幸福を求めてしまう哀しみ〜「ねずみ男の冒険」水木しげる著

ねずみ男の冒険 (ちくま文庫―妖怪ワンダーランド)
水木 しげる
筑摩書房
売り上げランキング: 54261
おすすめ度の平均: 5.0
5 水木しげるの知られざる名作
5 「鬼太郎」では物足りない貴方へ
4 ねずみ男祭り
5 人生ってオソロシイ・・・


水木しげるがマガジンデビュー前の1964〜65年頃にガロや忍法秘話など貸本漫画に発表した短編を中心に編集した短編集。のちに世間知の権化ねずみ男として人気を博すことになる頭巾姿のキャラクターに人間たちが翻弄される様子をシニカルに描いた作品がずらりと揃っています。

収録作品は以下の18作。「勲章」「合格」「はかない夢」「神変方丈記」「ああ無情」「不老不死の術」「夢の食糧」「幸福の甘き香り」「空想石」「空のサイフ」「錬金術」「マンモス・フラワー」「「幸福」という名の怪物」「仙人酒」「心配屋」「悪魔の使者」「海じじい」「子供の国」

その収録作品の中から4作品を紹介。

「勲章」
ガロ第三号に掲載された作品。舞台は平安時代。ねずみ男は「とうとう人類の夢を実現したぞ」と空をヒョイっと軽やかに飛んで見せる。それを見ていた出っ歯メガネでお馴染みの太政大臣は、ねずみ男を国宝に認定して勲章を授けてしまう。実はねずみ男が天女の羽衣を盗んだことを知った少年は、ねずみ男が寝ているすきに羽衣を奪い返し、実はねずみ男は飛べないことを暴露するが、ねずみ男の方が一枚も二枚も上手だった・・・

現在放送中のゲゲゲの女房でも、少年ランドの編集者豊川さん(少年マガジンの内田勝編集長がモデル)が、この作品を読みながら「水木しげるのマンガは、ザラッとしてるなぁ〜」と絶賛し、原稿依頼に登場するというエピソードで使われてましたね。

勲章や肩書きに対する人間の弱さと愚かさを痛烈に描いていて、おっしゃるとおり「ザラッとくる」作品です。暴露されても全くたじろがず「勲章を持っている人間がウソをつくものか」と豪語してみせるねずみ男の小憎らしさが素敵。

「合格」
江戸時代頃、忍者になるべく伊賀の里にやってきた少年は、忍者評論家を名乗るねずみ男に声をかけられる。早速ねずみ男に教えを請う少年だったが、ねずみ男は、公認の忍者人間テストが解ければ伊賀忍者の頭領百々地三太夫への紹介状を与えると言い、様々な無理難題をふっかけてくるのだった。

魚を取って来いから始まり、ふとん、千両箱など次々エスカレートする難題に、少年が難色を示すと「十年だまって辛抱するのが真の忍者だ」「愛すればこそムチを打つのだ」「君のためになることだ」「苦しみを超えてこそ大いなる喜びがある」と、ブラック企業の経営者ばりのさわやかな弁説で少年をたきつけ、それらをクリアした少年が傷つき疲れはてて眠っているうちに、ねずみ男は紹介状を残してドロン。そして、目が覚めた少年は喜び勇んで紹介状を開くと、そこに書かれていたのは・・・

いやいや、ねずみ男先生のその姿勢は今や多くの人々がしっかりと受け継いでおりまするな、などと皮肉っぽい嗤いが浮かんでしまってにやにやしながら読んでいたんですが、オチがブラック過ぎて最後はフハッ!と吹いた。

「錬金術」
貧乏な出っ歯メガネの男と妻子は近所の導師丹角先生を名乗るねずみ男の指示通りに毎日錬金術に精を出していたが失敗続き。それでも「ただの小石を純金にかえることができればどんな借金があったってすぐに返せるのだ」とポジティブに、時折大失敗をしては奇妙な笑いを浮かべている。

よく、熱心な宗教家や奇人が、希望も何もないような生活をしていながら、希望にみちみちた笑い声を発することがある。その笑い声と一緒なのである。

息子はそんな両親の姿にうんざりして、ある日、ねずみ男にこれ以上両親をまどわさないでくださいと言いに行くが、ねずみ男は一笑に付してこう言うのだった。

おまえたちが幸福になったのは錬金術をはじめたからじゃないか
瓦が金になりはしないかという果てしない希望 それによってもたらされる充実した日々・・・

錬金術は金を得ることではなくそのことによって金では得られない希望を得ることにあるんだ
人生はそれでいいんだ・・・・・・・・・
この世の中にこれは価値だと声を大にして叫ぶに値することがあるかね すべてはまやかしじゃないか

ねずみ男に仮託して作者水木しげるの叫びが、そう、貸本漫画家として出口の見えない迷路の中をさ迷う苦境の中で辿りついたある種の達観がここにはあって、それは漫画を書き続けるという錬金術と同様に金にはならず、しかし希望であるところの日々の繰り返しの中で見出した価値観がぎゅっと濃縮されていて、ちょっと震えた。

「子供の国」
三話からなる短編連作。時は戦国時代、戦争で親兄弟を亡くした不運な孤児たちは自分たちの幸福は自分たちで作らねばならないとばかりに山奥に入り「こどもの国」をつくっていた。「こどもの国」では選挙によってニキビが大統領が選ばれ、No2の書記出っ歯メガネのゴマとともにこどもたちの集団を率いていた。そこに登場するのがコシマキデザイナーのカルダンことねずみ男で、最先端デザインのコシマキを女の子たちに売り込もうとするが、理想主義者の少年三太に追い返されてしまう。

かねがね正論ばかり言う三太を苦々しく思っていたニキビ大統領はゴマ書記の進言に従い、国民を型にはめて大統領の言うことをきかせるべく「期待される子供像」を制定。さらに、こどもの国の主食は芋だったが、大統領と書記は、実は国民に配給される前の段階でその芋を隠し、大量に蓄えていた。その芋の蓄えをねずみの被害から守るべく猫を飼おうという政策を打ち出すが、国民は誰も芋の蓄えなど無いのに猫を飼うのはどういうことだと、多くの国民が不満を漏らし始めた。そこで三太が、大統領たちは不正に芋を蓄財しているのではないか、と大統領達を問い詰め、ついにクーデターに成功、ニキビたちを追放する。

新たに大統領に就任した三太はこれまでニキビ一味が不正に蓄えていた芋を開放し、芋の配給を平等にして、それまで実力主義政策のニキビ政権下では満足に配給をもらえなかった女の子や赤ちゃんたちから強い支持を受けた。しかし、配給が平等になったことで不満を覚えるようになったのが男の子たちだ。ニキビ政権下では男の子たちは体力に応じて芋を食べられていたのが、三太政権では赤ちゃんや女の子たちと一緒の量になってしまったのである。

追放されたニキビとゴマだったが、実は裏山にさらに芋を隠し持っており、コシマキを売りたいが、食糧生産重視の三太政権ではコシマキを売ることが出来ないねずみ男も彼らの仲間に入ってニキビ復権に暗躍していた。そこで彼らが目をつけたのが不満を持っている男の子たちを調略することだ。隠し芋と新政権ポストで次々と男の子たちを寝返らせると、一気に子供の国に攻め入り再度のクーデターに成功、三太が追放される。

しかし、三太を支持する赤ちゃんたちが子供の国から離脱し、三太と赤ちゃんたちからなる一味はゲリラ戦を展開。さらにオイシイところを取りたいねずみ男はニキビ政権と三太一味との間で暗躍、ニキビ政権下で女の子たちのサボタージュもあって、ついに子供の国はニキビ政権と三太政権で分断されることになった。子供の国が内戦状態になっているころ、軍事力で鳴らす狸の国が隣国にまで領土を拡大してきていた。ニキビ大統領は「くさった政治」同士、狸の国と同盟を結び、一気に三太の国を包囲しようと軍を進める。

ねずみ男は芋を報酬で受けることで三太を退陣させ無血開城させるべく三太の国に使者として向かうが、三太は「おいら・・・わずかな芋をわけあってその日その日を生きている人間じゃアねえかどこが悪いんだ」と聞く耳を持たない。そして軍勢が迫る中ねずみ男を捕らえ、「命がおしけりゃお前の弁説で協力しろ」と伝えるのだった・・・果たしてねずみ男最大の危機を乗り越えられるのか・・・という一大スペクタクル。みんな子供だけど。

腐敗した自由主義と現実離れした社会主義との間で揺れ動く人々の営みを子供の国に仮託して描ききった傑作。この透徹した視線が水木しげるの水木しげるたるゆえんなのでしょうか。おそらくハッピーエンドとして描いたのだと思いますが、現代から見ると、この作品で最後に象徴的に描かれた協力関係が、いわゆる野合として、社会に閉塞をもたらすことになるのだと思うと、結果として実に水木しげる作品らしい、現実の世知辛さを描いた作品になっているように思います。超傑作。

このように収録作品のうち四つ紹介しましたが、他の作品もどれも劣らぬ傑作揃い。人間の幸福を追い求める心から生じた悲喜劇を描いており、一人ひとりの力ではどうにもできない、それぞれが背負った業を、ねずみ男が"まれびと"的な第三者として剥き出しにしていく物語たちだ。

収録作品の一つ「幸福の甘き香り」に、おそらくこの「ねずみ男の冒険」最大のテーマが記されている。

誰もがほしがり、誰もがつかみそこねる幸福・・・・・・・・・。
それは、本当はないのかもしれない。
しかし、人間は、生きている限り、何等かの形で、それをもとめてやまない・・・・・・。

ぼくたちはなぜ幸福(しあわせ)になりたいのだろう。それが時に悲劇をもたらすにもかかわらず。



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2 そんなにすごいか?
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5 デハッ、やったね(耳は引きちぎってはいけませんw)
4 悪魔くんを語るならば


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5 初めて見る絵に感動です!


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チャーチルが指示した簡潔な文書作成のための4つの要点

1940年、第二次世界大戦の勃発と共に英国首相に就任したウィンストン・チャーチルは、ナチスドイツとの戦いという緊迫した情勢を踏まえて、政府各部局に以下のような書類作成に関する微細な指示を出したとのことです。

(木下是雄著「理科系の作文技術」P2)
われわれの職務を遂行するには大量の書類を読まねばならぬ。その書類のほとんどすべてが長すぎる。時間が無駄だし、要点をみつけるのに手間がかかる。
同僚諸兄とその部下の方々に、報告書をもっと短くするようにご配慮願いたい。
(1) 報告書は、要点をそれぞれ短い、歯切れのいいパラグラフにまとめて書け。
(2) 複雑な要因の分析にもとづく報告や、統計にもとづく報告では、要因の分析や統計は付録とせよ。
(3) 正式の報告書でなく見出しだけを並べたメモを用意し、必要に応じて口頭でおぎなったほうがいい場合が多い。
(4) 次のような言い方はやめよう:「次の諸点を心に留めておくことも重要である」。「……を実行する可能性も考慮すべきである」。この種のもってまわった言い回しは埋草にすぎない。省くか、一語で言い切れ。
思い切って、短い、パッと意味の通じる言い方を使え。くだけすぎた言い方でもかまわない。

私のいうように書いた報告書は、一件、官庁用語をならべ立てた文書とくらべて荒っぽいかもしれない。しかし、時間はうんと節約できるし、真の要点だけを簡潔に述べる訓練は考えを明確にするにも役立つ。

一分一秒を争う戦時下という特殊状況ではありますが、迅速な情報伝達のための文書作成に特化させるべく要点を得た指示で、とても参考になります。

著者の木下も書いていますが、いわゆる感情を突き動かしたり、琴線に触れる種類の「いい文章」ではなく、他人につたえるべき内容が心情的要素を含まず事実と意見に限られる「仕事の文書」を書く場合にチャーチルの指示にあるような「真の要点だけを簡潔に述べる」必要性を実感します。

また、読む人の気持ちに訴えるような「いい文章」を書く場合にも、まず「真の要点だけを簡潔に述べ」た文章に、心情に配慮した「やわらかさ」「あいまいさ」を加え、そのさじ加減を調整していくことで、より「いい文章」に近づけそうだなと思います。

あわせて、木下は明快・簡潔な文章を書くための心得として以下の五つのことをあげています。(以下「理科系の作文技術」P8より一部改変引用)

(1)文章全体が論理的な順序にしたがって組み立てられていなければならない。一つの文と次の文とがきちんと連結されていて、その流れをたどっていくと自然に結論に導かれるように書くのが理想である。
(2)相手はまっさきになにを知りたいのか、情報をどういう順序にならべれば読者の期待にそえるか、ということに対する配慮がある。
(3)一文を書くたびに、その表現が一義的に読めるかどうか――ほかの意味にとられる心配はないか――を吟味すること。
(4)はっきり言えることはスパリと言い切り、ぼかした表現を避けること。
(5)できるだけ普通の擁護、日常用語を使い、またなるべく短い文で文章を構成すること。

まだ、読み始めたばかりですが、最初の章からとても参考になったのでとりあえず簡単に紹介しました。読み終えたらあらためて感想を書くかもです。

P.S.冒頭のチャーチルの指示の原文を見つけたので参考までに引用しておきます。

using-plain-english.pdf

Box: “Brevity”―Memo to the War Cabinet, from Winston Churchill, 9 August 1940
To do our work, we all have to read a mass of papers. Nearly all of them are far too long. This wastes time,
while energy has to be spent in looking for the essential points.
I ask my colleagues and their staff to see to it that their reports are shorter. The aim should be reports
which set out the main points in a series of short, crisp paragraphs.
If a report relies on detailed analysis of some complicated factors, or on statistics, these should be set
out in an appendix.
Often the occasion is best met by submitting not a full-dress report, but an aide-memoire consisting of
headings only, which can be expanded orally if needed.
Let us have an end of such phrases as these:
“It is also of importance to bear in mind the following considerations,” or “consideration should be
given to the possibility of carrying into effect.” Most of these woolly phrases are mere padding, which
can be left out altogether, or replaced by a single word. Let us not shrink from using the short expressive
phrase, even if it is conversational.
Reports drawn up on the lines I propose may first seem rough as compared with the flat surface of
“officialese” jargon. But the saving in time will be great, while the discipline of setting out the real points
concisely will prove an aid to clearer thinking.


理科系の作文技術 (中公新書 (624))
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4 文書の作成を行う人に
5 単なる作文技術の本を超越した永遠の名著
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5 文科系は当然知っておくべき「作文技術」の本です。


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5 国民の貴重な財産、弟ながらより高いバランス
5 著者には、何か実践編を別に作ることを要望する。
5 有益な文章読本
4 例文が豊富。そして、この本自体が優れたレポートです。


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5 名著「理科系の作文技術」のバックグランドがよくわかる
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進化論教育は罪か?スコープス裁判と原理主義が変えたアメリカ

1920年代、禁酒法時代のアメリカでは、現代人から見ると不思議な法律が各州で次々と制定されていた。進化論を学校教育の場で教えることを禁止した反進化論法である。1925年3月、テネシー州でも反進化論法が制定され学校教育の場で進化論を教えることが禁じられると、その法律に反対する田舎町デイトンの生物教師ジョン・スコープスが反進化論法に反して進化論を教えたことを告白、同年7月、進化論を巡る裁判が開かれた。後世、この裁判は被告の名を取ってスコープス裁判、あるいは人間は猿から進化したという進化論からモンキー裁判と呼ばれ、アメリカの文化・宗教史上に残る大きな転換点となっていく。

1)原理主義思想誕生小史

まずは、簡単にスコープス裁判へと至る当時のアメリカの社会・宗教状況をまとめておく。

・「金ぴか時代」の光と影
1865年、南北戦争が終結すると、アメリカは大きな構造変化の時代を迎えた。北部諸州を中心に農業社会から産業社会へと変化し大都市周辺には工業地帯が登場、鉄道が敷設され物流が活発になるとともに人々は西へ西へと開拓の歩を進めた。またそのような経済の急成長に惹かれて世界中から移民がアメリカへと渡り、爆発的に人口が増えていった。

反面、高い関税率と自由放任主義の元で巨大な独占企業が次々と生まれ、資本家と政治家の癒着が強まり、移民として渡ってきた人々の大多数は過酷な低賃金労働に喘ぎ貧富の差は拡大、また解放されたとはいえ黒人や女性、マイノリティへの差別も依然として根強く、転換期に見られる混乱と不安が人々の生活に影を落としていた。この浮ついた時代を作家マーク・トゥエインは「金ぴか時代」と呼んだ。

・「千年王国思想」
キリスト教の終末観は「千年王国思想」と呼ばれる。キリストの再臨によって審判の日を迎え至福の千年期を迎えるというものだが、19世紀までは人々の努力によって神の国が打ち立てられた後にキリストが再臨するという「後千年王国説」が基本的な解釈であった。しかし、19世紀末のアメリカではまずキリストが再臨してから神の国が作られるという「前千年王国説」が広まっていく。「後千年王国説」は毎日頑張って世界を良くしていくことでキリストが再臨するという前向きな思想であるのに対し、「前千年王国説」はそもそも終末を迎えると世界は悪くなる一方で、社会状況が悪化した果てにキリストが再臨して世界を良い方向へ変えてくれるという悲観的な思想だ。当時、目前に広がる貧困や格差に多くの人々が「前千年王国説」を受け入れ、後に第一次世界大戦での欧州の惨状が彼らの悲観的な終末観に拍車を掛けることになる。

・「社会福音運動」
19世紀末は貧困などの社会問題に対し、多くのキリスト教徒が福祉活動に力を注いだ時代でもある。彼らは「後千年王国説」に基づき、社会問題を積極的に解決していくべく様々な慈善活動を行った。YMCAや救世軍は19世紀初めに英国で生まれ、19世紀末のアメリカで特に盛んに行われた運動である。この時期に行われた教会による様々な福祉活動を「社会福音運動」と呼ぶ。

・「自由主義神学」と「高等批評」
「社会福音運動」に従事していた人々は福祉活動の中で、宗教の使命は神の愛だけであり、それは弱者への奉仕の中で実践される、聖書も教会も重要ではない、と考えるようになり、聖書や教義には科学的に誤りもあるとして、当時ドイツで生まれた「自由主義神学」に基づく「高等批評」に注目した。「自由主義神学」は近代合理主義や自然科学を踏まえてキリスト教を解釈しようという神学で、従来古文書等の研究で用いられた「文献批評学」の手法を聖書研究にも持ち込んだ。聖書も一つの文献であり誤りや聖書が記された時代と現代とで合わなくなった考えもある。そこで、科学的な批評と解釈を行うことで、究極的には人々の信仰心をより篤くすると考えられた。

・「社会進化論」
「自由主義神学」は英国の哲学・社会学者ハーバート・スペンサーの「社会進化論」に大きな影響を受けている。「社会進化論」はダーウィンの進化論〜生物の自然選択、生存競争、適者生存が多様性をもたらすという考え方〜を社会全体に敷衍した思想で、進化は社会の第一原理であり適者生存によって未開から文明へ、家内工業から機械工業へ、王の支配から多様な民主主義の時代へと移り変わり多様な時代へと社会は進化してきており、これからも進化していくとする考え方であった。この思想はキリスト教の「後千年王国説」とも親和性が高く、また日進月歩の産業・科学の進歩もあって広く受け入れられた。

しかし、「社会進化論」はそもそも生物の進化を社会全体の法則と捉えるという論理の飛躍から始まっており、人々をポジティブに奮い立たせ、ボランタリアリズムや進歩史観を生み出した一方で、適者生存という考え方は帝国主義による侵略や独占資本を正当化する論理に強い影響を与え、また優生学やドイツのアーリア民族優位説にも繋がっていく。さらにマルクスは「資本論」の執筆に際し社会進化論に大きな着想を得たと語っている。

アメリカでは「社会福音運動」の指導者であるジョサイア・ストロング牧師の「我が祖国」「膨張」などの著作がベストセラーとなった。これらはアメリカが「市民的自由」を体現するアングロサクソン文明の中心であり、その文明を世界に広めていくことはアメリカの使命であるとしたもので、宗教的に帝国主義政策を支持した。また社会進化論の影響下で「低開発地域に安定した統治形態を樹立し、その地域の人々が自分の運命を遂行しようとする努力をアメリカが助け、外部の干渉から保護する」(森孝一「宗教からよむ「アメリカ」」P18)という「帝国主義的反植民地主義」がアメリカの主流な考え方になっていく。

「自由主義神学」と「社会進化論」を思想的バックボーンにして科学と合理主義を受け入れ「社会福音活動」を行う彼らは「モダニスト」と呼ばれた。

・キリスト教原理主義の登場
上記のようなモダニスト達の聖書すら相対化しようとする動きに保守派は一斉に反発した。そもそもプロテスタントは様々な教派に差はあるもののルターが「聖書に帰れ」と言ったように概ね聖書を神聖視する。特に19世紀後半は社会構造の大きな変化と科学・産業の急激な進歩の中でかつての価値観が次々と失われて行った時期である。そのような変革の時代の中で多くの信者たちにとっては聖書は日々の生活の最後の拠り所である。ところがそれすらも疑えとモダニストたちは言う。必然的に大きな反発が生まれた。

A・T・ピアソンは「ちょうどローマ教会主義(カトリック教会)と同じように、高等批評(文献批評学)は、ただ学者だけが聖書を解釈できると考えることによって、人びとから神の言葉を奪いとっている。ローマは神の言葉と人との間に聖職者を置いたが、批評学は聖書と信者の間に高等教育を受けた解釈者を置いている。」(前掲書P191)と、進歩ではなく宗教改革以前の中世へ逆行しているという趣旨の批判を加えた。19世紀末から20世紀始めにかけてアインシュタインの相対性理論を始め専門家ですら理解するのに難しいさまざまな科学上の発見がなされ、高度な教育を受けたものだけが真実を理解出来る時代へと突入しようとしているという焦燥感を抱く人が少なからず存在するようになった。

1910年、プロテスタントの保守派たちが一同に会し「聖書の無謬性」「キリストの処女降誕」「キリストの贖罪」「イエス・キリストの肉体的復活」「キリストの奇跡の真正性」の「五つの基本信条」を文書化し、1910年から1915年にかけてこの中核思想を世に広める12のパンフレットがまとめられた。「諸原理(The Fundamentals: A Testimony to the Truth)」と名付けられたこのパンフレットは、それぞれ300万部印刷され、米国全土へ配布されていく。

当初、原理主義が批判の対象としていたのは「高等批評」など聖書を対象とした「文献批評学」であった。しかし、第一次世界大戦の惨状は自由主義神学の背景にある「社会進化論」へと批判の矛先を向かわせた。史上始めて全世界規模で起こったこの戦争によって数千万人の死傷者が出て、欧州は瓦礫と化し、科学の進歩によって作られた様々な兵器が使われ、スペイン風邪と呼ばれるインフルエンザの流行や、無神論の共産主義者によるロシア革命・ソビエト連邦の成立などこの頃に起きた様々な事象は前千年王国説を信じる原理主義者たちにとって黙示録の世界そのものだった。

進歩を謳った社会進化論が帝国主義思想を生み、大量殺戮兵器を作り出し、社会を混乱させていると彼らは考え、強い危機感を抱いた。そもそも原理主義者は前千年王国が現実を悲観視するため、現実世界を従容として受け入れあまり政治にコミットしないものだったが、この危機感がその姿勢を180度転換させた。さらに反共産主義、反知性主義的ナショナリズムと結びつき排外的な思想を強化していった。そのような中で適者生存、弱者切り捨て、帝国主義思想の根源であり、エリート達による少数者の支配思想としての「社会進化論」を象徴する思想が「進化論」であると彼らの目には写っていた。

かくして「進化論は文明を危うくする」という共通理解が保守的な人びとの間に広がり、アメリカ南部を中心とした諸州で学校教育の中で進化論を教えることを禁じる「反進化論法」が成立していくことになるのである。

2)スコープス裁判
1925年3月、テネシー州議会によって「反進化論法」が制定されると、リベラル団体ACLU(American Civil Liberties Union, アメリカ市民自由連合)はその反進化論法の是非を問う裁判を行うために進化論を教えたことで逮捕されても良いと思っている志願者を広告で募集、その広告に飛びついたのがテネシー州の田舎町デイトンの有力者たちだった。彼らは町の売名のため生物教師ジョン・スコープスがデイトン高校で2週間だけ臨時教師をした際、進化論を教えたと言う証言を取り付け、彼らに推されるかたちでスコープスは逮捕されることになった。

早速、ACLUは当時全米で最も有名かつ辣腕で知られる弁護士クラレンス・ダローを団長とする弁護団をスコープスの弁護につけ、それに対して原理主義勢力は弁護士で過去三度に渡り民主党大統領候補となり、ウィルソン政権では国務長官も務めた大物政治家のウィリアム・ジェニングス・ブライアンに検事を要請し、1925年7月10日、のべ10日間続くスコープス裁判が開廷した。

・ウィリアム・ジェニングス・ブライアン
この裁判で特に注目すべきなのがウィリアム・ジェニングス・ブライアンという人物だ。彼は1860年生まれ。"Great Commoner"(偉大なる庶民)と呼ばれ一般人の良識に絶大な信頼を置き、反エリート主義で民衆の意見を直接政治に反映させようというポピュリズムの体現者だった。演説家としても知られ1896年、1900年、1908年の三度民主党大統領候補となったときは全米を演説し、直接民衆の声を聞いてまわった。のちにアメリカの大統領選で行われる大統領候補の全米遊説は彼が始まりだと言われる。国務長官に就任してからは累進課税の導入、上院への直接選挙制、婦人参政権の導入、政治資金公表義務法などが彼のイニシアチブの下で実施された。

いわば弱者に優しい政治、民衆のための政治を実行する名政治家と当時見られていた人物だ。

また、彼自身は特に原理主義に傾倒していたわけでは無い。それどころか彼は人類の可能性を信じていたし、社会に対して悲観的な見方もしていなかった。原理主義勢力との共通点はただ一点、彼は強力な反社会進化論者だった。善意にあふれる政治家であったが故に、彼は社会進化論者が唱える適者生存・弱者切り捨ての正当化を断じて許すことが出来なかった。

1920年、ブライアンはドイツの軍国主義はダーウィンの進化論の影響であるという進化論批判の演説をするため全米をこう訴えてまわった。

「ドイツが毒ガスを戦争に使用したのは、神が人間を創造した、という聖書の教えを否定し、人間の祖先は猿であるという間違った認識を進化論者が広めたためだ。それが、残酷な兵器使用に対する抵抗感を弱めたのだ」「進化論は青年たちに有害な影響を及ぼしている。進化論を放置すれば米国の道徳的退廃は必至である。」(以上小川忠著「原理主義とは何か」P60-61)

彼の熱心な遊説が当時「反進化論法」の成立に与えた影響はとても大きい。彼は社会進化論思想の適者生存を嫌悪するが故に、進化論を敵視したのだった。また、反進化論法とともに禁酒法も彼が国務長官時代に成立に貢献した法律で、この二つは彼の大きな汚点となっている。

・開廷、そして失墜
このような当時の大物二人が、当時キリスト教を二分していたモダニストvsファンダメンタリストを代表して進化論を巡って裁判が開かれるということで、全米の注目を集め、マスコミはこぞってデイトンに駆けつけた。マスコミ関係者や傍聴者があまりにも多数集まったため、裁判所の建物に入りきらず屋外に急ごしらえのステージが設けられて開廷することになった。町には屋台や見世物小屋が出来、スコープスは「サーカスのような雰囲気」だったと述懐している。

まず、ダローら弁護側は科学者や聖書学者ら専門家を証人として呼び聖書と進化論は矛盾しないこと、スコープスは反進化論法に違反していないことの二点を訴えようとしたが、検察側はそれに難色を示し、専門家の招致の是非を巡って審議はストップした。結局裁判長もファンダメンタリスト寄りの人物であったため専門家の招致は認められなかった。

元々デイトンは特に保守的な土地柄で、裁判長も陪審員もみなファンダメンタリズムに好意的な保守的な考え方の持ち主であり、全くと言っていいほど被告に勝ち目は無かった。そして専門家の招致が認められなかったことでさらに不利になったかに見えた被告側だったが、そこでダローは凄腕弁護士らしく巧みな公判戦術を見せる。

ダローは検事であるブライアンの証人尋問を要求したのである。理由は何でも良かったのだろうが、一応「上訴用の記録を残すため」と称し、後日ダローら弁護士3人を同じように証人として尋問を受けるというブライアン側からの条件も飲むことでブライアンを証言台に引っ張り出すことに成功した。このブライアンに対する証人尋問が後世の歴史すら一変させてしまうほどの起死回生の一撃になった。

ダローはこの尋問を利用してブライアンの聖書や歴史、科学に対する知識の矛盾や無知を鋭く突いていった。「イブはどのようにしてアダムの肋骨から生まれたのか?」「ノアの洪水の発生年代は?」「地球は6日で作られたとおもうか?」その都度ブライアンの無知さが明らかになった。そもそもブライアンは原理主義者ですら無かったのだから、当然と言えば当然だが、しかし彼の無知はまたフェンダメンタリストたちの無知としても捉えられた。決定打は天地創造についての質問で、『神は一日目に光を、二日目に大空と海を、三日目に地と陸と植物を、四日目に太陽と月を創造し、それぞれの日に夕となり朝となった、とあるが、太陽が創造される以前にどうして「夕となり朝となる」ことが分かったのか?』とブライアンに訊ねたのであった。

この尋問の途中臨席していた司法長官がブライアンの様子を見るにみかねて止めに入るが彼はこう言って毅然と退けたという。「私は単に,神の言葉を合衆国最大の無神論者,否,不可知論者から守ろうとしているだけである。私は彼を前にして証言台に上がり彼の思い通りにさせることを恐れていない,ということを記者の人達に知って欲しい。私は世界の人々に知って欲しい」正々堂々は確かに人の美徳ではあるが、この場合は自滅行為だった。

裁判を傍聴していたマスコミはブライアンの毅然とした態度ではなく、頑迷さ偏狭さ無知さを報道し、ブライアンの名声は地に堕ちた。そして彼が代表していたファンダメンタリストたちもまたアメリカ社会から過去にしがみつく、科学と知性の敵、表現の自由の敵だという汚名が与えられることになる。

7月21日、裁判はダローに対する反対尋問はなされぬまま結審する。被告ジョン・スコープスは罰金100ドルの有罪。しかし、勝者は明らかだった。

・・・ブライアンは7月の熱い夏、屋外という異例の環境で行われ、さらにこれまでの名声がすべて灰燼に帰すほどの屈辱を受けた裁判という疲弊した状況ですぐに名士として各地に招かれる。7月21日から7月24日までの三日間で実に1100キロ以上も移動し演説してまわった。

7月24日朝デイトンに戻ってきてすぐに午前中の教会での礼拝でスピーチを行い、宿舎に戻って家族とともに昼食、その後、溜まった疲れを癒すため彼は仮眠を取り・・・二度と目をさますことは無かった。享年65歳。遺体は特別列車でワシントンに運ばれ、国立アーリントン墓地に埋葬された。裁判が終わってわずか三日後の死だった。

3)茶番劇が変えたもの
ブライアンが命を削ったこの裁判は、残念ながら茶番劇以上でも以下でも無かった。しかし皮肉にもその茶番がアメリカの歴史を大きく変え、そしてさらなる悲劇と対立のうねりを作り出していくことになる。

・スコープス裁判後の保守とリベラル
この裁判のあとキリスト教原理主義は急速に支持を失い、わずかに残った原理主義者たちは時代遅れ、異端者として長く差別と迫害を受けることになる。1930年代以降彼らは中西部、南部に独自に教会や原理主義思想を教育する大学(「ボブ・ジョーンズ大学」など)を作り、文字通りその中に隠れ外界から隔絶されていく。その隔絶された「聖域」で彼らは思想を先鋭化させ、自分たち以外はすべて敵であると考えるようになり、自分たちはリベラルや無神論者と戦う神の戦士であるという極端な思想を再構築していく。彼らは息を潜めつつも50年代〜60年代にかけてテレビ伝道などを駆使してじわじわと勢力を拡大、1970年代に入って一気に反撃をはじめることになる。

原理主義勢力が表舞台から去った後モダニズム一色になったわけではなく聖書を基本とした信仰中心の生き方を望む人達は少なくなかった。聖書の批判的な見方やリベラルな思想に反感を覚えるが原理主義のような過激な前千年王国思想も受け入れられないといういわば穏健な宗教保守思想の受け皿として1930年代以降登場するのが「福音派」と呼ばれる勢力である。彼らは30年代の恐慌という社会不安の中で勢力を拡大し、第二次大戦後から60年代のリベラルの時代の中でもリベラリズムを受け入れられない人びとを中心に着実に支持を集め、いわゆるアメリカの保守本流を形成する。

一方、裁判の実質的な勝者であるモダニストたちもまた、1930年代から第二次世界大戦のかけての暗い時代の中でその楽観的すぎる進歩思想は説得力を失い退潮する。代わってより現実的なリベラリズムが姿を現して行く。それはルーズベルト大統領が大恐慌からの脱却を目指して行ったニューディールという諸政策とそれを支持する「ニューディール連合」とよばれる連邦政府を支持する広範な人びとで長老派などのキリスト教主流派と黒人教会などからなる諸派だ。ルーズベルト政権以降第二次世界大戦終結後から1960年代末までに公民権運動や同性愛者の人権、フェミニズム運動などが一気に活性化しリベラリズムの時代をアメリカは謳歌する。

1960年代後半になると、ドラッグ、ヒッピー、フリーセックス、家族の崩壊、犯罪の増加、伝統的価値観の解体など「行き過ぎたリベラル」という問題を多くの人びとが感じるようになっていった。さらに70年代に入ってヴェトナム戦争の失敗、ウォーターゲート事件に代表される政治腐敗と巨額の財政赤字など連邦政府とリベラリズムに対する失望感や社会不安が広くアメリカ社会を覆う中、キリスト教信仰に目覚める人びとが続出していった。彼らは聖書に帰る回心(ボーン・アゲイン)を告白し福音派の勢力が一気に急拡大した。

そのような社会状況の中でテレビ伝道師だった原理主義指導者の一人ジェリー・ファルウェルはモラル・マジョリティという団体を設立し原理主義に限らず広く福音派などの宗教保守派を糾合して2000万人とも3000万人とも言われる巨大な宗教保守勢力(通称:ニューライト)を形成。ロナルド・レーガンの大統領就任を草の根レベルで支援し、政権に強い影響を及ぼした。80年代半ばにモラル・マジョリティは解散するが、一度作り上げられた巨大な保守勢力はその後も共和党と強固に結びつき宗教保守派の考える中絶禁止、同性愛結婚の禁止、学校での祈りの強制、宗教教育といった各種政策を主張する巨大な政策圧力団体と化して両ブッシュ政権を支援しクリントン政権と激しく対立していく。2004年時点の調査では宗教保守派は7000万人とも言われるように、保守とリベラルというアメリカの二つの思想の一翼を担う程に巨大化していくことになるのだった。

・進化論とアメリカの教育問題
最後に、スコープス裁判後の進化論を巡る動きについて。

20年代に各州で施行された反進化論法だが、スコープス裁判後はほぼ形骸化し順次廃止されていった。それでも最後まで残ったテネシー州の反進化論法は1967年まで続く。

1950年には時のローマ教皇ピオ十二世が進化論と聖書は矛盾しないという教皇回勅を出し、ヨハネ・パウロ二世も81年と96年に同様の趣旨の演説を行っており、カトリックはほぼ進化論を受け入れていると考えられているものの、アメリカのプロテスタント社会はそうではない。

1973年、テネシー州議会は「創世記法案」という新たな州法を制定、聖書の創世記と進化論を同様に教えなければならないとした。これは75年に違憲として廃止されるが、これを皮切りに70年代以降活性化した宗教保守派の活動に合わせてかたちを変えた進化論を巡る争いが教育の現場を主戦場として始まる。

共和党と強固に結びついた宗教保守派は80年代に入ると聖書の人類創造を科学的なアプローチで体系化した「創造科学」という説を主張。進化論と創造科学の二つの科学を学校で教えるべきとする「同一時間法」を20以上の州議会に提出。81年にはルイジアナ州とアーカンソー州で可決され施行された。これらは後に違憲となるものの、イタチごっこ的な様相を呈している。その後創造科学はインテリジェントデザイン説というものにかたちを変え、現在でも一部の州や学校で導入が進められようとしているなど進化論を巡る争いは尾を引いている。

近年では進化論かID論かというような論争ではなく徐々に進化論に反対するという考え方の背後にある、人びとの希望によりマッチした論争に進みつつある。宗教保守派の伸長の中で進化論など科学やリベラルな教育を重視する公教育に対する失望も広がる中、進化論論争に代わって90年代以降の宗教保守派が強力に後押ししているのが「スクール・ヴァウチャー制度」「ホーム・スクーリング制度」「チャーター・スクール制度」の三つだ。

スクール・ヴァウチャー制度」は生徒が私立学校等に通う場合に金券や資金を無償供与するものだが、州によっては必要な学費の数倍の支給がなされ、実質教会系学校が多い私立学校に通うことを促進するかたちになっていることがあり、共和党が強く支持し、民主党が反対している。

ホーム・スクーリング制度」は子供を学校に行かせず家庭で親が教育するというもので、2000年には約200万人にまで急増している。これを支持しているのは宗教保守派やマイノリティ教団に属する人びとが多く、宗教教育を子供に受けさせたいと願う人びとの圧力を背景に共和党が強く主張している。これについては実施している州では両親の資格や教育内容を厳密に定めることが多いが、それに対して反発も少なからずあり、今後社会問題化が懸念されている。

チャータースクール制度」はPTAや企業・NPOなどが州の教育委員会から特別認可を受けて独自の学校設立を行うことを可能にする制度である。しかし2000年にアメリカ連邦政府がまとめた調査によるとチャータースクール設立理由で最も多く挙げられたのが「学校教育について従来と異なるヴィジョンを実現させるため」としたもので、これらの多くに宗教や道徳教育等を重視することが含まれていると考えられている。

このように、進化論を巡る争いは表面上は科学と宗教の対立というように見えるが、実は「保守」と「リベラル」というアメリカの二つの思想の対立であり、彼らが依って立つ価値観を巡る争いであり、そして自由と安心という相反する二つの願いの問題であると言える。そしてそれは現在、自分の子供に受けさせる教育を選ぶ自由を巡る争いへと移り変わってきており、科学か宗教かという二項対立では決して解決出来ない問題になっているといえるだろう。

この深刻な二重構造をいかにして融和させていくか、がアメリカが構造的に抱える大きな問題の一つだということがいろいろ調べてみてわかってきた。アメリカのキリスト教を巡る諸問題についてはあといくつか記事に書こうと思います。

参考書籍・参考サイト
・森孝一著「宗教からよむ「アメリカ」 (講談社選書メチエ)
・蓮見博昭著「宗教に揺れるアメリカ―民主政治の背後にあるもの
・大宮有博著「アメリカのキリスト教がわかる―ピューリタンからブッシュまで
・飯山雅史著「アメリカの宗教右派 (中公新書ラクレ)
・小川忠著「原理主義とは何か―アメリカ、中東から日本まで (講談社現代新書)
CiNii 論文 - <論説>1920年代アメリカの進化論論争を振り返って : 二つのドグマの衝突
社会進化論 - Wikipedia
進化論裁判 - Wikipedia
ウィリアム・ジェニングス・ブライアン - Wikipedia

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日本国憲法に勤労の義務が入った経緯

日本国憲法の国民の三大義務というと教育、勤労、納税ですが、元々旧大日本帝国憲法には勤労の義務というものは無く、日本国憲法になって勤労の義務が権利とセットで盛り込まれることになりました。wikipediaではその勤労の義務の由来について、こう書いてあります。

勤労の義務 - Wikipedia

この規定の由来については諸説あるが、一番有力なのは、元農林大臣の石黒忠篤や代議士の竹山祐太郎が、二宮尊徳の「報徳思想」の精神に則って、日本国民が自らの勤労の力で太平洋戦争で荒廃した祖国を再建させてゆこうという発想から提案されたものだと言われている(橋本伝左衛門・日本農業研究所『石黒忠篤伝』(1969年、岩波書店))。

なかなか興味深い記述ではあるんですが、帝国議会会議録データベースを漁ってみると勤労の義務を提案していたのは竹山代議士ではなく、穂積七郎という議員。かなり熱心に勤労の義務を盛り込むべく主張を繰り広げています。昭和21年07月03日衆議院帝国憲法改正案委員会から長文ですが、かなり興味深いので穂積議員の意見を引用します。


私は此の國民の權利義務の中に於て最も中心的に論ずべきものは、言ふまでもなく前世紀的なものではあるかも知れませぬが、ここに言はれて居る基本的な人權の尊重、是はもう言ふまでもないことであります、所が今日の時代に於て之に附加すべき中心として考へらるべきものは、言ふまでもなく勤勞體制の建設でなければならぬと思ふのであります、日本の民族の政治的獨立なり、それに依る世界平和への貢獻と云ふ民主的な最初の出發の自覺を民族生活に對して持ちましても、我が國に於きましては觀念としてはそれは成立ちますが、經濟的基礎を全く缺いて居るのであります、隨て政治構造なり思想の面に於て植民地化の危機があるだけでなしに、經濟的基礎に於て獨立の要件を缺いて居ると私は思ふのであります、其の立場に立つて若しここで凡ゆる意味に於ける民主主義的な日本の經濟と國民生活の構造とは一體何だと云ふことが立案者の中に理念されて居るとするならば、進歩的な意見はそれは社會主義者の立場であつて、我々は認識を異にすると云ふやうなことで逃げらるべき性質のものではないと私は思ふのであります、終戰後の日本の生活なり經濟の基礎と云ふものを眺めました時に、今までの前世紀的に、此の經濟を裕かにし、國民生活を再建するのに考へられましたのは、一つは武力と二つは資本の力であります、之に依つて國内の勞働力を生産下に組入れて、さうして餘剩利得を此處に蓄積すると云ふことだけでなしに、更にそれが發展致しまして、帝國主義の特徴である自らの持てる武力と資本の力に依つて、外地の民族を支配すると云ふことが、今までの民族經濟の建設の場合に手取早く考へられて來たのであります、併しながら是が非民主的であり、非平和主義的であつたと云ふことは、今まで幾多の人々に依つて明かにされて來たのであります、假令それが許されたと致しましても、今日の日本の經濟の現實、國民生活の現實から致しましては、此の條件と云ふものは全くないのであります、そこで次に我々と致しましては、國内にある物は何だ、資源はない、それでは後は何かと云へば、景色が佳いと云ふことであります、景色が佳いから觀光的な經濟の復興はどうかと云ふことが一應考へられますが、それは決して國民生活の建設の健全なあり方ではない、そこで最後に日本の經濟なり或は生活を立直して行く爲に、中心として我々が考へらるべきものは、唯一つ我々全勤勞國民體内にありまする思想の力と、勤勞の力以外に私はないと思ふのであります(拍手)正しき思想に導かれたる勤勞の力を、如何にして經濟生活の中に組織化するかと云ふことが、是が國民の權利義務、即ち日本の民主主義改革の基礎でありまする經濟と生活に於ける民主化の確立の中心でなければならぬ、此の意味に於きまして、私は此の第三章に於ける中心的な問題は前世紀的な基本的な人權の尊重は、是は封建制がまだ殘つて居ると云ふことで付けても結構でありますが、積極的に付けるべきものは、私は全國民が働く場を與へられ、働く國民が安心して生活して行くことが出來、さうして働かざる者は食ふべからずと云ふ經濟の體制が出來、生活の體制が確立され、更に最も重要なことは、其の働く國民が政治だけでなしに、政治界に於ける民主化だけでなしに、經濟と文化全般に亙りまぬる參加が許されて、民主主義が確立されなければならぬと思ふのであります、是が出來て初めて私は日本の今までの戰爭の原因であり、又敗戰の原因でありました勤勞體制の非民主的、非生産的の行詰りを打開出來る。言換へるならば、日本の民族建設の爲に其の中核となるべき勤勞層と云ふものが、實は知らしむべからず、由らしむべし、生かすべからず、殺すべからずの徳川時代以來の封建的な政治、經濟の原則に依りまして抑へられて來たことが、是が民主主義化を不可能ならしめたる根源であります、私は其の意味に於きまして、如何に議會が中心となつて、最高機關と云ふことが決定され、或は天皇の大權が大多數が國家の正當なる民主的なる機關を通じて履行されなければならぬと云ふことが確立されましても、日本の民主主義改革の基礎と云ふものは、此の勤勞體制が確立すると云ふ所になければ絶體にあり得ないし、今後の日本の經濟の復興も、民族の運命の開拓も、今日の飢餓と窮乏に瀕して居りまする國民生活の開拓も、是れ以外にはないと私は固く信ずるのであります、其の意味に於て此の條章の中に、私は勤勞に對する權利だけではなしに、より勤勞の義務制をここで確立すべきである、從來日本の教育、或は法律制度の上に於きましては、兵役の義務と云ふものが中心を成して居つたのでありまするが、此の軍國主義的なるものに代るに、我々が第二章に唱へられて居りまする理想を實現する現實の實行と云ふものは、正に勤勞の義務制を國民生活の中に確立する、寧ろ其の面が強調されなければならないし、同時にもう一章附加へらるべきものは、全勤勞者が法律の定むる所に依つて經濟の運營に參加發言することが出來ると云ふ條章がここに明確にされねばならぬ、是で初めて今までの日本の統一理念としての天皇と云ふものの、第一章の天皇と云ふ理念を我々が此處で積極的に活かすことが出來る、國民と共にある天皇であり、國民の生活の中に其の天皇の理念が活きて居ると云ふことが言はれる、一君萬民と云ふことが胡麻化しに使はれるのではなしに、現實の生活の中に證明されなければならない、所が戰爭中特に昭和六年以後に於きましては、軍官の指導者が、或は資本家が惡い事をする爲に、搾取する爲に天皇が使はれ、國家が使はれ、或は又下の者が發言して正しき主張を民族發展の爲に表現しようとする時に、それを仰へる爲に天皇が使はれ、國家が使はれて來たのでありまするが、之を引繰返さなければ、國民と共にある天皇などと云ふことを理念として言ひましても、或は平和の建設と言ひ、或は政治に於ける民主化と言ひましても、一切の民主主義の思想と體制は空言であり、此の勤勞國民を中心にしました、今申しました勤勞の義務制と、全國勤勞國民が、經濟と生活の運營に對して、法律の定むる所に依つて之に參加すると云ふ體制が出來なければならぬと私は信ずるのであります、之をどうぞ國民生活の民主主義建設の中心の構造として御取上げ願ひたい、其の考へ方を私は御願ひと共に御尋ねする次第であります

戦争の原因が非民主的な労働体制にあったという反省の上で、基本的人権より勤労の義務こそ重視し、「働かざるもの食うべからず」という思想の元で、兵役の義務に代わって勤労の義務が中心となる体制、勤労義務を敷くことで天皇を中心とした一君万民の体制を作るのだと、そのようなことを主張しています。で、概ねどの議事録でも穂積議員が勤労の義務の導入について論陣を張っており、最終的に衆議院の修正によって日本国憲法に勤労の義務が盛り込まれましたので、導入当時はおよそこのような考え方を反映するかたちで盛り込まれたということのようです。

穂積七郎は戦前は極右テロを繰り広げることになる血盟団のメンバー四元義隆、田中邦雄らとともに帝大七生社という極右団体の活動家として大暴れし、戦後は一転して左翼に転向し社会党に所属(実は「勤労の義務」の導入は社会党の憲法草案にあるものです→ 社会黨 憲法改正要綱(テキスト) | 日本国憲法の誕生 )。のち佐藤栄作首相を「売国者」呼ばわりして懲罰を受ける一方、日朝友好に尽力するなど色々アンビバレントな顔を持ったかなり興味深い経歴の政治家のようです。

この勤労の義務の経緯について、江橋崇法政大学法学部教授が「国家主義的なボランティアリズムと左翼社会主義の合体」というかなり当を得た表現をしています。

資料 日本国憲法制定の経緯における「国民の義務」

 「勤労の義務」は「労働の権利」ととはまったく別のものである。この場合、労働とは、自己及び家族、友人らの健康で文化的な生活を支える自助の努力という意味で個人目的性の強いワークであり、逆に勤労とは、公共のために献身するという目的の役務提供のワークである。こういう勤労を義務付けるというのであれば、市民は、国家に対して、役務提供の憲法上の義務を負うことになる。したがって、この意味での勤労の義務は、労働の権利とは別の条文で、別個に規定されるべき筋合いのものであった。
 ところが、憲法草案が審議されていた当時は、社会主義思想の強い影響の下に労働運動が活発に展開され、「働かざる者は食うべからず」で、人間は労働する義務があるのだという左翼的な主張もなされていた。左翼は、もし勤労が国家への役務の強制的な提供であると知っていれば反対したであろうが、そこで巧妙にも官僚たちは「勤労の義務」を「労働の権利」と結合させ、「勤労の権利と義務」にしてしまって左翼の支持も取り付けた。ここに、国家主義的なボランティアリズムと左翼社会主義が合体してしまい、憲法の規定は、右と左で違った色彩に見える意味不明のものとなってしまった。
 戦後の憲法学は、左翼的であったから、この条文に含まれている、国家緊急時における、兵役に代わる役務提供義務という本来の意味を無視して、働くことは権利にして義務であるという説明をしている。こうなると、しかし、「義務」の性格はわけが分からなくなる。義務は権利に対応する。市民は、誰に対して勤労する義務があるのか。これがさっぱり理解できない。そこで、憲法の施行後の解説書では、「勤労の義務」というのは趣旨不明な言葉としてあつかわれた。そして、だれかが、この言葉があるので勤労の義務への意欲がない市民に対する国の福祉配慮義務は否定されるという理屈を立てると、それが広まって、またいつまでも影響して、今日までこのように解釈されている。

その権利と義務の不幸な結婚が規定から実体を失わせて道徳的規範に止め、かつそれがあることで働けないあるいは働かない人に対して生存権を脅かしかねない解釈も可能になり、またこの勤労が義務であるという規定によって働かない事に対する罪悪感や、批難の一要因にもなりかねないという、なにやら意味不明だけど、無駄に存在感だけある規定になっているという感じがありますね。今となっては義務規定は邪魔なだけのような。

まぁ、歴史的経緯をざっくり把握すると色々と議論のネタにできるのではないかと思いますので、興味がある方は調べてみるとおもしろいですよ。とりあえず「国会会議録検索システム」をあさるだけでも色々発見があるかも、というあまり深入りしない感じのまとめ方ですいません。

参考サイト
勤労の義務 - Wikipedia / 田中清玄と安保全学連 / 帝大七生社 - Wikipedia / 資料 日本国憲法制定の経緯における「国民の義務」 / 社会黨 憲法改正要綱(テキスト) | 日本国憲法の誕生 / ニートひきこもりJournal 勤労の義務 / 国会会議録検索システム

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「アイヌ神謡集」知里幸恵編訳

アイヌ神謡集 (岩波文庫)
岩波書店 売り上げランキング: 9765
おすすめ度の平均: 5.0
4 古い思い出
5 隠れたベストセラー
4 アイヌのお茶目さ
5 経済・文化が曲がり角にいる現代に贈られたアイヌ神謡
5 アイヌの伝承


アイヌ文学の中にユーカラ(神謡)と呼ばれる神々の自叙の形式を取る短編の詩曲がある。中でもカムイユーカラは特にアニミズム色が強く、神々と言っても例えばキツネ、フクロウ、カエル、オオカミあるいはウサギなど動物神のかたちを取り、神々が一人称で謡うもので、アイヌの人々の間では古くから祭儀の際にリズムにのせて歌い継がれてきた。

その代表的な神謡13編を知里幸恵さんがローマ字で表記し、日本語に翻訳したのがこのアイヌ神謡集だ。

神謡にローマ字をつけ日本語に訳し、編纂した知里幸恵さんは、1903年(明治36年)北海道幌別郡(現登別市)のアイヌ人の家庭に生まれ、祖母がカムイユカラ(神謡)の謡い手であったことから、アイヌのさまざまな詞曲を身近なものとして育った。また、学校でも日本語の読み書きを学び優秀な成績を修めるとともに、10代前半に函館のキリスト教会に預けられ、敬虔なカトリックとして英語やローマ字の知識も習得する。

国語学者金田一京助博士との出会いは1918年、15歳の頃のことだった。金田一はアイヌ語研究のため彼女の祖母の元をたびたび訪れ、ユーカラの聞き取り調査を行っていた。そのとき偶然幸恵さんに語学の非凡な才能があることを知り、またアイヌ語へのただならぬ熱意があることから、東京に誘い、幸恵もそれに応えて上京。金田一宅に住み込み翻訳作業に没頭する。

彼女が心血注いで編んだのがこの「アイヌ神謡集」で、元々心臓に持病を抱えていた彼女は、文字通り命がけで作業に取り組み、「アイヌ神謡集」が完成してまもなく、1922年(大正11年)9月18日、出版を待たずしてこの世を去った。享年19歳だった。

彼女の熱意は青空文庫で公開されている「日記」からも強く伝わってくる。

自分を捨てゝ人の為に……何といふ難かしい事であらう。私にはとても出来ない事であらう……が、此の前先生が仰った様に、自分を捨てきる事は出来ないけれども捨てゝ人の為にしようといふ努力はやはり尊いものである。努力、努力! そして出来るだけ完全に近い所へゆく……それが人間にとってもっとも尊い事である。
汝心を尽し、精神を尽し、意を尽し、主なる汝の神を愛すべし。これ第一にして大いなる誡なり。第二もまたこれに同じ。己の如く汝の隣を愛すべし。(太二二・三七―三九)
ほんとうに最も大きな誡、これだけを守る心がある人は全くのえらい人でせう。私にはとても出来ない。完全なえらい人になる事は出来ないのは当然だらう。が、先生がいつか仰った様に努力! 完全といふ目的にむかって真直に進んでゆく……それが私には最大なものである。
何故アイヌは、知識と健康を併得る事が出来ないであらうか。幸に知識と健康を得たとしても愛を失ってゐる。無味乾燥、少しのやはらかみのないものが出来上ったりするのではないかしら。
知識を得よう、知識を得ようと砕身粉骨に近い努力、先ず自分の最善を尽した私は、とう/\健康を失ってしまった。しかも、それほど望んだ知識なるものも望みの四半分も得る事が出来なかった。何故、私があまりに自然にさからったからか。さうかも知れない、さうでせう。自然にさからふ、それは大きな罪であらう。自然に伴ふべく最善をつくせばそれでよいのだ。
運命に逆らはう、自然の力に抵抗しようと思ふのは罪ぢゃないか。おのれたゞ人ではないか。小さい、いと小さい人の力が絶大無限の神の力にさからはうとするのはあまりに愚な事ではないか。何故神は我々に苦しみをあたへ給ふのか。試練! 試練※(感嘆符二つ、1-8-75) 胸に燃ゆる烈火の焔に我身をやききたへ、泉とほとばしる熱血の涙に我身を洗ふ。さうしてみがきあげられた何物かは、最も立派なものでなければならぬ。
私たちアイヌも今は試練の時代にあるのだ。神の定めたまふた、それは最も正しい道を私たちは通過しつゝあるのだ。捷路などしなくともよい。なまじっか自分の力をたのんで捷路などすれば、真っさかさまに谷底へ落っこちたりしなければならぬ。
あゝ、あゝ何といふ大きな試練ぞ! 一人一人、これこそは我宝と思ふものをとりあげられてしまふ。
旭川のやす子さんがとう/\死んだと云ふ。人生の暗い裏通りを無やみやたらに引張り廻され、引摺りまはされた揚句の果は何なのだ! 生を得ればまたおそろしい魔の抱擁のうちへ戻らねばならぬ。
死よ我を迎へよ。彼女はさう願ったのだ。然うして望みどほり彼女は病に死した。何うしてこれを涙なしにきく事が出来ようぞ。心の平静を保つことに努めつとめて来た私もとう/\その平静をかきみだしてしまった――だからアイヌは見るもの、目の前のものがすべて呪はしい状態にあるのだよ――。先生が仰った。おゝアイヌウタラ、アウタリウタラ! 私たちは今大きな大きな試練をうけつゝあるのだ。あせっちゃ駄目。ぢーっと唇をかみしめて自分の足元をたしかにし、一歩々々重荷を負ふて進んでゆく……私の生活はこれからはじまる。
人を呪っちゃ駄目。人を呪ふのは神を呪ふ所以なのだ。神の定めたまふたすべての事、神のあたへたまふすべての事は、私たちは事毎に感謝してうけいれなければならないのだ。そしてそれは、ほんとうに感謝すべき最も大きなものなのだ。

その敬虔な信仰心とアイヌへの想いに読むと胸が熱くなる。19歳の才能に溢れた年若い少女がアイヌ語を後世に残すという作業に、文字通り命を賭けることになったのは、その哀しきアイヌの歴史が大きい。

アイヌ文化は13世紀ごろ、青森から北海道一帯に広がっていた狩猟採集中心の擦文文化とオホーツク海沿岸に栄えた漁労や交易を中心としたオホーツク文化及びオホーツク文化を受け継いだトビニタイ文化が融合して成立した文化で、国家というよりはいくつもの部族が共存した社会で、文字を持たないこと、汎神論的な信仰、交易や漁労・狩猟が中心の生活などが特徴となっている。

しかし、地理的な状況からたびたび和人やモンゴル人などの騎馬民族、時代が下るとロシア人の侵略を受け続けてきた。戦いになると部族間で連合して対抗しあるいは交渉して難を逃れてきたが、18世紀ごろからロシアの南下政策と江戸幕府を背景とした松前藩の圧力の間で徐々に両国の支配下に入るようになっていく。

1854年日露和親条約によって外交的に北海道が日本領となり、1869年函館戦争終結によって明治維新が一段落付くと蝦夷地を北海道に改称、本格的に和人の入植を進めて行くようになる。1871年、戸籍法が制定されるとアイヌ人は「平民」に編入。開墾に従事させ、民俗風習を禁じ同化政策を推し進め、75年に屯田兵制、同年ロシアとの樺太・千島交換条約で樺太をロシア領、千島列島を日本領として樺太のアイヌ人を強制移住させ、1878年アイヌの呼称を「旧土人」に統一。1899年、悪名高い「北海道旧土人保護法」が制定された。保護の名の元にアイヌ人の土地没収、漁業・狩猟の禁止、アイヌの習俗の禁止、日本語使用の強制、日本語名への改姓などが強制され、この法律は1997年アイヌ文化振興法の施行までおよそ100年に渡り続いて行くことになる。

このようなアイヌ文化に対する抑圧と差別によるアイヌ人の貧困化や衰退の中で、苦境による人としての尊厳やアイデンティティの喪失、さらに命そのものの危機に、当時、彼女を始めとするアイヌ人が直面していた(今も直面し続けている)。彼女の日記を読んでも、上記で引用した「旭川のやす子さん」など幾たびかアイヌの知人の死に直面して悲しむ彼女の様子が見てとれて胸を締め付けられる。

そして、彼女が編んだ神謡を読み進めて行くと、アイヌの人々の信仰や日々の生活がゆっくりと伝わってくる。一つさわりだけローマ字と翻訳文を引用するので、ぜひローマ字を音読してみて欲しい。とても瑞々しいので。

アイヌ神謡集 (岩波文庫)

Kamuchikap kamui yaieyukar,
梟の神の自ら歌った謡
"Shirokanipe ranran pishkan"
「銀の滴降る降るまわりに」

“Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe
「銀の滴降る降るまわりに,金の滴
ranran pishkan.” arian rekpo chiki kane
降る降るまわりに.」という歌を私は歌いながら
petesoro sapash aine, ainukotan enkashike
流に沿って下り,人間の村の上を
chikush kor shichorpokun inkarash ko
通りながら下を眺めると
teeta wenkur tane nishpa ne, teeta nishpa
昔の貧乏人が今お金持になっていて,昔のお金持が
tane wenkur ne kotom shiran.
今の貧乏人になっている様です.
Atuiteksam ta ainuhekattar akshinotponku
海辺に人間の子供たちがおもちゃの小弓に
akshinotponai euweshinot korokai.
おもちゃの小矢をもってあそんで居ります.
“Shirokanipe ranran pishkan,
「銀の滴降る降るまわりに
konkanipe ranran pishkan.” arian rekpo
金の滴降る降るまわりに.」という歌を
chiki kane hekachiutar enkashike
歌いながら子供等の上を
chikush awa, unchorpoke ehoyuppa
通りますと,(子供等は)私の下を走りながら
ene hawokai:――
云うことには,
“Pirka chikappo! kamui chikappo!
「美しい鳥! 神様の鳥!
Keke hetak, akash wa toan chikappo
さあ,矢を射てあの鳥
kamui chikappo tukan wa ankur, hoshkiukkur
神様の鳥を射当てたものは,一ばんさきに取った者は
sonno rametok shino chipapa ne ruwe tapan”
ほんとうの勇者,ほんとうの強者だぞ.」

この神謡は梟の神がある村の上に来て村人の様子を眺めると、昔貧乏だった者は金持ちになっており、かつて金持ちだった者は貧乏になっていて、その子たちが弓矢で遊んでいるのが目に入った。貧乏な子がまわりにからかわれ、虐げられても一生懸命に自分を狙ってくるので、その貧乏な子が放った矢をこっそりと取り、撃たれたふりをして落ちて行く。子どもたちが競いながらも最後はその貧乏な子が梟を手に取り、そしてその梟を家に持ち帰ると、貧乏だが紳士然とした両親が迎え入れ、梟に対しても最大限の敬意を払ってくれるので、彼らが寝静まった後に宝物を与えて飛び去って行く。そして他にも貧乏だけれど正しい者たちが富めるように施してやり、そして村人たちが別け隔てなく仲良くなるようにはからい、村人たちも感謝をする、そして、「私も人間たちの後に坐して、何時でも、人間の国を守護っています」と梟が語って終わるという物語になっている。

このような、アイヌの人々の信仰と生活とが描かれた13の神謡がおさめられ、詞の一つ一つに心打たれる珠玉の一冊になっている。

金田一京助は、彼女の死を心から悼み、その後半生はずっと後悔と贖罪の日々だったという。彼女の弟、知里真志保は彼女の遺志を継ぎ、アイヌ語の研究に没頭し、金田一もまた彼を全力で支え、真志保は戦後アイヌ人初の北海道大学教授となり、アイヌ語研究を極め「その業績はもはや「アイヌ学」という一つの学問を築き上げている。」と称えられている。

最後に、ぜひ知里幸恵さんが死の直前に書いた同書の序文を読んでいただきたい。

アイヌ神謡集 (岩波文庫)」(P3-5)

その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.

冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀ずる小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく.

太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて,野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ.僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり.しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう.

その昔,幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう.

時は絶えず流れる,世は限りなく進展してゆく.激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも,いつかは,二人三人でも強いものが出て来たら,進みゆく世と歩をならべる日も,やがては来ましょう.それはほんとうに私たちの切なる望み,明暮祈っている事で御座います.

けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.

アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は,雨の宵,雪の夜,暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました.

私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます.

大正十一年三月一日
知里幸惠

アイヌ語の話者は今、10人に満たないという。

参考サイト
知里幸恵 - Wikipedia / 知里幸恵について / 知里幸惠編訳 アイヌ神謡集 / 青空文庫 知里幸恵 日記 / アイヌの歴史 - Wikipedia / 北海道旧土人保護法 - Wikipedia / アイヌ文化 - Wikipedia / アイヌ語 - Wikipedia / 金田一京助 - Wikipedia / 知里真志保 - Wikipedia

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イスラム原理主義思想の父サイード・クトゥブの生涯

9.11事件を起こしたアル・カイーダを始め世界中でテロを繰り返し、アメリカを始めとする欧米諸国と対立を深めるイスラム原理主義勢力ですが、その原理主義思想はさかのぼるとたった一人の思想家にたどり着きます。

男の名はサイード・クトゥブ。イスラム原理主義思想の父と呼ばれ、主なイスラム原理主義団体の殆どが彼の思想をベースにしています。その彼の悲劇的な生涯は果たして何を生んだのか。

1)青年時代
クトゥプは1906年、エジプトのナイル川上流、貧困地帯として知られる上エジプトのアスユート県の貧しい村で農民の子として生まれました。彼の父は農民とは言え、比較的豊かで、かつイスラム学を学んでいることから村の知識人として尊敬を集めていました。そんな父の影響もあってかサイード少年は、10歳でコーランを暗唱するなど知識欲が強く将来を嘱望されていました。

1919年、クトゥプ一家は土地を売ってカイロ近郊に移住。サイード・クトゥブは中等教育を受けたのち、1929年に名門ダール・アル・ウルーム師範学校に入学。同校は伝統的なイスラム教育ではなく近代思想や合理主義を教える近代的な教育機関で、彼は英文学に熱中。1933年、教育学の学士を取得し、成績優秀だったため同校に講師として残り、同時にエジプト文部省の教官としても勤務するようになります。

また、同時期に文芸評論や小説、詩の創作などを行い、文壇デビュー。作品はイスラム的なものではなく逆にイスラムの伝統的な社会ではタブーとされていた男女の性を扱ったり、恋愛小説を書いたり、時には女性のヌード描写も登場するなど自由でロマンチックな作風だったと言います。

後にイスラム原理主義の父と呼ばれる苛烈な面影は微塵も無く、欧米諸国への憧れを抱く、心優しく繊細な文学青年。それが若かりし頃のサイード・クトゥブでした。

2)ムハンマド・アリー朝下のエジプト
エジプトの近代史は欧米列強の植民地支配に翻弄された歴史でした。

エジプトは長くオスマン帝国の支配下にありましたがナポレオンのエジプト遠征と撤退後の混乱の中で1805年、アルバニア人傭兵ムハンマド・アリーがオスマン帝国の下でエジプトを支配していたマムルークなど有力者を倒してムハンマド・アリー朝を起こすと、西洋文明を導入してエジプトの近代化と国力増強に努めます。

ムハンマド・アリー朝の下では西欧を敵視するのではなく、イスラム文化と西欧文化との共存が目指されました。フランス啓蒙思想を学んだ啓蒙思想家リファー・アル・タフターウィー(1801〜73)は西洋思想をイスラムに紹介するなど西洋とイスラムの共存のため思想を説き、宗教家のジャマル・アル・アフガーニー(1839〜97)は後に「汎イスラーム主義」と呼ばれる、イスラム教を近代西洋思想に対抗しうるような科学的、合理的なコーランの再解釈と連帯を唱え、アフガーニーの弟子で教育者のアブドゥフはイスラム教下での民主主義の導入に向けた政治改革と自然科学教育を重視する教育改革を試みました。

しかし、このようなイスラム社会と西洋社会の共存の試みは、残念ながら上手く行きませんでした。急速な近代化は社会の歪みを生み、また欧米列強との不平等条約に基づく市場開放はエジプト経済を不安定化させ、さらにスエズ運河の建設はエジプト財政を逼迫、1876年には財政破綻し英国が実質的に植民地支配に乗り出します。

第一次大戦後、エジプトでも民族自決の機運が高まり独立運動が盛んになると、1922年、英国政府はエジプト王国の独立を宣言しますが、実質的な支配権は英国が握り続けました。

英国政府の植民地支配とそれに対する王政への無力さに危機感を覚えた一人の青年がいました。ハッサン・アル=バンナはクトゥプと同年の1906年生まれ。クトゥブと同じダール・アル・ウルーム師範学校を1927年に卒業。当時の政治的閉塞状況に危機感を覚え、一人モスクに立って演説を始めると、すぐに多くの支持者を獲得し、翌1928年、後に様々な原理主義組織の母体となる「ムスリム同胞団」を結成。イスラム教教育の重視や生活水準の向上、植民地支配からの独立などを謳い、非暴力の政治運動を展開し、多くの支持を獲得していきます。

1930〜40年代のエジプトは英国政府、王党派、ワフド党と呼ばれる民族主義勢力、そしてイスラム教をベースにしたムスリム同胞団の四つの勢力が綱引きを行う微妙な情勢となっていました。

3)米国留学
さて、このころ、サイード・クトゥブは良き理解者に巡りあっていました。後世「文学の巨柱」という称号を与えられ敬意を集める近代エジプトの自由主義思想家、教育者、作家であり、また文部官僚(のち文部大臣)でもあったターハー・フサインです。フサインはクトゥプの仕事上の上司として、また近代思想の教師として親交を深めていました。

当時、文部省の官僚であり、言論人でもあったクトゥブは公務に励みつつも、傀儡と化したエジプト政府の腐敗に倦んでおり、徐々に政府批判を発表するようになっていました。そのような矛盾を抱えていたこともあって上司のフサインに辞職を申し出ますが、フサインは辞職させるのではなく、近代教育制度を学ばせるという名目で米国留学を命じます。フサインは米国の文化に触れることでクトゥブを知識人として成長させたいと考えていたようです。

彼は1948年から50年までスタンフォード大学に留学します。しかし、若き日に欧米文化への憧れをいだいていたクトゥブが米国生活で感じたものは「失望」でした。クトゥブは米国でショックを受けたのは「物質主義」「人種差別」「性の乱れ」の三つだと言い、これは政教分離が原因ではないかと考えました。キリスト教徒は熱心に教会に通うが、そこには信仰は無く、「本来の信仰の基本であるはずの深い内省からかけ離れた堕落した形態」(「テロと救済の原理主義」P33-34)でしかなく、「政教分離を原則としる西洋近代の思想やイデオロギーは、イスラーム世界のモデルたりえない」(P33)。そして闇雲に西洋の近代思想を導入しようとするイスラム社会の傾向に警鐘を鳴らし、西洋の近代思想や共産主義ではなくイスラム法にこそ社会秩序の源を求めるべきではないか?と考えるようになります。

米国留学から帰国した彼は、1951年文部省を退官。1953年、ムスリム同胞団に入団し、機関誌編集長、指導評議会のメンバーとしてイスラム原理を通じた社会改革運動に身を投じます。

4)エジプト革命とナセル政権
クトゥブが米国留学に行った1948年、エジプトの政治は緊迫の度を増していました。パレスチナでのユダヤ人による英国政府に対する武力闘争に端を発した第一次中東戦争は圧倒的有利と見られたアラブ諸国連合軍の大敗に終わり、エジプトでも王政の権威が失墜。さらにエジプトのネクラーシ首相が暗殺される事件が起き、これがムスリム同胞団に属する者の仕業だとされると王党派によってハッサン・アル=バンナが暗殺されムスリム同胞団は大きな痛手を負います。

このような政情不安の中でムハンマド・ナギーブ、ガマール・アブドゥン=ナセルら軍人によって組織される自由将校団は1952年7月23日クーデターを起こし政権を掌握、翌53年、ムスリム同胞団と協力して王制を廃止するとナギーブを首班とする共和制を樹立。しかしほどなくムスリム同胞団が支援するナギーブとナセルの間で路線対立が表面化し、1954年、ナセルの暗殺未遂を図ったとしてムスリム同胞団が非合法化措置が取られるとともにナセルが政権を掌握。1956年、ナギーブから大統領職を譲られる形でナセルの軍事独裁政権が成立します。

めまぐるしく動く政局の中で、1954年のムスリム同胞団非合法化とともにナセルによるムスリム同胞団などナセルに敵対する勢力の大弾圧が始まり、クトゥブも逮捕され15年の強制労働の刑を受け、カイロ南郊外ヘルワンのトラ刑務所に1964年まで10年間獄中生活を送ることになります。そして、この獄中生活がクトゥブの思想を先鋭化させ、イスラム原理主義思想の根本概念となる様々な書物が書かれていくことになるのです。

5)獄中生活
クトゥブの獄中生活は悲惨だった。

「テロと救済の原理主義」(P36)
逮捕時、彼は高熱にうなされていた。にもかかわらず、手錠をかけられて素足のまま監獄にほうりこまれ、怒りと高熱のため彼は意識を失った。獄中の拷問で命を落とした同士も多かった。五五年、多くの同胞団員が刑務所で惨殺される事件が発生し、クトゥプはぼろぼろになって運ばれてくる負傷者の姿を垣間見た。ひと時は自由将校団のメンバーにイスラームに関する講義を行い、ナセルとも面識があったクトゥプは、世俗国家権力の非情を思い知ったのである。

藤原和彦「イスラム過激原理主義」によると55年ではなく57年に囚人が惨殺される事件があったと書かれているが幾度かあったのかもしれない。57年の惨殺事件は服役囚23人が作業を拒否して座り込みを行ったところ、刑務所の看守らが銃撃を浴びせ惨殺したというもの。

このような過酷で残虐極まる刑務所生活の中で、彼は代表作となる著書「道標」を著し、原理主義革命の根本思想「ジャーヒリーヤ論」を生み出すことになる。ジャーヒリーヤ(無明時代)、つまりこの世は闇であると。

6)クトゥプの原理主義思想
(1)「ジャーヒリーヤ論」
ジャーヒリーヤとは預言者ムハンマドが現れる以前の社会は野蛮で無知が支配する時代を指す言葉だった。これを現代にも当てはめたのはクトゥプと同時代のパキスタンのジャーナリストで思想家のマウドゥーディーだった。マウドゥーディーは現代もまたジャーヒリーヤ(無明時代)であり、西洋が押し付ける近代思想に対抗するためジハードを行うという原理主義思想の根本になるようなジハード論を唱えた。

クトゥブはそれをさらに拡大させてジャーヒリーヤは西洋列強だけでなく、イスラーム内部にも巣くっている。それはナセルら世俗の民族主義者たちであり、そのような邪悪な偽善社会に対抗していかなければならない。そしてジャーヒリーヤの世界とは人間が人間を支配するという、「神の主権」の侵害であり、人間の手にある主権を神に返し、神の名の下に平等な世の中を作らなければならないという思想に至る。

ここで重要なのは「神の主権」とは神の名の下に独裁的な神権政治の樹立を行うのではなく、「あらゆる問題に関する最終的な判断を生身の個人にではなく、イスラーム法に求める社会」(「テロと救済の原理主義」P46)つまり、イスラーム法による法治国家の樹立を目指すと言うことだ。

そしてそのイスラーム法に基づく「神の主権」を回復させるために欧米列強やナセル政権に対して武力抵抗=ジハードを行い、戦って行かなければならないという思想を生み出した。

(2)「イスラーム前衛論」
上記のジャーヒリーヤの世界を打ち破り「神の主権」を確立し、西洋の物質文明に対してイスラム教原理に基づいた社会秩序を生み出すためにイスラム諸国においてその実践と復興運動を行う人々がいなくてはならない。そのような人々「イスラーム前衛」の必要性をその著書「道標」で「現代社会を覆うジャーヒリーヤの大海を泳ぎきり、確固たる決意をもってイスラームの大義の道を行く前衛たちが必要である。」と語った。

(3)「ジハード論」
ジハードと言う言葉には「個人の内面との戦い」という精神的な修練の意味と「外部との戦い」という行動的な意味がある。概ね前者の意味で使われており、後者の「外部との戦い」という場合、基本的にコーランでは強制改宗目的でのジハードは禁じられており、どうしても戦わざるを得ない場合にイスラム法に基づいてジハードを行うべきかどうか判断が下されるというものだった。

このジハードをクトゥブは再定義する。神に代わって人が人を支配する世界から人々を解放し、イスラーム法に基づいた平和な世界を作るために、説得や教化だけでなく武力行使も含む戦闘を積極的に行うべきであるとした。

7)クトゥブの死とその後
1964年、イラクのアーリフ大統領の調停により釈放されたクトゥブは、アーリフ大統領のイラク移住の勧めを断りエジプトに残ると、上記のような思想を記した書籍「道標」を出版。このイスラム教を再解釈し闘争に特化した急進的な思想はエジプトだけでなく政権の腐敗や圧制、列強の植民地支配、社会の矛盾に怒りと不満を覚えていたアラブ諸国の若者たちに圧倒的な支持と共感を得る。彼らにとって、このクトゥブの思想はそのタイトル通り暗い現実社会を照らし、何をするべきかを指し示す「道標」だった。

この内容に恐れをなしたナセル政権は1965年、扇動罪でクトゥブを再逮捕すると、アラブ諸国からの助命嘆願を無視して具体的な証拠が無いまま死刑判決を言い渡し、翌66年、彼は絞首刑に処せられる。彼の死はすぐにアラブ世界を駆け巡り、多くの若者達がその死を悼み、絶望し、怒り、次々と行動に出た。

後にサダト大統領暗殺のリーダーとなるムハンマド・ファラグ、アル・カイーダのNo2として世界中でテロ行為を繰り返すことになるアイマン・ザワヒリらが結成する「ジハード団」、93年の世界貿易センタービル爆破テロや悲惨なルクソール事件を巻き起こすオマル・アブドルラフマンの「イスラム集団」、ムスタファ・シュクリの「断罪と逃亡団(ヒジュラ団)」などが70年代前後から一斉にテロ活動を始め、それに対して政府も武力で応えた。

70年、独裁者ナセルが急死した後を継いだサダト大統領は敬虔なイスラム教徒であり、第四次中東戦争などでイスラエルに打撃を与える一方でキャンプデービット合意によってノーベル平和賞を受賞するなど外交的にはアラブ諸国の盟主であり、開放経済を推し進める合理主義者であり、そして反対派は徹底的に弾圧する軍事独裁者だった。

徹底的な政治活動家の取締りと開放経済による貧富の格差の拡大による社会の不満が頂点に達した81年10月6日、サダト大統領は第四次中東戦争の戦勝記念式典で閲兵中にジハード団のメンバーによって暗殺される。

サダトの後を継いだムバラクは文字通りサダトの後継者だった。独裁色を強めるとともに反対勢力に徹底した弾圧を加えた。特に悪名高いのがSSI(国家治安調査庁)と呼ばれる対原理主義勢力の秘密警察で拷問や不当勾留を繰り返し、さらに原理主義勢力に対しては極めて短時間のうちに死刑判決→執行が行われているという。ミドルイーストウォッチやアムネスティインターナショナルなどの人権団体が幾度となくエジプト政府に対し調査や非難声明を行っているが、今でも政治犯に対する拷問、虐待、私刑はつづいているという。

苛烈極まる弾圧でエジプト国内の原理主義組織はエジプトから脱出し、アラブ世界に活動範囲を広げていった。また、79年、ソ連がアフガニスタンに軍事侵攻したアフガニスタン戦争に多くの原理主義思想に傾倒する若者たちが参加。その中にはのちにアル・カイーダの最高指導者となるオサマ・ビンラディンもいた。「アラブ・アフガンズ」と呼ばれた彼らを米国が支援し、そこで学んだ軍事知識を元に彼らはアラブ諸国に散っていき各国でテロ活動を繰り返すようになった。

反対派の抵抗に対して政府は弾圧で臨み、それに対して原理主義勢力はテロで応酬し、政府は武力鎮圧し・・・という数十年に渡る流血の連鎖の結果、テロ組織はますます過激かつ先鋭化し、燎原の火のごとく世界を覆い、おそらくイスラム革命という理想すら見失いテロのためのテロを繰り返し、また欧米諸国や中東諸国は武力を持って徹底的に叩くという泥沼へ嵌っている。クトゥプの死からわずか50年でおそらく今後数百年は続くであろう対立という巨大な楔が世界に打ち込まれている。

元はたった一人の文学者の非業の死だった。日本に怨霊信仰というものがあるが、かつての怨霊信仰は社会の変革期に人々の不満を、非業の死を遂げた人の無念さに仮託した反抗運動だった。そのような意味で言うならば今の原理主義勢力によるテロの連鎖はサイード・クトゥブの怨霊なのだ。怨霊は退治するものではなく祀り、鎮め、不満を取り込んでいくものなのではないか。

「テロと救済の原理主義」の著者小川忠は原理主義の蔓延する原因として一般的に、貧困や社会的格差が言われているが重要な要因を見逃していると書いている。それは「誇りの不平等」だと言う。

「テロと救済の原理主義」(P216)
圧倒的な西洋の軍事・経済・文化的パワーに直面し、それに対抗するために自らも西洋近代の科学技術を摂取し、消化しようと試みてきたイスラーム近代改革主義者の中から、中東イスラームの原理主義は誕生した。西洋に対抗するために敵である彼らの文明を学ばざるをえなかったという屈辱は、「西洋によって我々は貶められている」という怨念となって彼らの胸の中で結晶化していった。一九世紀半ば、日本も、西洋列強の強権的な砲艦外交に屈して国を開かざるをえなかった。その屈辱、傷ついた自己アイデンティティーの回復が、明治以降の日本の国家目標となった。

傷ついた人々の誇りをいかに回復させるか。人が人らしく生きていくためには「誇り」が必要だ。

(中略)

相手を変えようと思ったら自らが変わる勇気をもつこと。相手に愛してもらおうと思ったら、自らが相手を愛する度量をもつこと。

(中略)

「私たちは貴方たちを尊敬している。貴方たちのことをもっと知りたい」。これこそが、日本が中東に向けて発しうるメッセージの出発点と、私は信じたい。

僕もそう思う。そして、イスラム世界のことは全く知らなかったので、知りたいと思い、色々書籍やサイトを漁って自分なりにまとめてみた。イスラム世界についての理解をここから始めてみようと思う。次は原理主義とは反対のイスラム世界のリベラルな運動についてまとめたい。

参考文献


テロと救済の原理主義 (新潮選書)
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おすすめ度の平均: 5.0
5 そういうものにわたしはなりたくない
5 超おすすめ!


原理主義とは何か―アメリカ、中東から日本まで (講談社現代新書)
小川 忠 講談社 売り上げランキング: 300142
おすすめ度の平均: 5.0
5 原理主義の克服を目指す。
5 いろいろ答えが得られます。
5 原理とは
5 原理主義入門必読書!


イスラム過激原理主義―なぜテロに走るのか (中公新書)
藤原 和彦 中央公論新社 売り上げランキング: 186960
おすすめ度の平均: 5.0
4 イスラムの印象が変わる
5 イスラム原理主義の歴史的経緯や思想的系譜を丹念に掘り下げた秀逸な書籍
5 フセインとアサドらバース党の功績
5 9・11テロ以前の章立てながら
5 エジプトにおける過激主義

参考サイト
イスラム原理主義 - Wikipedia / ムハンマド・アリー朝 - Wikipedia / “西洋”の衝撃とイスラーム改革 / ターハー=フサイン / ムスリム同胞団 - Wikipedia / ムハンマド・ナギーブ - Wikipedia / ガマール・アブドゥン=ナーセル - Wikipedia / アンワル・アッ=サーダート - Wikipedia


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ある日、シドニーに住むドラァグクイーンのミッチ(ヒューゴ・ウィーヴィング)の元に掛かってきた一本の電話から、ミッチと、最近恋人を亡くしたベルナドット(テレンス・スタンプ)、陽気なフェリシア(ガイ・ピアース)の三人のドラァグクイーンは大型バス"プリシラ"を手に入れオーストラリア北部の都市アリススプリングスに地方公演のための長い旅に出る。

その砂漠を横断する長い長い旅の過程で、さまざまなトラブルがあり、出会いと別れがあり、時に差別や偏見にも直面していきながら力強く生きていく、あるいは生きてきた様子が美しい映像と出演陣の名演技によって描かれていく。

特に印象的だったのは、とある田舎の町で調子に乗ったフェリシアが町の男たちを挑発してしまい、取り囲まれてしまいながら間一髪助け出された後、ベルナドットが彼に語りかけるセリフ。

ヘンね。都会はイヤだとさんざ、グチったけど・・・我々には都会しかないのよ。都会の壁がここにいる連中から我々を守ってくれるんだわ。さあ、元気を出して。ののしられて強くなるんだから。男が女になるのはラクじゃないのよ。

都会は確かに他者にあまり強くコミットしないので、マイノリティでもあまり干渉を受けずに生きていけるし、多くの人がさまざまなポリシーの元で生活しているので多様性もある。しかし、ドラァグクイーンという生き方はそのように都会に埋没して生きる生き方ではなく、都会の中にあって強く自身を表現し注目を集めていかざるをえない業を背負ってもいる。そういうアンビバレントな、さまざまな思いがとても伝わってきた。

そして、そういう業を背負っているが故に、「都会の壁」以上に「良き理解者の紐帯」が彼らが生きていく上で必要になっていくのだろう。"プリシラ"の旅は各々が「良き理解者」と出会う旅でもある。ラストの良き理解者の前で見せる最高のパフォーマンスはドラァグクイーンとして表現する喜びに満ちたとても楽しいものだった。マンマミーア!

あと、余談だけど、この作品でも何度となく使われている曲にグロリア・ゲイナーの1979年の大ヒット曲"I wll survive"がある。後にダイアナ・ロスやその他有名アーティストがカヴァーして長く親しまれた名曲で、哀歓たっぷりなメロディと歌詞で印象的なのだけど、有名な映画はもちろん社会的マイノリティ、あるいは一般人から少し外れた人たちを扱った映画まで幅広くさまざまな映画作品に良く使われているように思う。


さまざまな映画で耳にし、そして聴くたびに耳に残るこの曲は、もしかして思っている以上に欧米の、特にマイノリティの人たちの心に強く突き刺さり、共感をもたらしているんじゃないだろうか?とちょっと思ったりしているんだけど、この辺詳しい方がいらっしゃったら教えて欲しい感じです。やはり一人でも生きていかなければならない決意と悲しみみたいな歌詞が、特に欧米の人々に強く訴えかけるんでしょうか。



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インドの宗教暴動は社会の緩やかな紐帯によって抑止される

小川忠著「原理主義とは何か―アメリカ、中東から日本まで (講談社現代新書)」に面白い研究結果が紹介されていた。

インドの宗教暴動について研究している米国ミシガン大学南アジア研究センター長のアシュトシュ・ヴァルシュネイ氏によると、インドの宗教暴動は地域的にばらつきが有り、28ある州のうちアンドラ・プラテシュ、ビハール、グジャラート、マハラシュトラ、ラジャスタン、ウッタル・プラデシュの6州で暴動が頻発し、他の州では大したことがなく、さらに宗教暴動は農村ではなく都市で発生している。また、過去70年間の統計結果を見ると死者数の半分が全人口の5.5%に過ぎない8都市(アーメダバード、ボンベイ、バローダ、アリガル、メルート、デリー、カルカッタ、ハイデラバード)に集中していることがわかった。都市の中でも古くからある都市ではなく、急速に開発された都市や新興住宅地において「宗教」暴動が発生する傾向にあるということだ。

(P261)
ヴァルシュネイ氏は、「ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の市民的結びつきが強いところで暴動は抑えられ、そうでないところでは暴動が多発する。そして異なる宗教徒間の市民的結びつきは紛争防止機能を持っている」と分析している。

また、当事者からの証言を分析した結果、「宗教」暴動には匿名性があることがわかったという。顔見知りにやられたという証言は少なく、ほとんどが「見知らぬ」暴徒がどこからかやってきて襲ってきたということだそうだ。

(P261)
つまり、お互いに相手を知っているということ、相互理解は暴力の発生を防ぐのである。二人の人間をつなぐ相互理解のネットワークは一つである。三人がそれぞれを直接知るために必要なネットワークは三つ、四人の場合は六つ必要になる。都市が大きくなるほどに社会の構成員がお互いを知るために必要となるネットワークの数は加速度的に増えていく。伝統的な人間関係が希薄な都市には見知らぬ「他者」が多数存在するようになり、暴力抑止機能は低下する。

ヴァルシュネイ氏は市民的結びつきを以下二つに分類する。
「社会的関与」商業組合、読書会、同好会、NGOなど
「日常的関与」家族ぐるみのつきあいや祭祀への参加など

特に「社会的関与」がより宗教暴動の抑止機能が強く、このヴァルシュネイ氏の研究結果に基づいて「社会的関与」を強化する動きがインド社会で特に地域社会や市民団体のイニシアチブの元に徐々に広がっているという。

というように、昨今特に研究が進んでいるソーシャル・キャピタルの重要性がこのような宗教暴動対策としても指摘されていて、非常に興味深かった。

ソーシャル・キャピタルはさまざまな分類があるが、日本大学の稲葉陽二教授は「社会における心の外部性を伴った信頼・互酬性の規範・絆(ネットワーク)がソーシャルキャピタルである」と定義し、社会全般における信頼・規範としての「公共財」、個人間ないしは組織間のネットワークである「私的財」、ある特定のグループ内における信頼・規範である「クラブ財」の三つに分類される、という。

概ね、これまでの日本社会は、個人間・組織間の結びつきである「私的財」はとても希薄だったが、安定した社会全般における信頼と規範意識=「公共財」と、個々の企業や集団など特定のグループ内の信頼関係・規範意識=「クラブ財」の二つのソーシャル・キャピタルの強さが社会を支えていた一因だと思うのだけれど、公共財としての信頼が揺らぎ、クラブ財の強さが逆に個々の集団の閉鎖性を招いて、実情以上に人々が閉塞感を感じてしまっているということなのではないかと思う。

そこで、インド社会が宗教暴動対策として「社会的関与」つまり「私的財」の強化を進めているように、今後はこれまで希薄であった個人間ないしは組織間のネットワークの強化が、特に重要になってくる・・・というような訳で、知人が2月13日に勉強会を開催するそうなのでお知らせしておきます(笑)

通貨にまつわる勉強会開催「お金の未来、僕らの未来」〜新たな通貨の提案と試み〜
http://happy-project.appspot.com/news.html

通貨とか経済システムとか新しい社会像などをお話したり、色々な方がライトニングトークをしたりするそうです。ちょっと僕はまだ行けるかどうか未定なんですが、興味のある方は問い合わせてみると良いかもです。はい。

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「フリーエージェント社会の到来―「雇われない生き方」は何を変えるか」ダニエル・ピンク 著
「安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方」山岸俊男 著
いかにして「信頼」をベースにしたネットワークを形成するか



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現代人のための神仏習合入門その1「神仏習合のはじまり」

よく、日本は神仏習合の社会だと言われます。特に最近は、一神教と比較して日本の多様性・独自性を強調する場合に使われるのを良く見かけますが(個人的には、そういう言説に危ういものを感じますが)、では、神仏習合とはどのような現象なのか?についてはあまり語られることなく、「神仏習合」という単語が一人歩きしている印象を受けることが多いように感じます。そこで、神仏習合について何回かに分けて簡単にまとめておこうかと思います。

主な参考書籍は義江彰夫著「神仏習合」、末木文美士「日本宗教史」など。

神仏習合は八世紀から十三世紀にかけて土着の神祇信仰と仏教とが複雑に結合し独特な信仰複合体を築きあげた現象ということができます。ただし、ここで留意しておかないといけないのは、仏教と神道の二つの宗教の混淆ではなく、また、個別の神と仏の関係などによって多様な結びつき方をしているということです。

神仏習合という現象は以下の四つの段階を経て形成されます。
1)神々の仏教帰依(神身離脱)と神宮寺の建立
2)怨霊信仰の登場
3)ケガレ忌避観念と浄土信仰の登場
4)本地垂迹説と中世日本紀の登場

この記事では、神仏習合の初期段階神々の仏教帰依(神身離脱)と神宮寺の建立についてまとめます。

神仏習合はまず、神々の仏教帰依から始まりました。

■神々の仏教帰依(神身離脱)と神宮寺の建立

記録によると天平宝字七年(西暦763年)、伊勢国桑名郡(現三重県桑名市)にある多度山の神、多度大神は人に乗り移ってこう託宣を下したという。

我れは多度の神なり。吾れ久劫(きゅうごう)を経て、重き罪業をなし、神道の報いを受く。いま冀(こいねがわく)ば永く神の身を離んがために、三宝に帰依せんと欲す。

長きにわたってこの地方を治めてきた結果、いまや本来の神道からはずれて重い罪業に苦しめられ、神道の報いを受けるところに至ってしまった。いまこの桎梏から脱出したいが、そのために神の身を離れることが必要であり、仏教に帰依したい(義江「神仏習合」P11-12)


このように、神様としての勤めをしているうちに自身の罪の意識にさいなまれ、このままでは神様の職務(?)を全う出来ないので、仏教に帰依したいという趣旨の告白をする神が八世紀に入るころから各地で続出。そこで、神社の近くに神様が仏教修行するための寺院(神宮寺)の建設が行われ(最も古い神宮寺の建立は715年)、その後、仏教の高僧たちから、神様は仏教の修行をよく頑張ったと認められて菩薩となっていくというプロセスを、辿ったようだ。ようだ、というのは必ずしも資料が残っていると言うわけではなく、また例外的な、たとえば元々仏教的な色彩の濃いい八幡神などの場合もあるからだが、全体的な流れとしては前述のような神身離脱→神宮寺の建立→仏教神化という展開をしていったと考えられている。

なぜ、このような神仏習合現象が起きたのか?の前に、神仏習合前史となる仏教伝来以降の歴史を簡単におさらいしましょう。

■神仏習合前の仏教史概略

日本に仏教が伝わったのは西暦538年。仏教の導入を巡って反対派の物部氏と賛成派の蘇我氏の間での政争などもあったが、まずは中央の権力者層と主要な豪族たちの間で信仰が広がり、推古朝の四天王寺を皮切りにして七世紀〜八世紀にかけて法隆寺、薬師寺、東大寺、国分寺などといった官寺、私寺が次々と建立されていくとともに大乗仏教の僧侶を組織化。南都六宗という六つの宗派が勢力を伸ばした。

南都六宗の各宗派は基本的には仏教の学究を中心としており、現実に苦しむ人々を救えないという問題から、より具体的に個人の修行を重視した密教が注目を集めるようになる。そこで登場するのが最澄と空海という二人の仏教史上の巨人で、当時インドでもヒンドゥー教に押されて大乗仏教が見直されており、大乗仏教より呪術性が強い新しい仏教=密教が誕生していた。最澄、空海はともに遣唐使に随行して中国に渡り密教の経典を持ち帰ると、最澄は比叡山、空海は高野山に寺院を建設、それぞれ天台宗、真言宗とした。前者を台密、後者を東密、最澄・空海以前に大乗仏教とあわせて民間に伝わっていた密教的信仰を雑密と呼ぶ。

ここまでが神仏習合前から初期にかけての簡単な仏教史ですが、もう一つ、当時の律令国家の体制についてもおさらいしておく必要が有ります。

■律令制度の概要

663年、白村江の戦いで敗退し国際的な孤立を深める状況下で天智天皇の死後に壬申の乱によって政権に就いた天武天皇は朝廷の権限強化に注力していきます。具体的には豪族が占めていた官職のうち主要ポストは皇族を充て、その下の官僚には庶民も含めた能力ある者に門戸を開いて登用するとともに、評価制度を整備し、戸籍や税制改革、法令の整備などに当たります。その天武天皇の死後、701年、天武天皇の遺志を引き継いだ法典大宝律令が制定。

大宝律令は天皇を中心とした二官八省の官僚機構とその下に地方の行政区分や職責を明確にした地方官制が整備されるとともに、刑法にあたる「律」と民法行政法にあたる「令」が揃い司法が確立。さらに大宝律令下で身分制度や税制、兵役、戸籍等も整備されていた。

神仏習合の話を踏まえる上でポイントになるのが二官八省の官僚機構の二つの官。ひとつは政務を司る太政官。もう一つが祭祀を司る神祇官と呼ばれる役職で、この神祇官の下に全国の神社が編成されることになった。

■神祇官による徴税バックアップシステム

神祇官の重要な職務の一つに幣帛班給というものがあります。これについて、義江彰夫著「神仏習合」から引用します。

「神仏習合」(P31)
神祇官は、大宝律令が定められた七〇一年(大宝元年)いらい、地方の古来の祭りを土台として収斂・変容するかたちで設定した祈念祭(豊年祈願)・月次祭(季節の順調な運行祈願)・新嘗祭(収穫祭)などの祭りを執行するに先立ち、朝廷が公認した全国の神社の祝部らを神祇官に集め、神々への捧げ物(幣帛)を前に、神祇官役人中臣氏が神々に感謝と加護の祝詞を読み上げ、それが終わるや、居並ぶ祝部らに同じ役人忌部氏がこの幣帛を班給する。


これはどういう儀式かというと、ざっくり言うとこういうこと。

皇祖神の霊力に満たされた捧げ物(稲穂など)を全国から選ばれた神社の祝部(神主)に分け与えて各々の地域に持ち帰らせる→上記と同様の儀式を祝部が各村々で行い、村人達に捧げ物を分配→村人たちはその捧げ物を使ってその年の生産に励む→収穫→村人大喜び→皇祖神への感謝の気持ちを引き出す→収穫のお礼に喜んで納税、という当時の人々の呪術的な信仰心を上手く制度化した徴税バックアップシステムだった。

ということで、仏教史と当時の政治体制をおさらいしたところで、やっと本題。神仏習合は何故おきたのか?

■神仏習合を招いた社会構造の変化

律令国家以前の社会は基本的に呪術的で共同体的な明確な支配・被支配の色が薄い社会だった。もちろん奴隷は居たし身分も分かれてはいたが、支配者は祈念祭・新嘗祭など共同体の生産に関する神事を祭祀し、また神とのつながりを明示することで地位を築いていた。そのような共同体の代表者的な緩い共同体の連合がヤマト王権であったと考えられている。

しかし、律令制度のように組織化が進んでいく過程では「みんなの代表」というような緩い立場から支配-被支配を明確にしていく必要があり、それは旧来の神祇信仰では説明が付かないものだった。また、生産力の向上によって地方豪族など有力者は神の名の下に私有財産を築きつつあり、形式上は神々への献上物の一部を村人承認のもとに私財に転化するというものであっても、事実として力を蓄えつつあり、そこに彼らは罪の意識を覚え始めてもいた。

生産性の向上による私財の蓄積、共同体の代表から支配者へという社会構造の転換という大きな変化の中で新たな精神的支柱になるのが仏教であった。上記の神の願いはそのまま当時の支配階層が神の託宣という形で漏らした願いだろう。「長きにわたってこの地方を治めてきた結果、いまや本来の神道からはずれて重い罪業に苦しめられ、神道の報いを受けるところに至ってしまった。いまこの桎梏から脱出したいが、そのために神の身を離れることが必要であり、仏教に帰依したい」という支配者の苦悩が神仏習合を生んだ。

しかし、神でも有り続けなければならなかった。支配者以外の"みんな"は神を信仰していたからである。神々に感謝し、神々からの託宣を聞き、呪術的な儀式や祭りは生活の一部だった。仏教に救いを求め、また仏教の論理によって自身の私有と支配という現状を肯定しつつも、みんなの代表として神々との折り合いをつける役割を果たさなければならないという状況が神仏習合という現象につながった。

そして、中央の支配者層は南都六宗に代表される大乗仏教に帰依していきますが、神仏習合の第一段階である神宮寺の建立に活躍したのは密教の僧たちでした。大乗仏教の抽象性ではなく、呪術性が強く既存の神祇信仰と親和性が高くて、かつ個々で具体的に何を修行していけばいいのかという実践的な内容だったからです。特に雑密の僧侶たちと空海率いる東密の僧侶たちが神宮寺建立と神々の仏教帰依を支援していったとのことです。

このあたりは、例えば現在でもベンチャー企業の経営者や、あるいは新任の管理職さんたちはある種の共感を覚えるのではないですか。自身の所属する共同体が急速に組織化していく過程だったり、あるいは自身の役割に一気に支配という観念が入ってきたときに感じるジレンマと根本的に通じるものがあると思います。そして、何かに救いを求めてしまう心証も。

さて、その後ですが。

■幣帛班給制度の崩壊と呪術的共同体の解体

八世紀後半から九世紀前半、大きな変化が訪れます。

幣帛班給制度の崩壊です。地方の祝部が徐々に幣帛を取りに来ないという事態が起き始め、それが一気に広がっていきます。幣帛班給制度は徴税システムと密接に関わり合っていましたので、度々朝廷は取りに来るよう全国に発令し、罰則も適用させますが効果は薄く、ついに朝廷から地方に幣帛を届けるようにまでなりますが、幣帛班給制度の行き詰まりは明らかでした。

その理由は、律令国家そのものにありました。

「神仏習合」(P70)
律令国家の組織力で、条里制の整備、用水路の確保、山野の田畠への開発などが推進され、数十年をへて軌道に乗ってくると、この基盤整備が功を奏して、村々はそれ以前に比して飛躍的に生産力が上がり、国家への租税を差し引いても、なお村の内部に富の余剰が生じてくる。このような動きが顕在化してくると、いきおい、村長や富農など、古来ある程度富を蓄積していた層の私富形成に大きな拍車がかかるのは必然である。


その結果、共同体が徐々に無効化していきます。持てる者たちはその財で他所から流れてきた田夫を雇って大規模に農業を担わせ、それまでの祭りは形式的に行われる程度で最低限の捧げ物と税の他はすべて私富にすることで私的領主化していき、一方で貧困化した村人たちは他所の村へと流れ、そこで私的領主に雇われる田夫として働くようになります。

さらに村長や富農を束ねる地方豪族たちもこの変化の中で、村長ら新興勢力に負けないために大規模な私的領主化をし始めます。その結果、幣帛は不要になっていったのでした。

この私的領主化は朝廷にとってその体制を揺るがす大問題であり、対応に迫られます。しかし豪族たちの私的所有を禁じたところでそれができるはずも無く、だからと言って現状を認めることは、律令制度そのものの否定に繋がりかねない。そこで、採られたのが仏教に帰依した神のために建てられた神宮寺を朝廷が公認し、その後ろ盾によって彼らの私的領有権を黙認しつつ、租税徴収の実効性を保証するというものでした。

「仏教に帰依する神」であり続けることで精神的・政治的な保証が確保でき、さらに力と財を蓄えることができるようになったのです。また、神宮寺を国家が公認することで旧来の大乗仏教は密教化せざるを得なくなります。九世紀末までに全国の寺院や神宮寺は東密・台密の二代大乗密教の系列と化していきました。

神仏習合の進展の過程で、前述のように旧来の共同体が解体し、富裕層と貧困層の格差が拡大するとともに、私的領主として富を蓄えられなかった没落者=負け組が生まれていきます。そのような変革と社会不安の中で神仏習合の第二段階「怨霊信仰」が登場していくことになるのです。

(つづく)

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参考サイト
085 義江彰夫 神仏習合/モナ丼/本読
神仏習合をどう語るのか
山岳信仰と密教伝来 - 何でも知ってるタカハシ君のうんちく日本史XYZ
KanseiTaikan_Jingikan
日本の仏教 - Wikipedia
密教 - Wikipedia
日本の官制 - Wikipedia
古代日本の地方官制 - Wikipedia
大宝律令 - Wikipedia
律令制 - Wikipedia

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・・・しかし、ジャニーズすげーな。
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読みたい本「アジールの日本史」「原始の神社をもとめて―日本・琉球・済州島」「地図だけが知っている日本100年の変貌」

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駆込寺のようなアジールが日本史のなかでどんな意味をもったのか。古くは平泉澄、そして近くは『無縁・公界・楽』の網野善彦や阿部謹也ら先人の研究を検証し、社会学や哲学の領域にも踏み込んで、年若い研究者はその現代的意味にまで迫る。


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御嶽、天道山、モイドン、神山、そして堂…。信仰の結晶としての森、それは、信仰を形あるものにせずにはいられない西洋人の宗教とは対極をなす、目に見えないものを信じる私たち日本人の信仰そのものである。沖縄にはじまり、済州島にたどりついた、森だけの聖地をもとめての長い遍歴。


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女性に人気の「由布院温泉」(大分県)に、鉄道が迂回する背景とは?…
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そこに隠された日本100年の歴史が見えてくる。
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病者の祈り

「苦しむキリスト者のための信条」

大事を成し遂げるために神に強さを求めたが
謙虚さに従うことを学ぶために弱さを授かった

偉大なことをなすために健康を求めたが
よりよき事ができるようにと病を授かった

幸福になるために富を求めたが
賢明であるようにと貧困を授かった

人々の賞賛を得ようと権力を求めたが
神の必要性を感じられるようにと脆さを授かった

人生の享楽のために、あらゆるものを求めたが
すべてのことを楽しめるようにと命を授かった

求めたものは何も与えられなかったが
望みはすべて叶えられた。

私自身気がつかないうちに、言葉にならない祈りは聞き届けられていた

私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されていたのだ

                  名も無き人の詩

原文

A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED

I asked God for strength, that I might achieve
  I was made weak, that I might learn humbly to obey...

I asked for health, that I might do greater things
  I was given infirmity, that I might do better things...

I asked for riches, that I might be happy
  I was given poverty, that I might be wise...

I asked for power, that I might have the praise of men
  I was given weakness, that I might feel the need of God...

I asked for all things, that I might enjoy life
  I was given life, that I might enjoy all things...

I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
  I am among all men, most richly blessed!
                         Author unknown

ニューヨークリハビリテーション研究所の壁に刻まれた名も無き人による一編の詩。死に際した病者が詠んだとも、戦争の傷病兵が詠んだとも言われている。

この詩は去年だかネットでみかけて強く感銘を受けたのだけどしばし忘れれていた。しかし、daiskip.comで今日カンブリア宮殿かなにかでサイゼリヤ会長のお母様の言葉として紹介されたというのをで知ったのであらためて紹介してみる。

キリスト教の信仰と、詠み人が人生で直面したであろう様々なことがらがとても伝わってきて心動かされずにはいられない。辞書と翻訳はいくつかのサイトを参考にしつつ個人的にやってみたが拙い部分があると思うので色々ご指摘いただければ幸いです。

特に後半、"I got nothing that I asked for"以降の、詠み人の様々な"あく"が昇華して行く様子は、カタルシスに似た何かがあって何度も読み返してしまいますね。

参考サイト
<神に求めて、得られたもの/TITLE>
A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED(病者の祈り)
A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED



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クレイ・シャーキー講演「ソーシャルメディアはいかに歴史を作りうるか」

ニューヨーク大学のadjunct professorクレイ・シャーキーの講演。面白いのでソーシャルメディアとか、WEBのコミュニケーションに興味ある人はぜひ見た方がいいですよ。動画下部のsubtitlesからJapaneseを選ぶと日本語字幕が表示されます。

印刷機→電話電報→写真・映画→テレビという20世紀の1対多のメディアの歴史から、21世紀に入ってのインターネットを介した多対多への変化のインパクト。中国四川大地震のときにTwitterや各種WEBメディアを通して鉄壁を誇った中国のインターネット規制「万里のファイヤーウォール」をいかにしてWEB上の個人による報道がくぐり抜けたか、そしてアメリカの大統領選挙でのWEBの盛り上がりなど、ざっくりとソーシャルメディア史が概観されてて、とても面白かった。

特段に斬新な事を言っている訳ではなくて、逆にオーソドックスなんだけど、それゆえにとても説得力があります。

動画より
大事なのは技術的資本(Technical Capital)ではなく社会的資本(Social Capital)なのです。ツールが社会的に面白いものになるのは、技術的には月並みになったときです。ピカピカの新しいツールが世に現れてすぐ社会に浸透するわけではありません。みんなが当たり前のものとしてみるようになったときです。メディアはますます社会的になりイノベーションはどこでも起き得ます。みんなが繋がっているのが当たり前な場所はどこでも。そしてイノベーションがいたるところで起きる状況を目の当たりにするようになったのです。そしてある場所で起きたことが他の場所でも起きます。これは大きな変化です。

この、「大事なのはソーシャルキャピタル」ということ、「みんなが繋がっているのが当たり前な場所ではどこでもイノベーションが起こり得る」ということの辺りは、膝を打った。イノベーションというのは弱い紐帯の中でアドホックに、ノットワーキング的に起こり得る。

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資本主義とは一体何かね?

【2ch】ネタちゃんねる m9( ゚д゚)っ 上手いジョークは何度聞いても面白い
29 : パキスタキス(埼玉県):2009/07/18(土) 01:02:21.83 ID:AM4x1+LW
冷戦時代のとある東側諸国の士官学校。訓練中教官が生徒に質問した。
「資本主義とは一体何かね?」
「もはや断崖絶壁に立った体制であります」
教官はその答えに心行くまで満足し、もうひとつ質問した。
「では、社会主義とは何かね?」
「資本主義より一歩進んだ状態であります」

社会主義じゃなく共産主義の方が比較として適切な気もするけど、思わず吹いた。トムとジェリー的な映像が目に浮かぶ(笑)

まぁ、断崖絶壁に立つのは、常に資本主義そのものではなく資本主義が内包する一機能を極端に肥大化させた形態とそれに乗せられた/乗らざるを得なかった人たちで、資本主義そのものにはパラダイムシフトは起こらず、徐々に形を変えて行って、気がつくと様々な形態をとる形になっていくという感じなんだろうけれどね。

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世田谷区桜新町商店街(サザエさん通り)

去年の二月ごろ、桜新町あたりをぶらぶらと。

桜新町サザエさん通り

このあたりは漫画家の故長谷川町子さんが住み、またサザエさんの舞台となったこともあって、町中サザエさんキャラクターだらけ。この桜新町駅から国道246号へと繋がる商店街は以前は中町通りと言われたが、長谷川町子美術館の開館後の1987年にサザエさん通りと改称した。

桜新町サザエさん通り

桜新町サザエさん通り

桜新町サザエさん通り

桜新町サザエさん通り

桜新町サザエさん通り

マスオさんのひっそり感が良かった。

このまま抜けていくと長谷川町子美術館へと辿りつくが、この日は休館日でした。桜新町から弦巻、桜新町から駒澤大学、あるいは桜新町から呑川緑道を抜けて深沢、自由が丘へと様々な散歩ルートの基点にもなるし、あるいはここから足を伸ばさずとも商店街一帯で買い物するのもまた楽しい。

商店街のお祭りには近隣のタレントである杉本彩や水前寺清子なども参加して地元色がとても強い盛り上がりを見せているのが話題です。


サザエさん通り

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東京散歩:名所旧跡・街・街道 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

「やるだけのことはやった」という自己満足・正当化が自滅への道

山本七平はその著書「日本はなぜ敗れるのか」で旧日本軍の敗戦の契機となったのはミッドウェー海戦やレイテ沖海戦などではなくバシー海峡で日本軍の増員兵力を乗せた輸送船舶が次々撃沈されたことだと書いていた。その分析が実に身に突き刺さってきた。というか、これで、今日は一日のたうちまわらされた。

山本七平著「日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)」(P42)
人びとは危機を叫ぶ声を小耳にはさみつつ、有形無形の組織内の組織に要請された日常業務に忙しい。そしてこの無反応を知ったとき、危機を叫ぶ者はますますその声を大にする。しかし声を大きくすればするほど、またそれがたび重なれば重なるほど、まるでイソップの「狼が来た」と言いつづけた少年の言葉のように、人びとは耳を傾けなくなる。

だがそのとき、だれかが、危機から脱する道はこれしかない、と具体的な脱出路を示し、そしてその道は実に狭く細くかつ脱出は困難をきわめ、おそらく、全員の過半数は脱出できまい、といえば、次の瞬間、いままで危機々々と叫ぶ大声に無関心・無反応だった人びとが、いっせいに総毛立って、その道へと殺到する。危機というものは、常に、そのように、脱出路の提示という形でしか認識されない。

窮地に陥った者は、提示されたその脱出路が唯一の脱出路だと思い込んで殺到し、自滅する。

自身で自身に対して危機を叫びながら、しかしその自身の中の声に対して壁をして自ら進んで視野狭窄の道を選ぶのは何故だろうか?と思うことがある。そうして自身で選んだ視野狭窄の世界の中で、唯一の脱出路のようなものを見出し、そこに狂ったように殺到しようとする欲求に、打ち勝たなければならない、とおもう。

どうすればいいのだろうか?

バシー海峡の悲劇について山本七平はこう指摘する。

山本七平著「日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)」(P67-68)
バシー海峡ですべての船舶を喪失し、何十万という兵員を海底に沈め終わったとき、軍の首脳はやはり言ったであろう。「やるだけのことはやった」と。

これらの言葉の中には「あらゆる方法を探究し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。

ああそうなのだ。視野狭窄に陥るのも、目の前の繰返しに没頭しようとするのも自己正当化でしかないのだ。「あらゆる方法を探究し、可能な方法論のすべてを試み」なければならない。自身の自己満足や正当性は捨て去って、悪あがきしなければならないとおもった。見苦しいぐらいに徹底的に。

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日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
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5 卓越している。
5 昭和の戦争の鮮烈な記録、そして敗因から探る秀逸な日本人論。全日本人必読の書。
5 座右の書たり得る名著
5 極限状態における組織・倫理破壊の事実を抉る力作
5 極めて優れた失敗学の本

思考・心理 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

解雇されたので起業します

タイトルの通りですが、簡単な経緯など。

■解雇の経緯

解雇された、というのは一般的にはネガティブ情報と捉えられるのでオープンにしないという選択肢も考えたのですが、それを書かないと何故今起業しようとするのかという疑問に答えられないし、また、今後色々な人とお会いしていく過程でこれまでのキャリアの話になったときにその都度ごまかさなければならなくなるし、実のところ、解雇されたことをオープンにしないという選択は目先の利益を追うあまり、長期的にはあまり良い選択ではないなーと思ったので、書くことにしました。

経緯としてはとてもシンプルで、4月末のある日、風邪をこじらせて二日休み、三日目の朝上司に午後から出社する旨メールで連絡すると、「もう来なくて良い。今日付けで処理する」とメールで唐突な通告。「解雇ということですか?」「どちらでもいいが、あなたのキャリアに傷がつくので自己都合の方がいいですよ」「いえ、退職するつもりは無いので解雇されるつもりなら解雇通知書と解雇理由書を送ってください。その上で対応検討します。」

というやり取りのあと送られてきた解雇理由によると、勤怠不良による懲戒解雇とのこと。裁量労働制での勤務であるため、欠勤と言う概念がそもそも生じにくいのではないか?というのと、懲戒解雇は通常所轄労基署長の認可があって始めて可能であるが、病欠が懲戒解雇にあたるという訳も無く、また、それを理由に労基署長の許可が下りる可能性はほぼ皆無なので(なにせ逮捕された者ですら懲戒解雇にできない場合が多いぐらい)、これは労基署に申請せずに懲戒解雇を使ってきたのだな、と思い、すぐに内容証明で懲戒解雇の無効および解雇予告手当の請求を送付。会社は普通解雇に切り替え、解雇予告手当30日分を支給するということになり、4月末で解雇、という流れです。

まぁ、労働法の基本的なお話で言うと試みの使用期間14日は過ぎているし、普通解雇の要件すら構成出来ないことは明白なのですが、一応それを受けて今に至るという状況です。このあたり、会社の対応は労働法的に穴だらけなので、僕ならもっと上手くことを運ぶんだけどなぁ、と当事者であるにも関わらず色々アドバイスしてあげたくなって自分で笑ってしまった。たぶん社会保険労務士や弁護士等専門家にすら相談していないのではないだろうか?

■なぜ解雇にまでいたったのか?

何か人間関係が上手く行っていなかったのではないか?とか、僕が法を盾にやりたい放題していたのではないか、とか、あまりにも僕が無能であったのではないか?など疑念を抱かれるかと思いますが、自分としてはそういうことは無いんじゃないかと思っていたんですよねー。ただ、比較的、上司が期待していたほどのパフォーマンスは必ずしも発揮できていなかったようにも思うので、痺れを切らした可能性も無きにしもあらずですが、どちらかというと自己主張は少なく素直に色々聞くようにしていたように思います。人間関係も、特に誰かともめたわけでもなく、仲は良かったし、法的側面についても、未成熟な組織であれば往々にしてある事柄がほとんどだったので、特に殊更声を上げた訳でもないし。

何が上司をそうさせたのだろうか、と少し考えていてある日ああ、そうかもしれないという発見をした。上司はとあるところでブログを書いているのですが、僕と上記のメールのやり取りをした日の夜に書いていたブログの内容をざっくり意訳すると「欠勤しているのにブログを書くような奴は仕事中も手を抜くに決まっているので、会社にとって"悪"だ。組織に伝染する前に"ひねり潰す"」的なことがと書いてあった。

確かに欠勤中に布団の中からブログ書いたりはしてた。それが適切だったのか、適切じゃなかったのかわからない。僕はそれは問題ないことだと思うが、賛否両論あるだろう。で、ブログ自体は教えていなかったけど、なんらか検索してたどり着き、それを見た上司が僕に「悪」を見た。おそらく、入社してから20日あまりの僕の行動にも何らかの小さな不満をいくつか持っていたのかもしれない。それらが重なり合って僕を「悪」と考えた。その「悪」は会社組織と言う名の共同体に伝染する可能性がある、と彼は考え、それをなんとしても"ひねり潰す"=取り除かなければならないと彼は決意したのだろうか。

この心理は典型的な日本人性とでも言うような思考過程のように思った。ケガレを共同体から取り除く、ということなのか。上司は一見、振る舞いも仕事もとても常識人で、有能と言って良く、考え方もシビアに物事を切り分けて考える人であったように見えたので、そういう普通の人の中に横たわるこのような心理は実に興味深いと思うとともに、これまで日本人性だとか共同体だとか空気だとかを色々興味を持って調べたりしていながら、当然のごとく人々の中に存在していることに気付かなかったことは大いに反省しなければならないなぁと思う。

この共同体性は多くの場合、法の規範よりも圧倒的に重視されるというのは理屈ではわかっていたけれど、この社会で生きる以上、その共同体性みたいなものに敏感でないと、時に人は不条理で、不合理とも言える行動を起こそうとするということが身をもってよくわかった。

さて、これからどうするかなのだけれど。

■起業します

実際、次の就職先を探そうかとも思ったのだけれど、前々職、前職の就職活動で、転職エージェントのべ50社弱、エージェントと媒体や直接応募など様々な手法で前々回51社、前回63社に応募してそれぞれ一社づつだけの合格だったので、今回転職活動をするなら100社近くに応募し、かつ最低でも3ヶ月程度かけても一社採用されるかどうかだろうなという感覚があり、かつ僕の経歴から考えても採用される確率はかなり少なくなっていると思う。僕が企業の人事担当者なら、僕を採用するかどうかはかなり躊躇するな、と客観的に考えても思う。また、これはちょっと自分でも失敗したなーと思うのだけれど、解雇の場合、雇用保険の受給対象期間は六ヶ月からなのだけど、僕の場合5.5ヶ月であと一歩足りなかった。さらに長期的な転職活動に耐えられるほどの蓄えも、もうない。という状況。

ならば終わりの見えない消耗戦的な転職活動に注力するよりも、自分で仕事を作り出すことを考える方が活路が見出せるんじゃないか?と。

これまでの人生を振り返ると、何かに自身のすべてを、身を差し入れたときに初めて、好転してきたように思っているので、これからはインターネットそのものに身を差し入れることで活路を見出す必要があるんじゃないかという思いがあります。そこで自身について読んでもらえるかどうかは別にして、これまでの僕自身のことを極力さらけ出してしまえという趣旨で書いたのがここ数日のエントリーで、僕にとっては、イニシエーション的な意味合いがあったので、思っていた以上に多くの人に読んでいただけて恐縮です。

僕についての簡単な個人史その1(誕生から大学卒業まで)
僕についての簡単な個人史その2(大学卒業から現在まで)

正直、僕ができることというのは少なくて、ブログを書くことと総務・事務・法務・労務的な知識と経験をほんの少しだけ持っているということぐらいでしかない。その僕ができるささやかなことを提供できないだろうか?と思い、まずは特にベンチャー企業などを中心とした様々な「事務の受託」や、情報発信、他僕に求められる様々なことに応えていくことで生計を立てて行ければと思います。思いとしては以前かいた「4月から組織人事コンサルタントに転職しました」と特に変わりはないですね。

そのためには、どれだけのことを僕が提供できるか、提供し続けている様子を見てもらえるかにかかっているので、WEB上に僕ができるすべてのことを出し続けていきたいと思います。

ただ、起業すると言っても、そもそも資金どころか、生活費すら数ヶ月で底を尽きそうな感じなので、公的融資を申請しようとしていて、無理ならバイトとかしながらでも進めていかないとな。という状況ではあるんですが、そこはなんとしてでもと。

最後に、これから進んでいく過程は正直全く見通しが立っていなくて、勝算ねぇなーという思いがとてもある。で、先日宮本常一の本を引用した「見通しもきかぬ道を行くときは歌を歌え。誰かが聞いていてくれる」という記事でも書いたけれど、このブログは僕がこれから見通しもきかぬ道を行くために、張り上げる歌のような役割を担うことになるんだとおもう。

「忘れられた日本人」(P25-26)
こういう山の中でまったく見通しもきかぬ道を、あるくということは容易ではないという感慨を述べると、「それにはよい方法があるのだ。自分はいまここをあるいているぞという声をたてることだ」と一行の中の七十近い老人がいう。どういうように声をたてるのだときくと「歌を歌うのだ。歌を歌っておれば、同じ山の中にいる者ならその声をきく。同じ村の者なら、あれは誰だとわかる。相手も歌をうたう。歌の文句がわかるほどのところなら、おおいと声をかけておく。それだけで、相手がどの方向へ何をしに行きつつあるかぐらいはわかる。行方不明になるようなことがあっても誰かが歌声さえきいておれば、どの山中でどうなったかは想像のつくものだ」とこたえてくれる。私もなるほどなぁと思った。と同時に民謡が、こういう山道をあるくときに必要な意味を知ったように思った。
忘れられた日本人 (岩波文庫)
忘れられた日本人 (岩波文庫)
宮本 常一

歌い続けようと思っています。転がっていく岩を追いながら。

ということで、次のエントリーで新たに始めるサイトを紹介します。

関連エントリー
僕についての簡単な個人史その1(誕生から大学卒業まで)
僕についての簡単な個人史その2(大学卒業から現在まで)
paperboy&co.がトリックスターであったころ
4月から組織人事コンサルタントに転職しました
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入社後6ヶ月未満で従業員を解雇するときに会社に負わせるべき義務
日本教の正体を炙り出す上で押さえておきたい17冊
「「空気」の研究」山本七平著



労働法 第八版 (法律学講座双書)
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4 これ一冊で
5 労働法でのバイブル

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僕についての簡単な個人史その2(大学卒業から現在まで)

前回(僕についての簡単な個人史その1(誕生から大学卒業まで))は大学卒業まで書いたので、その後について。

何かの言い訳として書いているつもりも無く、また言い訳のように見られないように気をつけているつもりなのだけれど、もし、そう読めたら無意識的に何かに対する言い訳をしようとしているのかもしれない。そのような自分の心理については極力客観的でありたいとは思う。

97年春に大学を卒業して最初に就いた仕事は将来の代理店独立を前提とした損害保険の新規開拓営業で、正社員ではなく請負社員という形態だった。一定の基礎知識を叩き込まれたあとは営業手法から何から何まで自身の裁量に任されており、3ヶ月毎に給与やインセンティブが見直され、場合によっては首が飛ぶもので、なんとか一年模索しながらできる限りのことはしてみたが、成果を挙げることが出来ず98年の春、会社都合により退職した。

98年当時は世間的には不況の只中でもあったし、大学を六年かけて卒業し、理由はどうあれ一年で仕事を辞めているので仕事はなかなか決まらなかった。結局雇用保険の受給期間が過ぎても仕事は決まらず、お金も尽きてとりあえずの生活費だけでもと思い、98年の12月から近くの書店兼レンタルビデオ屋でアルバイトとして働き出した。特に希望した訳ではないが、主にレンタルビデオコーナーに従事することが多かった。

インターネットを始めたのは失業中だった。最初の会社の同僚の一人がパソコン通信にはまっていて、それに影響されて97年の夏にWindowsマシンを購入。最初はいわゆるネットサーフィンをしたり、仕事用に情報収集をしたりだったが、徐々に個人のホームページなどを見るようになり、個人サイトの掲示板でのコミュニケーションを始め、すぐにホームページを作って日記などをアップ。はじめてのホームページ立ち上げは98年の5月ごろだった。もう10年以上経つ。

はじめて作ったホームページはteacupの掲示板と日記のシンプルなものだったが、徐々にはまり始めて、知り合った人とオフ会を定期的に主催したり、独自ドメインを取ったりして色々模索していくうちに、徐々にバイトでほぼ映画観放題だったこともあって映画サイト化していった。

映画は嫌いじゃないけどそれほど多数見たわけではなく、まぁ、人並みか、人より少し多いぐらいだっただろうが、レンタルショップで働き出してからは映画を異常に観るようになっていた。映画を何度も観るうちに、映画を観るだけじゃなく映画の周辺知識を調べ、ビデオだけじゃなく映画館の新作もやたら観て、その感想をサイト上に色々書いたりしていた。そうやって知識をつけていくうちに小さなレンタルショップだったのでビデオの仕入れや陳列、コーナー展開も任せてもらうようになり、まぁ、時給は安かったが(630円だったかな。)レンタルビデオ屋という仕事はとてもやりがいを感じていた。

しかし、レンタルビデオ屋というのは、徹底的に規模がものをいう業態で、お店が小さいというのは、よほど何かに特化しない限りお客さんは満足しにくい。単純に良い映画をもっと多くの人に知ってもらいたい、お客さんが見たいと思う映画は多く揃えてすぐ観れる状態にしたいという思いは、せいぜい超人気タイトルですら2〜3本しか入荷出来ない小さな店では空回りしはじめる。そこで、より大きなお店へ、より大きなお店へとバイト先を転々としていた。できれば正社員になりたかったが、それはなかなか難しかったので、アルバイトや契約社員として。

しかし、規模が大きくなるということは、組織としての分業体制が整い、個人の権限が小さくなるということで、良い映画を、面白い映画を伝えたいという個人的な思いはあっても、それを実現するのは会社であったりお店全体で行われるのであって僕の手によるものではなく、小さなお店には存在しないような多様な在庫が目の前にあるのに、それを自分の手で活用できないもどかしさみたいなものを抱いたまま、ある日燃え尽きてビデオ屋はやめた。映画も狂ったように観ることはなくなり、最近は年に数本程度しかみていない。

今振り返ると、WEB上に感想を書くという行為が映画を観ることや映画の情報を調べることなどに過剰に熱中させる要因になっていたと思う。ネットではダイレクトに人に伝えられるのに、日常の仕事では伝えられないもどかしさみたいなのが徐々に大きくなってプツンと映画を観なくなった。多分、映画を観るという行為そのものが自分の楽しみというよりは他者に対する自身について伝える手段として捉えていたのだと思う。映画を観ることが人に伝える手段で無くなったときに、また観ることを辞めたということだろうか。と思うがよくわからない。

最終的に三社のレンタルショップで働き、辞めたのは2003年の冬で、すでに31歳になっていた。とりあえず派遣社員で食いつなぎながら、しかし先は全く見えない状態で、当時はやり始めていたブログでちまちまと何かを書いたり、2chで暇をつぶすだけの毎日だった。

2004年2月に鮮烈にデビューしたブログサービスにJUGEMというサービスがある。当時かなりの話題で僕も開始当日に使ってみてすぐにメインで使うようになった。当時、福岡にあった有限会社paperboy&co.という会社が運営していて、ふと家入社長(当時)のブログを見ると社員を募集したいという趣旨のエントリーが上がってて、思わず「JUGEMユーザーです。面接してください」的なぶしつけなメールをした。何の仕事が出来るんだよって話なんだけど。

数日後に社長から返事があり、面接。当時はまだGMOとの資本提携前だったが発表直前という状態で、「実は本社を東京に移転するんだけど、東京勤務でも大丈夫?」と言われ、思わず二つ返事でOKした。今までのすべてをリセットする必要があるのだと感じていた。

2004年4月に入社し、4月末には上京。とりあえず福岡の家財道具何もかも処分して、当面の衣類と少量の本ぐらいを残しダンボール二箱だけにしてしまった。冬服すらも全部捨てていた。意味は無いが捨てられるものはすべて捨ててしまえと思っていた。

まず最初に就いたのはJUGEMのカスタマーサポートで単なるユーザーでしかなく技術的知識は皆無だったのでとにかく勉強した。おかげで色々技術的知識は人並みについた。JUGEMが正式版に移行する時のトラブルでは僕の名前で広報していたので、2chに山野スレが立ったりしたのはいい思い出(笑)になったけど、きつかった。

その後紆余曲折あって、前任者の退職にあわせて管理部門に異動。といっても当時の管理部門は僕合わせて三人で、しかも、一人は当時派遣社員、僕ともう一人も管理部門の仕事は未経験という状態でまぁ、管理体制などあって無いようなものだったのでとにかく、みんなで勉強しまくって調べまくって聞きまくって間違いまくって協力しまくってた覚えしかない。

ただ、事業が急成長中だったこともあり、上場を視野に入れた体制作りをする必要があって急速に管理部門を増強しつつ、組織の拡大にあわせた管理部門をみんなで協力して急ピッチで作っていこうとしていた。って、なんか仕事してたんだか勉強してたんだかわかんないぐらいの毎日であまり覚えてない。気がつくと、取締役総務人事部長という重任を与えていただいていて、その期待に応えなければならないという思いは強くあった。

レンタルビデオ屋のフリーターの兄ちゃんが、数年後に今をときめくベンチャー企業の取締役て、ねーよ、って感じは当然自分自身あって、その期待と役職に応えられるのか?というのは、ふと油断すると頭をもたげることはあったけど、「一期は夢よただ狂え」的にとにかくやるしかないなという思いが強かった。

が、ある時期以降、朝起きて会社に行こうとすると動悸が激しくなったり頭痛がひどくなったりということがおきるようになり、色々業務にも支障が出始め、ミスも頻繁になり、時に決定的なミスなどもあり、いわゆる適応障害というやつだったんですが、出来なかったことを病気のせいにするつもりは無い。ただ、その任にあるべきではないという判断から2007年7月に退任した。結果として、逃げた、という自責の念はたぶんもう消えない。その節は家入現COOや佐藤現社長はじめ本当に皆さんにはご迷惑をおかけしてすいませんでした。狂ったように散歩しはじめたのはこの頃だった。

なぜ、僕のような未経験の人間が一時的にではあれベンチャー企業の取締役まで任せていただくことができたのかというと、「身を差し入れる」ということだと思う。組織が急成長する過程でやらないといけないけれどやる人がいない作業をとにかくなんでもやった。こまけぇことはいいんだよ、って最近流行のAAがあるけれど、そういう人が必要な時期というのは企業拡大の過程で必ずあって、そこに上手くはまったというだけのことなんだろうと思う。決して能力があったとか何かが秀でていたとかそういうのでは全くなく、はまった、という、ただそれだけのことであり、そしてそういう巡り合せはそうそうあるもんじゃない、ということでもある。

ただ、会社というのは組織である以上、規模の拡大は分業体制の整備の過程でもあるので、なんでもする→専門性の中で極めるという未分化から分化していく過程で自身の立ち位置を築けるかどうかが決め手になっていくんじゃないかと思う。振り返ると、そこだなぁと。組織が組織として機能し始めたときにその中に居場所を見出せるのか?はベンチャーが成長していく過程で多くの人がぶつかる壁なんじゃないかと思うし、そこを上手くすり合わせてあげられるかが組織の成長の肝になるんだよな、と。そして、ペパボはそれが比較的上手く行った会社なんじゃないかと思う。

以前書いた記事(paperboy&co.がトリックスターであったころ)とあわせて、僕の立場を考えればペパボの頃のことについてはこれ以上は書くべきではないかなとも思うので今回が最後です。

退任してからは静養しつつこのブログを書いたりして、徐々に多くの人にこのブログも見てもらえるようになってきた。昨年から他のベンチャー企業の管理部門をやったり、人事コンサルタントに転職したりしたのち、またいろいろあって現在に至っているのだけれど、このブログの存在感は僕にとって、とても大きなものになってきている。自身を取り巻く様々な事象を知りたいと言う欲求と、自身を内省した思考の過程をブログを書くことで辿り、知ったこと、考えたことをアウトプットしている。

最近は社会保険労務士の学校に通ったりしているのだけれど、もちろん将来に向かって知識を身につけたいという思いがまずあるのだけれど、過去に向かって、あのとき任された、全うできなかった役割に追いつきたいと言う思いもまたどこかにある。ただ、たぶん追いつけないだろうという確信を持っていて、それはあのときのように何かに「身を差し入れる」ことはもう決して出来ないだろうということだ。たとえ、どれほど知識を得て、さまざまな経験をし、そして専門性を身に着けようとも、たぶんあのときの僕には、その一点においてもう追いつけないだろう、と思う。が、過去と将来とに向かって学び続けなければならない情動が強くあり続けている。

そのような過去と未来との間で一歩引いて観察者的に振舞うだけの自分になっているなぁと強く感じていて、再びどこに(どこに、というのは物理的な場所ではなく)自分の所在を置くべきか、が目下の僕の課題。というところで、次のエントリーでこれからについてと、なぜこのように自分の過去をブログに書こうと思ったのかについて書く(まぁ、ひとつは昨日書いたとおりアクを昇華させるということなのだけれど→自分自身のアクを出し、昇華させる過程は思っていたよりも難しい。)、予定。

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僕についての簡単な個人史その1(誕生から大学卒業まで)

今までも断片的にこれまでの僕のエピソードは書いたりしてきたけれど、ちょっと僕の生まれてからこれまでの過程をまとめておきたいと思う。長くなるので、分割するのだけれど、実際多くの人に読まれることを想定した作りではなく、自分のまとめとしての意味合いの方が強い。というか、今まとめないと先に進めないという理由でのまとめかなと思うので、読みにくいのはすいません。

僕は昭和47年、東京で生まれた。父はフリーのドラマー、母も同じくフリーのピアニストでどちらも地元が九州ということもあり、また同じ音楽関係の仕事をしていることもあって恋愛結婚だったようだ。程なく僕が生まれるが、しかし、僕が生まれた頃には二人の関係は冷めていてすぐに別居に至ったらしい。親権は父が持ったが、ドラマーをしながら男手で育てられないと思ったか、2歳で僕は福岡の祖父母の元に預けられた。物心つくころには僕は既に祖父母と暮らしていて、父は盆と正月のほか、地方巡業のついでで年に数回福岡にくる程度だったと思う。

たまにやってきてやさしくしてくれるおじさんは「お父さん」なのだという話は聞かされていたし、まぁ好きだったのでそれなりに懐いていたが、年に数回やってくる時以外は存在自体忘れていたと思う。

小学生になると、毎年夏休みの一ヶ月余りは東京に一人旅するのが年中行事になった。まず夏休みの半分は「お父さんの家」へ行き、半分は「お母さんの家」へ行く。と言っても父も母も仕事が忙しいので東京に行っても一人でいるか、父の「友達の女性」や母の「友達の男性」と遊ぶことも多かったなと思う。どちらも仕事柄夜勤も多く、住み慣れないマンションやアパートに夜中一人で居ることもたまにあって、それは最初は流石に恐かったが何年か繰り返すうちに徐々に慣れていった。夜中に一人で居るときは、窓ガラスや鏡にうつる自分の姿をぼんやり眺めていると楽しいという発見をした。

この家族関係が一般的ではないことを知ったのは小学校の中学年ごろだったかなと思う。夏休みが終わり二学期に入って「夏休みの思い出」みたいな作文を発表する授業があったのだけど、僕は無邪気にこういう内容の作文を読んだ。

「○月×日から○月×日までは東京にあるお父さんの家に言ってお父さんとお父さんの彼女と映画に行ったり、どこどこに行ったりしました。そのあと○月×日からはお母さんの家に行って、お母さんやお母さんの友達とプールに行きました。そして・・・」

クラスがすごくざわついた。どうやらみんなは夏休みにお父さんの家とお母さんの家には行かないらしい。そういえばお誕生日会などでクラスメートの家に行くとお父さんやお母さんがいたな、と思った。

基本的に小学生のころは一人でいても特に不都合を感じず、空想の世界で遊ぶのが好きだった。このあたりから、中学生ぐらいにかけての心理状態のことは以前書いたとおり。(→子供の頃、狂った様に絵を描いていた。17歳で全く描けなくなった。

小学校高学年になっても東京の両親の家にそれぞれ行くのは年中行事だったが、ある年母は引っ越して母のほか多くの人たちと住むようになっていた。そして、赤ちゃんもいた。特に何か説明された覚えがなかったが、気にせず過ごし、その年に母の家から去るちょっと前にふと沸いた疑問をぶつけてみた。「あの赤ちゃんはだあれ?」「ああ、あなたの弟よ」なるほど。弟か。と思った。その年以降、母のところに行くたびに弟は大きくなり、さらに妹とその下の弟も出来ていた。

一方、父もまた年下の新しい彼女を見つけていて、東京の父の元を訪れたある日、映画を観にいこうと父に誘われ、ついていくと女性を紹介された。確かそのときはかの名作「ストリート・オブ・ファイヤー」とロバート・レッドフォードの傑作「ナチュラル」を見たんだったと思う。この二本は僕にとって映画の原体験に近い。あまり物事に心動かされる方ではなかったが、なぜだか無性に気持ちが高揚したのを覚えている。その後父とその女性は結婚し、僕には弟があらたに出来る。整理すると実母と義父の間に弟二人妹一人、実父と義母の間に弟一人という構成。

中学生になると、福岡の我が家はちょっとした事件に揺れていた。当時豊田商事事件というのが世間を騒がせていたが、うちもその被害にあっていたのだった。豊田商事系列の鹿島商事という会社の(そうそう、ここはうまく大手企業の名前をもじった社名をつけていた)営業マンに言葉巧みにだまされ、ゴルフ会員権などを買わされていたのだった。祖父母は現預金のほぼ全てを騙し取られており、結局家と土地を手放し近所のマンションに引っ越した。その年の一年を振り返る的特番で顔を伏せて祖母が"○万円取られたおばあちゃん"としてインタビューに答えていたのは我が家でちょっとした話題になっていた。

そして、引っ越す少し前、祖父は倒れ、入院しそのまま寝たきりになった。家土地を処分したお金は父が管理し、当時上り調子だったこともあって株式など投資で運用しようとしていたらしい。らしいというのは詳しいことはよく知らないからだ。86〜87年ごろ、仕送りも結構くれていたようだし、たまに福岡に帰ってきたときもおこづかいは多くくれたので、確かに父は羽振りがよかったと思う。

しかし、高校生の僕を抱えて70代後半の祖母は多少親戚の助けはあったもののほとんど一人で寝たきりの祖父を看病していた。その疲れもあって祖母も少し体調を崩し気味になっていたが、祖母はそんなそぶりはほとんど見せず、そもそも僕が鈍感なこともあって、大変だということはあまり気付かなかった。

高校三年生になってすぐ、祖父は他界した。1900年に生まれ、1990年に死んだ。16歳でタバコ屋の丁稚奉公から初めて当時珍しかった洋菓子職人になり、福岡でも有名だったらしいが、僕が物心つくころにはすでに引退していた。父は祖父が作った大きなエッフェル塔を模したケーキの写真をしきりに見せてきていたのを覚えている。祖父は何も言わなかったが、父にとっては誇りだったのだろうと思う。父が喪主となり、葬儀はつつがなく終了した。

高校生のころはもう東京へはあまり行かず、もっぱら福岡で過ごすのが常だったが、大学受験に際しては僕には東京の大学を受験してほしいと父が言ってきた。祖母とも東京に呼びたいのだと。そこで、僕は受験は福岡の複数の大学と東京の大学を受験するのだが、受験のため父の元を訪れたとき、ちょっとした、しかし決定的な事件がおきてしまう。

その日は父は出張のため不在で、義母と3歳ぐらいの義弟の三人。翌日に受験を控え、ゆっくりしていた。原因はまったく覚えていないのだが、義弟が何かのきっかけで癇癪を起こし、僕に泣きながら物を投げつけてきた。その後、これも経緯がよくわからないのだが義母と口論になり、それが落ち着いたあと、義弟が寝たのを見計らってから少し義母と僕でゆっくり話をすることになった。

義母「あなたが小学生で、彼の後ろについてきて最初に出会ったときから、合わないなと思ったの。どんな時でも、子供とは思えないぐらい何かを見抜いたような目線と態度でいるのを見るとダメなのよ」

僕「ああ、たぶん僕もそうで、あなたとは合わないだろうなと思っていた。東京で一緒に暮らすのはたぶん無理だろうし、もう東京にはこないようにしようと思う」

父に連絡し、「受験は取りやめて福岡に戻る、僕が東京で暮らすことはないだろう」と伝えた。電話口で父は戸惑っていたが了承してくれた。その後義母とは思い出話を少しして翌朝、福岡に戻った。これ以降義母とは会っていない。

地元の私立大学に入学した僕は、テニスサークルに所属したりして楽しく毎日を送っていたが、祖母は入退院を繰り返すようになり、日々あわただしくなりかけていた。そして大学一年生の終わりごろ、祖母が決定的に体調を崩し入院、寝たきりとなり、また金銭的にも我が家は貧窮しはじめる。父はほぼ全財産を土地や株式の投資につぎ込んでいたが、バブルが崩壊するとともに、どうやら高値で掴んで一気に価値が目減りして紙くず同然となってしまっていたらしい。さらに追い討ちをかけたのは父の失業で、音楽業界は当時急激な世代交代が進んでいたらしく、スタジオミュージシャンやさまざまな歌手のバックバンドを勤めるだけのドラマーは淘汰されていっていたようだった。父はかなりの借金を抱えてしまったらしい。

まったく根拠無い、僕の主観でしかないのだが、どうしても当時、小室哲哉という人を好きになれなかった。小室に代表される新しい音楽のムーブメントが父の仕事を奪ったのではないか?という疑念が拭い去れなかったからだ。だから、最近の彼の凋落は、見ていて本当になんとも言えない思いに駆られた。ざまぁみろとかではなく、掻き毟られるというか、つらいというか、もやもやとしたなんともいえない思い。なんだろ、むごいとでもいうか・・・なんでだよ、とおもう。

そのようなこともあって、祖母が入院し、退院のめどもつかないことから、まず、僕は引っ越した。四畳半。シャワートイレ共同。家賃1万8000円(当時)。また、父と話して、最低限大学は卒業したいと伝えた。当時所属していたサークルが居心地良かったのもあって、大学には残っておきたいと思ったからだ。学費を稼ぎつつサークル活動をしつつ祖母の元に通う日々だった。大学は卒業するまで六年かかった。

そのころ、父はどんどん追い詰められていたらしい。しきりに金の無心や借金の保証人になってほしいと電話がかかってくるようになり、その都度断ることの繰り返しになっていた。ある日、父から電話で「学校から学費を支払うように連絡があって、俺の方から振り込んでおくから、学費のお金を振り込んでくれないか?」と連絡があった。何故だろう。そのとき何故か言われるままに父に送金したんだ。信じたかったのかもしれない。数日後、大学から学費が振り込まれていないとの連絡。父に連絡すると「使ってしまったんだ。借金を返さないといけなくて・・・」そうか。と思った。これはもうダメかなと思ったが、普段、色々相談に乗ってくれている学生課の方が個人的にお金を用立ててくれた。なんとか助けられた。父からは数年後、全額返してもらったが、取り返しのつかない亀裂は出来てしまっていたと思う。

大学三年生のころ祖母は亡くなった。父に電話したが、父は絞るような声で「行けないんだ・・・」と伝えてきた。「何故?」「すまない」「おばあちゃんが亡くなったんだよ?」「行けないんだ・・・すまない」

親戚が数人参列しただけの、僕と祖母の二人きりの葬儀はつつがなく終了した。祖母は、先を行く人だった。戦前、当時福岡に進出した大手保険会社初の女性社員としてキャリアを積み、弟、妹の学費を払いながら祖父と恋愛結婚をし頑固な洋菓子職人の祖父を支えた。オカルトかもしれないが、祖母には今でも支えられているとおもうときがあり、そういう特別な存在感は僕の中にある。

その後、父とは一度だけ会った。就職が決まった数週間前だったと思う。特に何を話すでもなく、喫茶店で時間を過ごし、別れた。もう15年近く前だ。その後、父とは会っていないし、正直なところもう、父のことは顔すら忘れてしまった。母とは大学四年生のころに会った。二人とも健在なら64歳になっているだろう。実は生きているのかどうかもわからない。親不孝、と人は言うかもしれない。時が解決してくれるとは思うのだが、そろそろ会わなければならないのかもしれないとも思う。まぁ、連絡先すらわからないのだけど。

そんなこんなで、僕は大学をなんとかかんとか卒業し、まずは損害保険会社に就職することになるが、社会人としての僕はそのままインターネットと出会いのめりこんで行く過程とも重なるので、記事をあらためて書こうと思う。

なんだろう。生まれてから大学を卒業するまでのこの期間というのは、振り返ってみると家族の喪失の過程であり、コミュニティの喪失ともつながるし、また、どのような環境にあっても感じてしまう所在無さのルーツ的な何かがあるようにも思う。独りであることも多かったが、多くの人の中に埋没してしまってもいて、それはそれで独りでいるときも、人の間で埋没しているときも楽しかった。ごくまれに、人に自身のこういう話をすると、大変だったねと言われるのだが、実のところ大変だと思ったことはほとんどない。そのようなものだろう、と受け入れていた。

ちょうど、大学生のころにこの本を読んだ。何度も何度も何度も読んだ。たぶん、色々なことをシーシュポスに重ね合わせたような気がする。

シーシュポスの神話 (新潮文庫)
カミュ 新潮社 売り上げランキング: 7345
(P173)
影を生まぬ太陽はないし、夜を知らねばならぬ。不条理な人間は「よろしい」と言う、かれの努力はもはや終わることがないであろう。ひとにはそれぞれの運命があるとしても、人間を超えた宿命などありはしない、すくなくとも、そういう宿命はたったひとつしかないし、しかもその宿命とは、人間はかならず死ぬという不可避なもの、しかも軽蔑すべきものだと、不条理な人間は判断している。それ以外については、不条理な人間は、自分こそが自分の日々を支配するものだと知っている。人間が自分の生へと振り向くこの微妙な瞬間に、シーシュポスは、自分の岩のほうへと戻りながら、あの相互につながりのない一連の行動が、かれ自身の運命となるのを、かれによって創りだされ、かれの記憶のまなざしのもとにひとつに結びつき、やがてはかれの死によって封印されるであろう運命と変わるのを凝視しているのだ。こうして、人間のものはすべて、ひたすら人間を起源とすると確信し、盲目でありながら見ることを欲し、しかもこの夜には終りがないことを知っている男、かれはつねに歩みつづける。岩はまたもころがっていく。

「岩はまたもころがっていく」その岩を追いながら「すべてよし」とおもう。

次回、就職してから現在まで、と現在〜これからについて書きます。

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読みたい本「関東古墳散歩」「昭和30年代・40年代の世田谷」「東京湧水 せせらぎ散歩」

久しぶりにお散歩関連本の新刊読みたい本メモ。全部ほしい。

関東古墳散歩―エリア別徹底ガイド
関東古墳散歩―エリア別徹底ガイド
彩流社» ブログアーカイブ » 関東古墳散歩
関東の古墳を網羅した画期的ガイド本!約300の古墳すべてをカラー写真入りで解説。関東1都6県と山梨県の約80地域を丁寧に踏査。歩いて行ける地図多数掲載。日本古代史観にも一石を投じる、関東の古墳文化を詳説した大幅増補改訂版!

■「古墳」は決して西日本だけの文化ではない。
関東各県の古墳を回ってみると、関東にもれっきとした「古墳時代」があったことがわかる。多くの古墳を見てまわって驚くことは、かなりの数の古墳で石室内部を見ることもできるという事実である。そのうちのいくつかは、内部に入ることも可能で、それらに接して改めて古墳のすごさを実感することになる。築造した当時の人々の情念と労苦が改めて実感される。
本書で紹介した古墳は、一部を除いて、実際に行って確認できるもの、目で見て知ることのできるにもの限定した。とりあえず、まず行って、見て、知ってもらいたい。そのため、できる限り所在地を絞り込みやすいように地図も多く添えた。(はじめにより)

追記、東京の古墳跡系で当ブログで紹介した記事など
瀬田玉川神社
将監山遺跡(世田谷区瀬田4丁目近辺)
多摩川浅間神社
代々木八幡宮〜都心に残る常緑樹の林で縄文時代にトリップ
喜多見慶元寺界隈
上野毛〜等々力〜九品仏散策
等々力渓谷3号横穴
猿楽塚

あと、芝丸山古墳がまだPCの画像フォルダに眠ってるので、後日アップします。

昭和30年代・40年代の世田谷
昭和30年代・40年代の世田谷
世田谷を15地域に分け、昭和30年代・40年代と現在の姿を記録写真を並べて解説。東京オリンピック前の昔懐かしい街並み、当時を物語る生活道具をまじえての暮らしの風景が鮮やかに蘇る。、廃線となった砧線や鉄道にまつわるコレクションなども掲載して、東京を代表する住宅都市の今昔を描き出す。
東京湧水せせらぎ散歩
東京湧水せせらぎ散歩
東京湧水 せせらぎ散歩
東京に現存する湧水とその水辺空間を、多くの人々に親しんでいただき、また、いつまでも残していきたいとの思いを込めてガイドブックとしてまとめました。
編集にあたり、一般の方々の湧水・せせらぎ探訪はもとより、湧水を調査・研究する方々にも役立つよう心がけ、次のような点を特色としています。

1. 都内83湧水を収録
奥多摩を除く都内の83湧水(105地点)について、1999、2004、2006年に水質等の調査を実施しました。さらに、2008年6-10月に上記に27湧水(うち9湧水は水質検査)を加え、計109湧水についてあらためて調査。その中から83湧水を紹介します。

2.  76地点の湧水データ付
83湧水のうち65湧水76地点について次の項に掲げる湧水データを付しました。データは2006年を基本とし、水質等の変化が微少な場合は他年のデータを付したものもあります。

3. 訪ねやすいよう段丘や地域ごとに区分して一覧地図に付し、湧水が地区にまとまってある場合は同じ地図で案内しました。さらに、アクセスデータには緯度(N)・経度(E)を付しGPSで所在確認ができるようにしました。

4. 各スポットの由来・歴史をカラー写真とともに紹介。


追記、この本で紹介されている東京都内の湧水スポットで、当ブログの関連記事
神明の森みつ池特別保護区
等々力渓谷再び

あれ、こんだけか。この本に載っていないけど他にも湧水スポット結構行ったな。今度まとめようかな。

特に最後の「東京湧水せせらぎ散歩」はかなりやばい&熱いな。個人的にお散歩マニア必携本の予感がする。ぜひよみたい。

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『ねぇねぇ、グインサーガって知っとう?』

『ねぇねぇ、グインサーガって知っとう?』
中学入学してから仲良くなった友人の家で遊んでいるとき、彼はそう聞いてきた。
『さぁー?聞いたこと無いねー』
『これ、面白いけん読んでみてん。一巻は初版と再版で内容違うっちゃんね。おれ、両方持っとーと。へへ。ほら初版の方を貸しちゃーけん』

オタにありがちのその一方的で強引な情熱に押し切られるかたちでなんとなく「豹頭の仮面」を読んだ。謎めいてパワフルで、しかも張り巡らされた伏線、緻密なプロット、壮大なスケール、何より、上質の物語だけが持つ問答無用の躍動感に打たれ、その世界にすぐに夢中になった。たしか中学一年生(もしかしたら二年生かもしれない)の頃なのでもう25年も前になる。

以前も書いた(→「子供の頃、狂った様に絵を描いていた。17歳で全く描けなくなった。」)が、僕は子供の頃から一人空想の世界で遊ぶのが好きで、物語の世界にもすぐ埋没する方なので、グインサーガにはまってからは新刊が出るごとにルードの森をさ迷い、ノスフェラトゥの砂漠を旅し、モンゴール軍の壊滅を目の当たりにし、謀略と駆け引きの渦に巻き込まれながら血沸き肉踊る妄想生活を送っていた。この体験はなかなか得がたい経験だった。

ファンタジーにリアルな人間同士の駆け引きや組織、国家の興亡を丁寧に描いたというのは他にあったのかもしれないが、僕にとっては画期的で、かなり現実離れして逃避性向の強かった僕が空想のセカイで遊びながら、しかし現実と繋がり続け、あるいは現実の方を直視出来るようになっていったというのはこの作品の影響が確かに大きいと思う。

中学生から高校生にかけてはTRPGにはまっていたのだけれど、TRPGもファンタジーの世界観でリアルに行動することを求めるゲームだが、同様にファンタジーであることとリアルであることとを繋いでくれたのはおそらくグインサーガシリーズという作品のおかげだろうと感謝している。

徐々に成長する過程で、ファンタジーの中のリアルで遊ぶのではなく、リアルの中にファンタジーを見出せるようになりつつあった。アムネリスがイシュトバーンとともにトーラス入城を果たしてモンゴールの再興を宣言し、ナリスとリンダの婚礼が厳かに執り行われ、そしてシルヴィア皇女奪還のためにグインが再び旅に出ようとするころ、僕は大学生になっていた。目の前のリアルに埋没していた。中原の世界に僕の居場所はなくなっていた。

グインサーガを読まなくなってから20年近い年月が経つ。福岡から上京してきて東京に住み、来月には37歳になる。

なんとなく書店に立ち寄りグインサーガの新刊が出ているを見かけると手に取ることはないがちょっとだけ嬉しくなる。僕のセカイが続いているように、グインサーガの世界も続いているんだなぁという気持ちが、そのちょっとだけの喜びに繋がっていたんだなと思う。

グインサーガは終わらないだろうと根拠の無い確信をもっていた。グインサーガは多くの人たちの人生の中で出会うべき時に出会い、少しだけ交差して離れていく「終わらない世界」(Never Ending Story)になっているように感じていたし、栗本先生にとってもらう不ワークとおっしゃっていたようだが、終わらないまま終わることをどこかで悟っておられたのではないかとも思う。

たぶん、もう僕は読み返すことはないだろう。出会うべき時に出会い、別れることができたから。出会うべき時に出会うことができた物語にはセカイを変える力がある。そんな物語が持つ力と、生きるための物語の重要性を僕は今でも熱烈に信じている。

栗本薫先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。ありがとうございました。

作家、栗本薫さんが死去(1/2ページ) - MSN産経ニュース

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豹頭の仮面―グイン・サーガ(1)
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栗本 薫

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非モテ、非コミュは非人に代わる新しい差別の萌芽か?

小松原織香「承認欲求の牢獄から抜け出すために」

インターネット上で、自らを「非モテ」と称する男性の存在を初めて知ったとき、驚いた。彼らは「女はイケ面とばかり付き合う。だから、不細工なオレはモテない」と言う。それは、私が長く抱えてきた「女の恨み辛み」にそっくりだったのである。私は、「男はカワイイ女の子と付き合う。だから、不細工な私はモテない」と、自分の境遇を憐れんできた。自分が女性であることによって、抑圧されていると感じても、フェミニストは名乗れなかった。なぜなら「ブスのヒステリー」という典型的揶揄を、心底恐れていたからだ。そのように、私が女の痛みとして抱えてきた美醜問題が、男の口から、しかも女を批判する形で出てきたことは、私にとって青天の霹靂であった。

 かつて、ミスコン批判が、フェミニズムの大きな運動であったことがある。フェミニストは、「女性は美しくあるべき」という言説が女性を抑圧していると主張した。それから20年後。美醜による女性の選別や価値判断はなくなっていない。しかし、皮肉にも、男性も女性並みに不幸になることで、労働における「平等化」が起きつつある。かつての女性のように、男性も派遣社員や契約社員として、社会保障のない不定期就労につくようになった。日本的雇用慣例が崩壊し、若ければ就労先はあるが、年をとれば仕事がなくなる。これらの状況は、女性労働者が20年前からずっと声を上げてきた問題である。女性の問題として矮小化されてきた雇用の不安定性は、男性にその影響が及んでやっと社会の問題として論じられるようになったのだ(註1)。

 その結果、社会的に承認されなくなった男性は、女性と同じようなことを言うようになった。「非モテであるオレは落伍者だ」と。女性が持つ「結婚しないと幸せになれない」という強迫観念の裏返しである。一方、私自身は、10代の頃から「男と対等に認められるためには、男の1.5倍の成果を出さねばならない」という強迫観念を持ってきた。同じ成果ならば、男が優遇され、私は負けてしまう。男以上に頑張って男と同じになるのか、女としての幸せ(=結婚)を求めるのか、という選択が、いつも目の前にちらついていた。二種類の強迫観念は、「できる女」になるか「カワイイ女」になるかの選択を私に迫ってくる。私は前者を選んだつもりで、「できる女」になりきれなかった。そのとき、私は男を憎み、自分が女であることを恨んだ。

この「女の痛みとして抱えてきた美醜問題が、男の口から、しかも女を批判する形で出てきた」というのは非モテだけではなく、現代のジェンダーやコミュニケーションについて考える場合にとても重要で、感覚として時代をよく捉えていると思います。

「モテたい理由」ってすっかり忘れ去られた本だけど、赤坂真理も直観の人で、その鋭い直観故に同じように男性に対して女性性が求められる社会になっていることを的確に捉えていた。

モテとは、関係性(特に異性との)において優位に立つことであると定義した上でこう書いていた。

(P53)
社会が大きな市場を失ったとき、小さなものを束ねるという発想の転換が訪れた。そのとき、女性とその願望であるモテが、一気に可視化されたように思う。

(中略)

女性には、人生の大変化である結婚がある。それを中核に据えれば、そこへ勝ち抜くことへと導く商売ができ、結婚式の商売ができ、女が結婚してからは、女同士の小競り合いの世界で微々たる差異への大いなる欲望を刺激すれば商売ができる。
そのうえモテは、関係性で優位に立つノウハウであるから、前述のようにビジネスとも本質的に親和性があった。

そして男の社会にもあふれて男を圧迫した。ビジネス本を開くと、印象とコミュニケーションと関係調整能力が何にも増して大事なのである。それは、たしかに大事な能力ではあろうが、優先順位の第一位にされることではないと思う。あくまで、伝えたいことや調整すべき状況があっての能力なはずだ。いわば、二義的な能力が、今の社会で至上とみなされはじめているのだ。そして労働のあまりに多くの部分が「感情労働」となっている。
モテたい理由 (講談社現代新書)
モテたい理由 (講談社現代新書)
赤坂 真理

旧来の男性性、女性性なるものがどのようなものかはいまいち形として捉えられていないのだけれど、現代においては多くの女性は「キレイでモテて(=関係調整能力が高い)、かつ仕事もできる」、男性に対しては「仕事ができて、お金を稼げて、かつ関係調整能力が高い(=イケメンでモテる)」というのが、ことに先鋭的に理想像とされるようになってきたんじゃないかということですね。

社会的圧力の男女平等化が非モテ、非コミュを生み出す要因となっているんじゃないかと思う。男性に対しては旧来の男性性にプラスして女性性が、女性に対しては旧来の女性性にプラスして男性性が求められるようになってきて、それはステロタイプなものがそのまま融合したキマイラ的な要求になっているんじゃないだろうか。古い「男らしさ」と「女らしさ」の不幸な結婚。ってちょっと抽象的な言い回しだけど。

集団において他者に求める能力が高まってきているがゆえに脱落者(非モテ、非コミュ、オタ、毒女など様々なネットスラングがあるけど)を多く生んでいるという構造があるんじゃないかと思う。空気を読むことの高度化というか。多分、さらに社会的な圧力は高まり続け、次々と脱落者を生み、心理的な格差を生み出し続けながら、ギリギリのあたりで性別を問わずフラットに求められる「落としどころ」的な何かが生まれるか、あるいは新しい断絶が新しい差別として生まれるかという転換期のような気がしている。

非モテ、非コミュや婚活、毒女と言った用語はメディアやネットだけの現象と甘く見ていると案外、日本社会への楔として数百年のスパンで突き刺さってくるものになるのではないかという恐れを漠然と抱いている。

差別の誕生が、鎌倉時代末期の異形の者達である非人への賎視であり、そこから近代まで残り続けてきたように、現代のメリトクラシー(能力主義)社会における非モテ、非コミュというコミュニケーション能力に対する過剰な要求の高まりと、脱落者たちの創出が、実はこの社会における長期にわたる新たな差別の萌芽なのではないか、という恐れを抱いたことはありませんか?

先鋭化の果てにフラットに均されて行くのか、あるいはこの社会が個人主義と能力主義とがセットであり続けるのがいつまで続くのかわからないが、これからも「能力」が社会における主要な基準としてあり続けるのであれば、非モテ、非コミュという小さなスラングでくくられる集団の可視化が、関係性重視の社会における要求水準に達しない人たちに対する長く続く差別の誕生となるのか、そういうターニングポイントに差し掛かりつつあるような危惧を抱いています。笑えないなーと。

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"うざい"という言葉を全国的に流行らせたのは誰なのか問題

“うざい”という多摩地方の方言を全国的に流行せたのは「T-BOLAN」というバンドで、時期は1992年以降なんですか? - 教えて!goo

おもしろい。今のところ以下の三つが回答で出てる。

1)T-BOLAN説


T-BOLANの『じれったい愛』という曲の冒頭の歌詞に

♪じれったい オマエの愛が
♪うざったい ほど痛いよ

歌詞に登場する「うざったい」は多摩地方で「不快」の意味使われていた方言です。
1992年9月22日発売の『じれったい愛』がヒットして、「うざったい」「うざい」が全国的に広まったという説があります。
『じれったい愛』の作詞をした森友嵐士は広島県出身だが、大学時代は多摩地域の近くに住んでいたそうです。
BEST OF BEST 1000 T-BOLAN
BEST OF BEST 1000 T-BOLAN
T-BOLAN

2)海砂利水魚(現くりぃむしちゅ〜)説

しかし私が「うざい」の意味を知ったのは、この歌より前にお笑いの「くりーむしちゅー」がまだ「海砂利水魚」というコンビ名だった頃です。
関西の深夜番組に海砂利水魚がでて上田が「お前うざいよ!」と有田に言ったが「うざい」の意味が客に通じず、逆切れしてうざいを連呼して本当にうざかった記憶があります。

想像できてウケる。けど、これはピンポイントすぎるなー。

海砂利水魚 単独LIVE 「アントニオ」 [DVD]
海砂利水魚 単独LIVE 「アントニオ」 [DVD]

3)湘南爆走族説

私は1980年代に湘南爆走族という漫画で知りました。いま手元に無いので確認できませんが、「うざい」の訳注が欄外についていたそうです。
かなり人気があった漫画なので、影響は大きかったと思います。

このエピソードは知らなかったなー。湘爆の影響は結構大きそう。

湘南爆走族 1 完全版 (1) (KCデラックス)
湘南爆走族 1 完全版 (1) (KCデラックス)
吉田 聡

あと、なんとなくだけど、「B21スペシャル」の影響ってかなりありそうじゃないかな?ヒロミとかデビッド伊東ってやたらトーク番組とかコントとかでウゼェウゼェ言ってなかったっけ?

他、「ウッチャンナンチャン」、「カメレオン」、「池袋ウェストゲートパーク」あたりもなんらかその後の普及に大きな影響を与えていそうなんだけど、やっぱり、お笑いブームじゃないかな。特に関東系のお笑いタレントがどんどんテレビに出てきたことで一気に浸透したのでは?とかおもった。

「うぜぇ」の全国的浸透にはヤンキー文化が底流にあるよねー。「若者言葉 - Wikipedia」とか見ててもそうだけど、うざい、に限らず様々な言葉がヤンキー的集団内での仲間語から始まっている感じ。ヤンキー文化の若者への浸透度は異常というか。これ、なんでなんだろう?ヤンキー文化はなぜ、時代が変わっても多くの若者に突き刺さり続けるのだろう?

こう、僕のイメージの中ではヤンキー文化について考えるとき、網野善彦の影がちらつく。ヤンキー文化史と中世悪党史とを結びつける何かがあるような気がしてる。まぁ、それはそのうち書く。

私見だけど、「うざい」を全国的に流行らせたのは、お笑いブームに乗ってテレビ等メディアに露出するようになった関東系のお笑い芸人。しかし、その背景にはヤンキー文化があり、ヤンキー文化のアイコンとしての地位にお笑い芸人たちが立ったことによるような気がする、ということで。

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見通しもきかぬ道を行くときは歌を歌え。誰かが聞いていてくれる

「忘れられた日本人」(P25-26)
こういう山の中でまったく見通しもきかぬ道を、あるくということは容易ではないという感慨を述べると、「それにはよい方法があるのだ。自分はいまここをあるいているぞという声をたてることだ」と一行の中の七十近い老人がいう。どういうように声をたてるのだときくと「歌を歌うのだ。歌を歌っておれば、同じ山の中にいる者ならその声をきく。同じ村の者なら、あれは誰だとわかる。相手も歌をうたう。歌の文句がわかるほどのところなら、おおいと声をかけておく。それだけで、相手がどの方向へ何をしに行きつつあるかぐらいはわかる。行方不明になるようなことがあっても誰かが歌声さえきいておれば、どの山中でどうなったかは想像のつくものだ」とこたえてくれる。私もなるほどなぁと思った。と同時に民謡が、こういう山道をあるくときに必要な意味を知ったように思った。
忘れられた日本人 (岩波文庫)
忘れられた日本人 (岩波文庫)
宮本 常一

久しぶりに宮本常一著「忘れられた日本人」をパラパラとめくっていて、ふと目に留まってなんだかなんともいえぬ感慨を覚えた箇所。

誰もが山中の見通しのきかぬ道を歩いているのだから、みんな歌を歌えばいいし、ともに歩いていなくとも、その歌をみんなが耳にすることができればいい。行方不明になったとしても、ああ、あいつはあっちの方へと行っていたんだったなと覚えておいて貰えればいい。

せめて、そのような「関係」と呼ぶにも薄すぎる、同時代、同空間にいるという存在の認識をお互いがし合えているだけでも、随分と違うだろう。

僕のブログの、今年以降、特にここ最近の色々なエントリーはほぼ、そのような文脈の上にあるなとおもう。

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『「未来×チェンジ×ブログ」 あすなろBLOG 3周年記念イベント』参加しました

4月18日(土)『「未来×チェンジ×ブログ」 あすなろBLOG 3周年記念イベント』に参加してきました。
「インターネットは収穫期,チャンスは個人にある」---米Blueshift 渡辺千賀氏:ITpro
渡辺千賀氏「インターネットはこれからが収穫期」 − @IT

第一部の渡辺千賀さん講演は各種メディアに書かれている通りで上記の記事を読んでもらえば内容を補足することは特に無いんだけど、「前向きになる話をします」とおっしゃっていた通り、聞く人を鼓舞する内容でしたね。

印象的だったのは

1)米国のVC投資額は右肩上がり
米国VC投資額推移
見にくい写真で失礼。

米国ベンチャーキャピタルの投資額はここ十数年漸増していっているってこと。ITバブル期が異常だっただけで、それほど投資が萎んでいる印象は無いと。ただ、2008年4Qはさすがに少し落ちている、けどグラフで見るとそれほど大きな減少ではなさげ。

2)Netflix社のXBOX向け映画DLサービス
ツタヤのDISCUSみたいな米国の郵送DVDレンタルサービス大手Netflix社がX-BOX向けに映画のダウンロードサービスを始めてそれなりに成功しているという話はとても興味深かった。6〜7年前、まだレンタルショップで働いているころから、PCではなく家庭用テレビと繋ぐデバイスに直接DL出来るようになれば、レンタル市場は大きく様変わりするだろうと思っていたので、そういう時代がそろそろ来てるなーと、ちょっとワクワクした。

ただ、現状は権利者との関係もあって24時間で観れなくなるが、同社の成功によって早晩36時間ぐらいにはなるのではないか?って話だった。日本でも以前からちらほらそれっぽいニュースは見かけてたけど本格的にスタートしないかな。

3)猫
@ITに書かれているけど、猫派としては納得せざるを得ない(笑)

渡辺千賀氏「インターネットはこれからが収穫期」 − @IT
 「新しい住処に来た猫は、外に一歩も出たがらない。まずは部屋の中を探検して、自分の陣地を知ったあと、外を探検し始める」と、渡辺氏は自宅で飼っている猫の例をあげ、「知っている内側と知らない外側の差が激しいだけ」であり、知らないものでも一歩踏み出してしまえば、「なんだ、こんなものか」という気分になる、と恐怖に対する対処法を述べた。

また、渡辺千賀さんが想像していた通り、飾らないちゃきちゃきな感じの方で、そのまんまやん、と心の中で突っ込んでた(笑)

第二部は、ブログとコミュニティ活動って話でシゴタノの大橋さんが家にいるのが一番だという発言なんかでみんな笑っていたけど、いやー、僕は大橋さんの発言に全面的に同意してましたよ。うすうす、志向は正反対だけど、他者に対する感覚や距離感は僕ととても近い人なんだろうとは思っていたけど、それを再確認。

特にフォレストガンプを例に出して、
「自分はマイペースでずっと走っているんだけど、走っているうちに、この人が走っているのには何か意味があるんじゃないか?とか、興味を持つ人が徐々にあらわれていき、気が付くと後ろに次々ついてくる、みたいな関係が一番ですねー」的なことを言っていて、それにモデレーターの方が「それは先頭を走り続けること?」と聞き「いや、どんどん追い抜いてもらってかまわないです。僕はマイペースに走るだけ」と答えていた。

フォレスト・ガンプ [DVD]
フォレスト・ガンプ [DVD]

これ、全くもって同感だ。と思ったんだけどリアクションは薄かったっぽいですね。

あと藤代さんがオススメしていた「コミュニティ・オブ・プラクティス」は今度読む。

コミュニティ・オブ・プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践 (ハーバード・ビジネス・セレクション)
コミュニティ・オブ・プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践 (ハーバード・ビジネス・セレクション)
エティエンヌ・ウェンガー,リチャード・マクダーモット,ウィリアム・M・スナイダー,櫻井 祐子,野中 郁次郎,野村 恭彦

第三部はみんなフランクに話していてとても面白かったんだけど、ライブドアの田端さんが受け答えがしっかりポリシーを持って話していて好感を持った。豪快そうな風貌とクレバーな応対のミスマッチが良い感じに味を出している方ですね。

最後、appleの84年のCMを例に出して、ブログが旧勢力を打ち壊す的な締めだったんだけど、僕はあんまりそうは思っていない。



ブログは個人の思考や心理をむき出しにするけど、社会は変えない。また、個人も変わるかというとそれは、多くの場合、個人の置かれた環境を変えるだけなんじゃないのかなとも思う。ただ、むき出しにしていく過程で幸運にも個人そのものがなんらか変わり、その個人によって社会が変わることはあるかもしれないけれど。とは思う。

で、最後懇親会に少し顔を出して帰宅。大変充実したイベントでした。

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paperboy&co.がトリックスターであったころ

まぁ、知っている人は知っているけれど・・・というレベルではあったんですが、僕は2007年7月までpaperboy&co.という会社で取締役総務人事部長という役職に就いていました。当初上場準備の責任者を任せていただいていましたが体調不良等もあって職務を全うできないという判断で退任。退任後、どこかでpaperboy&co.とは僕にとってなんだったのか?は総括しなければならないなぁという思いと、自身のことをブログを通じて顕かにしていきたいという衝動とがあって、書くべき時期を探っていました。

同社はIPOも果たし、僕が居た頃とは規模も陣容も大きく変わってきているな、というのを最近、実感として感じられるようになってきたので、そろそろ区切りとしていい時期なのかなと思い、少し書きます。

在任中から漠然と思っていて、かつ退任後、思い返すにつけ、paperboy&co.を表わすのに適切な言葉は「トリックスター」ではないかと思います。

「トリックスター」はネガティブな意味で使われることもある広い意味を持つ言葉ですが、定義をするなら「神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すいたずら好きとして描かれる人物のこと。」(トリックスター - Wikipedia)であり、そのいたずらの結果、目的〜往々にして神々だけのものであった火や穀物を多くの人々にもたらすこと〜を達成します。

ペパボはロリポップ、ムームードメイン、カラーミーショップ、JUGEMなんでもそうなんですが、古い秩序を引っ掻き回しながら面白さを追求していく過程で、多くの人たちにとっては敷居が高く一部の人たちのものだったものを、まさに神々の元から盗み出し、多くの人たちに送り届けていくことをミッションにしています。そのような意味でWEB世界のトリックスター的振る舞いをしながら、堅実なビジネスモデルと噛み合って地位を築いてきたという経緯があるなと思います。

社内の人々は大人しい人が多いんですが、発想や、生み出される根源はトリックスター的な要素はとても強いなと思います。

例えば、知る人ぞ知るキヌガサというサービスがありますが、あれが生み出される過程ほどエキサイティングだったことはないなぁと思います。社長(当時)がふと思いついただけのキヌガサというネーミングを数日で形にしていくエンジニアとデザイナーの二人。毎日の様に社内で共有されるプロトタイプ。アイデアのフィードバック。全貌を表す新サービス。画面一杯に広がる「つながっちまいな」の文字。カタルシスだなと思いました。いやー、カタルシスですよ。ま、僕は当時JUGEMのカスタマーサポートだったんで隣の隣ぐらいの席で眺めてただけなんですけどね。

さて、会社というのは営利を目的とする組織です。拡大するにつれて組織として目的に向かうという意思を実行するための分業体制を整えていかなければなりません。そしてその分業という、個の希薄化と組織内での距離の拡大は一時的にひずみを生みます。これはどんな組織でもそうだと思いますが、そのような会社としてやるべきことをやる体制を整えつつ、多くの人を表現者にし、面白さを提供していくことを意思をもって出来るようにするというのが、ペパボの上場までのストーリー。僕はその過程でそのストーリーの登場人物でありつづけることが出来なかったのだけど。

トリックスターがいたずらの結果ではなく意思を持って目的を達成するようになる、というのはつまり文化英雄になる、ということだと思う。

文化英雄 - Wikipedia文化英雄(ぶんかえいゆう、Culture hero)とは、穀物栽培民文化を背景として、火や作物の栽培法など人類の役に立つ、有意義な発明や発見をもたらし、人間世界の文化的秩序の設定に寄与したと神話のなかで描かれる特定の伝説的人物やある種の動物のことをいう。

(中略)

神話に登場する文化英雄としてよく知られているのは、ギリシャ神話のプロメテウスである。彼は、ゼウスの意志に逆らい、ゼウスを欺いて、火や穀物を人間にもたらす。その行いに怒ったゼウスは、彼をカウカソス山の山頂に張り付けにし、生きながらにして毎日肝臓をハゲタカについばまれる責め苦を強いることにした、と神話のなかで描かれる。

中米で大きな勢力を誇る翼蛇神ケツァルコアトルも、著名な文化英雄である。彼はアステカ神話における主要な神であり、人類を創造した神であり、火をもたらし作物を与え、農耕、文化、芸能など人類に必要なあらゆるものを伝えたとされている。

意図的に超人的な力を発揮して目的を達成する。それが文化英雄。上場してから今までの動きを見ても、まさに意思を果たすためにより組織として、多くの人々に面白さを伝えるために文化英雄としての道を歩もうとしているように見える。「もっとおもしろくできる」という経営理念に組織としての強い意志を感じる。(あ、トリックスターも文化英雄も、僕が勝手に言っているだけです。念のため。)

paperboy&co.というトリックスターは文化英雄となった。と最近とても思う。高みに昇ったんだなと。

何度かこのブログでも紹介しているけれど、故河合隼雄先生は最期の対談でこう言った。

生きるとは、自分の物語をつくること
生きるとは、自分の物語をつくること
小川 洋子,河合 隼雄
故河合隼雄氏最期の対談(考える人 2008年 冬号)は現代人必読です。

これからは、厳密さと曖昧さの共存をよく考えないかんことになる。
ただしそれは論理的に矛盾するわけでしょ。でも矛盾したものを持たないかんということです。ガッチリやらないかんことと、曖昧なのと。

それを共存させるような人生観、世界観がないかっていうことを、今ものすごく考えているんです。人間は矛盾しているから生きている。全く矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物ではなくて機械です。命というものはそもそも矛盾を孕んでいるものであって、その矛盾を生きている存在として、自分はこういうふうに矛盾してるんだとか、なぜ矛盾してるんだということを、意識して生きていくよりしかたないんじゃないかと、この頃思っています。そして、それをごまかさない。
(中略)
僕の言い方だと、それが「個性」です。「その矛盾を私はこう生きました」というところに、個性が光るんじゃないかと思っているんです。

人であれ、組織であれ、生きていく過程で様々な矛盾を抱えることになる。「その矛盾をこう生きました」というその物語を作り上げていくのが、経営であり人生なんじゃないかなと思うし、それを作り上げた会社に少しだけ関わることができたのは僕にとっては大きな経験だった。ということを辞めてからやっとわかりはじめた。そして、僕は遠くない将来に、「その矛盾を私はこう生きました」と言うことができるために模索し続けているところだ。

取締役という立場を離れたから、言う。paperboy&co.って本当におもしろい会社だと思う。おもしろい会社であり続ける選択をしたがゆえに茨の道を進む組織であると思う。陰ながら見守って行きたいと思っています。一ユーザーとして。

山野光正 拝

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人間は脳の○%しか使っていないので凄い潜在能力があるんだ信仰

ってあるじゃないですか。最近でも、さも当然のように電車の中刷り広告なんかに自己啓発本関連で「残り○%を呼び覚ます○個の方法!」とかそんな類の本の紹介見かけましたし、すっかり人口に膾炙しちゃってる感じですよね。

僕が知ったのは20年以上前の漫画「北斗の拳」の名セリフからですけど、この言説はいつから蔓延したのかなー。

北斗の拳―完全版 (1) (BIG COMICS SPECIAL)
北斗の拳―完全版 (1) (BIG COMICS SPECIAL)
武論尊,原 哲夫

潜在能力云々がいかにアレかについてはこちらのサイトで指摘されているところなので引用させていただきますね。

「いんちき」心理学研究所 | 「人間は脳を10%しか使っていない」という神話
脳に関する話で一番知られていてかついんちきな話が「人間は脳を10%しか使っていない」という神話でしょう。この間も「能力開発セミナー」とかで載っていました。最近はグレードアップ(ダウン?)されていて、人間の脳は3〜5%ほどしか使ってないことになっています。
 この脳みそ10%理論は昔から超能力とかそっち系の世界で頻繁に使われている学説(?)で、要するに人間の脳には残り90%の「眠っている力」があり、それを引き出せば超能力とか第六感とか、まあその手の人たちが大喜びしそうな「隠された力」が覚醒するとかいいたいそうです。

(中略)

 その時人間が何をしているかによって、脳の活動場所は違います。有名なところで言えば(歌詞の無い)音楽を聴けば右脳が活動するし、小説を読めば左脳が活動するようになっています。
 そして、その間は片方の脳は休息を取っていて、脳波も落ちます。これを「脳の使い分け」と言って、効率よく脳を使うための生物の仕組みです。
 もしも、全ての脳が同時に動いていたら大変です。人間の性欲は視床下部の下にある性欲中枢によって支配されています。ここが常に刺激されていたら、あなたはワーグナーの楽曲を聴きながら大事なところが反応したりします。それだけならまだしも、全く好みじゃない異性にいいよられながら下半身はファイト一発元気はつらつです。大変ですね。

 また、私達の脳は全てがオンリーワンではなく、「余剰」と呼ばれる余分な機能もあります。
 かなり昔のテレビ番組では事故で脳の半分が失われたが、子どもだったおかげか無事だった脳が右脳と左脳の双方の能力を得て成長したという事例があります。
 脳機能の通路は、一つの道ではなく、複数の道が存在します。これは、確かに無くてもかまわないものだけれど、何らかの異変が脳に起きた場合に代わりに道を提供してくれる、言わば「安全装置」とも言うべき機能であり、決して超能力とかを目覚めさせるための機能ではありません。

この説の由来は元々はアインシュタインの言葉からなのだそうだけど、アインシュタインの著書とかではなく、宗教学者・詩人のウィリアム・ヘルマンスの「アインシュタイン『神を語る』」という書籍から。

当該部分を引用しているブログがあったのでそちらから再引用します。

アインシュタイン、神を語る―宇宙・科学・宗教・平和
アインシュタイン、神を語る―宇宙・科学・宗教・平和
ウィリアム ヘルマンス
僧侶のたくらみ 神を語るアインシュタイン博士2
「先生、瞑想についてはどう思われますか?」
彼は一瞬、困惑した様子だった。
「ヨーガ行者がやっているあれですよ。」
「インドヘ行った時、何人か行者を見たが、
その平静さと無我の境地にすごく感動を覚えた。」と言って彼はにっこりした。
「そのせいで、人力車に乗れなかったのを思い出すよ。
自分の体を人に運ばせるなんて、人間に上下関係をつけることのような気がしたんでね。
ウマやロバならともかく、人間では―」
私はメモを引っぱり出した。
「瞑想の修行をつんだ人々と英国で食事を共にした折、
その中の一人の鈴木大拙教授から、ぜひあなたにうかがってほしいと頼まれました。
精神的波動と電気は同一の起源または力(フォース)から発しているのかと。」
「創造の根源的な力はエネルギーであると信じている。
それを友人のベルグソンはエラン・ヴィタール、ヒンドゥー教徒はプラーナと呼んでいる。」
私と鈴木教授が、その場にいないあなたのために特別に料理を用意しましたと言ったら、
彼はくすくす笑ってさえぎった。
「たとえ魂のかたちであっても、その場にいたという記憶はないがね。
鈴木教授のことはたいへん尊敬しているが、
教育者の最高の目標は教え子たちに心を開くことだと思う。
われわれはあまりにも小さく、宇宙はあまりにも広い。
教え子に、人は心の潜在能力の10パーセントぽっちしか使っていないこと、
そしてこの無限の空間の一部であり、
望むならそれを理解することができると気づかせることこそが、
有能な教師の役目なんだ。」

あきらかにトンデモ質問を繰り返すインタビュアーに向かってうんざりしながら皮肉で答えたっぽく読めるんですけど・・・気のせいですね。ええ。ただ、鈴木大拙がだしに使われててウケる。

ちなみに著者のウィリアム・ヘルマンスは英語版wikiにも見当たらない。多分、現在に残っている業績で著名なのはこの本だけっぽい?米アマゾン見たら出版は83年らしい。僕が最初にこの説を目にした北斗の拳も連載開始は83年だけど、出版前、25年の間に四回のインタビューのをしたらしいので、その内容が伝わっていたのかもしれない。

ま、ルーツはこれかなという前提で、何故このような潜在能力○%しか使ってない説が広く蔓延して受け入れられたのかということにとても興味がある。

ふと河合隼雄先生が村上春樹氏との対談で言っていたことと関連するのかなと思った。

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)
村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)
河合 隼雄,村上 春樹
村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)
現代というか、近代は、死ぬということをなるべく考えないで生きることにものすごく集中した、非常に珍しい時代ですね。それは科学・技術の発展によって、人間の「生きる」可能性が急に拡大されたからですね。

もう一つ、社会学の俊英、森真一教授のこの本から

ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書)
ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書)
森 真一
ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書)」(P42-43)
この、近代化と呼ばれる社会変動は、多様な道徳を持つひとびとで社会をつくるという危機をもたらしました。なぜ危機かというと、共通性が欠如しているからです。この危機を近代社会はどのように乗りこえたか。「人格崇拝」というあらたな道徳を生み出すことでによってである、と社会学は考えます。
それぞれのひとが信じる宗教や道徳は違うかもしれない。けれども、それぞれのひとには「神聖不可侵なる人格」がそなわっているという点で、共通している。この共通点をあらたな「道徳」の基盤として、近代社会は登場した。神に代わって人格を神聖なものとして崇拝することで、近代社会はなりたっている、というわけです。

つまり、生きる可能性が急拡大し、かつ人格を神聖不可侵なものとして捉える近代社会で、その神聖なる人格の神聖性を補強するのに「潜在能力」という概念はひじょーーにマッチするんじゃないかと思いませんか?

正しいか正しくないかというところはさておいて、生の可能性の急拡大に直面したときに、その生は神聖不可侵なる人格を生きるということに直結していく訳ですが、そこには「潜在能力」という大きな可能性が眠っているという「神話」が提示されることで人格という現代の信仰が補強されたんじゃないかなと思ったりするわけです。その背景にはニューエイジ的な思想の普及が、関係しているんだろうと思います。で、この潜在能力神話は現在に至ってライフハックや○○力ブームにも繋がってくるわけですね。

最近の○○力ブームうぜーとか思うんですけど、あれは、「個人は能力という可能性の集合体である」という思想がベースにあるような気がします。ちょっと「能力という信仰」についてはまた今度機会があれば考えたいなと思ってますので、今回は割愛。

僕は個人的に、潜在能力なるものをこれっぽっちも信じていないところがありましてですね。極言すると発達とか生育という意味での成長はしてもね、いわゆる能力なるものについて人は成長しないと思ってます。要は傾斜というか。「進歩の影に退歩しつつあるものを」と民俗学の巨人宮本常一は言ったけど、成長だと思っている影には失っているものがあり、それに常に敏感でありたい、といういわゆる東洋的な思想に傾倒しています。ま、これも信仰です。

って後半グダグダに脱線しかけてるんだけど、要するに潜在能力○%信仰は、きっかけはアインシュタインだったかもしれないけれど、実に現代人の信仰にマッチして、一般的に広がりやすい内容の言説だったんじゃないのかなーというお話でした。


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社会保険庁「日本のみんな!オラに力(2.5兆円)を分けてくれ!!」

最近、社会保険労務士の試験勉強で国民年金法と格闘中なのですが、結構苦労させられています。で、その国民年金法がやたら複雑で分かりにくい原因の一つに色々大人の事情な特例措置がテンコモリなことがあります。

65歳になるとちゃんと年金を払っていた人は老齢基礎年金が給付されることになっている(前提な)わけですが、保険料だけでは賄いきれないので平成16年以降2分の1を国庫が負担することになっています。

ですが、「ちょ、さすがに半分はだせねぇよ!」と政府のお偉いさんが泣きをいれたため、「国庫に関する経過措置」ということで、平成21年度までの間は国庫負担割合は軽減するかわりに「税制上の措置を講じた上で」2分の1まで引き上げる特例が設けられています。平成20年度の国庫負担割合は3分の1+32/1000つまり約37%なんですが、今年、それを引き上げないといけないことになっています。

このニュースにさらっと書いてあるんだけど

政府・与党:対立法案の審議優先 後半国会、野党との差別化狙う
 ◇国民年金法改正案

 09年度から基礎年金の国庫負担率を現行の37%から2分の1に引き上げ

で、具体的な数字は社会保険庁の改正案概要のpdfに書いてあります。

国民年金法等の一部を改正する法律等の一部を改正する法律案の概要
今の国庫負担率(3分の1+32/1000)だと→7.8兆円
2分の1に改正後だと         →10.2兆円
差額                →2.5兆円

可決されたら平成21年4月から早速。「臨時の財源を手当」って書いてるけど実際のところ財源どうするんだろう。

もう一つ、老齢基礎年金の支給額を計算するときに、法制上は「マクロ経済スライド」と言って物価変動率に応じて給付額を調整する仕組が平成16年度以降取り入れられているんですが、これまた特例により停止されています。

物価スライド特例措置」というやつで、物価変動率が下落しても前年と同水準で据え置かれる特例のため、老齢基礎年金の支給額は、平成12年水準から変わらず、本来であれば年額780,900円となるところ、現行では792,100円が支給されています。

まぁ、ただでさえ少ない支給額がさらに下がってしまうなんて、しかも年金データのアレなんかもあって、いまさら下げるなんていい出せない「空気」を感じているのかもしれません。

年金制度、ほんとにどうするつもりなんでしょ。今後も毎年保険料は上がっていくにしてもねー。なんか、小室哲哉とかぶるんですよねー。奥さんに苦境を言い出せずに借金重ねて資金繰りに困ってにっちもさっちも行かなくなりかけてる感じが・・・ね。

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ホリエモン絶賛「関東ITソフトウェア健康保険組合」が凄い3つの理由

新聞やテレビが絶対に書かない「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実〜ロングインタビュー前編〜 - GIGAZINE
H:当時もう既に東京都小型コンピュータソフトウェア産業健康保険組合(現:関東ITソフトウェア健康保険組合)みたいなのに入っていたわけです。あれはいいんですよね、やっぱり。普通の国民健康保険より安いんですよ、保険料が。なぜかというと、被保険者がみんな若いからです。

G:あ、それで安かったんですか

H:そりゃそうですよ。だって国民健保は、老人までみんな日本の平均年齢と一緒ですから、当然医療費だって高いわけですよね。健保組合の中でも、その小型コンピュータソフトウェア産業健康保険組合ってのは非常にいいんですよね、みんな病院行かないから。医療費がかからないから、結果として厚生がすごい充実して、しかも保険料が安くなるのですよ。

ということで、ホリエモンも絶賛の関東ITソフトウェア健康保険組合について、何がどうすごいのか紹介します。

関東地方に本社を置くITベンチャーの総務人事担当者ならだれもが一度は同組合へ加入申請を考えますよね。IT系の企業であればかなりの数が加入しているのではないでしょうか。なぜ人気なのか。

1)保険料が安い

協会けんぽ(旧政府管掌)の一般保険料率が8.2%(事業主、被保険者折半)なのに対して、こちらは6.4%(事業主、被保険者折半)と2%近く安い。

どんぐらい安くなるかという具体例でいくと、30歳、年収480万円(賞与無し)の方の場合。

480万円÷12=40万円(報酬月額)
報酬月額を標準報酬月額にあてはめると27等級410,000

協会けんぽ
410,000×8.2%÷2=16,810円
関東IT
410,000×6.4%÷2=13,120円
差額
月:16,810-13,210=3,690円
年:3690円×12ヶ月=44,280円

で、これが会社全体になった時の例が関東ITのページ(法人の組合加入について )に「被保険者20人、平均の標準報酬月額380,000円、賞与等が7月支給分380,000円、12月支給分380,000円の事業所を仮定した場合」、年間で事業主側、被保険者側あわせて190万円の差として掲載されていますが、実際加入できればかなりの負担減になります。

2)付加給付

健康保険には通院時の療養の給付や入院時の食事療養費、訪問看護費などの医療給付や、傷病手当金などの所得保障給付、出産時の一時金や手当等様々な法定給付がありますが、健康保険組合の場合、「法定の給付に併せて、規約で定めるところにより、保険給付としてその他の給付を行うことが出来る」(健康保険法53条)として付加給付を行うことができることになっています。ただし、期間の延長や金額の上乗せに限りますが、この付加給付もかなり充実しています。

a)療養の給付
病気、怪我などの際、病院に通院すると基本的に7割支給3割負担ですが、被保険者、被扶養者に関わらずその3割自己負担部分からさらに20000円を控除した額が支給されます。

b)出産時
ご本人あるいは家族の方が出産したとき、協会けんぽでは出産育児一時金として1児につき定額350,000円が支給されますが、こちらはそれに上乗せして+110,000円が出産育児付加金として支給されます。

c)死亡時
協会けんぽでは被保険者、被扶養者の死亡時、埋葬料として50,000円が「埋葬を行う者」(遺族)に支給されますが、+150,000円が埋葬料付加金として上乗せ給付されます。

3)充実の保健施設

直営の検診施設の他、かなりすごいのがホテル等各種リゾート施設等と提携し格安でホテルに泊まることが出来たり、スポーツ施設等の利用が出来ることです。ほんとに数千円ぐらいから那須、志賀高原、湯沢、蓼科、伊豆、熱海などに泊まれます。ただし要抽選(だったかな。先着順だったかも。ちょっと忘れましたが)なので、なかなか予約は大変だったとは思います。

また、最近はどうか知らないんですが、以前はコナミスポーツと提携してたんじゃなかったかな。多分ビジター500円ぐらいで利用出来てたと記憶しています。(違うかも)

で、このような充実したサービスを受けるにはどのような条件をクリアしないといけないかというと

関東ITソフトウェア健康保険組合加入申出書
1、主要業務が下記の(1)〜(4)は、登記上の目的欄に同様の記載があること。又は(5)の事業所に該当すること
(1) パッケージソフトウェアの利用技術・研究開発及び流通
(2) ソフトウェアプロダクト及び関連ソフトウェアの研究開発及び流通
(3) コンピュータ及び周辺機器の販売(レンタル・リースを含む)保守サービス
(4) コンピュータの利用による情報の提供
(5) 組合の設立事務所との間で、財務諸表等の用語、様式及び作成方法に関する規則(昭和38年大蔵省令第59号)第8条第3項(「親会社」、「子会社」)又は第5項(「関連会社」)に 規定されている会社と同様な関係にある事業所。
2、社会保険加入期間が6ヶ月以上あり、現在東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県、栃木県、群馬県、新潟県、 長野県及び山梨県の全国健康保険協会(協会けんぽ)に加入していること
3、被保険者数が10名以上であること。但し、東京都内の事業所は5名以上とする
4、著しい低報酬月額の被保険者がいないこと
5、被保険者の平均年齢が40歳未満であること
6、扶養率については、当組合の平均を著しく上回らないこと(扶養率1未満は可)
7、過去1年間公租公課に滞納(納入遅延)がないこと
(1)公租とは、「法人税、消費税、所得税、事業所税」の国税・地方税をいいます。
(2)公課とは、「健康保険、厚生年金保険、雇用保険」の保険料をいいます。
8、組合運営に支障を及ぼす恐れがないこと
9、健康保険組合加入後、保険料納付は当組合指定銀行(みずほ銀行・東京三菱UFJ銀行・三井住友銀行・りそな銀行・中央三井信託銀行)の本支店で口座振替納入が可能であること

とサイトにはあるんですが、さらに申し込み用紙には平均年齢、平均標準報酬月額、扶養率等の記入欄があり、概況数値と比較審査するとあります。

ある日脳内で聞こえてきた声によると(笑)、実際のところ同組合の平均年齢や扶養率を上回っているか平均標準報酬月額以下だと加入は・・・げふんげふん。また、ある程度の高年齢の方がいると・・・うわやめろなにをす・・・、また、決算書過去三年分の提出も求められますが、一年でも"赤い"とまぁ、まず・・・と、ご先祖様が枕元に立っておっしゃってました。変な夢を見ました。

加入審査は競争がかなり激しく、また厳しいようですね。よく飛ぶ鳥を落とす勢いなベンチャーでもサクッと落とされたりしていると小耳に挟んだりします。まぁ、逆に、設立ホヤホヤのITベンチャーの方はこの組合に加入することを目的にして従業員のモチベーションアップを図るというのも一つの手ではあるんじゃないかなーと思います。

ということで、少し夢日記も交えてお送りしました。この記事の情報が正しくない可能性は十分にありますので、詳しくは同組合や社会保険労務士の先生にお尋ねくださいませ。

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淡島の灸の森厳寺

紅葉真っ盛りの12月初旬、せたがや百景の一つに数えられる「森厳寺」に行ってきました。
森厳寺

森厳寺は慶長十三年(一六〇八)に徳川家康の次男結城秀康の位牌所として建立された寺院です。「淡島の灸の森厳寺」としてせたがや百景の一つにも選出されています。結城秀康というと徳川家康の次男で武勇に優れた武将ですが、どうしても、父家康に冷遇され、若くして夭折した悲運の人というイメージがあります。しかしwikipediaを見ると必ずしもそうとは言えなさそうではありますね。(→結城秀康 - Wikipedia)色々と時代に翻弄され、若くして亡くなったことによる後世の創作かもしれませんね。

「森厳寺」という名前は結城秀康の戒名「浄光院殿森岩(巌)道誉運正大居士」に由来し、三つ葉葵の御紋も建物に見える徳川家と密接な繋がりがあることがわかる寺院です。

で、徳川家ゆかりの寺院について考えていくと、その位置がとても戦略的要衝を抑えていることが判ります。例えばすぐ近所にある豪徳寺は北条氏の家臣として世田谷一帯を支配した吉良氏の居城世田谷城があった地にあるし、あるいは愛宕神社、増上寺、山王日枝神社などもことごとく戦略的要衝の上にあります。よく、江戸は風水だとか陰陽道に則って作られている説がありますが、普通に歩いて見て回ると、もっとリアリストだとわかります。どうやって旧勢力を押さえ込み、戦略的要衝を支配下に治めるかに重点を置いて神社仏閣を配置しているなぁと思うんですけどねー。

この森厳寺も、世田谷の住宅街の一角にひっそりとあるわけですが、その周囲を考えてみるととてもわかりやすい。森厳寺の東、北沢川を越えて淡島交差点から坂を上ったあたりは当時多聞寺砦(現在の多聞小学校から三宿神社一帯)という吉良氏の出城がありました。また、森厳寺の西は当時滝坂道という街道が通っていましたが、この滝坂道は江戸幕府開府当時は古府中道と呼ばれ、府中と江戸とを結ぶほぼ唯一の街道だった。(参考→「世田谷の古道-瀧坂道」)

そのような背景の元に、吉良氏が勧請した北沢八幡神社の別当として建立されているところから考えて、とても重要な役割があったんだろうなと思う。

森厳寺境内

森厳寺境内
左右にそびえる一対の大イチョウの木は樹齢400年と言われる長寿を誇り、思わずおお〜と呟いてしまいました。そして写真正面の建物は閻魔堂と言われ、閻魔像が奉納されています。

森厳寺淡島堂
こちらは淡島神社の淡島堂。ここでは世田谷区の重要無形文化財に指定されている森厳寺の針供養が行われています。境内の案内板の紹介がとても興味深いです。

境内の案内板より
針供養とは二月八日や十二月八日あるいは両日ともに裁縫の仕事を休み、折れ針や古針を供養する行事のことをいう。現在、森厳寺の針供養は毎年二月八日に淡島堂で行われている。堂内に置かれた豆腐に古針が刺され、住職らによって供養の法要が営まれる。供養された針は豆腐より抜き取られ、淡島堂正面にある石棺に納められる。

森厳寺における針供養の創始は不詳であるが、安政三年(一八五六)刊行の『狂歌江戸名所図会』には同寺の針供養に関連した狂歌が詠まれており、遅くとも安政期にはこの地で針供養が行われており、その施灸と共にかなりの程度著名であったと思われる。

まかり(曲り)たる針も納る淡しまハ人をつりこむ御夢相の灸
淡しまに灸をそすうる女等の針さす癪もをさまりにけり(「治まる」「納める」を懸ける)

森厳寺の針供養は、かつては広く見られた民間信仰の風潮と、道具を大切に扱った先人達の思想をいまに伝えるものとして貴重な存在である。

森厳寺本堂
森厳寺本堂は火災で焼失したものを昭和39年に再建しており、比較的新しい建物になっている。

全体としては閑静な雰囲気と見事な紅葉とでさすが由緒ある寺院という風情で、紅葉の隠れスポットだなぁという感じですが、残念な側面もあります。

森厳寺にはかつて富士塚があった。しかし取り壊されてしまった。このあたりのいきさつは地元でも色々あったようです。森厳寺の富士塚について、ずっと追っていた人がいる。


東京荏原都市物語資料館:下北沢X物語(448)〜森厳寺の「富士塚」(1)〜 - livedoor Blog(ブログ)

 「森を伐り倒したら富士が出てきた」というのは本当だと実感できた。見事な富士であった。下北沢の南はずれ、いや、かつてはここが下北沢村の中心だった。そこに富士があった。今は町中にそびえ立つ。忽然とあらわれた驚きの富士の運命はどうなるのだろうか?。
東京荏原都市物語資料館:下北沢X物語(450)〜森厳寺の「富士塚」(2)〜 - livedoor Blog(ブログ)
森厳寺の「富士塚」は文政四年(一八二一)にもともとあった築山を盛土して築きあげたものだと知った。今日、関係者に当たって聞いた。するとこれは歴史と規模からして国指定有形民俗文化財級のものだと言う。が、社会的認知が行き渡らずに今まさに壊されかけているというのが現実だ。
東京荏原都市物語資料館:下北沢X物語(465)〜森厳寺の「富士塚」(3)〜 - livedoor Blog(ブログ)
森厳寺の寺のパンフレットが手に入った。そこにはこう書いてある。

 森厳寺400年記念行事として、平成20年3月までに
○平成19年 3月 墓地造成 墓石の移動
○平成19年12月 開山堂完成と墓地整備の完成
○平成20年 3月 開創400年奉修

 地図が載せられている。「現在」→「整備後」
 「富士塚」は「築山」と記されている。整備後の地図にその「富士塚」はない。潰されるということである。パンフレットには続けてこう述べている。

 将来のお寺のあり方:森厳寺を檀徒や地域のみなさんに開かれた、心の拠り所となるようなお寺にいたいます。開山道(葬祭場)の新設(2007年竣工)


祖先と先人敬うと共に、信仰する心を次の世代に伝える墓地をつくります。:墓地を中心に、くつろぎのスペースを設けます。戦没者や慰霊塔を建立し、平和の心を伝えます。子供や孫達と語らいながら墓地をゆっくりと巡る、森の小径を設けます。

 計画図には、「富士塚」はない。森厳寺裏の墓地は全面改葬である。森が厳かだということでここでの埋葬を希望した者も多くいるはずだ。富士塚と森と桜と静けさがここの墓地であった。土地固有の文化遺産光景ではなかったのだろうか。
東京荏原都市物語資料館:下北沢X物語(466)〜森厳寺冨士塚は185年前に築かれたもの〜 - livedoor Blog(ブログ)
江戸時代に造立されたものは数基と少なく、森厳寺のものは文政四年(一八二一)に造立された。今から185年前に作られたものである。国指定有形民俗文化財級のものだと言える。
東京荏原都市物語資料館:下北沢X物語(714)〜水路漂泊小さなスタンドバイミー(下)〜 - livedoor Blog(ブログ)
塀の向こうにはショベルカーが富士塚を削り取っていた。あまりにも無惨な光景である。少年の死体ではなく我々は江戸期に築造された富士塚の死体を見たように思った。

様々なものは移ろいゆき、消え去っていくものだけれど、しかしとても哀しい。僕は常々、歴史に触れるとき、それは過去のものではなく、同時代の今目の前にあるものとして捉えている。決して直線的な時系列の過去の存在ではないと感じている。当時の人々の営みや息遣いを同時代的に感じることが、過去の遺産に触れることなのだと思う。その機会はなくなってしまった。とてもかなしい。そして、残念ながらそういうことは毎日当然のように起きている。それはしょうがないことであるともおもう。

「民俗学の旅」
進歩のかげに退歩しつつあるものをも見定めてゆくことこそ、今のわれわれに課せられているもっとも重要な課題ではないかと思う。
民俗学の旅 (講談社学術文庫)
民俗学の旅 (講談社学術文庫)
宮本 常一

そう民俗学の巨人、宮本常一は晩年、自身の半生を振り返って言った。そういううつろいゆき、消え去っていくものへの思いをどう昇華していこうか、ということを悶々と考えながら、僕は少なくとも生きている間に出来るだけ多くの「過去」を「同時代的に」見ておこうと思った。


参考サイト
せたがや百景 NO.11 淡島の灸の森厳寺

淡島の灸の森厳寺

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SWITCH Vol.23 No.5 (スイッチ2005年5月号)  特集:下北沢は終わらない 第2特集:UA 正木高志  [SOUNDS FROM THE WOODS]
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勉強会に否定的な上司の横っ面を札束でぶっ叩くための助成金案内

社内で勉強会やりたいと会社に言ったら、「言うまでもない」と断られた。 - 脱エンタープライズ志向
せめて、自社の人間と活動をスタートして、そのうちグローバルになればいいかなぁという気持ちで、会社に相談してみた。

結果・・・

「言うまでも無く、駄目。」

えーーーーっ!!
社内勉強会をやりたいのに上司が認めてくれなかったら 2009-02-07 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
どう考えても、勉強会を開催するコストよりも勉強会を開催しないリスクの方が大きいと思う。それともこんな単純なことが理解できないほど、上司は愚かなのか?それともこんな単純なことが実施できないほど、その会社には深い事情があるのであろうか。その事情をわたしは理解したい。どのような条件のときに、勉強会を禁止することが経済合理性にかなっているのか。

哀しいことに世の中の多くの経営者は長期的な視点は持っていない、というか事業については長期スパンで考えることが出来るけど従業員に関しては短期的な見方しかしない中小企業の経営者って結構多いと思いますね。そんな彼らにウンと言わせるには札束で顔はたくしかないんじゃないかと思うわけです。勉強会したらナンボもうかりまんの?に対してこんだけ儲かりまっせ。という提案をしてあげないと重い腰動かさない。経営判断というトレードオフの結果、勉強会をすることによる儲けの方が大きくなるようにしてあげるということですね。

ということで、勉強会を反対されてしまった方がリベンジするために助成金を活用してみてはいかがでしょうか?という紹介です。詳しくは社会保険労務士の先生にお尋ねください。

独立行政法人雇用・能力開発機構がやっている「キャリア形成促進助成金」というものがありまして、その中の「訓練等支援給付金」が使えるんじゃないかと思うわけです。



キャリア形成促進助成金


1) 専門的な訓練の実施に対する助成(対象職業訓練)〔対象:中小企業〕

その雇用する労働者に、専門的な知識・技能を追加して習得させることを内容とする職業訓練等又は新たに職業に必要な知識・技能を習得させることを内容とする職業訓練等を受けさせる事業主に助成します。

■助成対象となる訓練形態
・ OFF-JT(※1)により実施
(事業主が自ら企画し実施する訓練又は教育訓練機関で実施される訓練)
・ 訓練時間が10時間以上
■ 対象者
雇用保険の被保険者

◆支給額
・ 訓練実施に要した経費の1/2
(訓練を実施するための設備・会場の借上げ料、教科書代・教材費、部外講師の謝金、教育訓練機関に支払う入学料及び受講料)
・ 訓練実施時間に応じて支払った賃金の1/2

賃金の半分が出るのが大きいですよね。一時間あたりの賃金が(これ平均賃金で出すんですよね?多分。)、2,000円ぐらいだとしても、10時間×1/2=10,000円。のべ10人で100,000円が会社に入ります。一回きりじゃないですよ。上限額(年間500万円)まで何度でも。

5) 自発的な職業能力開発の支援に対する助成(対象自発的職業訓練等)〔対象:中小企業・大企業〕
従業員の自発的な能力開発を支援する制度(自発的職業能力開発経費負担制度(※1)及び職業能力開発休暇制度(※2))を就業規則又は労働協約等に設け、従業員の能力開発の経費を負担したり、職業能力開発休暇を与える事業主に助成します。

■助成対象となる訓練形態
・ 教育訓練機関により実施される職業訓練等
・ 業務命令でなく、労働者が自発的に受講する職業訓練等・職業能力検定・キャリア・コンサルティング
※教育訓練機関によっては、訓練時間の下限が設けられていますので、詳しくは、機構各都道府県センターへお問い合わせください。
■ 対象者
雇用保険の被保険者

◆支給額
・ 事業主が負担した能力開発に係る経費の1/3(大企業は1/4)に相当する額
・ 職業能力開発休暇期間中の訓練時間に応じて支払った賃金の1/3(大企業は1/4)に相当する額
・ 制度導入に係る奨励金
制度導入後3年以内に、その制度を利用して能力開発を実施した者が発生した場合には、次のとおり支給

a 中小企業の事業主
それぞれの制度を導入し、その制度を利用して能力開発を実施した者が発生した場合に、それぞれ15万円を支給(1事業所1回に限る)
また、各制度利用者1名につき5万円支給(1事業所あたり延べ20人を限度)
※2つの制度のうち、どちらか一方の制度を導入した場合でも支給されます。

これもいいですね。就業規則に職業能力開発経費負担制度や職業能力開発休暇制度を設け、その制度が利用されると15万円×2制度=30万円と、さらに各制度利用者1名につき5万円で20人を限度というんですから、5万円×20人=100万円。しかも勉強会に関する経費負担や休暇制度が盛り込まれちゃう訳なので、大手を振って勉強会が出来ちゃいます。

これだけですでに100,000円+300,000円+1,000,000円で140万円のキャッシュが入ってきますわね。で、上でも書いたとおり事業所あたり年間500万円が上限です。その他、パートタイマーの人への教育支援や有期契約の人への教育支援などの助成金もあります。

「勉強会するだけで、毎年500万円がキャッシュで入ってくる方法知ってるんですけど・・・」と言ってみてはいかがですか?現金500万円にびくともしない経営者ってなかなかいないと思いますよ。

「いやいや、それは所詮払ったお金が戻ってくるだけだろう?」と言われたら、「ざんぎょうだ・・ゲフッゲフッ・・・ちゃんと貰ってな・・・ゴホゴホ」とつぶやけばいいんじゃないですかね。いやなんでもないですけど(笑)

とは言え、経営者がGOサインを出したとしても、経営者以外の管理職層の人にしてみたら、500万円のキャッシュが会社に入っても、自分の業績と関係ないから、勉強会にメンバーが割かれてマネジメントが面倒になって手間が増えるだけという認識の人は居るかもしれないので、そこを解決しないといけないかもですね。

また、前提としてこんな支給要件があります。

支給条件
(1) 雇用保険の適用事業所の事業主であること。
(2) 職業能力開発推進者を選任し、都道府県職業能力開発協会に選任届を提出していること。
(3) 労働組合等の意見を聴いて事業内職業能力開発計画を作成していること。
(4) 事業内職業能力開発計画に基づく年間職業能力開発計画を作成している事業主であって、当該計画の内容をその雇用する労働者に対して周知していること。
(5) 労働保険料を過去2年間を超えて滞納していないこと。
(6) 過去3年間に雇用保険二事業に係るいずれの助成金についても不正受給を行ったことがないこと。
(7) 訓練を受けさせる期間において、所定労働時間労働した場合に支払われる通常の賃金を支払っていること。

1,5,6,7はよほどのブラック企業で無い限りは当然クリアしていると思うので、2、3、4が問題ですが、このあたりは社労士に相談してしまえば普通に書式テンプレートがあると思うのでそれほど大きな手間ではないと思います。職業能力開発推進者は推進者なんで人事の担当者レベルの人で十分じゃないかなー。

あとですね、ぜひ忘れないで欲しいのは、これをすることで仕事が忙しくなる人が会社にいることです。申請などの書式を作成したり、制度を変えるために就業規則を変更したり、社労士や役所との窓口になる総務・人事の人ですね。根回し&ご飯おごり&感謝の言葉なんかはくれぐれもお忘れなく。


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社会保険労務士の学校に通い始めました

労働についてはここ一年以上に渡ってちょっと自分の思考テーマの一つだったので、少しそれを掘り下げて専門性を身に着けたいなと思っていたのですが、仕事に復帰し、30代も後半に差し掛かり始めて40代が見え始めたことで、上手く自分の興味と生活の糧と後々のセーフティネット的何かを得ておきたいというような色々の考えがあって、取ろうかなと。資格を取れれば軸足がもう一つ出来るので良いな、という思いがあるので、資格を取れるように注力していきたいと思っているのですが、しかし、固執するつもりはなくて、知的好奇心の強さが一番にあります。

まぁ、労働と社会保険との知識は、社会をじっくりと観察して、社会と自分との繋がりみたいのを把握する上で、知っておきたいことの一つなのでそこの基礎的な知識を身に着けたいなという感じですね。

社労士の勉強に一年間集中するけど、受かる受からないに係らずその次は中小企業診断士の勉強をするつもりです。

中小企業診断士はやたらと試験範囲が幅広いくせに食えない資格として有名ですが(笑)、僕にとってはその試験範囲の広さが魅力で、経済、会計、法律、経営と、思わずアホか!と言いたくなるぐらいの幅広さですが、そこら辺を一通り勉強できるというのはとても魅力的。

この二つで、「会社で働く」ということに必要な知識の基礎の半分ぐらいは体系的に学べるんじゃないかな、と思っています。

自分が拠って立っている世界を体系的に理解したいと言う、ちょっと強迫観念にも似た抑え切れない欲求があって、それを上手く現実と折り合いつけるための勉強みたいな感じですね。資格取得の有無に関わらず、その次は人の心理を少し掘り下げて知りたいのと、共同体とは何かということを中心とした社会学を学びたいのと、思想史や宗教史の上にある文化の流れを、そして歴史の流れの上にある自己というのを探求していきたいので、特に日本の歴史を、さらに、今住んでいる東京という都市について、郷土史や民俗学的なところを知りたいです。そのあたり、これまでもブログに書いたりしていましたが、これから二年ほどは注力する方向を労働と経済・経営にシフトさせて、二年後には心理学、社会学系、そのあとに再び歴史、民俗学、文化史らへん分野に戻って来たいなぁと思っています。

40歳までに、この社会全体に関する知識をどれだけ体系的に学べるだろうか、という焦り的な思いがあります。おそらく、この外向きの欲求は、全体で見ると、バランスを極端に偏らせることになるわけで、その反動がどこかで来ると思う。それは40代までは大丈夫だろうと思うのだけど、ミドルエイジクライシスとか中年の危機とか厄年とか言われるターニングポイントと、その揺り戻しはセットで来ると思う。もうすぐやってくる来る40代をサバイブ出来るように、今敢えて自分の人生を特定の方向に傾斜し偏らせるというスタンスです。

先日同い年の友人と、26歳のとき36歳の自分の姿は想像も付かなかったけど、36歳の今は46歳の自分の姿が意外と想像つくよね、という話をしていました。まさにそうですよね。46歳の自分の姿は、それなりの変化を遂げていたり、ある程度ガラッと変わってもいるだろうけれど、想像がつきます。

そういう、僕の人生の向こう10年ぐらいを考えた時に、今勉強すべきだなと思うので、その手始めに社会保険労務士の学校に通い始めました。それにあわせてこのブログも徐々に内容はシフトしていくと思いますが、10年スパンぐらいで見ると、全体としてはブログのテーマはそれほど変わらないだろうなと思います。

とりあえず、社労士の授業は超たのしい。何らかの形でブログにもアウトプットしていきたいですね。

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そういえば12月10日は山本七平の命日

というのをさっきwikipediaを読んでいて知った。

遺作はこれらしい。
徳川家康 (山本七平ライブラリー)
徳川家康 (山本七平ライブラリー)
山本 七平

徳川家康について書いていたとは知らなかった。

処女作はかの有名なイザヤ・ペンダサン名義のこれでいいのかな。

日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))
日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))
山本 七平

そういえば「日本人はなぜ敗れるのか」を読もうと思いつつまだ読んでなかった。
日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21) (角川oneテーマ21)
日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21) (角川oneテーマ21)
山本 七平

今度読もう。

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「英語の歴史―過去から未来への物語」寺澤盾 著

評価:
寺澤 盾
中央公論新社
¥ 819
(2008-10)
Amazonランキング: 6961位

梅田さんのエントリと発言を契機にして日本語論英語論が花盛りですが、つい先月、こんな本が出ていたので迷わず購入して読了しました。著者は、現在、東京大学で英語史の准教授を務め、またハーヴァード大学の客員研究員でもある寺澤盾氏。「英語の歴史」というオーソドックスで直球なタイトル通り、英語の起こりから英語のこれからまでがIknow初級コースでLの発音に四苦八苦しているような僕でもさらりとわかった気になる一冊です。


■H・G・ウェルズの予言

「SFの父」ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells)は1933年、22世紀初頭の未来から時代を遡る未来歴史小説『世界はこうなる』(The Shape of Things to Come)という小説を発表した。その作品中、20世紀から21世紀を回顧して、こう描写した。

「英語の歴史」(P4-5)
One of the unanticipated achievements of the twenty-first century was the rapid diffusion of Basic English as the lingua franca of the world and the even more rapid modification, expansion and spread of English in its wake.
The English...has shed the last traces of such archaic elaborations as a subjunctive mood; it has simplified its spelling, standardized its pronunciation, adopted many forein locations and naturalized and assimilated thousands of foreign words...This convenience...was made the official medium of communication throughout the world by the Air and Sea Control, and by 2020 there was hardly anyone in the world who could not talk and understand it.

(21世紀における予想もしなかった成功の一つは、ベーシック・イングリッシュが世界の共通語として急速に普及したことであり、その過程でさらに英語が急速に改訂され、発展し、普及したことである。(21世紀の)英語では・・・仮定法のような古めかしく手の込んだ表現の痕跡はもはや見られず、綴りは簡略化され、発音も標準化され、多くの外国語法が取り入れられ、何千にも及ぶ外国語が同化された。<中略>この便利な道具は・・・航空・海上管制言語として世界中で公式のコミュニケーションの手段となり、2020年までには、英語を話したり理解したりすることのできない人はほとんどいなくなった。)
The Shape of Things to Come: The Ultimate Revolution (Penguin Classics)
The Shape of Things to Come: The Ultimate Revolution (Penguin Classics)
H. G. Wells

世界はこうなる〈上〉―最後の革命
H.G. ウェルズ
世界はこうなる〈下〉―最後の革命
H.G. ウェルズ

まさに70年以上前にH・G・ウェルズが予言した通りの状態に今なりつつある訳ですが、現在英語話者数15億人とも言われる英語はどのような歴史を辿ってきたのか。英語の歴史は大きく古英語期、中英語期、近代英語期の三つの時代に分かれます。


■古英語期(Old English,AD450頃-11世紀末)

当初、英語を使っていたのはブリテン島に住む人々ではなく、その周辺、現在のデンマーク、北西ドイツ、オランダあたりに居住していたアングル人、ジュート人、サクソン人、フリジア人たちだった。彼らは「ゲルマン民族大移動」によって五世紀〜六世紀ごろにかけてブリテン島へ移動し、先住民族のケルト人を西方のカンバーランド、ウェールズ、コーンウォールに追いやり、テムズ川周辺を中心としたブリテン島南部に定住した。この頃、サクソン人を撃退したケルト系の王または、ローマ帝国の将軍とも言われる人物をモデルにしたのがアーサー王だと言われています。

アングル人、サクソン人らはゲルマン語族に属し、現代でも英語はfatherとVater、motherとMutter、houseとHaus、fieldとFeldなどドイツ語との類似性が高く、また、オランダ語などとも近しい。インド=ヨーロッパ語族の一種ゲルマン基語は紀元前一世紀ごろ、東ゲルマン語(ゴート語など)、北ゲルマン語(スウェーデン語、デンマーク語、ノルウェー語、アイスランド語)と西ゲルマン語の三種類に分かれ、その後時期は不明ながら西ゲルマン語は高地ドイツ語(ドイツ語など)、低地ドイツ語(オランダ語、フラマン語など)、アングロ・フリジア語(英語など)に分かれていったと考えられている。

古英語の主な特徴は「他言語からの借用語が少なく、派生と複合による新語の形成が活発で、文法的に豊かな語形変化、語順も自由で、代名詞の省略が可能であった」ことだといえる。

・古英語の文法

「英語の歴史」(P43)
古英語では、名詞、形容詞、動詞は文で果たす役割に応じて語形変化をした。たとえば、現代英語ではkingという名詞は、語形変化をするのは所有格のking's, kings'、複数形kingsの場合だけであるが、kingに対応する古英語のcyningは、複数の場合だけでなく、文中の文法的役割によって、cyninges, cyningas, cyninga, cyningumのように形を変えていく。
また定冠詞も現代英語ではtheを覚えればよいが、古英語では冠詞が就職する名詞の文法性、文中での役割、単数・複数によって(中略)10以上の異なる形をもっていた。
(中略)
動詞も、時制(過去・現在)、法(直説法・仮定法・命令法)、主語の人称・数によって縦横無尽に形を変える。

古英語期の代表作「ベーオウルフ」(Beowulf、作者不詳)の例が紹介されている。

古英語叙事詩『ベーオウルフ』対訳版
古英語叙事詩『ベーオウルフ』対訳版
「英語の歴史」(P43-44)
Se feond drep pone cyning sweorde.
(敵は王を刀で打った)

という文では、冠詞の形(seは主格、poneは対格)を見れば、seをともなったfeond(敵)が主語で、poneの付いたcyning(王)が対格目的語であり、与格語尾の-eが付いているsweorde(刀)は手段・道具を表していることがわかる。したがって、かりに、

Pone cyning se feond drep sweorde.

のように語順を入れ替えたとしても混乱は生じない。

このように、古英語期は現代のようなSVO文法に固定されていなかった。

・派生語や複合語などの新語形成

この本を読んでいて、古英語の魅力はここだなぁと思ったのが、派生語や複合語など新しい言葉を生み出していくところですね。

「英語の歴史」(P58)
古英語ではラテン語や北欧の古ノルド語からの借用語は見られたが、中英語や近代英語と比べると外来語への依存度は低い。新たな概念・事物に対応して語彙を増やす必要が生じたとき、(中略)古英語では一般に借用語に頼らず自前の素材、つまり英語にもともとあった語などを組み合わせることで新語を形成した。

「派生」
接辞(語とは違ってそれ自体、単独では用いられない要素)を語に付けて新たな語を作る方法。

例えばgetの古英語gietanにbe-、for-、ofer-(=over)を接頭辞としてつけて
begietan(得る), forgietan(忘れる), ofergietan(怠る), ongietan(掴む、把握する), undergietan(理解する)
などが形成された。

「複合」
語と語を結びつけて別の語を作り出すもの。複合語の中でも隠喩を伴った複合語をケニングという。

例えばheavenの古英語heofonは様々な語と結びついて
heofon-beorht(天のように輝いた)、heofon-dream(天上の喜び)、heofon-engel(天使)、heofon-steorra(天の星)、heofon-candel(天のろうそく=太陽・月・星)、heofon-cyning(天の王=神)、heofon-duguo(天の軍勢=天使)、heofon-weard(天の守り手=神)
などが形成された。

しかし、このような複合語も中英語〜現代英語期までにほとんど廃れてしまったという。その理由は置き換えることが出来る外来語が入ってきたことによる。例えばランプは古英語ではleoht-faet(光の器)という複合語だったが、中英語期にフランスからlampが入ってきたことで使われなくなった。

同書では、ここで複合語クイズが出されていて面白いので紹介。

「英語の歴史」(P60)
以下の古英語の表現(ケニング)が何をさしているのか、謎解きをしてください。たとえば、hron-rad(鯨の路)は「海」を意味します。
(1)feorh-hus(命の家)
(2)heafod-gimm(頭の宝石)
(3)beadu-leoma(戦の光)
(4)guo-wine(戦の友)
(5)hilde-scur(戦のにわか雨)
(6)sae-wudu(海に浮かぶ木)
(7)mere-hengest(海の馬)
(8)gold-giefa(黄金を与えるもの)
(9)gamen-wudu(喜びの木)
(10)waeg-faet(水の器)

回答は、この本の60ページへ(笑)

ということで、クリエイティビティに溢れる古英語期はゲルマン民族大移動に始まり、500年以上にわたって続き、そして1016年、デーン人のクヌートが英国王となり、さらに1042年にエドワード王が王位を奪還、しかしそのエドワード王も1066年に亡くなりアングロサクソンの王朝が途絶えるという混乱の中終わりを迎えます。


■中英語期(Middle English,12世紀初頭-15世紀末)

1066年、エドワード王の死後、その子ハロルド二世が王位に就くが、それに異を唱えるノルマンディー公ギヨームは6000の軍勢を率いて海を渡り、イングランド南部のへースティングスに上陸、迎え撃つハロルド王率いる7000の軍勢とバトルの丘で激突する。「ノルマン軍は弓兵に援護させながらの騎兵による突撃を繰り返したが,丘上に布陣したハロルド軍は長大な戦斧を装備した重装歩兵による密集陣形でこれに応じ,昼までに戦闘は膠着状態に陥った」(→ヘースティングスの戦い - Wikipedia)のち、激戦の末ハロルド王は戦死、ノルマンディー公ギヨームはウィリアム一世として即位した。このノルマン征服王朝の幕開けとともに中英語期が始まります。

ノルマン征服が英語史上の一大事件だった理由は、フランス人による支配だったことにあります。こののち、約200年に渡ってフランス語が公用語となり、英語は表舞台から姿を消すことになります。

中英語の主な特徴は「フランス語からの借用語の増大、語形変化の単純化、語順の固定化、代名詞の明示化」などです。

・借用語の増大

中英語期にフランス語から借用された語は約1万語とも言われ、そのうち約7500語が現代英語に伝わっているそうです。

bill, parliament, judge, money, rent, duke, baron, religion, army, battle, defence, soldier, war, coat, fasion, diamond, boil, fry, roast, cabbage, lettuce, onion, beef, mutton, pork, bacon, uncle, aunt, cousin, parentなどなど。

しかし、このフランス借用語により、古英語の単語はかなりの数が死語、または意味範囲が狭められたりした。

中英語期にはラテン語からの借用語も多く1000語以上の記録が残っている。
例えばactor,ambitious, ceremony, exclude, expantion, incarnate, interrupt, quiet, tradition, include, picture, politeなどが一部は当初と意味は変わりつつも現代英語でも使われている。

1096年に始まる十字軍遠征によってこの時期にアラビア語も相当数英語に入ってきている。
alcohol, alkali, cotton, lemon, sugarなど。

・文法の固定化

「英語の歴史」(P114)
古英語では(文法)性・数・格によって名詞や代名詞類がさまざまな形に変化したが、中英語以降、語尾変化の衰退が進行した。そのため、文中での語の役割(=格)を語形変化によってではなく、語順をSVOに固定させたり、前置詞などを用いることによって表わすようになった。古英語期では、動詞も、法(直説法、仮定法、命令法)、時制、主語の人称・数によってさまざまな活用変化をしたが、活用変化は時を経るにしたがい単純化されていった。

固定化、単純化の始まりが中英語期で、次の近代英語期になると現代英語により近づいていくことになります。

・英語の復権

1204年、ジョン王はフランス王フィリップ二世らフランスの諸侯と領土をめぐって対立、全面戦争となるが、1214年までにノルマンディー他大陸領土のほとんどを失い、さらに教皇にも破門されるなどして、ジョン失地王と呼ばれるが、これによって、のちにフランスとの関係が希薄化していき、英国に対する国家意識が芽生えることになる。

1337年、エドワード三世はフランス王位や領土をめぐり、フランス王と対立、百年戦争が勃発すると、英語に対する意識がさらに高まっていき、1362年には議会の開会宣言が初めて英語で行われ、また同年、法廷でもフランス語ではなく英語を使うことを定める法が制定。1399年に即位したヘンリー四世はノルマン征服以降初の英語を母語とする王だったという。

1384年、このような背景で聖職者ジョン・ウィクリフは完訳英語聖書を発行、詩人チョーサーは中英語を使って「カンタベリー物語」を著すなど、徐々に英語の復権が始まる中で、中英語期は終わり、近代英語期が始まっていく。

The Canterbury Tales (Penguin Classics)
The Canterbury Tales (Penguin Classics)
Geoffrey Chaucer,Jill Mann

完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)
チョーサー

■近代英語期(Modern English,16世紀初頭-現代)

近代英語期はさらに、初期近代英語(Early Modern English,16世紀初頭-17世紀末)、後期近代英語(Late Modern English,18世紀初頭-19世紀末)、現代英語(Present-day English,20世紀初頭-現代)に分けられる。


1)初期近代英語(Early Modern English,16世紀初頭-17世紀末)

1447年、ドイツの金属加工職人ヨハネス・グーテンベルクはヨーロッパにおいて初めて活版印刷技術の実用化に成功。また、14世紀のイタリアに始まるルネサンスもこの時期、徐々に西欧諸国に広がりを見せていた。

そのような背景で、英国でも16世紀頃からルネサンスが始まり、ギリシア・ラテン古典研究が盛んになり、およそ1万語とも言われるラテン語の語彙が借用語として入ってきた。また1476年、英国の活版印刷家ウィリアム・キャクストンがロンドンのウェストミンスターに印刷所を開設し、印刷物の大量出版が可能となることで、さまざまな語彙が普及することになる。

この時期に入ってきたラテン語は一万語以上ともいわれるが、その半分は廃れてしまったと言う。
この時期にラテン語として入ってきた語としては
secure, camera, divide, direct,など

また、ギリシア語は主に学術用語として入ってきており、接頭辞のbio-, eco-,接尾辞の-logyなどがギリシア語に由来する。

大量の外来語にさらされるとそれに対する批判が起こるのは世の常で、この当時も、ケンブリッジ大学のジョン・チーク教授を中心とした外来語を排斥し、英語本来語を使用しようとする「英語純正運動」が巻き起こっている。

・ウィリアム・シェークスピアの影響

偉大な作家の一人シェークスピアの作品が英語史に残した影響も多大で、特に現代英語の慣用表現にも、シェークスピア起源のものが多い。

It's (all) Greak to me.(ちんぷんかんぷん:「ジュリアス・シーザー」)
eat the leek(屈辱を忍ぶ:「ヘンリー五世」)
the green-eyed monster(嫉妬:「オセロ」)
on purpose(故意に:「間違いつづき」)
salad days(未熟な青年時代:「アントニーとクレオパトラ」)

Julius Caesar (Dover Thrift Editions)
Julius Caesar (Dover Thrift Editions)
William Shakespeare

ジュリアス・シーザー (新潮文庫)
ジュリアス・シーザー (新潮文庫)
シェイクスピア,福田 恒存

・欽定訳聖書

1611年に上梓された英語聖書で、こちらも英語表現の発達に貢献した。
cast pearls before swine(豚に真珠)
the scales fall from one's eyes(目からうろこが落ちる)
an eye for an eye(目には目)
などの慣用表現の初出はこれだそうだ。

・ゼロ派生

「英語の歴史」(P89)
中英語期から近代英語期にかけて英語は多種多様な外来語を取り入れた。その反面、古英語で活発であった派生、複合など、自らの素材を用いて語を作り出す能力が減退した。古英語では、lufu(現代英語のloveに対応)の語幹luf-に動詞派生語尾-ianを付けることで、動詞形lufianを派生したが、中英語以降、語尾変化の簡略化が進行したため、動詞に付く語尾は消失した。その結果、近代英語では名詞・動詞ともにloveという同じ形になり、もはや語形だけで品詞を判断することはできなくなった。
しかし、このことは英語に思わぬ利益をもたらすことになる。品詞が異なっても語形が同じということは、逆に言えば、語形が同じままで自由に品詞転換ができるからである。専門用語では、派生語尾を何も付けずに品詞転換を行うので、「ゼロ派生」または「転換」という。

これ、読んだとき、かなりしびれました。ビックリマークでいうと「!!!!!!!!!!!!!」ぐらいの感じ。まさにイノベーションじゃないですか。

例えばknow(知っている)という動詞はゼロ派生によって、be in the know(内情に通じている)という語句で名詞として機能するなど。

主にゼロ派生は初期近代英語期にシェークスピアらによって頻繁に使われ、18世紀の後期近代英語期に批判を浴びるが、その批判を潜り抜けて現代英語でも使われている。

Do you Google?(ググってる?)

のように。

この一つの単語に動詞も名詞もあるみたいなのって、単語を覚えようとしているときはやたら面倒だなぁと思うんですが、こうして経緯を知ってみるととても面白いなぁと思いますね。

・英語の拡大

1588年、スペインの絶対君主フェリペ二世は英国征服を企図して、当時世界最強と言われた無敵艦隊131隻、兵員約30000名を英国に派遣するが、アルマダの海戦において、フランシス・ドレークを実質的指揮官とする英国海軍の奇襲攻撃により壊滅させられる。これにより、制海権を握った英国はエリザベス一世女王の元世界へと乗り出していく。

このアルマダの海戦が英語が世界中に広がる契機となったターニングポイントの一つでした。この後、英国は破竹の勢いで世界に進出していきます。
1600年、東インド会社設立
1607年、アメリカ大陸への入植開始
1620年、ピルグリム・ファーザーズがアメリカ大陸到着
と18世紀に「日の沈まぬ帝国」として君臨するために世界中に拡大していったのが、この初期近代英語期でした。


2)後期近代英語(Late Modern English,18世紀初頭-19世紀末)

さらに世界中に英語が拡大していったのが、この後期近代英語期です。17世紀にアジア、アメリカへと足がかりを築いた英国は、その後も版図を拡大させていきます。

1763年、フランス植民地であったカナダを英国植民地とする
1768年、ジェームズ・クックによるニュージーランド、オーストラリア探検
1776年、アメリカ独立宣言
1795年、南アフリカのオランダ領ケープタウン占領
アメリカは独立したものの、そのアメリカも東部13州から西部へと版図を拡大。それにともなって英語圏も拡大していきます。

この時期に関して、同書ではあまり記述が無いのですが、当然産業革命に伴う技術力や生活の向上も英語の拡大に大きな影響があったでしょう。しかし、アメリカ独立によって、イギリス英語とアメリカ英語は徐々に異なった特徴を持ち始めていきます。

さらに、オーストラリアやインドなど新しく英語圏に加わった国々や、アメリカ黒人英語も独自の発達を遂げはじめた時期です。そしてこの頃にはほぼ文法的には現代と同じSVO式に固定され、人称代名詞や疑問文、否定文の構文も今とほぼ変わらない状態へとなりました。また、派生語、複合語などは廃れ、語形変化も消失していきます。

また、ウィリアム・ジョーンズがインド・ヨーロッパ系の言語の同一起源説を提唱し、ヤーコブ・グリムがグリムの法則(ゲルマン語と他の言語と音の対応の法則)を定式化し、ウェブスター英語辞典やオックスフォード英語辞典が発行されるなど英語研究が進んだのもこの時期です。

オックスフォード現代英英辞典 第7版
オックスフォード現代英英辞典 第7版
A S Hornby

3)現代英語(Present-day English,20世紀初頭-現代)

英米社会を反映し「科学技術関連語句」「環境問題関連語句」「差別関連語句」「性差・フェミニズム関連語句」が大きく増え、それらの影響が英語表現にも影響を及ぼしている。

・「科学技術関連の表現」

例えばインターネット上の英語ではFAQ(frequently asked question), FYI(for your information), AFAIK(as far as I know)など省略表現が頻繁に使われたり、

「英語の歴史」(P160)
また、文字入力の手間をできるだけ省くため、電子メールやチャットでは、ピリオド、コンマ、クエスチョン・マークなどを使わなかったり、大文字と小文字を区別せずに、

john are you going to london next week(=John,are you going to London next week?)

と書いたりする。
一方、ネット上では、音声言語が持つ強弱・抑揚を用いた感情的ニュアンスが伝わりにくいという側面がある。そのため、This is VERY inportant point.のように大文字を使ったり、This is v e r y inportant point.やThis is *very* inportant point.のように、スペースや星印を使って強調、強い感情を伝えることもある。

・「ポリティカルコレクトネス」

年齢による差別、障害者差別、人種差別などを表す英語表現や単語を婉曲的に言い換えることが進んでいる。例えば黒人をAfrican-American、アメリカンインディアンをNative Americanと呼ぶなどが代表的だが、一部の差別表現の言い換えには婉曲的過ぎて、元の表現より「冗長でぎこちない」といった、各国共通の問題があるようだ。

・「性差・フェミニズム」

1960年代からアメリカで始まったフェミニズム運動の一環で「言葉における性差別」の解消も対象となった。chairemanをchaireperson、stewardessをflight attendantと言い換えるなど女性を表わす接尾辞-essを回避するなどが代表的。ちょっと行き過ぎた例としては、聖書の書き換えもあるらしい。

「英語の歴史」(P181)
旧約聖書の「創世記」の中でも、最も有名な節である「神は御自分にかたどって人を創造された」(1章27節、新共同訳)は、かつてはSo God created man in his own image.となっていたが、最近の英訳聖書ではSo God created humankind in his own image.やGod created human begins in his own image.などと書き改められている。
一部の(急進的な)フェミニストたちは、さらに、神をfather,イエスをSon of Manなどに喩える「家父長的隠喩」を問題視している。

そこで、「差別的でない新約聖書」なども発行され、神に対して男性代名詞を用いることを避けた表現をしているものもあるとか。

英語圏の言語は確かに家父長的社会、階級社会の影響を強く受けているだけに、このような人種・性差別解消の動きは言語にも大きく及んでいきそうな様相であるようだ。

・英語圏の現状

また、2007年時点で、英語人口は全世界で約十五億人近くにのぼる。

母語としての英語」(English as a Native Language :ENL):約3億2000万人〜4億人
英国、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの人々。

「第二言語としての英語」(Englisg as a Second Language :ESL):3億5000万人
ナイジェリア、インド、シンガポール、南アフリカなど世界70カ国。

「外国語としての英語」(English as a Foreign Language :EFL):約7億5000万人
英語を母語や公用語としていないが学校教育で英語を取り入れている国。日本など。

別の調査で、インターネット人口の30.1%が英語、つづいて中国語14.7%、スペイン語9.0%、日本語6.9%というデータも掲載されている。今後はENL層は漸減し、ESL、EFL層が大幅に増えていくとともに、中国語が英語人口に対抗する勢力になっていくと見られている。


■英語の未来

冒頭、H・G・ウェルズの予言を紹介しましたが、果たしてこれから英語はどのようになっていくのでしょうか。

1991年、英国のチャールズ皇太子が、チェコスロバキア(当時)の英語教師向けに以下のようなスピーチを行いました。

「英語の歴史」(P191-192)
This kind of nightmare could possibily become a reality unless there is agreement that there are enduring standards,a common core of language,and common standard of grammar.

(共通の核となる確固とした標準英語や標準英文法が存在するのだという合意がなければ、悪夢は、ひょっとすると現実のものとなるかもしれない。)
(『ガーディアン』1991年5月9日)

この「悪夢」とは、十九世紀の言語学者ヘンリー・スウィートなど、英語学者の間でささやかれる予測の一つ、今後、イギリス英語、アメリカ英語、オーストラリア英語、あるいは諸国の英語が独自の道を歩んでいくことで、英語同士の意思疎通が出来なくなるのではないか?という危惧です。

チャールズ皇太子のスピーチなだけに、この「標準英語」とはイギリス英語を想定していて、アメリカ英語の伸張への危惧でもあるのでしょうが、今後ますますESL、EFL層が増えていくことが想定されているだけに、英語全体としても今はまだ大丈夫だけど、ありえない未来ではないと言えるかもしれません。

高みを目指したが故に共通の言葉を奪われるのではなく、広がり続けるが故に共通の言葉を失う未来を恐れているというのは皮肉だなぁ、と思わずにはいられませんね。

「英語の歴史」(P199)
将来、イギリス英語やアメリカ英語の話者も、ESLやEFLの影響を受けた国際英語と母語である英語変種の2つを場面に応じて使い分ける必要がでてくるかもしれない。その時、はじめて英語は、一部のENL話者の手を離れ、真の意味で国際化したといえるかもしれない。

この本の結びは、これまでの英語の歴史を存分に記されているだけにかなりの説得力を持っているなぁと思います。

で、日本語なんですが、柔軟性や創造性、語順を気にしない特徴が古英語期〜中英語期の英語とそっくりな気がするんですけどね。1000年前の英語のように、どんどん外来語を取り込んで逆に日本語化してしまうぐらいの、比類ないタフさだと思います。そのタフさが英語を学ぶ上で障害になっているのかもしれませんが、「固定化された日本語」より、語順など気にせず派生語や複合語を自由に作れる日本語の方が魅力的なんじゃないですかね。英語の歴史はそう語っているように感じました。


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追記
古英語、中英語については一部表記できない文字を現在のアルファベットに置き換えて表記しています。
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愛宕神社〜最高のエピソードに彩られた東京で最も低い山

愛宕神社

愛宕神社は元々、京都の愛宕山周辺で始まった火防の神への信仰の一つ愛宕信仰の広まりによって全国に作られた神社の一つだが、この東京港区の愛宕神社は慶長八年(一六〇三)に徳川家康によって創建された神社である。この神社がある愛宕山は自然に出来た山としては東京23区最高峰(25.7m)だが、東京都で最も低い山でもある。

江戸に幕府を開いた直後に徳川家康自らによって創建という歴史から見ても、江戸城と増上寺の間の、東海道沿いにある小高く盛り上がった地形という位置的に考えてみても、純粋な信仰というよりは、愛宕神社ホームページを見ても、「愛宕山は主要街道の中心にあり、江戸城も近いこともあわせて、隠し砦としての役割もあったのでは?と推測されてもいます。」とある通り戦略的な意味合いがとても強かったのだろうと思われますね。

男坂(出世の階段)
愛宕神社出世の石段
すごい急な階段。東京の階段を網羅した名著「東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方」によると、高低差20メートル、86段、傾斜角度37度で都内有数の階段の一つ。一歩一歩を少し早足で、上も下も見ずに目の前の石段だけを見つめて登るわけです。そうすることで味わう微妙な高揚感みたいなトキメキにも似たドキドキ感を味わったのは久しぶり。

この階段についてやはり「東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方」の記述が実に美しい。

東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方
東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方
松本 泰生

東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方」(P157)
愛宕男坂はこの丘を東側から86段で一気に上る、急峻でかつ堂々とした階段である。途中に踊り場がなく垂直方向への直進性が強調され、そびえ立つように立ち上がる階段の姿には威圧感があり、実際以上の高さ感を見る者に与え、神聖な空間への階(きざはし)となっている。傾斜は37度で、一段一段も大きい。規模と傾斜の両者を考えると、東京の数ある階段の中でも一、二を争う名階段である。

男坂を上から見下ろす。
愛宕神社出世の石段下り
近くにいた若いカップルの女性の方が率先して降りようとして、それを上から危ないよ!とたじろぐ男性という様子が見られて面白かった。

愛宕神社正面の階段は男坂、通称出世の階段とも言われているが、その由来は江戸初期寛永十一年(一六三四)のエピソードによる。

愛宕神社の名所
江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。
折しも春、愛宕山には源平の梅が咲き誇っておりました。
家光公は、その梅を目にされ、
「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」
と命ぜられました。
しかし、この愛宕山の石段はとても急勾配です。まあ、一度いらしゃってみて下さい。歩いてのぼり降りをするのだに、ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。
下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落とします。せっかく江戸の平和の世に、こんなことで命を落としてはたまりません。
家臣たちは、みな一様に下を向いております。
家光公は、みるみる機嫌が悪くなってきます。
もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。
家光公。その者の顔に見覚えがありません。
「あの者は誰だ」
近習の臣に知る者はありません。
「おそれながら」
「おう」
「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」
平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられております。
この故事にちなみ、愛宕神社正面の坂(男坂)を「出世の石段」と呼び、毎日多くの方が、この男坂の出世の石段を登って神社にお参りにみえております。

講談では「寛永三馬術」として人気となったエピソードなのだそう。この、曲垣平九郎の他、明治15年・石川清馬、大正14年・岩木利夫、昭和57年・渡辺隆馬の三人が馬での上り下りに成功している。

石川清馬は仙台藩重臣の馬術指南役を勤め、この階段を上り下りしたことで、徳川慶喜に葵の御門の使用を許されたと言う。(参考→「「四戸三平 - じぇんごたれ」遠野徒然草」)また、渡辺隆馬はスタントマンで当時テレビ中継がされたという。

そして、曲垣平九郎と並んで岩木利夫のエピソードがまた印象的。

趣味 息のむ86段の急傾斜
「わたしが松岡宮司から聞いた話では、大正14年11月8日、陸軍参謀本部の馬丁だった岩木利夫という人が、当時自分がかわいがっていた『平形』という馬が払い下げになるのを知って、『この馬の真価を天下に知らせたい』と石段上りを行ったというのです」

 俵さんはその時の様子を臨場感たっぷりに続ける。「岩木さんは愛馬に両ムチを入れ一気に上り詰めました。上る際、蹄 (てい) 鉄から火花が散っていたそうです。結局、騎馬での上り下りに成功したのですが、馬の脚やお尻は血だらけになっていたそうです」。ラジオ放送を始めたばかりの東京放送局 (JOAK、後のNHK) の局員もその様子を見ていたようで、臨時ニュースとして流したため、石段下は大騒ぎになったようだ。この時の放送が初の生中継ともいわれている。

払い下げ、つまり殺されることになり、最後の花道としてこの階段を登ったのだそう。登りは一気に駆け上り、下りは40分以上かかったとか。その後の「平形」と岩木利夫がどうなったのかはわかりませんが、思わず目頭が熱くなるエピソードです。

そして、この階段を登ると境内に到達。そこは一転別世界です。

愛宕神社本殿
愛宕神社本殿

愛宕神社の池
愛宕神社の池

池の鯉
愛宕神社の鯉

池の鯉
愛宕神社の鯉

まさか、池があるとは思わんかった。多くの鯉が泳ぐ池と、樹木に囲まれ実に心地よいです。そしてこの境内からの見晴らしがまた素晴らしかったそう。

写真家フィリックス・ベアトが撮影した1865年〜66年ごろの愛宕山から見た江戸の町(クリックで拡大)

愛宕山からの江戸


明治元年3月13日、勝海舟と西郷隆盛は愛宕山で会談し、山上からの眺めを見ながらどちらからともなくこう言ったと伝えられている。
「この江戸の町を戦火で焼失させてしまうのはしのびない」

その後、三田の薩摩屋敷で江戸城の無血開城の調印が行われたという。

また、江戸時代の終わりだけでなく、終わりの始まりもまたここからでした。万延元年3月3日、18人の水戸浪士たちはここに集結したのち、愛宕神社に参詣。雪の降る中を江戸城桜田門へと向かい、大老井伊直弼を襲撃したと伝えられています。

様々な歴史に彩られた、江戸東京400年の歴史を代表する神社の一つです。


愛宕神社
銀座線虎ノ門駅徒歩10分
地下鉄都営三田線御成門駅徒歩10分
地下鉄日比谷線神谷町駅徒歩10分
JR各線地下鉄線新橋駅徒歩15分

参考サイト
@nifty:デイリーポータルZ:東京都の最低峰登山めぐり
愛宕山 (港区) - Wikipedia
愛宕神社ホームページ
趣味 息のむ86段の急傾斜
「四戸三平 - じぇんごたれ」遠野徒然草
桜田門外の変 - Wikipedia

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象徴としての9.11

今朝見た夢。

頭から白いタオル被って電車に乗っていると、今日はタオルは危ないですよ。と言われる。へ?と思って聞き返すと、「知らないんですか?今日は世界の五つの都市に原爆が落ちたのでタオルに放射能が着きますよ。」ということだった。「知っていたらタオル被らなかったのに。」と思い、タオルを捨て電車から早く降りなければ、と思った・・・

目が覚めてなんじゃこりゃ?と思ってよく考えたら、今日は9月11日だった。特に意識していたわけではないのだけれど、日付から記憶が呼び覚まされて形を変えて夢の中のイメージとして出てきたっぽい。

犠牲者が多く出たことはとても痛ましいけれど、歴史的に見るとおそらくそれほど重要な事件では無くて。それ以前からあった流れの一環だなと思う。しかし、心理的映像的インパクトはとても大きかった。好むと好まざるとに関わらず、あの事件は人の記憶に強く刷り込まれてるのかもな。そしてある種の象徴としての効果が生まれているのかもしれない。これからも象徴としての9.11に付き合わなければならないのだろうか、と思うとちょっと気が重い。やだな。


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英文法の復習三日目、他動詞と自動詞など

英文法の復習三日目。

英文法のトリセツ?英語負け組を救う丁寧な取扱説明書 じっくり基礎編
英文法のトリセツ?英語負け組を救う丁寧な取扱説明書 じっくり基礎編

STEP3 「動詞が英文法のカタチを決める!(一般動詞編)」

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1. We play tennis.
2. I listen to music.

1. ぼくたち は テニス を する。
2. ぼく   は 音楽  を 聴く。

日本語だとどちらも「(代)名詞 は 名詞 を 動詞」で同じ構造なのに、英語だと違う。

英語の場合、動詞から後ろのカタチは「どのような動詞を使ったのか」によって決まる。

英語の一般動詞には、後ろにいきなり名詞を続けて良いタイプ(他動詞)と、名詞を続けるのに前置詞が必要なタイプ(自動詞)の二通りがある。

☆要注意自動詞(前置詞と一緒に使うのが普通の動詞)
arrive at/in〜(〜に到着する)
belong to〜(〜に所属する)
come to〜(〜に来る)
depend on〜(〜に頼る)
go to〜(〜へ行く)
listen to〜(〜を聞く)
live in〜(〜に住んでいる)
look at〜(〜を見る)
wait for〜(〜を待つ)

☆要注意他動詞(直後に必ず名詞を続けなければいけない動詞)
enjoy〜(〜を楽しむ)
discuss〜(〜を論じる)
reject〜(〜を拒絶する)

「自動詞と他動詞を簡単に見極める基準」
☆自動詞(前置詞が必要)
主に「主語が〜する」というだけで動作が完結する動詞。「〜を」という名詞が無くても意味が中途半端にならない動詞
☆他動詞(前置詞が不要)
主に「ほかのものをどうこうする」といった意味の動詞

------------------------------

何故日本語だと同じ構造なのに、英語だと違うのか?という疑問提起で、他動詞と自動詞がある、という結論だったのだけど、どういう経緯で他動詞と自動詞が生まれたのだろう?とふと思ったのでちょっとググってみました。

自動詞と他動詞の成立過程 -OKWave

赤ちゃんが自分の存在を感じるとき、自分の行動を指していうことはあり得ます。「うんちしたい。」というように。。。つまり、自分の状況(状態)を述べるとき、自動詞的動詞を使うわけです。たとえば、「live, go, come, walk, ...」などの動詞は「相手のことを考えず、ひたすらに自分の状況を述べる」ものであることがわかるはずです。

 赤ちゃんの意識が発展して、自分以外の「自分」がいることを理解したとき、「自分・他人」という「二元論」が発生すると思われます。ちょうど、「神・悪魔」、「天国・地獄」、「白・黒」といった「対立関係」がうんざりするほど、英語の世界に見られることからもわかると思います。

実際どうだったのかという歴史的事実は別にして、とても興味深い内容。

また、自動詞が先、他動詞が後という訳ではなく古くからどちらもあり、その後に違いに応じて格の変化があったものが置き換わっていったらしい。

自動詞と他動詞の成立過程 -OKWave
さて、英語だけに話を限れば最も古い文献では「主格・属格・与格・対格(・具格:これは一部の代名詞に見られる)」の4〜5の格が認められます。
今日「目的語」とされる位置には動詞の意味用法により「属格・与格・対格」の3つのどれかが来ていたのですが、ここでドイツ語のように「対格をとるものだけを他動詞」と考えるなら現代語では目的語を持つものを全て他動詞とするので他動詞が増えたことになります。
また、格の消失によりあいまいになった意味を補強するため前置詞の使用が増えてきました。こうなると動詞+前置詞が増えたことになります。

なるほどなるほど。こういう背景を知っているかどうかで理解が違うよなぁ。ちょっと分かってきた。


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1972年生まれが挙げる70年代のオススメ洋楽10曲

本日のYouTube - 昭和50年代生まれが挙げる昭和のオススメ10曲 - タケルンバ卿日記
平成生まれにも「これだけは聞いとけ」とオススメ出来る昭和の名曲 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww
ここに挙げてる動画を見るだけでもお腹一杯だが、せっかくなのでいくつか付け足してみる。主にこれまでうちで紹介してきた曲を中心に。挙げればキリがないので、10曲だけ。

真似して70年代の洋楽で。あんまり詳しく聴きこんでいる訳ではないので、詳しい人にはイマイチなセレクションだと思うけど、懐かしの10曲を挙げるとするとこんな感じ。

Europa played by SANTANA - 1976


ギターが泣いているっていう表現はおっさんだけの特権。サンタナはメキシコに吹く熱風。柱の男です。違います。

ヴェリー・ベスト・オブ・サンタナ
ヴェリー・ベスト・オブ・サンタナ
サンタナ

Venus Shocking blue Mariska Veres USA


69年発売らしいけど大ヒットは70年。この曲をカヴァーしたアイドルはいまや演歌界をしょって立つ感じになりました。ショッキングブルーは確かに一発屋だと思うけど、この一発は会心の一撃と言って良い一発。Youtubeの再生回数193200回らしいけどそのうち200回ぐらいは僕ですね(笑)マリスカはほんの数年前に亡くなってたなぁ。

ヴィーナス〜ザ・ベスト・オブ・ショッキング・ブルー
ヴィーナス〜ザ・ベスト・オブ・ショッキング・ブルー
ショッキング・ブルー

I will survive - Gloria Gaynor


何度となくカヴァーされることになる70年代の名曲の一つですね。この曲を知ったのはマイケル・ウィンターボトム監督のバタフライ・キスという映画だった。その後も例えばマン・オン・ザ・ムーンやノッキン・オン・ヘヴンズ・ドアなど次々と近年の映画で使われててその都度グッと来てた。

恋のサヴァイヴァル〜ベスト・ヒッツ
恋のサヴァイヴァル〜ベスト・ヒッツ
グロリア・ゲイナー

ABBA-S.O.S.


ダンシングクイーンより、こっちの方が好き。痛切で。

アバ・ゴールド〈スペシャル・エディション・ベスト・オブ〉
アバ・ゴールド〈スペシャル・エディション・ベスト・オブ〉
アバ

The Eagles - Hotel California


ベタだと言われてもこれが好き。だっておっさんだもん。この曲だったら何万回でも聴き飽きない。おっさんだから。

ホテル・カリフォルニア
ホテル・カリフォルニア
イーグルス

Queen - Bohemian Rhapsody


顔こわい。クイーンは70〜90年代まで長く全盛期続いていたけど、70年代はこれが代表曲かなぁ。個人的にはフレディ・マーキュリー最後の曲、Show Must Go Onの鬼気迫る感じがすごいと思う。

オペラ座の夜(紙ジャケット仕様)
オペラ座の夜(紙ジャケット仕様)
クイーン

Gilbert O'Sullivan - Alone Again


80年代仙道敦子のドラマの主題歌で使われていて知ったのだけど、それ以外の情報をさっぱり失念している。なんだったかなー。

アローン・アゲイン〜ギルバート・オサリバン・スーパー・ベスト
アローン・アゲイン〜ギルバート・オサリバン・スーパー・ベスト
ギルバート・オサリバン

Bee Gees - Stayin' Alive (Full Version)


70年代と言えば。ディスコでしょう。サタデーナイトフィーバーでしょう。みたいな。このハイトーンボイスたまんない。

サタデー・ナイト・フィーバー
サタデー・ナイト・フィーバー
デヴィッド・シャイアー,M.F.S.B.,ウォルター・マーフィー,ラルフ・マクドナルド

September - Earth, Wind & Fire


突き抜けた能天気さがすごく切なく感じるのは僕だけかなー。あまりにキラキラしていてそれが凄く郷愁を誘われる。

ベリー・ベスト・オブ・EW&F
ベリー・ベスト・オブ・EW&F
アース・ウインド&ファイアー

Kool and the Gang - Celebrate (1980)


ギリギリ80年の曲だけど、こうして祝福され70年代は終わった。

The Very Best of Kool & the Gang
The Very Best of Kool & the Gang
Kool & the Gang

まぁ、後半ファンクに偏ったり、結構ロック系は全部すっ飛ばしているんだけど、個人的にはこの10曲が懐かしくて好きです。すごく。

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参考にしたいブログ「経営学ド素人がドラッカーに挑戦してみる」

経営学ド素人がドラッカーに挑戦してみる

経営学者ピーター・F・ドラッカーの本を読み込んで記事にまとめていくブログ「経営学ド素人がドラッカーに挑戦してみる」がとても面白いです。僕もかねがねドラッカーを読みたいと思っていたのでとても参考になります。

根拠一切なしの難易度ランク - 経営学ド素人がドラッカーに挑戦してみる
【Easyランク】

はじめて読むドラッカーシリーズ4部作

ドラッカー入門★(理解というより全体俯瞰のために)

ネクスト・ソサエティ

こちらの記事を参考に「はじめて読むドラッカーシリーズ4部作」の「プロフェッショナルの条件」を読み始めましたが、これって過去の様々な著作から論文を集めてきて作られた一冊なんですね。編訳者の上田惇生氏があとがきで書いていますが、「次に何を読むかのヒント」になり「ドラッカーが見、予告し、生み出してきたものの精髄を理解するうえで必要な著作、章、文節を精選し」たのが「はじめて読むドラッカーシリーズ4部作」なのだそう。

プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))
プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))
P・F. ドラッカー,Peter F. Drucker,上田 惇生

そういうことを知って今後ドラッカーを読む前段階で、どういう感じなのかニュアンスをつかむことと、ドラッカーを読む上で基本的に抑えておかないといけない知識は何か、という視点で読むようにすると良さそうだなと思いました。

ということで、今パート1「いま世界に何が起こっているか」の第一章「ポスト資本主義社会への転換」までをさーっと目を通したところです。この章は「ポスト資本主義社会――二一世紀の組織と人間はどう変わるか」の序章と第一章からの抜粋とのこと。色々わからないことがいっぱいだなぁ。ということで後々、読みながら何か書こうと思います。

はじめて読むドラッカー4部作
プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))
プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))
P・F. ドラッカー,Peter F. Drucker,上田 惇生

チェンジ・リーダーの条件―みずから変化をつくりだせ! (はじめて読むドラッカー (マネジメント編))
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P・F. ドラッカー,Peter F. Drucker,上田 惇生

イノベーターの条件―社会の絆をいかに創造するか (はじめて読むドラッカー (社会編))
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P.F. ドラッカー

テクノロジストの条件 (はじめて読むドラッカー (技術編))
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小学生女子「シュチニクリンだよねー」

先日電車の中で近くにいた小学生女子二人(10歳ぐらい)の会話。
A「青木アナ(おそらくTBS青木裕子アナウンサー)、また浮気したんだって〜」
B「えー、もうシュチニクリンだよねー」
A「だよねー」

もうね、その使い方違うだろと、もっと適切な言い方があるんじゃないかと猛烈にツッコミいれたかったけど、人生棒に振りたくなかったので賢明にも自制した(笑)でも、なんだか考えているうちに正しいような気もしてきてよくわからなくなったんだけど、やっぱりおかしいっぽい?

酒池肉林(しゅちにくりん) - 語源由来辞典
酒池肉林は、『史記(殷本紀)』の「以酒為池、懸肉為林(酒を以て池となし、肉を懸けて林となす)」からできた四字熟語。
この故事は、殷の紂王(ちゆうおう)という暴君が催した宴のことで、大量の酒で池を作り、肉の塊を吊るして林にした豪奢な遊び形容したものである。
美女に囲まれた酒席を「酒池肉林」と言うことも多いが、この四字熟語には酒と肴(肉)が贅沢に並んだ宴の意味しかないため誤用である。
このような意味が「酒池肉林」に含まれるようになったのは、「肉を懸けて林となす」の後に「男女を裸にして、その間(池や林のこと)を追いかけっこさせたりしながら、幾日も酒宴をした」という意味の話が続くことからの連想とも思えるが、後続部分を知っているならば「酒池肉林」が指す部分や意味が理解できるはずなので、単に「肉」という字の印象によるものと思われる

いやー、やっぱりこれは男目線で使う言葉だよなー。無理して酒池肉林とか使わなくとも素直にヤラシイよねーぐらいでいいんだよなー。

と、こういう内容をわざわざ書き上げた自分を振り返って、おっさんになったな・・・としみじみ思う36歳の夏。


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せいぜい頑張ってください

「せいぜい頑張って」 五輪代表を首相流?激励(産経新聞) - Yahoo!ニュース
 ただ、「まあ、頑張ってください。せいぜい頑張ってください」とか「私はね、日本国民のためにメダルをいくつ取ってくれなきゃ困るなんてこと言いません。余計なプレッシャーかけちゃいけないと思って自制しているんです」などと、しばらく鳴りを潜めていた軽口を連発させた。とどめは「今年は、みんな旅行にも行かないで、家でテレビの前で一生懸命見ようということのようだ。ガソリンが高いせいもちょっとあるんだけどね」。
Yahoo!辞書 - せい‐ぜい【精精】
1 能力の及ぶかぎり努力するさま。できるだけ。精いっぱい。「―おまけします」「―養生して下さい」「病み上がりで、近所を散歩するのが―だ」

2 できるだけ多く見積もってもその程度であるさま。たかだか。「遅くても―二、三日で届くだろう」「高くても―一万円だろう」

[名]能力の及ぶ限界。力のかぎり。

辞書的には上記のように、精いっぱい、という意味があるので間違っていないのだけど、この様にネガティヴな使われ方をする場合が多い言葉を使ってしまう点を、まぁ、ご本人のキャラもあるんでしょうが、首相は"せいぜい"心配りした方がよさそうですねぇ。

貴様とか適当とか、そもそもは良い意味で使われていたものが、ネガティヴな意味で使われるようになると、途端にもとの意味での用法では使われなくなりますね。やはりコミュニケーション上良い意味を伝える際は誤解を生まないような配慮が働いて、ネガティヴな意味を内包する語は敬遠されるようになるからかなぁ。ネガティヴな意味に転じる過程って興味深いですね。

語句の持つ意味の変化に対する敏感さって大事なんですよねぇ、と再確認したニュースでした。

あと、「せいぜい(精々)の用法には地域差があるらしいですが、このあたり追求してみると変化の過程が知れて面白いのかもしれません。
せいぜいお使いください。‥‥「せいぜい」の意味に地域差かあるのですか? - Yahoo!知恵袋


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「これでいいのだ」思想が日本社会を覆う日

赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文(産経新聞) - Yahoo!ニュース

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

この、タモリが描写した「これでいいのだ」思想は形を変えて近未来に復活し浸透していくであろう感覚なのだと思うのだけど、その現代的「これでいいのだ」がどのような形で芽生え、受け入れられていくだろうか、というのをぼんやりと考えていた。

現代社会はインターネットの発展もあって情報が指数関数的に増大し、まさに未来志向の時代だと言える。それは今を担保にしてよりよい未来を得ようとする時代だ。

いい大学に行こうと思って一生懸命勉強し、その大学に行けば行ったで、そこでまた一生懸命やって、いい会社に行こうとする。こうして向こうに向こうにと目的を投げかけて、それの達成のために努力するというような生き方」であり「こうした生き方は、いってみれば、現在を未来の手段に化する生き方」だと竹内整一は「はかなさと日本人」で言う。時代の空気というものがあって、今はそれが加速している時代なのだけど、その陰で加速すればするほどその「現在を未来の手段に化する」スピードに乗り遅れる人が多く出て行くと思う。

近代資本主義の業として、それは加速し続けるが、それについていけない人々が多くなってきたときに、多分「これでいいのだ」と現在を肯定しようとする人生観が再登場すると思う。そして、その土壌が、整いつつあるように思うなぁ。そして、それはあらたな死生観の誕生とセットなんじゃないだろうか。

現在を担保にしてよりよい未来を望む傾向が老いや死を恐れ、アンチエイジングや、新宗教、スピリチュアリズムなどにすがる人々を多く生み出しているのだけど、それはそろそろ疲労しつつあると思う。そして、新たな死生観とともに「これでいいのだ」という現状肯定の言葉に共感を抱く人々を多く生み出していくんじゃないだろうか。

そして、その死生観は吉田兼好と近しいものになるようにおもう。

徒然草 第百五十五段
春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、待ちとる序甚だ速し。生・老・病・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。

 春が終わると夏がやって来て、夏が終わると秋がやって来るのではない。春は早くから夏の空気を作り出し、夏の中には秋の空気が混ざっている。秋はだんだん寒くなり、十月は小春というように暖かく、草も青み出して、梅の花が蕾みだしたりもする。木の葉っぱが落ちるのも、落ちてから目が生えるのではなくて、地面から芽生える力に押し出され、耐えられなくなるから落ちるのである。新しい力が地面で待っているのだから、変化するスピードはとても速い。生きている間、年老いて病気になって死んでしまうまでの移り変わりは、このスピードよりも速いのである。季節の移り変わりは、それでも決まった順序がある。死んでしまう瞬間は順序を待ってくれないのだ。死んでしまうということは、未来からやって来るものではない。後ろから追いかけてくるものなのだ。人は誰でも死がやって来ることを知っていながらも、それほどまで切迫して待っていないときに、忘れた頃に死がやって来るのである。海辺の乾いている部分が遙か遠くにあったとしても、海から潮が満ちてしまうのと同じ事なのだ。

なぜなら、現在を肯定する思想は日本において吉田兼好に始まるからだ。(追記:徒然草は現在を肯定する思想の代表的な一つではあるけど、兼好に始まるというのは間違いですね。ご指摘いただいた方々、ありがとうございました。)一方において西方浄土を求め、現在から逃れようとした流れがあり、他方において一期は夢よ、ただ狂えと現在にのめり込んだ流れがあり、そしてその二つの思想と距離を保ち、兼好は今を「ありがたき不思議」として肯定した。おそらく現在から未来へ逃れようとする時代のカウンターとして、現在の肯定という思想が多くの人を覆う時代が来るのではないかと思う。

そして、2010年、一本の映画が公開される。おそらく日本人の多くの人が観るであろう映画だ。その映画の主人公は、映画の中でおそらくこう独白するだろう。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)」(P54)
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

何かが、変わる、と思う。歴史の変化は、時代に充満した様々な要因が絡み合いつつ変化を及ぼすのだけど、そのとき、ほんの小さな取るに足りないとも思われたことが、巨大な変化を及ぼす撃鉄の役割をすることがある。赤塚の死、タモリの弔辞、ノルウェイの森が、もしかしたら、ここまで充満した前のめりの生き方を貫く社会を大きく変えることになるかもしれない。しかし、その変化が歓迎すべきものになるのか、どうか、それは誰にもわからない。ただ、僕はそれを歓迎したい、と思う。


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「ピーマン白書」をもう一度

人気ドラマルーキーズの後を受けた恋空が視聴率的に壮絶なズッコケ方したらしくニュースになってましたね。

ドラマ視聴率:「恋空」初回視聴率は5.6% 人気ケータイ小説もドラマでは不発? - 毎日jp(毎日新聞)
2日放送された新ドラマ「恋空」(TBS系、午後8時〜)の視聴率は5.6%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だったことが分かった。原作はベストセラーになったケータイ小説で映画もヒットしたが、テレビ版では厳しいスタートとなった。

初回5.6%なんて数字始めて見たよ。2000年以降のドラマ低視聴率ランキング1位「メッセージ〜言葉が裏切っていく〜」でも初回6.2%、平均4.4%らしいし、これは歴史を作りそうな勢いだなぁ。僕もルーキーズは見てたけど、こっちは全く見る気がないもんなぁ。

で、2chで見かけたんですが、むかしむかし平均2%代のドラマがあったとか。wikipedia見たら内容が凄くてブログのネタにせずにはいられない勢いが感じられます。

ピーマン白書 - Wikipedia
校長先生から「おまえたち、小学校からやり直せ。」と言われた杉並八中3年3組の生徒25人が、自分たちを受け入れてくれる小学校を求めて旅に出て、旅先でのさまざまな葛藤や人々との出会いを描いた学園コメディ。彼らの味方は同伴する担任教師とラジオDJのふとがね金太(本人出演)のみ。旅の様子はラジオ番組の杉並八中3年3組コーナーを通じて、杉並八中に残った生徒や教師たちに伝えられる。

最終回では校長や教頭らが、出ていった生徒たちの意見を容れて、進学一辺倒の教育を改めようと決意する。ところが学校に残った生徒たちが「私たちの進学に影響が出る。これまで通りの授業を続けてほしい」と反発。「それでは君たちの友達が戻ってこないよ」と絶句する教師たちに、残留生徒グループは「私たちに任せて下さい。必ず彼らを連れて帰ります」と自信たっぷりに答えるのだった。

残留生徒たちはラジオ番組を聞いて先回りし、25人の脱走生徒グループの前に現れる。「あなたたちのことが心配で夜も眠れない。お願いだから、私たちのところへ帰ってきて!」。涙ながらの説得(もちろんカリキュラムを変更されたくない残留生徒たちの演技)に、脱走生徒たちの心は揺れる。「どこも受け入れてくれる小学校はないし…戻ろうか」。ついに25人は帰還を決意し、旅は終わる。

脱走生徒からの電話で旅が終わったことを知ったふとがね金太は、「あのコーナーは人気があったのになぁ」と頭を抱える。が、すぐにアイデアがひらめいた。「そうだ!あいつらがまだ旅をしていることにすればいいんだ!」。誰もいない深夜の教室に雪が降る。雪はしんしんと降り、机や椅子に積もっていく。そこに、ふとがね金太のDJが流れる。「みんな、まだあいつらは日本中をさまよってるんだ。助けてやってくれ、応援してくれ…」。
放送時間は土曜日の夜8時。裏番組には「8時だョ!全員集合」(TBSテレビ)が第二のピーク期ということもあり、人気が振るわず、しかも2%台という超低視聴率を記録。1か月で打ち切りが決まり、特番で2回飛ばされた上第5話までの後に最終話(第9話)を放送して終了。(なお、第6話から8話は、後日に深夜枠で放送された)これがフジテレビのドラマで歴代最下位とまで言われている。終了後の3週間は特番でつないだ。

しかし、このために後世マニアに目を向けられるような作品となり、「これでは駄目だ」とフジのこの時間帯を立ちなおさせるきっかけとなり、翌年の1981年にスタートした「オレたちひょうきん族」によって起死回生できたとも語り継がれている。2008年現在、再放送・DVDソフト化されておらず、ある意味カルトな作品。

脚本も、学園ドラマとしては極めて異色だった。「敵」だった校長や教頭たちは最終回で主人公たちの考えに理解を示すが、「味方」のはずの残留生徒に裏切られて学園改革は実現寸前にお蔵入り。しかも、同級生の策略にまんまとはめられて旅が挫折に終わるという残酷な結末。ラストシーンのラジオ放送で、主人公たちは味方だと思っていたDJの裏切りに気づいたはずだが、その時に彼らがどう反応したのかは一切描かれていない。「友情」「純情」「誠実」を描く、それまでの学園ドラマのセオリーを、ことごとく覆そうとした強い意欲が感じられる。

このとおり内容もすごいがキャストもすごい。

* 幸田教頭 - 岸田森
* 校長先生 - 中条静夫
* PTA会長 - ハナ肇
* 生活指導 - 今井健二
* 夏目三太郎 - 坂井裕一
* マドンナ - 樋口可南子
* ラジオDJ - ふとがね金太
* 生物X (着ぐるみのモンスター)- (声:吉田日出子。オープニングナレーター兼任)
* 生徒役
o 比企理恵
o 冨永みーな
o 高橋克典
o 生田智子
o 早瀬優香子
o 柿崎澄子
o 山添三千代
o 遠藤智義
o 戸川純

高橋克典ってこの頃から出てたのかー。もうちょっと後だと思ってたけど・・・苦労したんだねぇ。っつーか今でも残ってる人ばっかりだなぁ。カツオくん・・・。

70年代〜80年代初頭って、テレビドラマにしろ、映画にしろこういう突き抜けた意欲作多いよなー。壮絶にこけたみたいだけど、かなり面白そうな気がします。当時テレビっ子だったんだけど、どうやら我が家ではおばあちゃんの意向で裏番組の「暴れん坊将軍」を観ていたようだ・・・内容読む限りこっちの方がよっぽど暴れん坊・・・今観られないのが残念。超観たいな〜。


参考サイト
『ピーマン白書』を観た(@ライズX) - 嗚呼、テレ日トシネマ−雑記−
ピーマン白書 - Wikipedia
● ピーマン白書!(CX/1980) 幻の2%ドラマ ●

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熱中時代 DVD-BOX
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水谷豊

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林隆三

宇宙空母ギャラクティカ DVDコンプリートBOX
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池中玄太80キロDVD-BOX I
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西田敏行


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企業が面接で応募者に求めるコミュニケーション能力

没落エリートの出現―ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たちー - 女。京大生の日記。
女。京大生からはそうみえているのか - 雑種路線でいこう

まぁ、思いつきですけど、日常業務で必要なコミュニケーション能力って、通常の日常会話レベルの話なのに、企業が面接時に求めるコミュニケーション能力だけ高度化してる気がする。企業も求めるコミュニケーション能力というものの定義がちゃんと出来てないのだろうなーとは思う。

例えば

新規事業が失敗し、既存事業も伸び悩み下方修正に下方修正を重ねた挙句決算はさらに下回って大赤字、株価爆下げ、株主大激怒、総会は予想通りキレた株主の波状攻撃が待ち受けていて、しかも想定問答のカンペをこっそり写すパソコン故障の中で、次々と適切に答えながら、最終的には満場一致の大拍手に持っていく社長

ぐらいのコミュニケーション能力が面接時に求められてますよね。必要ねーよ。みたいな。ネタです。ごめん。ちょっと例が極端すぎ。

参考までに以前書いたコミュニケーションに関するソーシャルスキルの定義から

Kousyoublog | コミュニケーション上で大事なソーシャルスキル(磯部 潮著「発達障害かもしれない 見た目は普通の、ちょっと変わった子 (光文社新書)」より編集引用)

【A 非言語的ソーシャルスキル】
1)挨拶:社会的な場の雰囲気を読み、それにふさわしい行動をとる。
2)強化行動:相手の気持ちを察して、相手をよい気持ちにさせる。
3)相互的行動:友達に親愛の気持ちを行為で表す。
4)協力行動:遊びや仕事で協力する。
5)非言語的キュー:視線や身振りで気持ちを伝える。
6)歩調を合わせる:他人と歩調を合わせ、せかしたり無理強いをしたりしない。
7)社会的フィードバックへの感受性:社会的な相互作用の後、どのようにふるまうかを知っている。
8)他人の行動への理解:相手の行動の意味や意図を理解できる。
9)自分の影響力の認知:自分が他人からどのように思われているか、また自分の存在がどのような影響を与えるかを知っている。
10)他人との争いの解決:攻撃的にならずに、他人との争いごとを解決することができる。
11)場の支配:その場を強く仕切らずに、仲間と関係を持つことができる。
12)社会的回復力:人間関係で失敗しても、回復することができる。
13)自分の売り込み能力:仲間に受け入れられるように自分のイメージを作り上げることができる。
【B 言語的ソーシャルスキル】
1)自分の気持ちを伝える能力:自分の気持ちを誤解されずに正しく伝えることができる。
2)他人の感情を読む能力:他人の気持ちを、他人の言葉から読み取ることができる。
3)仲間言葉の理解:仲間同士の特別な言葉遣いをうまく行うことができる。
4)話題の選択と持続:いつ、どのような話題を、どのくらい続ければよいのかを知っている。
5)ユーモアの使用:適切なユーモアを会話にこめることができる。
6)話し方の切り替え:聞き手の種類によって話し方の切り替えができる。
7)他人の期待の感知:相手が何を知り、何を期待しているのかを知っている。
8)上手な依頼:相手を傷つけないように依頼ができる。
9)誤解の解消:言葉による誤解を解くことができる。
10)感情調和:相手の気分をよくするような話し方をすることができる。

また、企業が求めるコミュニケーション能力について

コミュニケーション能力 - Wikipedia
企業が求人広告等で応募者に要求している「コミュニケーション能力」は、ビジネスシーンにおいて発揮が期待される精選された「折衝能力」「交渉能力」「説得能力」を指しており、必ずしも対人コミュニケーション一般を円滑におこなうスキルをもって満足するものではない。

たぶん企業ごとにその定義や考え方は大きく違うし、企業自体漠然と求めているだけだったりすることもあると思うので、コミュニケーションが強く求められているのだけど、企業が求めるコミュニケーション能力を面接で発揮できるかは、面接してみるまで分からないということになるんじゃないかなぁ。つまり面接はほとんどマッチングの問題だが、そういうミスマッチの結果、学生に限らず就職できない層が生まれる問題をどう解決するか、というところに問題の主眼があるように思うのだけどなー。


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清水 佑三
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日本を蝕む「働かざるもの食うべからず」

タイトルはホッテントリメーカーからです。ありがとうございました。

働かざる者食ってよし! - ish
わたし自身が「稼いで稼いで使って使って」という都会的・近代的な世知辛い生活に振り回されて、忘れがちだからこそこうして書きとめておきたいのですが、そういう生活をしていると、つい本気で「働かざるもの食うべからず」と信じ込んでしまいます。働きたくても仕事のない人すら、なんだか怠けているような、無為に福祉財政を食いつぶしているような、暗黒な目で見る心に侵食されてしまいます。
 しかしこの心は、サタンの罠です。
 働かなくたって、食っていいに決まっています。

「働かざるもの食うべからず」という言葉には思い出があります。学生の頃、家庭の事情で学費&生活費を自分で稼いでいたのですが、なかなかお金は自由になりません。友人にお金を借りることも少なからずありました。で学生なので、ちょっと遊びに行ったりもします。そういう時、とある友人に「『働かざるもの、食うべからず』だぞ。遊ぶ暇があったらお前はもっと働け」という"100%正しい忠告はまず役に立たない(by河合隼雄先生)"的一言を言われ、その通りなんだけど、何か釈然としない感じでした。十数年経った今でもちょっとしたしこりのようにこの「働かざるもの食うべからず」が何かしら頭の片隅に残り続けています。

で、その「働かざるもの食うべからず」なのですが、最初の出典は新約聖書のテサロニケ人への第二の手紙です。

ニートひきこもりJournal: 「働かざるもの食うべからず」は新約聖書が由来だった
兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言い伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。わたしたちに、どうならうべきであるかは、あなたがた自身が知っているはずである。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、人からパンをもらって食べることもしなかった。それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた。それは、わたしたちにその権利がないからではなく、ただわたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのである。また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。

キリスト教では労働は神から与えられた原罪故に行わねば成らない課業なので、怠惰を戒め神から与えられた労働という苦役を共同体で分かち合うことを重視した教えが「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」=「働かざるもの食うべからず」だったようです。

近代に入ってこの「働かざるもの食うべからず」を効果的に引用したのがレーニンで、彼は当時ロシアに居た貴族や資本家などの特権階級が労働することなく贅沢な生活をしていたことを攻撃するため聖書のこの一節「働かざるもの食うべからず」を引用しました。働いてないのに贅沢な暮らしをしている特権階級を倒して共産主義革命を!という趣旨での「働かざるもの食うべからず」です。

参考
「働かざるもの食うべからず」この言葉は誰の言葉でしたっけ?また、どんな意味で... - Yahoo!知恵袋
パウロとレーニンの「働かざるもの食うべからず」との言葉は同じ意味に解釈すると... - Yahoo!知恵袋

この「働かざるもの食うべからず」が日本でも使われるようになったのがいつのことかはよくわかりませんが、おそらく、レーニンの演説経由だと思います。日本ではこの一節は、ある種強迫性を伴って勤勉さを奨励する語になっていますね。浸透したのは高度経済成長期なのではないでしょうか。池田隼人首相の名言(と言っても演説をマスコミに曲解された一節ですが→池田勇人 - Wikipedia)「貧乏人は麦を食え!」ととても近しい観念のように思えます。それまで勤勉とまでは言えなかった日本人を労働へと走らせるのに「時は金なり」と並んで効果的な一言でしょう。勤勉とまでは言い難かった当時の日本人を高度経済成長期に労働へと走らせるために何者かが、あるいは時代そのものに「働かざるもの食うべからず」という言葉を利用されたのだと思います。

そして、この言葉はそろそろ役割を終えようとしているのではないだろうかと思います。働こうにも仕事が無い状況で、この言葉は残酷でしかないし、働くことに意味を見出そうとする価値観に対しても、この言葉は無力です。何かこういう言葉を打ち消せる新たな労働観は無いかなぁなんて考えている今日この頃でしたので、そういう中でこのishさんの「働かざる者食ってよし!」は爽快で良いなぁと思いました。

我が家では一昨年はきゅうりを、去年はレタスを、今年は再びきゅうりとチンゲンサイなどをベランダで育てております。昔当時の同僚に「東京の空気で育った野菜って食べたいですか?」とこれまた100%正しいけど役に立たない忠告をもらったのですが(笑)、いいんですよ。ベランダで育っていく姿を見ることに意味があるんですから。きったない東京の空気で育ったきゅうりをぼりぼりむさぼりながら、食べることとは関係なく、道徳観も労働観も無く生きることの一部として働く。って結構いいんじゃないかなぁ。


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坂上忍の潔癖症キャラについて

昨日テレビをつけたら坂上忍が潔癖症キャラになっててびっくりした。

地の部分もかなりあるんだろうけど、ちょっと正常値を踏み外したところもあって、その潔癖症キャラがなかなか面白いことになっていた。で、そのキャラ設定は上手いなーと思った。というのもまず清潔とか奇麗好きを売りにした芸能人はこれまで居たけれど、潔癖症を個性にした人は余り見かけなかったので需要がありそうなことと、これから上手く潔癖症として個性を確立すると、例えば整理整頓や生活の知恵系の本など、多角的に展開出来たりもしそうだし、結構良いポジションだなーと思いながら観てた。

坂上忍という俳優って芸歴長いというのは知っていたし、随分昔から見かけてはいたのだけどイマイチ僕には俳優としては印象に残ってない。唯一印象に残っていることというと、僕が中学生ぐらいのときに坂上忍と岩下志麻が親子で近親相姦に溺れる役を演じた「魔の刻」という映画のインタビューで「ベッドシーンの前日は前張りとか想像して緊張の余り眠れませんでした!」とかボンクラ丸出しのコメントしてて、それがやっぱり正常男子中学生だった僕にはインパクトありすぎで、まぁ、そういうにーちゃんな印象が刷り込まれてたなー。

魔の刻
魔の刻
岩下志麻

その後チラチラ見かけてはいたけど、気付くとVシネ系でヤクザの役ばっかやってる状態になってて、すっかり僕の記憶からはフェードアウトしてたところに、印象と正反対なキャラで復活してきたんで、おおーっとちょっと感心してる。あきらかに大雑把なキャラだったような感じだったのになー。

その設定、上手くやれれば良いところいけそう。薬丸ポジションとまではいかないにしても、「坂上忍の潔癖整理術!」とか数年後には本出してるんじゃない?とか思ったり。

ちなみに、潔癖症は強迫神経症の一種でもあるため、極端な例は同様の症状に悩む人たちに対して誤解を生む可能性があります。テレビは極端な表現に走ることがあるため、こういうキャラで行くんだとしても、適切な配慮は必要だろう、という点は書いておきたいと思います。


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愛の反対は憎しみではなく無関心・・・でもないんですよ。日本人にとっては。

週刊モーニングで連載中のエンゼルバンクという漫画があるのだけど、えと、ドラゴン桜の続編で、マネーの拳とか書いてる三田紀房という漫画家の作品。この人の漫画は現代の社会、特に自己啓発ブームを上手く逆手に取った内容(わざと自己啓発ブームのアンチテーゼ的作品)ばっかり書いてて良いとこ突いたマーケティングだなーと思う。

エンゼルバンク 1 (1) (モーニングKC)エンゼルバンク 2―ドラゴン桜外伝 (2) (モーニングKC)

で、今週のエンゼルバンクでマザーテレサの名言が引用されていた。多分誰でも知ってる名言。
愛の反対は憎しみではなく、無関心。」というやつ。
今まであまり深く考えなかったのだけど、ここで言う愛って日本人一般が認識している愛じゃなくてキリスト教的愛だよね。これ日本語的な愛と言う意味で逆転させたら無関心の反対として愛と言う語はあまり想像出来ないけど、アガペー、つまり隣人愛だと反対語として成立するように思う。

アガペー - Wikipedia
キリスト教においては、神が人間をアガペーの愛において愛するように、人間同士は、互いに愛し合うことが望ましいとされており、キリスト教徒のあいだでの相互の愛もまた、広い意味でアガペーの愛である(マタイ福音書22・37〜40)。

この「愛の反対は憎しみではなく、無関心。」という語の原義が知りたいと思って検索していたのだけど、多分これ。

マザー・テレサを偲んで 白柳誠一枢機卿のコメント
「日本に来てその繁栄ぶりに驚きました。日本人は物質的に本当に豊かな国で す。しかし、町を歩いて気がついたのは、日本の多くの人は弱い人、貧しい人に 無関心です。物質的に貧しい人は他の貧しい人を助けます。精神的には大変豊か な人たちです。物質的に豊かな多くの人は他人に無関心です。精神的に貧しい人 たちです。愛の反対は憎しみとおもうかもしれませんが、実は無関心なのです。 憎む対象にすらならない無関心なのです。」

マザー・テレサの真摯な指摘には身の縮む思いだけど、この日本人の無関心さは実は物質的な豊かさの有無ではなく、日本人の社会性の方に原因があると思う。

非キリスト教的日本的愛は、特に世間という構造が強くて、いわば身内、仲間内に対する好意として寄せられる。身内に対する愛であって、普遍的に誰にでも愛情を注ぎましょうというような倫理観って無いように思う。また、日本社会は「愛」よりも、「やさしさ」という語に強く規範をおいているので、感心を寄せないやさしさというものが存在する訳で、それもまた良いものとして考えられているのではないかな。

日本人は「やさしい」のか―日本精神史入門」では「やさしい」の現代的特徴として以下の五つがあげられている。
1)傷つく/傷つけることを避ける「やさしさ」
2)傷つく/傷つけることを引き受ける「やさしさ」
3)傷つく/傷つけることを招く「やさしさ」
4)傷つく/傷つけることを癒す「やさしさ」
5)傷つく/傷つけることを曇らす「やさしさ」
やさしさを規範としているが故に、身内ならざる人に対して興味を持たないことで関係性のバランスを保とうとすること、つまり無関心でいるという配慮をする"やさしさ"がある。

マザーテレサの言う「愛」の反対は、実は憎しみでも無関心でもなく「やさしさ」ではないだろうか。そして、そうであるなら、日本人にはマザー・テレサの言葉は印象的に響きはしても、届くことはないだろうと思った。


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来訪神(まれびと)としてのドラえもんは人が持つ切実な祈りの象徴かもしれない

先日、「Kousyoublog | ドラえもんと土左衛門(どざえもん)って関係あるのかな」という記事を書いたらブックマークコメントで id:otehさんから東映のプロデューサー白倉伸一郎氏のブログの記事を紹介いただいた。

ドラえもんは溺死体である(1) - A Study around Super Heroes
ドラえもんは溺死体である(2) - A Study around Super Heroes
実際に藤子が土左衛門を意識していようがいまいが、ドラえもんがベースとしているのは、「来訪神の贈り物」パターンである。ドラえもんはエビス様やサンタクロースと根っこを同じくしており、共通項があって当たり前なのだ。
この論を進めるとしたら、「ドラえもんは土左衛門か」なんてことはどうでもよく、どうしてエビスとサンタクロースはそっくりなのかのほうが、はるかに重要である。「乗り物に乗って、どこかからやって来た太った人が、贈り物をくれる」というパターンの信仰が、どうして普遍的たりうるのかのほうが。

藤子・F・不二雄はヨーロッパの文化や歴史にも造詣が深いが、藤子作品がすごいのは、そうした知識を生のまま出すのではなく、咀嚼し、根幹まで掘り下げてから再構築しているからだ。だからこそ、ドラえもんは普遍的なキャラクターとして成立している。

とても興味深い。来訪神=「まれびと」としてのドラえもん。

折口信夫 國文學の發生(第三稿) まれびと[#「まれびと」に傍線]の意義
てつとりばやく、私の考へるまれびとの原の姿を言へば、神であつた。第一義に於ては古代の村々に、海のあなたから時あつて來り臨んで、其村人どもの生活を幸福にして還る靈物を意味して居た。

常世の国から神がやってきて、幸せをもたらしてくれると、かつての日本人は信じていた。そして常世の国思想は浄土思想と結びつき、海の向こうに浄土があると信じられた。そのような「海の向こうにある楽園」という思想はユーラシア全域にあったという。(松岡正剛著「花鳥風月の科学 (中公文庫)」より)

この世でない他界から来たモノが新しい知識や情報やモノを与えてくれたり、別の世界に連れて行ってくれるというのは人類が普遍的に持つイメージなのかもしれない。現実を変えたいと、変わりたいと願う想いを、かなたから来る何ものかが叶えてくれると信じたいのだと思う。

ドラえもんが「戦わなきゃ、現実と」と言うアスキーアートがある。願いを叶えてくれるはずのドラえもんが現実と向き合うことを突きつけるあのアスキーアートは、ドラえもんであるが故に残酷なのだな。

そして、願いは叶わないと知ったときに、はかなさを、世の無常を知るのだと思う。「一期は夢よ、ただ狂へ」と。それでも人は切実に求めるのだと思う。変化と発見を。ドラえもん、サンタクロースなどの来訪神的モチーフはその切実な想いを具現化しているが故に、普遍的な物語たりえているのかもしれない。


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大企業が求める想像上の生き物「体育会系出身学生」

体育会至上主義への疑問(答えてくれる人募集中)
就職活動をしていて、文系では体育会出身者がつとに評価されていると感じる。その理由について知っている人はいないだろうか。
また、実際に体育会出身者が会社組織で優秀な結果を残すことが、そうでない人間よりも多い事例を知っている人がいたら、挙げてほしい。
「人間力」という、意味不明なパラメータが飛躍的に伸びるのであろうか。
それとも、既に体育会出身者の声が大きい状況が存在しているから、所与の条件に適合する人間が優先的に登用されているということなのか。

wikipediaが結構よくまとまっているので↓

体育会系 - Wikipedia
これはスポーツが『憂いの取り除く、遊び、戯れ』ということから出発した西洋に対し、明治時代に『富国強兵』の『強兵』を育成するための『国民体育』としてスポーツを受容した日本との違いに原因すると思われる(スポーツと体育の違い)。『強兵』が要らなくなった戦後においても、『企業戦士』を育成する形で『国民体育』の価値観は残ったため、『体育会系』という独自の気質が成立したと推測される。1960年代の学生運動・大学闘争全盛期には、大学本部の手足となって、“学園生活の正常化”の名の下に左派学生グループと直接衝突する事もあった[2]。そのため、体育会系の人間関係は軍隊に類似したものと言えると思われる。

(中略)

日本の企業もやはり年功序列を基礎としているため、上司・目上の命令には盲目的なまでに忠実に従う体育会系思想保有者は企業の構成員として好まれ、採用されてきた。特に“買い手社会”の頃のバブル景気前後は、一流企業が体育会系サークル出身者や体育大学の学生を上記のような理由で多く採用した。体育会系でも飲み会などが多いことから、企業の“飲みニケーション”にも通ずる。

中には、上司や幹部、ひいては社長まで大学の体育会出身者で占められている会社も多く、出世コースには体育会サークルに所属していたとか、または体育会系特有の気質が必要とされているところもある。

また、会社組織の中で、俗に言う「体育会系会社」「体育会系的営業」もよく見られる。特に営業職において押売りのような営業や精神論中心で顧客にひたすら頭を下げて根負けさせて購買や契約を迫る営業が中心である企業や、また営業系だけでなくても学生の体育会系をそのまま会社に持ち込んだ「上司、幹部社員、先輩社員による研修・指導と称したイジメ、暴力、暴言」「社訓や社歌を大声で唱和させる」「休日もプライベートはほとんどなく、飲み会やボウリングなどの懇親会に強制参加(表向きは自由参加だが断れる雰囲気ではない)させられる」が恒常的な企業も指すと言われる(エセ体育会系企業とも言われることがある)。昭和の高度経済成長期の影響が残っている会社に顕著と言われているが、90年代後半に勃興してきたいわゆる「ITベンチャー企業」も体育会系気質が高いとも言われる。

同様に、(刑務官、海上保安官も含めた)警察官や自衛官の現場職においては「体育会系の中の体育会系」ともいわれ、徹底した上下関係と上意下達の社会であり、地方公務員法または国家公務員法において労働基本権のすべて(団結権、団体交渉権、団体行動権。なお団体行動権は全ての公務員職で否定されている)を否定されていることもあって、体育会系のサークル同様、階級や年数の下の者は上の者の意見を一切の疑問を抱かずに従わなければならず、組織の硬直化と事なかれ主義も相まって警察官や自衛官の不祥事多発の原因のひとつとされている。 ただし、命令系統の一元化が重要視される上記のような組織においては、必ずしも否定される要素ではない。

明治維新以降日本に浸透した家父長制的イエ制度ヒエラルキーは第二次大戦の終結に伴って地域社会からは消えたが、戦後〜バブル経済の崩壊までの日本の企業では色濃く残っていた。また、富国強兵をベースにした戦前の教育もまた、家父長制的社会と軍隊式上下関係の基礎になるるもので、その影響を色濃く残した体育会系も、家父長制的な組織である企業と親和性が高い。

要するに当初は上下関係を重んじる点で価値観近いよねーという妙な連帯感があったんだと思う。ある程度価値観近いもの同士の方が組織運営はスムーズだし。でも、時は流れて、体育会系と言えどもそんな上下関係を重んじる的な思想の学生なんて少数派でしょ?多分、今の企業はもういない想像上の産物としての体育会系学生を追い求めているんじゃないのかな。先輩の言う事をちゃんと聞く子は成長が速いとか、コミュニケーション能力があるとかなんのかんの理由つけようと思えば理由付けられるけど単純に体育会系出身の幹部が多いから採用しているだけだと思う。

実際、大企業にはそういう"体育会系的人材"が本当に必要なのかな。上意下達・上下関係・年功序列的価値観から脱皮しようとしてるんじゃないのかなー?それに「体育会系」「○○大学××部OB」とかいうくくりで派閥作って組織運営を阻害することも多そうだ。まぁ、大企業で働いたこと無いので良く知らないけど。体育会系至上主義採用な会社は、古い業態のまま留まるならいいのかも知れないけど、未来志向では無いように思う。だから、増田さんは体育会系至上主義のニオイを感じたら逆にその会社を避ける方が、長い目で見ると良い社会人生活を送れるんじゃないか、とか思ったり。


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梨木香歩作家デビュー時の秘話にグッと来た

今週のダ・ヴィンチが「西の魔女が死んだ公開記念梨木香歩インタビュー」だったのを書店で発見してパラパラと読んだのだけど、梨木香歩が個人的に書いた「西の魔女が死んだ」を最初に読んだのが河合隼雄先生で、河合先生がこの作品は出版するべきだ、と言って勝手に出版社に持ち込んだのが作家デビューに繋がった、というエピソードが紹介されていて、そのエピソードを読んで思わず泣きそうになった。

特に何の関係もなく僕は村上春樹と梨木香歩が好きで、それらとはさらに何の関係もなく河合隼雄という人が好きなのだけど、そこにはフィクションではなく生きる上での物語の重要性とそれに向かう真摯な姿勢という共通点を漠然と感じていたところがあって、それが見事に繋がる瞬間を味わうことが出来たようにおもう。河合先生と村上春樹は深い交流があるのは知っていたし、河合先生と梨木さんは師弟関係にあることは知っていたけど、まさか作家デビューに深く関わっていたとはおもわなかった。点が線になる的な感慨がある。

ロングインタビュー自体も凄く興味深い内容だったのでまた改めてゆっくりと読んでブログに書きたいのだけど、今日のところはとりあえずその感動をメモ。


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ダ・ヴィンチ 2008年 07月号 [雑誌]

西の魔女が死んだ (新潮文庫)
西の魔女が死んだ (新潮文庫)
梨木 香歩
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読みたい本「経済は感情で動く」「純潔の近代」「ケータイ小説のリアル」

経済は感情で動く―― はじめての行動経済学
経済は感情で動く―― はじめての行動経済学
マッテオ モッテルリーニ
日常の買い物から、レストランでの食事、株式投資やビジネスでの判断、病院や選挙での選択、競馬や宝くじまで、お金をめぐるあなたの常識を覆します。

<推薦の声>
本書が世に出たことは、とりわけ政界および経済界をリードする人々に、喜ばれるにちがいない。(ダニエル・カーネマン。2002年にノーベル経済学賞を受賞。)

クイズ形式で、行動経済学と神経経済学のエッセンスを、やさしく説いてゆきます。「目からウロコ」、驚きの話の連続。

■三つあると真ん中を選ぶ
寿司屋のランチメニューで「特上・上・並」とあれば、「上」の注文がいちばん多い。一般に、三つの選択肢では真ん中が好まれる。売る立場でいうと、4000 円と5000円の類似商品があって、値段の高いほうを「売りたい」と思えば、6000円という選択肢を追加すればよい。

■自分のものになると値が上がる
通販での試供品の提供「使ってダメなら一週間以内に返品して下さい。お値段は無料です」。通販業者はめったに返品されないことを知っている。――買ってもいないのに、手元に来ただけで「保有効果」がはたらきます。

■進むも地獄、退くも地獄の…
巨額の先行投資をしている。さらに追加の投資が必要。しかし、先行きの展望は「暗い」。これは、「コンコルドの誤謬」と呼ばれるもので、展望がないなら、いま、手を引くべきなのです。

■ダメな会議の典型とは…
会議の結論がなかなか出ない。話がグルグル回っている気がする。これは最初の発言者の発言にひっぱられ、新しい話題が出てこなくなっているのです。これを、「アンカリング効果」といいます。

■交渉は最後の一言で決まる
交渉事でメインの話が終わったら、安心したりしていませんか。締めの一言が、契約にこぎつけるには重要です。人の記憶はメインのことと、最後の一言で印象の良し悪しが決まります。これを「ピーク・エンドの法則」といいます(同様に、恋人とのデートは、別れ際の一言、ないしはキスが最重要です)。

☆本書の5つの特徴
1.クイズ形式で説く、最新の行動経済学と神経経済学のエッセンス
2.お金と経済に関わる<心の法則>のポイントを「コラム」と「教訓」で紹介
3.話題が豊富(日常の買い物、レストランでの食事、バーゲンセールでの行動、投資やビジネスでの判断、病院や選挙での選択、競馬や宝くじの買い方、など)
4.さまざまな局面でのあなたのくせと、相手のだましのテクニックがわかる
5.考えるヒント、儲かるヒントがいっぱい

純潔の近代―近代家族と親密性の比較社会学
純潔の近代―近代家族と親密性の比較社会学
デビッド・ノッター
慶應義塾大学出版会|純潔の近代
近代におけるロマンティック・ラブとは何か。
▼気鋭のアメリカ人研究者、デビッド・ノッターが、19世紀に「ホーム」が中産階級の間で定着した時期の米国と、大正期に「家庭」が新中産階級の間で登場した時期の日本を中心に、「ロマンティック・ラブ」、「愛」、「恋愛」に付与された意味を比較研究。
▼配偶者選択の意志決定主体、家族関係、夫婦関係の変容を、明治・大正期の書籍・雑誌などにみられる言説、および、アメリカの先行研究との比較から分析。近代日本における「愛」の歴史を辿り、日本近代の家族制度、結婚制度、文化の特徴をあきらかにする。


ケータイ小説のリアル (中公新書ラクレ 279)
杉浦 由美子
著者コメントより:「ケータイ小説は小説ではない」と言う人もいますが、本書では「ケータイ小説」を新しい文芸として捉えています。「ケータイ小説」の書籍は売れ続けており、映像作品の原作としても注目を集め、現在、最も勢いがある文芸ジャンルと言えましょう。今まで、メディアでは「携帯電話でケータイ小説を読んだ人が、バイブルとしてケータイ小説の書籍を買う」と報道されてきました。しかし、コンテンツ取材を続けているノンフィクションライターの私がちゃんと取材をしてみると「ケータイ小説」書籍のメイン読者は地方の中学生である判明しました。つまり、イコール携帯電話を所有しない層なのです。メディアで報じられてきた「ケータイ小説」ブームと、実際には大きな食い違いがあり、そこには「携帯電話」という新しいメディアへの幻想があるように感じてなりません。10代の携帯電話市場の実際、フィルタリングの波紋についても言及しました。また、後半では少し文芸批評的な視点も加えて、志賀直哉から「ギャルズライフ」、恋愛シュミレーションゲーム、夢小説などの古今のコンテンツとの比較しながら「ケータイ小説」書籍が売れる真の理由も解明しております。
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徳川家茂がもっと評価されるべき9つの理由

Wikipediaの徳川家茂のページ見てたらステキエピソード満載だったので紹介します。タイトルはホッテントリメーカーから→徳川家茂がもっと評価されるべき9つの理由 5users(推定) - ホッテントリメーカー


徳川家茂
徳川家茂 - Wikipedia
・家茂はわずか20年の生涯であったが、幕末の動乱期の中をその若さで潜り抜けていることは高く評価されている。勝海舟からは、「若さゆえに時代に翻弄されたが、もう少し長く生きていれば、英邁な君主として名を残したかもしれない。武勇にも優れていた人物であった」と評価されている。

・幕臣からも信望が厚かったと言われ、家臣や女性や動物たちに至るまで非常に優しい態度で接する一方、剛毅な一面を持つ人柄が明治後に旧幕臣たちなどからさまざまな逸話で伝えられている。

・幼少の頃は池の魚や籠の鳥を可愛がるのを楽しみとしていた。しかし13歳の時に将軍として元服すると、それらの楽しみを捨てて文武両道を修めるように努めた。病弱な体なのにささやかな楽しみすら捨て、良い将軍であろうと心がけていた姿は幕臣たちを当時も没後も感激させたという。

・幕臣戸川播磨守安清は書の達人として知られた。そのため70歳を過ぎた老人ながら、推されて家茂の習字の先生を務めていた。ある時家茂に教えていた最中に、突然家茂が墨を摺るための水を安清の頭の上からざぶりとかけ、手を打って笑い、「あとは明日にしよう」と言ってその場を出て行ってしまった。同席していた側近たちがいつもの家茂にも似ぬことをすると嘆いていると、当の安清が泣いていた。家茂の振る舞いを情けなく思ってのことかと尋ねると、実は老齢のため、ふとしたはずみで失禁してしまったと安清は言った。当時の習慣として将軍に教えている真っ最中に尿を漏らしたとなると厳罰は免れないので、それを察した家茂は水をかけるいたずらでその失敗を隠し、「明日も出仕するように」と発言することで不問に処することを表明したのである。その細やかな配慮に感激して泣いているのだと答えたという(安清の親戚だった戸川残花が「幕末小史」の中に記している)。

・文久3年(1863年)4月、家茂は朝廷に命じられた攘夷実行へのデモンストレーションとして、大阪で幕府の軍艦順動丸に乗って大阪視察を行っている。この時順動丸を指揮していた勝海舟から軍艦の機能の説明を受け、非常に優れた理解力を示した。その折に勝から軍艦を動かせる人材の育成を直訴されると、即座に神戸海軍操練所の設置を命令した。さらに同年12月に上洛の際、勝の進言を容れて順動丸を使うことを決断した(その理由として前回の上洛において往路だった陸行では22日を要したのに対し、帰路順動丸を使った時にはわずか3日で江戸に帰れた事実がある。そのカルチャーショックが勝への信頼感へつながったとする説がある)。さらに航海の途中で海が荒れて船に酔う人が続出したため、側近から陸行への変更を奨められたが、この時「海上のことは軍艦奉行に任せよ」と厳命し、勝への変わらぬ信頼を表した。これらの信任に勝は深く感激し、家茂に対する生涯の忠誠を心中深く誓ったという。家茂の死にはショックと絶望のあまり、日記に「徳川家、今日滅ぶ」と記したほどである。その後も徳川家の保護と存続のため、気が合わなかった慶喜の助命に奔走し、晩年に至るまで徳川家の存続と名誉回復に尽力し続けた。晩年の勝は家茂の名を聞いただけで、病弱な体で激動の時代に重責を背負わされた家茂の生涯に「お気の毒の人なりし」と言って目に涙を浮かべたという。

・慶応元年(1865年)、兵庫開港を決定した老中・阿部正外らが朝廷によって処罰されると、その報復としてか、自ら将軍職の辞意を朝廷に上申している。このとき孝明天皇は大いに驚き、慌てて辞意を取り下げさせ、その後の幕府人事への干渉をしないと約束したという。

・ヨーロッパにおける絹の産地として知られたフランス・イタリアでは、1850年代にノゼマと呼ばれる原生生物が原因とする蚕の伝染病が流行し、両国の養蚕業は壊滅状態になった。これを知った家茂は、蚕の卵を農家から集めてナポレオン3世に寄贈した。フランスではルイ・パスツールがジャン・アンリ・ファーブルの助言を元に、日本の蚕を研究して病気の原因を突き止めるとともに、生き残った蚕同士を掛け合わせて品種改良を行った。

・文久2年(1862年)に公武合体策の一環として和宮と結婚。政略結婚ではあるが、和宮に対してたびたび贈り物をするなど非常に気を遣い、2人の関係は良好であった。徳川家歴代の将軍と正室の中で最も夫婦仲がよいといえたのは家茂・和宮であったといわれたほどである。

・墓地改葬の際に、和宮の墓の中から家茂と思われる男性の肖像写真が発見された。これまで家茂は義兄の孝明天皇に倣い写真は撮影していなかったとされていた。死の直前に大阪で撮影されたものと推定され、江戸にいる和宮に贈ったとみられる。発見の翌日に再度写真を検証しようとすると画像は失われており、そこにはガラス板があるのみだった。

徳川歴代将軍の中でもずば抜けて良いエピソードしかないところがすごいな。欠点が体が弱くて甘いもの食べすぎぐらいしか書かれてない。一生懸命職を全うして、人柄も良く、若くして夭折したような人は日本人は大好きですね。このエピソードの数々読んだら確かにグッと来るもんなー。和宮の墓所から写真発見→紛失のエピソードなんて、そんじょそこらの純愛ドラマ顔負けですね。映画化でもしたら製作者は100人が100人これをラストシーンにもってくると思う(笑)


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西行を大河ドラマにして欲しい

去年の大河ドラマ風林火山は面白かったけど、今年の篤姫はちょこっと観て好みに合わなさそうだったのでスルー、来年は妻夫木聡で直江兼続らしいけど、今のところ食指が動かない感じです。その他のキャスト次第だけど、ちょっと面白そうとは思えないかなぁ。

で、常々西行(1118年(元永元年) - 1190年3月23日(文治6年2月16日))を主演にしたドラマを見てみたいと思っているのですがなかなか映像にしにくいのかな。後に日本の精神史に多大な影響を与えるし、時代背景やその生き方も見所満載だと思います。

エリート武士で平清盛と同期だったのに鳥羽帝の中宮待賢門院への報われぬ片思いや友人の死などで出家→平氏の興隆や平安貴族の没落、源平の争いなどが絡みつつ、平安末期〜鎌倉時代の始まりまでをダイナミックに描けそう。前半は西行と清盛のダブル主人公で、清盛死後は西行視点で平家滅亡、源氏の内紛をちょっと俯瞰で描く感じ。最初は待賢門院を中心にした鳥羽天皇、白河上皇の三角関係で朝廷のドロドロ劇が大奥なんか目じゃないぐらいに展開できるし。勿論出家後の西行の日常や奥州への旅なども描きつつ、あと同時代人で西行と同じく武士から出家し西行を嫌っていたという文覚の出家時のエピソードもあるといいなぁ。

京都の伝説文覚上人
上西門院(鳥羽天皇の第二皇女、統子)に仕える、北面の武士遠藤盛遠は十九の年頃鳥
羽に住む同僚の渡辺亘の妻袈裟御前に一目惚れをし。血気盛んな年頃押しのいっ手とバ
カリに云い寄り。一方、袈裟にも少しは気があったのでしょう、何度か密会を重ねるうちにすっかり心を奪われ、もはやこれまで、ある日盛遠は、「亘と別れて、俺と一緒になれ」と、手荒いプロポーズを受けた。
袈裟にすれば、ほんの遊び心でしたが、一本気で思い込みの激しい盛遠を説得する自信も
なく、自らにも非があるので、まさか夫に相談するわけにも行かず、はてと困り果て!!
さんざん悩んだ揚げ句、一計を案じた袈裟は、「今夜、寝静まった頃に寝所に入って、夫を殺して下さい」と、言い出しました。
夜も更けて、亘の館を訪ねると、袈裟に教えられた寝所の扉は、すでに開け放たれていた。
袈裟の心遣いかと一人合点した盛遠は、太刀を抜き放って、難なく部屋へ侵入することができた。
寝所の闇に目を凝らして見ると、確かに人の寝ている気配が!!。
足音を忍ばせて近づいた盛遠は、盛り上がった寝具の胸のあたりを目掛けて、一気に太刀を突き立て。確かな手応えがあって、亘は血吹雪の中で、絶命したと確信。
袈裟に見せんがため、首を掻き取り髪を掴んで、表に出ると、館の外は何事も無かったように、静寂に包まれ、月の光がこうこうと、木々の間から差し込み、まさに快心の足取りで、手に持った首を確かめんとして、月明かりにかざした盛遠は、腰を抜かさんばかりに仰天!!
盛遠がそこに見たのは亘に非ず、袈裟御前の首だった。
思わず放した盛遠の手から、袈裟の首が地面に落ち。 ごろりと転がって、血と土にまみれた首は、じっと盛遠を見上げていた。
おのれの愚かさを知り、この世の無常を思い知った盛遠は墨染めの衣に身を包み、雲水
「文覚」と名のり、厳寒の那智で荒行に挑みましたが、月に照らされた袈裟の顔は、生涯
脳裏から拭い去る事は出来ませんでした。。。。。。『源平盛衰記』の一説

長唄「鳥羽の恋塚」として知られ後に芥川龍之介が「袈裟と盛遠」という作品にし、映画監督衣笠貞之助も「地獄門」という映画を撮った有名なエピソード。芥川は袈裟御前が盛遠に敢えて自分を殺させたとしている。西行も諸説あるけど身分違いの報われぬ恋と友人の死などと言われているし、二人とも世をはかなんで武士から出家する人生の選択を濃密に描けるよなぁ。

文覚と西行の対面もまたスリリング。

西行学習ノート
「 西行が訪ねてくると聞いて、日頃から西行のことを快く思っていなかった文覚が、今日こそは目に物言わせんと待ち構えている。文覚の弟子たちははらはらしているが、いざ西行と対面すると、和やかなふんいきのうちに終わって、何事もなかったように西行は帰って行く。そこで、弟子がどうしたことかと聞くと、 『西行は自分にぶたれるような面構えか、こちらのほうこそやられてしまう』と言ったという。」

そして晩年の「頼朝から拝領した純銀の猫を通りすがりの子供に与えた」エピソードや、余りにも有名な辞世の句「願わくば花の下にて春しなんその如月の望月のころ」の通り桜が満開の季節に大往生するまで、見所尽きない感じ。

妄想キャスティング考えていたけど上手くはまらないのでやめておきます。


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お年寄りを山に棄てる「姥捨て」はただの伝説。実は無かった。

先日読んだ「暮らしの中の文化人類学 平成版」によると、一定の年齢に至った老人を山に棄てるという棄老、俗に言う姥捨てなど「制度化された老人の遺棄はないと考えられている。」とあって、へぇ〜と思いました。理由は以下の四つ。


1)棄老伝説は「かつては老人を捨てる風習があったが何かのきっかけで今はやっていない」という形式であること
伝説が歴史的事実を語ることもあるが、しかし単純に事実を語ることはまれであり、むしろ様々な屈折を経た表現で語られる。棄老伝説が人々に語る内容は、「かつては老人を捨てたが、ある出来事をきっかけに老人の持つ知恵や知識に助けられることが多大であることを悟り、労働力として役に立つことが少ないという理由で老人を捨てることの愚を知って、棄老の習慣をやめた。したがって今は老人を大切にする」、という形を取ることが多い。このような話は実は逆のこと、つまり過去においても決して老人を捨てるようなことはなかったし、現在も今後も、人間としてそのようなことをしてはならないと人々に伝えているとも解釈される。さらに言うなら、老人を抱えてもなお生存が可能なように技術や制度を発達させてきたことによって人間の社会は成り立っていることを、屈折した表現によって人々に教え示唆しているとも考えられる。

棄老伝説いろいろ

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7211/Japanese/ubasutej.html

http://ed.city.kasama.ibaraki.jp/~kasamaj/minwa/ue/minwa3.htm
http://www.city.ebina.kanagawa.jp/www/contents/1026585333533/index.html
http://www.jyofukuji.com/06kokoro/2004/08.htm


ネットで色々探してみるとどれも確かに、かつてはやっていたけどお年寄りの大事さがわかってやめている、という形式ですね。どうやら仏教説話が元ネタらしいです。

姨捨山 - Wikipedia

史実には続日本紀(768年)に、朝廷から褒美を得た全国9人の内信濃国は4人の名が上げられていて、その内の更級郡の建部大垣が親孝行を理由とされている。この噂話に棄老を戒める仏教の説話が物知りによって付け加えられて姨捨伝説が定着したものと考えられる。

2)そもそも高齢者は少数であったこと
生産性が低く食糧事情の悪い社会では、老齢まで生きる人は極めて少ないことが観察されている。そして高齢になるまで生き残った老人たちは死ぬまで壮健で、労働力としてまったく役に立たない状態になって長く生きていることはない。まさに枯れ木が倒れるように死ぬ。したがって、数少ない老人の食料をわずかでも惜しむような事態はめったなことでは起こらない。


3)農業主体の生業形態の場合、老人の手を借りる作業は数多くあったこと
自分の食料は自分の手で手に入れる狩猟採集のような生業形態ならともかく、農業を営み、食料を自給自足している社会での仕事は多種多様で、実際老人の手を借りなければ働き盛りの男女は毎日の食事にたいへんな不自由を強いられることになる。あるいは、田畑での労働時間のかなりの部分を、食料調整(脱穀する、粉にする、アクを抜く、筋や皮をとるなど、食料を料理する前の段階での準備)のために割かねばならなくなる。雑穀にしろ野菜や山菜にしろ口にするまでには手がかかり、食料をわずかな手間で口にできるようになったのは、既製品の食材を購入するようになったつい最近のことである。食料調整の手仕事などに老人はなくてはならない存在であることが多い。


4)一定年齢で死を強いるという制度は、社会的に成立し難いこと
一定年齢に達したら必ず死を強いられるような制度がもし存在したなら、人間からの生存の希望や活力を奪うことになり、心理上からも、人間の社会や文化の成立の仕組みからも、そのような制度が存在したとは考えられない。制度化された棄老と近世の日本でも実際行われた新生児を殺す間引きとは、同じように生きている人間に死を強いることであっても、その意味するところは異なる。老人の場合は子供を産み育て、社会の成員として長年貢献してきただけでなく、周囲の人々との関係を通して様々な記憶を周囲の人々に刻みつけているから、人々に与える影響はたいへん大きい。

なるほど。確かにイエを重視するこれまでの社会だと、姥捨というのは考えにくいですね。飢饉など特殊な状況下以外で、棄老の制度があったという資料は無いのかな。

逆にいうと、「自分の食料は自分の手で手に入れ」、「老人の手を借りなければ働き盛りの男女は毎日の食事にたいへんな不自由を強いられ」ないような、また、老人の知恵と経験に重きを置かない価値観の社会では、棄老に近い状態が生まれる可能性はあるのかもしれませんね。

変化が激しく、過去の経験が陳腐化・無力化しやすく、自分の食料は自分で手に入れる事が重視される社会。なるほど。これまでの歴史上、心理的に姥捨的状況が生まれやすい時代になっているのかもしれない。それゆえに老いは恐怖となっているのかな。働いて稼ぎを得ることに価値観が置かれ、そして自身の経験は陳腐化していくのであれば、働けなくなり、そして尊敬も得られなくなる老いは恐怖でしかない。老いという側面で言うと姥捨的時代が現代なのかも。

老いると棄てられる時代は、人々から希望や生きる活力を奪います。



参考サイト
姥捨て山って、昔、本当にあったのですか? それとも迷信などの類ですか? - Yahoo!知恵袋
「姥捨て」の証拠ってありますか? -OKWave
姨捨山 - Wikipedia

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暮らしの中の文化人類学 平成版
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波平 恵美子

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生まれ変わるためには死なねばならない

人気な増田談義 - finalventの日記
あと、増田社会人一年生が懸念しているスキル向上はないかもしれないは、案外徐々に精神をむしばんでいく。これは人間の個性化なんで、そうならない人もいる。なるときはものすごい不幸や不運の形をとって、いったん死ぬしかないかというふうに、個性化が死の相貌して立ちふさがるよ。でも、振り返るとそこから自分の人生が始まる。

これ、よくわかる。というか振り返って考えてみるとあのときがそうだった、となるだけで当時は苦しいだけなのだけど。河合隼雄氏の「生まれ変わるためには死なねばならない」という言葉を思い出した。
こころの処方箋(P122〜125)
自分の内的体験としては、死んで生まれ変わったと表現したくなるような劇的な変化が生じることがあるのも事実である(中略)

堅い自分が死んで、少し柔軟性がでてきた、などと答えた人もある。あるいは崖の途中で草にしがみつき、何とか上へ登ろうともがき苦しんでいたが、思い切って両手を離すと、何のことはない草地に軟着陸し、そこには新しい世界がひろがっていた、と答えた人があって、感心させられた。もっとも、両手を離したら奈落に向かって墜落ということもある。いつもいつも同じ方法が成功することはないのを、われわれはよく知っていなくてはならない。象徴的な死と再生の過程の背後には、実際の死が存在しているのである。肉体的死を回避しつつ、象徴的死を成就することが必要で、ただただ「死」を避けていたのでは何事も成らないのである。

こころの処方箋 (新潮文庫)
こころの処方箋 (新潮文庫)
河合 隼雄

ただ、生まれ変わりました!自分は変わった!とかいうことは全くもってなくて、本質的なところは何も変わらない。そもそも変わるべき自分という存在は無いと思う。変わったのは全体的なあり方とか、関係性とか、捉え方とか、つまり自分をとりまく情況と関係性が大きく変わったと言えるかな。繋がりを意識するようになったというか。

権力については・・・行使する機会が与えられたが上手く向かい合うことは出来なかった。向いていなかったなと思う。しかし、また向かい合うべきときは形を変えて現われるのではないかと思っている。あまり向かい合いたくないと思うのだけど、多分必然的なものだろうなぁと。

ということで生まれ変わるためには死なねばならない、しかし生まれ変わっても本質的には自己は何も変わらない。全体的なあり方と関係性が変わるだけ。だと思う。

まぁ、そういうこともあって「自分探し」や「自己の成長」は幻想で、様々な関係性の中で自分の在り方を実感していくことに重要性があると思っている。まぁ、各々それを追い求めることを否定するつもりはない。現代においてはそれも一つの生き方だと思うから。「自分探し」は本来流動的な関係性を外部と分断して固定化しようとする試みであり、成長と思っているものは成長と引き換えに失っているものがあって、関係性が変わっただけだと思う。とはいえ「進歩のかげに退歩しつつあるもの」(by宮本常一)に目を向けられるようになるには、やっぱり「死なねばならぬ」のかもしれないなぁと思う。

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読みたい本「暴走する「世間」」「民主主義という錯覚」「だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ」

暴走する「世間」―世間のオキテを解析する (木星叢書)
暴走する「世間」―世間のオキテを解析する (木星叢書)
佐藤 直樹
「空気を読め!」は「世間」の同調圧力である!

日本社会の見えないオキテ、それが「世間」である。事件が起きマスコミで
報道されるたびに「犯人」にたいして極端なバッシングが起きるのも、「空気を読め!」という無言のプレッシャーが生じるのも、ケータイを使ったいじめが起きるのも、「世間」という同調圧力のなせるわざ。「お世話さまです」「おかげさまで」といった物言いにもさりげなく顔をのぞかせ、いじめ・うつ病・自殺の引き金にもなる「世間」。バブル崩壊以降とみに暴走しはじめた「世間」の危ない構造にメスを入れる長編評論。

「空気」と「世間」については良く理解しておきたいなぁと思っていたところに、こういう新刊を見つけたので興味。本屋でパラパラ立ち読みした限り、気軽に読めそうかなーと思うけど、解説文読む感じだと、同調圧力だけに原因を帰すのはどうだろうか・・・という気もする。



民主主義という錯覚―日本人の誤解を正そう
民主主義という錯覚―日本人の誤解を正そう
薬師院 仁志
民主主義という錯覚 | 書籍 | PHP研究所より
誰もが信じて疑わない「民主主義」観を根本から見直す! 私たちが学校で習い、知っている「常識」は、実は間違っていた!?

 あなたは以下の問題が分かりますか?

 モンテスキューやルソーは、議員や統治者を(  )によって選ぶことを民主政治の本質にかなうものだと論じた。

 (1)選挙 (2)世襲 (3)魚屋の意見 (4)くじ引き (5)決闘 (6)占い 

 ※ヒント (1)ではありません。答えは「まえがき」を見てください。

 この一冊で「民主主義」の思想と歴史の真実がまる分かり!

書店でパラパラと見た感じ、基本的なところを理解するのに良さそうかなーと。ただ目次を見るといくつか特定の左派系政党や団体を批判する見出しが見られたので、少し躊躇するところもある。どっちがどうとか言う内容より、こういうテーマだったら相対的な視点での解説を読みたいなぁと思うので。



だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ
だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ
都築 響一
晶文社サイトより
 東京では出会えない個性派書店を求めて、日本各地を歩いた書店探訪記。台湾の美しいビジュアルブックの紹介。写真家・篠山紀信やデザイナー・堀内誠一ほかの本にまつわる人々の肖像。そして過去15年間に書かれた膨大な書評。気になる本と本屋を追いかけた文章をここに集成!本をめぐる刺激的な出会いの記録。

これも立ち読みでパラパラ見たのだけど、読書愛みたいなのが感じられて、なかなか良さそうだなぁと思う。こういうテーマはマニアックで少し変人なぐらいの視点で書かれた内容読みたいですからねぇ。


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知識の蓄積の過程での発見が創造性ではないか

Ringo's Weblog: 知識の量が質に変化する瞬間
ほとんどの人が A→B→C D→E→F という知識を持っているようなときに、
X→A と X→D という関係性についての知識を持っている人がいる。
その人はAとDの共通の根っこを簡単に見つけ出すことができる。
あるいは、F→G→H という知識を持っていたら、
簡単にD→・・・→H を想像できてしまう。
ひとはこういったことを見ると「創造的である」と言うのだ。
知識の量がある水準を超えると、急激に創造的になったように見えるのだ。

良い洞察だと思うので、僕が思うところもいくつか書いてみます。

A→B→Cという知識の蓄積とa→b→cという知識の蓄積があったとして、そのまま行くとA→B→C→D、a→b→c→dなんだけど、そこでそれぞれDとdに行かずに、その二つの蓄積
(A→B→C)+(a→b→c)=X
って発見をするのも創造性だと思う。あるいはまったく別の知識の流れである(い→ろ→は)が実はAとaという流れに分離していくのを発見するなども創造性。必ずしも創造性は単線的な知識の蓄積の上にあるんじゃなくて、いくつもの知識の蓄積がつながって化学反応を起こすポイントを発見することにあるのではないだろうか。もしかしたらA→B→C→D→E〜Xとa→b→c→d→e〜Xが見えているのかもしれないが、創造性に繋がる知識の蓄積は単線的ではないと僕は思う。

よく0から1を生み出すという論があるけれど、すでに"ある"が形が無いものに、形を与えることなんじゃないか。最近の研究では夢は記憶の再整理と言われている。様々な記憶と経験の小さな断片が新たなイメージを作り出す。そこで言われる0はいわゆる数字的な0ではなく0のように見えるけど0.000000000001の沢山の集合体で1になっていないだけかもしれない。


青空文庫「夢十夜」夏目漱石
「よくああ無造作(むぞうさ)に鑿を使って、思うような眉(まみえ)や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言(ひとりごと)のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)っているのを、鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。


文鳥・夢十夜
文鳥・夢十夜
夏目 漱石
Ringo's Weblog: 知識の量が質に変化する瞬間
単純な無知は創造につながらないのだ。

現時点では、私は無知による創造性を信じない。

引用元の記事の趣旨と少しずれるかもしれないけれど、無知という状態はあくまで絶対的に量ることが出来るものではなくて、相対的なものだと思う。例えば古代の人々の神話や壁画、土器、建築などは創造性に溢れている。その時代時代、コミュニティや社会ごとの知があって無知かどうかが相対的に、他者によって決まっている。知と情報が溢れていけば行くほど世界を知るための知が増えていくので相対的に無知な者が増えていき、無知な者しかいなくなる。

知と情報の量が指数関数的に増えていく時代だとブレークスルーするポイントがどんどん上がっていき、大きな創造は生まれにくくなる。代わりに小さな小さな小さな創造は至る所で生まれていきやすくなるだろう。それは無知な者たちによって生み出されている。

知識を蓄積することと創造性は大きな繋がりがある。しかし、どれほど知識を蓄積して創造的であっても我々は無知であり続ける。無知という状態は知識を蓄積する過程の一側面を切り取って相対的に言っているに過ぎないからだ。また、知識の蓄積は単線的でなく、複線的であるため比較できないとも思う。

だから、僕は「単純な無知」という状態を信じない。どれほど無知に見えようとも人は常に知識の蓄積の過程にある。必ずしも創造性に繋がるかはわからないが。


神と自然の科学史 (講談社選書メチエ (345))
どんなに感覚経験を集め整理することに精出したとしても、それらの感覚経験がことばによって説明されなければ、科学をそこから導き出すことはできない。大胆な着想、あたかもすでにそれを知っているかのような決して正当な理由付けのできない振る舞い、および確実な知識に基かない思弁、これらこそが自然を解明する唯一の思索の手段なのである。
カール・ポパー


知識の蓄積の過程で化学反応を起こすポイントの発見。それが創造性ではないか。


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「花粉症は環境問題である」奥野 修司 著

現在、有病者数は全国で2200万人とも言われる花粉症だが、現在、これほど蔓延した最大の原因は国による戦後の拡大造林政策の失敗だった。というのは、現在ではほぼ定説になっている訳ですが、その経緯について要点をわかりやすくまとめたのがこの本です。何故ここまで花粉症が蔓延したのか全体像が把握出来ました。

花粉症の歴史は19世紀初頭の英国でのイネ科のカモガヤ林の拡大による花粉症が始まりと言われている。日本で社会問題と化したのは1979年。それまでは花粉の飛散量はそれほど多くは無く、大した問題ではなかった。何故増えたのか。



■拡大造林の歴史

太平洋戦争中、軍が木材を徴収、乱伐された結果、荒廃したはげ山が各地に出来たため、戦後、スギやカラマツを中心に植樹が行われ、早くも1956年にはほぼ荒廃したはげ山問題は解消した。しかし、世は高度経済成長期に入っており、木材需要が著しく高まっていた。そこで全国の森林や日本古来の広葉樹が中心に伐採され、その代わりに広葉樹より格段に成長が速く商品価値も高いスギやヒノキを植えて行くようになる。
1955年、時の農林大臣は民営林を人工林に変えていく「国営造林」構想を打ち出し、それに沿って林野庁は1958年から1997年の40年間に"森の生産力"を二倍にする「国有林経営合理化及び国有林生産力増強計画」を実施する。
現在、日本の国土の67.4%が森林だが戦後に植えられた人工林はその41%にあたる1036万ヘクタールにおよび、その人工林の44%にあたる425万ヘクタールがスギ林であり、それにヒノキを含めるとおよそ709万ヘクタールとなる。

当時森林学者たちは単一の樹種による林を作ることの危険性を訴え、国営造林政策に反対していたが、高度経済成長化での「木材をもっと供給せよ、国有林を伐り惜しむな」という世論に後押しされて、日本古来の広葉樹林はことごとく伐採されて人工林へと変わって行ったという。


当時、林業はかなり儲かる商売だったようだ。著者の知人の林業関係者の言
「あの頃は山から5、6本も木を伐り出せば、1ヶ月は遊んで暮らせた。そのうえ、植えたら国から補助金をもらえる。こんなうまい話はないさ。」(P98)

しかし、ここで政府は大きな失敗をする。1964年に木材の輸入自由化に踏み切り、安い外国材が次々と輸入され、国産のスギ材は太刀打ち出来なくなってしまい、オイシイ商売だった林業は全く採算が取れなくなってしまう。そしてスギ林は放置され、日本中に荒廃したスギ林が残された。




■放置されたスギ林と花粉症被害の現状

スギ林は樹齢30年前後から花粉をつけはじめる。放置され、間伐など手入れされなくなったことで80年代ごろから徐々に花粉の飛散量が増えていき、現在では樹齢31年以上のスギだけで毎年540万トンの花粉を出しており、樹齢10年以上もあわせると600万トン、ヒノキも含めておよそ年間800万トン前後が飛散していると推定されているそうだ。

また、花粉問題だけでなくスギ林は日本の土壌には必ずしもあわないため災害に弱く、また森林が果たすべき保水や治水の機能も広葉樹に比べて低く、また管理をしっかりしないと土壌の荒廃を招きやすい。

そして、この拡大造林政策の失敗により林野庁は3兆8000億円の負債を抱えてしまった。そして冒頭でも書いた通り、花粉症患者の大発生を招く結果となっている。2005年に民間企業が発表した調査によると花粉症の全国推計受療患者数は約800万人、有病者数は約2200万人と推計されている。97年に旧科学技術庁が患者数を1300万人として出したスギ花粉症にかかる一年間の費用は2860億円で、現在は有病者数はほぼ倍増していること、また間接的な損失まで考えた場合、毎年6000億から1兆円近い損失が出ているのではないかと言われている。

この国策としての拡大造林によって花粉症の被害が出たということについては政府は非を認めていないそうだ。90年代に一度国を相手に裁判がおこされ、裁判所が和解を提案したが国は和解に応じず、長期化の様相となり原告側は少数だったため裁判継続出来なかったらしい。

と、このあたりの経緯を様々な資料を基によくまとめられていてわかりやすかった。著者本人も酷い花粉症患者らしく多少感情的だったり、推論が入る描写も多かったが概ね事実に基いているように読めた。



■著者のスギ林対策案

著者はスギ林を全部伐採してしまうのは環境の点から言っても費用などから考えても現実的ではないという。以下の施策を著者は提案する。
・治山治水のために本来植えるべきでなかった斜面のスギは広葉樹に植え替え。
・間伐、枝打ち
・針葉樹(スギなど)と広葉樹の複層林化を行うことで、針葉樹より高く育つ広葉樹がスギ花粉が森の外に飛散しないようガードできる。

とは言え、これは一般的に今でも言われている対策。


そして予算が問題だが、現在、喫緊で花粉を飛ばす樹齢31年以上のスギ林面積は350万〜380万ヘクタールと言われている。
2005年現在、京都議定書の条件を充たす森林の吸収量は970万トンで、上限1300万トンの75%になる。残り25%が未達成だ。この25%に相当する森林の面積は330万ヘクタール。(P180)
あらたに予算を組まなくても、京都議定書で約束した目標を達成するための方法を意識してスギ林にシフトさせるだけでも充分に達成できるはずだ。(P181)

と、この京都議定書の未達成分をスギ林対策に使うことで迅速に対応出来ないかとしている。これは素人目にはなかなかの妙案のように読めたのだけど実際シフトさせることができるのだろうか。

認定できるかどうかは別にして、「花粉症は公害である」と著者は言う。この本を読むとさもありなん。という思いに駆られるが、国の責任を追及するよりも、その経緯の調査と今後の対策としてどうするかという点に主眼を置いている点に、この本は価値があるように思う。

ちなみに、現在の政府の取り組みだと、東京都が50年計画林野庁は平成29年に首都圏の花粉半減を目標だそうなので、今のままだと今世紀中は花粉の被害は拡大し続けるのでしょう。



■最後に

本文中に引用されている植物生態学の権威宮脇昭教授の言葉を引用します。
植物社会では環境条件が悪くなったとき、あるいは全体のバランスが崩れたときに、最初に責任をとらされて枯死するのは、条件が良いときに最も威張っていた高木層の樹木である。(略)
振り返って今、人類は生物集団の中で最も強い立場にあり、思いのままに発展しているように見えるが、ほんのわずかな自然の揺り戻しやさまざまな環境の急変が起きたとき、最初に責任をとらされることを知っておく必要があろう。(P128)

花粉症問題との関係はともかく、心しておく必要がありそうです。

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今日のヘッドライン

なんか昨日の深夜から今朝にかけて以降googleの検索結果が大きく変わったっぽいですね。

■ブックマークした記事(2008/3/9)

⊂⌒⊃。Д。)⊃カジ速≡≡≡⊂⌒つ゚Д゚)つFull Auto | やるおが『資本論』を読み始めたようです
わかりやすい

2ちゃんねる実況中継 「八」という漢字のもつ意味

私家版・同音異義語集(2006年ごろ?) - FeZN/Firework/inVox
関連→(Kousyoublog | 日本一多い同音異義語を知っていますか?

知られざる人類婚姻史と共同体社会 | 母系・父系の有様と双系の謎

平安時代に牛車はあったのに、以来明治維新まで、日本では馬車のような四輪車が発明普及され なかったのは、なぜでしょうか。参考文献などがあればうれいしいのですが?.. - 人力検
回答にもあるけど、日本は水運が主だったから。

POLAR BEAR BLOG: ワーカホリックは不要?必要?
Calacanis氏の意見は経営者としては適切。友人にはなりたくない。ワーカホリックについては望むならそういう生き方もありだけど、燃え尽きる前にライフスタイルを変えられるかがポイントかな。

日本人の6割が必ずやること
あるある。ほとんど身に覚えがある。

パンダのゲノム解読プロジェクト始動、世界各国が協力 国際ニュース : AFPBB News
ぱんだ。絶滅寸前の件はいつか書く。

今日の献立ev.: デザインの天才、ソウル・バスの映画オープニングタイトル
80日間世界一周と或る殺人と北北西に進路を取れがいい。

■Kousyoublog更新記事(2008/3/10)

Kousyoublog | 【2008年3/03〜3/09】記事別アクセス数ランキング

Kousyoublog | 読みたい本「物語編集力」「銀文字聖書の謎」「不謹慎な経済学」

Kousyoublog | 「時間意識の近代―「時は金なり」の社会史」西本 郁子 著
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サンタナ「哀愁のヨーロッパ」EUROPA

Europa played by SANTANA - 1976


CM、ドラマなどテレビ番組ですっかり定番のこの曲。「ギターが泣いている」など聞くだけで恥ずかしい賞され方していますが、泣きというよりは、この曲がかかると微妙にテンションが上がってしまうのはなぜだろう。ちゃっちゃっちゃちゃちゃーちゃらら〜〜〜ん。ってイントロ聴くと「おおお〜待ってました!」って気分になりますねー。

とか思っていたら2chで
♪なつかしの70年代POPSを語ろう 3♪

145 名前:ベストヒット名無しさん[sage] 投稿日:2007/08/19(日) 01:11:48 ID:AsBW1GYq
嫁がリトルエブィリシングが好きで車中こればっか聴いてるんだけど、歌詞がほとんど
わからん。拷問みたいだ。

ところでサンタナの「哀愁のヨーロッパ」なのだが。
80年代半ば頃よくストリップに出かけたのだが、この曲、かならずと言っていいほど
かかってた。

ムードもあるし官能的でとてもよくマッチしてたのだけど、以後この曲聴くとオレンジ色に
輝くミラーボールと、その下の踊り子さんがありありと浮かんでしまう。
「哀愁のヨーロッパ」はサンタナが日本公演の際、演歌が耳に入ってきてそれをヒントに
作った―という話をきいたけど真偽の程、知ってる人いる?


って書き込みがあって笑った。

ヴェリー・ベスト・オブ・サンタナ
ヴェリー・ベスト・オブ・サンタナ
サンタナ,エヴァーラスト,マナ,アレックス・バンド,スティーヴン・タイラー,ティナ・ターナー,チャド・クルーガー,ロブ・トーマス,ザ・プロダクト G&B,ジェニファー・ロペス,ミシェル・ブランチ
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東京大学赤門(旧加賀藩上屋敷御守殿門)

東京大学赤門

幕末まで、この東京大学の敷地の大半は加賀藩前田家上屋敷でした。現在では東京大学のシンボルとして使われているこの赤門ですが、1827年に第13代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られた建造物で今より15メートルほど東にあったといいます。江戸時代、三位以上の大名に嫁いだ将軍家の娘の敬称と住まい自体を指すときは御守殿と言い、その御殿へと至る門(御守殿門)は赤く塗られ屋敷の正門である黒門に対して赤門と呼ばれていたとか。
作られた当時から江戸の名所として知られていたようで歌川広重ら絵師たちも本郷一帯を描くときは赤門を描いています。

東大と言えば赤門ですが、実は大名屋敷の名残であるというのがとても興味深いですね。大名屋敷と大学というミスマッチにも思える融合が面白いです。

東京大学赤門

参考
東京大学の建造物 - Wikipedia
御守殿 - Wikipedia
加賀殿再訪 江戸本郷の加賀屋敷

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「不思議の国のアリス (ちくま文庫)」ルイス キャロル著/柳瀬 尚紀訳

評価:
ルイス キャロル,柳瀬 尚紀,Lewis Carroll
筑摩書房
¥ 609
(1987-12)
まだ幼い頃、子供向け絵本などのたぐいで読んで以来、例えば映画や様々な本で引用・オマージュされているものを通して間接的に知ってはいたのだけど、ちゃんと読んではいなかった。去年何かのタイミングでそろそろ読む時期かなぁと思い買うだけ買って積読していた。先週やっと読み始めて読了。この柳瀬訳の評判が良い。読んでみると確かに、英語上の言葉遊びを日本語にアレンジしたり、アリスのセリフまわしなど、評判どおり上手く日本語にしているとおもう。

姉とともに川べりで遊んでいたアリスは急ぐ白兎を目にして追いかけていくうちに地下へとするすると落ちて行き、様々な不思議な体験をするというお話で、様々な体験をアリスがしていくのだけど、確かにこれは夢だと思った。非常に夢的な、誰もが見る、記憶の片隅にしか残っていないけど、確かに残っている、夢の中であるいは空想として体験したことのあるイメージ。読みながらそういう断片が蘇って来て、鮮明に形作られていく。原形質のイメージと言っても良い。とてもプリミティブであるが故に様々な人の心に残り、様々なかたちでインスパイアされてきたのだろう。

そういう原型/元型的なため、様々な捉え方が出来ると思う。純粋にお話として楽しむことも、寓話として何か教訓を得ることも、自分の体験と重ねあわせることも、心理学的な分析をすることも、作者の分析をすることやこの作品が書かれた19世紀の社会を読み取ろうとすることもお好み次第。読者の心象風景を映す鏡としての役割を果たす作品だなぁ。

僕はアリスがなかなか大きさが定まらないところや、鼠に猫や犬の話をして嫌われてしまうコミュニケーション不全なところなどから、大人になっていくことの戸惑いや社会化への抵抗という、よくある思春期の悩みのようなものを読み取ったり、あるいは、アリスと出会う登場人物たちの多くが時間に追われているところに当時の社会の反映を思い浮かべたり、あるいは最後の裁判のくだりなどはアリスが夢と対峙して現実に戻るという、それまでの形定まらない状況から抜け出す、一種の成長として読んだりもした。トランプの王、女王たちは子供のままでありつづけようとしたルイス・キャロルを取り巻く大人たちの投影として暴虐で支配者然としているのかもしれない。

この作品が書かれた1850年代のイギリスは産業革命後の社会の変貌によって人々の生き方が劇的に変わって行く時期だった。そういう中でのルイス・キャロルの苦悩みたいなものがアリスの冒険として投影されているのだろうと思う。それは多分現代まで続いた様々な人々が味わう苦悩であり、その苦悩を引き受けるアイコンとしてアリスという少女が人々の心に残り続けたのだろう。この作品は、少なくとも現代を含む近代的時代――人が個人として自立していくことを求められる時代――が続く限り重要な作品であり続けると思う。

そういう、自分なりの解釈を自由にしやすい物語で、多分読み直すごとに、捉え方が変わって行く作品であり、その捉え方は私の、そして読む人の心象風景なのだ。アリスの物語をどう読むかは読む人にとっての世界とは何かという問いに等しい。

「あのう、教えてくださる、あたしここからどっちへいったらいいんですか?」
「きみがどこへいきたいかによるね」猫はいった。
「どこでもかまわないんですけど――」アリスはいった。
「それならどっちへいってもかまわないだろ」猫はいった。
「――とにかくどこかへ出られればです」アリスは説明をそえた。
「そりゃ出られるに決まってるさ」猫はいった。「ずうっと歩いていきさえすれば」


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実は一月の総PV数は16,376件、それに対して2月は25,641件と激増したのですが、そのうち8,669件が「Kousyoublog | はてな移転で中の人が言うべきことと言ってはいけないこと」でした。この記事のアクセス状況を見てみるとブックマーカーの動きがわかってとても面白いです。

8,669 ページビュー
8,148 ページ別 セッション
00:03:41 ページ閲覧時間
83.39% 直帰率
82.50% 離脱率

と、8600人のうち7200人ぐらいはざーっと読んでそのまま帰っていきます。
で、残りの約1400人の動きをみてみると

再度同じページにアクセスする 300人
関連エントリーとしてリンクしていたサイトへ 600人
トップページへ 200人
プロフィールページへ 150人
前後のページへ 20人

というような動きで、実際のところは7500人ぐらい、およそ9割弱の人がその記事だけ見て離脱していくわけですねー。

1月にホットエントリーになった「Kousyoublog | 初詣の歴史を調べてみた」の場合でも、

1,399 ページビュー
1,309 ページ別 セッション
00:04:16 ページ閲覧時間
89.40% 直帰率
87.35% 離脱率

と9割ぐらいはその記事のみでなかなか他のページも見てもらうという動きにはなっていないようです。

これは記事の内容や質とも大きく関係しているだろうと思いますが、基本的にはブックマークはホットエントリーなどになるような大きな規模のブックマークをされた場合は、殆ど一過性の人の動きだと考えるのが妥当じゃないかなぁと思いました。
記事を書くとき多少狙ったような書き方をすることもあったのですが、ブックマークされることを狙うよりは、普通に自分が書きたいことを、わかりやすく書いて、結果としてブックマークしてもらうこともある、というスタンスでブログを更新して方が僕個人としては大事かなぁと思いました。

できる100ワザ Google Analytics SEO & SEM を極めるアクセス解析ノウハウ
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大内 範行,できるシリーズ編集部
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映画「西の魔女が死んだ」完成披露試写会が開催

梨木香歩の代表作「西の魔女が死んだ」の映画化の話がありましたがついに完成し、完成披露試写会が先日行われたそうです。試写会が行われるの知らなかったなぁ。もし知っていたら申し込んでいたのだけど、残念です。

試写会と舞台挨拶の模様は以下の記事で大体伝わってきますね。
51歳サチ・パーカーの胸元に、高橋克美が「ビューティフル!!」連発 - 映画の情報を毎日更新 | シネマトゥデイ
映画/キム兄&高橋克実のオヤジコンビも泣いた『西の魔女が死んだ』完成披露試写会 - cinemacafe.net

オフィシャルサイトで予告を見る限りは、全体的にキャスティングが原作より若め(おばあちゃん=サチ・パーカー:
51歳、お母さん=りょう:35歳、お父さん=大森南朋:36歳)な印象だけど、作品のもっている雰囲気は上手く映像化できているように見えますね。

あらすじは原作と大きく変わらないだろうからざっと書くと、
主人公のまいは中学校入学後すぐに不登校になり、英国人の祖母の元でしばらく暮らすことになる。自然に囲まれた環境の中で、生きる意味とか死生観を祖母から学び、一歩踏み出していく。物語はその二年後、祖母が倒れたという知らせを受けるところから始まる。というストーリー。
西の魔女が死んだ (新潮文庫)
西の魔女が死んだ (新潮文庫)
梨木 香歩

英国で児童文学を学び、日本では河合隼雄と交流があった著者らしい、「死が希薄化した現代で、死を生の中にどのように組み込んだ物語を持って生きていくか」、という視点で描かれた小説で、とても繊細な原作だったと思う。ぬるさもあるのだけど、それは児童向けというところもあり。主題としては今必要なテーマだと思う。梨木香歩の作品の中では確かに映画化しやすい作品かな。続編の「渡りの一日」も上手く組み合わせてくれるといいのかなとも思うけど、それだと少し主題からブレるかもしれない。
小説のテーマを表面だけなぞるような脚本にしてしまうと、ちょっと陳腐になるかもしれないという危惧はある。

まぁ、そういう期待と不安が入り混じった思いで公開を楽しみにしています。

6月、恵比寿ガーデンシネマ、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほかにて全国公開予定

映画『西の魔女が死んだ』オフィシャルサイト

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「ちょっとネコぼけ」岩合光昭 写真・文

評価:
岩合 光昭
小学館
¥ 1,470
(2005-04)
動物写真の第一人者岩合光昭氏のネコ写真集。
尾道、奈良、谷中、横浜、仙台、佐渡、京都、フォークランドにミコノス島と岩合さんが撮り歩いた街のネコ、ねこ、猫・・・ある猫は躍動感溢れて今まさに飛ぼうとし、ある猫はじっとまんじりともせず一点を見つめ、ある猫はほんわかと日向ぼっこ、ある猫は子猫を連れてお散歩中と様々な野良猫、街猫の姿が写真におさめられていて、猫好きにはたまらない一冊です。

僕も趣味で街猫、野良猫探して歩き回るのですが、同写真集の岩合さんのコメントにとてもうなずかされました。

「可愛い」ネコを探して町まら村へと歩いてみる。歩くことがネコに出会える唯一の、そして最良のシャッターチャンスに結びつく。まずは訪れた土地の高いところへと登る。町の全体像をつかみ取ってみる。ネコはネコ自身で似合う居場所を知っているし、居心地にこだわる。ネコのことはネコに聴いてみよう。こちらはネコの匂いを、あの日向くささを、太陽の光を追いかけながら嗅ぎとればよい。そうすればネコに出会ったときの挨拶も進化していくだろう。

そうそう。徹底的に歩くといつしか猫に出会えるんですよね。でもそれからシャッターチャンスにはなかなか結びつきませんし、趣味程度ではシャッターチャンスが目の前にあってもそれを手にできないんですよね。
高いところには登ってなかったなぁ。今度そうしてみるか。ネコの匂いを嗅ぎとる・・・なかなかその境地にたどり着くには道のりが通そうです。

と言うわけで、帯の安野モヨコさんも書いている通り「ネコと 日なたで ねころがって いるような 気持ちになる」ネコ写真一杯のオススメの一冊です。

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Mixiで六次の隔たりが実証されたかもしれないという記事

mixi Engineers’ Blog » mixiのスモールワールド性の検証
mixi上のマイミクシィネットワークを使用して、スモールワールド性について調査しました。その結果ユーザ間の平均距離は5.4、平均クラスタ係数は0.2となり、スモールワールド性が成り立ちそうであることが分かりました。


かなり興味深い検証ですね。

昔ベーコンナンバーの話を知ったときにそれを検証できるサイト(UVA Computer Science: The Oracle of Bacon at Virginia)で色々手当たり次第に色々な俳優名を入れて遊んでいたのですが、どんなにマニアックな俳優でも(例えばイランとか中国とかの俳優でも)結構繋がるんですよね。
で、そのキーになっている人は大スターなどではなく脇役としてありとあらゆる映画に出ているお年寄りと言って良いようなベテラン俳優でした。(それこそ、オードリー・ヘップバーンからブラピなどとまで一緒に共演しているような)
多分、ハブとして通常よりも圧倒的な数と繋がっている人というのが世界には一定数いるんだろうなぁと思ったんですが、このMixiの場合はどうなんでしょうね。
MixiではマイミクはMaxで1000人でしたっけ。その1000人のマイミクを持っている人の繋がり方を検証すると面白い結果が出るかも。

早速Wikipediaが更新されてた。仕事速い。
六次の隔たり - Wikipedia
六次の隔たり(ろくじのへだたり、Six Degrees of Separations)とは、人は自分の知り合いを6人以上介すと世界中の人々と間接的な知り合いになれる、という仮説である。スモール・ワールド現象ともいう。SNSに代表される幾つかのネットワークサービスはこの仮説が下地になっている。


こういうのって母集団がどれぐらいの数になると成立するんだろう。
スモールワールドやスケールフリーと言ったネットワーク科学はまだよく知らないので、これから色々本を読んでいきたいと思います。

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コミュニケーション上で大事なソーシャルスキル

先日読んだ「発達障害かもしれない」にソーシャルスキルについて解説がありました。

ソーシャルスキルとは人が生活し、生きていくための技術のことを指し、アスペルガー症候群や高機能自閉症は社会性の障害であるために、これらが先天的に欠如しています。
アメリカの心理学者レバインはソーシャルスキルを言葉を介さないものと、言葉を介したものとに分けました。
以下の項目の全てに渡って、高機能自閉症やアスペルガー症候群など自閉症スペクトラムの人たちはどうすればいいのか見当がつかないという実態です。
そのため、このようなソーシャルスキルを身につけるソーシャルスキル・トレーニングが発達障害の方々には有用なのだそうです。

これらの項目を見ながら、これはアスペルガー症候群など発達障害でなくとも何らかの指針になる内容だなぁと思いました。

【A 非言語的ソーシャルスキル】

1)挨拶
社会的な場の雰囲気を読み、それにふさわしい行動をとる。

2)強化行動
相手の気持ちを察して、相手をよい気持ちにさせる。

3)相互的行動
友達に親愛の気持ちを行為で表す。

4)協力行動
遊びや仕事で協力する。

5)非言語的キュー
視線や身振りで気持ちを伝える。

6)歩調を合わせる
他人と歩調を合わせ、せかしたり無理強いをしたりしない。

7)社会的フィードバックへの感受性
社会的な相互作用の後、どのようにふるまうかを知っている。

8)他人の行動への理解
相手の行動の意味や意図を理解できる。

9)自分の影響力の認知
自分が他人からどのように思われているか、また自分の存在がどのような影響を与えるかを知っている。

10)他人との争いの解決
攻撃的にならずに、他人との争いごとを解決することができる。

11)場の支配
その場を強く仕切らずに、仲間と関係を持つことができる。

12)社会的回復力
人間関係で失敗しても、回復することができる。

13)自分の売り込み能力
仲間に受け入れられるように自分のイメージを作り上げることができる。

【B 言語的ソーシャルスキル】

1)自分の気持ちを伝える能力
自分の気持ちを誤解されずに正しく伝えることができる。

2)他人の感情を読む能力
他人の気持ちを、他人の言葉から読み取ることができる。

3)仲間言葉の理解
仲間同士の特別な言葉遣いをうまく行うことができる。

4)話題の選択と持続
いつ、どのような話題を、どのくらい続ければよいのかを知っている。

5)ユーモアの使用
適切なユーモアを会話にこめることができる。

6)話し方の切り替え
聞き手の種類によって話し方の切り替えができる。

7)他人の期待の感知
相手が何を知り、何を期待しているのかを知っている。

8)上手な依頼
相手を傷つけないように依頼ができる。

9)誤解の解消
言葉による誤解を解くことができる。

10)感情調和
相手の気分をよくするような話し方をすることができる。


読んでいてもわかるとおり、日常生活を送っている人でもこれらを過不足なくこなせると自身のある人は多くないと思います。少なくとも僕は上記のかなりの部分が苦手ですね。

普通はこれらをきちんとこなすわけではなく、得手不得手あるので必要に応じて使い分けることが出来るかどうかというところにあるように思います。
これらが難しいのは状況に応じてその都度状況と相手のキャラクターなどを把握して判断して使い分けることにあるんだよなぁ。

最近の空気を読め圧力は、これらをこなすことを求めてくるようなところがあるように思うのですが、こういうのって実際は個々人が必要に応じて身につけようとするものであって、外部から出来ていない人に対して除外や嘲笑の対象にするものではないと思うんだよなぁ。

また、ソーシャルスキルだけで過不足無く生活できるかというとそうではなく、今は高度化していて、技能だけではなく知識面までも含めて社会の全体像を把握しないと過不足無く生活するにはちょっと苦労強いられるところあると思います。

とりあえず、個々の項目について自身の振り返りの一旦としてのメモ。一つ一つ見ていくと、常にそんなこと出来ないよなぁ、なんて項目ばっかり。こういうの考えていくと、どのようなシチュエーションでそれぞれどの程度こなせるだろうか、みたいな脳内シミュレーションして、落ち込んじゃいますね。

特に子供向けにソーシャルスキルトレーニングが行われている訳ですが、実際どんなトレーニングをしているのか興味あります。今度調べてみよう。

PS
こういうの、平日午後のスタバやデニーズに集まる奥様方の輪に入れてもらうと凄い訓練になりそうな気がする。ソーシャルスキルの全能力が試される戦場、だよなぁ。あれ。

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発達障害かもしれない 見た目は普通の、ちょっと変わった子 (光文社新書)
発達障害かもしれない 見た目は普通の、ちょっと変わった子 (光文社新書)
磯部 潮

アスペルガー症候群と学習障害―ここまでわかった子どもの心と脳 (講談社プラスアルファ新書)
アスペルガー症候群と学習障害―ここまでわかった子どもの心と脳 (講談社プラスアルファ新書)
榊原 洋一

アスペルガー症候群と高機能自閉症の理解とサポート―よりよいソーシャルスキルを身につけるために (ヒューマンケアブックス)
アスペルガー症候群と高機能自閉症の理解とサポート―よりよいソーシャルスキルを身につけるために (ヒューマンケアブックス)
杉山 登志郎



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「日本語の奇跡―〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明」山口 謠司 著

現代の日本には漢字とカタカナとひらがなの三つおよびローマ字表記の四種類によって書かれた言葉が溢れている。この本はその漢字、カタカナ、ひらがなの三つの表記法が日本語として定着していく過程を通史としてまとめた日本語の軌跡と奇跡をあらわし、著者ご本人があとがきで「書き足りない」と書いている通り、詳細な内容とは言えないが、要点をおさえてわかりやすく簡潔に書かれているので、入門書向きだと思う。

漢字を日本古来の音に当てはめた万葉仮名から始まり、漢文の朱点として漢字の一部を使ったカタカナの誕生と、漢字をデフォルメしたかたちでのひらがなの誕生と続く訳だが、そのベースとして、最澄、空海らが中国語を通してのサンスクリット語で書かれた仏典の理解から、中国語を通さずにサンスクリット語で書かれた仏典を直接理解しようという方向性を生み、さらに菅原道真の遣唐使の廃止によって中国の借り物ではない国語の発展が進み、ひらがな、カタカナの成立の土壌を作った。

また、十世紀ごろに成立したいろは歌が無常観を歌ったように、ひらがなは主に和歌などに使用され、藤原定家によって書き方の模範が整備されて日本人の情緒を支え、カタカナは漢文の朱点に使われたのを起こりとして、「仏教の経典や漢文を訓読して行くための補助手段として産み出され」、公文書などで使われたように日本人のシステマティックな面を支えるようになった。

また、今使われている五十音図は最初は11世紀頃、サンスクリット語を解読する学問「悉曇学」の専門家である天台宗の僧侶明覚がサンスクリット語に基づいてカタカナを並べ、その後江戸時代に本居宣長らによって整備されたものであるという。

そして、明治維新になり日本最初の日本語辞典が大槻文彦という国語学者によって五十音順で作成された。当初いろは歌がメジャーで、五十音順は仏教学など一部の専門書でしか使われていなかったという。
これは明治が情緒よりシステムの構築を重視した精神の表れだと著者は言う。

<いろは>は情緒の世界のものである。これに対し、<アイウエオ>という<カタカナ>は、大槻文彦が日本語の文法を説明するのに的確だと認識したものであり、また役人が漢文体を使って公式文書を書く時に使われるような、システムの世界を構築するものである。
明治という時代は、情緒よりシステムの構築を必要とした時代であった。
大槻が『言海』に用いた「あいうえお順」の配列は、こうした明治の風を受けることによって得た、システムとしての日本語という認識ではなかったかと考えるのである。


情緒のひらがな、論理のカタカナ、の両輪で言語的バランスを取る仕組みを持つことで、あらゆる文化を吸収して新たな世界を作っていく曼荼羅のような言語が日本語であり、「このような仕組みの言語は、日本語以外にはない」と著者は力説している。
読んでいてちょっと日本語に冷静ではない愛情を持っているのかな?という雰囲気は多少感じたけど、まぁ専門家だったらこれぐらいの熱意も愛嬌のうちかな。
ということで、言語的バランスが取れた素晴らしい言語かどうかは、もう少しよく勉強しないとなんとも言えないのだけど、ひらがなとカタカナがそのような役割を果たして来たのだろうというところは概ね同意です。
日本語史に対する漠然とした理解がこの本を読んで上手く整理されました。

あと、和歌の『歌合』が遊びを超えた真剣勝負だったというのは面白いなぁ。

とてもわかりやすかったので、ご本人が書いているように次はこれをさらに突っ込んで、書き足りない部分にも十分言及した一冊を期待したいですね。

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「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」内山節著

かつて、日本の各地で日常ありふれたこととして、キツネにだまされるという話があった。しかし、1965年(昭和40年)ごろを境にして、きつねにだまされたという話が無くなってしまう。それは一体何故か。という考察から始まって歴史哲学について論じた本。

何故1965年を境にして、キツネにだまされたという話が新たに発生しなくなったのか、その理由を色々な人に聞き取り調査をして、大きく次の七つの説に分けて1965年当時の歴史の変化を考察している。



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成人式で暴れる若者と石を投げ合う飛礫という習俗について

「異形の王権」を読んでいて、飛礫打という習俗の話を始めて知ったのだけど、それがなんだか今成人式などでハメを外して暴れる新成人の心理と何か似たものを感じたので、以下メモ代わりというか。道徳的善悪の判断はまた別で考えたい。

異形の王権 (平凡社ライブラリー)
異形の王権 (平凡社ライブラリー)
網野 善彦

飛礫(つぶて)とはその名の通り石を投げることで、戦争、遊戯、神事、一揆など様々な場面で日本は勿論全世界的に発生していた習俗のようだ。
ちょっと改変して引用
つい最近にいたるまで礫打はさまざまな形で、日本の社会の中に生き残っていた。
(1)子供の遊びとしての石合戦、
(2)祭礼・婚礼などのハレの行事に当たっての石打、
(3)一揆・打ちこわし・騒動などにおける石礫
(4)弱者に対する礫
(5)手向けの礫、天狗礫などのような神意、超人的なものに関わる飛礫
(6)忍者など飛礫の名手の存在

で、(2)(3)は容易に結びついて、区別しにくい状態で発生する例が挙げられ、時の為政者に禁止されながらも「飛礫打を当然と考える意識は民衆の中に根強く存在し、決してたえることはなかった。」とのこと。
特に面白いのは熱田神宮の例で、正月十五日(小正月)の神事の際に石を投げあい、エスカレートして切り合いに発展し死者も出たが、その場のみのこととして、復讐や処罰の対象とならなかったのだそうだ。
そこでおこった「罪」は、その場のみで処理して他に及ぼさないというのは「無縁」の場――アジールの特質と私は考えるが、これはまさしく一種のアジール的状況といわなくてはなるまい。


飛礫について、中沢新一著「僕の叔父さん 網野善彦」の中で中沢厚と網野善彦の会話で人類の根源的な衝動に根ざしているのではないかということを書いていて面白かった。そうかもしれない。
僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)
僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)
中沢 新一

飛礫という習俗は今はほとんど神事やお祭り程度でしか残っていないのだと思うけど、飛礫がおそらく千年以上続いてきた、その背景となる意識や日本的な申し合わせみたいなのはまだ残っていて、何らかの行事でアジール的状況が生まれたときに、ハメを外して暴れてもかまわない、という心理が働くのではないかなぁと思った。

で、何故だかわからないけれど、成人式の場ではそのような聖域意識が生まれやすいのではないか。と思う。
同世代というか同年齢の若者が集まっているという『「空気」の研究』で言われるような「劇場の如き閉鎖性」の中で、成人式というハレの場で準拠集団が自然と形作られて「今おれたちの集まりは聖域だから、暴れてもいいよね」というような空気が出来て、野生を開放するのではないだろうか。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
山本 七平

そう考えると、成人式で暴れる人たちについて単なる"バカが騒いでいる"という理解もある側面で正しいのだろうけど、もう少し社会的な要因(原因ではない)が関わっているところがありそうな気がするなぁ。そこらへんはもっと考えたい。
また、このままKYという名の同調圧力が強まっていくと飛礫の時代と似たような状況に逆行していくのかもしれないとも思う。

このあたり、もう少し引き続き色々考えたいので、まずは「無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和」を図書館に予約した。

無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))
無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))
網野 善彦

とりあえず全然まとまっていないのだけど、成人式で暴れる人と飛礫の関連を考えることで、日本の社会について考え始める端緒としてのメモ的な記事という感じです。もっと掘り下げていきたい。

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故河合隼雄氏最期の対談(考える人 2008年 冬号)は現代人必読です。

考える人 2008年 冬号 の河合隼雄氏追悼特集がすごい。
何度か行って書籍化の予定が、河合氏が倒れたため未発表となった河合隼雄×小川洋子の対談と、92年に行われた立花隆との対談の二つが収録されている。書店でパラパラと立ち読みしたら、特に前者が余りにも面白くて即買いました。

人が生きていくために物語が欠かせないのではないかということについて様々な側面から二人が語っているのですが、多方面に話題が移りながら、とても示唆に富むというか、今、最も大事なことを河合氏はこれからまとめようとしていたことが分かり、つくづくその死が惜しまれるなぁと思う。

河合 そう。「個」というものは、実は無限な広がりを持っているのに、人間は自分の知ってる範囲内で個に執着するからね。私はこういう人間やからこうだとか、あれが欲しいとか。「個」というのは、本当はそんな単純なものじゃないのに、そんなところを基にして、限定された中で合理的に考えるからろくなことがないです。前提が間違っているんですから。
小川 何か大きな流れの一部として、自分を捉えるような見方が足りないんですね。
河合 「個」を大きな流れの中で考える、そういうふうに「個」を見るいうことはものすごく大事なんじゃないですかね。
小川 日本人は元々そういう素質はあった。
河合 そうですよ。僕はだから、これからそういうことを真剣に考えようと思っているんです。大きな流れの中における個人主義。現代の日本人が考えている個人主義というのは、ものすごく小さいんですよ。ムチャクチャに小さい。


私もここ一年半、大きな流れの中の個ということについて、ずっと考え続けています。個の区切りは人体という個体で区切られるわけじゃなく、もっと曖昧で広いんじゃないか。そして、多分、大きな流れ、というのは有史からの大きな歴史や社会や文化の流れの中での世界と個という関係性について考え続けています。生活の様々な側面を実感して確実に生きることを少しずつでも心がけるようにしていくことで、色々なところにヒントは見えてくるのだけど、それがまだ形として現れてはこない。
とても難しい。
そういう意識を河合氏も持っていたのだなぁと思ってとても嬉しかったとともに、亡くなられた事が返す返すも残念ですね。

小川 でも、科学技術が限界まで発達してしまった現在の段階になると、むしろ厳密さよりも曖昧さの方が人間を楽にしてくれるんじゃないかなって思いますよね。
河合 その通りですね。だからこれからは、厳密さと曖昧さの共存をよく考えないかんことになる。
ただしそれは論理的に矛盾するわけでしょ。でも矛盾したものを持たないかんということです。ガッチリやらないかんことと、曖昧なのと。科学技術を享受しながら、曖昧がよいと言ってはいけないわけですよね、本当はね。
小川 いいとこ取りしているということですものね。
河合 そうそう。だからそれを共存させるような人生観、世界観がないかっていうことを、今ものすごく考えているんです。人間は矛盾しているから生きている。全く矛盾性のない、整合性のあるものは、生き物ではなくて機械です。命というものはそもそも矛盾を孕んでいるものであって、その矛盾を生きている存在として、自分はこういうふうに矛盾してるんだとか、なぜ矛盾してるんだということを、意識して生きていくよりしかたないんじゃないかと、この頃思っています。そして、それをごまかさない。
(中略)
河合 僕の言い方だと、それが「個性」です。「その矛盾を私はこう生きました」というところに、個性が光るんじゃないかと思っているんです。
小川 矛盾との折り合いのつけ方にこそ、その人の個性が発揮される。
河合 そしてそのときには、自然科学じゃなくて、物語だとしか言いようがない。
小川 そこで個人を支えるのが物語なんですね。
河合 ええ。自然科学の成果はたとえば数式になったりして、みんなに通用するように均一に供給できる。そして、それで個が生きるから、物語になるんだっていうのが、僕の考え方です。


そうそう。そうなんです。合理主義的な側面と相矛盾する曖昧さやこころの問題について、特に文化や社会のありようと自分との関係性ってどう折り合いをつけるのかが最大の課題だと私も思っています。合理的なだけでは割り切れない様々な現実をどう乗り越えるかって、私にはとても大きな壁であり、課題であると感じていて、それは明治維新に日本的なものと西洋的なものとの二重構造を生んだままでここまで来たからだという理解までは今辿りつきました。

今現代の矛盾を生きるために、自分でどのような物語を構築するか、そこを考え続けています。
物語の不在とともに、今や一度作った物語がすぐに陳腐化し、無力化していく速度の速さがあると思っていて、そのベースをどう構築するかがとても重要なのだよなぁ。
個性という物語を作ること、そして常に新しい物語を作り続けていくことだと思うのだけど、その一歩がまだ戸惑うこと多い。

まぁ、この物語の不在という話は語り始めたらまだまだ書くこと一杯あるので、折々書いていきたいと思っています。

そして、対談が盛り上がりこれから!という感じのところで河合先生から
河合 続きはまた今度にしましょうか。

この対談の二ヵ月後、河合隼雄氏は脳梗塞で倒れ、翌2007年1月永眠された。

対談の最後は河合氏一流のジョークで締められている。

河合 「望みがない時にどうするか」という有名な話。僕は「望みを持ってずっと傍にいる」ことが大事だってさっき言いましたが、「望みがない時はどうするんですか」って聞かれたんです。すると僕の目の前におった人が「のぞみのない時はひかりです」。みたらね、新幹線の売り場なんです(笑)。


のぞみのないときはひかりです。そしたらこだまが帰って来ますよ。

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「愛について語るときに我々の語ること」レイモンド・カーヴァー著/村上春樹訳

愛について語るときに我々の語ること (村上春樹翻訳ライブラリー)
愛について語るときに我々の語ること (村上春樹翻訳ライブラリー)
レイモンド カーヴァー

「頼むから静かにしてくれ」「怒りの季節」に続くレイモンド・カーヴァーの三冊目の短編集。
村上春樹が熱心にこの作家を日本に紹介していたのだけれど、今まで未読でした。と思っていたら以前読んだやはり村上春樹編訳の「バースデイ・ストーリーズ」にこの「愛について語るときに我々の語ること」収録の短編「風呂」が収録されていた。

今回、この短編集を読もうと思ったのは村上春樹の新作「走ることについて語るときに僕の語ること」が、この短編集から取っていることを知ったから。印象的なタイトルです。

走ることについて語るときに僕の語ること
走ることについて語るときに僕の語ること
村上 春樹

昨日、何気なく本屋に寄ったら15日発売のはずがすでに店頭に並んでいましたよ。amazonで予約済みなので買いたい気持ちを抑えてそのまま買いませんでしたけども、パラパラと読んだところ、面白そうでした。

さて、本短編集ですが、レイモンド・カーヴァーという作家の作風はよく知らないのですが、結構辛気臭い話(不倫したり浮気したり殺人起きたり痴話喧嘩etc)が並んでいて、これはちゃんと挫けずに読み終えることが出来るかちょっと不安だったのですが、意外とするすると読むことが出来ました。ただ、題材的にあまり好みではない作品が多かったけど。

個人的に好きだったのは表題作の「愛について語るときに我々の語ること」「静けさ」「何もかもが彼にくっついていた」の三作。

愛について語るときに我々の語ること
二組の夫婦がホームパーティで酒の肴に愛について語る。ほとんどは心臓外科医のメルが自身の経験や患者のことなどを中心に語っているのだけど、その語り口と、話される内容がとても興味深い。愛についてとか人生についてなんて題材は抽象的でどこまででも広げられるから酒の肴には向いているのかもしれない。素面で語るには恥ずかしすぎるだけに。物語の終わりもまた素敵だ。ちょっとした舞台劇の終幕のような終わりにも思える。

静けさ
アメリカの片田舎にある、とある床屋での一幕を描いているだけなのだけれど、緊迫感があって、かつ透明感があるお話になっているところにぐいぐい引き込まれた。あとがきで村上春樹がこの短編集のベストにも上げているけど、確かにすばらしいと思う。床屋の客同士の無駄話の向こうにそれぞれの人生が見え隠れしていて、そしてラストでこの床屋が彼にとってのターニングポイントであったことがわかる。良質の映画のよう。

何もかもが彼にくっついていた
娘は父に自分が生まれたときの話をねだり、父は自身が18、妻は17歳で結婚し娘が生まれたばかりのころのエピソードを語る。当時の物語でありながらその後から今までの間にあったであろう人生の積み重ねがひしひしと伝わってくる。
物事は変わるんだ、と彼は言う。どうしてそうなるのかはわからないけれど、とにかく気がついたときには変わってしまっている。意志とは無関係にね。

このセリフの重みがすごくいい。描かれる若い夫婦の間にはその後色々なことがあって、今父と娘は酒を飲んでいる。という感慨がこみ上げてきます。

また「菓子袋」は親子間の伝わらなさが面白かったのと、「私にはどんな小さなものも見えた」はなめくじが印象的、というか読みながらなめくじが光って見えた。それ以外は、暗さと救われなさがちょっと受け付けなかった。

関連エントリー
Kousyoublog | 「バースデイ・ストーリーズ」村上春樹編訳
Kousyoublog | 「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹著
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英女性作家ドリス・レッシング、ノーベル文学賞受賞

英女性作家ドリス・レッシング、ノーベル文学賞受賞 国際ニュース : AFPBB News

【10月11日 AFP】(写真追加、10月12日一部更新)スウェーデン・アカデミー(Swedish Academy)は11日、2007年のノーベル文学賞を英国の女性作家ドリス・レッシング(Doris Lessing)氏(87)に授与すると発表した。約半世紀にわたりフェミニズムや政治、幼少期を過ごしたアフリカを叙情的に描いてきた作品が認められた。



 同アカデミーはレッシング氏について「女性性の経験を描く抒情詩人。懐疑的視点と情熱、深い洞察力をもって、分断された文明を厳しく見つめた」と評した。



 1919年10月22日生まれで、次週88歳を迎えるレッシング氏は、1901年創設のノーベル文学賞受賞者として史上最高齢。同賞では女性作家として11人目の受賞となる。また、ノーベル賞全体を合わせても史上2番目に高齢の受賞だ。



 11日、受賞が発表された瞬間、レッシング氏は買い物に出かけていた。談話を求めたAFP記者に、同氏の代理人Jonathan Clowes氏は「業績が高く評価されて光栄だ。われわれは心から喜んでいるが、本人は買い物に行っていてまだ知らない。彼女がニュースで知ってしまう前にどうにか連絡を取ろうとしているところだ」と語った。受賞を伝えた後、レッシング氏から談話を発表してもらいたいと述べた。



  レッシング氏の扱うテーマは幅広い。最も著名な1962年の作品『黄金のノート(The Golden Notebook)』で、レッシング氏はフェミニスト作家とみなされるようになったが、常にこうした「レッテル貼り」を拒絶し、自分の作品が直接的に政治的役割を演ずることはないと語ってきた。



■レッシング氏経歴



 レッシング氏は1919年に現在のイランのKhermanshahで、ドリス・メイ・テイラーとして生まれた。1927年に両親が当時の南ローデシア(現ジンバブエ)へ移り、人格形成期をその農場で過ごした。後に「地獄のように孤独な」育ち方だったと回想している。1939年、実家から逃げ出すようにフランク・ウィズドム(Frank Wisdom)氏と結婚。1943年に離婚するまでに2人の子どもをもうけた。



 2人目の夫はドイツ人の政治活動家ゴットフリード・レッシング(Gottfried Lessing)氏だったが、1949年にまだ幼い息子と1作目『草は歌っている(The Grass Is Singing)』の草稿を手に英国へ渡り、同氏とも離婚した。人種的抑圧と植民地主義を焼け付くような鋭さでつぶさに描いた同作は翌年出版され、大きな成功を収めた。

 

 ラジカルな政治傾向を有していたレッシング氏は英国共産党に入党するが、ハンガリー動乱の1956年に離党し、以降決別している。



 1952年から69年の間に、マーサ・クエストと名付けた主役をめぐる5部作『暴力の子供たち(Children of Violence)』を出版し、作家とフェミニストという2つの評価を確立した。この評価について、レッシング氏はかたくなに否定し続け、「私は60年代もそれ以降も、活発なフェミニストではなかった。(フェミニスト運動は)イデオロギーに依拠しすぎていて好きではなかった。さまざまな主張があったが、私にとっては真実として響かなかった」と述べたことがある。



 1980年代に人気にかげった時期、レッシング氏は出版における知名度の重要度を試してみたいと思い、別名で小説を投稿したところ、まったく相手にされなかった。この小説は後に、作者が彼女であることが明らかにされた後、出版された。



 徐々にアフリカに関する積極的な発言も増え、特にアフリカ諸国の政府の腐敗や横領を辛らつに批判してきた。南アフリカはアパルトヘイト撤廃後の1995年まで再訪することはできなかった。



 小さなテロリスト集団に加わった若い女性を描いた85年の作品『The Good Terrorist(善きテロリスト)』には、現在も強い反響がある。



 近年は英国ロンドン郊外のハムステッド(Hampstead)に住み、サイエンス・フィクションも手掛けていた。



 また、インターネットの会員制サイト「MySpace」では、およそ最高齢の利用者のひとりとして自分のページを開設している。最近では「女性、87歳」と掲げた下に、「ドリス・レッシングには136人の友人がいる」と書いている。



■喜びのコメント



 受賞の知らせを受けたレッシング氏はこれを歓迎。「これで欧州ですべての賞を受賞したことになる。どれもすばらしいもので、それらすべてを受賞できて光栄だ。30年越しで文学賞の『ロイヤル・フラッシュ』を決めた」とロンドンの自宅前で記者団に語った。



 レッシング氏はこれまでに「メディシス賞(Prix Medicis)」(1976年)、「ロサンゼルスタイムズ(Los Angeles Times)ブック賞」(1995年)などを受賞している。(c)AFP




失礼ながらこれまで存じ上げませんでした。っと言っても、ノーベル文学賞受賞する方はこれまでも受賞するまで知らないことが多いのですが。



ドリス・レッシング作品

夕映えの道―よき隣人の日記

夕映えの道―よき隣人の日記

ドリス レッシング, Doris May Lessing, 篠田 綾子



アフガニスタンの風

アフガニスタンの風

ドリス レッシング, Doris Lessing, 加地 永都子



ラブ・アゲイン

ラブ・アゲイン

ドリス レッシング, Doris May Lessing, 山本 章子



なんといったって猫 新装版

ドリス・レッシング, 深町 眞理子



破壊者ベンの誕生

ドリス レッシング, Doris Lessing, 上田 和夫



一人の男と二人の女

ドリス レッシング, 行方 昭夫



シカスタ (上)

ドリス・レッシング, 大社 淑子



シカスタ (下)

ドリス・レッシング, 大社 淑子



ドリス・レッシング短編集

ドリス レッシング, Doris Lessing
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「人類の足跡10万年全史」スティーヴン・オッペンハイマー著

人類の足跡10万年全史
  • スティーヴン オッペンハイマー、仲村 明子
  • 草思社
  • 2520円
Amazonで購入
livedoor BOOKS
書評/サイエンス

人類は、いつどのようにして生まれ、どのような過程を経て現代に生きる我々へと至るのか、という問いに対する現時点での総まとめ的な一冊。

付録の図表まで含めて400ページを超える論文で、読むのにかなりの時間と労力と手応えがありました。
枕元に置いて寝る前に読んでいたのだけれど、夢の中で手斧を持った現生人類に襲われたことが一度ならずあって命がけの読書だった・・・というのはウソです。

さて、人類はどのように歩んできたのか。
かつては各地域で個々に進化したとする他地域進化説とアフリカから全世界に広がったとするアフリカ起源説とがあったが、遺伝子学の発展によって、後者が定説となった。

そして今や、我々非アフリカ人はたった一組の男女にまで遡ることが出来る。母系はミトコンドリア、父系はY染色体が交配によっても変わることなくその特徴を残しているのだ。

400万年前にアウストラロピテクス・アナメンシスが二足歩行を開始し、いくつもの類人猿が登場しては消えて行き、250万年前、ついに我々の祖ホモ族がアフリカに登場。脳の容量が増え、道具を使うようになったホモ族は系統に分かれながらも地上を支配した。しかし氷河期によって絶滅の危機に瀕する。しかしなんとか生き残り17万年前、我々ホモ・サピエンスが登場。
アフリカで漁労採集生活を送りながら徐々に発展していった。

我々がアフリカを出発したのは諸説あるが、この本では七万年前以上(8万5千年前)という説を採っている。
数十名から数百名のこの一団は何か必要に駆られてアラビア半島の南側からアフリカを出発した。人類史上アフリカを旅立つことに成功したのはこの集団だけだった。ここから人類の長い長い旅が始まる。
勇敢な彼らだったが、しかし、数万年の旅の過程で最初の遺伝子は一組の男女を残して絶滅した。この集団のうち、現代まで生き残っているのは男性、女性たった一組の遺伝子だけしかない。
この一組の遺伝子が壮大な人類史の始まりだったというお話。

ぼんやりと知っていたが、こうして科学的な考察を含めて提示されるとその壮大さに身震いがします。

この一組の遺伝子はのちにインドで母系のミトコンドリアイブは二手に、父系のY染色体は三つに別れ、アジア、オセアニア、ヨーロッパへと分散していきます。
この系統図は図解で挿入され各人種がどこで別れて行ったのかも一目出来、その過程を遡っていく楽しみが味わえます。系統図に日本人を見つけたときにはやはり嬉しい。我々も長い旅をしてきたのだなぁという感慨は確かに沸いてきます。

一組の遺伝子から始まる人類の旅は長く、その別れた子孫たちはその地域毎の環境に合わせて変化していきます。アジア地域のモンゴロイド、西ヨーロッパのコーカソイド、アフリカ・東南アジアの一部のネグロイド、オセアニアのオーストラロイド。
この本では人種間に優劣は無いとしていますが、そこはまだ異説もあり研究過程の分野。人種によってその環境に適用するため優劣が生じたという説も強いようです。勿論、差はあっても、そこに差別を持ち込むべきではないと思いますが、差別を否定するために事実を見ないようにはしたくないところ。ナイーヴな問題が科学者達を囲んでいるようで、著者は敢えて優劣は無いと力説しています。

アフリカを出た我々の祖先がどのように別れどこに行ったのか、一組の遺伝子を持つ子孫がどのように変わって行ったのか、についてはまだ仮設と推論も多いようなのですが、大きな流れが具体的に描写されていて面白かった。しかし、読み辛さは確かにあるので理解が及んでいない面も多かったです。

このように、凄いボリュームで文字通り全史と言って良い内容なのですが、惜しいのは2003年に出版された本の翻訳というところですね。こういう研究分野はそれこそ日進月歩、次々と新しい発見がなされる分野だけに、すでに古くなってしまったり、新たな発見があった部分も多いと思われます。ぜひ最新の内容でのこういうまとめを読みたいですね。

事実がわかると、そこに物語を見出したくなります。
何故我々はアフリカを出て世界中を旅したのか、そして何故別れて行ったのか。そこにどんなドラマがあったのか。事実を知り、そこにある人間模様や物語を感じることが出来たときに、この本の序文が生きてきます。

自分がどこへ行くかを知るためには
自分が今いるところを知らなければならない。
そのためには、自分がどこから来たかをした無ければならない。
        フィリピンに残るオセアニアの古いことわざ
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社会的規範を逸脱する行為はなぜ起こる?脳の働きの解明進む

社会的規範を逸脱する行為はなぜ起こる?脳の働きの解明進む 国際ニュース : AFPBB News



【10月8日 AFP】悪いことをした時に罰や仕返しを恐れる思考が脳のどの部分で処理されるのかを突き止めたとして、ドイツとスイスの研究グループが3日付の専門雑誌「ニューロン(Neuron)」に研究結果を発表した。利己的な性格を持つ反社会性人格障害者の行動を理解するのに役立つ可能性があるという。



 研究はドイツのウルム大学(University of Ulm)と、スイスのチューリッヒ大学(University of Zurich)が共同で行った。ボランティア被験者2人を使って社会的規範にかかわる問題に対処させ、断層撮影装置を利用してその間の脳の動きを調べた。



■財産山分けの設定で実験



 実験では公正の原則が問われる課題を与え、公正さの基準から逸脱したら報いを受ける場合と、逸脱しても報いを受けない場合の反応を調査。具体的には被験者2人の共有財産を山分けするという設定で、被験者Bに分配する金額を、被験者Aに決めさせた。



 第1のシナリオでは後に被験者Bに対し、被験者Aの取り分がいくらだったかを知らせ、その金額の一部あるいは全額を使ってもいいと指示。つまり被験者A の取り分はそれだけ減ることになる。これに対して第2のシナリオでは、被験者Bは被験者Aの決定を一方的に受け入れる立場に立ち、それに対し仕返しや罰則を加える権限は与えなかった。



■前頭葉前部皮質が反応示す



 それぞれの場合で被験者Aの脳の動きを断層撮影して調べたところ、罰則を受けるかもしれない(取り分が減るかもしれない)と知っていて決定を下す第1のシナリオでは、Aの前頭葉前部皮質が明るくなることが分かった。脳のこの部分は、公正さにかかわる問題と、罰則に関する判断を司る部分として知られている。



 興味深いことに、人物Bの代わりにコンピューターを相手にする場合には、被験者Aの頭の中で前頭葉前部皮質は目立った活動を示さなかった。



 研究はさらに、自己中心的な傾向の強い人物を被験者として使い、反応に違いがあるかどうかも調べた。その結果、こうした人物の場合は罰則の可能性に対して最も強い反応を示し、ほかの被験者に比べ脳の該当部分の働きも活発だった。



■反社会性人格障害者に機能障害の可能性



 これまでの研究で、前頭葉部分に損傷がある場合は、社会規範が理解できても正常な行動を取ることができないことが明らかになっており、今回の実験結果は反社会性人格障害者の行動を理解する一助になる可能性がある。つまり、著しく自己中心的で、基本的な社会規範を守れない反社会性人格障害の根底には、今回の実験で明らかになった頭脳部分に機能障害がある可能性が示されたという。



 また、何が社会的に許容されるのかを判断する頭脳の部分が若いうちは十分に成熟していないと考えられるため、刑法制度において、未成年者は成人とは異なる基準で扱う必要があるという主張の裏付けにもなると研究チームは指摘している。(c)AFP






あれ?人格障害は器質的なものみたいな説無かったっけか・・・確か事故で前頭葉に傷ついたりすると反社会性人格障害になるというような話があったような。



ただ、実験としては面白いので興味深く読んだ。



平気で他人の心を踏みにじる人々―反社会性人格障害とは何か

平気で他人の心を踏みにじる人々―反社会性人格障害とは何か

矢幡 洋






科学 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

ギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン」"Alone Again"

Gilbert O'Sullivan - Alone Again


これは懐かしいなぁ。70年代にヒットしていたみたいだけど、80年代中盤、ドラマのテーマソングになったりしていたリバイバルブームで知った。

アローン・アゲイン
アローン・アゲイン
ギルバート・オサリバン
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海に転落、ペットボトルのおかげで奇跡の生還

海に転落、ペットボトルのおかげで奇跡の生還 国際ニュース : AFPBB News



【10月4日 AFP】岩手県釜石市沖でタンカーから海に転落した男性(28)が、空のペットボトルにつかまって一晩を過ごし、無事救助されていたことが分かった。釜石海上保安部が4日、発表した。



 男性は2日午後、タンカーさくら丸(2997トン)から海に転落。救命胴衣を着用していなかったが、海上で発見した約3リットルのペットボトルを浮き代わりにし漂っていたところを、およそ10時間後に沖合約20キロの海域で漁船に救助された。



 発見時男性は片手でペットボトルにつかまり、もう一方の手を振っていたという。



 男性にけがはなかったが、低体温症のため数日間入院する。



 同保安部も「広い海でペットボトルを見つけたうえに、水温も約19度とこの季節にしては高く、さまざまな幸運が重なった」と驚いていた。(c)AFP




しかも3リットルのでっかいペットボトルを見つけたのが幸運。

確か30度以下で体温調節機能が低下し、25度以下だとアウトということだったと思うけど、水温19度だったら、どれだけ持つのだろう。



救命救急マニュアル+中毒対処法―知っておきたい!応急手当てと処置法

救命救急マニュアル+中毒対処法―知っておきたい!応急手当てと処置法

杉山 貢, 森村 尚登, 安瀬 正紀
社会 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

村上朝日堂はいほー! (新潮文庫)

村上春樹が1983年から1988年までの5年間にハイファッション誌に連載した35編のうち、本人が気に入らなかった12編を除いて、新たに8編を加えられたエッセイ集です。

エッセイを読んでいてまず思うこと、それは小説の中の"僕"と村上春樹は別人だということ。あるいは小説の中の"僕"とエッセイを書く村上春樹と、村上春樹はおそらく別人だろうということ、です。

小説の"僕"はかなり強烈で知らず知らずに作者とイメージを重ね合わせて読んでしまうのだけれど、エッセイを読むと当然ながら明らかに違います。その違いは小説の僕ほど内省的では無さそうで、それゆえにバランス感覚が優れていそうに見えます。

そこが、村上春樹の小説と村上春樹のエッセイの大きな違いであり、面白さなのかなぁと思います。

エッセイと言いながらも当然脚色は多く入っているのだと思うし、それっぽい言及をしていたりもするので、小説の僕と違うエッセイ上の僕を眺めつつ読みました。

「チャンドラー方式」はレイモンド・チャンドラーの思考スタイルで、村上春樹本人も真似するスタイルなのだそうだけど、僕にも有効な気がしたので真似してみたい。
文章を書く準備をして、一定の時間デスクの前に座る。その間は他のことはしない。文章を書こうと努力もしない。ただぼーっとする。
これは僕も真似したいなぁ。

「日本長期信用銀行のカルチャー・ショック」も面白かった。
ノン・フィクションというのは原理的に現実をフィクショナイズすることであり、フィクションというのは虚構を現実化することなのだ。

ここに激しく膝を打つ。世の中全てフィクションですよ。と思ったのです。

また「うさぎ亭」のコロッケ定食の美味しそうな事といったら無いですね。食べたいけど無いのかもしれない。というか無いのだろう。

「スコット・フィッツジェラルドと財テク」も面白かった。
当時(83〜88年)に書かれたこの文章の趣旨としては、誰でもが上がるのが当たり前と思っているマンションすら買わなくて、結局上がったのを見て、財テクの下手さを自嘲してみせるというような内容なのに、今読むと、その後の末路を知っているだけに、村上春樹夫妻が、適切で賢明に見えるのであります。
こういう時代を超えてしまうと全く趣旨が変わっている文章というのは面白いなぁ。

「ON BEING FAMOUS(有名であることについて)」は現在でも通じる、というか現在のネット世界にぴったりの内容になっているように思えて、その普遍性というか、回り回って違う形で意味を持つところに面白さを感じました。

曰く

有名人になるというのは、自己を取り囲む好意と悪意の総量を両方向に飛躍的に増大させることなのだ。(中略)(有名人でない世界は(kousyou補記))誰が自分を好いていて、誰が自分を好いていないか、大体のところは把握できる。それは把握可能な範囲の世界なのである。(中略)ところが人は一度有名になると、まったく把握不能な世界から把握不能な種類の好意や悪意を受けることになる。あるときは無意味に罵倒され、あるときには無意味にちやほやされる。一度も会ったことがなく、一度も関わったことがなく、名前さえ知らない相手から。そういう人生が好きな人は有名人に向いている。好きじゃない人は・・・・・・あきらめるしかない。

まさにインターネット世界だよなと思います。実は村上春樹が言うところの有名人が無数に、それこそ誰もが有名人になれるシステムがインターネットなのかもしれない。などとつらつらと思いました。

当時の世相などを書きながら今でも色褪せないところにこのエッセイ集の魅力があるのかなと思います。


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自己愛性パーソナリティの記事が一番反響が大きかったです。安倍前総理は自己愛性パーソナリティではないと思いますが。他、環境系の記事もアクセスが多かった。
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散歩の達人 2007年 10月号

散歩の達人 2007年 10月号 [雑誌]

「谷中根津千駄木 志ん生一家に愛された町」として谷中根津千駄木一帯の特集。
まずは往年の名落語家古今亭志ん生ゆかりのスポットが志ん生のエピソードを交えて紹介されています。
恥ずかしながら落語はよく知らないので志ん生のことも名前を知っている程度だったのだけど、江戸っ子らしいエピソードが伝わってきました。
色々なお店と交流があり、諏方神社の境内で落語の稽古をしていたとか。
志ん生特集の後は美味処、せんべい屋、喫茶店、おみやげグッズ、そして谷中根津千駄木一帯と言えば猫ということで、猫関連ショップの紹介、古本屋など広く様々なスポットがみっちりと紹介されています。

それらショップの紹介の後は散歩コースの特集で、
「区界うねうね歩き」は谷中根津千駄木の区界を歩く企画で、僕も散歩をすると知らず知らず区界を歩くことが多いので共感して読めました。谷根千は区界を歩くとなるとやはりへび道ですねー。

「寺めぐりベストコース」は先日、谷根千を歩いたときは寺院は殆ど行かなかったので興味津々で読みました。
このあたりを歩くには紅葉が始まるころが見ごろだそう。次は10月〜11月ごろにでも歩くと良さそうですね。
ということで紹介されている寺めぐりコースは
青雲寺→修性院→南泉寺→浄光寺→諏方神社→養福寺→本行寺→天王寺→浄名院→寛永寺→護国院
という11箇所。ぜひまた機会を見つけてみっちりと回りたいですねー。

その他1853〜1854年の江戸の谷中一帯の地図や谷中在住のアーティストのインタビュー、千駄木に住んでいた濱田マリインタビューなど。

充実していてぜひ参考にしたい特集でした。

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東京人 2007年 10月号

東京人 2007年 10月号 [雑誌]
東京人 2007年 10月号 [雑誌]

10月号の特集は『後藤新平 東京をデザインした男』

編集後記に高橋編集長のコメントとしてこう書かれていた。
これを特集しなければ東京人のレゾンデートルがない。


その心意気もあってか、すごい充実した大特集で読み応え充分でした。かねてから後藤新平には興味があって内務大臣時代の彼が今の東京のベースを作ったらしいという漠然としたところは知っていたのだけど、具体的に知るとさらに興味が出てきました。

後藤新平は東京の様々なベースを作りました。
環状一号から八号と昭和通、大正通など主な幹線道路を引き、清洲橋、永代橋など隅田川に掛かる九つの橋と万世橋など東京の425の橋梁を震災から復興させあるいは新設し、隅田公園、浜町公園、錦糸公園を作り、百数十の小学校と隣接する小公園を作り、東京駅や、同潤会アパートを建設し、まさに後藤新平の手によって今の東京のアウトラインが作られたのだそうです。

江戸やそのまた昔だけでなく、大正〜昭和の東京のアウトラインを作ろうとした時期にも思いを馳せて東京を歩くとまた新たな発見がありそうです。

後藤新平の業績はまた詳しく調べたいなぁと思います。

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エディット・ピアフ「ばら色の人生」「愛の賛歌」

個人的にはあまりエディット・ピアフのことは知らなかったのだけど、曲だけ知っていました。

Edith Piaf - La Vie En Rose - 1954


この「ばら色の人生」が好きかなー。

Edith Piaf - Hymne à L'Amour


この「愛の賛歌」もすごい。

圧倒的に上手いですね。ぶるぶると音の震えが伝わってきて共振させられる感じあります。

エディット・ピアフの人となりは知らなかったのだけど、すごい人生だなぁ。映画化するのも当然というか。

エディット・ピアフ - Wikipedia

エディット・ピアフ
エディット・ピアフ
エディット・ピアフ
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これから調べたい14のこと

■スギ林について
最近読んだ二冊「鎮守の森」「人はなぜ天気に左右されるのか」の両方に、花粉症の原因としてスギ林があり、このスギ林は第二次大戦後政府の政策によって植林が進められたが輸入木材によって放置された。そのスギ花粉が大量生産の時期に入っていることが原因だという趣旨の記述があった。
どうやら政府の政策の失敗が花粉症の原因の一つっぽいのだけど、このあたり調べたい。
ちょっと前、石原都知事がスギ林対策の話していたようなしてないような記憶あるな。

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■地球温暖化、特にCO2の排出について
CO2の排出に関する日本の状況とか、あとCO2だけじゃなく、メタンや水蒸気など温室効果ガスについて知りたい。その対策も。

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■生気象学
気候と人間の体の関係。何故人は冬になるとうつ病になったり、秋は寂しくなったり、篤くなると攻撃的になったりするのか。何故人が死ぬ時期はひとところに固まるのか。
以前から思っていたのだけど、人が亡くなる時って季節の変わり目のある一定の日前後に固まるんですよね。前職で人事系なことしていたので痛感していたのだけど、従業員のご家族が亡くなるのって一斉に示し合わせたように同じ時期だと思う。

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■東京の植林、緑化の状況について
公園など緑地面積はすごいと思うのだけど、さらに増やして欲しいなぁと思っている。そういう取り組み状況知りたい。

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■暗渠化された川について
東京は都市化の過程で様々な自然の川を埋め立てたり、暗渠にして下水道として再利用したり、あと池も埋められて公園になったりしているわけですが、その現状、過程とこれからについて調べたい。
都民なら誰でもしってる等々力渓谷ですが、源流がどこか知っていますか?とある団地の間の小さな小さな、ブランコが一つだけポツンとあるだけの公園の地下だということを。

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■東京の移り変わり
例えば路地の一つ、道路の一つとっても歴史があって、例えば246はかつては大山道(矢倉沢往還)と呼ばれ街道の一つだったり、渋谷はその名の通りいくつもの川が集まる谷だったりしているわけだけど、そういう東京の移り変わりに興味がある。結構ライフワークに近いところあるなぁ。

■神社の信仰対象について
神社はご神体が森だったり山だったりと基本アニミズムだと思っているのだけどその信仰体系について調べたい。
いや、最近神社を見て歩いていて、鎮守の森が無いなんて本末転倒じゃないの?と思うので、実際本末転倒なのか。

■日本文化と自然科学の関係
科学ってそもそも、キリスト教的だと思うのですが、今科学は本当に普遍的なのか。日本に輸入されて今に至る間で矛盾や二重構造になっているのではないか、というあたり知りたい。
多分、擬人化文化に擬人化否定・客観化主義というのはマッチしていなくて、何かその齟齬が大きな格差になっているんじゃないか、と漠然と思っているのだけど。

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■自己と他者の関係性
アイデンティティというか、自己と他者との関係性についてもっと深く突っ込んでいってみたい。僕の持っている性質として変化に対して不変を求めるというか、様々なことに執着してしまう傾向があって、それはなんとかしたいなぁと思っているのだけど。その傾向が他者とのコミュニケーションについて問題になっているんだよな。

■スケジューリング
惰性で、好きなことや、やりたいことに流れやすいので、上手くスケジューリングしていきたいのだけど、なかなか上手くいかない。

■人類の起源
数万年前にコーカソイドもモンゴロイドもオーソトラロイドもアフリカから出てきたんだそうだ。その一組の男女の子孫が世界中を旅して、子を産み、文化を作り、旅を続けた。
その過程って余りにもドラマティックで感動的な気がするのだけど、それ、今読んでる
→「人類の足跡10万年全史」
特にその移り変わりと文化はとっても興味あるので詳しく調べたい

■仏教の歴史、というか日本の宗教史
先日も書いたのだけど、日本の宗教史とその宗教の影響を受けて人々の生活がどう変わっていったのか、そしてどのような影響を文化に与えたのか、はとても調べたい。
特に神仏習合から廃仏毀釈まで。

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Kousyoublog | 仏教を知りたいのだが

■世界の神話
神話は多分人々のイマジネーションのプリミティブな発露だと思うのだけど、そのプリミティブな心の動きに興味がある。何故人は物語るのかまでいくよなぁ。この話は。

■意識と無意識
ユング、フロイト、ラカン、まぁ、いわゆる心理分析、精神分析系。
なんか、こうしてみるとあれですな。
ロハス(笑)エコ(笑)スピリチュアル(笑)自分探し(笑)ライフハック(笑)東京(笑)
みたいな、アレな人風味。
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仏教を知りたいのだが

仏教を知りたいのだが
僕も知りたいのでトラバ。

とりあえず、日本仏教史(末木文美士)と、あと松岡正剛の本何冊か読んだのと、記紀神話寄りの本数冊、あと神社仏閣巡りしたあたりの知識程度ですが、
仏教は
・成立からアジア一帯への伝播
・日本への輸入の経緯
・日本古来の神話との神仏習合
・日本仏教の成立(空海とか最澄とか)
・鎌倉新仏教の成立(親鸞とか法然とかそのへん)
・仏教の先鋭化と弾圧(一向一揆とかvs.信長あたり)
・江戸時代の仏教の国家制度化(檀家精度とか)
廃仏毀釈から明治大正第二次大戦終了までの仏教
・現代仏教

あたりで全く違う顔を持っていて、特にインドの仏教と中国の仏教と日本の仏教はそれぞれ全く別物っぽい。その時々の状況を知っておくと、仏教が全体として日本文化に与えた影響がざっくりと分かりそう。で、そこから個々に思想的なところに入っていくといいのかなと思っています。

ということで、それぞれで読むといい本知りたい。

日本宗教史 (岩波新書)
日本宗教史 (岩波新書)
末木 文美士

特に、ざっくりと知るのにこの「日本宗教史」はわかりやすかった。かなりざっくりだけど。

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)
日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)
網野 善彦

鎌倉新仏教のあたり詳しくよく書いてある。

日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス)
日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス)
松岡 正剛

神仏習合とか仏教文化あたりのことのざっくり概論がわかりやすい。

ここからがっと詳しく突っ込んで知って行きたいなぁと思う今日この頃です。

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日本一多い同音異義語を知っていますか?

僕はハンドルネームがkousyouですが、実は本名も光正と書いて「こうしょう」と読みます。
かなり珍しい名前のようで、リアルでも同じ名前の人に出会ったことがありません。よく実家はお坊さんですか?とか言われるんですが全く関係なかったりします。

最近知ったのですが日本語の漢字二文字で表せる同音異義語のうちで最も多い読みが「こうしょう」なのだそうです。それは光栄だなぁと思いましたので、調べてみました。
広辞苑には49の語句が採録されています。そのうち、人名(康尚)を除いた48語は以下の通りです。

続きを読む >>
語学・言語・言葉 | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

2007/08/17注目のブログ記事

H-Yamaguchi.net: 動画投稿サイトと画像検索

至極ごもっともです。顔出ししておバカ動画を撮る分にはあとで人にバレたり、ちょっと仕事に差し支える程度ならまぁいいんじゃないでしょうか。





極東ブログ: そろそろ葉酸について一言言っておくか

葉酸の摂取が先天障害、特に神経管閉鎖障害の予防に利くということで、妊娠前の女性、つまり女性は日ごろから葉酸を取りましょうというお話。わかりやすい。





もみあげチャ〜シュ〜:メンヘラだけのオフ会逝って来た。

内容より、>>1のサバイバル技術に感動。





急速な円高や全世界同時株安の原因、「サブプライム問題」とは? - GIGAZINE

要するに形を変えたバブル期みたいなもんですね。





ワガママ道前途遼遠 (内田樹の研究室)

ワガママが足りない。というかワガママをするしか道が残っていない。と個人的に思っている。





らばQ : 地球について知っておきたい10の事実

全部知らなかった。





MORI LOG ACADEMY: 引き籠もり力

激しく同意。引き篭もっている時間がただ引き篭もりではなく、弓が引き絞られている感じであるのだろう。そうありたい。
ヘッドライン | trackbacks(0) | ブログランキング・にほんブログ村へ ブックマークに追加する あとで読むこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーを含むはてなブックマーク

からくりからくさ

評価:
梨木 香歩
新潮社
¥ 620
(2001-12)
梨木香歩の作品を読むときに側に置きたいのが樹木図鑑や野草図鑑です。
彼女の作品はどれも様々な植物が主人公の生活に密着していて、この作品でもヨモギ、タンポポ、ノゲシ、ヨメナ、カラスノエンドウ、カシワ、エンジュ、キンモクセイ、ヘビイチゴ、ハルジョオン、ぜんまい、藤の花・・・と次々と登場します。
それら次々と登場する植物の名前を調べつつ、その植物たちのイメージを浮かべながら読んでいくととてもみずみずしい感覚を味わいながら読むことが出来ます。

これらの植物の名前と姿を知っていると、よりイメージしやすいのだろうと思いますが、しかし、彼女の作品の魅力はそれらの知識が無くとも読み進めていくだけで鮮明にその作品世界がイメージしやすいところにあると思います。彼女の文章表現力は一般的な日本人が持っている感情、情動を喚起しイマジネーションを作り上げらせる力があるのではないか、いわゆる常識的な範囲の感覚にとても秀でた人なのではないかと思います。

この作品も容易にイメージが湧いてきて、登場人物たちが僕の中で生き生きと動き、喋り、悩み、喜び始めてくれました。殆ど映画を観ている感覚に近い読書体験というのはなかなか無くてそれだけでも貴重だったんですが、偶然にも最近僕がよく考えることが多かったテーマであるアイデンティティが、今作でもテーマとして貫かれていて不思議なシンクロ感を味わいました。

祖母の死後に残された古い日本家屋にそれぞれ織物、染色に魅せられた四人の若い女性(蓉子、与希子、紀久、マーガレット〜あ、書いててわかった。「"よきこ"と"きく"」だ。梨木さんはキャラの名前で遊ぶの好きだなー。)が住むことになり、その生活の中心に蓉子が幼い頃から気持ちを通わせていた市松人形のりかさんがあった。そのりかさんを中心にして四人の女性の生き方やそれぞれの家族、家、先祖の因縁などがまさに織物のように編み上げられていく物語です。
自分自身のアイデンティティの渇望が、姿を変えナショナリズムや部族の忠義、家意識への漂白していく
強固な家意識や、延いては愛国心のようなものも結局は自らのアイデンティティへの渇望のなせるわざだ

作品の後半に語られるこれらのセリフを取り上げずにはいられないのですが、アイデンティティというのは決して自分ひとりで見つけたり作り上げるものではなく、様々な要素や人やバックグラウンドが、まさに織物のように重なり、紡ぎ合って一つの作品として織り込まれて行くものなのだろうと思わずにはいられません。
しかもそれは決して安定せず、漂泊し、うつろい、喪失されていくものなのではないでしょうか。
常に喪失され、変化していくものだからこそ、人は強固なアイデンティティを渇望するのかもしれないなぁと思いました。

この作品のクライマックス、織り込まれたアイデンティティが業火に包まれ焼け落ちていく様に思わず息を呑み、読みながら嗚咽が込み上げてきました。安定し調和をもたらした瞬間の喪失が余りにも美しいのです。

喪失の後、彼女たちは何かを得たように見えます。その大団円に喪失した目に見えない織物の美しさを感じられるように思います。

必然的な偶然(といいたくなる)の共鳴と登場人物たちの意思が編み上げる大きな変化の物語。これはすごい読書体験でした。

■蛇足
これ、ぜひ映画化して欲しいなぁ。今ならそれなりに個性的で人気のある若手女優が一杯いるし、感性の鋭い作り手の層も厚くなってると思うんだよね。
読みながら勝手に蓉子=蒼井優、紀久=栗山千明、神崎=浅野忠信、竹田=成宮寛貴のキャスティングで読んでたけど(笑)

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Pen (ペン) 2007年 6/15号 江戸デザイン学

評価:
---
阪急コミュニケーションズ
¥ 550
(2007-06-01)
時々買うこともあるPenという雑誌が創刊200号を記念して組んだ特集が『「いき」という文化が育んだ、江戸デザイン学。』だったので、思わず購入。

・目利きが選ぶ、ベスト・オブ・浮世絵
歌川広重の風景画、葛飾北斎の花鳥画、そして様々な美人画が紹介されていますが、圧巻は広重の名所江戸百景ですね。

どれも個性的で斬新。はっと息を呑む構図だということを知りました。
この特集で挙げられている作品から選ぶと『浅草田圃酉の町詣
深川萬年橋
四ツ谷内藤新宿
などすごい。
その他ネットで名所江戸百景を見ていたのですが、なんというか、そこにあってそこにないものを描くことで、そこに当時そのままの江戸でありながら、全く新しい江戸を描いていたのかなぁと、妄想に近いイメージをしながら見ていました。

・風情を残す、建築モチーフと都市設計。
運河による水路、山の手と下町、寺院配置が江戸の、ひいては現在の東京を形作っていると言って良いわけですね。
ここでは様々な寺院、武家屋敷、商家の江戸建築が写真で紹介され面白いです。

ふと思うんですが、今の東京が江戸以来の水上都市としての顔を残していたらどんな街になっていたんでしょうね。
高度経済成長期に汚染と上下水道の整備を理由に暗渠化され、あるいは埋め立てられた数々の河川や運河がありましたね。多分この昭和40年代が江戸と東京の分岐点の一つだったと思います。この当時、河川との共存を第一に考えていたら、どんな都市が出来ていただろう。
おそらく一極集中による都市化や環境汚染も無かったかもしれない。しかし世界の現代史に残る戦後の急速な復興が無かっただろうなぁ。どっちが良かったのかは、歴史のifなのでなんとも言えないですが、今となっては経済成長を遂げた日本であるより、自然との共存を第一に考えた日本であった方が良かったのかも。

まぁ、脱線はここまでにして、今に残る江戸時代の建築の姿は質実剛健で美しいです。武家屋敷や寺院は知っていたけど商家も当時のままの姿でまだまだ東京には残っているんですね。機会があれば見に行ってみたいなぁ。

・パワフルで「いき」な出版文化を大研究。
ここでは歌麿、写楽、滝沢馬琴らをプロデュースした蔦屋重三郎の紹介から始まり、狂歌、読本、講義本、滑稽本、黄表紙、錦絵など江戸の広告、出版の姿が紹介されています。
禁制下で花開いた文化も面白いです。

・職人技が光る、四季折々のプロダクト
組紐、盆栽、すだれ、浴衣、切子、半天、手ぬぐい・・・そういった江戸時代の小物類の紹介。
・庶民の生活を彩る、江戸グラフィック
個性的な書画、千社札、手ぬぐい、千代紙・・・そんな文字、模様などレイアウトのデザインが紹介
・伝統を継承する、気鋭のクリエイター
江戸のクリエイティビティを引き継ぐ現代のクリエイターを紹介。
・男たちの「いき」を表現した、着物の世界。
江戸の男性たちのファッションの紹介。裏まさり、って今でも引き継がれてますね。
ファッションでも裏地や見えない下着などへのこだわりって江戸から続く伝統だったのですね。
・キーワードで探した「江戸本」18冊。
どれも読んだこと無いけど、面白そうです。
「いき」の構造 他二篇
「いき」の構造 他二篇
九鬼 周造
特に読んでおきたいと思ったのがこの九鬼周造の「いき」の構造かな。いつかこの人の著書にはたどり着くだろうと思っています。

そして、とじ込み付録として
・風情ある老舗で、江戸を味わう。
そのタイトルどおり江戸の老舗が紹介されていて、どれもおいしそうだけど、どれもまだ僕には敷居が高いですねー。

と、ちょっと駆け足で紹介してみました。
値段の割りに充実の内容なので一読の価値ありです。

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サントリー美術館開館記念展II 「水と生きる」

サントリー美術館開館記念展II 「水と生きる」

東京ミッドタウンに移転したサントリー美術館の開館記念展第二弾「水と生きる」展に行ってきました。
サントリー美術館の開館記念展として、日本の豊かな自然環境の源といえる「水」をテーマに、日本美術に表現されてきた「水」の造形美をご覧いただきます。 <潤 水と生きる><流 水の表現><涼 水の感覚><滴 水をよむ>の構成で、館蔵品約180件により、水と人との係わりを捉えます。水そのものを表現した作品、水を抽象的に表現した伝統の意匠や水を連想させる素材や色合いを持つ作品を集め、展示空間全体から、水を感じとっていただければと思います。最も水に親しむ夏の気候のなかで、今展観が、暮らしに欠くことの出来ない水のありがたさと、その水を大切にしてきた日本の文化を見つめなおす機会となれば幸いです。


水と人との関係、水を大切にしてきた日本の文化、というテーマにとても興味があります。

初代歌川広重の「東海道五十三次之内」は「日本橋朝の風景」から始まって川のある日本の風景が並びます。
当時は日本は水上交通が盛んだったというのは知っていましたが、こうして見ると川のある風景が当たり前だったんだなぁと感慨深いです。
同じ広重の江戸の有名店を扱った「江戸高名会亭尽」シリーズも面白い。
川縁で川を眺めながら、あるいは屋形船や屋根船を浮かべて川遊びって楽しそうだなぁ。

雨宿り図屏風(高嵩谷作)は突然の雨に困り顔の大人たちとはしゃぐ子供たち、それぞれのリアクションを表情豊かに描いた屏風でとても面白かったです。

草花と流水を組み合わせて描いた小袖などの着物のデザインも素敵でしたねー。オーソドックスに見えてとても斬新。

江戸時代末期の切子と呼ばれるガラス細工のことはほとんど知らなかったのですが、当時のこういう手工業の技術は凄いですね。
サイトにも掲載されている薩摩切子の「切子藍色船形鉢」は絶妙なデザインとバランスで興味深くまじまじと見てしまいました。
水そのものというよりはここに注がれるであろう水とのバランスを考えたデザインかもしれませんね。これ自体から水の流れは感じないけど、その形から水を想像できる感じです。
切子についてよく知らなかったのですが、江戸切子と薩摩切子とあるようです。
東京カットグラス工業協同組合
島津 薩摩切子 【 薩摩ガラス工芸 】 島津興業

全体として、水そのものを感じるというより、水が側にある日本の生活や文化の紹介をメインにした作品群でした。

水そのものを感じるというか、日本の自然の中の水、ということだと昔見た横山大観の全長40メートルにも及ぶ絵巻物「生々流転」がすごかったなぁ。

まさに日本の水そのものであり大自然の中の水であり水とともに流れる人動物植物など万物の流れでした。

水とともにあり、水とともに流れるそんな作品が見たいです。

サントリー美術館「水と生きる」展

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17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義

著述家、編集者で編集工学研究所所長の松岡正剛氏が帝塚山学院大学教授時代の講義をわかりやすく五つの章に分けて書籍化した本です。

個人的にとても収穫があった本でした。
情報を編集するという切片から世界と日本の歴史、特に文化史が概説されていて、丁度自分を取り巻く日本の歴史と文化をどう知っていこうかと思っていたところだったので、勉強していく上でどこから手を付けてどう進めていくかの把握が出来ました。
そうかそうか。こういうポイントを押さえて行けばいいのかという理解が出来ました。

また、「情報とはものごとのへだたりぐあいのことである。」という言葉が本文でも引用されていますが、情報は漠然とした事象を区別すること、またその区別の仕方によって情報は様々な顔を持つこと、その区別の仕方を著者は広い意味で編集と捉えていること。は、ああ、なるほど!と目からうろことまでは言いませんが、新たなモノの見方としてひらめかされた感じです。

様々な物事を区別すること、情報と情報との境目をどことして編集して、情報間の関係性をどのように捉えるか、また自己と他者の区別をどこにおくことで他者との関係性を構築するか。ということを考えるヒントとして文化史全体を掴むのに良い一冊だったなぁと思います。

また、この本をきっかけに松岡正剛氏の他の著作を読み始め、徐々に日本文化への理解を深める一歩になったのではないかなぁと思っています。

ということで、17歳のための、というか17歳的社会性のままの僕のような人のための一冊。

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日本流―なぜカナリヤは歌を忘れたか
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神谷バーの電気ブラン

神谷バー
この店で電気ブランを飲まずして浅草に行ったというな!と言われているとかいないとか。
浅草一丁目一番地一号!の神谷バーに行ってきました。
創業明治13年の日本で最も古いバーです。
レトロなネオンの下をくぐると、映画に出てくるような雑多な昭和な雰囲気の座席が並び、夕方のまだ早い時間帯だったにも関わらず老若男女、老人から家族連れ、カップルなど人人人の群れに圧倒されます。空席を自分で探して座る感じでどこに座れるかもわかんない感じ。文明開化の音がする、みたいな活気がすごいバーでした。

電気ブラン
そこの電気ブランはブランデーをベースにしたカクテルで、ジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされた・・・ってそれカクテルっつーか"ちゃんぽん"では?などという突っ込みは野暮なんでしょう。創業時から今まで残るカクテルです。
明治時代は何でも目新しいものには電気○○○と付けられるのが流行りだったそうで(あ、もしかして電気グルーヴって名前もそういう由来かしら?関係ないか。)、これもその流れにのって電気ブランと名付けられたそうです。

強い度数のお酒特有の、がつんと来る感じに独特の香りが微妙にマッチして個性的な味わい。後から知ったんですが、生ビールをチェイサーにして飲むことを薦めているそうですが、知らず知らずそんな飲み方で飲みました。
今までに無い感覚だったので面白かったです。

ほんとひっきりなしに人が出入りして凄いバイタリティを感じる店でした。

神谷バー

関連URL
電気ブラン - Wikipedia
神谷バーオフィシャルページ
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2007年の抱負

今日、今年の抱負は?と聞かれて抱負とか難しく考えず気楽に〜と返事してみたんですが、やっぱりちゃんと整理しようと思いまして、今思っている事を文章にしてみます。

■仕事
・コンセンサスと情報共有を重視して仕事を進める事を心掛ける

■自分
1)感受性を敏感にしたい
・美術館、博物館に手当たり次第に行ってみようと思います。
・映画を観る頻度が減っているのである程度増やして行こうと思います。
・引き続き散歩は楽しみたいと思います。
2)アウトプットを出していく
・自分が何を感じたか、自分がどう考えるかを形にしていきたいと思います。
・毎日何かしら自分の思考や感じたことを文章化するよう心掛けたい。
3)知識に偏らない。
子供のころからそうなのですが、どうしても「何を知っているか」ということに重きを置いて、その先の得た知識や情報を元に「どう感じたか、どう思うか」まで進まないので、知識や情報を仕入れたところで立ち止まらず、その先に進むように心掛けたいと思います。
4)コミュニケーション能力の育成
まぁ、大仰な言い方ですが、対人スキルは結構低いので人とのコミュニケーションは上手く出来るようになりたいなぁと思っています。
5)ライフプラン
今後の人生設計は徐々に組んで行きたいと思っています。
34歳から過渡期に入っていると実感していまして、今年は区切りの良い35歳、来年は年男の36歳、そして5年後には40歳になります。
一昨年〜去年にかけて感じていることは40歳が大きなターニングポイントだと思っていますのでどのような40歳を迎えるかという下地を作るのがこれからの5年間だと思っています。そんな意味で今年は人生設計についてよく考えようと思っています。

あ、やっぱり文章にするとわかりやすい。

■関連ブログ内記事
手帳について
過渡期
歴史への興味について
誕生日に思うこと
自然への興味について
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忘れられた日本人

忘れられた日本人
忘れられた日本人
宮本 常一

民俗学者宮本常一が昭和初期〜戦後にかけて地方の村々の老人たちについて、彼らがどう生きてきたかを聞き取り、一冊の本にまとめた民俗学を代表する著作。

対馬にて
村の寄りあい
名倉談義
子供をさがす
女の世間
土佐源氏
土佐寺川夜話
梶田富五郎翁
私の祖父
世間師
文字をもつ伝承者

当時の西日本の辺境の村々の様子が生き生きと描かれていて、とても興味深く読みました。

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はてブ→POOKMARKにしました

最近ソーシャルブックマークははてなブックマークを愛用してましたが、POOKMARKが始まったので乗り換えました。

POOKMARK Airlines - ソーシャルブックマークサービス
僕のアカウント

で、最近ブクマしたリンク
続きを読む >>
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どんなときも焦ってはいけません

最近知った寓話。





南の国の王様と北の国の王様が中央の国に行ったとき、中央の国の王様がとても手厚くもてなしてくれたので、お礼に何かしようと二人で話し合いました。

中央の国の王様の顔には何もついて無かったので、もてなしのお返しに目、鼻、口、耳など七つの穴を開けてあげることで、色々なものを見たり聞いたり食べたりすることが出来るようにしてあげようとしました。



中央の国の王様の顔に毎日一つづつ順番に穴を開けていって、七日目、最後の穴を開けたとき・・・その王様は死んでしまいました。





北と南の国の王様の名前はそれぞれ「儵」「忽」(どちらも迅速、極めて短い時間という意味)、中央の国の王様の名前は「渾沌」(=混沌:天と地がまだ分かれず、まじり合っている状態。)でした。



『荘子』内篇第七・応帝王篇"七竅に死す"




混沌とした自然の状態に何か形を作っていくとき、焦って無理矢理何かをはめ込み、結果としてあるがままの良さ自体を壊してしまうことだけは避けなければならない。ということですね。

どんなことを進める時も、急がず、この事は忘れないようにしたいと思います。



参考

渾沌、七竅に死す(荘子・応帝王篇)-- 漢字家族

渾沌殺人事件


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エッセンシャル心理学

エッセンシャル心理学―30章で学ぶこころの世界
エッセンシャル心理学―30章で学ぶこころの世界

最近心理学にかなり興味があります。
図書館で入門書はないかなーと思って探していたところで手に取った本がこれでした。
心理学を全般的に解説していてとてもわかりやすかったです。
続きを読む >>
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天気と健康の関係

最近「うつ病予報」というサービスが始まっていました。



バイオウェザー 健康予報



昔から季節の変わり目に風邪を引きやすいとか、急に寒くなるとお年寄りが亡くなったり、冬季うつ病などという言葉がある様に、天気や季節と健康は大きな関係があるのは周知の事実ですが、現状を把握して、季節に応じてそれぞれ対策したりするのはとても有効ですね。



森林浴がうつ病や気分のリフレッシュに良いのは知っていましたが、こういう理由だったんですね。



森林浴

自然と親しみながら健康の維持・増進を図る行動として、森林の中を散策する森林浴があります。元々はヨーロッパの保養地などで広く行われている行動であり、森林の中を散策することで爽快感を味わうことができるといわれています。



森林の中は樹木から出る香りに包まれていますが、この香りの中にフィトンチッドと呼ばれる物質が含まれています。「フィトン」とは植物、「チッド」とは殺すという意味のロシア語に由来しています。さらに、森林の中にはマイナスイオンも多く含まれています。フィトンチッドやマイナスイオンが多く含まれる大気には自律神経を安定させ、快適な睡眠をもたらす効果があるといわれています。




このサービスの予報判例ランクってどういう基準で分かれているんだろう。

基準も知りたい。






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スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐

監督:ジョージ・ルーカス

製作:リック・マッカラム

脚本:ジョージ・ルーカス

撮影:デヴィッド・タッターサル

音楽:ジョン・ウィリアムズ

 

出演:ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ヘイデン・クリステンセン、イアン・マクディアミッド、サミュエル・L・ジャクソン、ジミー・スミッツ、クリストファー・リー



声の出演:ジェームズ・アール・ジョーンズ、フランク・オズ



ちゃんと悲劇してるんで安心しました。

こういう一本気な男の子が愛が深すぎて悪い方向に転落しちゃうってお話は洋の東西を問わずぐっと来ますなぁ。



アナキンくんが暗黒面に落ちてダース・ベイダーのマスクをかぶるまでの展開は悲哀に満ちていて、それ以降を思い起こすと、とても感慨深いものがあります。



ルーカス監督はスターウォーズはアナキンの贖罪の物語だと仰っていますが、アナキンが背負った十字架の重さを実感させるに足る、サーガの最後を飾るにふさわしい作品だったと思います。



そーいえば、僕の生涯初映画はスターウォズーズEP4でした。

あれから30年近く。映画との長い付き合いの原点がひと区切り迎えて個人的にも感慨深いです。



こののちダース・ベイダーは自らにけじめをつけるのに、あと20年かかるのかぁ・・・



この作品の何が悲劇かというと、見る人の全てが、この後も悲劇が続くということを知っていることなんだろうと思います。

アナキンの犯した過ちを償うのにさらに多くの犠牲が払われていくということを皆知っているから、見る人たちの中で悲劇性が増していくと言うわけですねー。



映画史に残る傑作の大団円を目の当たりに出来て幸せです。



スター・ウォーズ エピソード3 / シスの復讐

スター・ウォーズ エピソード3 / シスの復讐


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2004 知ってる度テスト

2004 知ってる度テスト



Great ! (すごい!)

得点数:68ポイント (100ポイント中)



テレビやインターネット、雑誌などにも目先が利く情報収集力を持っています。今以上に目を光らせてください。




まずまずでした。



僕がわからなかった単語

ヨンフルエンザ

カドケシ

大人のドリル

ダーリンは外国人

コエンザイムQ10

カナヘイ

甲虫王者ムシキング

ニョニョニョ

旭山動物園

ピラティス

空弁

新海誠

ヨンゲル係数

リボ酸

ほたリウム



うーーむ。どれも聞いた覚えすらないです。

ヨンフルエンザは語感からしてペさん関連でしょうか?

あとは全くしりませぬ。
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