良く、若くして夭折したような人は日本人は大好きですね。このエピソードの数々読んだら確かにグッと来るもんなー。和宮の墓所から写真発見→紛失のエピソードなんて、そんじょそこらの純愛ドラマ顔負けですね。映画化でもしたら製作者は100人が100人これをラストシーンにもってくると思う(笑)


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printとechoとか!=と<>とか同じような挙動をする命令や演算子

演算子の!=と<>ってリファレンスを読んでも、使ってみても同じ挙動(左辺と右辺が等しくないときにTRUEを返す)なのですが、これは好みで使い分けてもいいのかな。まぁ、いいか。いいってことにする。僕の好みとしては!=の方がふんいき感じ良いのでこっちを使うことにしようっと。

PHPを勉強しながら同じ挙動するものをちょくちょく見かけて一瞬戸惑い、ちょっと調べてみるけど違いが分からず、結局好みで判断している今日この頃なのですがいいのかな、これで。とりあえず動くもの作れればいいか。

そういえば、printとechoの使い分け方というのも独学初心者が最初の方で抱く違和感の一つですね。なんとなく最初に使ったprintの方が直感的に分かりやすいので使っていますが、みんなどうしているのかなと思い、ちょっとaboutmeでアンケート取ってみました。

まだ母集団が少ないのでアレですが、概ねprint派が多く、次いで使い分けている派ですね。
ググってみると、printは値を返す、echoは値を返さないという違いぐらいでやはり概ね一緒の挙動らしい。また、使い分けている人はprintを本文で、echoをデバッグ用で使っているという話があったので、そういう細かなTIPSでも独学者にはありがたい情報です。

とりあえずこういう事柄に悩んだら少し調べて、しかし些細なところだと思うので手を止めずに好みで判断してガシガシやっていくというのが良いだろうなぁと思う今日この頃。

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19世紀の英国、20世紀初頭の米国と同様に現代日本で自己啓発本が流行る背景とは?

「読書」という宗教〜レバレッジ、ライフハック、マインドマップ - 【海難記】 Wrecked on the Sea
むしろ、1940年にアメリカで出た、本の読み方をイロハのイから大衆に諭すような本(原書のタイトルはベタに「How to Read a Book」)*4が、2008年のいま日本でベストセラーになってしまうことのもつ「古さ」の感覚に、なんともいえない嫌な感じを抱いた。日本人の大衆的な読書力は、「1940年代のアメリカ合衆国」程度にまで落ちているのだろうか。

現在の書籍ブームの傾向について概ね同意です。この1940年代のアメリカ合衆国程度に"落ちている"かどうかは僕はよくわからないのですが、少なくとも人の心理に1940年代のアメリカと現代の日本で似たところがあるのだろうとは思っていました。その背景となる社会状況について漠然と以下のように理解しています。

高度資本主義が発達した社会の特徴はスピードで、時間の流れの中で、どれだけ速く、他人よりも多くの金銭的成功を、常に手に入れ続けるか、そのためにどれだけ効率的に時間あたりの生産性を高め、能率を上げていくかが重視されます。その真っ只中にあったのが例えば19世紀末の英国であり、20世紀初頭のアメリカであり、そして現代の日本もそれに類する状況下にあると思います。

スピードが重視され新しいことに価値を置く社会は、多くの人は成功のために常に走り続けようとします。その反面、スピードについていけなくなった人たちを多く生み出します。19世紀〜20世紀の欧米でも心を病む人が多く発生し社会問題になっていました。(→「Kousyoublog | 非常にあわただしい生活"Life at High Pressure"」)

また、近代社会は崇拝の対象が宗教から人格へと代わり、宗教や文化の差を超えて神聖な人格を持つという新たな道徳観の下で都市を形成することで旧来の宗教の力は弱まります。

社会のスピードについて行けない人、常に走り続けようとする人たちが旧来の宗教に代わって何か救いを求めていたとき、19世紀の英国で神秘主義が流行し、その流れを汲んでニューソートなどの自己啓発系ムーブメントが登場。その影響下にある書籍が20世紀初頭の米国でブームになり、その後ニューエイジなどを経て現代の日本でもブームになっている。

〜というざっくりな理解をしているのですが、おそらくそういう社会的状況になんらかの類似があって、当時の米国と現代の日本とで似たような自己啓発ブームがあるんじゃないかなぁと思います。

このあたり、まだ漠然と疑問として思っているだけなので色々間違った理解をしているところも多いかなと思います。よく調べたいのですが、いかんせん範囲が漠然と広すぎてなかなか考察が及ばずにいます。このあたりちゃんと理解出来ると今の自己啓発、ライフハックブームを突き動かす人々の心理の把握に繋がるんだろうけどなぁ。


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要は、傷つくのが恐いんでしょ?

タイトルは「要は、勇気がないんでしょ?シリーズ」からのインスパイアな感じです。はい。


傷つきやすい人はどうすれば強くなる?

僕は傷つくことを恐れる。同様に他者を傷つけることを恐れる。自分の一挙手一投足が誰かを傷つけたり自身を傷つけたりする可能性を恐れる。そのような過剰な自意識にがんじがらめにされて、僕は身動きが取れなくなることがおおい。傷つきやすいことの不都合とはそういう身動きの取れなさに直結することだとおもいます。


やさしさの精神病理 (岩波新書)
やさしさの精神病理 (岩波新書)
大平 健
「やさしさの精神病理」(P178)
人づき合いの技能としての"やさしさ"は、人が(自分も相手も)皆、傷つきやすい、ということを前提にしています。不用意に「親切そーなこと」をして相手を傷つけるのは"やさしさ"にもとります。お互いに相手を傷つけないように「気づかい」をすること。それが"やさしい人"どうしの"やさしい関係"なのです。
ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書 74)
ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書 74)
森 真一
「ほんとはこわい「やさしさ社会」」(P125-126)
現代人は「ひとそれぞれ」という思いを強く持っています。(中略)「ナンバーワンよりオンリーワン」という言い方に象徴されるように、現代社会では、ひとそれぞれの個別性が、もっとも大切なこととして宣伝されています。(中略)そもそも"ひとを傷つけてはならないこと"、"こころの傷"を強調する社会は、個別性を強調する社会でもあります。以前は、"お年寄りにはこうすればよい"、という多くの高齢者に応用可能な接し方がありました。それが「年寄りあつかい」です。けれども、"お年寄りにもいろんなひとがいるのに、ただ見た目だけで「年寄りあつかい」され、傷ついたひとがいる"というようなことが叫ばれ始めました。このように"ひとを傷つけることがいかにひどいことか"と「ひとそれぞれ」は同時に強調されるのです。
「ひとそれぞれ」で"他者を傷つけてはならない"のであれば、ひとはかなり慎重に行動しなければならなくなります。高齢者だからといって、ひとくくりにはできません。目の前にお年寄りがいる、席を代わったほうがいいかな、でも、老人あつかいされたくないかもしれない。席をゆずったら、気を悪くするかも。どっちなんだろう。そう考えれば、慎重になるほかありません。

社会がこうだから傷つきやすい、などと言うつもりは全くありませんが、こういう「人それぞれ」という個別性に対して敏感であるが故に何も出来なくて結果として何も出来ず「やさしくな」くて「鈍感」となり、その何も出来なかった自分を悔いることが多い。自分のやさしくなさを責める。逆に人に配慮されることは、その配慮した人の心遣いが心苦しくて、その心苦しさを恐れるが余り、人に配慮させないように振舞おうとする。

「やさしさの精神病理」(P188)
"やさしい"人が優柔不断なのは、自分が決断した結果失敗して、後悔する羽目になるのが、恐いからです。自分で自分の気持ちを傷つけることになるからです。

そう。自分を傷つけることを恐れる余り決断することを恐れる。しかし、回避すればするほどさらに大きな壁として決断を迫られる。そこで恐怖を堪えて何らかの決断をすることになるのですが、その決断はいざ決断してみると失敗してもそれほどのダメージにはならない。しかし、それでも決断を恐れることはなかなか治らない。ただ、自分自身が傷つくことについてはそれほどのダメージを感じなくて、人を傷つけたのではないか、傷つけようとしているのかもしれないと思うことに傷つくことが多い。

「やさしさの精神病理」(P201)
自分の価値に始まって自分の判断や行為にいたるまで、一様に「とりあえず」や「いちおう」で塗り固めてしまって・・・・・・。なんだか、彼らが彼ら自身のすべてをかりそめのものとしか考えていないように思えてくるのです、そう思って尋ねてみると、実際彼らが「本当の自分」を見失ったように思って「自分」に確信をもてないでいることが分かります。
「やさしさの精神病理」(P205)
何らかの小さな挫折、例えば失恋などを契機に、「とりあえず」のものとはいえ唯一の自分の「価値」が否定されたように感じる"やさしい"人々というのは多いものです。そうした時、彼らはどうするか?たいていは、これまでの「自分」の暮しや望み、いや「自分」のすべてが「とりあえず」のものでしかなかったことを、今さらながらに索漠とした気持ちで思い出します。「本当の自分」はここにはない。「本当の自分」を探しにいこう。そう、考えます。

僕は「本当の自分」など存在しないと思っていますが、しかし、自分はかりそめのものだという価値観は確かに強いのです。人は確固とした自分などという枠組みはなく、漠然としつつ世界と繋がっていて、限りある時間を誰もが過ごしている、それ故に人を傷つけることは取り返しが付かないという恐れを抱いてると思います。他者を傷つけること、傷つけるかもしれないことに自分自身が傷ついていて、その恐れに身動きが取れなくなっているので、その呪縛をなんとかしたいのですが、人や社会を理解していくことでその呪縛から解き放たれるかもしれないという気持ちが僕の興味を人の心理や社会学や歴史、民俗、人類学などへと向けていることに気づいた。得体の知れない人という存在を理解することで傷つく/傷つけるという呪縛から解き放たれたいという切実な思いがある。

要は、傷つくのが恐いんでしょ?

いや、実は人が恐い。古代人が神仏を畏れるが如くに。傷つくこと/人を傷つけることへの恐怖は未知のものへの恐れに近いのではないだろうか。ならば、傷つけない/傷つかないために人について学び、人の間に入っていくことこそ傷つかない人になる近道なのかもしれないと思います。


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コミュニティの秩序維持機能としての悪口祭

日本にはかつて悪口祭という行事が各地で開催されていました。悪口祭の定義は以下の通りです。

〈悪口〉という文化」(P48)
「祭に参詣した者が、互いに悪口を言い合ったり、舞っている者に悪態をついたりするのが特徴となっている祭」
「参詣人同士が互いに悪口の言い合いをし、言い勝った者が福運を得るという信仰で行われる祭」
「祭の日に限って悪口を言い合い、言い勝った方が福運を得るとされる行事」

栃木県足利市の最勝寺悪口祭、京都市八坂神社の削掛の神事(白朮(おけら)祭)、茨城県岩間町の岩間悪態祭、奥三河(愛知県北設楽郡一帯)の花祭、名古屋市中村区七所社のきねこさ祭、島根県安来市の清水寺の喧嘩祭など記録に残っているがすでに無いもの、あるいは現在でも残っているものなど悪口を言い合う祭りは数多くあったようです。また、悪口祭だけでなく、宮城県塩竈市塩竈神社のザットナや、千葉市中央区の千葉寺で行われた千葉笑いなど日ごろの不行跡を言い合う行事なども含め、全国各地に悪口を言いあう習慣がありました。これらはいずれも江戸時代中期以降に始まったもののよう。

その悪口祭の特徴は以下の四つ


1)言ってはいけない悪口(タブー)がある
P161
一つは、悪口の中でも口に出してはいけないものがあるということである。(中略)最勝寺悪口祭では泥棒・姦夫・癪病という言葉が禁句だったし、あるいはすでに紹介した近年の資料によっても、泥棒とか貧乏など「―ぼう」という類の言葉が禁句だと伝えられている

2)発言者の匿名性の保障
P161-162
削掛神事の場合、わざわざ灯火を消して暗闇の中で行うことになっている。これは発言者が特定されて無用な争いを招かないようにという配慮に基くものであろう。この点は、最勝寺悪口祭や岩間悪態祭などにも共通する。もともとこれらの行事は夜間に行われるものなので、照明の不備な近代以前であれば、特に配慮しないでも発言者を特定される心配はないとも言えるが、わざわざ注意されている点で、そうした匿名性への配慮が重要であったことはうかがえる。さらに一般的な悪口祭ではなく、不行跡を知られた特定の個人を攻撃する千葉笑いなどの事例では、確執を後日に持ち込ませないために、発言者を特定させない工夫は、より深刻な意味を持っていた。たとえば千葉笑いでは、顔を隠し、頭を包み、風体も変えて集まるといわれているには、そうした努力を示すものにほかならない。

3)集団による発言

発言者自体が子どもたちだったり、流れ歩く僧侶(雲水)たちだったりと集団で悪口を言うものも多くあったようです。集団で発言するため、

P162
発言者を直接の怨恨のしにくい。(中略)これらの行事ではいずれも何らかの形で、発言者を保護し、あるいは発言者と対象者との確執を避ける仕組みができているともいえる。

4)実力行使の禁止

悪口祭に伴う実力行使が禁止されていた。

P162-163
何を言われても怒らぬ(岩手県平泉町の毛越寺摩多羅神祭)
何を言われても手出しはしない(岩間悪態祭)
手出しは厳禁(島根県安来市の清水寺喧嘩祭)
絶対に手出しはしない(愛知県豊川市の豊川稲荷喧嘩参籠)

悪口祭の悪口はあくまでも祭という非日常的な場における発言であって、それは日常の場に持ち越されることなく解消されなければならない性質のものだからである。(中略)かつての悪口祭は一般的に、村あるいは集落といった参詣者が相互に面識を持ち、各人の行動についても秘密にしておくのが困難な対面社会の祭である場合が圧倒的であった。
そうした祭にあっては、祭の後の日常的な交際にまで対立を持ち込まないためには、何らかのルールがなければ、社会の安定がそこなわれてしまう。そこに匿名性の保障と並んで、実力行使の禁止が必要とされる条件があったのである。

悪口祭は「集団による特定の不行跡や個人の制裁」という色彩が強くその対象は「道徳的不品行、不行跡」に限られていました。「司法・警察的な制裁システムが完全に整備されない状況で、その不備を補うための補助的なシステム」であり、神の名の下に悪口を言うことで規範から外れている人に社会的な制裁を与えていました。そして、悪口を言われた者は自身の不行跡を慎むようになっていました。

P72
現代であれば個人に対する理由のない誹謗・中傷としか考えられない、このような非難も、かつては逸脱者に対する規制として、村全体の秩序を維持する上での正当性を認められていたのである。

前近代の日本の農村社会においては共同体の維持が最上の価値観であったため、個人という意識はとても薄かった。明治維新以降、個人主義思想が西洋から輸入され、全国的な司法・警察官僚機構が整備されていく過程で旧来の共同体が解体され、それにあわせて悪口祭も姿を消していくのは必然だったのだろうと思います。

それに対して、かつての武士社会は何よりも名誉を重んじ、悪口を言われたら即決闘に繋がっていました。日本の司法制度の歴史は武士同士の決闘を抑え法廷の場に持ち込んで解決していく歴史(御成敗式目の悪口罪など)だったと言って良いようです。そして、様々な点において、明治維新とは個人主義思想の名を借りて、共同体中心の農村社会に個人の名誉を重んじる旧来の武士的価値観を浸透させる側面があったと思います。

しかし、個人をどれだけ尊重しようとも人が集まるところに共同体が生まれ、共同体を維持しようという働きが生まれます。共同体重視社会だったところに個人思想を輸入した結果の矛盾が現代の「空気」という得体の知れない圧力に繋がっているように思うのですが、その「空気」について考え、共同体を維持しようと言う指向と個人を尊重しようという指向との折り合いの付け方について、この悪口祭という過去の事例は様々な示唆に富んでいるのではないかなぁと思います。

規範を共有する共同体において、充分コントロール可能な条件下で、適切なタブーを守った形で言いたいことを言い(可能ならば匿名で)その場限りで後を引かずに完結する非日常的イベントがあると少しはマシかもしれないなぁ。と思ったり。

ただ、結局のところ、すでに共同体の維持を最上の目的とする農村社会的価値観はすでに崩壊しており、個々の名誉を傷つけないことを最上とする同調圧力(=空気)のみが残っている現代の状況を考える場合、日本的武士型個人主義に変わる新たな個人主義が現われない限り、あるいは日本的個人自体が解体され無い限り根本的解決に至らないのだろうなぁと思います。そして漠然と日本社会は後者の方向に進んでいるように思いますが、またそれは別の話として。



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【2008年4月】当ブログ記事別アクセス数ランキング

Google Analitycs調べ、当ブログ2008年4月のPV数ランキングです。

Kousyoublog | 文系素人ですがPHP勉強始めました。」の記事はこんなに反響があるとは予想してなかったなぁ。みんなスキルアップに対して強い関心があるんですねぇ。また、そういえば4月は本の感想を書いていないですねー、本の内容を元に色々記事は書いたのですががっちり本と向き合って感想書こうとするとどうしても時間取られちゃうからなぁ。とは言え、今借りている本の感想は出来る限り書きたいです。



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読みたい本「団地が死んでいく」「稲作渡来民―「日本人」成立の謎に迫る」「社会学の名著30」

今月の新刊で読みたい本三冊。

団地が死んでいく (平凡社新書 415)
団地が死んでいく (平凡社新書 415)
大山 真人

先日も今、何故だか団地ブームということを書きましたが、団地という形態が今、消え行く何かの象徴として人をひきつけているのかもしれないと思いました。夫婦と子供だけの完全なる核家族の最初の消滅の時期が今来ていて、そういう消え行くものへのノスタルジーみたいなのを団地が感じさせているのかなと。ということで、この一冊、興味あります。


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稲作渡来民―「日本人」成立の謎に迫る (講談社選書メチエ 411)
稲作渡来民―「日本人」成立の謎に迫る (講談社選書メチエ 411)
池橋 宏
「日本人」はどこから来たか
イネ学・考古学・言語学から総合的にアプローチ

米を主食とする「われわれ」のルーツはどこか。長江下流→山東半島→朝鮮南西部→北九州。舟を繰り稲作とともに漁撈を生業とする「越」系の人びとにその鍵はある。イネ学に加え、考古学・言語学の最新の成果を渉猟し、「日本人」成立の過程を総合的に描く。

ミトコンドリアを辿ると、我々日本人の大多数が中国南部から東南アジア一帯に掛けての人々と同一のDNAを持っていることが分かっています。(→Kousyoublog | 「日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造」篠田 謙一 著)照葉樹林文化説などでも東南アジア説が採られていますが、この本ではどうでしょうか。日本人のルーツについてはとても強く興味を持っています。



社会学の名著30 (ちくま新書 718)
竹内 洋

この本、書店で見かけて少しパラパラと読んでみたのですが、とても良さそう。社会学的思考を身につけるための読書ガイドとして、なかなかいいのではないかと思いました。ちゃんと読んでみたい。そういえば、社会学系の本で良書と言えるのってほぼ読書ガイドとしても一級な気がします。

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安吾文学碑の一節に込められた坂口安吾の業

北沢川緑道沿いに代沢小学校という公立の小学校がある。作家になる以前の坂口安吾が20歳のころ、ここで一年間代用教員として勤めていた。その縁で、現在、坂口安吾文学碑と坂口安吾がかつて住んだ「蒲田の家」(現大田区東矢口二丁目)の門柱がここに置かれている。

坂口安吾文学碑

文学碑に書かれた一節「人間の尊さは自分を苦しめるところにある」は「風と光と二十の私と」からの引用なのだが、妙な違和感を覚えた。こういう教条的な言い方と坂口安吾がなかなか結びつかなかったからだ。その理由は「風と光と二十の私と」を読んでみるとわかる。「風と光と二十の私と」は後年坂口安吾が代沢小学校教員時代を回顧して書いたエッセイだ。


風と光と二十の私と (講談社文芸文庫)
風と光と二十の私と (講談社文芸文庫)
坂口 安吾
風と光と二十の私と

私は放課後、教員室にいつまでも居残っていることが好きであった。生徒がいなくなり、外の先生も帰ったあと、私一人だけジッと物思いに耽っている。音といえば柱時計の音だけである。あの喧噪(けんそう)な校庭に人影も物音もなくなるというのが妙に静寂をきわだててくれ、変に空虚で、自分というものがどこかへ無くなったような放心を感じる。私はそうして放心していると、柱時計の陰などから、ヤアと云って私が首をだすような幻想を感じた。ふと気がつくと、オイ、どうした、私の横に私が立っていて、私に話しかけたような気がするのである。私はその朦朧(もうろう)たる放心の状態が好きで、その代り、私は時々ふとそこに立っている私に話しかけて、どやされることがあった。オイ、満足しすぎちゃいけないぜ、と私を睨むのだ。
「満足はいけないのか」
「ああ、いけない。苦しまなければならぬ。できるだけ自分を苦しめなければならぬ」
「なんのために?」
「それはただ苦しむこと自身がその解答を示すだろうさ。人間の尊さは自分を苦しめるところにあるのさ。満足は誰でも好むよ。けだものでもね」
 本当だろうかと私は思った。私はともかくたしかに満足には淫していた。私はまったく行雲流水にやや近くなって、怒ることも、喜ぶことも、悲しむことも、すくなくなり、二十のくせに、五十六十の諸先生方よりも、私の方が落付と老成と悟りをもっているようだった。私はなべて所有を欲しなかった。魂の限定されることを欲しなかったからだ。

毎日満足した生活を送りながら、徐々に鎌首をもたげてくる転落への欲求。いつしかもう一人の自分が現われ、悪魔の囁きに悩まされるようになる。そういう、もう一人の安吾が安吾自身を堕落へと誘うためうそぶいた言葉が「人間の尊さは自分を苦しめるところにあるのさ。」だ。この言葉に絡め取られていくように、もう一人の安吾は安吾自身を圧迫していく。

風と光と二十の私と

君、不幸にならなければいけないぜ。うんと不幸に、ね。そして、苦しむのだ。不幸と苦しみが人間の魂のふるさとなのだから、と。

そして彼は、「ふと現れて私に話しかける私の影に次第に圧迫され」、教員生活を辞して作家の道に入っていく。

なぜ、この言葉を途中で切り取って教条的な雰囲気を持たせたのかはよくわからない。ただ、あえて代沢小学校の代用教員時代の安吾の闇の部分を抜粋して刻んでいるという事実がある。そして、この碑を見て坂口安吾に興味を持った者が、抜粋された一節の由来を調べたとき、坂口安吾が葛藤する姿に直面せざるを得なくなるのだ。こういう効果を狙ってこの言葉を選んだのだとしたら、とても坂口安吾に精通した方なのだと思う。PTAなどに真意を知られると眉を顰められるかもしれないが、そのときは坂口安吾に習って同じ作品から『「必ず裏側に悲しい意味があるので、決して表面の事柄だけで判断してはいけないもの」という趣旨ですよ』とかなんとか言っておけばいいですよね(笑)

坂口安吾に思いを馳せることが出来る文学碑でした。

もし、たとえば少年達へのお説教というものを、自分自身の生き方として考えるなら、とても空虚で、つづけられるものではない。〜坂口安吾「風と光と二十の私と」より


安吾文学碑

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日本は1000年以上若者の非行に寛容な社会だった

かつての日本は若者の非行に寛容な社会だったようだ。
村々では若者組と呼ばれる十五歳〜二十五歳ぐらいまでの男子で成り立っている集団が広く存在していた。そして若者宿と呼ばれる若者たちの集会所が村の中に提供され、村の警備活動や神事、婚姻の仲介や段取りなどを行っていたが、時にその若者組が集団で大暴れすることもあったという。

「暮らしの中の文化人類学」(P165〜166)
戦前、自分たちの行動をうるさく言ったり、若者に酒手を充分はずまない家から、夜分こっそり石臼を持ち出して遠くの田の中に捨てたり、天水を溜める水がめを持ち出して、火の見やぐらの上に持ち上げるなどしたという。家の者は困って酒代を払って、青年たちに再び元の所へ持って来てもらわなければならなかった。(中略)

ところが面白いことに、盛んに「非行」をしていた若者達が若者組を退会すると、すっかりそれらの行為をやめてしまうのである。(中略)

つまり、若者組の「非行」や横暴は、やっている者たちにとっては真剣で本気なのだが、客観的に見ると「制度化」された「非行」であり、若い時期に何をやろうと、後あとまでその人の人生に傷を残すことにはならなかったのである。そして、若者宿は、思春期の子どもを、ある時期だけ、枠はあるとは言いながら、家族からそして村落の厳しい規制から切り離す役割をし、一方では一人前のムラの成員として育ってゆくための修養をさせながら、他方では限度ギリギリまで、社会的なルールを無視する行為を若者たちに許す場を提供したことになる。

暮らしの中の文化人類学 平成版
暮らしの中の文化人類学 平成版
波平 恵美子

また網野善彦の異形の王権でも平安時代の子供、若者はかなり自由にある種アンタッチャブルなものとして扱われていたとしている。

「異形の王権」(P55)
童たちは飛礫を打ち、人を凌礫し、互いに闘乱するなど、まさしく「大人たちの統制」から外れ、「誰にも拘束され」ず、「天衣無縫」に動き廻って、検非違使たちを東奔西走させており、(中略)殺生禁断を犯して魚を取ったため数日の間拘禁された童部たちが免ぜられたことも記されている。

異形の王権 (平凡社ライブラリー)
異形の王権 (平凡社ライブラリー)
網野 善彦

若者(童は子供の他、童の格好をした童形も含む)たちは自由に非行、時には大暴れしながら、ほとんど罰せられていなかったようだ。

中世でも同様だったようだし、少なくとも平安時代〜昭和30年代ごろまでは日本社会はどうやら、若者の非行はある程度止むを得ないと考えて、(勿論、その時々の政権は取り締まろうとはしていたようだが)許容するような体制だったと思われる。で、例えば若者の犯罪が増えているとマスコミが強調したりするところの遠因は、そういう若者のそもそもの非行を許容しない体制に移行しつつあるということが背景にあるんじゃないかなと。


「暮らしの中の文化人類学」(P166)
家庭でも学校でも、子供は監視や干渉や保護はされても、かつての若者たちのように適当につき放し、勝手に振舞わせ、しかし、自分たちの立場や役割は絶えず意識させておくというようなことはない。そのような機能を備える集団は、今の都市社会のどこにもないのである。(中略)若者宿は若者たちがそろってうち込めるような「非行」も教えてくれるが、同時に社会の一人前の成員となった時の技術や知識や生きていくうえでの知恵を教えてくれる先輩がいた。

「日本はなぜ諍いの多い国になったのか」(P232〜233)
かつての地域社会や年長者は「限度ギリギリまで、社会的ルールを無視する行為を若者たちに許す場を提供」しました。他方、現代の年長者はそのような時代が存在したことを忘れ、「社会的なルールを無視する」若者の行為を、予定調和を乱す「リスク」「コスト」としかみなさなくなったのです。


日本はなぜ諍いの多い国になったのか - 「マナー神経症」の時代 (中公新書ラクレ (184))
日本はなぜ諍いの多い国になったのか - 「マナー神経症」の時代 (中公新書ラクレ (184))
森 真一

若者の非行は「止むを得ないものとして許容する体制」がおそらく1000年以上続いてきて、現代は「発生してはならないとして許容しない体制」へと移行しつつある、あるいはそうなっているという認識で間違いないのではないかと思います。或いは平安時代のやりたい放題から江戸〜昭和初期にはコントローラブルな制度化に組み込んできた訳で1000年かけて若者の非行を減らそうとしてきたといえるのかもしれません。

そういう社会背景で、いくら発生件数が下がっていようとも、一件たりともおきてはならないというような意識になって、若者の犯罪を喧伝するマスコミだったり、それに同意する人々があるんだろうな、と思う。

若者が暴れたりあるいは犯罪を犯すのは、被害者になりたくないですし、関わりくないので、無いに越したことはないのですが、そもそも発生しないようにすることは可能なのだろうか。ほんの50年程度前まで若者が社会的ルールを無視する行為を許してきた社会を続けていたのに、許さない体制へと転換することは果たして現実的なのか、という視点で考えることは重要だろうと思うが、今のところ僕はよくわからない。どうなのだろう。

社会ルールから或る程度逸脱しても許す社会か、社会ルールからの逸脱を許さない社会か、そして許すとしたらどの程度まで許すか、という論点はあっていいように思うのだけど、そういう話自体タブーなところあるなぁと思う。



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「やさしさの精神病理」大平 健 著

精神科医として様々な患者と接する過程で著者が感じた新しい"やさしさ"の姿を浮き彫りにした一冊。

著者はやさしさが変貌を遂げたのは1970年代だという。(やさしさという言葉の変遷については→「Kousyoublog | 「日本人は「やさしい」のか―日本精神史入門」竹内 整一 著」)1970年代前後、社会の閉塞状況の中でお互い傷ついた弱いもの同士であり、慰めあい癒しあう「互いの傷を舐めあうようなやさしさ」が求められ始める。その後人々は、様々なモノが小さな傷であっても新品として認められなくなるように、人間の心も傷つくと取り返しがつかないと思うようになり、人を傷つけないことこそやさしさだと考えるようになる。(このやさしさの変化について社会構造の面から分析したのが→「Kousyoublog | 「ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書 74)」森 真一 著」)

「やさしさの精神病理」(P167)
傷つくのを恐れること。それはモノやカラダにとどまらずココロにも及びました。「傷ついた!」「傷つく!」という言葉に、わざわざ「心が!」とつけるまでもないほどに、人々はココロが傷つくことに敏感になっていたのです。
こういう風潮の中で、やさしさもさらに変化してゆきます。それは、治療としての「やさしさ」から予防としての"やさしさ"への変化でした。お互いのココロの傷を舐めあう「やさしさ」よりも、お互いを傷つけない"やさしさ"の方が、滑らかな人間関係を維持するのによい。そういうことになったのです。

旧来の「治療的やさしさ」の人は熱い思いを好み、新しい「予防的やさしさ」の人はそれが苦手です。著者は前者をホット、後者をウォームと表現しました。

例えば、人が苦しんでいるとき、治療的やさしさの元では「大丈夫?」「元気だそうよ」「頑張れ」「なんでも相談してよ」など言葉を掛けることが「やさしさ」であり、かけられる側もそのやさしさを期待しているし、言葉によって励まされます。それに対して予防的やさしさの元では人が苦しんでいたらいらぬ言葉をかけずそっとしておいてあげようとする。または言葉を掛けず、暖かい沈黙でそっと見守るような非言語的な面を酌みとって対応をすることが現代の「やさしさ」と言えると思う。

「やさしさの精神病理」(P175)
"やさしさ"にとって、コトバはお互いを傷つけうる危うい道具です。人々は、お互いの気持に立ち入らぬよう細心の注意を払いながら、空疎なコトバを交す一方で、コトバのいらぬウォームな関係を大切にするのです。

「やさしさの精神病理」(P178)
人づき合いの技能としての"やさしさ"は、人が(自分も相手も)皆、傷つきやすい、ということを前提にしています。不用意に「親切そーなこと」をして相手を傷つけるのは"やさしさ"にもとります。お互いに相手を傷つけないように「気づかい」をすること。それが"やさしい人"どうしの"やさしい関係"なのです。

非言語的コミュニケーションを重視して相手を傷つけないように振舞うことが現代のやさしさであり、そういう規範の元で「空気を読む」ことが求められるようになっているのでしょう。

やさしい人は人を傷つけ、自分が傷つくことを恐れる余り決断や間違いを犯すことを回避する傾向が強くなる。「いちおう」「とりあえず」「〜みたい」など曖昧な言い回しを使って自分の判断を仮の見解であるようによそおうことが多く、これは相手と距離を置くための無意識の工夫なのだろう、と著者は指摘する。そして、

「やさしさの精神病理」(P201)
自分の価値に始まって自分の判断や行為にいたるまで、一様に「とりあえず」や「いちおう」で塗り固めてしまって・・・・・・。なんだか、彼らが彼ら自身のすべてをかりそめのものとしか考えていないように思えてくるのです、そう思って尋ねてみると、実際彼らが「本当の自分」を見失ったように思って「自分」に確信をもてないでいることが分かります。

「やさしさの精神病理」(P205)
何らかの小さな挫折、例えば失恋などを契機に、「とりあえず」のものとはいえ唯一の自分の「価値」が否定されたように感じる"やさしい"人々というのは多いものです。そうした時、彼らはどうするか?たいていは、これまでの「自分」の暮しや望み、いや「自分」のすべてが「とりあえず」のものでしかなかったことを、今さらながらに索漠とした気持ちで思い出します。「本当の自分」はここにはない。「本当の自分」を探しにいこう。そう、考えます。

この「やさしさ」から「自分探し」へと繋がっていく人々の傾向や思いを精神科医の立場から本質的に見抜いていてとても興味深い。(「自分探し」については「Kousyoublog | 「自分探しが止まらない」速水 健朗 著」)しかし、このやさしさの形はさらに変化しつつあるのかもしれないな、というのを先日「Kousyoublog | 「なぜ若者は「半径1m以内」で生活したがるのか? 」岸本 裕紀子 著」を読んで思った。行き過ぎたウォームな関係性としての「予防的やさしさ」から上記の「半径1m以内」世代は脱却しつつあるかもしれない。それはホット→ウォームと来てクールな関係性。そもそも広い範囲の関係性を持たず、自己内で完結させ、孤立を選ぶ人たちが徐々に増えていくのではないだろうか。そして、そういう関係性の解体は近代社会の自然な流れかもしれないなと思う。そのサイクルの果てに関係性に関して新しい価値観が登場するのではないだろうか。どんな価値観かはまだわからないが。

この「やさしさの精神病理」で書かれた我々の世代は空気を読むことに専念し、相手も自分も傷つけない振舞いに心を砕き、そして自分探しに明け暮れて退場していくのだろうか。現状に対してそのような暗鬱な気持ちも抱かされたが、まさしく今を切り取った名著で、ここで取り上げられる様々な事例は、実に具体的で、読み返すごとに、自己に関して様々な発見があるように感じました。特にぬいぐるみ少年の話が好きです。ということでオススメの一冊。



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生まれ変わるためには死なねばならない

人気な増田談義 - finalventの日記
あと、増田社会人一年生が懸念しているスキル向上はないかもしれないは、案外徐々に精神をむしばんでいく。これは人間の個性化なんで、そうならない人もいる。なるときはものすごい不幸や不運の形をとって、いったん死ぬしかないかというふうに、個性化が死の相貌して立ちふさがるよ。でも、振り返るとそこから自分の人生が始まる。

これ、よくわかる。というか振り返って考えてみるとあのときがそうだった、となるだけで当時は苦しいだけなのだけど。河合隼雄氏の「生まれ変わるためには死なねばならない」という言葉を思い出した。
こころの処方箋(P122〜125)
自分の内的体験としては、死んで生まれ変わったと表現したくなるような劇的な変化が生じることがあるのも事実である(中略)

堅い自分が死んで、少し柔軟性がでてきた、などと答えた人もある。あるいは崖の途中で草にしがみつき、何とか上へ登ろうともがき苦しんでいたが、思い切って両手を離すと、何のことはない草地に軟着陸し、そこには新しい世界がひろがっていた、と答えた人があって、感心させられた。もっとも、両手を離したら奈落に向かって墜落ということもある。いつもいつも同じ方法が成功することはないのを、われわれはよく知っていなくてはならない。象徴的な死と再生の過程の背後には、実際の死が存在しているのである。肉体的死を回避しつつ、象徴的死を成就することが必要で、ただただ「死」を避けていたのでは何事も成らないのである。

こころの処方箋 (新潮文庫)
こころの処方箋 (新潮文庫)
河合 隼雄

ただ、生まれ変わりました!自分は変わった!とかいうことは全くもってなくて、本質的なところは何も変わらない。そもそも変わるべき自分という存在は無いと思う。変わったのは全体的なあり方とか、関係性とか、捉え方とか、つまり自分をとりまく情況と関係性が大きく変わったと言えるかな。繋がりを意識するようになったというか。

権力については・・・行使する機会が与えられたが上手く向かい合うことは出来なかった。向いていなかったなと思う。しかし、また向かい合うべきときは形を変えて現われるのではないかと思っている。あまり向かい合いたくないと思うのだけど、多分必然的なものだろうなぁと。

ということで生まれ変わるためには死なねばならない、しかし生まれ変わっても本質的には自己は何も変わらない。全体的なあり方と関係性が変わるだけ。だと思う。

まぁ、そういうこともあって「自分探し」や「自己の成長」は幻想で、様々な関係性の中で自分の在り方を実感していくことに重要性があると思っている。まぁ、各々それを追い求めることを否定するつもりはない。現代においてはそれも一つの生き方だと思うから。「自分探し」は本来流動的な関係性を外部と分断して固定化しようとする試みであり、成長と思っているものは成長と引き換えに失っているものがあって、関係性が変わっただけだと思う。とはいえ「進歩のかげに退歩しつつあるもの」(by宮本常一)に目を向けられるようになるには、やっぱり「死なねばならぬ」のかもしれないなぁと思う。

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借りた本「花粉症は環境問題である」「やさしさの精神病理」「日本はなぜ諍いの多い国になったのか」

今日図書館から借りてきた本。「花粉症は環境問題である」は読みやすくて早々と読了。よく調べられててわかりやすかった。近々感想書く予定。
「やさしさの精神病理」も読みやすく、今第一章を読んだところ。おもしろい。

花粉症は環境問題である (文春新書 619)
花粉症は環境問題である (文春新書 619)
奥野 修司

やさしさの精神病理 (岩波新書)
やさしさの精神病理 (岩波新書)
大平 健

日本はなぜ諍いの多い国になったのか - 「マナー神経症」の時代 (中公新書ラクレ (184))
日本はなぜ諍いの多い国になったのか - 「マナー神経症」の時代 (中公新書ラクレ (184))
森 真一

下二冊は「ほんとはこわい「やさしさ社会」」繋がりで日本人の「やさしさ」を探求するマイブームの過程で読みたいと思った本。っつーか、前々から書いてる通りネットワーク科学関連の本も読みたいのだけど、まだ図書館は予約詰まっている模様。とはいえそろそろ僕の番まで来るんじゃないかなーなんて思っているので、借りた本は早めに読了せねば。

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「なぜ若者は「半径1m以内」で生活したがるのか? 」岸本 裕紀子 著

30代はロストジェネレーションと呼ばれているが、その下の世代10代後半から20代半ばの若者たちは安定志向で自分で手が届く範囲の「半径1m以内」でこぢんまりと生活するのが好きだという。そんな若者たちのライフスタイルと若者たちをとりまく現代の競争社会について考察した一冊。

基本的に「半径1m以内」で生活する若者たちのライフスタイルを賞賛するスタンスで書かれていて、そんな若者たちのライフスタイルと対立する形での今の競争社会のいびつさを描いて対比させる内容になっているのだけど、何故そのような「半径1m以内」の生活スタイルになったのか、というところには上手く踏み込めていない。

しかし、競争社会の現状については上手く捉えていると思う。
私たちが暮らす社会は、かつての「限定的な競争のある秩序だった安定的な社会」から「競争そのものをベースにした変化の大きい社会」に移行し、それに伴って個人が影響を受けてしまう(P64)

かつての競争は
結果について見通しがたちやすく、意外性はとても少ない(P60)
戦う範囲と競争相手が明確な、単線的な競争(P59)
だった。

それに対して
現代の競争は全方位的といえるのである。
競争の場面はいつ何どき、どのような形でやってくるのかわからない。競争相手も謎である。自分が望む競争にはアクセスできず、逆に望まない競争に組みこまれてしまうことも多い。しかしどのような事態に遭遇しようと、自分はいつでもスタンバイOKの状態で構えていなければならない。(P61)


現代社会はいびつながらも全方位的競争社会に突入しているが、全方位的競争社会での先の見えなさから若者たちは「未来」よりも「今」の心地よさを重視するようになり、競争社会と距離を置いて「半径1m以内」での生活を好むようになったというのが著者の主張で、一面においては正しいと思う。ただ、そのライフスタイルは、果たして95年の経団連発表『新時代の「日本的経営」』や99年の派遣法改正などに端を発するここ10年で成立しつつある新しい競争社会によって生まれただけのものだろうか?

もう少し複合的な理由があるのではないだろうか、と思う。

一つは森真一氏が「ほんとはこわい「やさしさ社会」」で書いたような楽しさ至上主義と自己目的化が要因としてあって、それは内山節氏が「「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」内山節著」で書いたような共同体の解体過程を経てきたことが契機だろうと思う。

共同体の解体と個の尊重(人格崇拝)→人生の自己目的化→今を重視した生き方
という大まかな流れが背景にあるのではないか。

今を重視する社会構造の変革がなされて来ながら、これからは競争社会で未来志向で頑張りましょう。ではギャップが生まれるのも当然というか。その一方で「半径1m以内」の生活とは正反対に前のめりに行く人たちというのも多く居て、それはロスジェネ世代なのだろうと思う。速水健朗氏が「自分探しが止まらない」で書いたような。

現代的な競争社会は一因ではあるけども、もうちょっと長いスパンで語られるべき志向性で、それは明治維新から始まる近代化の一つの完成形あるいは落し子的ライフスタイルなのではないかと思う。加速する社会(関連→「時間意識の近代―「時は金なり」の社会史」西本 郁子 著」)ゆえに生まれた一つの考え方で、それが現代社会でどのような影響を及ぼしていくのか、もう少し検証が必要だろう。

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「時間意識の近代―「時は金なり」の社会史」西本 郁子 著

明治維新前後に日本を訪れた英国の外交官アーネスト・サトウは日本との交渉の過程で、日本における時間に対する感覚を以下のように記した。
当時は一般の人々は時計を持たなかったし、また時間の厳守ということはなかったのである。二時に招かれたとしても、一時に行くこともあり、三時になることもあり、もっとおそくでかける場合もよくある。実際、日本の時刻は二週間ごとに長さが変わるので、日の出、正午、日没、真夜中を除けば、一日の時間について正確を期すことはきわめてむずかしいのだ。


こう評された日本の時間に対する意識が、明治から現代に至る近代化の過程でどのように変わってきたかを、詳細に調査し見事にまとめあげた大著である。

産業革命に端を発した高度資本主義が発達した社会の特徴はスピードだ。

時間の流れの中で、どれだけ速く、他人よりも多くの金銭的成功を、常に手に入れ続けるか、そのためにどれだけ効率的に時間あたりの生産性を高め、能率を上げていくかが重視される。

明治以降日本は西洋に追いつくためにそれまでの太陰暦を1872年に廃止し、西洋と同じ太陽暦を導入して時間の感覚を一変させた。そしてその時間意識の下で、工場を作り、技術力を高め、資本主義経済を発展させてきた。それはほんの百数十年前に始まり、文字通り加速につぐ加速をして今の社会を作り上げてきたといえる。

その過程を、明治期に導入された時刻制度とその下での社会の戸惑い、生活の変化、科学的管理法が導入された過程、電話交換手という新しい職業、鉄道、自動車、新幹線、ラッシュアワー、タイムレコーダーの導入、ラジオ、時報の始まりなど日本の当時から現代までの姿がこと細かに描写され、変化の過程が浮き彫りになっていく。とても具体的で当時の日本の様子が手に取るように伝わってきます。

そして明治維新前後にアーネスト・サトウに冒頭のように評された日本は改暦から100年経った1976年には、フランス人ビジネスマン、ポール・ボネに以下のように評されました。
日本人たちは、第一楽章から第四楽章までを矢のように走り抜けた。日本を語る上に、このスピードは欠かせない条件である。

ボネによれば、ヨーロッパは第三楽章を終えたところで疲れてしまった。アジアのなかにも、第二楽章や第三楽章の途中で疲れきってしまった国がある。ところが日本人は「疲れを知らなかった」。


しかし、加速し続ける社会はどこかでひずみを生む。

ボネがこう日本を評した二年後、日本で一つの言葉が誕生した。「過労死」である。
19世紀の英米ですでに過労が社会のペースの速さと密接な関係があることが指摘されていたと著者は言う。
英国の哲学者・社会学者であるハーバート・スペンサーは19世紀末のアメリカでこう日記に記した。
どんな人の集まりでも、仕事からくる圧迫のためにみずからの神経を極度に衰弱させた人、あるいは過労のために死んだか、二度と働けない状態になってしまったか、あるいはまた健康を回復させるのに長い時間を費やさなければならなかった友人の名前をあげる人々に出会いました


資本主義社会の本質は、どれだけ時間あたりの生産性を上げるかを重視すること、つまり時間を加速させ続けることにある。そして、その加速に耐え続けられる人は多くはない。この本で浮かび上がってくるのはそういう現実だ。

さて、我々はどうするか。
この本の白眉は、そのどうするか、という点にある。

加速し続ける資本主義社会をどう変革するか、などと大風呂敷は広げない。逆に、シンプルな答えを提言する。怠惰のススメである。
エピローグで語られる内容は、ぶっちゃけると「そんなクソマジメに頑張んなくてもさー、適当なところでちょっとサボろうぜ。」って話だ。そういうオチを導くために徹底的に調べ上げ、400ページの大著に仕上げたところに最後の方まで読んでずっこけた。そして、それゆえに誠実だと思った。

資本主義社会である以上、これからも加速し続けるのである。それは現代社会の業と言ってもいい。インターネットで知の高速道路がしかれたよ〜とか言っても、数年後、数十年後にはさらに加速しているはずだ。そして、加速は、それについていけない人を生むし、脱落できなくて加速する社会に引きずられていくと最悪死を迎えることもある。ならば、怠惰はタブーではなく、もっと余暇に眼を向けてはどうか、という提言だ。

つねに何かをしていることで時間を充たしていないと、現代人は不安な気分に襲われるものである。しかし人生には、怠惰というちょっとした空白の時間も必要だ。


この怠惰の時間をどう作るか、それがこれからの我々が生きていく上でのテーマだと思う。


「勤勉は逃避であり、自分自身を忘れようとする意思に過ぎない」フリードリヒ・ニーチェ


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東京大学育徳園心字池(三四郎池)

三四郎池

東京大学の学内にある育徳園心字池、通称三四郎池は江戸時代、東京大学の敷地がまだ加賀藩前田家上屋敷だった際、第三代藩主利常によって整備された庭園に始まります。
大阪の役ののち、この地を賜わった三代前田利常は寛永十五年(一六三八)将軍家光の訪問に備えて三年の月日をかけて屋敷内に庭園と山手台地の湧水を使った池を整備、育徳園と名付けました。その後も修築を重ね、五代藩主綱紀のころに江戸随一の名園と謳われるようになります。そのころの庭園の名残が今の東京大学学内の一角にこのように残っています。

明治の文豪夏目漱石は著作「三四郎」でこの池を舞台にしました。その後誰が名付けるとでもなく通称三四郎池と呼ばれるようになり今にいたります。
夏目漱石著「三四郎」より
三四郎がじっとして池の面(おもて)を見つめていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまた底に青い空が見える。三四郎はこの時電車よりも、東京よりも、日本よりも、遠くかつはるかな心持ちがした。しかししばらくすると、その心持ちのうちに薄雲のような寂しさがいちめんに広がってきた。そうして、野々宮君の穴倉にはいって、たった一人ですわっているかと思われるほどな寂寞(せきばく)を覚えた。熊本の高等学校にいる時分もこれより静かな竜田山(たつたやま)に上ったり、月見草ばかりはえている運動場に寝たりして、まったく世の中を忘れた気になったことは幾度となくある、けれどもこの孤独の感じは今はじめて起こった。


ということで、様々なエピソードに彩られた、大学内にひっそりとあるのはもったいない有名な池ですね。とはいえ普通に観光、散策の人たちが絶えることなく訪れる人気スポットです。

池周辺は意外と起伏があって歩き甲斐があり、樹木もよく生えて、春や紅葉の季節に歩くと一番楽しめるだろうなぁ。

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シルビー・バルタン「アイドルを探せ」"La Plus Belle Pour Aller Danser"

Sylvie Vartan - La Plus Belle Pour Aller Danser


同名映画のテーマソングとなったシルビー・バルタンの代表作の一つですね。大御所シャルル・アズナブール作詞。思いっきり鼻にかけた歌い方とすきっ歯がまた魅力的です。ヴァネッサ・パラディもそうだけどフレンチ・アイドルのすきっ歯な伝統があるようなないような。

wikipediaによると、この曲と映画の日本でのヒットを契機にして、アイドルという言葉が定着したそう。
アイドル - Wikipedia
日本で「アイドル」という言葉が普及したのは、1964年に映画「アイドルを探せ」(主演シルビー・バルタン)がヒットしたことによるものである。本来「アイドル」というのは中年以上の人物にも使われる言葉だが、「アイドルを探せ」におけるシルビー・バルタン(若く可愛らしい女性)が「アイドル」の典型と見なされ、日本で「アイドル」といえば「若年の清純派芸能(有名)人」という意味に固定化されていった。


今やアイドルという言葉はタレント、アーティストと並んでとても幅広い使われ方してますね。

あなたのとりこ〜アンソロジー
あなたのとりこ〜アンソロジー
シルビー・バルタン

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亀戸天神社

梅の見ごろを迎えた亀戸天神社に行きました。
亀戸天神社
亀戸天神社 - Wikipedia
正保年間(1644〜1647)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして寛文元年(1661)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。

当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。そして寛文2年(1662)、地形をはじめ社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰天満宮にならい造営された。

古くは総本社にあたる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、明治6年(1873)に府社となり亀戸神社、昭和11年(1936)に現在の亀戸天神社となった。


明暦三年(一六五七)の明暦の大火は江戸の街づくりにおける大ターニングポイントだったようで、このエピソードもどちらかというと、江戸幕府主導だったのだろうなとは思います。亀戸の地に下町を作るべくこの神社を作って、その周囲を発展させた。そのために、大宰府天満宮の神官が天神像を奉祀というストーリーを後付で作ったか、あるいはその計画前提で奉祀したというところかなぁ。と思います。
そういう背景で亀戸が発展する中心としての役割を担い、東京十社の一つとして数えられ、歌川広重が描いた、今でも多くの信仰を集めるこの神社は菅原道真といえば梅、ということで梅の名所としても有名ですね。
丁度見ごろでとても奇麗でした。

亀戸天神社本殿
亀戸天神社本殿

神牛
亀戸天神社の牛
牛と縁の深い菅原道真伝説に基づいて、自分の身体の悪いところと同じ箇所を撫でると治癒するという言い伝えのある神牛像。以前も書きましたが、平安時代は牛は荒々しいイメージで捉えられていたこともあり、牛との結びつきは何か怨霊伝説との関連があるようにも思う。このあたり調べてみたいと思いつつ何もしていないのですが、どうなのかなー。

五歳の菅公像
亀戸天神社五歳の菅公像
菅原道真が五歳で詠んだ「美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」という和歌とともに菅原道真五歳時のイメージ像。周囲を囲む梅がとても奇麗。

ということで、梅が見ごろでいい香りが神社全体にひろがっていました。
亀戸天神社

亀戸天神社の梅

亀戸天神社の梅

亀戸天神社の梅

亀戸天神社の梅

色とりどりの梅の花が咲き、鮮やかでとても気持ち良かったです。
四月〜五月には「藤まつり」と題して境内に百株以上ある藤の花が見ごろを迎えるようなのでまた来ようと思います。

亀戸天神

参考サイト
亀戸天神社 - Wikipedia
亀戸天神社

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広重/亀戸天神境内
広重/亀戸天神境内

ミドリノヘイワ
ミドリノヘイワ
持田 香織

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ニューライン・シネマ、40年の歴史に幕〜同社製作の個人的ベスト16作品

Variety Japan | ニューライン・シネマ、40年の歴史に幕
 米インディペンデント系製作会社のトップの1社として、40年間君臨してきたニューライン・シネマが、突如、その歴史に幕を閉じることになった。姉妹会社である米ワーナー・ブラザースに吸収されることが2月28日(木)、親会社のタイム・ワーナーによって発表された。
今週末、全米公開される “Semi-Pro”を最後に、同社の作品はすべてワーナーの配給となる。今後、ワーナー・ブラザースの一部門として企画開発やマーケティングなどを行うが、開発を行う作品は、主にホラーやコメディなどのジャンルに限られると見られる。
ニューラインは01年に『ロード・オブ・ザ・リング』3部作を2億7000万ドルかけて製作し、社運をかけた。結果、3作目の『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』は04年のアカデミー賞作品賞を受賞し、3作品合計の全世界興行収入は110億ドルを記録していた。

 それから4年。この間のヒットと呼べる作品は、05年夏に公開され、2億900万ドルをあげた『ウエディング・クラッシャーズ』のみであった。


米国の映画配給会社としてはかなり大きなところの業界再編ですね。
記事中にもありますが、ロード・オブ・ザ・リング三部作以降なかなかヒットに恵まれなかったのが大きな要因だったようです。

ニューラインシネマは大ヒットは飛ばさないけどなかなか良い映画多く製作していただけに残念なところです。
ということで、個人的にチョイスするニューラインシネマ製作の好きな作品たちを紹介します。以下続きを読むからどうぞ。
続きを読む >>
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「東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方」松本 泰生 著

早稲田大学講師で都市の階段研究の第一人者でもある著者が、東京の魅力的な126の階段を選んで紹介した東京階段散歩ガイド本です。

僕は基本的に書店で面白そうな本を見かけてもなかなか買わないのですが、この本だけは手に取った瞬間に一目惚れしてしまい、迷わず購入。じっくりと読んでみて、やはり一目惚れした自分の目に狂いは無かったと確信しました。

同書では「美しい階段」「歩いて楽しい階段」「歴史を感じさせる階段」「なくなった階段・変貌した階段」の四つに階段を大きく分け、個々の階段は「疲労感」「景観」「スリル」「立地」の四つの観点から五段階の評価を加えている。さらに個々の階段の規模、幅員、高低差、長さ、傾斜などの数値データを合わせて掲載した上に、美麗な写真と冷静かつ愛情たっぷりのコメントをつけて階段を紹介しているのだ。その情熱と紹介されるそれぞれの階段の魅力的な姿に、もう、くらくらしてしまう。

散歩の面白さはその場でしか味わえない体験にあると思うのだが、まさに階段を上下する体験をさせてくれる本だと思います。そして実際に体験したいと思わせてくれる本でもあります。
街の風景は面白いと思えばいくらでも面白くなる。またあちこち行けば行くほど、面白くなってくる。ただそれは決して全国の名所をどれだけ制覇したかという話ではない。数を稼ぐことや、踏破することには実はあまり意味はない。あちこちを歩きながら見聞きした事柄について、何を考えたか、そして、どれだけためになることと、ためにならないことを考えたか、それが個々人にとって重要なことだと思う。

さらりと散歩の極意が書かれていてぐっとくるのですが、勿論これは散歩に限らず、日々過ごしていく上でも大事なことでもありますね。

そして、この本は階段を紹介しているだけに留まらず、第六章では「東京の地形と階段」と題して簡単な東京の地形と階段の歴史、構造、素材などの解説まで添えていて、まさに階段本として申し分ありません。

ただ、エピローグで著者が誌面の都合上、東京都心部の階段しか紹介できなかったのを悔やんでいました。ぜひ次はさらに東京を完全網羅したコンプリート本を期待したいです。
とはいえ、このボリュームでこの内容は個人的には文句のつけようがありません。

「どんな髭剃りにも哲学がある」と言ったのはサマセット・モームですが、同じように、「どんな階段にも哲学がある」と思わずには居られない一冊でした。でしたって過去形で書いていますが、これから何度も何度も読み返して、階段散歩しまくりますから!

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極楽と天国とパラダイス

ある程度の年齢を超えてくると、好むと好まざるとにかかわらず、風呂に入ったり、布団の中に潜り込んだりしたときに、「あ〜〜極楽極楽」と言うような気がする。少なくとも僕と家人についてはそうで、近年特に極楽極楽と無自覚に連発していることが多くなってきた。

もともとは極楽と言うと仏教の浄土信仰に基づいた阿弥陀仏の仏土のことだったと記憶しているのだけど、最早そんな仏教的意味合いは無くなり、単純に心地良い気持ちになった時に発する言葉になっているように思う。

で、昨日も布団の中に入るときに極楽極楽などと言いながら、ふと同じ理想郷を指す用語でも極楽と天国とパラダイスって微妙に意味合いが違うなぁと思った。

あくまで僕の中のイメージですが

・極楽=心地よい気落ちに直接的になった状態。脱力感やリラックスを伴う。
・天国=心地よい気持ちになれる、あるいはなれそうな場所。
・パラダイス=リゾート地や歓楽街など俗っぽいイメージ。手軽に「ちょっと楽しい」という体験

みたいな違いがあるなぁと思う。
それぞれの単語に持っているイメージは、微妙だけど結構大きな差を感じていて案外使い分けているような気がする。まぁ、パラダイスなんて言い方は殆どしないけども(笑)

時代と共に単語が持つイメージって大きく変わっていくし、輸入されたものであれば特にもとの意味とはまったく違うイメージが与えられているなぁ。

とはいえ、漠然と僕がいだいているだけのイメージでしかないので、一般的な使われ方とは少しずれているようにも思う。

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「優男(やさおとこ)」の意味を定義してみると

「優男(やさおとこ)」ってどんなの? | エキサイトニュース

丁度優男(やさおとこ)について、先日読んだ『日本人は「やさしい」のか―日本精神史入門』にその条件が書かれていた。
「優男」とは、一般的にいえば、風流を解する優雅な男、風姿の優雅な男のことであるが、それは時にはたとえば、次のような条件をクリアーできる男の謂いでもあった。

身をうたせ(外観を飾り)、沙汰になれける(裁きができる)程に、善悪を分別して、理非をまよはず、諸事に心をわたし(気を配り)、手跡普通にすぎ、和歌の道を心にかけ、酣暢の筵に推参して(風流の宴席に参って)その衆につらなりしかば、伊東の優男とぞめされける。
(『曽我物語』)


美的にも知的にも洗練された、こうした「優男」のあり方は、軍記物語の世界においては、ほとんど理想的人物像として描かれている。


日本人は「やさしい」のか―日本精神史入門 (ちくま新書)
日本人は「やさしい」のか―日本精神史入門 (ちくま新書)
竹内 整一

とは言え、この描写は13世紀ごろの記述で、当時のやさしいは今とは違って、
・繊細で教養があり、洗練されていること
・その場に応じて果断に振舞いうること
という意味合いが強かった。

現代は傷つけない振舞いをすることが「やさしい」のメインとして使われていて、また、『ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書 74)』によるとあらかじめ相手が傷つかないような振舞いをする(予防的やさしさ)こと、また、場が楽しい状態を維持すること(楽しさ至上主義)が人間関係で求められているようなので、現代の優男というなら
・あらかじめ、相手が傷つくことが何かを想定し、傷つかないように振舞うことができる
・その状況に応じて楽しい雰囲気を崩さないよう振舞うことができる

というところだろうか。

ただ、上記リンク先記事を読むと優男が必ずしも内面の条件ではなく外見的特徴を指すものに転化しているようにも見える。であれば、
・痩せ型の整ったルックスで、清潔な身なりをし、他者にスムーズな気配りが出来る男性

というあたりが妥当かもしれない。

まぁ、なんにしろ僕とは無縁の形容ではある(笑)

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「日本人は「やさしい」のか―日本精神史入門」竹内 整一 著

現代日本人の重要な言葉の一つである「やさしい」について、その成立と変遷を現代まで追った一冊。
97年当時の本なので、若者達を支配する終末思想的な感覚を踏まえた分析になってはいるが、それほど大きくぶれてはいないと思う。
第一章では「やさしさ」の現状を95年当時までのヒット曲の歌詞から全体像を追い、尾崎豊、太宰治の作品へと細かく分析する。その後第二章で「やさしさ」の歴史について、第三章で「やさしさ」の倫理観について分析しているが、特に第二章で解説される「やさし」と言う言葉の成立と変遷の過程が面白かった。

まず、現状使われている「やさしさ」は傷つく/傷つけることと密接に関わっていると著者は言う。それは以下の五つのパターンだ。
1)傷つく/傷つけることを避ける「やさしさ」
2)傷つく/傷つけることを引き受ける「やさしさ」
3)傷つく/傷つけることを招く「やさしさ」
4)傷つく/傷つけることを癒す「やさしさ」
5)傷つく/傷つけることを曇らす「やさしさ」

そしてこれらは全て他者と自己の距離感の認識としてあり、他者への距離のとり方の難しさや傷つきやすさへの対処の難しさが内包されていると著者は言う。このあたり概ね同意なのだけど、この本の調査から十年、1)が圧倒的になってそれ以外が占める割合が随分小さくなっているように思う。がこのあたりは別途「ほんとはこわい「やさしさ社会」」の感想でまとめたいので深く入らない。

さて、第二章の「やさし」の歴史がとても面白いのでざっくりとまとめてみたい。

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浜離宮恩賜庭園

2007年12月初旬、紅葉散策がてら浜離宮に行ってきました。訪れるのは東京に来てから二度目かな。
浜離宮恩賜庭園東京人2007年6月号によると
浜離宮の造営は、承応三(一六五四)年、四台将軍家綱が、弟の綱重に海上の土地一万五千坪を与えたのが始まりとされる。江戸城近辺の整備が落ち着いたこの時期、海岸の防備も兼ねた都市計画の一部を担っていたともいえる。

東京人 2007年 06月号 [雑誌]
東京人 2007年 06月号 [雑誌]

とのことで、海岸線の防備のためにまずは甲府藩主松平綱重に与えられ下屋敷としたのが始まりのようです。その後、綱重の子が徳川家宣として六代将軍の座に着くと浜御殿として改修、整備が進められ浜御殿と改称。以来歴代将軍によって造園、改修工事が繰り返され、十一台将軍家斉のころに今の形に落ち着きました。
そして、明治維新後は宮内省の管轄となり皇室の離宮として名称を浜離宮に改称。第二次大戦後の昭和二十年十一月三日、東京都に下賜され、翌昭和二十一年四月一般公開されました。

潮入りの池
浜離宮恩賜庭園

海岸線の遊歩道
浜離宮恩賜庭園

徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いの途中で大阪から江戸に戻った際に上陸したという「将軍お上がりの場」慶喜はここに一旦上陸したあと江戸城に帰城したという。
浜離宮恩賜庭園

浜離宮恩賜庭園

旧稲生神社
浜離宮恩賜庭園旧稲生神社
江戸時代より稲荷社が庭園内に祀られていた。当時は現在地より西方にあったと言われているが、明治二十七(一八九四)年の東京湾を震源地とする地震によって倒壊。宮内省によって再建され、さらに大正十二年の関東大震災でも破損、昭和六年、昭和十七年に改修工事が行われ現在の姿になっている。

三百年の松
浜離宮恩賜庭園三百年の松
宝永六(一七〇九)年の庭園改修工事の際、六代将軍徳川家宣が植えた樹齢三百年になると推測される黒松。余りに巨大でびっくりした。

浜離宮恩賜庭園

浜離宮恩賜庭園

浜離宮恩賜庭園

浜離宮恩賜庭園

以前に訪れた際はおそらく春先だったと思うのですが四季折々の顔があり、250,165.81平方メートルと広大な敷地を誇っていてとても歩き甲斐のある庭園です。
そろそろ梅の季節ですが、今はこの写真の紅葉の頃とはまた違った景色を堪能できそうですね。

浜離宮恩賜庭園

参考サイト
浜離宮恩賜庭園 - Wikipedia
概要|浜離宮恩賜庭園|東京都公園協会

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将軍の庭―浜離宮と幕末政治の風景 (中公叢書)
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水谷 三公

日本庭園鑑賞事典
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「仕事と日本人」武田 晴人 著

結構前に読了していたのだけど、感想まとめているうちに気がつくと感想が2500文字超えてもまだ半分しか到達していないという酷い状態になってしまって少し放置していた。それでもまとめられない感じなんだけど(笑)

現代の日本人は人生の大半を働くことに費やしています。その現代の労働観は明治維新以降に成立した新しい概念であり、江戸時代の日本人の働くことと、今とは大きく違っていました。そんな日本人の労働観の成立から変遷までの流れを日本経済史の専門家である著者が概説した力作が本書です。

労働とは明治維新以後に"Labour"に対する語として作られた造語であり、それ以前は労働という言葉自体が無かった。近代は時間を基準にした規律が成立した時代であり、近代の労働観は時間を有効に使って働くことが勤勉であるとされ、成功は時間で測られるようになった。これに対して近代以前は日本でも西欧でも産業革命以前はそうであったように「時間に追われるような形で行動を律していなかった」ということであると言える。

時間に追われないとは言え、ぐだぐだとはたらいていたわけではない。例えば江戸時代の農民は長時間労働をしていた。それは勤勉革命と呼ばれる現象の影響が大きい。

農民は領主に隷属していたが、江戸時代以降身分的な隷属から解き放たれて地位が向上した。
その結果、「農業経営に対して自身が責任を負うシステム」が構築され、農業経営の裁量権を農家の大黒柱に与えたことで、生産性が飛躍的に向上した。それは資本投資による労働生産性の上昇ではなく、労働集約的な農業生産のあり方を徹底した結果だった。
そのため、農家はかなり長時間にわたって農作業に自主的に従事していたようです。
経済学者のトマス・スミスは日本の農民の働く姿を「自然の条件に左右されるにもかかわらず、日本の農民たちは、自然の変化にただ流されるのではなく、計画性を追求していた。」と言いました。
農書「百姓伝記」など農作業の計画性を重視した、今で言うライフハック的書物も多数あり、それらは「繰り返し農民たちに時間の管理の大切さを訴えてい」たようです。

しかし、延々はたらきっぱなしだったかと言うとそうではなく、休日数は増加していたことが資料上もあきらかで、勤勉さによって生産性を向上させ、仕事のやりくりに熟達していったということでした。

明治維新以前、分業と協業という経済システムの成立する以前のはたらき方は、課題を一人でマネージメントし、多様な内容を家族の中で分担するような形で、多様性のある課題をこなすために、農民であると同時に大工技術を身につけているなど、村の中では職業自体分化していなかったようです。
「労働」という言葉が誕生する前の時代には、(中略)さまざまな仕事を課題とか課業として組み合わせてこなすために時間に対して独自の考え方を育て、裁量的に毎日取り組んでいたことになります。


そのようなはたらき方をしていた日本に労働という概念が持ち込まれます。
労働とは造語だと書きましたが、"はたらく"のそもそもの意味は「人が動くことをあらわし、その結果としての効果も含む」ということだったようです。そして労という字の本来の意味は「日常的とはいえない災禍などの出来事のときに「力を出すこと」で、つまり、「骨を折ってはたらく」のが労働だと言える。
これは西欧の"Labour"という語の背景にある概念を的確に翻訳したものです。
伝統的なヨーロッパ社会においては"Labour"は奴隷が行うものであり、人間活動の基本的要素とは考えられていなかった。奴隷制から時を経てキリスト教的世界観においては労働は原罪の故に行わなければならないものであると捉えられ、さらに家族の中で収益性のある労働と、家事労働など収益に直接結びつかない労働が別々の場所で行われるようになり、労働が分離される。つまり労働にかける時間は少なければ少ないほど良いという価値観が西欧の伝統的な労働観で、これが日本に輸入された。

ただ、ウェーバーが賞賛する中産的農民の資本主義の精神は「節約し、貯蓄して、再投資するところにその真髄があ」り、「他人に指図されて「骨折り仕事をする」というようなものではな」く、「西欧社会では「骨折り仕事」や肉体労働は、身分的に不自由な人たち、たとえば奴隷たちの労働と、その観念としては共通していた」
つまり、日本に輸入された労働観は西欧の奴隷制に端を発する考え方であったといえます。

この労働観と時間管理、分業システムと工場労働などが明治維新になって輸入されたあと、まずは職人たちが工場で働くようになり地位が低下していきます。また、定年制、残業、長時間労働、賃金による評価、学歴重視などはここ100年間に成立した仕組みと考え方です。
特に労働が時間によって規律を受けるという考え方の導入が日本社会を大きく変えました。
働くということは近代にはいると、時間という要素と深く結びついてきます。定刻を守ること、時間内のスピードアップを図ること、そして労働生活の入口と出口の年齢が定められることによって、働くことは、ある年齢に達すると、定年まで、定刻に出社して少なくとも定刻まで、効率よく働くことが規範的には望ましいことと考えられていくのです。

また残業については日本の労使関係が家父長的性格や家族主義的特質を持っていたことが大きな要因だといわれます。
帰属する集団のために、できるだけのことはする、それが当たり前

というかつての日本人のはたらき方に通じる価値観とのミスマッチ。

など、様々な考察を加えながら現代の日本の労働観を浮かび上がらせていく。
近代に成立する「労働」は、(中略)ある種の「不自由さ」をもっているようです。それは、分業と協業の体系にもとづく労働であるために、時間についての規律があり、同時に特定の作業場所に集まって仕事をすること、つまり生活するところと分離された場所で働くようになるからです。しかも、こうした仕切られた時間と空間のなかで、人びとの働き方は、組織のなかでの労働としての性格を強めていきます。つまり、指揮命令系統のなかでの働き方になり、個々の働き手にとっては裁量の余地がきわめて小さくなっていくことになります。
こうして主体性を十二分には発揮できない状態での働き方であるために、労働は、いずれかといえば回避すべきもの、やむを得ず生活のため、賃金を得るために仕方のないことと捉えられているように思います。(中略)働く中身ではなく、働いて得られるお金が働くことの目的となっていくというわけです。

そして、著者は問題提起をする。
人生の大半を費やす人間の活動が、単に金のためだけではない、働くことそのものに意味を見出すような働き方、そうした働き方にもとづいた労働観を私たちは自分のものとすることはできないのでしょうか。(中略)「近代的な」労働観を乗り越えることはできないのか


残念ながらこのあとに続く著者の様々なアイデアはそれほど目新しいものではないのですが、それはご本人があとがきで書いている通り「現代の労働の現場の空気からは最も遠い職場」で働く研究者であるが故の限界だったのかもしれません。

この問いはおそらく私も含めて一人ひとりが考えるべきことなのだろうと思います。

最後に、本文に引用されていた石川啄木が当時の様子を書いた文章が面白かったので紹介して終わります。
今日新聞や雑誌の上でよく見受ける「近代的」という言葉の意味は、「性急(せっかち)なる」ということに過ぎないとも言える。同じ見方から、「我々近代人は」というのを「我々性急(せっかち)な者共は」と解した方がその人の言わんとするところの内容を比較的正確にかつ容易に亨入れ得る場合が少なくない。


拝啓 石川啄木様 「性急(せっかち)なる者共」は、日本中に広がっていき、百年後には性急(せっかち)すぎて立ち止まることすら出来なくなりました。 敬具

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コンプライアンス問題は仕組みではなくコンセンサスにある

「コンプライアンス礼賛」が 招く二つのワナ

仕組みやルールの問題ではないと思う。従業員を信頼しないという前提での仕組みであってもよい。趣旨として反対はしないのだけど従業員への信頼は勿論重要だがポイントではないと思う。

■会社の「意識」と「無意識」

陳腐だが会社を人間に例えると、例えば取締役会や経営者は脳にあたるとか言われるけど、ちょっと違う。
様々な形で意思決定が行われる場――それは取締役会や管理職者の会議が主な役割としているが、ほとんどの場合は現場で行われることが多い――が脳であり、表面に現われる様々な意思決定は人間の役割で例えると心の役割の一つ「意識」と言って良いと思う。

合理的・非合理的様々な要因の上で内部統制のためのルールや仕組みの導入を「意識」が意思決定したら、その意思決定を指示命令系統を通して全身に行き渡らせる訳だが、「無意識」と呼ばれる領域に最も気を配らなければならない。「無意識」とは「心のなかの意識でない或る領域」であり、「無意識の領域に記憶や知識や構造が存在し、このような記憶や構造が、意識の内容や、そのありように影響を及ぼしているという事実は、仮説ではなく、科学的に実証される事実である」、つまり「無意識」が「意識」に多大な影響を与えるからだ。
そして会社における「無意識」は「意識」が会社における意思決定という行為であり様々な場面で意思決定が行われるするように、意思決定ではない行為の一つ一つが無意識ではないだろうか。ゆえに全従業員が無意識であり意識を構成すると言えると思う。

やる気はあるのに身体がついてこない。やらねばならないと思っているのにやる気がおきない。
ルールや仕組みを決めて周知したという段階はせいぜい意識した、という状態でしかなくて、日常様々な状況でコンプライアンスを踏まえた行動を会社全体が行うようになるには、「無意識」への働きかけが重要だと思う。

■コンプライアンスを正しく機能させる二つの方法

それには二つある。これはその会社の会社観の違いに現われると思うのだが

1)ルールと仕組みを周知し、理解させ従わないものは排除する。
こちらは西欧的。つまりデカルト以来の機械論に従い、会社は役割を与えられたパーツの組み合わせによって成立しているという考えの元で経営する場合、合意形成よりも指示命令を理解し、それを踏まえて行動できるパーツが社員だと捉える。理解できなければ取り除き会社の意識を共有出来る人と交換する。

福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」
分子生物学的な生命観に立つと、生命体とはミクロなパーツからなる精巧なプラモデル、すなわち分子機械に過ぎないといえる。デカルトが考えた機械的生命観の究極的な姿である。生命体が分子機械であるならば、それを巧みに操作することによって生命体を作り変え、"改良"することも可能だろう。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
福岡 伸一

こういう細分化と交換可能という考えの下に自然科学と合理主義が発展した訳で、至極合理的判断を行うやり方だといえる。

2)ルールと仕組みを周知し、納得いくまで話合い合意を形成する。
こちらは日本的。重要なのはルールや仕組みではなく「納得した合意」であるところにあると思う。

宮本常一著「忘れられた日本人」
のエピソードにヒントがある。
村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得のいくまで何日でもはなしあう。はじめには一同があつまって区長からの話をきくと、それぞれの地域組でいろいろに話しあって区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかねばまた自分のグループにもどってはなしあう。用事のある者は家へかえることもある。ただ区長・総代はきき役・まとめ役としてそこにいなければならない。
(中略)
気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。

忘れられた日本人 (岩波文庫)
忘れられた日本人 (岩波文庫)
宮本 常一

当然、合意を得るために元のルールや仕組みが変わることもある。
合意を重視する――時にはそれが非合理的な結論になろうとも――合意さえ形成されればそれはほぼ守られる。という日本社会的やり方。

当然ながら二択では無く微妙に混ざり合ったものになる。

1)のやり方のみで通すことはオススメしない。
再び「生物と無生物のあいだ」より
生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。

元が法を踏まえた仕組みであるが故に、元を決めたルールや仕組みは変わらず、しかし全従業員が納得いく合意が形成されるまで話し合い、なおかつ意識が共有できなければ排除せざるを得ないというようなある種玉虫色というか和洋折衷な難しい進め方になるであろうところがコンプライアンスということの要点であるだろうと思う。

■会社という生命の「個性化の過程」

どちらに力点を置いた進め方をするにしても、これは会社という生命体にとって自己の無意識と直面させられる「個性化の過程」と言えると思う。一斉に無意識と直面させられ、会社によってはその重みに耐えられなくなるかもしれない。上手く直面することを避けて進もうとしても、必ずあとでさらなる大きな形で直面させられることになるだろう。

コンプライアンスと真摯に向き合えば「会社とは何か」という問いに突き当たるだろう。それ故に、「会社法」「金融商品取引法」などの内部統制関連法の成立や協議段階では、変に聞こえるかもしれないが、法学や会計、経営の専門家の他に、社会学、心理学、生物学、物理学、歴史学の専門家が参加するべきだったのではないだろうかと思う。

おそらくこのコンプライアンスうんぬんの話は長いスパンで見ると、全体としては企業の競争力・体力を殺ぐか、あるいはコンプライアンス自体が骨抜きになっていくかだろう。そして日本においては山本七平的「水を差す」現象によって後者の可能性が高いんじゃないかと漠然と思う。

そうではないごく一部の企業は、もしかしたら個性化の過程を乗り越えて大きく飛躍するかもしれない。いや、確実に飛躍する企業も現われるだろう。ルールや仕組み程度ではそうそう人のアイデンティティは変わらないのである。

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手にとるようにユング心理学がわかる本
手にとるようにユング心理学がわかる本
長尾 剛
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学習の高速道路の先の大渋滞のメカニズム

梅田望夫著「ウェブ時代をゆく」で書かれた「学習の高速道路と大渋滞」という話が微妙にひっかかっていた。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)
ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)
梅田 望夫

しかし「学習の高速道路も、高速道路を走りきったなと思ったあたり(「その道のプロ」寸前)で大渋滞が起こるのだと羽生は言う。同質の勉強の仕方でたどりつけるのはそこまで。誰にでも機会が開かれるゆえ参入者も増え、しかも後の世代も次々に失踪してきては「その道のプロ」寸前での大渋滞にはまる。「その道のプロ」として飯を食い続けていけるかどうかは、大渋滞に差し掛かったあとにどう生きるかの創造性にかかる。


当然専門性を極めていくという経験は無いので、大渋滞ということが実感としてつかめにくいのだけど、先日「渋滞学」を読んでいて、ちょっと思ったことがある。

渋滞学 (新潮選書)
渋滞学 (新潮選書)
西成 活裕

これは出口付近だから渋滞したのではなく、ハブに辿りついたということなんじゃないだろうか。
同書ではインターネットのネットワークのトポロジーの例として、バス型、リング型、スター型を解説しているのだけど、そこでスター型(ハブがネットワークを束ねるタイプ)と高速道路の類似を説明している。

東京でいえば、中心から放射状に延びる道ということなので、首都圏とそこから外へ向かう道路の様子が想起される。そして、中心のハブに相当するものがまさに首都高速道路だと考えてよいだろう。多数のアクセスが集中するのがハブで、そのため実際に首都高速道路では時に予想を遥かに超えた渋滞が発生することがある。


新しい知識を次々と高速で習得する。そうやって習得した知はいつしか膨大なものとなり、処理能力を超える。その処理能力の最初の限界が知のハブで、そこではゆっくりと習得した知の体系化と統合を行いつつのろのろと前に進む。知を実感すると言い換えても良い。そして、整理が終わると再びスムーズに進めるようになるということではないか。

渋滞の原因のうち、およそ三割がサグ部と呼ばれる運転手が気付きにくい緩やかにたわんだ坂道だという。高速で知を吸収しながら、しかしそこはゆるやかな坂道になっていて、それに気付かずに知のハブに差し掛かるのだろう。

「大渋滞に差し掛かったあとにどう生きるかの創造性にかかる」とはそれまでの知をどう体系化し血肉にするか、という知のハブならではの進み方の話なのかなと思った。

ネットワークの渋滞問題はルーティングの問題と渋滞学では言う。
出発点から目的地までどのようなルートで行くのが良いか、というルート選択の問題だ。最短時間で行けるルート、最低の料金で行けるルートなど、目的に応じていろいろなルートが考えられる。
最短時間経路の選択について考えてみよう。目的地までうまく遠回りすれば、あまり渋滞には出会わずに進める可能性が高くなるが、その分距離が遠くなるため時間もかかる。最短ルートで行こうとすれば、他の車も同じような行動をとると考えられるため渋滞して結局時間が掛かる。
(中略)
このように最短時間のルーティングは現実的には極めて難しい問題だ。問題設定の前提となる事柄が時間とともに変化するからだ。


せっかく知の高速道路に乗って知を吸収し続けていると、当然ハブに差し掛かってその知をその後の生き方を踏まえて体系化(これ、ジョブズの点を繋ぐと同意ですね)する必要があるし、そこから例えば梅田さんの言う「けものみち」におりるか、再度高速道路を進むかというのは実はルーティングの問題だと言えるように思う。

意外と、一般道をじっくりと知を体系化しながら進むというルーティングもありなのですよ。とも思う。

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知の編集工学 (朝日文庫)
知の編集工学 (朝日文庫)
松岡 正剛

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「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」内山節著

かつて、日本の各地で日常ありふれたこととして、キツネにだまされるという話があった。しかし、1965年(昭和40年)ごろを境にして、きつねにだまされたという話が無くなってしまう。それは一体何故か。という考察から始まって歴史哲学について論じた本。

何故1965年を境にして、キツネにだまされたという話が新たに発生しなくなったのか、その理由を色々な人に聞き取り調査をして、大きく次の七つの説に分けて1965年当時の歴史の変化を考察している。



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僕がRSS購読しているオススメブログ【散歩・野良猫・歴史系】

技術者はフツーのブログを「アチラ」の世界扱いで
あるべき姿である『使える人のエリア>使えない人のエリア』にするにはどうしたら良いのかな?と、ここ二年位悩んでる所。SBM がもたらした革命レベルの物が必要なんじゃないかなとか。ミニブログのこれからの成熟(ついったー日本語化だってね胴元がアレだけど)とか、SNS の解放とか、もっと他の物か。

というか、そう言う物を取ってくる道具や、道をつなぐ道具を作る事こそを考えないといけないのかなと、最近よく思う。


そう思います。だから道具が出来るまではみんな人力で紹介すればいいのかもしれない、とスキル無しな僕はアナログなことを思った。

はてなブックマーク - stakilog ? 技術者はフツーのブログを「アチラ」の世界扱いで
2008年01月26日 kousyou kousyou blog, community 僕がLDRに登録している散歩系や日本史・考古学系ブログは大体5user以下。どれも超面白いのに少ないなーと思っていたけど、多分ユーザー層が違うんだろうな。
2008年01月26日 staki staki いやん、ソレおしえてくださいよid:kousyou

というようなわけで、教えちゃいますよ。>staki
僕がRSSリーダーに登録している主に散歩系、野良猫系、歴史・考古学系ブログを紹介します。

名所記事、面白観光スポット紹介と言えば「ココロ社」さんや「メレンゲが腐るほど恋したい」さんのブログも勿論欠かさず購読していますが、100userは軽く超えているようですのであえてはずして紹介をしています。

では以下続きを読むからどうぞ
続きを読む >>
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昔話を少し掘り下げて知りたい

河合隼雄の「昔話と日本人の心」を読んでいるのだけど、これ面白いなー。

昔話と日本人の心 (岩波現代文庫―学術)
昔話と日本人の心 (岩波現代文庫―学術)
河合 隼雄

しかし、図書館の返却期限が来てしまって、次の予約も到着したようなので、一旦返却することにします。
近々また借りようと思うのだけど、これ、基本はユング派深層心理学の立場から昔話の裏の日本人の心理やアイデンティティを探るというアプローチな訳で、とても重要な方法ではあるんだけど正攻法ではないですよね。
次借りるときまでにちょっとオーソドックスな方法での本を読みたいんだけどどういうのがいいかなぁ。
出来れば西洋ではなく、日本の昔話をメインに。

僕の持っている「神話学とは何か」によると













神話
伝説
昔話
真偽
真実
事実
虚偽
時間
世界の完成以前の太古
歴史上のある時
無時間
場所
完成以前の世界
現在と同じ世界
不定
性格
神聖
神聖または世俗的
世俗的
主人公
人間以外(主として神々)
人間
人間または人間以外(妖精など)


一概にはこの表の通りとはいえないと思うけど、こういう比較などは面白いと思う。

やっぱり民俗学系の本から入っていくのがわかりやすいだろうか。
特に、昔話な背後にある日本の文化的な概念とか思考の変化とかってある程度理解が必要だなぁと思っているので、そこらへん、徐々に知りたいなぁと思う。

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ビージーズ「ステイン・アライブ」"Stayin' Alive"

Bee Gees Stayin' Alive


まさにハイトーンボイス。というか声高い。高すぎる。ビージーズといえばサタデーナイトフィーバーですね。70年代ディスコミュージックって今聞くと能天気なのに何故だかちょっと影がある。これもそんな感じ。ノリノリなのにぐっとくる。

サタデー・ナイト・フィーバー
サタデー・ナイト・フィーバー
サントラ,クール&ザ・ギャング,ザ・ビージーズ,K.C.アンド・サンシャイン・バンド,トランプス,イヴォンヌ・エリマン,タヴァレス,デヴィッド・シャイアー,M.F.S.B.,ウォルター・マーフィー,ラルフ・マクドナルド

このサントラ持ってるけど名盤ですね。

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バスが遅れたらせっかくなのでのんびり散歩するのがよい

数式には、バス経路に含まれるバス停の数、バス経路の距離、バスの速度、歩行速度、最初のバス停に特定の時間にバスが到着する確率などの変数が含まれる。

 計算の結果、「最初のバス停で待つのが良い」との結論が得られた。歩いた場合、次のバス停に着く前にバスに追い越される可能性が比較的高くなる。

「直観的に分かることだが、最善策はのんびり待つことだ」と数学者らは指摘する。

 ただし、目的地までの距離が1キロ以内で、バスの運行間隔が1時間以上ある場合は、歩く方が賢明だという。


まぁ、タイトル通りなのですが。
バスが遅れたらあせらず待つのが得策というニュースですが、それはあくまで計算上。
敢えて逆を行くのがよいと思います。

理由
・遅れたのはバスのせいにできる
・どうせ遅れるのならのんびり散歩と開き直ることでリラックスできる
・忙しいときほどのんびり散歩すると意外な発見がある
・遠回りすることに意味がある
・歩いていると空気が気持ちいいかもしれない
・バスが来なくていらいらしている人を尻目にのんびり散歩って快感
・バスに追い越されたら、逆にあきらめがつく
・さらに公園なんかに寄り道してみると本格的に楽しい

ただし、目的地の手前で走って息を切らせておくのを忘れずに。
「いや〜、バスが来ないしタクシーもつかまらなくて走ってきました」

よほどのことが無いかぎり、基本僕は歩く派です。

とはいえ様々なシチュエーションがあると思うので用法は臨機応変に。
歩くとなぜいいか? (PHP文庫 お 18-4)
歩くとなぜいいか? (PHP文庫 お 18-4)
大島 清



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大渓山豪徳寺

去年の10月、世田谷城址公園、世田谷八幡宮などとあわせて豪徳寺も散策しました。
豪徳寺
寺内の掲示板より
豪徳寺は、世田谷城主吉良政忠が、文明十二年(一四八〇)に亡くなった叔母の菩提のために建立したと伝える弘徳院を前身とする。天正十二年(一五八四)中興開山門菴宗関(高輪泉岳寺の開山)の時、臨済宗から曹洞宗に改宗した。
寛永十年(一六三三)彦根世田谷領の成立後、井伊家の菩提寺に取り立てられ、藩主直孝の法号により豪徳寺と改称した。直孝の娘掃雲院は多くの堂舎を建立、寄進し、豪徳寺を井伊家の菩提寺に相応しい寺観に改めた。仏殿とその三世仏像、達磨・大権修理菩薩像、および石灯籠二基、梵鐘が当時のままに現在に伝えられている。
境内には、直孝を初め井伊家代々の墓所があり、井伊直弼の墓は都史跡に指定されている。ほかに直弼の墓守として一生を終えた遠城謙道、近代三台書家の随一日下部鳴鶴(いずれも旧彦根藩士)の墓、桜田殉難八士之碑がある。また同寺の草創を物語る、洞春院(吉良政忠)と弘徳院の宝篋印塔が残されている。

また、この豪徳寺の敷地もかつては世田谷城だったといわれていますね。

豪徳寺

平成十八年に完成した三重塔が出来立てな雰囲気で美しい。

豪徳寺の梵鐘
こちらは延宝七年(一六七九)完成の年代ものの梵鐘です。見上げるとおおっ!と言う立派な雰囲気。

寺内の掲示板より
本梵鐘は、延宝七年に完成の後、今日まで移動なく当寺に伝えられてきた。
形姿は、比較的細身で均整のとれた優美な姿を呈し、吊手の竜頭は力強くメリハリのきいた雄渾な造形で、細部の表現も精巧な出来栄えである。撞座の意匠も独創的であり、工芸的に優れた完成度の高い梵鐘といえる。
製作者の藤原正次は、悦に釜屋六右衛門とも名乗り、当時江戸で名のあった鋳物師である。また世田谷代官大場市之丞吉寛が幹事となっている。
本梵鐘はこの時期の梵鐘の一典型として、さらには、著名な鋳物師の力量を窺う作品として、美術工芸的に貴重である。また、区内に伝わる梵鐘としては現在最古であり、世田谷に縁ある人物がその製作にかかわるなど、近世世田谷の歴史を知るうえでも貴重な遺品である。

豪徳寺の招き猫

豪徳寺は井伊直孝の故事にちなんで招き猫発祥の地とされているため、このような招き猫人形(招福猫児)が一杯。


招き猫 - Wikipedia
江戸時代に彦根藩第二代藩主・井伊直孝(1590年3月16日- 1659年8月16日)が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった。そのときこの寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため寺にたちより休憩した。すると雷雨が降りはじめた。雨に降られずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、豪徳寺は盛り返したという。
和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔った。後世に境内に招猫堂がたてられ、猫が片手をあげている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)がつくられるようになった。ちなみに、この縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺となったといわれる。

とのこと。
そして、この招き猫がひこにゃんのモデルでもありますね。

その他、色々寺内を見て回りました。様々な木々が繁り四季折々で楽しめそうなスポットです。

豪徳寺

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「「空気」の研究」山本七平著

現代の日本で我々を支配する"空気"の正体を考察した山本七平の代表作。
「空気」とは何かについて考察した『「空気」の研究』、
その空気を溶解させる水を差すという行為について考察した『「水=通常性」の研究』
空気と水の関係の背景にある日本的思想について考察した『日本的根本主義(ファンダメンタリズム)について』
の三部からなっている。

以下長文なため、続きを読むからどうぞ。


続きを読む >>
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新宿区が新宿御苑の周りに玉川上水の流れを復活させるそうです

東京新聞:ヒートアイランド緩和へ予算計上 『玉川上水復活』新宿御苑で始動:社会(TOKYO Web)

 江戸時代、飲み水供給のために造られた玉川上水を“復活”させる事業が新年度、東京都新宿区の新宿御苑北側にある散策路で、本格的に始まる。新宿区は二〇一一年度までに、計約六億四千万円をかけて約五百四十メートルの水路を整備する方針で、新年度予算案に実施設計費約九百万円を盛り込む。「歴史文化の発信だけでなく、都心のヒートアイランド現象を和らげるなど、時代に沿った新たな役割を担わせたい」としている。

 玉川上水は、東京都羽村市の羽村堰(ぜき)から新宿区の四谷大木戸に至る全長約四十三キロの水路。一六五三年、幕府の命を受けた玉川庄右衛門、清右衛門兄弟が建設した。現在も上中流部は水道の原水や、高度処理された下水が流れている。しかし、下流の約十八キロは地下水路になっており、一九六五年に西新宿の淀橋浄水場が廃止されて以降、水流は途絶えている。

 新宿御苑付近の玉川上水だった部分も、散策路に隣接する区道の地下にある。掘り起こして再現するという方法は「費用や周辺ビルなどへの影響もあり現実的でない」として採らなかった。区は散策路に幅約一メートルの水路を新たに造って「分水」とする。水は地下を通る御苑トンネルにわき出る地下水を、くみ上げて流す予定だ。

 江戸時代、本水路から引き込む分水は、三十三本が幕府の記録に残っている。新たに造る分水は、三十四本目の「内藤新宿分水」と名付ける。

 同区内の玉川上水をめぐっては、二十年前に地元住民の要望を受け“復活”機運が高まったが、事業主体と維持管理の問題が解決できず頓挫。今回の計画は、二〇〇四年に中山弘子区長と小池百合子環境相(当時)の対談をきっかけに、御苑を管理する環境省など関係省庁でつくる検討会が発足して進展した。

 地元に住んで四代目という内藤町まちづくり推進協議会長の首藤恭輔さん(79)は「費用がかかるため、批判もあるかもしれないが、都市の自然環境創出という点で意義がある。次世代が歴史や自然を学ぶ場にもなる」と話している。


具体的にどこのことだろうと思ったら新宿御苑散策路って御苑の周りのあれか。
玉川上水の流れが復活するのは個人的には嬉しいので楽しみなな気持ちもあるけど、御苑の周りなら高額の予算掛けてもあまり意味無いような気もするなぁ。ヒートアイランド対策というならちょっとアレかも・・・玉川上水なら今暗渠になってる上北沢〜下高井戸〜明大前〜笹塚〜初台あたりに川の流れと緑地が出来た方がいいと思う。京王線、中央自動車道&甲州街道沿いなのでヒートアイランド対策として効果は抜群じゃないかなぁ。
まぁ、それだと新宿区は関係なくなるんだけど・・・

なので、ヒートアイランド対策というなら新宿区はその予算を例えば新宿駅から延びる甲州街道、青梅街道、靖国通りへ街路樹を植えるとか、公園や広場などの整備とか緑化に当てるのが良いかなと。

このニュースに関連して、1月17日(木)午後3時から新宿御苑インフォメーションセンター2階で以下のシンポジウムがあるそうです。
ニュースリリース・シンポジウム「玉川上水・内藤新宿分水の実現に向けて」

ちなみに玉川上水といえば太宰治が入水自殺した川ですが、それは彼が住居を構えていた三鷹のあたりです。
人間失格 (集英社文庫)
人間失格 (集英社文庫)
太宰 治

参考サイト
玉川上水散策地図

関連エントリー
Kousyoublog | 玉川上水(鷹の台駅〜玉川上水駅)

図解 武蔵野の水路―玉川上水とその分水路の造形を明かす
図解 武蔵野の水路―玉川上水とその分水路の造形を明かす
渡部 一二

玉川上水―水と緑と人間の賛歌
玉川上水自然散策―身近な生きものたちとの共生の喜び
阿久津 喜作
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5分ぐらいで分かる伊勢神宮の歴史

ココロ社さんの記事が超面白かったので、伊勢神宮の歴史についてざっくりとしたまとめです。
実は、伊勢神宮は不変ではない…が、そこがいい。 - ココロ社

■創建〜平安時代
伊勢神宮の創建は不明です。古事記・日本書紀には第十一代垂仁天皇(紀元前69〜70年ごろ?)の皇女によるとも書かれているが伝説にすぎません。

7世紀に持統天皇が式年遷宮を始め、天照大神という天皇の祖先を祀っていることから平安時代を通しては皇室以外の参拝は禁止されていました。

■伊勢神道の成立
鎌倉〜南北朝時代、朝廷の力が衰微したことで、伊勢神宮の外宮内に祀られていた食物・穀物の女神豊受大神(トヨウケビメ)の方が天照大神より偉いんだから、これからはトヨウケビメをメインで祀ろうという考え方を外宮の禰宜(神官)だった度会さんが言い出し始める(伊勢神道のはじまり)

この間も粛々と式年遷宮は続いていたが、戦国時代になると、流石にもう無理っす。ということで式年遷宮は中断。

■伊勢講の始まりとお伊勢参りブーム

16世紀〜17世紀、完全に忘れ去られつつあり、財政難に苦しんでいた伊勢神宮だったが、ここで会心の一撃となるビジネスモデルを考案する。

神官A「外宮に祀られてるトヨウケってさー、食物、穀物の女神じゃん?」
神官B「うんうん。」
神官A「これからはトヨウケを前面に押し出さない?」
神官B「えー、なんで?うち皇室の祖先のアマテラスがメインじゃん」
神官A「いやいや。アマテラスがメインなままじゃもう稼げないって。アマテラスがメインだったら皇室しか参拝に来ないし、朝廷はもうお金ないじゃん。トヨウケが丁度穀物の女神だし、神仏習合でいうと稲荷大明神とイコールだからさー多分ポテンシャルあると思うんだよねー、一気に農民のみなさんに来てもらうのよ。ブルーオーシャン戦略って感じ」
神官B「うーん。そりゃわかるけど農民はみんな金ないし、うちの神社結構辺鄙なところにあるからそう上手くいかないよ。」
神官A「いやいや、そこでまず伊勢神宮のファンを増やして、ファンの皆さんが積み立てしあう仕組みつくるの。最近神社ブーム(中世は現世に嫌気をさした人達の参拝がブームとなった)だし、街道整備されてきてるから(五街道の整備)昔より旅行しやすいし、なんだかんだで昔よりみんなお金持ってるから(後醍醐天皇から織田信長、秀吉に至る各大名・商人の重商主義政策が効を奏して貨幣経済が浸透した)、農民たちもお金さえなんとかなればいけると思うんだ。」
神官B「そうねぇ。今のままだとジリ貧だし、ここは色々やってみた方がよさそうね」

というわけでのちにお伊勢参りとして数百万人を動員することになる「伊勢講」の始まりでした。信者たちで伊勢神宮へ参るための積み立てグループ(=講)が各地で結成され、旅行も兼ねて伊勢参りに行きたいというムーブメントが起こります。お伊勢参り観光ガイドブックとか出たり、伊勢神宮に参ることは一種のステータスになっていたようですね。

最大で以下のような動員数を記録。
1705年4月〜6月 330万〜370万人
1771年4月〜7月 200万人
1830年3月初〜8月末 :427万6500人
当時の日本の人口が約3000万人だったことから考えて凄まじいブームです。

すっかりアマテラスは過去の神。やっぱりトヨウケちゃんだよねー。という感じだったんでしょう。

■明治〜現代へ

時は変わって明治維新。

M天皇「大政奉還してもらったはいいけどさー、朕ってマイナーじゃね?民衆は天皇のこと知らないっぽいじゃん」
大臣A「そうですねー。なんとか知名度アップしていかないといけないんですが・・・」
大臣B「あ、そういえば伊勢神宮ってあるじゃないですか」
M天皇「あー、うちのご先祖様のアマテラスが祀られてるあれね。でも行ったことないからよく知らないんだけどねー。で、それがどうしたの。突然。」
大臣B「ひらめきました。民衆に人気の伊勢神宮利用しない手はないっすよ。(ニヤリ)」

ということで、明治政府は天皇が伊勢神宮の天照大神の子孫であることを前面に押し出し、伊勢神宮を最高位の神社として権威付けに利用しました。
民衆に大人気の伊勢神宮に祀られている天照大神の子孫こそ明治天皇であり、天照の子孫であるから天皇は現人神であるとして祭政一致的体制が整備されました。
第二次大戦後も、神社の別格として最高の地位であることは続きます。

伊勢神宮はこのようにもっとも権威のある神社なり、式年遷宮は絶えることなく続き、常に多くの参拝客で賑わう人気スポットとなりました。

というわけで、かなりアバウトでざっくりなまとめですが、まぁ大体の理解としては間違ってない・・・かな。

とりあえず伊勢神宮まだ行ったことないので、家庭内で伊勢講するか。

参考サイト
伊勢神宮 - Wikipedia
お蔭参り - Wikipedia
神宮式年遷宮 - Wikipedia
神仏習合 - Wikipedia
伊勢神道 - Wikipedia
国家神道の成立
第二節 神明社の歴史

関連書籍
神仏習合 (岩波新書)
日本宗教史 (岩波新書)
古事記講義 (文春文庫 (み32-3))
現人神の創作者たち 上 (1) (ちくま文庫 や 30-3)
ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する (Harvard business school press)

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伊勢詣と江戸の旅 (文春新書)
伊勢詣と江戸の旅 (文春新書)
金森 敦子
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読みたい本メモ「日本人になった祖先たち」「物語の役割」「村上ソングズ」

日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス 1078)
日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス 1078)
篠田 謙一

amazonでの一般の書評など見ても概ね好評な様で、面白そうです。
実証の積み重ねで浮かび上がる当時の姿みたいなのを感じられるかなぁと期待。

物語の役割 (ちくまプリマー新書 53)
物語の役割 (ちくまプリマー新書 53)
小川 洋子

先日小川さんと河合隼雄氏との対談を読んでいて(→Kousyoublog | 故河合隼雄氏最期の対談(考える人 2008年 冬号)は現代人必読です。)、あー、そういえば先日書店でこういう本見かけたなぁと思い出して読みたくなった。

村上ソングズ
村上ソングズ
村上 春樹,和田 誠

出版社 / 著者からの内容紹介
ポピュラーなあの曲、知る人ぞ知るこんな曲。厖大なレコード・コレクションから村上さんが選び、歌詞を訳して紹介するジャズ、スタンダード、ロックの名曲。訳詞とエッセイに和田さんの絵も満載

村上春樹新作エッセイ。いつのまにか出てることに気がついた。軽い感じで読めそうですね。

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馬事公苑前のけやき並木道

馬事公苑前のけやき並木

去年の十月ごろに撮った写真。馬事公苑前のけやき並木です。この頃はまだ緑がよく繁る心地よい雰囲気。11月には紅葉が始まり徐々に美しくなります。そして12月末には落葉して、今は寂しい感じです。

夏と秋の境目ごろのこの並木道、特に世田谷通り側から見る風景はなんともいえない素敵な雰囲気を持っているなぁと思っています。

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馬事公苑前のけやき並木

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初夢のおはなし

日本人というか人間と夢の関係は古く古代にまで遡る訳ですが、日本では古く古事記の頃には中国式の夢占いや夢解きが行われ、夢を皆が語るようになっていたようです。平安時代から鎌倉時代になると西行は「年暮れぬ春来べしとは思ひ寝にまさしく見えてかなふ初夢」と詠んだり、僧明恵は「夢記」という夢日記をつけたりして、夢を語ることは日本人と切っても切り離せぬものになっていたように見えます。その後室町時代には良い初夢を見るために「永き世の遠の眠りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな(なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな)」という回文を書いた宝船の絵を枕の下にしのばせたり、江戸時代には初夢で縁起の良いものを「一富士二鷹三茄子」と言う様になったりして初夢が特別視されるようになりました。
習俗として1月1日〜1月2日または1月2日〜3日にかけてみる夢を初夢とするのが一般的ですね。

明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫)
明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫)
河合 隼雄

ここまで、参考URL
初夢 - Wikipedia
枕の夢・夢の枕1
初夢/江戸のつれづれ/江戸文化と伝承/吉原遊び江戸の日々
日本史特講I「夢見と夢解きの古代文化論」質問と回答
明恵 - Wikipedia

さて、私は今までは夢を見てもあまり心に留めずさらっと流していたのですが、最近、特にここ一年ぐらいは、夢もまた、自分の中のイメージの一つとして、一旦受け止めるというか、受け入れるようになってきました。

我が家では毎朝起きてから家人とどんな夢を見て、その夢をどう思うかみたいなことを雑談として話すことが多いのですが、(そういえば村上春樹も「遠い太鼓」で奥様と朝は夢の話をすると書いていて、ちょっと親近感を持った)そういう生活の一部としての距離感を持っていると、なかなか毎日が面白く感じます。

遠い太鼓 (講談社文庫)
遠い太鼓 (講談社文庫)
村上 春樹

特に初夢だから、とか夢占いとかは考えず、夢もまた生活の一部という自然な感覚かな。夢に意味や吉凶とか予知とかがあるとは思いませんが、夢を端緒に自分自身の感情とか思いとか生活とかを振り返るというのはなかなか良いことなんじゃないかなぁと。

ということで、初夢!というように肩肘張らず、大晦日から今朝方までに見た夢はこんな感じ。

12月31日〜1月1日にかけてみた夢
私は犬が苦手なのだけど知人の飼い犬を預かることになり、どうしていいかわからずあたふたとしてしまう。とりあえず散歩させたりするのだけど、犬が疲れたようで抱きかかえてやると犬は糞をもらしてしまい、私の手にもついてしまう。とりあえず手についた糞を洗い流して犬を見ると犬も汚れているのだが、タツノオトシゴのような子供が生まれてその犬の側に横たわっているのと、その犬の背中に胴長の犬がもう一匹重なっていて何やら不思議な状態に。とりあえず犬の汚れをとってやらなきゃと思い、ホースを探してきて犬に向かって放水すると、犬の背中に乗っていた胴長犬がコテッと倒れてしまう。そこに僕に犬を預けた方が戻ってきて、嘆息して静かに「こんなことを犬にしてはダメですよ・・・」と静かに言ってくる。では、私はどうすればよかったのだろうか・・・と戸惑いつつ夢は終わり。

1月1日〜2日にかけてみた夢
映画館か喫茶店だと思うのだけど、テイクアウト式のカウンターでメニューを見ながら紅茶を注文すると「2,600円になります」と店員が当たり前のように言ってきてびっくりする。高すぎる・・・と思い注文をキャンセル。何故2600円もするのだろう。という疑問とともに目が覚めた。

1月2日〜3日にかけては夢を覚えていない。何か断片的にイメージが残ってはいるのだけど。

ということで、犬を好きになろう!という訳ではなく、確かに苦手なことと上手く付き合い、適切に対処することを避けているようなところがあるなぁという感覚はなんとなく持っていたけどやはりそれと向き合うことは先延ばしにしていたなぁと思います。そういう思い抱きつつ正月を過ごしている感じ。

初夢からどんなことを感じて、どんな自分の姿に向き合えたかを考えてみるというのも一年の最初にしてみると面白いかもしれませんね。

ヒトはなぜ、夢を見るのか (文春新書)
ヒトはなぜ、夢を見るのか (文春新書)
北浜 邦夫

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初詣の歴史を調べてみた

初詣の由来について以下のエントリーを見てかなり興味が沸いたので調べてみました。

初詣の歴史を皆知らない - mmpoloの日記

盆と正月はそもそもは豊穣を祈る行事として存在していた。
参考
◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(八)
(※注1)農耕民族である我が国において、正月と盆の行事は、年中行事の中で最も重要なものである。正月は歳神(トシガミ)の来臨を願いこれを祀り、一年の農耕生活の安泰を祈ろうとすることと、一年の行事を儀礼化して演出し、類感呪術・模倣呪術によって豫期の収穫を得ようとする行事や、年穀や天候の吉凶を占う行事を中心にして、種々の呪術宗教的な要素を以て構成されている。歳神のトシは時間の区切りとしての「年」であるとともに年穀の稔(トシ)でもあり、したがってこの神は穀物霊、ことに稲霊から発達した農耕神と考えられている。

 すなわち、秋の収穫が終わって次の蒔種期に至る中間、そして太陽が南行の極みに達して北行に変わろうとする境目において、穀霊の活力の復活を祈り、豊かな稔りを期待する呪術的・祈祷的な儀礼行事として始まったものと考えられる。しかし他面、この神をミタマサマといい、供飯をミタマノメシと呼び、さらには「佛の年越」「先祖正月」として家の先祖の霊を迎え祀るところの多いのを見ると、この神は先祖霊としての性格も持っており、七月の盆行事に対する祖霊祭祀としての色彩も濃いようだ。

ということで、正月は五穀豊穣を祈り神の訪れを待つ行事だったものが、

書評・川田稔『柳田国男のえがいた日本』
氏神とは、本来それに奉仕している人々の祖先の霊魂を神として祀ったものであり、初代の祖先の霊のみでなく、代々の祖先の霊をも包含した祖霊の融合体である。そして、人は誰しも死後一定の期間を経た後に浄化され、清められた存在になることによって氏神に融合され、山のいただきにとどまって、農産物の成育を助け、子孫の繁栄を見守っていると人々に考えられてきた。したがって、氏神の守護に対して人々は一定の時期に神を祀る儀式を毎年繰り返し行っていたのである。このように本来氏神は大家族制のもとに、同一の血縁集団とその占有する土地を保護するものであったが、大家族制の解体が進み、複数の異なった氏神をもつ人々が集合して村を形成するようになると、村の住民の内面的な共同性を形成し村内部の結合を安定化させるために、通常それらの家々の氏神がともに合祀されるようになった。それが、近代日本の農村において一般的にみられる「村の氏神」である。

このような過程で後に村の巨大化によって氏神を共同で祀るようになって、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神の社に蘢る「年蘢り」が行われるようになったということでしょうね。
ちなみに現在のような村の成立は網野善彦の「日本の歴史をよみなおす」によると南北朝から室町にかけて15世紀前後だと言われているようです。
日本列島の主要部に、村と町といえる明確な実体を持つ集落が安定的に成立するのは、だいたい十五世紀ぐらいからといってよいと思います。


おそらく15〜16世紀にかけて合祀された氏神を中心とした村落が成立したのちに、「年篭り」が始まったと考えられますね。
そののち除夜詣でと元日詣でに別れて、恵方詣でが始まる訳ですが、除夜詣で、元日詣での成立はよくわかりませんでした。元日なだけに図書館も開いてないし。ただ、大晦日と元日の役割の違いが根本にはありそう。

◆夏の行事、お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)(八)
正月は歳神(トシガミ)の来臨を願いこれを祀り、一年の農耕生活の安泰を祈ろうとする

六月と十二月の晦日(みそか)には、天下万民の罪や穢れを祓う大祓が恒例となっている。

ハレのイベントとしての正月と禊としての大晦日。これを明確に分けた、あるいは別れていったんじゃないだろうか。

で、ハレのイベントだけが家長だけでなく家族みんなで氏神に詣でるようになったと。
さらに恵方詣では恵方というと陰陽五行思想に基づいていると思いますが、陰陽道の全盛期にあわせて恵方など方位がブームになり、江戸末期にそのブームがしぼんでいったんだろうと思われますね。
陰陽道とは
陰陽道宗家の凋落的な傾向とは別に室町時代辺りから民間に浸透してきた陰陽道は江戸時代に全盛期を迎えます。諸国を巡回して暦や方角の吉凶を教えたり加持祈祷などによって一般庶民の支持を得てきました。

明治時代には新政府による陰陽道の廃止により土御門神道は取り壊されましたが、戦後、信教の自由のもとで天社土御門神道として再興されました。


おそらく恵方詣での終わりと、鉄道など日本の流通力の飛躍的増大とがマッチして、かつ氏神を中心とした村の単位が明治維新によって壊れていったという転換点で、農耕的な祭祀からイベントとしての初詣に転じていったのだろうと思われます。
そういう空気があって、恵方なんて関係ねーというような鉄道会社のPRが効を奏したのかと。

鉄道会社がPRしたのは間違い無さそうですね。
ちくさ通信: 初詣の歴史

だから、鉄道会社のPRによって現在の初詣が始まったのではなく、社会の転換として現在の初詣が始まったといえるのかなぁ。

複数の家族による村の成立が生産力の向上、分業、貨幣経済と流通網の整備で15世紀に成立したように、明治期に村社会が崩れ鉄道によって流通網が飛躍的に向上し、宗教的祭祀の効果が薄れたことで、とりあえず区切りとしての初詣というイベントが成立していったんじゃないかなぁ思ったりします。それは鉄道会社が恵方を混乱させたりしなくても自然と成立したものではないか、と思ったりするのだけど、そこはもっと調べてみたいなぁと思います。

後半グダグダというか推論ばっかりになってるのがイマイチあれかな・・・と思いつつ。

1/2 16:55追記
続けて、このことに関連してちょっと飛躍したことを書きました。
Kousyoublog | 初詣は変化を体験する画期的イベントだったのではないか。ケータイ小説のような。

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)
日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)
網野 善彦

関連エントリー
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Kousyoublog | 神社にはお願い事をするより報告をしよう
Kousyoublog | 神社の参拝の方法
Kousyoublog | 初詣

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朝のドタバッタ

数日前、朝食の準備をしていた同居人のソプラノボイスな叫び声が近隣に響き渡った。声楽の訓練をしているだけあってオペラハウスの隅々まで行き渡るような絶叫である。すでにその程度の大きさの声には慣れっこだが近所の人はびっくりだろうなぁ。なんて思いつつ振り返り、何事かと近づくと、2時間ドラマで河川敷に浮かぶ死体を発見した目撃者の様な顔でシンクを指差し、ほらッ!ホラッ!ほらっっ!なんて、何がほらなのか。よくわからないけど流しを見る。おやおや。流しでバッタがレタスの下敷きになって溺れかけているではないか。

ああ、どうやら近所のスーパーで買ったレタスにでもついていたのだろうなぁ。新鮮で結構結構。なんてのんびり構えていると、ベランダから捨ててッッ!と残酷なまでの殺バッタ指令。已む無くベランダから外に落とすことになったのだが、まぁ二階だし落としても大丈夫だろうということでバッタの黄緑色の胴体を優しくつまんでベランダから外へ。下の駐車場に無事落下したのを確認して、捨てたよーと報告すると、これからレタス食べるたびに思い出しそう・・・ってとても思い出深いエピソードになったのかと思いきや嫌悪感を覚えたような表情だったので、いやいや、バッタがついているということは無農薬で健康的じゃないですか。それにしても冷蔵庫の中で良くバッタは寒くなかったなぁ。ああ、レタスの中は意外とあったかいのかもしれない。バッタさん的には羽毛布団みたいな気分で、しかも腹減ったら食えるし。多少の寒さぐらいは我慢できるよね。なんてバカ話してるうちに同居人はすっかりバッタのことは忘れてレタスをもしゃもしゃ。

そんな朝のエピソードだったのだけど、困ったことにそれからというもの、僕の頭の中からバッタが離れないのであります。あのバッタ元気かな。とか、いくら緊急時だったとはいえ、二階からコンクリートに落とさなくても、ちゃんと丁寧につまんで近所の公園ぐらい駆けていっても良かったんだけど、とか後悔と反省と、バッタの安否が気にかかってしょうがない。翌日になって同居人にあのバッタ元気かなぁ。とか言ってみたら、あれ、昨日の夜、非常階段のとこでみたわよ。なんて目撃証言。思わず駆け出して非常階段を入念にチェックしたけど、バッタの姿は見えず。上手く草地へと避難出来ていることを祈りつつ、今度レタスにバッタがいたら優しく対処してあげよう、と誓った秋の一時でした。

バグズ・ライフ
バグズ・ライフ

日記・雑記・生活 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

自己愛性パーソナリティの9つの特徴と自己診断チェックリスト

安倍総理辞任に関して、安倍さんが自己愛性パーソナリティが強い、という記事がyahooに掲載(→なぜ“ポッキリ”折れたのか 安倍首相の「心」を分析)されていましたが、その自己愛性パーソナリティについて、まとめてみました。といっても以下の書籍の該当ページ(P102〜P133)のまとめです。

パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)
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3 もう少し現場の生の意見がほしかった


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身体と健康 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

政治ポジションテスト

政治ポジションテスト
Yahooがやっている政治ポジションテストをやってみました。

政治ポジションテストの結果
リベラルな政治を求めるタイプでした。

あなたは個人の自由や権利を尊重しながら古い仕組みを変えていく政治が望ましいという考え方を持っているようです。また、新しい価値観や仕組みを積極的に取り入れようとする姿勢を持っていますが、そのせいで従来の社会が持つ良い面を見落としてしまうこともあるかもしれません。

あれー、質問に従来の社会が持つよい面についての質問なんてあったかな・・・
なーーんか最近もう右とか左とか保守とかリベラルとか区別のつけ方がわけわかんない感じに混沌としているようなので、リベラルと言われてもいまいち実感がないのですが(笑)
リベラル
個人の自由や権利を尊重し、社会や体制の変化を促進していこうとする立場。
保守
共同体の伝統・秩序・習慣を重視し、社会や体制を維持していこうとする立場。

小さな政府 (市場信頼)
規制緩和を推進し、政府が市民生活に与える影響を抑えようという立場。公共事業や福祉の削減による効率的な行政運営を重視する傾向がある。
大きな政府 (政府規制)
規制を強化し、政府が市民生活に積極的に秩序を与えようという立場。政府に権限を集中させ、公共事業や福祉の充実を重視する傾向がある。


ということなのですが、スタンス的には共同体の伝統・秩序・習慣を重視しつつ、個人の自由や権利を尊重し、社会や体制の変えるべきは変え、維持すべきは維持する立場なんだけどなー。あと、大きい、小さいはこういう定義でいいのかしら。
規制緩和し、政府の介入は少なく、しかし公共事業や福祉の充実を重視して、政府が主導的に動いてほしいって思っているんだけど、矛盾するのかな。対立するものではないと思うのだけど。

それぞれの質問に対しての僕の考え
続きを読む >>
政治・経済 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

秋どこへ? ラニーニャで日本の四季が消えた

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 秋どこへ? ラニーニャで日本の四季が消えた
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070909-00000909-san-soci
■10月まで残暑、そして厳冬の予想

 埼玉県熊谷市など全国2カ所で40.9度を観測、国内最高気温を74年ぶりに塗り替えるなど、異例の猛暑となった今夏。8日は台風9号が持ち込んだ暖かい空気の影響で、都心の最高気温が32.9度など各地で真夏日を記録し、強い日差しが戻った。そろそろ秋の気配を期待したいが、気象庁によると、残暑はまだまだ続く見込み。秋らしい秋を感じないまま、厳冬に突入する可能性も。日本の四季が薄れゆくのは、どうやら今年の猛暑を引き起こした「ラニーニャ現象」と温暖化に原因があるようだ。(桜井紀雄)

 気象庁の秋の3カ月予報によると、太平洋のペルー沖と正反対のインドネシア近海で対流活動を活発化させたラニーニャ現象は冬まで続く見通し。このため9月は、猛暑となった8月同様に太平洋高気圧の影響で残暑が尾を引くことになりそうだ。ただ、夏のようにカラッと晴れるわけではなく、「9月特有のぐずつく空模様で、蒸し暑いだけ」(気象庁)と、うんざりする天気が続く可能性もある。10月になっても高い気温は続き、初冬ともいえる11月に入ってようやく平年並みに落ち着く見込みだ。
 猛暑をもたらしたラニーニャ現象は、冬には寒さを呼び込む。対流活動の活発化は日本上空に寒気を南下させる要因ともなり、厳冬になりやすいという。平成17〜18年冬の記録的豪雪の一因ともなった。気象庁の高橋俊二予報官は「冷夏や暖冬につながるエルニーニョ現象が寒暖のメリハリをなくすのに対して、ラニーニャ現象はメリハリをつけるのが特徴」と説明。今年については、残暑が長引くと予想されるため、短い秋を満喫する間もなく、厳しい冬を迎える事態も起こりかねないという。
 “長い夏”をもたらし、秋を縮めさせるのはラニーニャ現象ばかりではない。地球規模で進む温暖化と都市が熱をため込むヒートアイランド現象も要因に挙げられる。気象庁によると、温暖化のために、日本の平均気温はここ100年で1度以上上昇。東京に限れば、ヒートアイランド現象の影響が加わって約3度上がったという。「特に5月までの春で気温上昇が顕著で、相対的に夏を感じる期間が広がっている」(高橋予報官)
 長い猛暑と厳しい冬。そしてわずかばかりの春と秋。情景豊かな日本の四季は、今後ますます薄れていくことになりそうだ。


あれ、最近比較的涼しくなってきたかも・・・とか思ったりしていたのですが、よく考えてみるとまだ30度overで真夏日ですね。

秋が一番好きな季節なんだけど短くなるのはいやだなぁ。
ということは紅葉の見ごろはほんとに12月とかになっちゃうのかしら。

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太宰「人間失格」、人気漫画家の表紙にしたら売れて売れて

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070817-00000514-yom-soci

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 太宰「人間失格」、人気漫画家の表紙にしたら売れて売れて

人間失格 (集英社文庫)太宰治の代表作「人間失格」の表紙を、漫画「DEATH NOTE(デスノート)」で知られる人気漫画家、小畑健さんのイラストにした集英社文庫の新装版が6月末の発行以来、約1か月半で7万5000部、古典的文学作品としては異例の売れ行きとなっている。



 「恥の多い生涯を送ってきました」という文章で知られる「人間失格」は、太宰が自殺する1948年(昭和23年)に発表された自伝的小説。生きることの苦悩を見つめた小説には若い世代のファンが多く、52年初版の新潮文庫は602万5000部と夏目漱石「こころ」と並ぶ大ベストセラー。90年初版の集英社文庫でも40万部を超えている。



 従来の表紙は抽象画だったが、編集部は、「いかにも名作」という路線からの脱却を目指して小畑さんに表紙絵を依頼。新装版は、「デスノート」の主人公・月(ライト)を思わせる学生服姿の男の子が不敵な顔で座るデザインとなった。


鬱屈した厭世感に包まれたナルシズムたっぷりの10代のころに読んでこそマッチする本なので、こうやってターゲットを読むべき世代に絞って売り込むのは良いと思います。賛否両論の様ですが、いいんじゃないでしょうかね。

とはいえ大人も読むと思うので表紙は小難しい版と若者向けの今の版と二種類出しておくのがいいのかなと。





さよなら絶望先生 第1集 (1) (少年マガジンコミックス)

さよなら絶望先生 第1集 (1) (少年マガジンコミックス)

久米田 康治
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大蔵三丁目公園

世田谷通りに面した国分寺崖線に沿って作られた公園です。
傾斜を見事に使って公園にしていて、そこまで広いわけではないのですが、歩いていてとても心地良かったです。
大蔵三丁目公園大蔵三丁目公園
このあたりの樹木と遊歩道とのバランスがすごくいい。

大蔵三丁目公園
湧水が池になっていて涼むことが出来るスポットでした。

また、この公園の林は黒澤明監督の「七人の侍」のロケでも使われました。
そういえばすぐそばに東宝の撮影所があります。

国分寺崖線の自然を上手く使った公園というか散歩道的な一帯です。

大蔵三丁目公園
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僕の読書スタイルには4つのステップがある

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 松岡正剛の読書術
とても興味深く読んだ記事です。
松岡正剛氏の著作はどれもジャストフィットしてきて思わずはまってしまうのですが、これは未読なのでぜひ読んでみたい。「ちょっと本気な千夜千冊虎の巻―読書術免許皆伝」は早速図書館で予約しました。

さて、そういえばこれまで自分はどういう読書スタイルであるかよく把握していませんでした。そこでこの機会に自分の読書スタイルを思い起こしてまとめてみました。

僕が本を読むときに自然と行っている行為は大きく分けると以下の四つ。

1)通読
2)抜粋
3)まとめ
4)照合

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今、この時にブログを書くということについて

今、自分の思考をブログに書くことの意味があるように思っています。
おそらくここ一年かけて大きな乖離が僕と何かの間に生まれて、その乖離が何かのボーダーラインに到達しているように思っているのです。漠然と感じていたその乖離を自分で整理することが必要で、敢えて公開される文章を書くことで、自分の思考の過程と結果をシンプルに、整理することが出来るのではないか、と思っています。
実際に公開する必要性があるかどうかは別問題なのだけど、実際に極少数であれ、第三者に見られることを意識することで生まれる緊張感がさらに思考に集中力を与えるのではないかと思う。

こういう乖離の原因を突き止め、溝を埋め、内と外とで大きく開いてしまった何かを再統合するという過程は、とてもストレスフルなのですが、しかし、向き合わずにはいられない魔力みたいなものを秘めていて、何かに憑かれたように思考と文章化に自分の時間を注ぎ込んでいます。

この思考の試みは、根拠は無いのですが、今週で終わる確信を持っています。
今週の金曜日が僕の35回目の誕生日なのですが、おそらくこの日がターニングポイントになるんだろうと思い込んでいるところがあって、多分そこに向かって望むと望まざるとに関わらず集約していくはずです。

そういえば村上春樹の短編にそんな話があったな。
回転木馬のデッド・ヒート
回転木馬のデッド・ヒート
村上 春樹

回転木馬のデッド・ヒートのプールサイドという作品。
こちらは老いを自覚し、35歳を人生のターニングポイントだと決めた男の話か。
僕の場合、人生のターニングポイントと言うわけではないんだよな。
老いは自覚しているけど、あくまで今を取り巻く状況のターニングポイント的な感覚ですね。
でもターニングポイントを超える瞬間はおそらく実感出来るだろうと思う。
そして、今のこのターニングポイントを越えた瞬間から、次は人生のターニングポイントを自覚する作業に入るのかもしれない。入らないかもしれない。
そんな先のことはまだわからないので、まずは目の前と向かい合う作業を進めていきます。

思えば、去年も誕生日はターニングポイントだったな。去年の5月から始まって丁度誕生日に、それまであまり目を向けていなかった自分の感情や感覚に目を向けようと決意していて、今の乖離はその時の決意による影響もあると思う。

一つの小さな選択が、大きなうねりを呼ぶことをよく自覚しつつ結論付けるよう心がけて行きたいです。

【関連エントリー】
- Kousyoublog | 過渡期
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- Kousyoublog | 村上春樹の短編小説個人的まとめ
- Kousyoublog | 今年の三冊(2006年)
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- Kousyoublog | 「外なる自己」のつくり方―性格を変える新人間関係論


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サントリー美術館開館記念展II 「水と生きる」

サントリー美術館開館記念展II 「水と生きる」

東京ミッドタウンに移転したサントリー美術館の開館記念展第二弾「水と生きる」展に行ってきました。
サントリー美術館の開館記念展として、日本の豊かな自然環境の源といえる「水」をテーマに、日本美術に表現されてきた「水」の造形美をご覧いただきます。 <潤 水と生きる><流 水の表現><涼 水の感覚><滴 水をよむ>の構成で、館蔵品約180件により、水と人との係わりを捉えます。水そのものを表現した作品、水を抽象的に表現した伝統の意匠や水を連想させる素材や色合いを持つ作品を集め、展示空間全体から、水を感じとっていただければと思います。最も水に親しむ夏の気候のなかで、今展観が、暮らしに欠くことの出来ない水のありがたさと、その水を大切にしてきた日本の文化を見つめなおす機会となれば幸いです。


水と人との関係、水を大切にしてきた日本の文化、というテーマにとても興味があります。

初代歌川広重の「東海道五十三次之内」は「日本橋朝の風景」から始まって川のある日本の風景が並びます。
当時は日本は水上交通が盛んだったというのは知っていましたが、こうして見ると川のある風景が当たり前だったんだなぁと感慨深いです。
同じ広重の江戸の有名店を扱った「江戸高名会亭尽」シリーズも面白い。
川縁で川を眺めながら、あるいは屋形船や屋根船を浮かべて川遊びって楽しそうだなぁ。

雨宿り図屏風(高嵩谷作)は突然の雨に困り顔の大人たちとはしゃぐ子供たち、それぞれのリアクションを表情豊かに描いた屏風でとても面白かったです。

草花と流水を組み合わせて描いた小袖などの着物のデザインも素敵でしたねー。オーソドックスに見えてとても斬新。

江戸時代末期の切子と呼ばれるガラス細工のことはほとんど知らなかったのですが、当時のこういう手工業の技術は凄いですね。
サイトにも掲載されている薩摩切子の「切子藍色船形鉢」は絶妙なデザインとバランスで興味深くまじまじと見てしまいました。
水そのものというよりはここに注がれるであろう水とのバランスを考えたデザインかもしれませんね。これ自体から水の流れは感じないけど、その形から水を想像できる感じです。
切子についてよく知らなかったのですが、江戸切子と薩摩切子とあるようです。
東京カットグラス工業協同組合
島津 薩摩切子 【 薩摩ガラス工芸 】 島津興業

全体として、水そのものを感じるというより、水が側にある日本の生活や文化の紹介をメインにした作品群でした。

水そのものを感じるというか、日本の自然の中の水、ということだと昔見た横山大観の全長40メートルにも及ぶ絵巻物「生々流転」がすごかったなぁ。

まさに日本の水そのものであり大自然の中の水であり水とともに流れる人動物植物など万物の流れでした。

水とともにあり、水とともに流れるそんな作品が見たいです。

サントリー美術館「水と生きる」展

【関連エントリー】
- Kousyoublog | 国立近代美術館「近代日本の美術」展
- Kousyoublog | 東京都庭園美術館「モダン日本の里帰り 大正シック」展
- Kousyoublog | 東京都写真美術館 > 天野尚写真展 -「佐渡」海底から原始の森へ-
- Kousyoublog | 東京都写真美術館 > 大地への想い 水越武写真展
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1973年のピンボール

村上春樹の鼠三部作第二作目。

前作「風の歌を聴け」と比べて"僕"と鼠との関係性が大きく変わっているように感じられます。前作では友人として、価値観を共有しあっているような関係だったものが、徐々に対比される関係性として描かれるようになっているように感じます。これは次の羊をめぐる冒険で顕著になっていくのですが、とりあえず今作では本文の僕と双子とのやり取りを使うなら
「右と左」と一人が言った。
「縦と横」ともう一人が言った。
「上と下」
「表と裏」
「東と西」
「入口と出口」


というぐらいの違い。
しかし、まだ当人たちはお互いがそういう対比、補完の関係になっていることには気がついていないという状況のようです。
そして、二人の物語が相互に補完し合いながら別々に進んでいきます。

二人の物語というか生き方の大きな違いはたった一点(しかし大きな違いなのかもしれませんが)だと思いました。
それは僕の物語は過去の記憶の昇華であり、鼠の物語は過去の記憶との決別でないでしょうか。
"僕"はすでに過去は振り返るものであるのに対して、鼠にとっては過去はまさに現在であるように目の前に沈殿している。

"僕"は過去の、たとえばピンボール「スターシップ」をプレイした思い出が今引っかかっていても、それと再会した上で折り合いをつけ、昇華させて生きていくことが出来る。
まだ、直子との思い出の昇華はもう少し後になるのだろうけど。
鼠にとってはジェイズ・バー、見慣れた街、飲み続け、彼女と話し、読書し続ける日々が思い出とともに今も続いていて、昇華させようがないんですね。前に進めない焦燥感がジリジリとしている。そこで過去と決別せざるを得なくなっていく。
せざるを得ないと書いたのは、最早、彼が進む道が前に向かっているかすら不確かなこの街との決別しかないからです。少しずつ、この三部作にとっての鼠の置かれた哀しい立場が明らかになっていくのが伝わってきて、切ない気持ちになります。
"僕"は少しずつですが過去と折り合いをつけてちゃんと前に進みます。

双子との別れは決別ではなく、一つ終わったからなのだろうという爽やかな雰囲気でした。

"僕"はこのあとも過去の不確かさに戸惑いながら、すり抜けていく現在を感じて前に進み、鼠は僕の影(シャドウ)といえるような生き方を選んでいくようになるという予兆を孕んだ作品でした。

二人にとってのイニシエーション(通過儀礼)的物語であり、鼠はより多く痛みを感じているかもしれません。"僕"は案外痛みや苦しみを配電盤と双子で救われている感がありますね。

十数年前、始めての村上春樹体験がこの作品だったのですが、当時はちんぷんかんぷんで印象に残らなかったんですよね。今読むべき時期に読むことが出来たてとても充実しています。とても味わいのある作品でした。

関連ブログ内記事
風の歌を聴け
村上春樹の短編小説個人的まとめ
パン屋再襲撃(双子と沈んだ大陸収録)
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二重橋と伏見櫓

二重橋

二重橋(正門鉄橋)と伏見櫓の眺めです。皇居で記念撮影といえばここ、ですね。
二週間ほど前に行きましたが日本人観光客や外国人が多く訪れて記念撮影していました。
この眺めは確かに美しいー。宮殿の雰囲気が充分感じられます。

二重橋と伏見櫓
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忘れられた日本人

忘れられた日本人
忘れられた日本人
宮本 常一

民俗学者宮本常一が昭和初期〜戦後にかけて地方の村々の老人たちについて、彼らがどう生きてきたかを聞き取り、一冊の本にまとめた民俗学を代表する著作。

対馬にて
村の寄りあい
名倉談義
子供をさがす
女の世間
土佐源氏
土佐寺川夜話
梶田富五郎翁
私の祖父
世間師
文字をもつ伝承者

当時の西日本の辺境の村々の様子が生き生きと描かれていて、とても興味深く読みました。

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蛇崩川緑道のこのあたりが最高

蛇崩川緑道中央図書館裏過ぎ



蛇崩川緑道のこのあたりが好きだ。

丁度、世田谷中央図書館の脇から緑道が始まって、図書館と小学校の間を抜けて、マンションの横〜人工のせせらぎが終わるあたりで振り向くと、緩やかなカーブを描きつつ、しかしまっすぐに延びて行く。道が(川が)突き抜けているような風景の中にいると、すぅーーーーっと気持ちが拡散していくような、あるいは空気に吸い込まれていくような感覚を味わえて、とても気持ち良い。



特にこの季節の、少し肌寒くなってきた午前中にこのあたりに行くと、静かな中で突き抜け感と水のせせらぎと鳥の鳴き声と季節の変化が味わえて、なんともいえない感覚になります。

やー、木々に囲まれた豊富な自然の中も絶品なんですが、こういう街中で、個人的にすごくお手軽に落ち着ける効果がある場所を探すのは、東京で暮らす上でとても大事だなぁ。と思う今日この頃です。
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湯島天神と神田明神

江戸と言えば神田明神と湯島天神ということで、東京に来てから二年半、やっと行くことが出来ました。

湯島天神

通称湯島天神(天満宮)その名の通り太宰府天満宮と同様菅原道真を祀った神社で、当初は天之手力雄命を祀っていたが、天神信仰の流行から菅原道真を合祀して出来た神社で、江戸の下町で、特に文化人や学者からの信仰を集めていたのだそうです。

いつも行くような神社は鎮守の森的静寂さが特徴の神社が多いので、それらとは正反対に庶民的な雰囲気でした。

神田明神

当初は大己貴命(大國主命)を祀る神社だが、後に平将門、少彦名命を合祀した神社。
江戸の総鎮守として、民衆の厚い信仰を集めているそうで、江戸といえば神田明神、なイメージありますよね。

帰りに明神甘酒で有名な天野屋の前でビクターの犬の置物がずらっと並んでいたのでパチリ。

天野屋前の犬の置物

天野屋さんは今日はお休みでしたので甘酒はいただけませんでした。残念。

この二社を参って下町から秋葉原に抜けたんですが、あまりのギャップに疲れました(笑)

関連サイト
神田明神
湯島天神
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古代日本人の自然観

古代日本人の自然観―古事記を中心に
古代日本人の自然観―古事記を中心に
古代日本人の自然観を古事記を元に丁寧に探っていて、読み応えありました。

古代人の世界観としては
日の昇る東の果てには活力の源、再生の象徴である「常世の国」があり、日の沈む西の果てには穢れや負の価値を祓い、清める「根の国」と死の象徴である「黄泉の国」があって、根の国で清められたのち、再び太陽は東から昇っていくという再生の観念があったわけですね。その原動力となるのがムスヒという思想で、日の力が注がれ自ず生成されていくという意味です。
全ては人為的なのではなく日の力で自然と萌えいずるという考え方があったということで、日本人らしいといえば日本人らしい感覚だなぁ。

そして古事記では当時律令国家の成立と支配、被支配の関係にも正当性を持たせる必要があったので、中国の思想も取り入れ、高天原という東西ではなく上空に浮かぶ神聖な場所から神が降りてきて地上を作り、地上の神を支配下に治めたという物語を作ったということです。上下と言っても、絶対的なものではなく、かなりゆるやかな、せいぜい山の上に住んでます。レベルの上下です。

この古来の東西の水平的な観念と古事記で成立した上下の垂直的な思想が混ざり、立体的な構造となって、古代日本のイデオロギーや宗教観が形作られたという内容なのですが丁寧に研究されていて面白いです。

ムスヒという考え方は日本人の基層となる考え方のようですね。

むすひ - Wikipedia

天地・万物を生成・発展・完成させる霊的な働きのこと(中略)「ムス」は「ウムス(産むす)」の「ウ」が取れたものとされ、自然に発生するといった意味がある。「苔生す」(こけむす)の「生す」も同根である。「ヒ」は霊または霊的・神秘的な働きのことである。神道においては、万物は「むすひ」の働きによって生じ、発展すると考える。神道において重要な観念の一つであり、その意義は江戸時代以降の国学者によって論じられた。


混沌の中からムスヒの力によって自ずから生命が生まれてきた、と古代人は考えていて、それが脈々と今も残っている日本人らしい考え方の基礎なのではないでしょうかねー。

また、鹿島大社(茨城県)-諏訪大社(長野県)-出雲大社(島根県)は北緯36度線でほぼ直線状に並び、鹿島大社に祀られている神タケミカヅチは出雲大社に祀られている神オオクニヌシ、諏訪大社に祀られている神タケミナカタを日本神話上は日本建国の際に倒していて、日本神話の国譲り伝説に関った神が東から西にヒ(日=霊力)順に祀られているというエピソードはとてもダイナミックで面白いです。

東の鹿島大社の先にある常世の国から昇った太陽は諏訪大社の上を通って西の出雲大社の先の根の国に沈み、落日の穢れを祓い清めて再び東の常世の国から昇る。
この繰り返しはそのまま農耕の周期や春夏秋冬とも重なり、日本文化の最古層になっているわけですね。
面白いなぁ。

古代人の思想や文化はさらに深く追究していこうと思っております。
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スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐

監督:ジョージ・ルーカス

製作:リック・マッカラム

脚本:ジョージ・ルーカス

撮影:デヴィッド・タッターサル

音楽:ジョン・ウィリアムズ

 

出演:ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ヘイデン・クリステンセン、イアン・マクディアミッド、サミュエル・L・ジャクソン、ジミー・スミッツ、クリストファー・リー



声の出演:ジェームズ・アール・ジョーンズ、フランク・オズ



ちゃんと悲劇してるんで安心しました。

こういう一本気な男の子が愛が深すぎて悪い方向に転落しちゃうってお話は洋の東西を問わずぐっと来ますなぁ。



アナキンくんが暗黒面に落ちてダース・ベイダーのマスクをかぶるまでの展開は悲哀に満ちていて、それ以降を思い起こすと、とても感慨深いものがあります。



ルーカス監督はスターウォーズはアナキンの贖罪の物語だと仰っていますが、アナキンが背負った十字架の重さを実感させるに足る、サーガの最後を飾るにふさわしい作品だったと思います。



そーいえば、僕の生涯初映画はスターウォズーズEP4でした。

あれから30年近く。映画との長い付き合いの原点がひと区切り迎えて個人的にも感慨深いです。



こののちダース・ベイダーは自らにけじめをつけるのに、あと20年かかるのかぁ・・・



この作品の何が悲劇かというと、見る人の全てが、この後も悲劇が続くということを知っていることなんだろうと思います。

アナキンの犯した過ちを償うのにさらに多くの犠牲が払われていくということを皆知っているから、見る人たちの中で悲劇性が増していくと言うわけですねー。



映画史に残る傑作の大団円を目の当たりに出来て幸せです。



スター・ウォーズ エピソード3 / シスの復讐

スター・ウォーズ エピソード3 / シスの復讐


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戸田奈津子さんまたまた誤訳を?

やじうまWatchより
■ 映画「キングダム・オブ・ヘブン」の理解を助けるWebサイト
 リドリー・スコット監督、オーランド・ブルーム主演の超大作映画「キングダム・オブ・ヘブン」。十字軍遠征の時代を舞台にした映画だ。セットなのかCGなのか、12世紀のヨーロッパの壮大な情景が見事に作り込まれていて、価値ある映像になっている。とはいえ、ストーリー全般はどうもおざなりの印象しかない。主人公の感情が平板に思えるし、登場人物の関係もなんだか理解しづらい。筆者の乏しいお小遣いの中から大枚をはたいて観ただけに不満を抱えていたんだけれど、どうやらこの映画もまた字幕に問題があったようだ。Webサイト「KINGDOM OF HEAVEN を正しく伝えたい!」では、40数点の問題点を指摘している。映画の字幕では、表示できる文字数の都合で、言葉が省略されることが多いんだけれど、この映画では全般的に省略されすぎていて、せりふの意味があちこちで変わってしまっているようだ。また、「嘆きの壁」も、単なる「城壁」も、どちらも「城壁」と書かれていたりするそうだ。映画を観てもいまいち理解できなかった、という人は必見だ。「2ちゃんねるの方舟」では、2ちゃんねるの関係スレッドのまとめサイトも紹介していた。こちらの方もあわせておすすめだ。
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石井聰亙×町田康

石井聰亙監督の最新作「鏡心」の上映トークショーが面白そう。



エキシビジョンツアーの予定で4月1日20時の回の対談相手が町田康だ!



おーーー。聞きたいなー。

上映は「ラフォーレミュージアム原宿」です。



石井聰亙×町田康といえばあの「爆裂都市」以来ですかねー。



あの映画じゃ町田康はアーウーしか言ってなかったけど(笑)
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2005年1月公開予定の観たい映画

1/1

カンフーハッスル

少林サッカー、食神の周星馳(チャウ・シンチー)最新作。

今回もバカ炸裂っぽそうで素敵だ。

日本公開時のキャッチコピーは「ありえねー。」らしいですが、

このオフィシャルサイトのわかりにくさが「ありえねー。」

とりあえずあらすじぐらい簡単に読ませてほしい・・・



1/15

またの日の知華

原一男といえば日本映画史に残るドキュメンタリーの怪作「ゆきゆきて神軍」の、あの監督ですが、今作では初の一般映画に挑戦ということで興味あります。

70年代に生きた一人の女性を四人の女優で演じ分けるというところで、凄く見応えありそう。

物語も重い感じですね。



1/22

レイクサイドマーダーケース

青山真治監督最新作。キャスティングが30代以上にはたまらないです。

薬師丸ひろ子、鶴見辰吾、杉田かおる・・・うーーむ。微妙に懐かしい匂いが・・・



フリック

小林政広監督作品は今まで未見だったのですが、毎回興味は惹かれているので、これを機に何本か観れたらいいなあ。と淡い期待を抱きつつ、観たい映画に挙げてみました。



1/29

オペラ座の怪人

ジョエル・シューマッカーといえば、職人監督・・・というか商業映画監督の印象が強いのですが、時々すごいスマッシュヒットな佳作を作ってくれることがあるので、あなどれないです。

で、今までオペラ座の怪人の映画化で正統派な作品(今まで見たのがダリオ・アルジェント版とファントム・オブ・パラダイスだけなので、僕の観方が偏ってるだけですが)って少なかった気がするので、この作品の完成度に期待しています。



1月ごろ公開

大統領の理髪師

予告編で思わず涙したので入れてみました。

ソン・ガンホはJSAや反則王でやられたので、今回も期待してみる。



マシニスト

クリスチャン・ベイルはこんな役ばっかりだなぁ。

監督のブラッド・アンダーソンは「ワンダーランド駅で」で堅実なラブストーリーを撮ったかと思いきや、すっかりサスペンス畑に。

最近、何かのTV番組で生涯眠らなかった男の実話が語られていましたが、こういう脳や精神と言った人間の構造的な題材は面白そう。
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怪奇大家族

昨日の夜中、一部で噂の怪奇大家族を観ました。

狙いすぎ&チープ&ヌルイ感じが、イイといえばイイような、ダメなような・・・



とりあえず渋谷飛鳥は結構可愛いかも、と思ったり。



怪奇大家族 DVD-BOX
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ipod

「ipod」が巷で流行っているので、どんなもんかとちと近所の電気屋行ったらすっげー高いんでやんの。

「ipod」で47000、「いぽdみに」でも27000。



「ipod」一個で一か月分の食費じゃん・・・



そーいえば、ぷらずまてれび売り場もすげーことになってた・・・

値札の桁が、正常とは思えん・・・



で、PCの価格帯も4〜5年前といっこうに変わってないし・・・

いまだに高機能マシンだと30万前後かぁ。



あと、1〜2年は電化製品買えないな・・・と落胆した今日この頃なのでした。
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